小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2011年 第13回 & 第14回 


読後雑感 : 2011年 第14回 
28.JUN.11

1.「華僑流おカネと人生の管理術」  宋文洲著  朝日新聞出版  5月30日
  帯の言葉 : 「“天災”も“人災”も数千年を切り抜けてきた華僑の人々。その発想を、生き方を今こそ学べ!」

 宋文洲氏は日本でのビジネスの成功者の一人であり、彼はその成功談を数冊の本にして出版している。私はそれらの全てを読んできたが、おもしろく、かつ読んでいて心がさわやかになる本であった。おそらくそれは宋氏が本文中で、自らの人生を素直に吐露しているからなのであろう。今回の本も、同様であった。

 まず宋氏は「はじめに」で、あるタクシー運転手の話として「放射能が来るからと行って騒がれているけれど、万が一の場合でも、若い人には死んで欲しくないよ。わしらみたいな老人が先に死んだ方がいい。誰かが死ななきゃいけないなら、若い人に生きてほしいよ」という言葉を紹介し、それに感動したと書いている。私もこのタクシー運転手とまったく同じように考えているが、それに素直に感動し、わざわざ「はじめに」で紹介するという宋氏の姿勢に、さらに深い感銘を受けた。

 宋氏はこの本で、日本的経営の中核としてもてはやされてきた「家族経営」の思想について、自らの体験を通して鋭く批判している。宋氏は「“社員を家族のように大切にすることで社員との連帯感を醸成できる”と本で読んだのを真に受けて、日本流の“家族経営”を見よう見まねで実践したところ、逆に社員から敬遠されるようになり、社内で孤立してしまった」と書き、一時は会社の閉鎖も考えたが、このとき宋氏は華僑経営者の本を読み、この苦境から脱却したと述懐している。その華僑経営者の本には「家族経営」の話などまったく出て来ず、むしろ反対に「“助けて欲しいときに、他人は助けてくれない。人間は結局一人で道を切り開いて行かなくてはいけない”、“いちばん困難なとき、支えて欲しいときほど、社員や部下、友人は隣にいない”ということを常に自分に言い聞かせることが重要だ」と書いてあり、それを読んで目が醒めたのだという。私もまったく同感である。

 宋氏は「人間にとってもっとも必要な能力は、一文無しになってもはい上がってくる“生き残る力”を備えていることだ」、「日本人にもっとも足りない能力は、この“生き残る力”なのではないか」と書いている。この点についても、私は同意見である。引き続いて宋氏は華僑の子育てについても言及し、香港の華僑財閥の総帥:李嘉誠が自分の子供を香港の街頭に一人で放り出し靴磨きの修業をさせ、金儲けの難しさや生き残る力を身につけさせたという話を紹介している。これはまさに子育ての模範のような話である。私も形は違うが、かつて自分の子を開発途上国に追い出し、そこで教えようとしたことは「ゴミを喰ってでも生きよ」という姿勢であった。ことに次男は16歳のときに、今でも最貧国の一つであるバングラデシュへ1年間放り出した。彼はそこで腸チフスにかかり死にかけたが、どうやら生き残るという目的は果たした。またその縁が偶然17年後に、わが社のバングラへの工場進出という副産物を産んだ。

 さらに宋氏は、「華僑は誰もやりたがらないこと、行きたがらない場所にこそビジネスチャンスがあると考えている」、また「華僑の成功者は、贅沢や消費にはまったく興味がなく、ビジネスや投資そのものが、人生の一番の娯楽だと考えている」と書いている。この点についても私も同様である。私は酒・タバコを嗜まず、マージャン・ゴルフ・カラオケなどの遊興に耽らず、パチンコ・カジノなどの賭け事には一切関わらず、身にブランド品はつけず、マイカー・マイホームを持たず、移動もエコノミークラスに乗り、食事は社員食堂でできるだけすませ、出されたものは文句を言わず何でも食べる。私はこのように「清貧な生活」=「普通の労働者よりもはるかに質素な生活」を心がけ、わが社を守り、多くの労働者の生活を支え続けてきた。しかし残念ながら資本主義社会では、この私も「労働者を搾取する性悪な資本家」の部類に入れられる。それは資本主義社会が資本家と労働者という敵対的階級で成立している以上、仕方がないことでもある。したがって私は、いつも「性悪な資本家」であることを自戒しながら、身を律してきたのである。

