屋久島と共青団
屋久島と共青団 |
08.JUL.09 |
2008年11月13日午後、中国共産主義青年団の盧雍政書記の一行が、KTC中央高等学院名古屋キャンパスを、視察のため訪れた。 KTC中央高等学院は通信制の「屋久島おおぞら高等学校」の指定サポート校である。 日本人の中でも「屋久島おおぞら高等学校」を知っている人は少ない。その学校になぜ共青団書記が注目したのか。今回はそれを考察してみた。 なお、屋久島の「屋久島おおぞら高等学校」に足を運び現地取材をして写真を撮ってきたが、とても私の素人写真では、世界遺産:屋久島の雄大さとそれを背景にしたこの高校の素晴らしさを表現できず、むしろ矮小化してしまうと思ったので、あえてここには載せなかった。 1.「屋久島おおぞら高等学校」の紹介 KTC中央高等学院は、2002年に通信制高校のサポート校として名古屋にキャンパスを開校した。 その後、この学院の設立趣意が時勢と社会のニーズに合致していたことから、生徒数が激増し各地にキャンパスが次々と開設されていった。 規模の拡大に伴い、教育内容の統一と質的な向上を目指し、2005年4月、屋久島に「屋久島おおぞら高等学校」を広域通信制・単位制の高校として開校し、KTC中央高等学院はその指定サポート校としての役割を担うことになった。 その結果、レポート提出などの日常的な学業支援を身近な指定サポート校で行い、スクーリングを遠方の「屋久島おおぞら高等学校」で行うというシステムが整い、単位修得者は「屋久島おおぞら高等学校」を卒業するという体制ができあがった。 現在、この高校ではこの両輪ががっちりかみ合い、さらなる飛躍を目指し前進中である。 2009年現在、「屋久島おおぞら高等学校」は生徒数約6千人、KTC中央高等学院のキャンパスは全国に24校という規模に達している。 なんと言っても、この高校の最大の特徴は年1回の屋久島での体験学習を中心としたスクーリングである。 世界遺産で有名な屋久島に拠点校を作り、そこでスクーリングを行うという発想は素晴らしいものである。 ゼネラルマネージャーの古川泰久氏は屋久島を選んだ理由を以下のように語っている。 ≪ 共感・共有・共生 … 大自然の懐に抱かれて、ひとの原点に立ち返る。 ≫ 開校の際、「一生に一度、自分の大切な存在に見せたい風景」を探し求めて日本中を歩き、我々がたどり着いた地が屋久島でした。 人は「教えられる」ことからだけでなく、五感を働かせて「自ら感じとる」ことで、内発的な力を取り戻し、大きく成長するものだと考えています。 実際に、屋久島の自然を活かした体験型のKTCオリジナルプログラムや、世界自然遺産の地に住む人々との親密な交流などが、個々の生徒の成長のきっかけとなり、素晴らしい教科書になっています。 親元を遠く離れてスクーリングに参加するのは、たいへんな勇気と忍耐を要することです。 しかし屋久島で海や森、星空を目の当たりにしたとき、「自分の悩みや苦しみは何とちっぽけなものだったのか。」と誰しも感じとることが出来るのです。 その震えるような感動を誰かと分かち合いたくて、自分の家族や友人など、他者の存在のありがたみを実感すると同時に、そんなふうに感じることができる自分自身を、もっと好きになっていくのです。 屋久島は、自分の存在を相対化し、客観視できる場所です。 そしてここでの経験から感得した「内なる力」を糧に、子どもたち一人ひとりが、グローバルな視野に立ちながら、 その自分たちの未来へ、きっと羽ばたいて行ってくれる、と確信しています。 ※私の下手な紹介では、この高校の素晴らしさを語りつくせない。続きはぜひ直接下記のHPを見ていただきたい。 ☆ 屋久島おおぞら高等学校 http://www.ohzora.ac.jp ☆ KTC中央高等学院 http://www.ktc-school.com 2.中国青年訪日団の高い見識 2008年11月10日、中日青少年友好交流年の中国側の第3弾大型訪日団一行299人(団長:共青団中央書記処書記の盧雍政氏。中華全国青年連合会副主席:41歳)が日本を訪れた。 同団の受け入れ担当である財団法人日中友好会館はウエブ上に「2008年度中国青年団第3陣が来日」として記事を載せ、この団について以下のように記している。 