小島正憲の凝視中国

上海あれこれ:2012年3月&読後雑感:2012年 第9回 


上海あれこれ : 2012年 3月 
13.MAR.12
1.浦東金融中心の道路に謎の亀裂 → 「問題なし」

 2/16午後、ネット上に上海市浦東新区陸家嘴金融貿易区の「上 海環球金融中心(通称:上海ヒルズ)」と建築中の「上海中心大厦」との間の道路の地面が割れているとの情報が載った。
 これに対して、上海中心大厦建設発展有限公司は、「環球金融中心の近くの東泰路広場で地面割れ」と説明し、その場所を公表し、「問題なし」と以下のように説明し、ただちに修理した。

 「上海浦東地区の地盤は軟弱であり、水位も高く、地下の環境条件は複雑である。そこに超高層ビルがたくさん建ち、地下鉄も通っている。

        
    2/16の地面割れの状況             3/11の修理後の状況 

 この程度の地面割れは正常範囲内である」と。上海浦東新区の住民は、この地区の超高層ビルの乱立に、警戒心を持ち始めており、地盤沈下などを懸念する学者も少なくない。

※昨今、人間の為せる業は、地球温暖化などの環境破壊、原発被害など、解決不能なものを産みだしている。北半球の水力発電ダムの激増で地球の自転速度に変化が出ているという説、四川省大地震は三峡ダムの大量貯水の影響だという説などがあり、浦東新区でも局地的な超高層ビルの乱立が地盤沈下の要因になるという説が浮上しても不思議ではない。正常範囲を大きく飛び越えた事態が起きたときは、ここでも想定外という言葉が使われるのだろう。

 なお三菱電機は、「上海中心大厦」にエレベーターを納入する。このエレベーターは世界最高速であり、地上632mの最上階まで昇るのに、1分を切る速さだという。三菱電機はこの技術で、アジア各地の高層ビルにエレベーターを売り込み、大儲けする予定。なお世界のエレベーター市場での三菱電機のシェアは、現在12%、今後17%程度にまで引き上げるという。

2.日系介護産業進出の採算は?

 中国では、「高齢者」とされる60歳以上のお年寄りが、2015年には2億2100万人に達するといわれ、急速な高齢化が大きな社会問題になりつつある。同時に介護製品や介護サービスのマーケットが注目されており、2020年には5000億元(約6兆4000億円)規模の市場になるといわれている。昨今、日系介護企業の、中国介護事業への進出が相次いでいる。なお、上海市の平均寿命は82.51歳(女性84.80歳、男性80.23歳)で、全国第1位。全国平均は73歳。

 総合介護サービスのロングライフホールディング(本社:大阪市北区)は、山東省青島市に地元企業と合弁で老人ホームの運営会社を設立した。メディカル・ケア・サービス(本社:埼玉県さいたま市)やワタミ(本社:東京都大田区)なども、事業進出する計画を策定済み。介護最大手のニチイ学館(本社:東京都千代田区)は、2月に上海市で福祉用具の卸売り会社を設立、2016年度には売上高で10億円を目指すという。

 たしかに中国の高齢者マーケットは巨大で有望だが、法令などが未整備であることもあって、事業進出即大儲けというわけにはいかないようだ。またこのビジネスは、行政機関や病院関係者との密接なコネクションが必要とされる。日系企業にとって、しばらくは手探りの状態が続くだろう。なお上海市内の路面店や百貨店などでも、福祉・介護用品専門ブースはほとんど見当たらない。すでに5年前から、中堅企業の日系M社は、北京・上海を中心にして、介護用品の販売を始めている。ネット上で店舗をみつけたので、そこに訪ねてみたが、マンションの1室で倉庫兼用のようなところで、とても大儲けしているようには見えなかった。

3.老舗書店閉店の顛末

 上海市内の淮海路にあった大型老舗書店「上海書城淮海店」が、2月中旬に閉店した。この書店は1981年に開業し、2005年には5フロアーで営業面積1500uとなり、上海市内最大の規模を誇っていた。昨今、売り上げが大幅に減少してきたため、30年の歴史に幕を閉じることになった。