 「華僑はリスクマネジメントに長けている。その一つが国籍の分散であり、理財=分散投資である」と書いているが、これだけは私もなかなか真似することができない。理財の才もなければ、意欲もないからである。

2.「中国人一億人電脳調査」  城山英巳著  文春新書  6月20日
  副題:「共産党よりも日本が好き?」
  帯の言葉:「ついに革命勃発! 中国共産党が怯える“自由な言論”大公開」

 城山英巳はこの本で、現在、中国のインターネット空間で生起している事象を豊富に紹介している。その点では多いに参考になる本である。ただし城山氏の中国観については、かなり偏りがあるのではないかと思う。それは城山氏自身が文末で掲げている参考文献を見るとよくわかる。2010年初めから現在までの間に、日本で発刊された中国関連本は250冊を越え、そのうちの約半分はビジネス関連本であるが、文末に城山氏が2010年以降の発行分で参考文献として掲げているものはわずかに25冊で、しかもビジネス本は皆無である。このことから城山氏が日中間のビジネスに携わる商売人を蔑視している姿勢が読み取れる。つまり城山氏は自らを、薄汚いカネの世界で生きる性悪な商売人とは無縁な、性善者・正義の味方として強く認識しており、自らを性悪者としてはまったく認識していない。それが現実を見る目を曇らせ、中国観を偏らせているのである。また城山氏はこの本の帯に「ついに革命勃発か」と大書しているが、そのテーマを追及するのならば中国経済を取り上げざるを得ず、日夜、日中間のビジネス現場で呻吟している商売人の生の声を聞くこと、つまりそれらのビジネス関連本がズラリと参考文献に並ばなければ、中国の現状分析は不可能だと考える。もし城山氏がこの本はネット関係に限定して書いたものであると強弁するならば、中国でのネット販売の繁盛振りやそこでの問題点を描き出さなければならないはずである。いずれにせよ城山氏にとってみれば、ビジネスの場は唾棄すべきものなのだろう。

 人間社会に生起している事象というものは、「性悪な人間たちのどす黒い欲がぶつかり合って生まれてくるもの」であって、「性善なる大衆(つまり労働者や農民)と性悪なる為政者との間に起きてくるもの」ではない。ともすれば、ジャーナリストや一部のチャイナウォッチャーは中国に生起している現象を、「虐げられた人民と腐敗した共産党官僚との間に発生しているもの」として捉えることが多いが、現実は違う。城山氏は土地問題などにまつわる人民の抗議の焼身自殺が多く発生している事態を捉えて、共産党官僚の圧政を非難しているが、人民の側もしたたかで一方的な犠牲者ではなく、土地や住宅に絡んで政府から少しでも多くの補償金をせしめようとするものも多い。いわゆるごね得組である。たとえばいったん補償金をもらって手放した土地にバラックを建て籠城し、再度、高額の補償金をせしめようとするものもおり、それを撤去しようとする政府側との間で武力衝突が起きていることが多いのである。私は中国各地の土地騒動の現場で、そのような例をたくさん見てきた。

 ジャーナリストや一部のチャイナウォッチャーは、中国での暴動の頻発を捉えて、それを「性善なる虐げられた人民の行動」とのたまう。しかしながら、しばしばその性善な人たちがどさくさに紛れて、同じ性善なる人民の商店の略奪を行うことについては頬被りして見て見ぬ振りをする。このような人民の行動は性善説では説明不能である。人民大衆は性善者の集団ではなく、性悪者の集団の顔を併せ持つということを、いわば「衆愚」であるということを見抜いておかねばならない。

 そしてジャーナリストは自らを「虐げられたものを助ける正義の味方」として位置づけがちである。そのような立場や視点が大きな誤りにつながっているのである。自らも性悪な人間であり、「虐げられたものにおもねて生きている」、「自らの生活の糧を人民大衆の共感を得ることによって獲ている、つまり人民大衆におもねることによって生きている」という自己認識を持たなければ、真実を把握することはできない。城山氏も薄汚いカネの世界に生きる商売人と同類であることを自覚すべきなのである。