「一行は総団長ら代表者6名、青年指導者39名、公務員31名、企業家32名、教育関係者30名、地方青年指導者66名、学者27名、青少年(四川大地震被災地域青少年)68名で構成された299名で、分団ごとに東京、神奈川、愛知、長野、山梨、京都、兵庫、広島、新潟等の各地を訪れ、それぞれ専門分野に関する視察、講演に参加したほか、日本青年との交流会やホームステイ、合宿セミナーなどを通じて、ともに各分野で日中の将来を担う青年同士、交流と理解を深めた」 なおこの記事には、各分団の訪日中の行動と視察先について、詳しい日程表や視察後の感想文が添付されている。 このうち盧雍政書記はB団として、名古屋に視察に来たと記してある。しかしそこで公開されている日程表には、KTC中央高等学院の視察行動は見当たらない。もちろん他の分団の日程表の中にもない。ただ11月13日の午後の部分が、「愛地球博記念公園参観」、その後市内参観となっている。KTC中央高等学院名古屋キャンパスにはその市内参観を取りやめ訪問されたものであり、予定外のお忍び行動であったと思われる。 名古屋サポートキャンパスは新幹線名古屋駅から歩いて3分ほどの場所にあり、現在、生徒が800人ほど在籍しており、それを30人ほどの教師で受け持っているという。学校では、登校日数や登校時間も生徒が自由に選択できるようになっており、一人ひとりの生活スタイルや学習ペースに合わせて無理なく学校生活が送れるように工夫されている。 盧雍政書記の一行は、この学校の教室内に入って、教師や生徒たちと4時間に渡って意見を交換し合った。 まず生徒たちが屋久杉で箸を作って進呈し、教師の一人がけん玉の妙技を披露し、一行を歓迎した。そして一行は教師が生徒を個別に指導する場面や、小クラスの授業風景などを参観した後、教師や生徒の意見に真剣に耳を傾け、中でも日本の不登校児の問題に強い関心を示していたという。 そして教師が、この学校が私学であり公的補助金なしで経営されていることを説明すると、目を丸くされていたようだ。なお、盧雍政氏は「やがて中国の教育も同様な事態に立ち至ることは避けられないので、この学校のシステムはたいへん参考になった」と答礼をして帰ったという。 私は中国の次期政権を担おうとしている期待の若手が、この「屋久島おおぞら高等学校:名古屋サポートキャンパス」を4時間に渡り、熱心に視察していったことを聞いて、彼らの高い見識と真摯な態度に感心した。 盧雍政書記が独自の情報入手によってこの高校の視察を希望したのか、誰かが強力にこの高校の視察を勧めたのか、それはさだかではないが、いずれにせよこの高校に強い関心を示し、長時間にわたって真剣に視察していったということは事実である。 まさに中国の若手リーダーたちは10年後、20年後を見据えて行動しているのである。他の分団にもきっとこのような予定外のお忍び行動があるにちがいない。それらをしっかり調べれば、中国の若手リーダーたちがいかに真剣に中国の将来を考えているのかを立証できるのではないだろうか。 さらに日中青少年友好交流を利用して日本から中国に渡った青年たちの足跡を詳しく調べ、日中の青年の行動の比較を行えば、将来の日中のリーダー像の差異がくっきり浮かびあがってくるのではないか。 中国ウォッチャーやマスコミ関係者に追及してもらいたい課題である。 3.「屋久島おおぞら高等学校」への期待 09年4月、私の高校時代の先輩であり恩人でもあるK先生から、「盧雍政書記の一行が私たちの高校に視察に訪れた」という情報をもらった。 恥ずかしながら、私はそれまでこの高校に強い関心を持ってはいなかった。私の心中には、なぜ共青団書記がこの高校を訪問したのだろうかという素朴な疑問が湧いてきた。 そこでさっそく名古屋サポートキャンパスに出向き、K先生から直接お話をうかがった。K先生はこの学校の生え抜きであり、懇切丁寧に学校内を案内してくださり、この学校のシステムを教えてくださった。 このサポートキャンパスでは生徒たちが、先生たちといっしょに明るく楽しそうに勉強をしていた。 このサポートシステムだけでも十分に革新的で素晴らしいと感じたが、やはり根幹は屋久島にあると思い、次いで私は屋久島の「屋久島おおぞら高等学校」を訪ねてみることにした。 @スクーリングに絶好の環境。 「屋久島おおぞら高等学校」は、鹿児島空港からプロペラ機で30分飛び、さらにそこから車で30分ぐらいの走った場所にあった。 高校の前には青い海が広がっており、すぐ背後に濃い緑でおおわれた1200m級の山がそびえており、近くには民家が少なく、そこは世俗とは一線を画したまさに雄大な自然に囲まれた場所だった。 