小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 09年12月発行本


読後雑感 : 09年12月発行本  
05.JAN.10
今回取り上げたのは以下の5冊。

1. 「アフリカを食い荒らす中国」 

2. 「上海 : 多国籍都市の百年」 

3. 「米中軍事同盟が始まる」

4. 「アメリカでさえ恐れる中国の脅威」

5. 「中国 巨大国家の底流」 


1. 「アフリカを食い荒らす中国」  セルジュ・ミッシェル、ミッシェル・ブーレ共著
                           河出書房新社刊 2009年12月20日発行

 

 この本は、中国の新たな一面を知る意味で、一読の価値がある。

 私は15年ほど前に、中国の合弁相手からボツワナでの工場共同経営の話を持ちかけられたことがある。
 そのときの話は立ち消えとなったが、7年前には実際にモーリシャスとマダガスカルに工場調査に行き、現地に華僑と共同で縫製工場を稼動させようとしたこともある。そのときすでにマダガスカルには華僑の大型縫製工場が、たくさん稼働しており、街中に中国語が氾濫していた。だからこの本の中に書いてある、「アフリカ全土の諸都市で、中国語が飛び交っている」という状況は、私にはよく理解できる。

 反面、文中で筆者は、「中国のセネガル人は、浙江省の義烏市で商品の大量買付けを行っている」と書いているが、この点は間違っているのではないかと思う。私は義烏市だけでなく、広東省広州市のアフリカ人相手の市場もこの眼で見てみた。義烏市では黒人はちらほらしか見かけなかったが、広州市では黒人の方が中国人より多いくらい盛況だった。つまりアフリカ人のほとんどが広州市に買い付けに行っているのである。

 したがってこの本も、そのすべてを鵜呑みにするのではなく、細部では誤謬もあるものと覚悟して読むべきだろう。
 いずれにせよ私はできるだけ早い機会に、この本に紹介されているアフリカ諸国に、反面調査に出かけようと思っている。

 プロローグでは、「アフリカに進出した中国企業はすでに推定900社、アフリカと中国との貿易額は2008年度には、1千億ドル(約10兆円)に達した」と書いている。また「中国政府にとってアフリカという舞台に登場することは、世界の超大国の仲間入りをするということであり、自国で起こした経済の奇跡を、世界で最も見放された大地で再現させる機会が与えられたことである」と、中国のアフリカ進出を新しい角度から紹介している。

 さらに続けて、中国がアフリカを再植民地化しようとしていると書き、「中華人民共和国は、その度外れた経済成長を維持していくために、どうしても原材料を手に入れなくてはならない。原材料となるもの―石油や鉱物だけでなく、木材、水産品、農産物―が、アフリカにはうなるほどある。そのうえアフリカに民主主義が欠落していようと、腐敗が蔓延していようと、中国は一向に気にかけない。アフリカまで来るような中国人は、筵(むしろ)の上に寝ることが当たり前で、肉などたまにしか食べたことがない人々ばかりだ。だから不快きわまりない場所でも、また利益が見込めない環境でも、どこでもビジネスチャンスを見つけることができるのだ。欧米人なら投資の見返りがないからと断念するような地域にまで入っていく。目の前の利益しか見ない新植民地主義者とはまったく違い、中国は遠くに目を向けている」と書いている。

 その上、「実際のところ、中国はアフリカの資源を自国に持ち帰るばかりではない。廉価な商品を自国からアフリカまで持ってくるし、道路や鉄道公官庁の建物の建設、修復もする。アフリカのエネルギー開発にも積極的で、またアフリカ全土を無線網と光ファイバー網でカバーし、アフリカ各地に病院、無料診察所、孤児院を開いている。これらはアフリカにとってよいことだ」と持ち上げている。

 また筆者は、「胡錦濤の中国は、かつての明の永楽帝の時代と同様、世界に開かれている。『世界に行け』という号令を聞いた何万人もの中国人が、すでにアフリカに渡っている。そして北京では明の時代と同様に、アフリカの指導者・首脳を集めてサミットを開催している。永楽帝が明の時代の文明の光をアフリカに送ったように、胡錦濤の中国は、暗黒から抜け出す協定をアフリカ諸国の前に提示しているのかもしれない」と書いている。