 城山氏は、ネット上における官と民のせめぎ合いの様子や、ネットから誘発された暴動への政府の弾圧などについて詳しく記述し、現共産党政権は清末に似ており、「中国の歴史的土壌の中で、共産党が崩壊することはなくても、ネットは時代を変える力になると筆者は確信している」と書いている。ここで城山氏は、政権転覆の可能性を色濃く匂わせながら、「時代がいつごろ変わるのか、あるいはどのような形になるのか」を明示していない。それは卑怯な態度であるが、城山氏の研究角度からはこれに答えることはできないのだろう。城山氏は「おわりに」で、「筆者も今、社会にうごめく中国の“民”の動きを見ないと、中国や日中関係は理解できないと思い、…ネット民意が中国の政治や日中関係を動かしていると言っても過言でない時代になった」ので、本書でネット上での事象の分析を行ったと書いているが、残念ながらネット上だけの分析では「ついに革命勃発」という事態を予言することは不可能である。

 古来、為政者は人民大衆を治めるのに、「アメとムチ」を上手に併用してきた。城山氏はムチの側面には鋭く論及しているが、アメの側面にはまったく言及していない。これでは中国を正しく分析することは不可能である。このアメの側面を深く知るには経済活動の現場の分析が不可欠である。その意味で、参考文献にビジネス書がないことが致命的である。

 アメの政策を打ち出し、それの果実を人民大衆が十分むさぼり、圧倒的多数の人民大衆がそれに満足している間は、分け前の多寡による散発的な暴動はあっても、それがぜったいに政権転覆につながることはない。政権交代の時期は、そのアメの財源が尽きたときである。この時期や政権の次なる担い手については、私も検討中であり、できるだけ早期に結論を公表したいと考えている。

3.「中国人を買う気にさせる営業戦略」  張晟著  ダイヤモンド社  6月16日
  副題 : 「中国巨大市場は12消費パターンで攻略せよ!」
  帯の言葉 : 「日中の市場を知り尽くしたコンサルタントが教える! 中国で売れる仕組み、成功する仕組みとは?」

 張晟氏はまえがきで、「1995年当時は、中国で成功を収めた日本企業はほとんどなかったが、最近では成功例もどんどん出てきている」と書いているが、これは大きな誤りである。中国進出日本企業が大儲けできたのは、1990年から95年までの5年間だったからである。わが社もその一例である。その後の進出組の成功は、それ以前の大儲け組と比べると、はるかにその確率も低く、金額も少ない。

また張晟氏は、「不動産バブルは崩壊しない」、「労働力は不足しない」、「シルバー産業は勃興しない」と主張している。この分析もまったく間違っている。張氏の中国の現状認識は極めて浅く、一般常識に毛の生えたようなものであり、論評の対象にもならないが、逆説的に言うならば、経済がバブル化しており、同時に労働力が不足しているからこそ、人件費が急騰し、消費購買力が激増しているのであり、商品が売れているのである。このような間違った情勢認識を持っている張氏に指導されても、中国市場で大儲けできるとはとても思えない。この本の中でも、張氏が具体的に指導し成功させた実例は、あまり示されていない。せめて30社ほどの成功例が紹介してあれば、私も彼をここで、名コンサルタントとして取り上げることができたと思う。

 ことに第8章で、張氏は「中国市場を制すれば他の新興国でも勝てる」と書いているが、本文中に展開されている張氏の中国以外でのビジネス経験はベトナムぐらいである。その経験のみで、他の新興国にも勝てるというのは、いかにもおこがましい。張氏はあとがきで、ビジネス成功のカギは、まず「現場になんども足を運び、自分の目で確かめることである」と書いているが、他の多くの新興国の現場に足を運んでもいないのに、「他の新興国でも勝てる」と断言してしまうことは慎むべきである。私の経験から言えば、たとえばインドやバングラは印僑の世界であり、華僑的発想法で大儲けすること、つまり中国で成功した手法を持ち込んで成功することは難しい。

 最後に張氏は、「中国の代理店をはじめ、ビジネスパートナーとは一時の恋愛感情で付き合うのではなく,結婚を前提にした付き合いをすること」と書いているが、このアドバイスも張氏の甘さを露呈している。私は世界各国で数多くの工場を自らの資金と手で稼働させてきたが、まず「離婚することを前提にした付き合い」という合意を、相手に取り付けることから始めてきた。海外事業の成否は運に左右されることがきわめて多く、突然の逆風に曝されることもしばしばである。そのような場合には、ただちに撤退しなければならない。そうでなければ再起不能になってしまう。だから海外事業の場合は、「別れやすい関係」つまり「撤退しやすい関係」を築いておくことが最も重要なのである。

