小島正憲の凝視中国

読後雑感:2010年 第7回 & 第6回


読後雑感 : 2010年 第7回
27.APR.10
1.「拝金社会主義 中国」
2.「中国共産党を作った13人」 
3.「ロシア・中国・北朝鮮 猛毒国家に囲まれた日本」
4.「中国黒洞が世界をのみ込む」


1.「拝金社会主義 中国」  遠藤誉著  ちくま新書刊  2010年2月10日発行

 この本は面白い。題名だけを見ると、ふざけた本のような気がするが、中身は思想的にも文学的にも濃いものである。

 遠藤氏の本文中の述懐はまさに圧巻である。文学作品としても読むに足りるものだと思う。下記にその一部を紹介しておく。 (かなり長いので中間を少し省いた。ぜひ本文で直接、遠藤氏の心情を読み取っていただきたい)。

 1989年晩秋、私が36年ぶりに「故郷」天津に戻り、小学生の頃によく行った和平路に立ったときのことだ。私と同年代くらいの女性がそばに寄って来て手を差し出し、「銭!」(銭をくれ!)とせがんだ。中には私が着ている服を手で揉むようにさわり、「これは何という生地で出来ているの?」と聞くものもいた。おそらく何ヵ月も洗っていないであろう顔と手は、真っ黒にしなびてかさつき、目には目やにが溜まっている。

 1953年、私が12歳で天津の港を離れ、日本への引き上げ船、高砂丸に乗って舞鶴港を目指すその瞬間まで、この同じ女性たちは「反対武装日本!」という旧日米安保条約締結に反対する歌を熱狂的に歌い、「中国共産党万歳!」と絶叫し、そして私を「日本鬼子! 日本狗!」(日本の鬼畜生!)と罵倒していたのだ。つばを吐きかけられ、石を投げられたこともある。

 あの当時の、その同じ女性が、外国人、特に日本人である私に、金をせがむ―。石を投げつけたその手で、へつらわんばかりに私の衣服を揉む―。あのときの気概はどうした―? さあ私を罵れ! 「日本鬼子! 日本狗!」と罵倒してもいい。石を投げたければ投げよ。何をしたとしても、「銭!」と手を差し出したり、猿の毛づくろいのように私の服を揉んでみたりするのはやめてくれ!

 私はたちすくみ、泣いていた。虐められた時よりも、もっと情けない涙であったかもしれない。

 本書において遠藤氏は結論として、「中国は“社会主義国家”として生き残るために」こそ、“向銭看”の号令をかけたのである。経済的に生き残ることこそが、至上命題だった。それなのに、銭に向かって走っていたら、経済大国としては強国になったが、しかし、社会主義国ではなくなっていた、というところに、中国の悩める姿があるのではないだろうか。いや、中国は、この姿こそを“特色ある社会主義国家”と位置づけ、“社会主義の形態は変化し続けるのだ”として、“三つの代表”で、“悩める姿”を囲い込み、論理矛盾を回避してきた。今後中国が依然としてこの問題を回避したまま経済発展を推し進めていくのか、それとも正視するのか、そしてもし正視したときには、どのような問題が起き、中国の民と政府はどのような行動に出るのか、読者とともに静かに見守っていきたい」と述べている。

 遠藤氏は中国の大学生の動向を詳しく分析しながら、今後の中国情勢を占っている。その視点には学ぶべきものが多い。ことに最近の大学生の中に、「農業戸籍に戻ろうとする都市の大学生」が増え、いわば逆流現象が起きているという指摘は傾聴に値する。私も最近、都市の出稼ぎ農民工の間に、農業戸籍を重要視し都市戸籍を欲しがらない傾向が増えてきているという実態を確認しているが、大学生にもその傾向があるということをこの本から学んだ。

 また遠藤氏は人口紅利(ボーナス)にも言及しており、2013年を境にして、それが人口負債に変わると指摘し、中国の近未来を危惧している。また暴動問題についても、中国社会科学院の行った人民の意識調査結果を引用して、「『中国の社会各層集団間の利害衝突はかなり存在すると思うが、それが激化して社会不安を招き、国家が転覆するような可能性は、あまりないだろう』と、多くの庶民が思っていることを裏付けている。中国の民は誰一人、社会不安を望んでいない」と結論付けている。多くの暴動現場を見てきた私も、同意見である。

 なお遠藤氏は4兆元の内需刺激策に対して、次のような面白い見方をしている。「本書ではこれまで虐げられた農民工の話に焦点を絞ってきたが、農民工の中にはチャンスをつかんで富を蓄えた者もかなりおり、田舎に豪勢なマイホームを建てたものも少なくない。中国は広く人口が多いから、リッチな80后がいたり、就職難にあえぐ蟻族がいたりするように、農民にもさまざまな状況がある。しかし農民たちが“誇り”と“自尊心”を持てなかったということに関しては共通のものがあっただろう。それが内需政策で刺激されたということは、中国が改革開放を成し遂げたのと同じ程度の効果を持つだろうと私は思うのである」。


2.「中国共産党を作った13人」  譚?美著  新潮新書刊  2010年4月20日発行
副題 : 「1921年7月23日午後8時 上海フランス租界の高級住宅 緊急招集第1回全国代表大会
       平均年齢27.8歳  日本留学組4人」

 この本は、実に面白い。ことに譚氏が、「中国共産党は、“日本からの知識”と“ソビエトからの資金”で作られた」と言い切っているくだりは痛快であった。ぜひ、多くの人に読んでもらいたいものである。

