小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2010年 第15回 & 第14回


読後雑感 : 2010年 第15回
06.AUG.10
 中国人に対して日本観光ビザが緩和されたことから、今、日本で意外な騒動が起こっている。
 上海や大連などの飲み屋の小ママたちが、日本に直接営業に来るようになり、かつての馴染みの客に電話をかけまくり、面会を迫っているというのである。はなはだしい場合には、昼中に会社まで押しかけて行くこともあるようだ。ビザ緩和前は、中国人の日本入国が簡単ではなかったので、中国駐在者は、駐在期間が終わり日本に帰ってきてしまえば、彼女たちとの縁もほとんど切れてしまうこととなり、安心しきっていたようである。ところが今、復縁を迫られるような事態になってきたというのである。
 今回の中国人の日本観光ビザ緩和は、政策立案の意図とは関係なく、結果的に予想外の事態が現れてくるという好例となったのである。

 今回の1.と2.は、そのような観光ビザ緩和の状況下で、内容はともかくとして、タイムリーな本である。

 3.の「裸の共和国」の中国現代史の分析は、新視点からの挑戦であり、必見の書である。


1.「日本人は誰も気付いていない在留中国人の実態」
2.「日本が中国の『自治区』になる」
3.「裸の共和国」
4.「覇権大国中国が小日本を消す日」
5.「徹底解明! ここまで違う日本と中国」
6.「日本よ! 米中を捨てる覚悟はあるか」
7.「宇宙一危険な発狂中国」


1.「日本人は誰も気付いていない在留中国人の実態」  千葉明著  彩図社  7月26日

 この本は、現在の在留中国人の姿を、リアルにしかも肯定的に描いており、参考になる。また法律面での解説も適切であり、在留中国人に読ませても参考になるのではないかと思うほどある。ぜひ多くの日本人の目に触れさせたい1冊である。読み終わって、私は久しぶりに胸がすっきりした思いになった。千葉氏は先月まで、法務省入国管理局の登録審査官であったということだが、現在の職業については明記されていない。いずれにせよ、まだ50代前半の千葉氏には、今後とも健筆を揮るってもらいたいものである。

 本文中の千葉氏の文言には、頭が下がる思いである。以下に列挙する。

・在留中国人は、国益の一致をともに追い求めることのできる仲間の宝庫だ。わざわざ日本に来るのだから、仲間探しの手間は半分省かれているようなものだ。日本に誇りと自信を持ち、68万人を超える在留中国人の中から、まだ見ぬ中国を引き継いでいく、未来の孫文を一人でも多く見出してこそ意義がある。人口減少と高齢化に直面する日本が、今後縮小均衡を目指すのか、それとも移民受け入れによる成長路線を目指すのかは、政治が決めなければならない難しい問題だが、隣国との関係に限っていえば、「来るものは拒まず」で足れりとせず、一歩進んで「この指とまれ」という積極姿勢をあえてとるべきだろう。

・日本で嫌中感情が渦巻き、これに抗って日中友好を唱えることが、却って勇気あることになってしまっている、という悲しい現実がある。嫌中感情におもねることはたやすいが、同時にそれは、心の弱い、易きに流れる態度である。それなのに、その心の弱さをごまかすために、中国脅威論が唱えられているのが、いまの日本の姿ではないだろうか。

・日本に長く住む中国人は、日本のいいところを評価し、進んで取り入れようとする人が多い。日本で身につけたよい習慣を、中国でも発揮してくれれば、やがて日本人にとっても中国がなじみやすくなるかもしれない。

・中華街が位置する横浜市中区の責任者から直接聞いた話だが、横浜中華街に新たに住み着いた中国人の中には、しつこい客引きや目方のごまかしなど、日本では通用しない商売の仕方をそのまま持ち込み、老華僑の顰蹙を買っている者もいるという。いまの地位を築くのにかけた150年の苦労を軽く考えないでもらいたい、というのだ。

・愛国主義が、代替イデオロギーではなく、拝金主義のカウンターバランスであることが理解できれば、愛国主義教育が日本に対する脅威の問題ではなく、むしろ中国共産党に対するより大きな脅威にまつわる問題であることが理解できよう。確かに、愛国主義教育が、中国人の日本に対する強烈な反感に油を注いだ、という負の副作用は否定すべくもないが、その由来を考えると、中国共産党がいかに困難な状況にあるかがクローズアップされるのである。