 訳者はあとがきで、「アフリカを豊かにする道へのヒント」として、「中国とインドは外資の製造業の進出のおかげで豊かになった」と書き、「製造業のアフリカ進出は、人材育成と技術移転の点で、また持続的な雇用の創出と確保という面で、しばしば援助プロジェクトの対象になるインフラ整備工事よりもはるかにすぐれている」と続け、「官民協力による日本の製造業者のアフリカ進出が望まれる」と結んでいる。

 私は今、かつてボツワナやマダガスカルの話があったときに、勇躍してアフリカでの工場経営に挑んでいなかったことを後悔している。心中からは、「今からでも遅くはない」という声が沸き起こってくるが、すでに現役を引退した身では如何ともし難く、切歯扼腕している今日このごろである。また同時にそのような心境を見透かされ、妻からは「ごまめの歯軋り」と、息子からは「年寄りの冷や水」とからかわれている昨今でもある。

 文中で筆者は、「中国はどうやって、アフリカのいたるところで大規模プロジェクトを一手に引き受けるという離れ業をやってのけることができたのだろうか」と問いを発し、駐中国モロッコ大使に「世界銀行が融資を行うアフリカの大規模プロジェクトは全部が入札です。入札となればいつも中国企業が安値受注に成功します。その結果、大量受注になるのは当たり前のことです」と答えさせている。これはたしかにきわめて納得の行く説明である。

 次に筆者は、「中国がアフリカの資源を手に入れるために、政府からのカネでインフラ工事ばかりやっていると思うのは間違いである」と語り、「中国人はマッサージ・サロン、レストラン、仕立て屋、薬屋など、なんでも恐れずに始める。アフリカ市場は、恒常的な物不足で、旺盛な需要がある。そのうえ競争相手はほとんどいない」と続けている。

 ナイジェリアには中国人の企業家は200人ほどいてそれぞれ成功しているが、その成功理由はよくわからないとも語っている。またナイジェリア人と中国人は仲がよくないとも書いている。

 コンゴ共和国では、10年前、弱冠23歳の中国人女性が首都に乗り込み、小さなレストランを始め懸命に働き、ナイトクラブ経営を手がけたり、小物販売店、アルミ窓枠製造工場、セメントの輸入などの企業を起こし、それらを軒並み成功させた。そして今では一大財閥となり、中国から一族80名余を呼び寄せ、森林開発会社を経営するほどになっているという。しかし同時に、その事業が世界有数の森林を消滅させ、希少動物を絶滅させる行為となっていると指摘している。

 筆者は、アフリカでの中国企業の強さの原因を、中国人労働者の低賃金と勤勉さに求めている。
 文中では、ナイジェリアのプラスティック成型工場に派遣されている四川省の中国人労働者を例としてあげている。彼は四川省の田舎の出身であり、地元では月給600元(約7800円)で働いており食べるのに精一杯の生活だったが、ナイジェリアに来て月給550ドル(約5万5千円)となり、3年働いて2万ドル(約200万円)を貯めることが可能になったという。これを日本に来ている中国人研修生(月給15万円程度)と比較すると、かなり見劣りがする。しかも最近、ナイジェリアでは身代金目的の中国人労働者の誘拐が起きているという。私は早晩、低賃金の中国人労働者は枯渇し、「アフリカでの中国企業の成功の方程式」が崩れるのではないかと思う。

 以下にこの本の要点を抽出しておく。

 ニジェールは、国際価格がここ10年で何倍にも跳ね上がったウランの世界第3位の輸出国である。ここにも中国の手が伸びている。しかしニジェールのウラン採掘地域はリビアと国境を接する北方にあり、最近、中国人の誘拐が増えている。それには中国人の進出を快く思わないリビアのカダフィが黒幕であるという説もある。