  

 上海市新聞出版局は、このほど市内書店などに総額500万元(約6400万円)の補助金を支給すると発表した。上海市内では、店舗の賃貸料アップ、人件費上昇、オンラインショッピングの増加などで、経営不振に陥り、閉店する書店が多くなり、市民の間から、「街から本屋がなくなる」との不安の声に応えたもの。この発表を受けたからなのか、「上海書城淮海店」は、おなじ淮海中路沿いに場所を移して8月に再オープンするという。

 一方、中国の電子書籍端末の最大手「漢王」は、タブレット端末やスマートフォンのあおりをもろに受け、2011年の赤字は3億5千万元に達したのではないかといわれ、経営が厳しい局面に立たされている。「漢王」はiPad(アイパッド)が世に出る前までは、電子書籍市場が中国でも本格的に立ち上がると期待され、上場を果たすほど嘱望された企業であった。


4.英ピザ店、「仏租界」表記を謝罪、罰金納付

 2月末、上海市永嘉路にオープンしたイギリスのピザチェーン大手の「ピッツア・マルザーノ」店が、店の宣伝チラシや看板に、「フランス租界」と表記していたため、中国人客から抗議を受けた。そのピザ店の場所は、もともとフランス租界があった場所で、その風情が残っているところであり、その店の英国人幹部がそれを店の宣伝に使ったもの。ピザ店側は、直ちに謝罪し、その表記をすべての宣伝から削除した。その後、上海市当局は、「中国人の感情を傷つけ、法律にも抵触した」として、同社に4万7千元の罰金を課した。

  

 このピザ店の周辺には、たしかにその風情は残っていたが、この店以外にしゃれた感じの飲食店はなかった。店内は白を基調としたインテリアなどで構成されており、落ち着いた雰囲気を醸し出しており、3/11に訪ねたときは、「仏租界」騒動などは微塵も感じさせなかった。ピザも美味しく、お客さんも多く、服務員のサービスも上等の部類だった。


5.上海地下鉄情報


 2月初旬、ネット上で上海市内の地下鉄の基本料金が、3元から2元へ値下げされるとのデマが飛び交った。地下鉄運営会社の申通地鉄集団は、ただちにこれを否定し、ネット上に新料金を詳細に掲載した。上海の地下鉄は定期券などの割引制度がなく、利用者に不満がたまり、ネット利用の値下げ要請が表面化したもののようである。

 

 申通地鉄集団は、3/01から、「3日間乗り放題切符」を発売開始した。市内の全路線(11路線)を3日間、自由に乗降でき、価格は45元。旅行者や出張者をターゲットに販売し、時間切れ後は、個人が記念に持ち帰ることができる。

6.上海タクシー情報

 2月中旬、上海市の古北地区一帯で、日本人などがタクシーの料金詐欺にあうケースが多く見られるようになっていると、日本人仲間から警告の連絡があった。中には、1.6キロで900元を騙し取られた日本人がいるという。代表的な手口は以下のようなもの。料金支払いの際、運転手がわざわざ100元札での支払いを要求してくるので、それに応じて100元札を差し出すと、偽札なので使えないと突き返され、新しい100元札を要求される。仕方がないので、2度、3度それを繰り返しているうちに、やっとOKとなる。その間に、手元に戻って来た100元札は見事に偽札にすり替えられているという。またプリペイドカードで支払おうとすると、いったん受け取るが使えないと突き返してくる。その間に残高がゼロに近い他のプリペイドカードにすり替えられてしまうという、マジックまがいの手口など。

 私は古北地区の近くに住んでいるが、今まで、そのようなハメに陥ったことがない。しかし2/23、上海市当局は、概観や内装、ナンバープレートなどが実物そっくりの偽装闇タクシーを2011年度中に、546台、摘発したと発表した。この偽装闇タクシーは、一般中国人でも正規のタクシーとまったく見分けがつかないという。ましてや日本人で、少々アルコールが入った後で、この偽装闇タクシーに乗れば、上記の料金詐欺にあっても仕方がないというところだろうか。