・増え続ける在留中国人を前に、「警鐘を鳴らす」論者もいる。それはそれで傾聴に値する議論であるが、共通する重要な論点の一つが、「中国人は国籍を変えても中国に対する愛国心と中華思想を失うことはなく、どこまで行っても日本人とは異質なままだ」というものである。この点を実例で検証する論者は少なく、一種の決めつけである。無論、決め付けだから間違っている、ということにはならない、検証が重要である。筆者も、完全に日本に同化したと思える中国人にあったことがないことは、率直にみとめなければならない。


2.「日本が中国の『自治区』になる」  坂東忠信著  産経新聞出版  6月30日
  帯の文句 : 「中国人犯罪者と闘った元通訳捜査官は見た、背筋が凍るヤツらの手口」

 この本は、現在の在留中国人の姿を、リアルにしかも否定的に描いている。新聞の3面記事を読んでいるような面白さはあるが、中身には独断と偏見、誤認が多く、上掲の千葉氏の著書の対極に位置している本である。千葉氏のウラを読むというところに視点を置くのならば、買って読んでもよいだろうが、普通にテレビや新聞報道を見ていれば、この本に記述されている程度の情報であれば、その大半を得ることは可能であろう。

 坂東氏は、2008年4月に長野で行われた、北京五輪聖火リレーでの中国漢民族の行動を槍玉にあげて、彼らの野蛮性を証明している。しかし坂東氏のこの記述には明らかな誤認があるし、誇張がある。私は当日、その現場まで出かけそれに立ち会っているし、翌日、ソウルまで聖火を追っかけて行き、ソウル五輪広場での韓国在留中国人の行動も見届けてきた。

 坂東氏は、「(日本政府の中国人留学生への支給金は)長野聖火リレーで沿道の日本人をくるんでボコボコにしたあの大きな中国国旗の制作費に当てられていたりした」、「(中国人留学生たちが)、畳6畳分はあろうかと思われる中国の『5星紅旗』を大量に持ち込んでこれを振り回し、街を大混乱に陥れて大暴れしたのは、ご存知でしょう」、「長野の街は中華風猿山状態」、「長野のオリンピック聖火リレーで、中国人の誰一人、日本の国旗を手にしていなかった」などと書いているが、これは現実とはかなり違う。

 たしかに当日、長野の街には「5星紅旗」が林立し異様な雰囲気に包まれたが、沿道の日本人はボコボコにされてもいないし、大混乱もなかったし、また中華風猿山状態でもなかった。そして中国人の中には、日本国旗を片手に持ち、反対の手で中国国旗を持っている人がかなりいたし、顔の半面に「日の丸」を描き、反対側に「5星紅旗」を描いた人も多かった。これらの証拠写真は私のデジカメの中に収まっている。ちなみにソウルでは、韓国旗を一本も見ることができなかったし、ましてや韓国旗を顔に書いた中国人はまったくいなかった。これらの私の実体験から、長野5輪についての坂東氏の記述は、明らかな誤りであるといえる。

 中国の暴動情報についても坂東氏は、「中国政府は、2006年中に中国全体で15人以上の団体が起こした暴動を含む抗議活動は、年間8万7千件と発表しています」と、どこかの受け売り情報を開陳しているが、これはまったくの誤りである。

 さらに坂東氏は、「このところ、世界経済は中国を抜きにしては語れません。世界有数の市場を持つ中国にはまだまだ発展の余地があり、たくさんの外国企業が市場に食い込もうと懸命で、一種の買い手市場となっています。このため都市部では多くの富裕層が生まれ、人々の生活は便利になりました。商業都市上海になど行ってみれば、日本では考えられない高層マンションや通行する車の数に驚くことでしょう」と、中国の急発展を認めています。しかしこのまま中国が発展していった場合、中国人の生活水準が日本人に追いつき、わざわざ日本まで中国人が出稼ぎに来ることがなくなるという事態を、まったく想定していないようである。

 また坂東氏は、漢民族という言葉をなんの説明もなしに、文中で使っている。そして「あなたの敵を明確にしてください。この敵を間違えれば、私たちはまた泥沼の戦いに引きずり込まれるかもしれません。阻止すべき敵は、『支那人』や『中国人』でも『漢民族』でもないし『中国共産党』でもありません。敵は、日本人が持つ『協調』や『思いやりの心』の対極にある、『中華思想』です」と、訳の分からないことを書いている。