 カメルーンには、市場に屋台を出して廉価品を売っている中国人がごまんといて、中国系小規模商人によって国土が征服されたような状態である。街中では、中国人に対するカメルーン人の刃傷沙汰も結構多いが、カメルーンは石油、天然ガス、ボーキサイト、錫、金、ウランそして森林に囲まれており、中国人だけは労働ビザがなくても1年半滞在できることになっているので、今後もかなり中国人が増えるだろう。

 セネガルにも山ほどの中国製品が入ってきており、それを扱う中国人商店が2008年初期には1000軒以上となった。中国人のセネガルへの進出を、誰もが歓迎しているわけではない。売春宿や地下賭博場を開いた中国人、密輸で商品を仕入れた中国人、刃傷沙汰で仲間の問題を解決した中国人、そんな中国人については最悪の噂が流れる。

 エジプトにはやがて年間100万人を超える中国人観光客が押し寄せるだろう。すでに何百人ものエジプト人観光ガイドが中国語を学んでいる。しかしそのとき中国人が買っていくお土産のほとんどが、メイドインチャイナであろう。

 チャドの反乱部隊は中国製兵器で武装していた。その後、チャドの権力者は台湾と断交し、中国の庇護のもとに入った。この過程で明らかになったことは、中国がアフリカで反乱軍に加担したり、反政府軍を弾圧するために政府軍に加担したりし始めたのである。つまり、ロシアや米国は自国の利益のために世界の至る所で戦争の片棒を担いでいるが、それと似たことを中国がアフリカで始めたのだ。ここで注目すべきは、中国が世界の主要な武器輸出国になったことである。

 中国とスーダンの関係は非常に密接なため、中国にとってスーダンが大切なのか、スーダンにとって中国が大切なのか、よくわからない。スーダンに多額の投資をしている中国は、ダルフール問題が発生すると、武器を提供するとともに国連安保理で一貫してスーダンを擁護した。一方、スーダンは中国が自らの設備で石油を生産できるアフリカで唯一の国である。急成長を続ける中国にとって、石油は買うのではなく、海外で自ら生産することがぜひとも必要なのだ。

 アンゴラは債務超過で腐敗しきっている。だから米国もEUも支援しない。ならば中国に頼るしかない。中国からアンゴラ政府になされる融資は最大で100億ドル(約1兆円)となる。アンゴラにとって中国は上得意の客のようなものだ。

 ザンビアは現在、アフリカでもっとも反中感情が強い国だ。ザンビアの中国企業にとって問題のひとつは、自分の国より民主的な国で操業しなければならないということだ。

                                                            

2.「上海」  副題:「多国籍都市の百年」  榎本泰子著  中公新書刊  2009年11月25日発行


 この本は、上海の歴史をわかりやすくまとめており、上海在住の諸氏にもお勧めの1冊である。私はこの数年、日曜日などの休みの日に、上海市内のユダヤ人の旧跡や革命事跡、日本人の在住跡、高杉晋作訪問地、桜の名所などを歩き回り、レポートを書いてきた。しかしそれらの歴史的連関や勢力の変遷などについては、自分でもよくわからず、あいまいなまま書いていた。それがこの本のおかげで、今まで見てきた多くの旧跡を年代別にきれいに整理することができた。私は機会を見て、再度、上海各地の旧跡をこの本を片手に探訪してみたいと思っている。   

 榎本氏はこの本の中で、「1000年の中国を見たければ西安へ行け、500年ならば北京へ、100年ならば上海へ」との言葉を紹介している。
 まさに上海は、激動の世界の縮図として、実在する歴史的建造物を見ながら、その100年を振り返る絶好の教科書である。榎本氏は、上海の歴史的な勢力変遷を要領よく次のようにまとめている。(表現は微修正)

1.イギリス人商人の到来。 「自由都市」としての街の基盤を作った。大英帝国のプライドとライフスタイルをそっくり持ち込み、政治経済の各面において支配の中枢に君臨した。

2.アメリカ人商人の進出。 第1次世界大戦後、豊富な資本と物資により、上海の繁栄を支えた。ファッションや娯楽の面で流行をリードしただけでなく、自由や個性の尊重という面といった精神面でも大きな影響を与えた。