私は、生徒たちのほとんどがプロペラ機に乗り離島に来たことなど初めての体験であり、なおかつこの雄大な自然に圧倒され、大きなショックを受け、前日までの日常生活とまったく隔絶された特異な心理状態となるのではないかと考えた。 その結果、無意識にこの場所からも人生からも逃げ出せないと観念する。そこから生徒たちの目覚めが始まる。 私はスクーリングには、この場所は絶好の環境だと感心すると同時に、日本全土の中からこの地を選んだ先生方の眼力に感心した。 私はこの場所を見るまで、世界遺産の屋久島には観光客が押し寄せて、さぞかし高校周辺も俗化しているにちがいないと思っていた。しかしそこは観光客が殺到する方面とは反対の位置にあり、きわめて静かな落ち着いた場所だった。 そんな場所に、鳥が翼を広げた形のデザインの校舎があった。それは山に向かって飛び立つようだった。 宿舎はその鳥の足元にひな鳥を育む巣のように円形に配置されていた。校庭には運動場を見下ろすように、観客席が花崗岩で作ってあり、それはローマ時代のオペラ劇場を思わせるようだった。 生徒たちはこのような童話の世界に出てくるような環境の中で、練り上げられたカリキュラムと教師陣の熱情あふれる指導を受け、4泊5日のスクーリングで劇的に変わる。雄大な自然と人間の熱き血潮が生徒たちを確実に覚醒させる。 この校舎から毎年2000人ほどの若鳥が巣立っていく。しかしこの生徒たちを指導する教師陣には、かなりの能力と労力が必要とされる。この高校には、それに耐えうる異色の人材が揃っており、それがこのシステムを支えている。ちょっと授業風景をのぞいただけでも、それを肌で感じることができる。 A不登校生徒の受け皿として機能。 「屋久島おおぞら高等学校」は通信制で、現下の日本で社会問題となっている不登校の生徒の貴重な受け皿となっている。 K先生から、「2008年度の全国の高校生の中で、通信制で学んでいる生徒の割合は5%を占めている」と聞いて、あらためてその数の多さに驚き、この「屋久島おおぞら高等学校」の社会的ニーズがそこにあると思った。 2002年に開校してから、すでに生徒数が5千人を超え、ビジネスとしてもこの高校は大成功していると考える。 いわばこの高校は時勢にぴったりあっているのである。しかも社会的有用性を備えており、教師陣は社会起業家であるともいえる。絶対に今後とも存続・飛躍してもらいたいものである。 B異才の輩出。 あと5年もすれば、この学校の卒業生から必ず異才が出て、社会で活躍すると確信している。 私も高校時代は落ちこぼれ生徒で、不登校寸前であった。還暦を過ぎた今でも、当時の嫌な試験のことや授業中に先生から叱られたことが夢に出てくるほどである。 その後、いやいやながら継いだ事業も倒産寸前となり、やけくそで中国に企業進出した。 それでもそこで多くの人に助けられ、事業は上向きとなり、社長としての責任を果たすことができた。 今、その会社からも卒業して、やっと自分の思い通りの人生が歩けるようになった。 おかげさまで、誰にも遠慮することなく自由に自分の発想を活かした行動ができるようになった。 この私を自分では「やけくそ異才」と呼んでいる。 現代は激動期である。社会は異才を必要としている。 異才は必ずしも優等生から生まれるとは限らない。落ちこぼれや不登校の経験者からも異才は輩出される。やがて「屋久島おおぞら高等学校」の卒業生が、日本社会を引っ張る日が来るだろう。 C教育の多様性。 「屋久島おおぞら高等学校」は進学校ではない。それだから多様な教育方法が許容される。それはカリキュラムを一般の高校のものと比較すれば一目瞭然である。 生徒の側も教師を選ぶことができるようになってもいる。そのような中で、教師は生徒の個性に合わせて、手作りで教育を行っている。 これは言うことは簡単だが、行うことはなかなか難しい。 千差万別の生徒に、教師がしっかり向き合うのには教師に高い能力が必要とされるし、そのスタイルを突き詰めると結局、家庭教師のようになってしまい、同時に多数の生徒を抱えるわけにもいかず、膨大な人数の教師が必要とされるようになり、それが高校の経営を圧迫し存続を危うくするからである。 「屋久島おおぞら高等学校」とKTC中央高等学院では、これらの矛盾を解決するために、教師陣に異才を揃えている。 やがてこの教師陣の力と経験の中から、未来の教育スタイルが生み出されていくにちがいない。 そしてそれが学説となり、日本の教育の一翼を担う日が来るにちがいない。 |
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