さらに「今日本に滞在する残留孤児のほぼ9割が偽者であり」(P.26)などという暴言を吐いている。


3.「裸の共和国」  加々美光行著  世界書院  7月15日

 恥をしのんで白状するが、私はこの本で、「王船山の思想が毛沢東に大きな影響を与えた」ということを、初めて知った。加々美氏は本書の前半で、その王船山思想を縦糸にして、毛沢東の業績をすっきりと解析している。このよう手法で加々美氏に現代中国史を整理されると、今まで私の頭の中に滞っていた疑問が氷解し、ストンと腹の中に収まってしまったような妙な気分になる。現在の私の力量では、この加々美氏の論考の是非を検討することは到底不可能である。この際、毛沢東礼賛派も毛沢東罵倒派も、ともにこの書をテキストにして学習をし直す必要があるのではないかとさえ思う。私は同友会上海倶楽部の会員を募って、できるだけ早い機会に、加々美先生をお招きして勉強会を開こうと思っている。

 さらに加々美氏は、革命後の中国経済史を、外部依存型(開放経済)志向と非依存型(自力更生)との相剋という視点から整理されている。この視点には、まさに目から鱗が落ちた思いである。私もこの視点を加味して、日本の鎖国の歴史や現状を含めて、勉強し直したいと思っている。

 加々美氏は王船山と毛沢東について本文中で詳しい分析を行っている。その一端を下記に紹介しておく。

 「湖南思想といえば誰でも最初にあげるのが王船山です。その思想を広め、学派を形成してゆくための塾、それが船山学舎だったわけですが、それがすたれていた。そこに毛沢東は5・4新文化運動の拠点をおくのです。毛沢東の思想の核心には、船山学の影響が極めて大きいのです。それが主意主義、精神の爆発的な力、といったようなものを信じる考え方です。この考え方に主観能動性という名前がついたのが「実践論」「持久戦論」を毛が書いた1937年、38年のころです。ちょうど日中戦争が本格化する時期に、毛沢東が中国革命と抗日戦争について書いた、その戦略的な議論をやった中ではじめて主観能動性ということばを使ったわけです」

 この本の後半で、加々美氏は中国の現状について言及している。残念ながら、中国人学者たちからの引用が多く、その認識は中国人民の実情からは若干ずれている。たとえば昨年のウルムチ暴動については、その背景に多くのウィグル族労働者の失業問題が横たわっていたと主張しているが、この認識は間違っている。すでに数年前から中国全土で人手不足現象が蔓延しており、それは昨年のウルムチも例外ではなく、失業問題は生じていなかったからである。それでも加々美氏はラビア・カーディル氏について、イスラム聖職者でも宗教指導者でもまったくなく、中国の改革開放の波に乗って大儲けした商人であって、ウィグル人民衆の日常の暮らしと深く結びついているわけではないと言い切っており、その点でチベットにおけるダライ・ラマと同一視するべきではないと論じている。私はこの点についてはまったく同意見である。

 加々美氏は、1988年1月に趙紫陽のブレーンの王健(当時:国家計画委員会副研究員)が発表した「大循環論」を紹介している。20年以上前に書かれたこの論文は、現在の中国の姿をピッタリと言い当てている。以下に加々美氏の文章を書き出しておく。この点についても、原論文に当たって、勉強してみたいと思っている。

 「『国際大循環論』は沿海発展地域と内陸・西部地域の間に深刻な格差があることを認めつつも、その格差が固定化したり、加速的に拡大するとみる『従属論』的見方を取らず、むしろ『追いつき型』発展を主張する『雁行型発展論』の見方に与して、格差は縮小できるとするのです。具体的にその内容を簡単に紹介しますと、まず『東部沿海地域』で、安い労働賃金を基礎条件とする労働集約的で輸出主導型産業への転換を図って貿易黒字による大量の外貨を稼ぐ、と同時に、沿海地域が稼いだ外貨の多くを国内の内陸、西部貧困地域の交通・通信・電源・水資源開発など公共インフラ建設の『開発』資金として投下する。ついで『沿海地域』の産業が次第に資本と知識を蓄積するとともに、労働集約型産業から資本集約的さらには知識集約的な高付加価値の産業へと構造転換して行く。そして『沿海地域』のそれまでの労働集約的産業を内陸、西部の労働賃金のより安価な地域へと移転させてゆく。その際、それまでに内陸、西部に建設された通信・交通・電源開発などの社会インフラが国内市場循環の展開をより容易にし、ひいては内陸西部の貧困地域を経済発展に導く、という論点が『大循環論』の特徴なのです」


