読後雑感 : 2011年 第6回 & 第7回
読後雑感 : 2011年 第7回 |
22.MAR.11 |
1.「中国の新しい対外政策」
2.「構造転換期の中国経済」 3.「パンダ外交」 4.「中国 この腹立たしい隣人」 5.「中国にこれだけのカントリー・リスク」 6.「中国ビジネスは俺にまかせろ」 7.「世界で稼ぐ人 中国に使われる人 日本でくすぶる人」 1.「中国の新しい対外政策」 リンダ・ヤーコブソン、ディーン・ノックス著 岡部達味監修 辻康吾訳
岩波書店 3月16日 副題 : 「誰がどのように決定しているのか」 帯の言葉 : 「中国外交を最高レベルで分析した画期的な文献」 この小冊子は素晴らしい。ぜひ多くの人に読んでもらいたい。この本は国際的に高い評価を受けているストックホルム国際平和研究所のレポートを訳出したものである。本文中では結論部分だけを叙述するという形式が取られているが、それぞれの項を例証したり、参考資料を付け加えれば、大著になる書物である。 従来から私も、ケ小平没後の中国政権には、カリスマ性を備えた独裁者が不在で、政策決定は一種の集団合議制(集団無責任体制)になっているのではないかと思っていた。この本では、それを次のようにはっきりと語っている。 「今日の中国においては、国内の多様な声が不協和音となって政策決定者に多様な目的を追求するように迫っている。中国社会の中国社会の多元化の進行と、国際システムとのより深まる相互依存関係は、党の指導者に対して巨大な圧力となっている。党は権力の地位にとどまるために必要な社会秩序の維持と経済成長を継続するために多くの利益集団に依存している。その結果、指導者は多様な、しばしば競合する諸課題を調和させなければならない。この難問は中国の経済的発展の必要から過去30年進行してきた権力の分散化によって一層複雑なものとなっている。そこから党の代表として政策の決定を行う党中央政治局内部での合意形成が党の団結と政治的安定を確保する上で至上の命令となっている」 「党幹部、政府官僚、軍幹部、知識人、研究者、メディア代表、そして企業研究者は相互に、そして世論に影響を与えようと努めている。彼らは中国の対外政策の方向についてロビー活動を展開し、ブログに記入し、テレビ討論会に参加する。企業家と軍幹部がこうした言論活動に参加するのも10年前にはなかった現象である。こうした多方向性をもつ影響力の存在を意識することが中国における複雑な対外政策の形成を考える上で極めて重要である。もはや中国の政策決定が単一の勢力によるものと考えることは不可能である」。 私はわが意を得たりという気持ちである。
なおこの本では、対外政策の決定における公的関与者を、中国共産党(政治局および政治局常務委員会、党外事指導小組と他の中央委員会機関)、国務院(外交部、他の政府機関)、人民解放軍に分けて分析している。そして「中国指導部が海洋安全保障の重要性を次第に認識するのにともない解放軍の中で海軍の重要性が高まっている」と書き、さらに「中国の対外政策に関係する軍事事項における指揮系統についてはほとんど知られていないため、これらの事件が個別の偶発的事件か、それとも解放軍海軍が“核心的利益”と認識したものを政治指導部に同意することを押しつけようという意図的なキャンペーンを行っているのか不明である」と述べ、尖閣諸島問題などについても、「日本および東・南シナ海における紛争の解決に利害を持つすべての国々にとって、人民解放軍、中国漁政局、中国海洋石油などの中国内部の関与者から来る影響についてさらに理解することが至上命令となっている。中国に対応して事態を把握した上で決定を下すために準備を備えるには、2010年に中国と日本の間で展開された事態のような特定の問題についてもさらなる詳細な研究が必要とされている」と冷静にかつ率直に書いている。 次いで、周辺の関与者として、実業界(国有大企業、金融機関、エネルギー関係企業、その他の企業)、地方政府、研究機関と学術界(政治局の集団学習会、高次の政策提言、情報の収集と共有、メディアトネチズン)を上げ、「ことにメディアやインターネットで発表される過激な民族主義的な意見、とくに日本と米国に関連する主要なニュースや問題に関連する場合、当局の行動の自由を制約する」、「新たな対外政策への関与者としてはネチズンがもっとも活発である。