小島正憲の凝視中国

多発・過激化する労働争議

小島正憲氏から届いた最新レポート「多発・過激化する労働争議」です。
中国各地で雇用や労働条件をめぐって労働争議が起きていることはたびたび伝えられてきました。とりわけ昨年からの、アメリカの金融危機に端を発する世界的な不況、経済危機を背景に広東省をはじめとする華南の輸出型産業で倒産や解雇などをめぐる争議が多発していることが報じられています。しかし、その実態についてはなかなか見えてこないもどかしさがあります。今回の小島氏のレポートは具体的な事例から、多発する労働争議の実態を詳らかに解析しています。また、そこにとどまらず、中国に展開する日本企業とその経営者にむけて重要な問題を提起しているといえます。今回も示唆に富む小島氏のレポートをお読みください。


多発・過激化する労働争議 
29.APR.09
                                                                                   
※日本では松下電器グループは社名をパナソニックに変更したが、中国では今でも“松下”が使われているので、本稿では“松下”と表記する。

1.多発する労働争議→上海市松江区の労務紛争の実状


 “北京・松下”の衝撃的な労働争議を調べていたとき、上海松江区の“松下”グループでも同様の事件が起きているという情報が入った。

 ただちに松江区の現地に飛んで情報収集に努めてみたが、直接工場からは入手できなかった。やむを得ず近辺の聞き込みを行い、同時にネット上をくまなく検索してみた。そのとき偶然、松江区の09年度1〜3月の労働争議についての、松江区労働保障観察大隊の上部組織への報告書が画面に出てきた。

 当初、私はこの情報の信憑性について疑問を持った。そこで松江区の知人にその真偽を確かめたところ、ほぼ間違いないという返事であった。

 このような報告書がネットに流出していることが、はなはだ不思議ではあったが、それよりも労働争議の件数が非常に多いことに驚いた。

 この中で “上海松下”の労働争議については14番目に書かれている。

 なお、この情報はすぐに削除され現在では見ることができない。この一覧表を見れば、松江区では労働争議が多発していることが一目瞭然である。しかもこれは松江区だけの実状であるから、これを上海市全体、さらに中国全体に拡大すれば天文学的な数字の労働争議が起きていると推測できる。

 なお同じ上海の浦東新区の裁判所が09年度1〜3月に受理した労働争議案件は2991件と急増し、すでに08年度1年間の2131件を超えた。


2.過激化する労働争議→“松下”の労務紛争の実状


@松江区の電子工業有限公司の場合 : 下記はネットからの情報であり、上海松下電工有限公司とは特定できないが、同社にこれと似たような事態が発生したことは事実である。


・2/09、公司側は経営状態の極端な悪化の結果、209人のリストラを決定し、松江区労働保障部門に申告した。

・2/10、公司側は従業員や工会組織、区労働行政部門の意見を聞かず、突然、209名にリストラを通告した。

・驚いた従業員500名が、公司の管理者を工場内に軟禁した。

・次いで従業員側は、今回のリストラ提案が30日前に工会あるいは従業員全体に通告されていなかったこと、さらにリストラされた従業員にその具体的なリストラ条件が明示されていないことを理由にして、7項目の要求を出してきた。


 @.リストラされた従業員に補償金を2倍支払うこと。

 A.2001年11月〜02年4月までの住宅基金(給与総額の8%)を従業員全員に支払うこと。

 B.従業員の入社時点で、勤務年限を明示すること。

 C.リストラされた従業員の社会保険契約を1年間延長すること。

 D.全従業員に過去にさかのぼって15年間分の社会保険料を一括支払いすること。

 E.有毒・有害な職務についていた従業員に無料で健康診断を受けさせること。

 F.夫婦が同時にリストラされた場合、補償を増額すること。

・松江区労働保障局は、事態を深刻に受け止めただちに副局長をトップとし事件処置小組を編成した。

・松江区労働保障局小組は、まず公司側のリストラ計画に違法性があると判断しその撤回を指示し、さらに従業員側とも協議し、公司側から2/11に3項目の回答をさせた。


 @.今回のリストラ計画は撤回する。

 A.今回のリストラ計画に入っていた従業員は、指定時間内に契約解除申請を提出し、公司側と協議の上、法律に沿った補償を受ける。

 B.リストラ計画に入っていなかった従業員で労働契約を解除したいものも同様の扱いとする。その他の従業員は2/13には必ず規定時間に出勤すること。もしこれに違反したものは、関係法規と公司規定により処罰する。


・2/14になっても一部の従業員が過激行為を繰り返したので、松江区労働保障局小組は強制的な手段でこれを解決した。

・この労働紛争で松江区労働保障局は、まず公司側に法律の遵守を求めリストラ計画を撤回させた。次いで、従業員側には、公司側に違法な要求を突きつけ、過激な行動を取ることを禁じた。


A“北京・松下”電子部品有限公司(望京科技園区内)の場合


“北京・松下”の労働争議の詳細については、3/05付けで「北京松下に争議発生?」として報じておいたので、それを参照していただきたい。


ここではその後の経過とこの事件の特徴について述べる。私は4/24に北京に入り、複数の関係者と会って、この事件の真相について話を聞いた。さらに工場周辺で聞き込みを行った。そこでわかったことは、この事件が従業員側によって仕組まれたものであったということである。


従業員側は、2/25に日本人総経理を6時間に渡って軟禁した。そのとき、その従業員の中に社外のマスコミ関係者(京華時報記者と推測される)が従業員側の手引きで紛れ込んでいた。その結果、翌日マスコミはただちに事態を詳しく報じることができた。


これは上記の上海松江区の事件がマスコミでまったく報じられていないのとは好対照である。おそらく従業員側が松江区の例を学んでおり、事件をマスコミで騒がなければ行政当局から押さえ込まれると判断したのではないだろうか。