 2〜3年前には、全国でよくタクシーストが起きた。それらはタクシー運転手が、給与の低さや労働環境の悪さに大きな不満を持っていたということにも原因があったが、中には闇タクシーが地方政府と結託して、正規のタクシー営業を妨害している例も少なくなかった。

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読後雑感 : 2012年 第9回 
19.MAR.12
1.「龍のかぎ爪 康生 上・下」
2.「神の子 洪秀全」
3.「チャイナ・ナイン」
4.「中国人の正体」

1.「龍のかぎ爪 康生 上・下」  ジョン・バイロン、ロバート・パック共著  岩波書店  12月16日
  帯の言葉 上 : 「中国共産主義の暗黒面を象徴する“悪の天才”康生の評伝」
          下 : 「現代中国の暴力の根源“抑圧と管理”のシステム−創設者の実像」

 私の心は、この本を読み進めて行くうちに、次第に陰鬱な気持ちに包まれていった。この本には、若いころ憧れていた中国革命の英雄たちの康生との暗闘を詳細に描いており、私の中にわずかに残っていた英雄たちへの幻想を、次々と打ち砕いて行ったからである。それでも私は我慢して、これを最後まで読み通した。そしてこの希代の奸雄の康生が、死んだときには共産党の副主席として毛沢東、周恩来に次ぐ序列第3位にまで上り詰めていたにもかかわらず、現代中国で、毛沢東、朱徳、周恩来、ケ小平らのように、英雄として讃えられてはいないことに、いささかの安堵感を覚えた。

 この本の原著は、20年前に出版されている。その中で著者が書いていることは、現在にも十分通用する。著者は、「権力欲につき動かされた康生は、自分の野心以外には関心を持たなかった。このような男がここまで高く出世したということは、やはり時代の産物である。康生の才能は、戦争、革命、クーデター、貧困、火災の溢れる時代に開花したのだ。しかし歴史上に刻まれた康生のイメージは、単に混乱に乗じて高い地位を射止めた裏切り者、倫理を持たない者というにとどまらない。康生の“成功”は、運だけでなくはなく別の能力、すなわち中国社会の裏の力を操る術を心得ていたことに帰結する」と書いている。

 さらに、「康生と現在の中国の指導者との違いは、単に程度の問題に過ぎない。ケ小平たちは権力欲において康生よりも穏やかであり、建設的でもある。康生の見せた残虐性や裏切りへの衝動を、抑制する努力をしている。しかし結局は、彼らも古代中国の方法に捕らわれたマルクス主義的指導者なのであって、康生と同根である。彼らのいう社会主義とは、中央集権的独裁的な皇帝権力への欲望を切り捨てられない、近代の代用品に過ぎず、彼らを中央集権的な絶対権力への欲望から解放することはないのだ。プロパガンダというカーテンの向こうで、彼らは“快適な生活”を楽しんでいる。人民は入れない特権的な店で買い物をし、リムジンに乗るときは窓に黒い隠し布を貼り、贅沢な自宅は高い壁で守られている」、「中国のエリート主義、それは追従をこととする従者を従えた卓越した指導者を好み、その指導者は己の夢や欲望のために国民の利益を犠牲にし、民主的形態を狡猾な大衆搾取に劣化させてしまう。このような中国のエリート主義の全ては変化していない。暴君と混乱とを生む種が、中国文化の土壌のごく表層に眠っている」と、書いている。

 しかも著者は、それは中国に限ったことではなく、「万国共通の悪夢」と言い切り、そしてその言葉で、この本を締めくくっている。「もっとも過去の亡霊に屈してしまう危険は、中国だけのことではない。全ての社会が歴史の墓場である集合的記憶の亡霊に取り憑かれている。原始的なもの、野蛮なもの、悪魔的なものへと回帰する誘惑には、あらゆる場所のあらゆる人々が警戒を怠ってはならない。平和と繁栄の時代には、全体主義の誘惑に抗することは易しい。だがひとたび後退や災害が起こると、あらゆる文化に存在しているニヒリズムというセイレン(美しい歌声で船乗りを誘惑し、船を難破させた美女・ギリシャ神話)の歌が、魅力的に聞こえてしまうのだ。そうした背景に照らしてみると、康生とはわれわれが記憶の中から消そうと永遠に戦っている(すくなくとも折り合いをつけようとしている)万国共通の悪夢そのものなのではなかろうか」