 現在、上海の新天地に、中国共産党第1回全国代表大会が開催された建物が保存されており、その2階に当時の会議の様子が蝋人形で作って展示してある。私は昨年それを見てきたが、そこでは大きなテーブルの前で毛沢東が立って演説をしており、ちょうどその対面で張国Zが斜めに構え、そっぽを向いて座っている。しかしこの本の中では、この会議の進行役は張国Zで、毛沢東は影が薄かったと書かれている。展示してある蝋人形の立場は逆転しており、史実とは違うようである。参加者の一人である李達は、当時の会議の様子を、「毛沢東はずっと黙りこくったまま、首を掻いたりしながら一人で考えにふけり、他人の目を気にしなかった。同志たちは彼のそうした態度に、あいつは神経質なんだと言った」と書き残している。

 それでも皮肉なもので、激しい理論闘争がなされたこの会議で、学識もなく地方出身でほとんどその輪の中に加われなかった毛沢東が、最後に天下を取ったのである。この13人の中で、毛沢東とともに、新中国の建設に参加し、天寿を全うしたのは董必武ただ一人であった。残りの11人は、病死したり、国民党に殺害されたり、共産党内の激烈な権力争いに負けて姿を消していった。ことにこの会議の進行役であった張国Zは、長征途上、四川省の大湿原で毛沢東と激しい路線論争を行い、分裂行動を取り、毛沢東を危地に陥れている。その後、張国Zは西路軍の大失敗などでその勢力を大きく減らし、結局、共産党を離党し、最後にはカナダに渡り、1972年に82歳で老衰死した。

 このような共産党組織内部の血の抗争を、ことさらに大きく取り上げ、中国共産党を貶めようとするチャイナ・ウォッチャーも多い。しかし私はそのようなことは、組織が生死の極限状態に追い込まれると、普遍的に起きてくる現象だと考えている。たとえば、きわめてマイナーな事例だが、新選組が芹沢鴨一派を粛清し、山南敬介などを切腹させ、伊東甲子太郎を斬殺した過程などは、その好例ではないかと考えている。また連合赤軍が榛名山、裏妙義山、あさま山荘と逃避行を続ける間、残虐なリンチ事件を繰り広げたのも、その一例であると思う。私はすでに昨年前半、新選組の旧跡や連合赤軍の蛮行跡を踏破し詳しく調べておいた。近いうちに、上記の観点から、労農紅軍の長征、新選組の組織内抗争、連合赤軍の蛮行を比較して、一種の「組織論」を書いてみるつもりである。

 譚氏は1900年代初頭、中国人の日本留学熱がいっきょに高まり、留学生が8000人に及んだという。それは日本が中国に近く、留学費用が安くて済むという理由も大きかったが、なによりも明治維新を成功させた日本の精神を学ぼうとしたためであると書いている。またその中でも、維新のために一身を犠牲にした西郷隆盛に対する人気が高かったという。たしかに毛沢東も、勉学を志し生家を去るとき、西郷隆盛の漢詩(正確には僧:月性作)を引用していることから、その人気がうかがえる。さらにその留学生たちの多くが日本で、社会主義思想などに触れ、革命を志すようになったと書いている。中国共産党創立メンバー13人の中に、4人も日本留学組がいたのは驚きでもある。

 日本留学組が上海に帰り、共産党の設立を目指すのだが、軍資金がなかった。ちょうどそこへコミンテルンから活動資金を携えてオルグがやってきた。これで弾みがつき、一気に大会開催へと漕ぎ着けたのである。ちなみにこの大会への参加には100元の旅費が支給されたという。まさに中国共産党は、「日本からの知識とソ連からの資金」で創設されたということである。

 さらに譚氏は、このときのメンバーの平均年齢が27.8歳であり、まさに青年の若さが大会を成功させたと書いている。たしかに大事業を成し遂げるとき、若さは重要である。私自身も青年期に、ある大先輩から、「青年は純粋である。青年は失うものがない。青年には未来がある。青年は大胆に行動できる。だから社会革命の担い手は青年である」などと聞かされ、発奮し行動したものであった。しかしながら、60歳を過ぎた今日、私は老人として、「老人にはしがらみがない。老人は死への恐怖心がない。老人は生への執着心がない。だから老人も純粋であり、社会革命の担い手足りうる」などと考えるようになった。私はどこで野垂れ死にしても構わないという覚悟で、日夜、東奔西走を続けているのである。


3.「ロシア・中国・北朝鮮 猛毒国家に囲まれた日本」 宮崎正弘・佐藤優著 海竜社刊
                                     2010年3月31日発行

 この本は、ロシア事情に精通している佐藤氏と、中国事情に関する第一人者の宮崎氏の対談というふれ込みである。たしかにロシア問題については研究者も少なく、佐藤氏ほど政権内部の事情までをも正確に見抜く力を持っている人は多くない。しかし宮崎氏を中国事情に関する第一人者と言い切ってしまうには、いささか抵抗を感じる。中国通は星の数ほどいるからである。しかも数年前の宮崎氏は中国全土を歩き回り、その鋭い観察眼で中国事情をえぐり出していた。それに比べると最近の宮崎氏は足が止まってしまったかのようであり、それと比例するかのように舌鋒も、若干穏やかになってきている気がする。

 宮崎氏はこの本の狙いの一つが、ロシア人、中国人、日本人のそれぞれの民族的特徴を比較することだと言っているが、残念ながらこの本は、欲張ってロシア・中国・北朝鮮の3か国の内実にも迫ろうとしたせいで、結果的にそれぞれの国への掘り下げが浅くなってしまっており、民族的特徴に迫ることも中途半端で終わっている。したがってこの本から学ぶべきものはあまり多くはないと思う。