3.ロシア人難民の流入。 1917年のロシア革命を逃れてきた白系ロシア(帝政支持派)の人々は、フランス租界の主要な住人となった。音楽・演劇・舞踊などのクラシカルな芸術活動を盛んに行い、新興都市である上海に「文化」を与えた。

4.日本人の侵略。 欧米の植民地と化した租界を自らの「反面教師」とし、明治以降の国力増強に伴って上海に進出した。繁栄期には外国人の中で最多の人口を誇り、独特の「日本人街」を形成した。

5.ユダヤ難民の流入。 発展期の上海で財を成した人々と、ナチスの迫害を逃れてヨーロッパからやってきた難民とに2分される。後者は上海の白人の底辺に位置づけられたが、勤勉な働きぶりや優れた音楽活動などで一定の足跡を残した。

6.中国共産党の制圧。 人口の多数を占めながら支配の実権を持たない中国人は、外国人の振る舞いをじっと見つめてきた。国内の変化および国際情勢の変化により、中国人は着実に政治的・経済的な力を蓄え、最終的に外国の支配からの「開放」を選択したのである。

 これを見てみると、上海という都市がわずか100年の間に主人公が様々に変わり、歴史に翻弄されてきたことがよくわかる。

 その後、毛沢東率いる共産党政権の誕生で、上海から外国人が一掃されたが、ケ小平の改革・開放を経て、現在では再び外国人が上海を闊歩している。まさに上海は歴史の皮肉を勉強する格好の材料でもある。

 私が上海のユダヤ人旧跡のレポートを発信したとき、「なぜユダヤ人の旧跡が上海に多いのか」との質問の声が多く寄せられた。それには、私もよくわからないとしか答えられなかったが、この本の中で、明快な答えをみつけることができた。

 この本によれば、ユダヤ人の来上海は3つの時期に分けられている。第1は上海開港初期から上海に来て活躍した地中海系ユダヤ人(セファルディ)であり、サッスーン家や富豪のハルドゥーン家、カドゥーリー家などの商人であり、第2はロシア革命前後にロシアを離れた難民=中・東欧系ユダヤ人(アシュケジィー)であり、第3は第2次大戦勃発後、ドイツやオーストリアからナチスの迫害を逃れてきたユダヤ人であった。
 この当時の状況を榎本氏は下記のように書いている。

 「日本人は祖国を追われたユダヤ人には同情的な面があり、1940年にリトアニア・カウナス駐在の領事代理、杉原千畝が、外務卿の訓令に逆らってまで日本の通過ビザを大量発行し、数千人に及ぶユダヤ人を救ったことはよく知られている。こうして命からがらたどり着いた日本を経由して、上海に来たユダヤ人もいた」

 「行き場のないユダヤ人が、藁にもすがる思いで希望を託した場所、それが上海だった。上海の共同租界は、当時ユダヤ人をビザなしで受け入れてくれる世界で唯一の場所だった」

 「ナチスに追われた難民がやってくるようになったとき、サッスーン一族は自らが所有する高級アパートの一区画を宿舎として提供した。また難民の自立を促すための低金利ローンも開設した」。「一般にユダヤ人は低い賃金でも勤勉に働き、それまで白系ロシア人が従事していた仕事を奪う傾向にあった」

 なお、中国政府の発表では、ユダヤ人を救ったのは杉原千畝氏だけでなく、当時の中国のウィーン領事、何風山氏も数千人のユダヤ人にビザを発行し、上海にいざなったという。

 この本の中で榎本氏は、日本で一般に膾炙されている「犬と中国人は入るべからず」の看板について、実際にはそのようなものではなく、本物は6条に及ぶ長文の看板だったと言い、その実際の文章を紹介している。

 本文中には、魯迅と内山完造との交友についても詳しく書き込まれている。私はこの本で、魯迅の絶筆が内山宛の日本語の手紙であり、しかもその内容が「かかりつけの医者を呼んで欲しい」という依頼であったということを、はじめて知った。

