坂本竜馬・西郷隆盛・レーニン・毛沢東の共通項
坂本竜馬・西郷隆盛・レーニン・毛沢東の共通項 |
17.FEB.10 |
2010年度のNHKの大河ドラマは、坂本龍馬が主人公の「龍馬伝」である。1月3日には、その第1回が放映された。私はそれを見ていて、坂本龍馬・西郷隆盛・レーニン・毛沢東の共通項に気が付いた。彼らは共に、まず極左冒険主義を押さえ込むのをその主要な役割として、歴史に登場してきていたのである。 1.坂本龍馬 第1回分のテレビの中の坂本龍馬は、主演の福山雅治のキャラクターのせいか、どこかひ弱な感じがした。またそれを弱虫の子供時代の映像が増幅していた。とてもそこからは維新の大業を支えた傑物の姿は想像できなかった。さらに土佐の上士の横暴にいきり立つ下士の中にあって、つねにその暴発を抑える側に立ち、道端の泥田の中に土下座して上士の殴打に耐えているシーンは印象的であった。もしここで龍馬が朋友と共に感情を爆発させ、上士に歯向い刀を抜いていたならば、龍馬は維新の大業に大きな役割を果たすことはできなかったであろう。それにしても、その龍馬の姿は「韓信の股くぐり」にも似て、見ていてもあまり格好のよいものではなかった。おそらく私ならば刀を抜いていただろうし、そして切腹ということになり、歴史に名を残すこともなく消えていっていただろう。そもそも男というものは、だれしもが格好良く生きたいと思い、恥を忍んで隠忍自重することが不得手なのである。 1866年1月、坂本龍馬は京都の伏見の寺田屋で襲撃されたが、高杉晋作から貰いうけた短銃でその場をしのいだという。その寺田屋は今も営業中なので、素泊まりならば可能である。またそこで夢の中で龍馬と会うことができるし、龍馬に危急を知らせるため、おりょうさんが裸で駆け上がったという階段を踏みしめることもできる。その数年前、寺田屋では薩摩藩士精忠組同士の壮絶な斬り合いがあった。これが有名な寺田屋騒動(1862年4月)である。 2.西郷隆盛 ここで登場してくるのが西郷隆盛である。1862年2月、挙兵東上するという島津久光に、西郷隆盛はわざわざ遠島先の奄美大島から暴発寸前の精忠組志士を押さえ込むために呼び寄せられた。しかし西郷は、久光の「下関で待て」という指示に従わず、過激派志士たちの京都焼き討ちの企てを自ら止めようと試み、上京してしまった。これが久光の逆鱗に触れ、西郷は捕縛され沖永良部島に再び遠島となる。このとき西郷は過激派志士たちの極左冒険主義を、自らの体で止めようとしたのである。なお大久保利通も過激派志士たちの跳ね上がりを抑えようとしたができず、久光に「精忠組志士の間に信望がある西郷ならば暴発を止めることができる」と、その呼び戻しを献策している。このときだけでなく西郷は多くの場面で精忠組志士の暴発を諌めている。残念ながら西郷が遠島になった後、寺田屋に籠る有馬新七らの精忠組志士を、久光の命で奈良原繁らの精忠組志士が襲撃し、7名が上意討ちになるという事件が発生するのである。 坂本龍馬が仲立ちした薩長同盟も、西郷の柔軟な思考がなければ成立していなかった。「長州討つべし」という藩内の若手たちを押さえ込んで、西郷らは薩長同盟を締結した。そしてそれが維新の大業を成功させた。 西郷の面目が躍如となる江戸城の無血開城も、西郷がいたずらな損耗を避けようとしたものであり、それは官軍内部の極左冒険主義を抑えきった結果でもあった。勝海舟は江戸焦土作戦を準備してその会談に臨んでおり、西郷が極左派に押しきられていたならば、歴史はかなり違うものになっていただろう。その後の上野での戦いで、官軍が苦戦し、かろうじて佐賀藩のアームストロング砲で勝ったことを見れば、西郷が極左派を抑えこみ無血開城に持ち込んだことがいかに正解であったかがよくわかる。 3.レーニン ロシア革命を成功に導いたレーニンは、1920年4月、国際共産主義運動内に生じてきた「左翼」小児病に対して、それを批判するために、「共産主義における左翼小児病」を書き上げた。 ・「戦闘が敵に有利で、われわれに不利なことがあらかじめわかっているときに、戦闘をはじめることは罪悪である。