4.「中国人の正体」 石平著  宝島社  7月1日
  副題 : 「中華思想から暴く 中国の真の姿」

 石平氏は副題で中華思想という言葉を掲げ、この本をいかにも哲学的中身が豊富なように見せかけているが、いつものように現代中国で生起している現象を一面的に取り上げ羅列し、それに悪口をあびせているだけである。

石平氏は、中国人は「なぜ行列に割り込むのか」、なぜコピー商品を作るのか」、なぜ約束を守らないのか」と問いを発し、「現代の中国13億人は“利益”という唯一のルールで動いているからだ!!」と回答している。つまり現代中国人は拝金主義にどっぷり浸かっていると言っているわけだが、これ自体は多くの識者に言い古されてことであり、目新しい主張でもなければ、深い思索の結果でもない。

 石平氏は中国には「道徳のかけらもない」と嘆くが、私は最近、上海で地下鉄やバスに乗っているとき、若者から席を譲られることが多くなった。そのとき私は心の中では、「まだ私は席を譲られるほど老人ではない」とつぶやくが、若者たちのさわやかな行為に、快く応じることにしている。その経験から一概に、「中国の若者には道徳心が欠けている」と言うべきではないと思っている。

 反面、文中で石平氏が語っているような中国人は「路上で倒れている老人を助けない」という場面にも出会ったことがある。ある日、上海市内を中国人の友人といっしょに歩いていたら、目の前で自転車の若者と歩行者の老人がぶつかった。ちょうどバス停の近くだったので、多くの人がそれを見ていたが、だれも老人を助けようとしなかった。思わず私は道路に転がっている老人を助け起こそうとした。そのとき友人は私の腕をぐいとつかんで引き戻し、「余計なことにかかわるな」と言った。しぶしぶ私はそれに従った。現場から遠ざかってから振り返ってみると、老人はやっと一人で起き上がろうとしていた。自転車の若者はすでに立ち去っていた。そこには中国名物の大声の喧嘩すらなかった。

5.「中国のとことん“無法無天”な世界」  湯浅誠著  ウェッジ  6月28日
  帯の言葉 : 「だまされるほうが悪い! 迷走する大国はどこへ行く!?」

 この本の大半は、中国の新聞の三面記事か週刊誌のゴシップ記事のような情報で埋め尽くされている。それらは誤りではない。しかしこの本を読んでも、中国を表面的かつ一面的にしか理解できないだろう。その意味で、中国を正しく理解しようとする読者にとっては有害な本である。新幹線の中では、いつも「時代の先端を行く情報誌ウェッジ」という車内放送が流れているが、このような本はその文言にはふさわしくない。

 湯浅誠氏は、「文化大革命は毛沢東が発動した“無法無天”であったが、現在の“無法無天”は中国共産党の強硬政治と役人の無法・腐敗、そしてそれに対する民衆の怒りから生じたものである」と書いている。この文章自体は誤りではないが、この無法無天な社会の中で無数の外資が利益を享受していること、そして民衆の怒りは飢餓状態から発生しているものではなく、政府からの分け前の量が少ないことに怒りを持っているのであり、そこにあるものは政府と民衆のあさましくも見苦しい銭ゲバであること、また全世界の経済がそのような中国経済のあり方を容認し利用していることなどを、意識的に捨象してしまっている。

 湯浅氏は第1章で、中国で発生している暴動を多く取り上げ、その無法・無天ぶりを紹介している。たしかにここに書かれている暴動はすべて起きており、その限りではウソではない。しかし私はこのほとんどの現場に行って確認しているが、それは湯浅氏の伝える事実とはかなり違う。暴動現場で起きていることは、強権的な政府と虐げられた人民との闘いではなく、地元政府と少数の民衆の銭ゲバであることが多い。そこに無数の野次馬が蝟集してきて、それらが原因とは関係なく騒ぎを起こすことが多く、それがマスコミで暴動と報道されているのである。湯浅氏はそのマスコミ報道を鵜呑みにして、一度も現場に足を運ばずこの文章を書いている。したがって湯浅氏のこれらの文章は、ほとんどが大ウソであるとも言える。

 湯浅氏は第2章で、人民の生活の窮状を書き連ねているが、そこで使われている資料や文献には2003年や2005年のものが多く、取り上げられている実例は最近のものが多い。私は、中国社会は2008年の北京五輪を境に、大きく変わったと考えている。したがって過去のデータで中国を語ることには無理がある。湯浅氏は2010年度の資料や実例を示して本書を著すべきである。さらに湯浅氏は本文中で、「中国の統計、企業の財務諸表はあてにならない」と書きながら、政府発表やマスコミ報道を引き合いに出してそれを根拠に論を進めている。中国の統計があてにならないのならば、その真偽を自分の目で確かめ、その結果を準用すべきである。経済の現況についても誤解に基づく分析が多い。