 この本の佐藤氏がロシア事情について語っている部分には、私はコメントできるような知識も体験もない。したがって他のロシア通の知識人からの論評が欲しいところである。たとえば佐藤氏は「ロシア人は友情に殉じる」、なぜなら「そういう価値観を持たざるを得ないのも、国家が頼れないからです。貨幣というものも、経済がおかしくなったら頼れなくなる。結局、一番頼れるのが友人なのです」と語っているが、私にはそれを批評するだけの知識はない。

 佐藤氏はダーチャ(別荘)について、「ロシアでは、モスクワに住んでいる人の約2/3は郊外にダーチャを持っています。日本では別荘と訳されることが多いのですが、建物だけで200uぐらい、それに広い庭がついていますから、畑つきの一戸建てと訳した方が正確です。庭に地下倉庫があって、そこに備蓄をしておきます、ですからダーチャは備蓄のために必要なのです。そこに普段でも半年分ぐらいは備蓄しておきます」と語っている。この佐藤氏の説明でロシアのダーチャ(別荘)の多さに、ようやく納得がいくようになった。

 佐藤氏は、「ロシアの男性の平均寿命は60歳いくか、いかないかです。やはりストレスの多い社会なのです。それに対して女の人の寿命は74か75歳です。これは人口学上の大いなる謎で、平時において男女の寿命差が15歳もあるというのは非常に深刻な問題です。これにはウオッカも原因の一つになっています」と、述べている。この点についても論評はできない。ただその実情を不思議に思うだけである。

 宮崎氏は、北朝鮮の羅津港に関連して、「日本海への出口の確保は、中国の長い間の願望でした」と書いているが、その羅津にもっとも近い中国吉林省琿春市で工場を稼動させている立場で見た場合、一概に「長い間の願望」とは言い切れないのではないかと思う。もしもっと「切羽詰った願望」ならば、それを達成するために打つ手はたくさんあったのではないかと思うからである。また「新疆ウィグル自治区のほうぼうに、すでにアルカイダの秘密細胞が誕生しているという情報もある」と書いているが、これもにわかには信じ難い。私は実際に、中国とアフガニスタンの国境付近まで足を運んでみたが、そこは高い岩山の連続で、中国側の麓には解放軍が待ち構えており、アルカイダが侵入することはまず不可能であると思われた。またパキスタン経由で侵入するにしても、警備はきわめて厳重であった。アルカイダの侵入経路ついて、宮崎氏の詳しい説明を聞きたいと思っている。

 さらに宮崎氏は、「上海では株式市場が急落を開始しており、不動産価格の下落が暴落へと進むは時間の問題である」と言い切っているが、なんども私が指摘しているように、不動産価格というのは土地とマンションなどの上屋で構成されており、先進各国では土地とマンションの価格が連動して上下するが、中国では土地の売買は自由ではないため、マンションは暴騰していても、土地はそれほど上がっていない。つまり宮崎氏はこの特殊性に気がついておらず、マスコミなどの不動産暴落という用語をそのまま鵜呑みにして使っている。まさに決定的な情報誤認といえよう。このもっとも肝心な一点から判断して、宮崎氏の中国の現状認識の程度が推し量れる。

 宮崎氏は、「日本人は情報をタダだと思っている」と書き、「そういうところから情報戦略など出てくるわけがないと、私は昔から思っている」と続けているが、私はネットの時代に入って、「情報はタダの時代に入った」と考えている。現在、ネット上には捌ききれないほど多くのタダの情報が氾濫している。それらを系統的・意識的に集めて行くだけでも、現状分析がある程度可能になってきている。すでに三橋貴明氏などはネット出身経済評論家として売り出し中である。もちろんネット上には無責任なガセネタも多いが、自分がそれらを識別する能力を有しており、同時に信頼できるネット情報網を築いていれば、情報収集はタダとは言わないが、きわめて安上がりで済む。しかも情報発信も昔に比べるとはるかに安くつくようになっている。ホームページを立ち上げ、適時更新していけば、不特定多数の人々に自分の意見を開陳することができるし、メールでニュースを大勢の人に同時発信することも可能である。手紙や新聞、書籍などで情報を発信していた時代と違って、手間も少なく経費も格段に安くしかも速い。また自らが、信頼性の高い情報を多くの仲間にタダで配信すれば、その見返りに仲間がより濃密な情報をタダで送信してくれる。現代のネット社会とはそのような時代であると考えている。

 明智光秀の名前が対談の中に登場してきたので、いささか驚いた。文中では宮崎氏が、「本能寺の変は、国体を破壊しようとした織田信長に対する明智光秀の国体護持に対する戦いである」と主張し、佐藤氏が、「それは本当に重要な論点です。明智光秀にとっては、信長を討ったところで、直接のメリットは何もありません」と相槌を打っている。宮崎氏には「戦国武将の情報学」(現在絶版)という著書があり、どうも戦国時代通でもあるようだが、私も岐阜県岐阜市織田町に生を受け、幼年期には織田信長の居城や菩提寺を遊び場にしており、それが高じて戦国古戦場と経営を結びつけた独自の兵法経営学の新聞連載(60回)を書いたことがある。そのとき以来、明智光秀の謀反については、旧本能寺や山崎の古戦場を含めて幾度となく現地調査をしているが、いまだに確たる理由をみつけだせないでいる。歴史学者の説も議論百出で、決定打はない。だから宮崎氏のいささか独断に近いこの説も拝聴しておくだけで反論はあえて展開しない。