そして、あらかじめ不利だとわかっている戦闘を避けるために『迂回、協調、妥協』ができないような革命的階級の政治家はものの用にはたたない」(P.86) ・「直接的な、公然たる、真に大衆的な、真に革命的な闘争が起こる条件がまだないときに革命家であること、革命的でなくてむしろ多くの場合まったく反動的な機関のなかで、革命的でない環境のなかで、革命的な活動方法が必要であることをすぐには理解できない大衆のなかで、革命の利益を(宣伝により、扇動により、組織によって)まもることのほうがはるかにむずかしい。またはるかにとおとい」(P.114) ・「仕事と活動のあらゆる分野に例外なく習熟し、どんな場合にも、あらゆる困難、あらゆるブルジョア的な慣習、伝統、習性にうちかつすべをまなびとらなければならぬ。これとちがった問題の立て方は、まったくふまじめであって、まったく子供っぽいことである」(P.139) ※上記は大月書店国民文庫 「共産主義における左翼小児病」 から抜粋。 4.毛沢東 毛沢東はその前半生を、主に党内の極左冒険主義との戦いに費やした。1945年4月20日、中国共産党第6回大会第7回中央委で採択された「若干の歴史的問題についての決議」において、そのことを下記のように総括している。 ・「われわれが指摘しなければならないことは、この10年間に、わが党は、偉大な成果をおさめたが、ある時期にはまた、いくつかのあやまりをもおかしたことである。そのうちでも、1931年1月から35年1月の遵義会議までの時期におかした政治路線、軍事路線、組織路線における極左的あやまりはもっとも重大であった。このあやまりは、わが党と中国革命に重大な損失をもたらした」 中国共産党は創立以来、幾度となく左右の日和見主義に振り回されたが、中でも極左冒険主義の策動の結果、組織崩壊の危機になんども曝された。 ・1927年11月党中央拡大会議では、陳独秀の投降主義への反動として、極左的妄動主義(冒険主義)路線を形成、少数の党員と少数の大衆に勝つ見込みのない地方的な蜂起を全国的に組織するように命令し、大失敗に終わった。 ・1930年6月、党中央政治局の李立三が極左的決議「革命の新しい高まりと、まず1省また数省で勝利すること」 を掲げて戦い、多くの場所で手ひどい敗北を喫した。 ・1930年9月、陳紹禹が「中国共産党のいっそうのボリシェビキ化のためにたたかえ」と、李立三をさらに左から批判し、本来右ではない同志を死地に追いやった。 ・1930年以降、蒋介石はドイツきっての名将:フォン・ゼークトを招聘し、兵力100万・飛行機200機を投入、3000のトーチカを築き、赤軍をじりじりと包囲する作戦に切り替えた。1931年9月、秦邦憲(博古)は、右翼日和見主義に反対し、コミンテルンから派遣されたドイツ人の軍事指導者オットーブラウン(中国名:李徳)の指示のもとに、蒋介石の第5次包囲討伐に正面から戦うという極左路線を取った。迎え撃つ赤軍は10万であったが、得意のゲリラ戦を放棄して戦ったため、たちどころに6千の兵員を失った。その後、赤軍は一度も勝利を得ることができず、根拠地を放棄し、1934年10月、長征へと旅立たなければならなかった。 その後、長征途中の貴州省遵義で、毛沢東は博古ら極左冒険主義者らから指導権を奪還した。 ・「遵義会議が、当時、決定的な意義を持っていた軍事上、組織上の誤りを全力をあげて是正したことは、全く正しかった。この会議によって、毛沢東同志を先頭とする党中央の新しい指導がはじまったことは、中国の党内でもっとも大きな歴史的意義を持つ転換であった」(新日本出版社 毛沢東選集 第3巻 P.221〜) 5.ケ小平 蛇足を承知で述べるならば、ケ小平も南巡講話の中で、主に左派を警戒している。 ・「右が社会主義をダメにする可能性もあるが、左も社会主義をダメにする可能性がある。中国は右を警戒する必要もあるが、しかし主要には『左』を防止しなければならない」 6.現代の極左傾向 私の学生運動時代でも、極左派のアジやジグザグデモは、一見格好がよかった。