彼らの民族主義的高まりや、指導者が国際関係法上で必然的な要請に従うことへの非難はネット上で絶えることはない」と書いている。 「対外政策においては北朝鮮問題が中国の上級幹部の間でもっとも意見が割れる問題だと言われている」という記述には、注目しておく必要がある。近い将来、中国の北朝鮮政策が劇的に変わる可能性があるからである。 「ここ数年来中国の幹部たちは、中国がその手を地球の隅々まで急速に広げるにともない、学習量が急速に増大する事態に直面していると公然と語るようになった。国務院の多くの部では、中国企業の積極的な国際活動の拡大がもたらすさまざまな問題に対応する専門知識が不足している。その結果、政策の決定に際して中国の最高指導者たちは研究者、有力知識人、上級のメディア代表と相談することになる」と書いているが、その相談相手のほとんどは米国で勉強して帰った人たちである。したがって当然のことながら、今後、中国は米国と同じ誤った道に進むことになると私は考えている。たとえばアメリカ帰りの経済ブレーンの意見に従い、中国政府は豊富な外貨準備高を背景に、企業の海外進出を積極的に勧めている。しかし外貨準備というものは、本来、貿易決済のための準備金である。それをジャブジャブと使ってしまえば、実際に貿易決済のため外貨が必要になったときに、手持ちがなく、国家デフォルトに陥る可能性がある。これは1998年のアジア通貨危機のときの韓国の再現となる。中国政府の「走出去」政策は、豊臣秀吉の朝鮮の役を思い出させる。 この本は対外関係についての中国政府の対応について述べているのだが、この傾向は全政策への対応に拡大適用できるものと考える。 2.「構造転換期の中国経済」 佐々木信彰編著 世界思想社刊 2010年12月20日発行
帯の言葉 : 「経済大国から経済強国へ 2008年のリーマン・ショックからV字型回復を成し遂げた中国。 量から質へと構造転換を図る中国経済のアクチュアルな姿を産業分野から分析ずる」 この本は、「中国が経済大国」であるという前提に立って、構造転換を通じて「中国が経済強国」に移行しようとしていることを各産業分野の分析を通して論証しようというものである。しかしながら、現在の借金大国の中国を「経済大国」であると認識すること自体が大きな誤りである。また構造転換には、中国人民自身の大きな意識転換が必要であり、中国人民が「中国は小国であり、借金大国である」ということを自覚しなければその実行は不可能である。 第8章の滕氏の環境産業についての小論では、「日本は、経済成長を遂げる中で深刻な公害問題を経験し、その克服の過程で多くのノウハウを得てきた。特に1973年の第1次石油ショック危機後、省エネの技術を蓄積し、省エネ・環境技術の輸出国である。廃棄物の増大や不法投棄などの社会問題に対応して、循環型社会構築に向けて取り組んできた。また近年、資源高の背景の下に、省エネ・再生エネルギーの開発などの分野でも世界のトップレベルになっている」と述べ、日本人民自身が公害問題やオイルショック、資源高などを悪戦苦闘しながら自力でそれを突破し、見事に構造転換を成し遂げたことを高く評価している。 構造転換は中国政府が中国人民に耐乏生活を強いることによってしかでき得ないことでもある。しかし中国政府は構造転換をこれまた借金や外国からの技術導入で行おうとしており、中国人民に痛みを味わわせること無しで、つまり現在の延長線上で構造転換を成し遂げようとしている。そんな虫のよい中国が「経済強国」にのし上がろうとすることは不可能である。 冒頭の佐々木氏の小論は、2008年9月のリーマン・ショックを構造転換の起点として捉え、「リーマン・ショックが発生する直前の2008年上半期の経済政策は、経済過熱の抑制とインフレの抑制の二つの抑制(防止)を目的とした穏健的な財政政策と金融引き締めの政策を採っていた。7月には経済の安定的で比較的早い発展の維持とインフレの抑制へと政策を転換させていたが、9月には成長率の維持へと政策を全面転換した」と、書いている。これは事実に反している。