4.「覇権大国中国が小日本を消す日」  大林弘和著  ごま書房新社  6月ごろ(発行年月日不明)
  副題 : 「汚染された日本海と日本国土を廃棄せよ!」

 この本の第1章で、大林氏は「地政学で見えてくる日本海周辺」と題して、「汚染水の溜まり場としての『日本海』、その犯人は韓国と中国」と書き、中国の廃棄する汚染物質が大量に渤海湾から暖流にのって、対馬海峡を経て日本海へ流れ着くことが、その元凶であると主張している。現在、たしかに日本海の汚染は深刻な状態になりつつある。もし真に、中国に日本海の汚染の責任を追及するというならば、対馬海峡経由の暖流だけにその原因を求めるのではなく、日本海に注ぐ唯一の大河である図們江に言及しなければならない。図們江は北朝鮮と中国の国境沿いを流れ、日本海へ流れ込んでいる。大林氏は本文中で、この図們江について一言も触れていない。さらに本文中で大林氏は、「中国が建設中か計画中の原子炉は、そのほとんどが日本海に面した地域に予定されている」と臆面もなく書いているが、中国には直接日本海に面した地域はない。このような無知な大林氏が書いたこの本を、まともに読むことはできない。

 大林氏は元海上自衛隊幹部であったことを誇りにしているようだが、上記の図們江を遡った地点に、敦化市があり、そこに大量の帝国陸軍の遺棄化学兵器が埋設されている。大林氏は現在、人民解放軍の管理化で、自衛隊なども関与しながら日本の資金を使って処理活動が進められているのをまったくご存知ないようである。もし日本海の汚染について叫ぶのならば、この遺棄化学兵器の内容物が図們江などへ流れ出す危険性について言及することが必要なのではあるまいか。

 大林氏は「はじめに」で、「本書で特に明らかにしたいことは、今日本で急速に顕在化している深刻な問題には、中国という独特の歴史を持つ大陸国家が、ある目的を持って日本という小さな海洋国家をその統治下に置くために、日本のもつ国力と国民の意欲を削ごうとして企んでいるとしか思えない『戦略』が潜んでいるのではないかということだ」と書いているが、この見解は荒唐無稽である。


5.「徹底解明! ここまで違う日本と中国」 石平・加瀬英明共著  自由社  7月10日

  副題 : 「中華思想の誤解が日本を亡ぼす」

 この本のP.116には、「毛主席が死んでから1か月以内に、江青一派の4人が、華国鋒と毛沢東のボディガードで、親衛隊司令だった江東興によって、逮捕された」と書かれているが、これは明らかな誤りである。正しくは汪東興である。ご丁寧にも、「こうとうこう」というルビまで振ってある。このルビについて加瀬氏は、「ルビといわれる振りがなは、世界のなかで、日本にしかない知恵です。他のどこの国にもありません。便利ですね。ぼくの中学の国語の教師から、『傍に立っている教師だと思いなさい』と、教えられました」(P.48)と書いているが、教師役がそのルビまで間違えているようなこの本は、あまり信用できない代物と言える。

 この本は、保守論壇の論客を自称する石平氏と博学多識の知識人として名高い加瀬英明氏の対談であるが、わざわざ一冊の書物に仕上げなくても、ネット上にでも公開しておけばよいような軽い感じのものである。また石平氏は文中で相変わらず、「不動産バブルの崩壊」や「暴動発生年間10万件」などの文句を繰り返している。

 それでも中には、おもしろい指摘や比喩があった。その真偽には異論があるが、以下に抜書きしておく。

・加瀬 : 「ぼくはね、中国の人たちとお付き合いをして、共産党の幹部とか、軍の将校が多いんですけど、中国人と西洋人では、酒の飲み方がまったく同じですね。…日本人は韓国人と同じで、酔っていなくても、ちょっと酔った振りをしたほうが、よいんですよ」

・加瀬 : 「日本は世界の中で独特ですが、なぜか、お公家さんだとか、武士の支配階級は粗食なんです。被支配階級のほうが、贅沢をするのです。このような国は、他にはまったくないですね」

・加瀬 : 「日本には、豚がいなかったんです。そのため、もとの中国、韓国の十二支には、豚年があるのに、日本では豚がいないので、猪になった」

・加瀬 : 「大きな皿に盛った砂の山=中国、さざれ石が集まって巌となる=日本」

・加瀬 : 「中国は戦って殺す男の論理、日本は優しく包み込む女の論理」


6.「日本よ! 米中を捨てる覚悟はあるか」  西村幸祐・石平共著  徳間書店  5月31日

  帯の言葉 : 「民主党による日本解体を許せば、日本はいずれ中国の『倭国自治区』になる」

 石平氏はよほど対談が好きらしい。それでも内容のある対談ならば読む価値があるが、この本は雑談程度のものであり、読むのは時間の浪費である。

 石平氏は、わざわざ「日本はアメリカにも中国にも、ものを言える国になれ」と見出しを付け、「もし西村さんが総理大臣で私が外務大臣だったら」と仮定して、「まず第一に、憲法を改正して明治憲法に戻る。第二に国防省をちゃんとつくる。いまの防衛省では何を防衛するのかわからない。自衛隊をちゃんとした国防軍にしたうえで、核兵器の開発に着手する。核弾道は何発持ってもかまわない。そして、集団的自衛権の行使を前提として、アメリカと対等の同盟関係を結ぶ。普天間に米軍が駐留する代わりに、ハワイやグアム、サイパンにはわが日本軍が駐留する。象徴的なものとして、一連隊でもいい。サイパンとグアムに日本軍が駐留する意味は大きい。それで中国は完全に封じ込めることができます」と、主張している。この主張自体が、きわめて危険かつ矛盾したものであり、実現不可能な妄想であるが、いずれにせよそ石氏の眼目は「中国封じ込め」にあると断言できる。