 宮崎氏は、「今回のトヨタのリコール問題で露呈されたように、日本を代表するような企業でも非常事態に対応できるシナリオを持っていなかったとしか考えられない」と言い、佐藤氏は、「そのときに手足となる外交官が一番やらなければいけないことは、結局、日本人の命を守ることだと思います」と応えている。この見解には、私は賛成できない。今までに幾度となく主張してきたが、企業が海外進出するのは、自分の企業の利益追及のためであって、国家のためではない。したがってリスクを承知の上で金儲けに出かけているわけだから、それを邦人だからという名目で、救出する必要はないと考える。ましてやそのために軍事力が必要だなどというのは論外である。企業の中には、いろいろな法律の網の目をかいくぐって、日本国家に納めるべき税金を、合法的に回避している例も少なくない。このような企業までも一律に、国家が大金をかけて救済しなければならないのか、はなはだ疑問である。


4.「中国黒洞が世界をのみ込む」  沈才彬著  時事通信社刊  2010年4月15日発行
  副題 : 「どうする日本の戦略」

 この本は、あえて買ってまで読む必要はないと思う。なぜなら肝心な部分で誤認情報が多く、しかも常識的な見解の羅列で新規性に乏しいからである。

 沈氏の事実誤認の第1は、中国の景気対策の財政出動がリーマンショック直後であるという見解を示し、中国政府の労働契約法施行などの結果の2007年末からの景気後退に一切触れず、さらに財政政策は07年7月時点から変更されていたということにまったく言及していないという点である。したがって現在、中国が抱えている問題点の認識が根底から狂っていると言わざるを得ない。

 第2は、「中国の不動産のバブルが崩壊した」と書き、土地とマンションの価格を同列に扱ってしまっている。中国ではマンション価格はバブル現象が見られるが、土地の価格は個人での売買が自由でないために、バブル化していない。この点は中国経済を見ていく場合に、きわめて重要である。

 第3は、「中国が抱える最大の懸念材料は、雇用の問題であろう。雇用不安は社会の不安定要素ともなるので注意しなくてはならない」と書いているが、これは全く事実誤認で、「中国の抱える最大の懸念材料は人手不足」である。さらに「(広東省では)大量失業から労働力不足へと誰も予測できなかった激変が起きている」と書いているが、すでにこの現象は2003年から生起しており、私を含むチャイナ・ウォッチャーがこれに警鐘を鳴らし続けてきた。今どき、「誰も予測できなかった激変」などという言葉を使っているようでは、その情勢認識の遅れは如何ともし難い。

 また沈氏は、2008〜09年、国土交通省観光立国推進戦略会議WG委員を勤めていたにもかかわらず、「中国人観光客を大量に日本に誘致するためにはノービザ観光を認めるということが前提条件となる。これに関しては、日本の治安秩序が乱れるといった反対意見が出てくることが予想される」と、きわめて常識的なことを書いている。 ノービザにした場合もっとも懸念されるのは、「中国人観光客の失踪であり、その後の不法就労、治安の悪化」であることは言うまでもない。沈氏に期待されているのはその防止策であるが、その提案は全く示されていない。

 沈氏は「中国は人脈社会であり、人脈がないとビジネスをうまく展開することができない。ところが今の中国社会では、人脈作りに金銭のやり取りが伴うことも多い。ここが実に難しい」と書いているだけで、結局、読者が最も知りたい「人脈作りのノウハウ」については一言も書いていない。

 唯一、面白かったのは、文化大革命時代から、中国では「鳩山」という苗字が日本の悪人の代名詞になっており、それが最近、中国共産党の広報部門から「テレビドラマや映画の日本の悪役に“鳩山”という名前をつけるな」という通達があったというくだりだった。




読後雑感 : 2010年 第6回
12.APR.10
1.「中国人の世界乗っ取り計画」
2.「続 上海発! 中国的驚愕流儀」
3.「アメリカ、中国、そして日本経済はこうなる」
4.「習近平の正体」 


1.「中国人の世界乗っ取り計画」  河添恵子著  産経新聞出版刊  2010年4月16日発行

 河添氏の肩書きはノンフィクション作家である。広辞苑によれば、ノンフィクションとは「虚構をまじえず、事実を伝えようとする作品・記録映画」と書いてある。河添氏は冒頭で、世界で活躍している中国人を指して、「中国から“ゴロツキ”が地球へ大量に放出されている。この未曾有の出来事に一体、誰がどんな方法でストップをかけるのか?」(P.7)と書き、中国人の居住地域を、「中国人自治区はまさに地域、街、国家を破壊しかねない“ガン細胞”といえる」(P.5)と酷評しているが、この表現はあまりにも下品であり、川添氏が意識的にこの本で中国人を貶めることを狙ったとしか考えられない。それでもこの本で書かれている内容が記録映画のように事実を正確に描いているのならば、その表現も認められるが、残念ながら浅薄で一面的な事実認識が多いので、私はこの本をノンフィクションとして評価することはできない。

@カナダのバンクーバーへの中国人移民について。

 まず河添氏は、カナダのバンクーバーへの中国人移民を捉えて、“ゴロツキ論”を展開している。私はバンクーバーには数回足を運んでいるし、まさに河添氏が取り上げている“ガン細胞”の町=バーナビーの中国人社会の中で少しの間滞在していたことがある。そのときの体験から、バンクーバーには3種類の中国人がいるのではないかと思っている。その点で河添氏がこの本で、中国人を一括りにしてしまっている乱暴な描写にはかなり違和感を覚える。