 湯浅氏は、「将来の中国は共産党独裁というより、実質的には軍事独裁になる可能性が高い」と書き、「しかし軍に依拠した独裁によって“無法無天”を抑え込み、中国が抱える問題を解決できる保証はない。GDP世界第2位になった中国だが、その将来は波乱含みである」という文言で、この本を締めくくっている。私は、湯浅氏がこの本の中で書き連ねている中国への悪口は、中国政府を軍事独裁の方向に追いやるものであると考える。今後、湯浅氏には、中国が軍事独裁国家の方向に進むことを阻止するための方策に言及してもらいたいと思う。



読後雑感 : 2011年 第13回 
17.JUN.11
1.「人治国家 中国のリアル」  黒田健二著  幻冬舎  4月22日
  帯の言葉 : 「なぜ日系企業は中国で失敗するのか?」

 この本は読み甲斐があった。本文冒頭で著者の黒田健二氏は、2010年度:日本経済新聞主催の弁護士ランキング外国法部門で第2位であったと自己PRしているが、まさにこの本はそれにふさわしい内容である。この本には、その黒田氏の持つ中国の法律関係をめぐる博識と体験が、わかりやすくしかも豊富に書かれている。

 私が中国で設立してきた会社の多くは20年以上を経過し、それぞれに新たな段階に進まなければならないときに来ている。ちょうどそのようなときに、この本に巡り会えて私はよかったと思っている。参考になる個所や始めて知ったことが多かったからである。また私は最近、洪水のように出版されている中国関連ハウツー本に、いささか食傷気味であったから、このような良書に出会いほっとした次第である。同時に、玉石混淆の中から宝物を発掘できる可能性もあると考え直させ、再び中国関連本を読み進める気にさせてくれた書物でもあった。

 黒田氏は、現下の中国のストライキ騒動について、初期・中期・収束期に分けて、その対処法を説いているので、その一端を下記に書いておく。初期には騒いでいる従業員の特定、押さえ込みが重要であり、個別交渉で早期解決に持ち込むことがベスト。次に騒動の中で、従業員が生産ラインの一部を破壊したり、あるいは他の従業員の出勤を妨害した場合には、法律や就業規則違反で解雇も辞さない態度を示すこと。ただしそのとき解雇理由を公示する。また騒ぎの初期段階でも、地元政府に報告して協力を仰ぐこと。初期の段階でストが収まらず、大多数の従業員がストに参加するようになり、工場の生産が停止するような段階になった場合(中期)、ストの長期化を避けるために、経営幹部と従業員代表ですみやかに善後策を協議すべきである。この集団協議には生産再開を前提とする。集団協議では従業員側に客観的なデータを示しながら丁寧に説明し、同時に会社閉鎖もちらつかせながら揺さぶり、毎年の賃金アップよりも一時金の形でまとめる。従業員との協議をまとめる段階(収束期)には、地元政府に調停案を提案してもらう形で決着をつける。黒田氏の上記のスト対処法は、具体的でかつ実戦的である。なお、同氏はストライキへの対応については、専門家に依頼した方がよいこと、経営幹部の現地化を進めておくこと、現地総経理に意思決定権を与えておくことが必要だと書いている。

 私は数年前、友人の中国における知財権裁判のお手伝いをさせていただいたことがある。その結果は痛み分けのような形になったが、そのときにこの本を読んでいれば、勝てていたかもしれないと思った。黒田氏は、「裁判官と密接な関係を保つことが訴訟勝敗のカギを握る」と書いているが、私も友人もそのような手立てをなにも講じなかった。また「模倣品による被害を食い止めるためには、知的財産権司法鑑定センターの“鑑定書”を取得しておくことが有効」と書いているが、そんなものがあることも知らなかった。「特許の明細書は英語版をもとに作成しておくこと」、「調査会社の利用法」などにも疎かった。