 これは、「失われた20年」で意気消沈し、大災害に見舞われている現代日本人が、まさに拳々服膺すべき文章だと考える。今こそ日本人は、「傑出したリーダーを待望する」のではなく、国民すべてが「リーダーの回り持ち」を行うぐらいの決意で、「万国共通の悪夢」を振り払い、国難を乗り切らなければならないと考える。

2.「神の子 洪秀全」  ジョナサン・D・スペンス著  佐藤公彦著  慶應義塾大学出版会 12月26日
  副題 : 「その太平天国の建設と滅亡」
  帯の言葉 : 「プロテスタンティズムと中国の出会いが、一人の男に上帝を幻視させた。かれの千年王国の追求は、厖大な人々を死へと導く。 太平天国研究の決定版」

 この本は、邦訳本という制限もあるのか、いささか冗漫で読みづらかった。しかもこの本は、学術書でもなく、小説でもない。この500ページに及ぶ大著を、小さな活字を追って読みこなしていくことは、私には辛い作業であった。  途中でなんども挫折しかけたが、1か月ほどを費やして、やっと最後まで辿り着くことができた。そのような次第なので、十分に咀嚼できておらす、この読後雑感は私の独断と偏見の嫌いが強いものとなっていると思う。それでも著者の佐藤公彦氏の貴重な努力の結果を、ぜひ読者各位にお知らせしたいと思い、あえてここに書かせていただく。まず私の目に入ってきた佐藤氏の主張を示し、その後に私の雑感を記す。

 洪秀全は1837年、科挙の試験に落第、意気消沈し病に伏し、死を覚悟したとき幻夢を見て、自らを上帝(神)の子供と自覚するようになった。その後、梁発の「観世良言」という書に出会い、洪秀全は夢で見た父である神が主エホバであり、兄がイエスで、自分が第2子であると信じるに至った。そして「洪秀全はこのように書を読み、文章を書き、書物を教えながら、手厚く受け入れてくれるかれの客家の親戚の家から家へと移動しながら、原罪、贖罪と救い、悔い改め、などのかれの教えを広めた。かれは何度も何度も、かれの夢とその夢の持っている意味について話をした」。そして馮雲山という同志を得て、遊説活動に入る。1848年、紫荊山地域で、洪秀全の教えを受けていた楊秀清(客家の炭焼き)と蕭朝貴(客家の農民)が、憑依状態となり、神の声として、洪秀全を神の子であると承認した。なお馮雲山と蕭朝貴はその後戦死。

 洪秀全の教えは次第に広まり、地域の伝統信仰や社会組織の破壊を伴うようになり、従来の支配層から疎まれるようなる。逆に今までそれらの支配層から排除されてきた集団は、洪秀全の率いる信仰集団と行動を共にするようなる。匪賊も参入し、支配層と武器を持って戦うことが多くなっていく。このとき水軍を率いる匪賊も太平軍に参加してきた。洪秀全たちが「清朝帝国との緊張状態から、いつ公然たる対決に転じたのか、その正確な時期を確定するのはきわめて難しい。しかし明らかに1850年中にかれらの間の互いの挑発は確実に高まっていき、戦争は避けられなくなっていった」。「1851年の8月中旬になって、洪秀全と太平軍のリーダーたちは、一つの難しい決定を行った。紫荊山は、かれらの運動の創始と発展において神聖な役割を果たしてきたのだけれども、いまは、かれらはそこを脱出しなければならなかった。この脱出を成功させるためには極度の機密ときわめて綿密な計画とが求められた」。「かれの信奉者たちに、この集団決定を説明しなければならないのは洪秀全だった」。だが洪秀全の説明でもこの脱出の行く先、つまり「“地上の天国”がどこにあるのかについては、何の言及もなかった」。