 あるとき私はバンクーバーのバーナビーの公園で、そこを静かに散策している中国人3世の老人夫婦に会い、この街と中国人の関わり合いの歴史に興味をそそられた。私はそれから急いでバンクーバーと中国人移民について研究した。文春文庫から「チャイナタウンの女」という本が出ており、そこには戦前のバンクーバーでの中国人移民のことが詳しく書かれており、私はそれを涙を流しながら読んだ。この本の紹介が裏表紙に、「広東省出身の出稼ぎ農民の現地妻として女はバンクーバーへ渡った。女は若くて美人、機転が利いて博才もあり、たちまちチャイナタウンの人気者に。男には郷里に妻子がいて、洋館建設という夢もあった。だが第2次世界大戦と共産革命が起こり互いの音信は途絶え…カナダと中国、太平洋を隔てた中国人一家が辿った波乱の軌跡」と書いてある。これを読めば、バンクーバーには戦前に中国から出稼ぎで来て、悲運にもめげず必死に働き、財を成した中国人の末裔が現存していることがよくわかる。河添氏はこの事実についてまったく触れていない。これが第1種の中国人である。

 私は1998年にミャンマーで香港華僑といっしょにビジネスをしたことがある。そのとき彼は、香港返還直前にカナダへ移民し、彼の奥さんはバンクーバーに住んでいると話していた。また彼は「私たちはカナダへ移民できて幸せだった。カナダ政府に感謝している」と語ってくれた。おそらくこの時期にかなりの香港華僑つまり実業家がカナダへ投資移民したものと思われる。私が付き合った彼らはかなりの資産家で立派な紳士であり、決して“ゴロツキ”ではなかった。これが第2種の中国人であるが、彼らの生き方についても、河添氏は深く追求していない。

 最後が2000年ごろから激増しているという中国大陸からの投資移民である。この中国人たちに対する河添氏の記載についても、細部にわたってはかなり事実の把握不足がある。たとえば移民するにあたっての審査はかなり厳しく、ことに健康診断については厳格である。私はこれらに実際に立ち会ってきたことがあるので、簡単ではないことがよくわかっている。なによりも河添氏はバンクーバーの先住市民たちが、中国人たちを嫌っていると書いている。しかしカナダ政府は中国人移民から大金を投資させ、そのカネで財政を切り盛りし、その恩恵を先住市民が受けており、この政策が先住市民も含めてすべてが納得ずくのものであるという事実を、本文中に明記していない。

Aイタリアへの中国人の進出について。

 河添氏は、「庇を貸して母屋を取られたイタリア伝統産業」という小見出しを掲げて、フィレンツェやプラートの街が中国人に乗っ取られたと主張し、「中国人は当初、外国人労働力として地元経営の小規模な織物工房に雇われた。裁断やラベルの縫い付けなどの単純労働を長時間、低賃金で働いた。不法就労者で人件費を抑え、中国産の原料を使うことでコストダウンも図れることから、プラートの織物企業は少なからず潤った。…(略)中国人は数年働き技術を習得するとさっさと独立をする。しかも辞めた翌日から、“元ボスの競合相手”となる。この掟破りな異邦人に、プラートの繊維業界はもちろん、役人たちも少なからず狼狽した」と書いている。またこれらの商品を扱う中国人の商店も立ち並ぶようになり、イタリア人商店が駆逐され始めたので、「中国系商店の多くは休日も平日同様に営業しているが、これはイタリア人のライフスタイルと異なる。そのため、各地方政府は中国人商人に『休日を取るように指導する』法律を制定した」という。そして「中国系移民の蛮行とチャイナマネーによって、技術もノウハウもセンスも創造性もないヤクザな中国系企業がイタリアの伝統産業を略奪、強奪し、“絶滅”の危機に追い込んでいる。この事実を、匠の技を財産に、伝統的なモノづくりを大切にしてきた日本が“対岸の火事”と構えていてよいはずがない」と暴言を吐いている。

 河添氏は勉強不足である。まずフィレンツェやプラートの繊維産業の伝統はそんなに古くはない。もともとこの地でフランスの下請けを行っていた企業が40年ほど前に、賃金の安さを売り物にして、センスも創造性もないイタリア人が本家から技術やノウハウを盗み独立したものである。さらに言えば日本企業も、その技術をイタリアから学び(盗み)取り、現在に至っているのである。現在でもイタリアでの新作展示会が催されると、日本からたくさんの繊維関係者がその地を訪ね、鵜の目鷹の目で見て回るので、顰蹙を買う場合があるくらいである。したがって中国人だけを悪者にすることはフェアではない。お互い様である。

 また私は15年ほど前、フィレンツェで、ある工房を訪れたとき、そこで働いていた若い東洋人の女性から、たどたどしい日本語で話しかけられ、びっくりしたことがある。彼女は中国人で2年前まで日本の縫製工場で研修していたといい、技術をさらにアップし、お金を儲けるためにここで働いていると話してくれた。当時、すでにフィレンツェにそのような中国人女性が結構いるということだった。私はそのとき、日本人もイタリア人も、やがて中国人のこのパワーの前にひれ伏すことになるのだろうと思った。また当時でもそれらの工房では、3K労働を嫌う若いイタリア人はほとんど働いておらず、設備が大幅に余っており、もし中国人がそこで働いて居なかったら、閉鎖をせざるを得ないような状況であった。とにかくこれまでの中国人はハングリーで、どこでもよく働いた。したがってその努力が、その地の怠け者を駆逐していったのである。このことを“中国系移民の蛮行”というのは、あまりにも暴言に過ぎる。これらの現象は経済法則の帰結である。