 この本には、古地図や古い上海の写真も豊富に掲載されており、それを現在の地図や現存する建物と照らし合わせてみるのも楽しいものである。

 なお現在の上海を俯瞰するには、人民広場の地下鉄2号出口の近くの「上海城市規劃展示館」が便利である。そこには、3階の全フロアーを使って、上海全市のミニチュアが作ってある。


3. 「米中軍事同盟が始まる」  日高義樹著  PHP研究所刊  2010年1月5日発行
    副題 : 「アメリカはいつまで日本を守るか」


 日高氏はこの本で、主にアメリカの側から米中軍事同盟にいたる可能性を説いているが、まず経済的側面から米中関係を次のように分析している。

 「アメリカは中国資金を必要としている。その中国資金によって中国の安い製品を買い、アメリカ経済を拡大させている。一方、中国はアメリカに資金を貸し付け、自らの製品を売りつけることによって経済活動を続けている。アメリカと中国が互いを助け合う、いわば補完関係が米中関係の基本である」

 この分析自体は、ことざらに新しいものではなく、最近では多くの中国ウォチャーが主張しているところである。
 しかし日高氏は続けて、「これまでは経済面で強化されてきたその関係が、いまや軍事にも及ぼうとしている」と、米中軍事同盟に発展すると主張している。またオバマ政権内の中国人脈などを紹介しながら、彼が「2012年に再選されれば、私は中国とアメリカが何らかのかたちで軍事同盟を結ぶことになると見ている」と書いている。

 日高氏はアメリカの軍事面での弱体化について、アメリカ海軍の乗組員不足や予算不足による燃料節約などの影響や、あるいは定員不足のための艦艇や兵器のメンテナンス不良も大きいと述べている。その結果、アメリカは通常兵器の戦争からミサイル及び核兵器の戦争に戦略を変更しつつあるという。

 そしてアメリカ国防省の友人の口を借りて、「中国がミサイル戦争を中心にアジアの安全保障政策を考え始めたために、アメリカ海兵隊がグアム島へ移転するのであれば、普天間基地は必要ではない」と言わせている。

 さらに「アメリカ海兵隊が沖縄から出て行くのは、アメリカの戦略というよりはアメリカ軍を取り巻く軍事的な環境が大きく変わったからである。中国、そして北朝鮮までが核ミサイルを装備し、中国の周辺にアメリカ軍を配備しておく安全な場所がなくなってしまった。このため、『日本の安全を守るためにアメリカ軍を日本に展開している』という日米安保の建前を通すことが難しくなった。しかもアメリカの国防費が削減されて、世界中にアメリカ軍を展開していくための兵力や装備、あるいは弾薬が不足し、日本にアメリカ軍を置いておくも難しくなったのである」と続けている。

 第3章では、「オバマ大統領のアフガニスタン戦争」はまもなくベトナム戦争よりひどい敗北に終わると予言し、その結果、カルザイ大統領を始めとするアフガニスタン内の親米派は、こぞって隣国パキスタンへなだれ込むだろう。そうなればパキスタンは深刻な政治的混乱に陥ると書いている。

 さらに第4章では、イランが核装備をすると予測し、第5章では「アメリカに残された選択は核兵器しかない、というのが現実である」と書き、アルカイダとアメリカの核戦争が始まると述べている。

 その上で、「アメリカのそうした選択を防ぐために、ノルウェーの平和主義者たちは、大統領として何の業績もないオバマ大統領に、ノーベル平和賞を与えることにしたのである」というブラックジョークまで紹介している。さらにこの章を、「オバマ大統領のアフガニスタン戦争が敗北に向かうにつれて、テロリストが核大国のアメリカに対抗するために核を使う可能性が高くなる。核を用いたテロ活動やテロリストによる先制攻撃という、これまでは考えられもしなかったことが現実になるおそれがある」という言葉で結んでいる。