私の派は「非暴力抵抗主義」の旗を掲げ、現実的な改革を一歩ずつ積み上げて行くという方針だったので、極左派からその行動を、「デモはデモでも …のデモは、いつも歯がゆい、じれったい」とからかわれ続けた。そんなとき私は、どうしても自分の行動が卑怯者のように思えてならなかった。そしてバカな男気を出し、ついつい彼らの挑発に乗り、よく殴られたのである。そのような中でも私の友人は、血気にはやる私を戒め、リーダーとして終始一貫、隠忍自重し活動を続けた。その後、極左派は連合赤軍へ行き着き、多大な犠牲を払い、社会に大きな迷惑をかけ、結局、自壊自滅した。 中国では、一昨年のチベット、昨年のウィグルと、2年連続で少数民族の若者が暴発し、結果として多くの人民の尊い血が流された。しかし彼らの行為は人民相互の憎しみ以外になにも生み出さなかった。チベット族もウィグル族も、現況では漢族の圧倒的な強さに勝つことはできない。彼らはレーニンの「負ける戦いを始めることは罪悪である」という言葉を、しっかり噛み締め、坂本竜馬が上士に這いつくばったように、ここは隠忍自重しなければならない。今は、地道な活動を続け、暴力以外のあらゆる場面で漢族を凌駕することが必要なのである。それをしないで、ただいたずらに暴発することは、罪悪である。またそれを正当化する幾多の議論も、慎むべきである。 現代中国には、坂本竜馬や西郷隆盛、レーニン、毛沢東のような極左冒険主義をしっかり押さえ込み、運動を正しく指導するリーダーが必要なのである。 |
附)2009年に読み残した中国関連本 (9月以降発行分) 23.FEB.10 2009年度は、たくさんの中国関連本が発刊された。私は店頭や新聞広告で目に付いたものなどを手当たり次第に購入し、30冊以上の本を読み漁った上で、書評を読者各位に送信し続けた。それでも結局、20冊以上の本を読み残してしまった。今の私にはこれらを読破する気力が残っていないので、下記にそれを列挙しておく。また若干のコメントを記し、また本の帯などに記されいる文言を転載しておくので、参考にしていただきたい。これらの本は、全部私の書庫に納まっているが、精読しているわけではないので、読者各位からコメントをいただければありがたいと思っている。※以下は発行月日順。 1.「激動の世界はどこに向かうか」 不破哲三著 新日本出版社刊 9月20日発行 2009年4月に、北京で行われた日本共産党と中国共産党との理論会談の記録。日本共産党の元議長である不破哲三氏の発言を中心にまとめたもの。 2.「加速する『脱・中国経済』 取り残された日本の行方」 酒井亨著 晋遊舎刊 9月20日発行
副題:逃げ出す台湾、そして世界 著者の主張→「中国式新自由主義は無残な失敗に終わり、“超大国”の急速なバブル崩壊が始まった。すでに世界は“脱中国”を選んでいる。いまだに依存し続ける無防備な日本… 今こそ、脱中国・多角化の道を歩め!」 3.「貧者を喰らう国」 阿古智子著 新潮社刊 9月20日
副題:中国格差社会からの警告 著者の主張→「“分断された社会の慟哭” 経済発展の陰で、蔓延する焦燥・怨嗟・絶望。人間性を破壊する歪んだ国はいかに作られたか」 阿古氏の主張は大きな間違いではないが、中国の一断面を誇張し過ぎている。近日中に中身を精査してみたい。 4.「地経学で読む爆走中国」 森田靖郎著 原書房刊 9月30日発行 著者の主張→「歴史・地理・経済を連結する“地経学”で中国を読み解き、国際情報戦に翻弄される日本に活を入れる」 5.「中国が世界を思いどおりに動かす日」 邱海清・岡本悠馬訳 徳間書店刊 9月30日発行