 黒田氏は、「中国企業・個人によって商標権をおさえられてしまうと、その商標権を利用したビジネスを中国で自由に展開できなくなる」という理由で、日本企業に対して早く商標権を登録するようにと進めている。私も10年ほど前、このことを危惧して、取引先に「中国での商標権の登録」を積極的に提言したことがある。そのとき一部の例外的な会社を除いて、「それほどまでにしなくても」と一蹴された経験がある。ある大手繊維商社では、取締役メンバーはその必要性を理解してくれたが、法務対策室の室長に鼻であしらわれた。多分、あの室長は自分の面子を潰されたような気持ちだったのであろう。数年後、多くの企業がこのことの重要性を悟り、いっせいに商標権の登録に動いたが、「時すでに遅し」という企業も多かった。

 私は中国においての弁護士との付き合い方には、3段階があると考えている。まず第一に自分の企業の地場で力のある中国人弁護士と密接につながっておく。これらの弁護士費用は比較的安い。ただし日本語ができない場合が多いので、自企業の中国人スタッフと日常的に接触をさせておく。次に日本語のできる中国人弁護士との間で顧問契約を結んでおく。やはり込み入った話になると、通訳を介していると誤解が生じやすく、よい対策が浮かんでこないからである。最後は、黒田氏のような中国事情に堪能な日本人弁護士との付き合いを欠かさないことである。案件が日中双方の法律にまたがることもあり、日本人弁護士の力が絶対に必要な場合がある。ただしこの場合はかなり高額になることを覚悟しておかねばならず、中小企業ではお付き合いができかねることもある。このようなことを考慮して、中小企業家同友会上海倶楽部では、事前に私などが会員の皆様の依頼案件をお聞きして、それぞれ各段階の適切な弁護士をお勧めするようにしている。

2.「“兵法”がわかれば中国人がわかる」  古田茂美著  ディスカヴァー・トゥエンティワン 5月20日
  帯の言葉 : 「中国人は“ずるい”のか?  策略を尊ぶ中国人  策略を蔑む日本人」

 古田茂美氏はこの本で、「兵法」という言葉からすぐに連想する「孫子の兵法」ではなく、それから派生した中国の策略集「36計」の紹介をしている。私も拙著「中国ありのまま仕事事情」で紹介したが、中国人の頭の中には、この「36計」がぎっしり詰まっており、すべてがこの中から繰り出されてくる。古田氏のこの本は、その「36計」が各項別に実例付きで紹介され、おもしろい例が満載されており、しかも新書版であるから、通勤電車の中ででも気軽に読んでみるとよい。すると自然に「36計」が頭の中に入ってくるだろう。中国でビジネスの展開を試みる人間ならば、読んでおいた方が得をする本である。

 ただし中国ビジネスはこれで成功するほど甘くはない。私は「36計」を読み、その手法を身につけた上で、さらに必要なものがいくつかあると考えている。それは「孤独をこよなく愛する力」や「決断力」、「胆力」、「撤退力」などである。

 私の趣味は兵法経営研究である。旧帝国陸軍大尉の手ほどきで、古今東西の兵法書と地図を持って、国内外の古戦場を駆け巡り、その奥義を極めてきた。また経営者として、学んだ兵法を武器に、10か国以上で工場経営に携わってきた。したがって私のものは机上の兵法ではない。実践兵法経営である。その経験から考えて、海外で企業経営に成功するためには、まず「戦わずして勝つ」ための戦略が重要である。次に「陣頭指揮力」、そのための「孤独をこよなく愛する力」などが必要である。さらに海外では国内よりも、激しく情勢が変わり、想定外の異変が起きやすい。これは戦略を立てた場合の情勢判断や前提条件を根本から覆すことが多い。その場合は、暗闇の中で進路を決定するにも似た「決断力」や「胆力」が必要であるし、「撤退力」を駆使しなければならないこともある。これらは戦術分野に入るものであるが、人間の持ってうまれた性格にかかわる力でもある。いずれにせよ海外に出る前に、身につけておきたい力である。

3.「中国ビジネスは大連を狙え!」  荒木妃佐己著  ARUMAT 4月22日
  副題 : 「地方都市に新金脈あり!」

 私はこの本から大連についてのビジネス情報を読むことができると考え、読み進んでいった。ところが本文中の大半は中国におけるビジネス展開のノウハウが書いてあるだけで、大連に関する新ビジネス情報はきわめて少なかった。また現在、日本企業が進出するには大連がもっとも適地であるという根拠は、薄弱であった。おそらく題名を見て、この本を買った読者は、私と同様に落胆するに違いない。このような題名では、著者の荒木妃佐己氏自身の人格が疑われることになる。次回作では、ぜひ羊頭狗肉にならないようにしてもらいたいものである。