 私はこの本の表題を見て、西村・石平の両氏は、「米中を捨てる覚悟はあるか」と大上段に振りかぶっているわけだから、当然のことながら文中で、経済面では「米中を捨て、その他の国に輸出をして自立を図るか」か、あるいは「米中を捨て、鎖国をして自立をするか」のどちらかを主張していると思い、この本を慎重に読み進めた。ところが最後まで経済面での自立に関する結論めいた文言はまったく出てこなかった。この本は、わざわざタイトルで自立を読者に問いかけながら、著者たちが軍事面での自立のみしか語らず、肝心な経済面での自立という結論を著さない、とても卑怯な本である。

 石氏の中国認識の浅薄さに、少し触れておく。石氏は、「北京の1月の中古マンションの販売件数は、前年同期と比べて70%減った。3月に北京で全国人民代表大会が開かれた期間中、北京の不動産販売件数は前年同期比で48.9%も減ったという」と臆面もなく書いているが、前段はマンションと書き、後段は不動産と書いている。つまり石氏の頭の中では、マンションと不動産が混在しているわけである。石氏とは、このような短い文章の中で、一つの事象を表すのに矛盾し異なった文言を平然と使うような頭の構造を持つ人間なのである。


7.「宇宙一危険な発狂中国」  太田龍・守屋汎編  成甲書房  7月20日

  副題 : 「この巨大怪獣を肥育してきたのは誰だ!」

 「太田竜」、久しく目にしなかった名前につられて、店頭でこんな本を買ってしまい、あとで悔やんだ。あえて中身を紹介する必要がないほど愚劣な本だからである。「虎は死して皮を残す、竜は死して中国予言を残す」という文句で始まるこんな本を、いったい誰が読むのであろうか。それでも店頭には、結構な量の本が積み上げてあった。参考に供するために、下記に、独善的なせりふの一端を書いておく。

 「中国が、発狂することで、真っ先に被害を蒙るのは、日本である。スピーディなグローバル時代ゆえ即座にその破壊力は、津窮状の万有万象のいのちに波及する。ひいてはアマテラス大御神やアメノ御中主のおわす太陽系、銀河系宇宙空間にも甚大な被害をもたらす。それだけに日本の果たすべき役割は重い。なんとしても隣人中国の病状悪化を阻止し、根本治癒をほどこさなければならないのだ。本書を最初から再読熟考し、中国が破壊的業病を発するに至った経過を冷静に診断し、日本本来の持てる癒しの力を掘り起こし現代にそれをどう再生するかに早急に取り組むしかあるまい」



読後雑感 : 2010年 第14回 
03.AUG.10
1.「小さな会社が中国で儲ける方法」
2.「必読! 今、中国が面白い」
3.「戯れ歌が謡う現代中国」  

4.「すぐに役立つ 中国人とうまくつきあう実践テクニック」
5.「中国で次に起こることは?」
6.「これが日本人だ!」


1.「小さな会社が中国で儲ける方法」  仲谷幸嗣著  総合法令出版刊  2010年6月8日発行

  帯の宣伝文句 : 「あの大国での起業はここに気をつけろ!」 

 この本は2006年5月に大連で起業した中小企業家が書いたものである。現在、巷に溢れかえっている中国でのビジネス体験本の中では、比較的新しい部類に入る本である。したがって新しい視点も盛り込まれている。

 たとえば、仲谷氏は「中国のマーケットは大きくなっています。自動車や電機などはすでに中国での売り上げを伸ばしつつあり、今後の市場として脚光を浴びています。では我々中小企業が中国市場を狙って進出したら勝ち目はあるでしょうか? 答えはNO(ノー)です。中国で物やサービスを売ってビジネスをするのは、多くの平均的な日本人経営者にとって無理な話です」と断定している。これなどは「中国は世界一の市場」という文句に釣られて中国の市場を狙って進出しようとしている企業への警句になっている。