 第6章では、「北朝鮮と台湾海峡で大がかりな地上戦闘が起きる可能性がほとんどなくなり、ミサイルによる奇襲や戦争が心配される中で、いまやアメリカ軍の主力はグアム島に結集している。日本がいま心がけねばならないのは、日米安保条約に基づくアメリカ軍の基地が、これまでのように戦略的、戦術的、つまり軍事上の必要に基づくものではなく、日米間の軍事同盟を象徴するものになっていることを認識することである」、したがって「日米間の基地をめぐる紛争を、あまり大げさに考える必要はない」と言い切っている。さらにオバマ政権は「日本がアメリカに協力しないのであれば、日本をいつまでもタダで守り続けるのはおかしい」と考えているという。

 私は、このようなアメリカの言い分に対して、「日本は長年にわたって米国債を買い続けてきたし、ドル安政策のおかげで多額の為替差損をし続けてきた。その差損分だけでも十分に安全保障料に見合うはずである。その意味で日本は米国の本妻であって、最近になって米国債を大量に買い込んでいる中国はいわば愛人にすぎない」と反論すればよいと思うがいかがなものか。

 最後に日高氏は結論として、「太平洋戦争の悲惨な経験から、日本の人々は軍事力を持つことが争いと戦争を引き起こすと考えてきた。だが軍事力は、国の安定と平和を守り、自らの利益を守るために必要なのである。軍事力は平和主義に反するものではない。むしろ平和を守るために必要なのが軍事力だ」、「そのためには憲法をはじめとする法律を整備し、適正な軍事力を持つ必要があるが、早急になすべきは、日米安保条約にかかわる体制をアメリカとともにつくりあげることだ」と力説し、「だがひとつだけ肝に銘じておかなければならないことがある。中国と軍事同盟を結ぼうとしているオバマ大統領に、世界の将来を託してならないということだと」と叫んでいる。

 残念ながら、日高氏のこの主張は、この著書の結論としては論理性が欠如しており、いささか唐突な感じがする。タイトルともかなりかけ離れている。


4. 「アメリカでさえ恐れる中国の脅威」  古森義久著  WAC刊  2009年12月25日発行

    副題 : 「米調査機関の核心レポート」


 この本について古森氏は、「アメリカ議会の常設政策諮問機関『米中経済安保調査委員会』が、長い時間と膨大なエネルギーを投入して続けてきた中国についての2008年度報告書」の翻訳と解釈書であると、「はじめに」で書いている。

 つまりこの本は2年前の中国についての情勢分析なのである。

 中国は08年から09年にかけて大転換した。また米国もブッシュからオバマへ大きく変わった。したがっていまどき、一般読者が08年度の中国分析とそれへの米国の対応についての解析を読んでみても大して役には立たない。この本は出し遅れの証文のようなものである。しかもこの本は、その半分ほどを上記の報告書からの引用で占められており、読みづらい。

 古森氏は「はじめに」の最後で、「つまり中国の動向はアメリカから見れば、光と影、明と暗と、安全と危険と、多様なコントラストを描くこととなる。だがその中でもアメリカにとってはまだまだ脅威や懸念の元になる中国の動きが多いというのがこの年次報告書が描き出す全体像だといえそうである」と、きわめて常識的に書いている。

 また第1章では米中経済の実態を、「アメリカと中国とのつながりは、なんとも複雑である。両方の都合に合わせて愛人関係を保つ男女のようでもある。おたがいに相手にもたれあい、そのきずなからそれぞれ異なる種類の利益を得る。だがともになおその状態には不満もある。たがいにとくに愛してもいないし、好きでもないが、都合がよいから緊密なかかわりを保つ。計算づくの意図と、やむにやまれぬ必要とが入り混じった便宜に駆られる愛人同士のようである。相手の魅力を最大限に享受する持ちつ持たれつの利害のからみあいだともいえる」と、茶化したように書いている。

 第1章以下で古森氏は、人民元為替レート、中国国家ファンド、中国の高度技術、中国の大量破壊兵器、中国の主権、などについて、米調査期間の核心レポートを紹介しているが、ことさらに目新しいものはない。