 第5章の日本人経営者へのインタビューはおもしろい。そこには中国市場に進出した4名の経営者たちの、成功するまでの悪戦苦闘ストーリーが、生の声で語られている。ただし、経営者たちの活躍している場所は、2名は大連、1名は北京、1名は上海であった。ここで荒木氏が大連でのビジネスを成功させた経営者を、10名ほど登場させていれば題名にふさわしい本になっていたと思う。残念なことである。なお上海の経営者の例は、例のネット販売で成功した粉ミルクの話であった。このインタビューを読んでいて、この女性経営者が中国人であることがわかった。今まで私はてっきり日本人だと思い読者に紹介してきたので、この点を訂正しておく。

荒木氏は「知らなきゃ戦えない! 中国ビジネスの意外な視点」と題した第4章で、「まず現地に行ってみることをおすすめします。あなたの目であなたの足で触れてみてください」と書いている。これはたいへん重要なことであり、私も同意見である。問題は口だけでなく、本当に実践することである。荒木氏にはこれを実践しているとは思えない節がある。中国での成功事例として、湖南省長沙市の「平和堂」を取り上げているが、実際に現地調査をしてみた私としては、これを大成功例として紹介できるとは思わない。荒木氏もぜひ「現地に足を運んで、自分の目で見て」から、すべての文章を書くべきである。

4.「それでも中国で儲けなければならない日本人へ」  高澤真治著  成甲書房  3月30日
  帯の言葉 : 「どんなに嫌いでも怖くても、中国無しではもう日本は喰っていけない 中国ビジネス、郷に入りて、郷で勝つ方法」

 著者の高澤真治氏は1972年生まれの生粋日本人であり、中国語も上手で中国でのビジネス経験も豊富であり、頼もしい若者である。さらに現在では、中国で経営コンサルタント会社を起業し、社長兼会長となっている。このような若者がたくさん日本から輩出されることを切に願うものである。だがしかし、高澤氏が若いだけに、この本には致命的な欠陥も多い。高澤氏の今後に期待して、あえて以下に、苦言を呈しておく。

 この本の冒頭に高澤氏は、「中国人と円滑につき合うための10箇条」を掲げている。同氏は自信満々でこれを書いたのであろうが、私はこれを読んですぐに、同氏の頭の中は非論理的、あるいは未整理だと断定した。なぜならこの10箇条の並べ方にまったく論理的一貫性がないからである。10箇条のうち、1、2、3、5は言葉使いに関するものであり、4は行動、6、7、9、10は心構え、8は中国人観となっており、その主張はバラバラであり、優先順位もなければ思想的な分類もなく一貫性もない。つまり同氏の頭の中では、このように未分化のまま乱雑に詰まっているということである。さらに大きな問題は同氏がそのことに気が付いていないことである。非論理的思考は現代の若者に共通であり、仕方がないことなのかもしれないが、もし高澤氏がこの10箇条の配列に、深遠な哲学が隠されていると主張するのならば、ぜひ教えて欲しいものである。私には発見できなかった。

 本文は第1〜9章で構成されているが、この配列にも論理性を感じ取れない。とにかくむやみに知識を羅列しているという感じである。したがって読者は一通りこの本を読んだ後、自分の頭の中で構成し直さなければ、内容を明確に把握できない。今後、高澤氏は本を著すとき、読者が頭の中を整理しやすいように、論理的に書くべきである。また高澤氏は、自らを三現主義(現場・現実・現象)であると書いているが、その割には、本文中に「…ようである」、「…だろう」、「…かもしれない」という語尾で終わる言葉が多い。次回作では、三現主義を徹底しあいまい表現のない文章を書いて欲しいと思う。なお本文中には、他のノウハウ本と比べて、特に印象的な記述はなかった。誤りについては、他著と同様の点が多かった。総じて、中国の把握が皮相である。若い高澤氏の今後の精進を期待する。

5.「遠いと思うな、アジアの時代」  邱永漢著  グラフ社  5月5日
  帯の言葉 : 「すぐそこに見えているのに間違ったエスカレーターに乗るな。チャンスを逃すな」