中国政府は2008年6月以降、大胆に金融緩和に踏み切ったし、各種の経済浮揚政策を打ち出しているからである。 2007年12月の新労働契約法施行と超金融引き締めによって、翌年6月までに、中国沿岸部から一斉に労働集約型産業が逃げ出した。また労働者の権利意識が一斉に高揚した。その結果、中国経済は8月の北京五輪前に、危機に瀕しており、北京五輪の開催を前に中国政府は景気浮揚のため、明らかに無責任バラマキ経済に方針転換したのである。そのようなときに、偶然にリーマン・ショックが襲来したため、一気に財政規律のタガがはずれ、やけくそ4兆元の財政出動となったわけである。中国政府内部においてこの4兆元の財源論争は行われておらず、私はこれまたすべて国債・地方債・土地売却・外資導入などの借金で賄ったと見ている。したがって現在の中国は、「経済大国」というより「借金大国」である。これらの事態を中国経済のV字型回復などともてはやすのは、大きな誤りである。やがて住宅バブルが崩壊すれば、外資や投機資金は一斉に中国から逃げ出す。そのとき中国が誇る外貨準備高は一瞬にして底をつく。1998年の東南アジア通貨危機のときの韓国の再現である。そのとき借金大国中国は、国家デフォルトに陥る。 上記のような中国認識に立たなければ、中国の現状のマイナス面をえぐり出すことはできない。この本では佐々木氏の問題提起を受け、多くの論者の各論がそれぞれにかなり高い水準で展開されている。しかしいずれも中国経済の否定的実態への言及が欠如しているので、その点を下記に指摘しておく。 第1章の厳氏の農業と農産物貿易の分析は、おおむね正しい。ただし都市と農村の所得格差については、出稼ぎ農民工からの仕送りがどこにカウントされているかという問題をはじめ、疑問点がある。 第2章の辻氏の繊維産業の分析は、基本的には誤りはないが、結論部分での「いまやアパレル産業が発展するための3大要素“作る人”“売る人”“買う人”が揃った」という主張には同意できない。なぜなら繊維産業では“作る人”は人手不足から崩壊の危機に瀕しており、日々、業界では品質の劣化に苦しんでいるからである。 第3章の貴田氏の家電・IT産業、第4章の孫氏の自動車産業の分析も共に秀逸ではあるが、人手不足や中国人の属性、80・90后わがまま世代の性向などの結果として生起している、品質の劣化傾向とそれが及ぼす深刻な影響の分析が欠如している。 第5章の黄氏の商業・流通の分析では、近年めざましい発展を遂げているネット販売についてや、巨大企業アムウェイなどの非正規流通企業についての言及がまったく欠如している。また政府のやけくそ4兆元の出動がなかった場合や住宅バブル崩壊後の市場の動向についての分析や予測が欲しかった。 第6章の竹内氏の金融―銀行、証券、保険の分析では、莫大な規模のインフォーマル金融についてはまったく言及されていないし、企業の上場についても、いまだにほとんどが政治主導型であることの指摘が欠如している。 第7章の中岡氏の住宅・不動産についての分析からは学ぶべきものも多いが、中岡氏は「高い経済成長率を維持するための景気対策として銀行による貸し出しは継続しており、住宅・不動産市場にとっては健全でない状態が今後も続きそうである」、「景気対策実施の過程で行われた金融緩和は、住宅・不動産部門への投資の膨張を招いたが、住宅・不動産業は景気を下支えする役割を担うようになった。この経験より、住宅・不動産業は中国経済において景気対策の手段として今後も活用されることになると予想される」と述べ、住宅バブルを是認するような発言をしている。すでに都市部のマンション価格は、中国人民の平均年収の30〜50倍になっており、とうてい手の届かない価格になっている。この異常な事態は、景気対策の範囲を超えており、いずれか中国経済を奈落の底へと突き落とすにちがいない。中岡氏の小論にこの点についての言及は皆無である。 第8章の滕氏の環境産業についての小論では、「この日本の環境技術を中国環境ビジネスに積極的に取り入れよう」と述べている。この思想は、改革開放後の他力依存型の延長で、自力更生型ではない。環境産業はあまり儲からないビジネスであり、これにより目覚ましい経済成長が望めるものではない。したがって現在までの改革開放・他力依存型で拝金主義にどっぷり浸かってきた中国で、真に環境産業を定着させることは難しい。中国人民は大きな思想転換を行い、自力更生型の道を選ぶ必要がある。その視点からの滕氏の言及はない。 3.「パンダ外交」 家永真幸著 メディアファクトリー新書 2月28日