 「洪秀全はまだかれらの最終目的地がどこであるかを公表していなかったから、太平軍はかれらの集団を強化しようとつとめるとともに、軍事的訓練と道徳的訓練を引き続き継続した。新たな軍事行動の大要の中で、永安城内あるいは軍営の中においても、行軍中と同じように、男女各営がともに遵守しなければならない軍隊行動の規範が簡明なかたちで頒布された」。

 「さらに当地の民衆の支持を強めるために、太平軍は、この都市と郷村の市場が、太平軍到来以前に機能していたのと同じように機能するように努めた。現地の人々から手に入れたすべての品物には、流通価格で対価の金銭が支払われることを保証しようとした。もっと豊かな地主紳士たちが慌てて逃げ出して、太平軍に忠誠を誓うのを免れようとした場合などは、太平軍はかなり大きな部隊を派遣して、逃亡した者の家を襲い、彼らの食料倉や家畜、塩、食用油、果てはかれらの衣服まですべて没収した」。

 「永安やその周辺の村の人々が同村のものを率いて太平軍に服従を約束しにやってきたり、“妖魔の清朝軍”の動きや士気について報告したり、あるいは銀銭や食糧を献上したり、軍需品の輸送をして太平軍を助けたりした時には、かれらには特別な報奨が与えられた。しかし、この寛大さに厳格さを加えるために、もし清の妖魔の軍に補給品を与えたりした者や、太平軍に対抗する武装団練に参加した者、あるいは戦乱に乗じて女性を強姦したり、掠奪や住民を殺害した者は、ただちにその場で処刑することが約束された」。

 太平軍のリーダーたちは行軍途中で、「金持ちはおれらに銭を借りている。まあまあの者は、満足して寝ていろ。貧窮の者は俺たちについて来い。牛を租りて貧しい田を耕すより貧乏よりもはるかにいいぞ」という歌謡を流行らせた。その結果、湖南省では約5万人の新兵を補充することができた。

 「1853年2月10日、太平軍は不意に、大量の金銀財宝と数万人の新たな男女の追随者をつれて、武昌を離れたのである。かれらは武昌の近くの河川や湖で少なくとも2000隻以上の船を手に入れ、これらの船の船員水夫たちを彼らの部隊に吸収した。作戦がこのひどく早いペースで続いている間、太平軍は、かれらのために働いているこれらの船夫たちに対しては、彼らが自軍に課していた性的分離政策を緩和した。これは速度のためだった。速さこそがすべてだった。水の流れも速かった。太平軍のリーダーたちはまだ、地上の天国がどこにあるのかについて公に語っていなかった。しかしかれらの信奉者たちが感じ取っていたのと同じように、かれらには、旅の次の舞台は南京という都市になっていた」。

 「上帝の次男で、イエスのすぐ下の弟としての洪秀全は、明らかに“四男”としての楊秀清にある種の優越感を持っていた。しかし蕭朝貴がだいぶ前に死に、そしてイエスの声が止まってしまうと、上帝の代理人と“勧慰師”・“聖神風”という二重資格の楊の主張は、楊にキリスト教の三位一体構造のうちの二つの地位を与えることになった。その一方で、洪秀全は上帝自身に匹敵するようないかなる力も一貫して、意識的に否定し続けていた」。

 一般に太平天国は洪秀全の独占的かつ精神的産物のように考えられているが、この本を読む限り、洪秀全のカリスマ性の確立は最初から、楊秀清(客家の炭焼き)と蕭朝貴(客家の農民)の憑依状態の結果のご託宣に依るところが大きく、南京占領後の仲間割れの芽は、すでに布教初期から包含されていたと考えられる。夢で上帝と会ったという洪秀全と、上帝と直接会話できるという楊秀清とでは、むしろ後者に分があったというべきかもしれない。

 太平天国軍は、その領地を拡大するために、根拠地である紫荊山地域から、“進軍”したのではなく、清朝軍などに攻め立てられ、脱出したのである。しかも行く先の当てもなく。この点では、毛沢東の労農紅軍の長征とまったく同じである。さらに軍紀が厳格なことも同じである。むしろ太平天国軍の方が、男と女の兵営を完全に別にしたり、たとえ夫婦であっても同衾を許さなかった点などは、はるかに厳しい。また途中で多くの新兵を補充できたことも同様。行軍途中での人民への対応など、ある意味では労農紅軍の「三代規律八項注意」などは、この経験から学んだものとも考えられる。もっとも太平天国軍もまた、この規律は中国の古典から学んだものだという。