 この本は邱永漢氏が自身のネットサイトに、2009年7〜11月にかけて書いたコラムを収録したものである。したがって読者は邱氏のほぼ2年前の予測を、現在読んでいることになり、自動的にその検証を行っていることになるわけである。邱氏の予測は当たりもあり、外れもある。もっとも大きい外れは、東日本大震災を想定していなかったことである。しかしこれは、すべての日本人が想定外だったわけであり、邱氏が予測できなかったとしてもそれを責めるわけにはいかない。ただしもし邱氏がなんらかの形でそれを予測していたならば、彼は「株の神様」をはるかに超越したことだろう。いずれにしても経営者を巡る環境は、想定外の天災や人災などで翻弄される。経営者はそれらのあらゆる事態に対して柔軟に対応していかなければならず、それはいっときも気の休まることがない商売なのである。その割には経営者の社会的評価が低く、カネの亡者とか搾取者として見られることが多いため、現代の若者たちは苦難を避け、その悪いイメージを背負うことを嫌い、経営者となろうとする人がどんどん減っている。私の大きな関心事の一つは、日本の若者が経営者にならず、近い将来、日本から経営者がいなくなり、日本が労働者かあるいは外国人経営者の天国になってしまうという悪夢の到来である。

 邱氏はこの本で、「市場はアメリカから新興国への切り替えが肝要」、「次に不足する業種が成長株…石油よりも銅、銅よりも水」、「不動産と自動車が景気回復策の牽引車に」、「中国の大規模農業に注目を」、「中国観光客相手の商売を考えてみては」などと、当時としては新しい切り口を書いており、その先見性には学ぶところがある。反対に、「中国でソバ粉のソバをハヤらせないか」というイディアはおもしろいと思うが、いささか突飛過ぎるのではないかと思う。実際にその後中国にソバ屋のチェーン店ができたという話は聞いたことがない。また「デフレからインフレへの転換に備えよう」という予測には、まだ早いという気がする。

6.「メガチャイナ」  読売新聞中国取材団著  中公新書  4月25日

  副題 : 「翻弄される世界、内なる矛盾」
  帯の言葉 : 「“海洋強国”の野望から “天国と地獄”の格差社会まで」

 本著は「おわりに」で、「中国を見る場合、忘れてならないことが2つある。まず第1は、中国の多面性と複雑性である」と書いている。たしかにその通りである。それだからこそ、その多面性をとらえるとき、表面的な事象や話題性のある現象にとらわれることなく、より本質に迫る重要現象を取り上げる必要がある。またその複雑性をとらえるとき、複雑に絡み合った事象を解析し、枝葉の部分をそぎ落とし、もっとも重要な幹に迫る必要がある。そのような視点で、本著を読むとき、残念ながらそれが達成されているとは言い難い。

 最近私は、現在の中国を見るとき、もっとも重要なのは、「中国が外資依存の国」であるという認識であると考えている。つまり、「中国は外資に買われた国」であるという視点を持たなければ、中国を正しく把握することはできないのではないかと思っている。その点で、今、もっとも研究されねばならないのは、「どれだけの中国の大地を外資が買っているのか」ということであり、それが政府に及ぼしている影響を読み抜く必要がある。世界の中では塵のようなわが社だけでも、中国ではかなりの土地を所有(使用権)しているし、地域行政にある程度の影響も及ぼしている。現在、中国には無数の外資が進出している。これなしでは中国経済は成り立たない。したがってまず第1に、無数の外資が中国政治を揺り動かしているという視点から中国分析を行う必要があるのではないか。本著には、その視点が完全に欠落している。

 さらにいつも私が指摘している経済の根幹に巣食っているモグリ企業の存在、ことにアムウェイなどのインフォーマル企業の存在、さらにインフォーマル金融の実態などを取り上げなければ、中国の実相を語ったことにはならない。これまた本著では、まったく触れられていない。

 本著はミクロ面での分析が主体であり、マクロ経済の解析は少ない。ことに外貨準備高や国家財政に関しての分析や記事はほとんどない。軍備拡張にせよ、資源確保を目指した対外進出にせよ、内需拡大にせよ、すべてが中国政府に潤沢な資金があって始めて可能なことである。果たして中国政府にこれらの大事業を貫徹できるだけの自前の資金が潤沢にあるのだろうか。もし資金が潤沢にないとするならば、どんな仮定もすべては杞憂に終わる。現在もっとも必要とされていることは、中国の国家財政の解析である。この点をミクロの現象からえぐり出すような記事が必要なのである。

 本著から私が知ったことは、中国で「渡米出産ツアー」が増えているということである。また「逆買収」という手法による中国企業の米国上場である。これらについては、今後、その実態について研究したいと思っている。