B日本のこれからを考える。

 河添氏は最後に、「日本のこれからを考える」という小見出しで、短文を書いているが、結論は明確でない。河添氏の論を突き詰めて行くと、日本に残された道はどうも鎖国しかないような気がする。私は鎖国には反対である。しっかり開国して、もし中国人がたくさん入ってきても、日本人が中国人以上に働き、彼らを凌駕すればよいだけの話である。

 余計な話だが、私は世界の7か国以上で、自ら工場を稼動させてきた。そしてかの地で現地人たちよりも懸命に働き、そこから利益を得てきた。ことに中国では“労働模範”と表彰されたほど働き、合計10工場=約1万人の従業員とともに生きてきた。かつての日本人には、世界を制するほどの勢いがあった。残念ながら現代の若者、ことに男性は内向き志向が強く、世界に出ようとしない。今年、米国のハーバード大学に留学した日本人学生は1人だったそうである。最盛期には1学年に20人ほどいたという。これでは元気のよい中国人に制せられても文句は言えない。


2.「続 上海発! 中国的驚愕流儀」  須藤みか著  講談社+α文庫刊  2010年3月20日発行

 この本には、現代の上海のこまごまとした様子が書き連ねられている。ことに若い女性?の目で見た上海の実情には、独特のものがあり、15年ほど上海に住んでいる私でも知らないことが多く語られている。文庫本なので通勤列車の中で読んでみるのに適していると思う。

 まず須藤氏は、万博を間近に控えた上海市政府の「パジャマ外出禁止令」を、話題に取り上げている。さすがに最近では上海市民のパジャマ外出姿を見かけることが少なくなったが、数年前までは夫婦がそろってパジャマ姿でスーパーに買い物に来ている光景などをよく見かけたものである。

 また須藤氏はお酒が結構好きなようで、それにまつわる話題も多い。私はアルコール類が一切ダメなので、まさにこの本で私の知らない上海の世界を垣間見せてもらった次第である。ゲイ専門店や酒場経営、焼酎バー、酒席での人脈作り、飲酒運転事情など、それぞれに参考になった。

 文中には、須藤氏の友人が犬に噛まれた話もあり、「上海で養狗証を持っている飼い主(つまり飼い犬に狂犬病の予防注射などをしている人)は10万人強。しかし未登録犬はその4〜5倍いる」と書き、狂犬病への警告を発している。

 上海で須藤氏が妊娠、出産された状況なども書き込まれてあり、老境の男性である私は、読みながら「ヘェー」と思うことが多かった。ことに上海では、妊娠した女性が臨月間近の自分の裸体の写真を撮っておきたがるようで、「妊婦写真館」が大繁盛しているという。これには私も本当にびっくりした。


3.「アメリカ、中国、そして日本経済はこうなる」 日下公人・三橋貴明著 WAC刊2010年4月12日発行
  副題 : 「それでも、日米中、三角経済の主役は日本だ!

 三橋氏はまず、アメリカ経済の現状について、「破綻前までの世界同時好況は、アメリカ国民が借金を増やしていたから」と述べ、そして「アメリカは証券化商品という形で借金を輸出し」、つじつまを合わせていたという。なぜかここでは、中国や日本が米国債を買い支え借金の肩代わりをしているということには言及していない。続けて「いまのアメリカ経済を支えているのは、公的資金注入の政府支出だけ」なので、それには当然限界が来ると言い、日下氏がそれを受け、「だから2番底、3番底はあるに決まっている」と主張している。

 次いで両氏は中国経済の分析を行い、三橋氏が、「いま、中国は政府が54兆円規模でお金を出して、公共事業でもっているという状態です。それは90年代の日本と同じです。この先の展望が見えないですよね。それではどうするのかと言えば、たぶん共産党政府は、いまをしのぐことができれば、いずれアメリカが回復するだろうと思っているのだろうと思います。アメリカがまた借金を増やしてくれるだろう」と結論付けている。

 日本経済についての分析を、「日本はいまだに世界一の金持ち国」という見出しを掲げ、三橋氏が「日本の対外資産は全部合計すると約550兆円あります。中国はと言えば、2008年まで277兆円」、だから日本は中国よりはるかに金持ちであると語っている。三橋氏があげるこれらの数字は間違いではないと思うが、私のカンでは、日本の対外資産はモグリのものを含めれば1000兆円を超えるのではないか。また中国の対外資産は、新旧の華僑・華人のものを合計すると天文学的なものになると考える。つまりこのような数字でどちらが金持ちであるかというような検討をしてみても無意味であると思う。その上で三橋氏は、「本当に危ういと思いますね。日本は、資産を持ちすぎているのです。しかも、それを『返さない』と言われたときには、日本には、話し合い以外の解決の方法がないですね。海外に投資されている550兆円のうち、100兆円分が政府の外貨準備です。それは米国債であったり、他の国債だったりします。残りは直接投資が多いんです。日本企業が工場を進出するなどですね」と言い、日下氏が、「国家としては、強い軍隊を持って、対外資産を守るためには軍事力を行使する宣言をしなければ、人は利息も払ってくれないし元金を返してくれない」と主張している。

 この議論はきわめて短絡的なおかつ矛盾している。なぜなら両氏が、対外資産550兆円のうち日本政府のものは100兆円だけで、あとは民間企業のものであるにもかかわらず、日本国家が武装してその民間企業を守らねばならないと言っているからである。我々海外進出企業は、個別企業の利益を追い求めて、個別企業の判断で海外に直接投資をしているのであって、始めからそのリスクを覚悟しており、わざわざ日本軍に守ってもらおうなどとは毛頭考えていない。日下氏や三橋氏には、「それはいらぬお節介だ」と言いたい。もし両氏が本気でこんなことを考えているのならば、海外進出企業のすべてに、「貴企業は日本軍に守ってもらいたいか」というアンケートを取って、しっかりその意思を把握してからにしてもらいたい。ただしそのアンケートには日本が武装した場合、その負担のため、法人税がこれだけ高くなるということを明記しておいて欲しい。