副題:全世界1000万部のベストセラー 「ノ−といえる中国」から13年、衝撃の続編。 訳者の弁→「中国人の野心と不満が炸裂。“これからの世界は中国が決める”」 中国でベストセラーになった「中国不高興」(直訳すると「不機嫌な中国」)の邦訳版。現代中国青年の心情を知る上で、好適な書。原書と比較し、現地青年の意見も聞きながら検討してみたいと思っている。 6.「チャイナ・アズ・ナンバーワン」 関志雄著 東洋経済新報社刊 10月8日発行 著者の主張→「米中逆転のカウントダウンが始まった! 世界経済は中国の一人勝ちの様相に。新たなグローバル経済大国の実力を検証する」 「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を模した表題のこの本は読み応えがある。エズラ氏の視点と合わせて検討してみる。 7.「シナ人とは何か」 宮崎正弘編 展転社刊 10月18日発行
副題:内田良平の「支那観」を読む 編者の主張→「中国文明の本質を鋭くえぐり、趨勢を見極めた“強攻”外交の提言。現在によみがえる内田良平の国家戦略書。間違っていて日本人の対中理解を正す」 8.「中国に夢を紡いだ日々」 長島陽子著 論創社刊 10月20日発行
副題:さらば「日中友好」 著者の弁→「中国との<出会い>そして<訣別> 1950〜60年代前半、左翼の洗礼を受けた若者たちは新生中国に夢を託した…岩波書店の元社員が語る、愛憎に満ちたもう一つの『日中友好』史」 9.「発禁『中国農民調査』抹殺裁判」 納村公子・椙田雅美共訳 朝日新聞出版刊 10月30日 この本は前著「中国農民調査」(2005年11月15日、文芸春秋刊、陳桂棣・春桃共著、納村公子・椙田雅美共訳)の発刊後の顛末を書いたものである。前著と合わせて読み解き、現地調査を踏まえて書評を書く予定である。 10.「中国政治体制100年」 深町英夫編 中央大学出版部刊 11月6日発行
副題:何が求められてきたのか 編者の弁→「日本人は中国を理解しているだろうか?現代中国の政治体制は20世紀初頭以来の100年に及ぶ模索の結果として、今日の姿となっている。中国政治体制の過去から現在そして未来までを、7人の気鋭の歴史学者・政治学者が多角的に分析・討論する。一般読者にも十分理解できる中国理解のための最良の一冊」 11.「民衆にとっての社会主義」 上原一慶著 青木書店刊 11月6日発行 副題:失業問題からみた中国の過去、現在、そして行方 著者の弁→「増大する非正規就業と失業者、“市場経済の社会主義”はどこへ向かうのか。失業のない社会を目指したはずの“計画経済の社会主義”の行き詰まり。それを克服するはずだった改革開放がもたらした労働者の底辺化。その矛盾に満ちた実態を描き出す」 12.「中国返還後の香港」 倉田徹著 名古屋大学出版会刊 11月10日発行 副題:「小さな冷戦」と一国二制度の展開 著者の弁→「香港は本当に中国に飲み込まれたのか? 返還以前の多くの悲観的予測を裏切り、安定した中国・香港関係が生み出されたメカニズムを、一国二制度下の政治・経済・社会情勢の推移から明快に分析、『高度な自治』と中港融合の実像を鋭く描き出す。中国政治と香港の行方を考える必読の一冊」 13.「中国経済の真実」 沈才彬著 アートディズ刊 11月20日発行 副題:上海万博後の七つの不安 寺島実郎氏の推薦の言葉→「日本の命運を握るといってもいい中国経済の本当の姿を沈さんほど正確に、客観的に伝えてくれる専門家はいない。この本は、金融危機後の中国を知る上での大事な情報と今後の中国との正しい付き合い方を教えてくれる価値ある本だ」 14.「中国の格差 日本の格差」 渡辺雅男編 彩流社刊 11月25日発行 副題:格差社会をめぐる日中共同シンポジウム 著者の弁→「両国の問題点を抉る画期的な討論の基調報告! 急激な経済成長のなかで貧富の差の拡大に苦悩する中国、構造改革の行き詰まりから表面化した諸問題を抱える日本…。解決に必要なものは何かをさぐるシンポジウムの記録!」 15.「グローバル中国への道程」 川島真・毛里和子共著 岩波書店刊 11月27日発行 副題:外交150年 著者の問いかけ→「“中国人”とは誰のことか? “中国”のあるべき姿とは何か? “中国”の外交目標とは何か」 日経新聞の書評→「アジアの大国から世界の大国へと大きく変貌を遂げつつある中国。とりわけ隣国である日本にとってはその動向や行く末は大いに気になるところだ。しかし、現在の中国は急に出来上がったわけではない。