副題 : 「中国はパンダという“資源”をどう活用し、国際社会を渡ってきたか?」 帯の言葉 : 「なぜ今、上野にパンダが来るのか? 中国の見え方が変わる本」 東京都:上野動物園が年間95万ドルのレンタル料を払って、中国から10年間借りるつがいのパンダは、3月22日から無事一般公開の予定になっている。(編集者注:震災で延期)愛称も一般公募で、雄がリーリー、雌がシンシンと決まった。この時期に、タイムリーな題名の本が出た。家永氏は、今回のパンダレンタルの中国の狙いについて、日本の対中感情を和らげることと、レンタル料収入を得ることの2点を上げている。なおその前提として、「日本の欲望」、つまり―パンダを見たい人々、客を集めたい動物園、繁殖研究を進めたい動物学者、大衆の支持を失いたくない都知事、外交上の成果をアピールしたい総理大臣―日本社会のこれらの人々の様々な人々の思惑があり、それを中国政府はうまく利用し、中国の国益のためにパンダを送り出すのだという。これは的を射た発言である。 家永氏によれば、パンダは1984年からワシントン条約の「絶滅のおそれのある種」に指定され、国際取引が厳しく規制されるようになったため、中国はパンダの贈呈を禁止するようになった。当然、パンダ外交も下火となった。しかしパンダを入手したい世界各国とパンダを活用したい中国の思惑が一致し、上手な抜け道が作り出された。「お金を払って共同研究の目的で長期間借り出す」という方法である。これで中国はパンダを外交手段として使いながら、同時に安定的に外貨収入を得るという一石二鳥の方法を手に入れたという。
また家永氏は、パンダを最初に外交の表舞台に引っ張り出したのは、国民党の蒋介石総統であるという。 4.「中国 この腹立たしい隣人」 辛坊治郎・孔健著 実業之日本社 3月8日
帯の言葉 : 「巨大な狼少年か、世界の覇者か。この国とまともにつきあえるのか」 辛坊氏はこの本の冒頭で、「中国との関係を絶って日本が生きてゆくことなど今や絶対に不可能だ」と言い、その例として、「中国製品を一切使わずに生活してみようと思い立ちそれを行ったが、我が家の貧しい整理ダンスの中身をどう組み合わせてみても、中国製品を抜きにすると着ていくものが一式そろわず、一歩も外に出ることがせきなくなって、1日であきらめた」と書いているが、これはかなり時代遅れの認識である。すでに日本市場のザラやH&Mでは、中国製品は3割を切っている。したがって中国製品抜きで、一式を揃えることは簡単なことである。おそらくこの数年で、100円ショップなどの製品も大半が中国製品以外で占められることになるであろう。今、大量の労働集約型産業が中国を去り、他国に拠点を移しているのである。この実態をまったくご存知ない辛坊氏に、中国を語ることはできない。 この本は、辛坊氏の質問に孔健氏が答えるという形式を取っている。辛坊氏の質問が、単純だが意地悪いのに比べて、それに孔健氏は真剣に答えている。たとえば尖閣諸島問題でも、「当然、中国の漁船からすれば“止まれ”と言われて追いかけ回されて、止まるようなことはしない。全力で逃げようとした。そのなかでたまたま衝突してしまったというのが、本当のところではないか」とあの事件を推測している。私もおそらくこの辺りが真相ではないかと思っている。また「武器ではなくあくまでも話合いで問題を解決していくことが大事だ。どういう理由であれ、私は戦争には大反対である」と書いている。この孔健氏の見解には、私も全面的に同意する。また中国の格差が拡大しているという質問に対して、「所得格差の問を解決するにはまだ相当の時間を必要とするが、少なくとも貧困問題は解決に向かっている」と書いている。 辛坊氏はこの本で、「私自身は、地方から安価な労働力の供給が続く限りそんなに簡単に、(中国経済が)破局を迎えることはないと思う」と語り、昨今の中国を襲っている人手不足の嵐について、その無知ぶりを披露している。