しかしこの策略は裏目に出た。科技園区の行政当局は従業員側が他社の人間を引き入れたことに違法性があるとして、これに厳格にのぞんだ。その結果、補償額は公司側の想定範囲内で決着し事態が収束したという。


それでも今回の労働争議では別の問題も生起してきた。工場の工会幹部を含む中国側永年勤続社員が特権化しており、一般社員との間にかなりの格差ができていたことである。


既報のように退職補償金も一般従業員とは10倍ほどの開きがあった。これでは中国側幹部社員が一般社員の恨みを買い、彼らが表面に出れば説得できないだけでなく、事態を余計に複雑にしてしまう。このことが今回の紛争を拡大してしまった一因でもある。


たしかに“北京・松下”の工場の敷地内の駐車場には、これら幹部の通勤用と思われる高級乗用車が30台以上ずらりと並んでいた。その片隅には300台ぐらい収容できる駐輪場があり、20台ほどの自転車が無造作に置いてあった。その場景はまさに格差を象徴しているようだった。


B過激化する労働争議


上記の@とAに共通することは、従業員側が公司側の総経理などを軟禁していることと、その実力行使を背景にして法定の補償額以上を要求していることなどである。


ことに従業員側が労働局などに訴えるなどの合法的手段をとらず、徒党を組んで公司側の人員に危害を及ぼすような違法な実力行使が起きていることは、きわめて深刻な事態であると考えなければならない。


当局側もこのような違法な実力行使を認めず、従業員側には自重をうながしているが、この傾向は中国全土で増加しつつあると考えるべきである。


なお、4月末、東莞市の香港系プラスティック工場で、解雇された労働者が逆恨みして上司を殴り殺すという事件も発生した。


3.日本人経営者にのぞむこと


昨年来、韓国や台湾企業経営者の夜逃げが話題に上ることが多かったが、幸いにして日本企業経営者の違法な撤退については耳にしたことがなかった。ところが今年に入って、とうとう日本企業にも醜態をさらして撤退する会社が出てきた。


たとえば大阪の辻産業は日本の本社が倒産し、中国子会社は2700人の労働者を抱えて立ち往生することになった。安川情報システム株式会社は、武漢にある合弁企業を正規の手続きをしないで撤退してしまい、従業員36名が置き去りにされてしまった。ネット上ではこの企業への非難の声が飛び交った。


その他、深?のN社、東莞のM社、上海のF社、北京のJ社、青島のA社など著名日本企業の操業停止、休業、清算などが続く。


NNA:3/23付けは、「華南で相次ぐ日系工場撤退 “本当の危機はこれから”?」と題して、長文の記事を載せている。 *NNA:アジアをはじめとする経済、ビジネス情報サイト


さらにネット上では、中国人学者が「日本企業の中国撤退が増加、その原因は?」という見出しで、これまた長文を書いており、その文末で「中国としては日本企業の撤退をそれほど心配する必要はない。日本企業の撤退は、中国経済の環境変化を反映している。地価や労働力の安さや優遇政策で外国企業を呼び込む時代は過ぎようとしている。この変化に伴い、外国企業に対する要求も数から質へと転換しつつある」と強調している。これらの記述から、現実には日本企業の撤退がかなり多いということが見て取れる。


これらの事態に対応して、ジェトロでは日中双方の各地で「撤退セミナー」を開催している。


さすがに中国では「撤退セミナー」と題することは憚られるので、北京では「現況下における労務問題の適切な対処法」という題でセミナーが行われ、多数の参加者があった。参加者のひとりから聞いたところによれば、会場は終始お通夜のように静まり返っていたという。東京で開かれたセミナーでは、講師が「中国事業からの撤退は、持分譲渡が効率的」と話したという。私も同感である。


ビジネスには好不況がつきものであるから、経営手法には進出もあれば撤退もある。したがって私は撤退それ自体を批判はしない。しかしながら中国からの撤退に際しては、法律遵守が第一である。違法な撤退をすれば残された企業が迷惑をこうむる。


進出する場合は独資であれ合弁であれ、中国側従業員は満面の笑みで日本側を受け入れてくれる。ところが撤退する場合は、その表情は一転し、経営者を軟禁してでも自分たちの要求を突きつけてくる。だから最初から日本人経営者は中国人従業員が、日本企業の進出を受け入れる際の仏の顔と、撤退する際の夜叉の顔の両面を持っていることをしっかりと理解しておかねばならない。


私は海外での事業展開の道は、自分も性悪であり同時に他人も性悪であると認識するところから始まると考える。そのことを凝視した上で、性悪な両者の関係を性善に昇華させることが成功の秘訣だと考えている。これが私の10か国に及ぶ身銭を切った海外事業体験を総括した結論である。


私はそのような思想の土台に立って、SARSのときは日本人経営者に「陣頭指揮に立て」と檄を飛ばし、反日騒動のときは「身を捨てて中国人幹部を守れ」と力説した。(これらのことは拙著「中国ありのまま仕事事情」で詳述しておいたので、ぜひ一読していただきたい)。


したがって今回も、苦境に立つ日本人経営者に、まず「夜逃げはするな。ビジネスモラルを守れ」と呼びかける。


しかしながらもし今後も日本人経営者の軟禁や拉致が続くようならば、私は「身に危険が及ぶような事態になりそうな場合は、あえて最後まで遵法意識を持ち続ける必要はない。すみやかにその場を去れ」と言うようにする。


いくら出処進退が格好良くても、軟禁や拉致騒動などに巻き込まれては詰まらないからである。


私の次の著書には、海外事業を展開する日本人経営者の心得として「身の危険を感じたら、男気を出さずにすみやかに去るべきである」という一言を付け加えようと思っている。