 太平天国軍は、桂林から長沙、武漢を経て、南京に辿り着き、そこに「天国」を設けることに成功した。この点は長征のように闇雲に逃亡したのではなく、河川を上手く利用し、水軍を活用したところに大きな戦略的特徴がある。太平天国の南京占領は、このように理解すれば納得が行く。その後の北伐での陸戦では、成績が芳しくないこともこの視点から見れば当然である。

3.「チャイナ・ナイン」  遠藤誉著  朝日新聞出版  3月30日
  副題 : 「中国を動かす9人の男たち」
  帯の言葉 : 「あまりに生々しい、権力の全貌。これほどスリリングな中国政治の追跡書があっただろうか?中国で生まれ育ち、今なお政府高官と太いパイプを持つ著者が明かす完全ノンフィクション」

 この本は3/12前後に、店頭に並んだ。この本で遠藤誉氏は、中国を統率する次期リーダーを、大胆に予測、分析している。当然のことながら、現在進行中の重慶の問題も詳細に書いている。3/15、重慶市共産党書記の薄煕来が解任された。遠藤氏の予測はほぼ完璧に的中した。さすがに中国共産党の重要幹部に、太いパイプを持つ遠藤氏の情報の確実性とその眼力には頭が下がる思いである。さらに遠藤氏の、「私にとっては、中華人民共和国を誕生させるまでのあの革命は、まだ終わっていない。中国が卡子の史実をありのままに認め、毛沢東が革命戦争を起こすに当たって約束した“苦しんでいる一般人民のための真の民主と自由”が実現したときに初めて、私にとってのあの革命は完結するのである。その日まで私は死ぬわけにはいかない。…(略)。私の魂の闘いは、まだピリオドを打っていない」という怨念にもちかい叫びには、ただただ圧倒されるだけである。遠藤氏は、今年71歳を迎えられた。私も遠藤氏の、この鬼気迫る情熱に、少しでも近付けるように努力し続けたいと思っている。

 遠藤氏は、「いまや中国は独断で動く時代ではなくなっている」と言い、「中国共産党中央委員会政治局常務委員会を構成している「9人の男たち」が中国という国家を事実上動かしており、「国家の方針は、この“9人”の多数決に依って議決され、そこで議決されない限り、国家主席や首相といえども、単独行動は許されない。多数決が鉄の掟だ。これを“集団指導体制”と称する」と書いている。私もこれに異論はない。さらに多数決だから、常に結論が出るように常務委員は奇数に保たれているし、この常務委員に席を巡って、毎回党大会前に熾烈な争いが起きるのであり、今回の薄煕来の事件もその現れであると書いている。

 遠藤氏は次期党大会について、「“先富”を託された江沢民は、“三つの代表”を中国共産党の党規約に書き込むことに執念を燃やし、“共富”を託された胡錦濤は“科学的発展観”を同じく党規約に書き込むことに成功している。したがって次期政権は、党規約に書き込まれた“科学的発展観”を中国共産党として守らなければならない」と書いている。また「今日の中国は“先富”から“共富”への転換期にあり、“先富”が江沢民によって代表されるとすれば、“共富”は胡錦濤政権によってなんとか実現しようともがいている過渡期であるということができる。そのモデルがどのような形になるのか、世界の誰も知らない。中国政府にも実は分からない。すべて人類が体験したことのない、未知への可能性を模索して進んでいるだけである」とも書いている。

 極言すれば、遠藤氏は江沢民の上海閥を悪玉、胡錦濤の団派を善玉のように捉えた上で、「チャイナ・ナインの中にどんなに激しい党内派閥があったとしても、全員が100%一致していることが一つだけある。それは絶対に社会主義国家としての中国を崩壊させてはならないという鉄の理念である」と言い切っている。私はこの主張には、賛成できない。中国共産党のチャイナ・ナインには、上掲部分で遠藤氏も指摘しているように、目指すべ国家モデルは分かっていない。彼らが一致して守ろうとしているのは、未知の「社会主義中国」ではなくて、現状の「中国共産党の支配体制」であると、私は考える。