本書を読むと、国際関係の基礎も、清朝から中華民国を経て中華人民共和国へ移行するこの150年間にその淵源があったことがよくわかる。巻末にはこの分野をより深く理解するために役立つ図書リストが解説を付して紹介されている」 16.「中国への日本人の貢献」 段躍中編 日本華僑社刊 12月12日発行 副題:中国人は日系企業をどう見ているのか 編者より→「作文を通して一貫して伝わってくるのは、現代中国の若者たちのリアルな日本感です。本書を一読されれば、これからの日中関係を担う若者たちの草の根レベルでの相互理解こそが、今まさに必要とされているものだということを確信していただけることでしょう」 17.「日本は中国の属国になる」 平松茂雄著 海竜社刊 12月12日発行 著者の主張→「中国の戦略的な“罠”にかかるな! 国家戦略も、核抑止力も、国防の意識さえ欠落している日本に、国民と国土を守る策はあるのか?これ以上、中国の拡大を許してはならない」 18.「インターネットと中国共産党」 佐藤千歳著 講談社文庫刊 12月15日発行 副題:「人民網」体験記 著者の感想→「“人民日報”のインターネット部門“人民網”に派遣された日本人新聞記者の目に映じたものは…。友人宇宙飛行の成功や北京5輪を前に高揚する大国意識。想像を絶する首都と地方の格差。そして投げつけられた“日本鬼子”の罵声。中国共産党の報道感、世論感に触れて考えた清新な記録」 19.「現代中国の格差問題」 谷口洋志他著 同友館刊 12月15日発行 著者の弁→「1.本書は中国経済に関する紹介書でもあり、研究書でもある。2.本書は日本人研究者と中国人研究者による合作である。3.本書は経済政策論と社会政策論の専門家による合作である。4.本書は異なる世代間の合作である」 20.「それでも中国を信用できない7つの理由」 黄文雄著 海竜社刊 12月16日発行 著者の弁→「果たして“21世紀は中国の世紀”なのか? 中国の抱える7つのリスクを徹底検証」 21.「現代中国の人口移動とジェンダー」 陸小媛著 日本華僑社刊 12月28日発 副題:農村出稼ぎ女性に関する実証研究 水田宗子氏の推薦の言葉→「現代中国の人口移動研究においては、労働力移動の観点から男性や世帯主だけを対象にしたものに重点がおかれて、経済のグローバリゼーションと改革開放経済下における大量の女性出稼ぎ移動に関する研究がきわめて少ない状況にありました。出稼ぎ女性自身の価値観や意識も伝統的なものと新しいものが併存し、揺れ動くのですが、個人として収入獲得という経験をすることで、自立の重要性を認識することが、何よりも重要であるとこの著書で指摘しました」 22.「天安門事件から08憲章へ」 劉暁波著 藤原書店刊 12月30日発行 副題:中国民主化のための闘いと希望 著者の声→「1989年6月4日以来、ぼくという幸運な生き残りは、常に自分自身に警鐘を鳴らしている。“6・4”の無辜の死者の霊魂が天上からずっとぼくをみつめている。“6・4”の受難者の家族が地上ですすり泣いている。自分は秦城監獄で本心に逆らい、“罪”を悔い改めた。ずっと硬く守ってきた人間としての最低限の一線を守れず、“反省書”を書いたとき、ぼくは自分で自分の良心を踏みにじった。自分の孤独、軟弱、エゴ、利己的な処世術、命が惜しくて策略をめぐらし仮面をかぶったことを自覚し、認識した。この心の奥底に潜在する恐怖や憂慮は、監獄がぼくに与えた恐怖や孤独を遥かに超えていた。限界や弱点がある人間には畏敬や謙虚が必要だ。自分自身が魂に拷問を加えることにより救いと償いが得られる。これにより自己を開放しなければならない。つまり、監獄の試練よりも、むしろ魂の荒野における試練こそ語らなければならない」 23.「黄文雄の近現代史集中講座」 黄文雄著 徳間書店刊 12月31日発行 副題:台湾・朝鮮・満州編 著者の弁→「『坂の上の雲』を目指した日本が台湾・朝鮮・満州で成し遂げた世界的偉業!戦後“最大植民地”として糾弾され続ける日本の外地経営。だがその真実は、近代化と安定をもたらす空前の壮挙だった」 |