 また、仲谷氏は「一度登録したら事務所でも公司でもやめるのが大変」と体験談を書いている。たしかにその通りであり、よく短期間にそこまでを体験したと思う。

 しかしながら本書には中国への誤認も多い。ことに「文化大革命の時代には教育の空白期間があります。一応の教育は続けていましたが、教える内容は政治思想ばかりで、現代の世界で役に立つ内容の教育はされていませんでした。この時代の人は今、40代です。日本の会社で言えば働き盛りの管理職クラスですが、中国ではこの年代で活躍している人が極端に少ないのです」と書いているが、これは明らかな間違いである。中国で教育の空白期間に嵌ってしまった不幸な年代は、今、50代の中盤にさしかかっている年代である。現代中国の政財界は40代が主人公で、彼らはきわめて優秀で質量ともに豊富である。私の中国における10か所以上の公司も、総経理はすべて40代後半の中国人である。多分、中谷氏は不幸にして、優秀な40代の中国人に遭遇しなかったのだろう。

 中谷氏は中国での経営に関して、現在もっとも重要な「経営の現地化」については、一言も語っていない。次回作では、中谷氏自身が中国で永住権を取得し、まさに現地化に成功するといったような画期的な体験談をぜひ語ってもらいたいものである。

 にわか中国通の仲谷氏の「知ったかぶ振り」のこの本を読んで、私は自らの姿を見たようで恥ずかしかった。私は今まで、20年間の中国体験を引っさげ、大きな顔でいろいろと書き連ねてきたが、きっと多くの中国通の先輩たちからは、「まだまだ中国がわかっていない甘い奴」と思われていたにちがいないと思ったからである。


2.「必読! 今、中国が面白い」  而立会訳  日本僑報社刊  2010年5月28日発行

 この本に掲載されているのは、主に2009年の人民日報のニュースの翻訳である。したがってニュースとしてはすでに賞味期限が過ぎてしまっているものが多く、この本を読んでも「今、中国が面白い」とは思えない。

 ただし随所に参考になる文章もある。たとえば第18話では、「政治がらみの『字体論争』、百害あって一利なし」と題して、台湾での「簡体字」と「繁体字」の論争に触れている。私は当事者でもなく、そのどちらにも軍配をあげる学識もないが、アイデンティティと経済活動の狭間で揺れ動く台湾人の気持ちを察することはできる。また第19話では、「値切れると値切れない」と題して、「値切ることが習性になっている大陸からの観光客に対して、今後も定価一点張りでいいのだろうか」、「いやいや、大陸の観光客も『台湾でのショッピングは値切れない』ことを受けいれるべきなのでは」などと、台湾で大陸からの観光客に関する議論が持ち上がっていると書いている。これなどは、今後の日本でも大きな議論になりそうである。多分、どこかの店が「値切り交渉に応じた商売」に転じたら、一気に日本の「正札販売の風習」は吹き飛んでしまうのではないだろうか。

 第45話では、「オオカミが来た!補償はない!」と題して、最近の青海省の野生オオカミの牧畜被害について書いている。ヒグマやオオカミが保護動物となっており、繁殖し過ぎた結果であるという。難しい問題である。

 第59話では、「都市は何故『高さ』を競うのか」と題して、「超高層ビルは一般的に『土地の有効活用』を旗印に掲げている。北京・上海・広州のような大都市では、中心部の地価が土一升金一升で、建物を高層化する理由がある。しかし、一部の2級・3級都市の場合はむしろ都市のイメージアップのために超高層ビルを建てている。科学的観点からいえば、超高層建築は確実に見直すべき時期に来ている」と書いている。まさにその通りである。


3.「戯れ歌が謡う現代中国」  南雲智著  桜美林ブックス刊  2010年5月31日発行

 この本では、「戯れ歌」を通じて、中国の庶民感覚を知ることができる。この本を読んでいれば、酒宴などでの話題も豊富となるだろう。南雲氏は10年前にも、同様の書を出されたという。「おわりに」では、「本書にはほとんど採用しなかったが、10年前と戯れ歌の内容が変わってきている要素がある。それは『内省傾向の戯れ歌』の増加である。個人の存在や思想、人間関係に向けた問いかけが、多少哲学的に仕上げられている。中国がいったいどこへ進んで行くのか、それを自分という個人の生き方と重ね合わせたときに、その先に大きな闇が広がっているのではないかという不安が、『内省』を呼び起こすのかもしれない」と書き、またの機会にまとめてみたいと言われている。またそれも読んでみたいと思っている。以下に、本文中の面白い戯れ歌を紹介する。