 日下氏は日本の「国内債権は(世代間の)所得移転にすぎない」言い切り、赤字国債など気にせずに、「規制緩和と法人税の軽減と関税自主権の回復と人事院による公務員の特別扱いをやめることと国会議員の半減と農水省や文科省の廃止とそれから宗教法人課税と…」を実施せよと主張している。日下氏のこれらの主張には賛成しがたいが、文中には、「“八ッ場ダム”は中止せずに、さっさと完成したほうがいい。そして水を中国に売ればいい」という提言もあった。これは面白いアイディアである。岐阜県も無用の長物と言われている“徳山ダム”を作り続けているが、この面から検討してみるのも面白いのではないか。

 両氏は第5章で、「日米中、三角関係の主役は日本」と大見得を切っている。まず三橋氏が、「日米中のこれまでの経済関係を簡単に言うと、いままでは日本が中国に資本財を輸出した。それを耐久消費財にして中国はアメリカに輸出する。それでアメリカが貿易赤字になる。そのかわりアメリカは、米国債を日本と中国に輸出して、そのときに払ったドルを取り返すという構造で成り立っていました」と述べ、金融危機以後、その構造が壊れたので、今後の日米中関係はどうなるのだろうかという問いを日下氏に発している。それに対して日下氏は、「アメリカ、中国のこれからは『日本さまさま』になる」言い切っている。三橋氏が再度、「なぜ中国までが『日本さまさま』になるのがわからないのですが」と問い直すと、日下氏は「実際は日本が怒ったら中国経済は一瞬にして潰れるから」と答えているだけで、それについての詳しい説明は一切ない。これでは三橋氏の質問への回答になっていない。私にも日下氏の言い分はまったく理解不能である。つまりこの本を読んでも、日米中の今後の情勢の変化はわからないということである。

4.「習近平の正体」  茅沢勤著  小学館刊  2010年4月10日発行
  副題 : 「2012年秋、『13億人の頂点に立つ男』が誕生する」

 この本で茅沢氏は、「第18回党大会では、現在の党ナンバー1である胡錦濤・総書記(国家主席)に代わって、習近平・国家副主席が選出されるのはほぼ間違いないとみられている」と書き出し、習近平氏についての情報を多面的に描きだしている。私は題名から判断して、一種の暴露本かと思いながら読み進めたが、意外に好意的な本だった。

 習近平氏は一般に太子党派と呼ばれいる。たしかに習近平氏は革命の元勲である習仲勳氏の長男である。しかし習近平氏はその父:習仲勳氏から質素・倹約などを厳しく躾けられたという。また文革時代に、父:習仲勳氏の失脚を間近で見て、「人は変わりやすく、人情など信じられないもの、人間とはなんと薄情なのか」と学び、その上で農村に下放され、厳しい生活を体験している。

 しかも幼少のころ、父:習仲勲氏から、「『自分がどのようにして革命に参加したのか、今後、お前たちがどのようにして革命を引き継いでいかなければならないのか、革命とはいったいどのようなものなのか』などを、耳にタコができるほど聞かされた」という。つまり父:習仲勲や同士である劉志丹の陝北革命根拠地時代の話をいつも聞かされていたということである。その劉志丹の死については、いまだに多くの謎に包まれているし、父:習仲勲氏はそれが原因で文化大革命の犠牲になっている。習近平氏が国家主席になればこの問題が明らかにされ、中国革命と中国共産党、なかんずく毛沢東の再評価、そして文化大革命の思想的清算、天安門事件の解明が行われるに違いない。

 以下に昨年私が陝北革命根拠を現地踏破調査したときの、劉子丹事件の部分の再録をしておく。
 全文は 長征:東路軍の悲劇 を見ていただきたい。


≪長征:東路軍の悲劇≫  2009年6月から抜粋

1.劉志丹の死についての謎

 岡本隆三氏は「長征」の中で、劉志丹について次のように語っている。「英雄劉志丹は中国のロビンフッドと呼ばれるような冒険をし、自らの血を流して陝北根拠地を確立した。この根拠地について国民党の閻錫山は“陝北紅軍は武力を用いないで区域を拡大しうる威力を持っている。まず周辺の3方面をひろげて3村、これを波状的にひろげて9村、ついで27村と、その拡大はきわめて早い。赤化した人民は70余万、ゲリラ20万、紅軍は2万をかぞえる”と蒋介石に報告している。その劉志丹が中央紅軍の陝北根拠地到着までのわずかな期間だったが、牢獄につながれ、獄窓から西北の空の星をながめていた。それはまったく、彼の人生にとって、奇妙というよりほかはないほど、ばかげた結末だった。陝北根拠地は長征の灯台の役割を果たしたが、この灯台守であった西北の赤い星−劉志丹は、まるでその役目が終わるのを待ってでもいたかのように、毛沢東が到着して6か月目の1936年4月、陝北軍を率いて黄河を渡り、抗日戦線へ出撃しようとしたとき、これを阻む国民党軍と戦って死んだ」
 ※筆者が「長征」本文から字句を抜粋し編集。

 この岡本氏の「長征」が発行されたのは40年ほど前であるが、その記述は基本的には正しい。しかし現在では劉志丹についての研究が進み、その死について下記のような疑問が出されている。→印でその疑問を列挙。