5. 「中国 巨大国家の底流」  興梠一郎著  文芸春秋刊  2009年12月10日発行


 この本は、興梠氏のネットサーフィンの結果として誕生したものである。私もネットの効用を否定するものではない。しかしながらネットからの情報を鵜呑みにするのは危険である。そこには匿名のニセ情報がきわめて多いからである。したがって私はネットからはアイディアやヒント、傾向などをつかむだけにして、そこで得た情報についてはかならず現場に行く。そして自らの検証を経たものしか自説には使用しないことにしている。

 ところが興梠氏はこの本の大部分で、ネット情報を未検証のまま文中に引用し、それを根拠にして文章を構成し論を進めている。だからこの本は、「中国の底流」とはかなりかけ離れた「中国の仮想空間」を描いたものとなっている。

 ネット好きの興梠氏が、もし中国の人手不足や暴動についての字句をネット上で検索していたのならば、必ずこれらについての私の文章が簡単に目に入っただろう。それらを読んでいれば、この本はもう少し現実に近いものになっていたにちがいない。その意味では興梠氏は、ネットの利用についても中途半端であると言わざるを得ない。

 興梠氏は第1章の最初から間違っている。「2008年秋、北京五輪の興奮が冷めやらない頃、世界金融危機が発生し、猛烈な勢いで成長していた中国経済に急ブレーキがかかった」と書き出しているが、これは誤りである。中国経済には08年5月からすでに急ブレーキがかかっていたからである。このことについてはすでに私がいろいろな場所で力説済みなので、今回は誤りの指摘のみに留める。ただし臆面もなくこのような書き出しで始まるこの本の他の部分についても、内容にはあまり信憑性がないと付け加えておく。

 第1章で興梠氏は失業問題を深刻に捉えているが、これはまったく時代遅れで現場知らずの空想である。現在、中国では空前の人手不足が進行しており、そのことが中国経済に与えるインパクトの方がはるかに大きい。このことを直視しないとあらゆる現象を見誤る。

 興梠氏は文中で数人の中国人の口から「人手不足は短期的なものだ」などと言わせ、失業問題が中国の重大課題のように細工している。これに対して私は、中国全土のどんな片田舎に行っても、「店頭に求人広告が貼ってある」という事実で対抗する。それらはすべて私のデジカメに納まっている。

 第2章で興梠氏は、「暴動〜なぜ民衆は立ち上がったのか」との見出しを掲げ、「2008年から2009年にかけて、あいついで暴動が発生し、中国全土を揺るがしている」と書いている。しかしこれらの事件は、私に言わせればたいした暴動ではなく単なる抗議行動の延長と考えた方がよく、「たくさん駆け集まったのは民衆ではなく野次馬」であり、それらは中国全土の大多数の人民にとって他人事であり、中国が揺らぐほどの大問題ではない。

 興梠氏が詳しく報じている貴州省瓮安県の事件も、「女子学生の不審死に民衆2万人が暴動」というのは明らかな誤報である。詳しくは拙文「長征と貴州省暴動」を読んでもらいたいが、現場はきわめて狭く2千人も集まれば満杯になってしまうような場所である。またその現場から500mほど離れた政府の建物はまったく無傷であったことをみると、やはり2万人もの民衆が暴れ狂っていたとは考えにくい。

 さらに湖北省石首市の事件についても、破壊されたのは当該ホテルだけで政府の建物は無傷であった。ここでも民衆が暴動を起こしたと表現するのには、いささかオーバーである。「野次馬が騒いだ」という類の表現が適切である(拙文「09年6月:暴動情報検証」参照)。

 それにしても、チベットとウルムチを除けば、いつも多くの中国ウォッチャーたちに暴動の代表格として取り上げられ詳しく報じられるのは、貴州省瓮安県と湖北省石首市の事件である。多分、それらがネット上でもっとも情報が多く、手っ取り早く入手できるからなのではないだろうか。そして誰もがその現場に足を運び検証することなく、それらの誤報を引用して、さらに拡大解釈を加え、中国を論じる結果、これらの事件が「中国全土を揺るがしている」などというような馬鹿げた結論に行き着いてしまうのである。