≪改革開放当初≫

 @                  A                 B
 出国はまだですか?       50年代 手を取り合い     先生より本屋がまし
 商売はまだですか?       60年代 貶め合い       学者より肉屋がまし
 株はまだですか?         70年代 もたれ合い       メスよりカミソリがまし
 有名人にはまだですか?    80年代 騙しあい         研究積むよりうどん屋がまし
 離婚はまだですか?       90年代 つぶし合い

 C                      D
 毛沢東の幹部は 清廉潔白で     西南地域が明るくなってあの太陽が沈んでいく
 華国鋒の幹部は 跡形もなく       中国にケ開拓が現れて
 ケ小平の幹部は 億万長者        政府に商売奨励し人民利己的になるばかり

≪高度成長期≫

 @                     A
 北京 中央政府ありまして       北京に行くと  自分の官職の低さを思い知る
 広東 華僑の故郷ありまして      広州に行くと  自分の胃腸の弱さを思い知る
 深セン  お隣香港ありまして        深センに行くと  自分の財布の淋しさを思い知る
 福建 お隣台湾ありまして       成都に行くと 自分の結婚早過ぎたのを思い知る
 甘粛、青海 毛思想が頼りです     上海に行くと 若い女毛唐の2号になりたがるのを知る
                       重慶に行くと 火鍋にケシの殻 減らせないのを知る
                       遼寧に行くと 失業者が毛主席を敬慕するのを知る

 B                     C
 50年代 みんな鋼鉄を作った    金の儲け方は知っているが 生き方はわからなくなった
 60年代 みんな飢饉に飢えた    寿命は長く延びているが 生きる楽しみは増えていない
 70年代 みんな農村に行った    宇宙までも征服したのに 内心世界を征服する術なし
 80年代 みんな商売に走った    清らかな空気知っているが  自己の魂汚されてしまった
 90年代 みんな社長になった    われらの収入大きく増えたが  道徳水準しっかり落ちた

≪最近≫

 @                       A

 50年代 米をといで野菜を洗う       人から借金する人 貧乏人  国から借金する人 お金持ち
 60年代 水質立派なもの           酒の酒精度見る人 貧乏人  酒のラベル見る人 お金持ち
 70年代 まだまだ安全            創造と発明する人 貧乏人  オリジナル盗む人 お金持ち
 80年代 魚やエビが絶滅し             殺した動物食べる人 貧乏人  生きた猿の脳食べる人 お金持ち
 90年代 オマルのフタさえ洗えない    土地を耕作する人 貧乏人  土地を売買する人 お金持ち
                         家禽を飼育する人 貧乏人  犬や猫を飼う人 お金持ち
                         稲や野菜作る人 貧乏人  花や草育てる人 お金持ち
                         嫁さん欲しい人 貧乏人  2号3号持てる人 お金持ち
                         妻を誰かと寝かせる人 貧乏人  誰かの妻と寝る人 お金持ち


4.「すぐに役立つ 中国人とうまくつきあう実践テクニック」 吉村章著 総合法令出版  2010年5月10日

   帯の宣伝文句 : 「中国ビジネスに切り込むための必読の『指南書』」

 この本は、巷にあふれかえっている他の中国ビジネスハウツー本と比べて、特別に新鮮な切り口を与えてくれるものではないし、ましてやこれを読んでおけば大儲けができるという「必読の指南書」でもない。読んでおけば損はないという程度のものである。それでも面白い個所はあるので、以下にそれを紹介しておく。