@なぜ劉志丹は獄につながれたのか。

毛沢東が陝北根拠地の呉起鎮へ着く直前に、中共北方局の幹部が陝北根拠地に来て、劉志丹以下の幹部を右翼投降主義の誤りを犯しているという名目で捕縛し、投獄した。このとき投獄された幹部の中には現在の国家副主席である習近平の父親の習仲もいた。劉志丹は十分に戦力を保持していた(精兵5000を率いており、戦力はそのとき派遣された紅25軍の3400を上回っていた)にもかかわらず、反抗せずに獄につながれた。この事件では陝北根拠地で200人以上の幹部が拷問のすえ殺害されたといわれている。その後、劉志丹は毛沢東の指示により釈放された。最近の調査では、1935年5月時点での中共北方局の書記は高文華であり、36年4月から劉少奇に替わっており、この時期の北方局の上部責任者が毛沢東であったことが判明している。なお、毛沢東は呉起鎮に入った(1935年9月12日)とき、身近にいた幹部たちに、「指揮は正確ではない」と劉志丹を批判したとされている。

→この投獄および釈放はともに毛沢東の指示で行われたのではないか。つまり陝北根拠地を乗っ取るための自作自演ではなかったのか。

Aなぜ劉志丹は東へ向かって兵を進めたのか。

 公式文献では劉志丹は毛沢東の「北上抗日」という指示で東へ向かったことになっている。そして黄河を渡り汾河まで進軍したところで、閻錫山軍に阻まれ、陝北根拠地に敗走する結果となった。しかし最近の調査では、このとき毛沢東が劉志丹軍に与えた使命は、モンゴル経由でロシアとの連絡通路を切り開くことであったということが言われている。

→これまで遊撃戦を主張してきた毛沢東がなぜこの時点で無謀にも正規戦に出たのか。劉志丹軍を陝北根拠地から追い出すための作戦ではなかったのか。

→瓦窰堡会議で「抗日民族統一戦線」の方針が決定されたのならば、閻錫山軍と統一戦線を結成し、閻錫山軍を抗日戦争に巻き込むことが基本戦略であり、交戦は避け、粘り強く対話と交渉を続けるべきではなかったのか。

→「北上抗日」という戦略ならば、賀竜や林彪などの中央紅軍を派遣するのが本筋ではないか。

→毛沢東の「モンゴルを通じてソ連とのルートを切り開け」という指示はまさに西路軍と同じで、実現不可能な戦略ではなかったのか。

B劉志丹は誰に撃たれたのか。

 1936年4月14日、劉志丹は山西省柳林県三交の地で撃たれて死亡した。公式には、敵のマシンガンの1発が小高い山の上で敵情視察をしていた劉志丹の左胸を撃ち抜いたとされている。なお遺体については、すぐに瓦窰堡に運ばれたが、なぜか劉志丹夫人には見せなかったという。

→当時の状況から推察して、敵にマシンガンで左胸を撃ち抜かれたという説明は不自然である。警護の兵士に撃たれたのではないか。

C劉志丹とその関係者はなぜ文化大革命で批判されたのか。

 劉志丹の弟の妻は夫の死から20年後に、大量の資料やまだ生存していた当時の関係者から事情を聴取して、「劉志丹」を書いた。それは1962年に「工人日報」などに掲載され、やがて単行本になる予定だった。ところが文化大革命の初期に康生は、この本が毛沢東思想の剽窃であり、習仲らの売名行為であると断定し批判した。毛沢東も康生を支持し、「小説を利用して反党行為を犯すとは一大発明である」と強く批判した。その結果、習仲や劉志丹の弟の劉景範をはじめとする陝北根拠地の勇士たちは迫害され、その多くが死亡した。長編小説「劉志丹」は毛沢東を批判したものではなかったが、陝北根拠地を築いた劉志丹を輝かしく描いており、毛沢東がその成果をやすやすと享受したようにも読み取れたため、毛沢東が激怒したとされている。志丹県にあった劉志丹の陵墓は紅衛兵によって徹底的に破壊された。現在、この長編小説「劉志丹」は書店にはなく、図書館などで探してしか読むことができない。1990年代になってやっと、白黎が「劉志丹伝」を書き、張俊彪が「劉志丹」を著し、軍事科学院が「劉志丹記念文集」を出版するなど、劉志丹の死の謎に迫る研究が行われはじめた。

→長編小説「劉志丹伝」が劉志丹の死の真相を描き出していたので、毛沢東がそれをもみ消すために文化大革命の批判の対象にしたのではないか。

 このように整理してみると、毛沢東がまことにうまく陝北根拠地を奪取したことがはっきりわかる。陝北根拠地の人民大衆からロビンフッドと慕われていた英雄:劉志丹を、人民大衆の反感を買うことなく上手に排除し、しかも盛大な追悼大会を行うことによって、劉志丹への人民大衆の思慕を毛沢東自身への尊崇の念に変えてしまったのである。見事なまでの演出だと言ってよいであろう。もちろんこれらは憶測にしかすぎないので反論は可能である。けれどもその憶測を否定する材料もない。

 考えてみれば、長征前夜、井岡山で毛沢東は王佐や袁文才を追い出してそこを乗っ取った。この両者は多くの書物では土匪と書かれているが、最近の調査ではともに共産党員だったといわれている。長征とは、毛沢東の根拠地争奪戦であったとも言えるのではないだろうか。劉志丹の死の真相については、習近平副主席が父親の習仲から必ず聞いているに違いない。数年先に彼が中国の最高指導者になったとき、歴史の大どんでん返しがあるかもしれない。