 遠藤氏は本著で、広東省の烏坎村事件を詳細に分析し、これを「中華人民共和国誕生以来、初めての現象である。中国政府はこれで知っただろう。スローガンだけでなく、真に民意を重視し、民衆の要求に応えても、社会主義国家は崩壊しないのだということを」と、きわめて高く評価している。私はこの解決方法は、昨年来の政府の譲歩・妥協政策の延長線上にあるもので、「初めての現象」などと特記するほどのものではないと考えている。共産党政府は、自分たちの延命のために、ムチを収め、たくさんのアメの放出に踏み切っただけであり、アメの原資が途切れるまでそれを続けるつもりである。人民の側も、わざわざ政府を打倒しなくても、十分に豊かな果実が貪り食えれば、それで納得するであろう。その結果は、社会主義中国も先進資本主義各国と同様の借金地獄に落ち込むことになるだけである。

4.「中国人の正体」  石平著  宝島社  2月21日
  副題 : 「中華思想から暴く中国の真の姿!」
  帯の言葉 : 「なぜ行列に割り込むのか? なぜコピー商品を作るのか? なぜ約束を守らないのか?貪欲な中国人の行動原理がわかる! 金、権力、快楽… 13億人の中国人は“利益”で動く」

 いつもながらの石平氏の中国人への誹謗、中傷が満載の文庫本である。とりたてて雑感を書くほどでもないが、面白い文章を、若干、紹介しておく。

 石平氏は、中国人の道徳的行為の根本にについて、「中国人はキリスト教的な“罪”の意識からでも、共同体から産まれる“恥”の意識からでもなく、自己の利益を重視する“利”の意識から道徳倫理を守る」と書いている。たしかに現代に生きる中国人にその傾向は強い。しかし私はどこの国の人間でも“利”の意識を持っており、その発露の形態や程度に差があるだけだと考える。

 石平氏は、「中国人にとって、人生で考え得る最高の境地のひとつが“大勢の愛人を囲って贅沢三昧をする”ということだ。その意味で、愛人を抱える汚職高官は、一般の中国人から非難されると同時に、羨望のまなざしでも見られている」と書いているが、この指摘は「中国人女性」には該当しないものであり、「中国人」を「中国人男性」と書き換えるべきであろう。さらに石平氏は毛沢東について、「彼は共産主義体制下では人民の共有財産であるべき50棟以上の別荘を私物化し、また、無数の少女を性の玩具とし、ふしだらな生活を送り続けた」と書いているが、これはまったく事実に反している。私は、中国の最高権力者として君臨した毛沢東が、清廉潔白であったとは思っていないが、歴史的に見ても、あるいは同時代の多国の権力者と比較しても、段違いに生活は清貧であり、異性関係も正常範囲内であったと考えている。それは上掲の康生や洪秀全たちと比較してもよくわかることである。

 石平氏は、「日本には、“人民解放軍が暴走するのではないか”と懸念している人もいるが、党中央が国防予算というアメを与えている限り、人民解放軍が暴走することはない。しかしアメを与えられなくなれば、人民解放軍が勝手にテリトリーを拡大して、海外での権益を増やそうとする」と書いている。しかしアメが与えられなくなるということは、中国の国家財政が疲弊してしまった結果であり、戦費も賄えなくなるということであり、つまり海外への進出はできないということである。さらに石平氏は、「日本人からすると、中国人は愛国心が強く、だからこそ日本に対しても反日デモなどの過激な行動をとると思われがちだ。しかし、中国人は基本的に個人主義であり、自分の利益のためならば、最後は生まれ育った国も捨てる」と書いている。そのように考えれば、愛国心に欠ける中国人の日本侵略を想定し、日本も軍備を拡張すべきであるという従来の石平氏の主張は、明らかに矛盾しているのではないか。