 第3章で興梠氏は、「少数民族〜チベットと新疆の反乱」という見出しで文章を書き始め、「つまるところ、中国の民族矛盾の根源は『政治』である。『政治』が矛盾を増幅しているのだ。言論統制で当局は自由自在に情報操作ができるため、国民はなにが真実なのかを知ることができない。一方的に暴動の映像が流され、『内因』は隠蔽される。その結果、民族間の誤解が深まり、憎しみがますます強まってしまう。…(略) 『分裂主義反対』を唱えても不幸は続く。火種はどんどん大きくなるだけだ。『分裂』を激化させる原因はどこにあるのか。それを冷静に見つめるべきである。もちろん、原因が当局の民族政策にあるということを認めるには、いくらかの勇気がいるだろうが」と結んでいる。

 興梠氏のこの主張は誤りではないが、私は中国政府の言論統制は、かなりその効力が薄れてきていると考えている。まさにネットがそれに風穴を開けているのである。実際に興梠氏も多くの情報をネットから入手しているではないか。チベットもウルムチもその事件の真相については、ほぼ明らかにされている。私たちもその解明に努力を続けた(チベットについては大木崇著「実録チベット暴動」参照、ウルムチについては拙文参照)。

 なお興梠氏はここで、「反乱」という文言を使用しているが、この両事件ともその表現はふさわしくない。両方の現場とも醜い略奪・暴行・破壊が横行し、とてもそこに民族独立という崇高な使命を掲げた行為を見てとることはできなかった。これが一面の真実である。私は「反乱」とは、確固とした政治勢力に指導された毅然とした反政府行動を指すと考える。したがってこの両事件は、反乱ではなく暴動と表現すべきである。

 第4章で興梠氏は、四川省大地震を取り上げ、政府の報道規制やおから工事、義捐金の横流しなどについて、詳しく書いている。しかしそのほとんどがネットや雑誌からの情報をもとにしたもので、現地で確認したものではないので、迫力不足である。

 第5章で興梠氏は、メラミン混入事件の謎を追いかけ、「いまや(日中の)食の一体化も加速している。金額ベースで日本の輸入食糧の約2割、輸入冷凍食品の約6割は中国に依存しているのが実情だ。日本の食品メーカーは、原材料の大量調達、低コスト、地理的メリットなどから中国なしでは立ち行かない。日本の消費者も安い食品が手軽に手に入るメリットを享受してきた。ならば、『いかにして中国のサプライチェーンを改善していくか』と、前向きにとらえるしかない」と、まさにこの問題に限って、前向きな発言をしている。

 第6章では、「ナショナリズム〜動員された愛国主義」と題して、北京五輪の聖火リレーについて論じている。
 私は実際に長野からソウルへ聖火リレーの追っかけをしたし、中国のカルフールで不買運動の現場も見たので、それらの実情についてもよくわかっている。たしかに中国人留学生を中心とした赤の軍団の勢力は異様で威圧的であった。長野では聖火リレーを妨害しようとする勢力もかなり存在し、それらと赤の軍団は各所で一触即発の小競り合いを繰り返していた。

 ソウルでは五輪記念公園が赤の軍団に埋め尽くされ、チベット問題を叫ぶ部隊はほんの一握りで、しかも道の反対側に押し込まれていた。そして聖火が通り過ぎてしまって、多くの参加者が流れ解散をしようとしていたときに、両者の衝突は起こったのである。

 それは興梠氏が言うような大げさなものではなかった。しかしながら長野でもソウルでも中国人の傍若無人な行為は、日本人にも韓国人にもはなはだ悪い印象を与えたことは事実である。

 興梠氏は、「『愛国主義』に火をつければ、社会矛盾から国民の目をそらし、短期的に政権の求心力を高める作用はあるだろうが、長期的には、自分の首を絞めることになる。国内では民族対立を深め、対外的には世論に押され、強硬姿勢を取り続けなければならなくなるのだ」と結んでいる。この点は私も同感である。

 第7章では、資源外交に励む中国の実相を書いている。第8章では中国共産党の高級幹部の腐敗堕落した様子が書き込んである。終章では中国の民主化運動を取り上げている。





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