・中国人からのクレームに対応する3つのポイント―@みんなと違う、Aあなただけ特別、Bおまけ付き。

・「ボーナスは3倍の格差をつける」ことが成功の秘訣―「結果の平等」よりも「機会の平等」を重視する中国人。

・なぜ中国人は「給料明細」を見せ合うのか?―正当な評価を受けているかどうか、自分で確認するため。

・絶対にやってはならない禁止項目C「反論に反論する」―論点の迷走、言い訳の逆連鎖を避けろ。

・中国人との議論は「三択方式」が有効―5W1Hを使った質問は避け、具体的な選択肢を提示する。


5.「中国で次に起こることは?」  邱永漢著  グラフ社  2010年8月5日

 久しぶりに書店で邱永漢氏の著作を目にしたので、買ってみ読んでみた。この本は邱氏のインターネットサイトの06年12月から07年4月までのものをまとめたものだという。内容はともかくとして、3年前のものを、なぜ今、わざわざ書籍として発刊したのだろうか、私は不思議に思う。私の友人に、邱氏が主催する投資話に乗って損をしたという人がいる。この本の「解説」で、戸田敦也(肩書きは「邱永漢思想研究家」)氏が、「邱さんの“株の原則”に、『株式投資では、他人に責任を転嫁できない立場に自分を置くことが必要』という言葉があります。大切なお金の運用は人任せにせず、株も、損をしながら自分で要領を覚えていくのがよいというのが、邱さんの投資思想です」と書いている。また邱氏自身も「まえがき」で、自分が過去に成長株として持ち上げた株が、予想のように伸びなかったことについて、「結論から言えば、三つに一つはハズレが出るのです。業種に間違いはないのですが、経営者の能力と人格まで見破れなかったということでしょうか。ですから、私の提言を鵜呑みにしないで、ヒントの一つとして、どうかご自分でよく研究してみてください」と釈明につとめている。かつて「株の神様」とまで崇められた邱永漢氏も、昨今の中国経済界の激動には、いささか手を焼いているようである。

 それでも邱氏の着眼点には、学ぶべきものがある。それを以下に抜書きしておく。

・中国の企業が次から次へと外国で資源の買収や企業の買収に乗り出しています。これがあまりうまくいっていないようです。資源に対する投資の場合は、国と国との外交関係に大きく左右されますが、レノボとか、ハイアールとか、生産事業の海外進出ともなると、先進国で先進国の人を使うことになりますから、中国人というハンディの上に、官僚的な非能率が大きなブレーキになる2重のデメリットがあります。…中国株に投資する場合も、中国のカントリーリスクより、ダブル・リスクに気をつける必要があります。

・中国は「世界の工場」から、「世界最大の消費市場」への道を歩くことになります。中国で生産して世界に売る企業進出から、中国市場を対象とした企業進出へと方向転換することになりますが、最初から国内市場も視野に入れて進出した企業にとっては、笑いの止まらない環境になりつつあるということです。

・本当に中国人は、私たちが政府の発表する統計数字から理解するよりも、ずっとたくさんの収入があります。…一つには多くの人が本職の収入以外に副業とか副収入を持っているからでしょうが、全国的に共稼ぎになっているのと、貯蓄率が高いこととも関係あります。

・日本と違うところは、外国企業が日本の過剰流動性の片棒を担がなかったのに比べて、中国は世界からの企業誘致に力を入れてきたので、世界中から進出した外国企業も一緒になってお神輿を担いでいることです。そのために流動性過剰は外国によってもたらされたもので、自分たちではどうにもならないことだといった責任転嫁が起こっています。日本よりもっと厄介なことになる兆しが見え隠れしています。


6.「これが日本人だ!」  王志強著  小林さゆり訳 祥伝社 2009年9月24日発行

  副題 : 「中国人によって中国人のために書かれた日本および日本人の解説書」

 私はこの本を、中国人である王氏が、「韓非子や三十六計」を縦横無尽に駆使して、日本人論を展開しているにちがいないと思って読み進めたが、残念ながらその期待は大きく外れた。この本には、新しい切り口の日本人論はほとんどなく、すでに多くの論者が語り尽したものが多かった。ことに日本人自身や、欧米人が過去に語った日本人論からの引用が多く、どうしても2番煎じの感じがぬぐえない。

 この本はまず、「中国に広く伝わる例え話がある」という文章から始まり、「曰く、日本人1人+1人は3人、中国人1人+1人はゼロ。1人の中国人は10人の日本人を打ち負かすことができるが、10人の日本人は100人の中国人を打ち負かすことができる。1人の中国人は龍で、1人の日本人は虫であるが、3人の中国人は虫で、3人の日本人は龍である」と書いているが、このような比喩は冒頭でわざわざ披露するほどのものではない。

 また王氏はこの本を書くにいたった動機を、「日本とよばれるこの列島はその地形から、ある人は狼のようだといい、ある人は蚕のようだという。世界史とりわけ近代史において、確かに日本人は凶暴であり貪欲であった。しかし同時に日本人は思いやりがあり、勤勉かつ上品でもある。私が重い一筆をしたためたのは、この矛盾した属性を持つ国家および民族について、私なりの考察をくわえてみたかったからである」と書いているが、そのような矛盾した人間性については、日本人だけでなく中国人自身も持っているもので、いわば人種に関係のない人間の普遍の属性と考えるべきである。したがってこの切り口で、日本人論を展開するには無理がある。中国人自身も、荀子や韓非子の性悪説と孔子や孟子の性善説をほぼ同時代に生み出し、いまだにその思想領域を超越する哲学を創造できていないではないか。

 なお、王氏は文中で、日本で知り合った多くの日本人を引き合いに出しているが、同輩以下が多く、年配者は少ない。中国人同様、日本人も年代によって、かなり思想傾向や行動様式が違う。もっと多くしかも幅広い日本人と接触することによって、日本人論を補完されることを期待する。