また「2008年のチベット暴動では、少ないながらも現地の映像が世界に伝えられ、その映像が持つ力が世界を動かした」と書いているが、その映像そのものがきわめて偏ったものであり、真実を報道していなかったことは、今や周知の事実である。辛坊氏は報道関係者として、もっと真摯に事態を見る目を養うべきである。 孔健氏は、孔子の直系子孫であるだけに孔子への思い入れが強く、天安門広場横に巨大な孔子像がお目見えしたことを喜び、「これからの中国は、“左手に孔子、右手に毛沢東”の時代となる」と書いている。私は孔子が復活することは、超高齢化社会の前に立つ中国にとっては、逆効果をもたらすと考えている。このことについては後日、論証する予定である。 5.「中国にこれだけのカントリー・リスク」 邱永漢著 グラフ社 3月5日
帯の言葉 : 「と同時にこれだけのビジネスチャンスも。どちらも見逃すな、こわがるな。好奇心の鬼になれ」 この本はかつて「株の神様」と呼ばれた邱永漢氏が、08年12月25日から09年4月8日にかけて、彼のHPで連載したコラムの再録である。したがって現在時点とはかなり時差があるので、注意して読んだ方がよい。反面、邱氏の予測の正否を判断するには絶好の本である。 邱氏はこの本で率直に、「アジア金融不安のとき、私はお金を借りて事業をやることにとても不安を感じるようになりました。…私は国内では無理な借金は一切しなかったので、辛うじて土俵に片足が残りましたが、海外に進出するヤオハンと組んだばかりに、83億円も損を抱え込んでしまいました。百貨店のために建てた不動産が値下がりして借金の返済に10年以上も苦しまされたのです」と書いている。さらにいろいろな理由から邱氏が「(中国で)ひらいた店を片っぱしから閉店」せざるを得ない状況に追い込まれ、「中国を知らない人が日本からのこのこやってきて商売をやったらどんな目にあわされるか、私たちのような自分のビルまで持っていてひととおりのことはわかっているつもりでも、さんざんな目にあわされるのですから、中国で商売をやるのがいかに難しいか、改めて思い知らされたのです」と白状し、しかも顔見知り男や元従業員に騙されたエピソードまで紹介している。巻末の解説で戸田敦也氏はこれらの事情が、この本のタイトルになったと書いている。 それでもこの本の中身の大半はタイトルには反して、中国に積極的にビジネスに出かけることを勧めている。これについても戸田氏が巻末で、「リスクをおかし、リスクを克服した人が大をなす」と解説している。そのような視点からこの本を読めば、随所にビジネスのタネをみつけることができる。 邱氏は中国の暴動について、「日本では中国で暴動が多発しているから、共産党の天下はもうそう長くはないのではないかと見方が有力です。でも昨今起こっている暴動の対象は、ほとんどが地方政府の官僚や警察の理不尽な行政措置に対する不満に端を発しています。昔はなかったことが次から次へと起こっているのは、昔は暴動を起こすと、暴動を起こした者は1人残らず皆殺しにあったのに対して、いまは運の悪い奴が殺されるだけで、地方官僚の横暴や悪事を中央政府に訴えることができます。つまり中国が民主化の方向に向かっているという何よりの証拠で、賢明な方法とは言えませんが、政治の改革に大きく役立っているのは事実です」と書いている。私はこれも暴動の一面を突いている見解だと考える。 邱氏は、「神戸牛や松阪牛も当分は競争相手は出現しないだろうと思っていましたが、大連から高速道路を1時間ほど走った田舎で、日本の黒牛を地元の牛にかけ合わせて、日本に負けない上質の霜降り肉に育て上げる牧場を発見して、とても驚きました。6年前にスタートして既に1万頭ほどの黒牛を育て上げています」と書いている。 私はこの事実をまったく知らかったので、できるだけ早い機会にここに訪れてみたいと思っている。この文章が書かれたのは2年ほど前のことだから、今では10万頭を越す大牧場になっているかもしれない。あるいは韓国や北朝鮮の口蹄疫騒動に巻き込まれて苦しんでいるかもしれない。 6.「中国ビジネスは俺にまかせろ」 山田清機著 朝日新聞出版 2月28日
副題 : 「上海の鉄人28号 古林恒雄」 帯の言葉 : 「文化大革命末期、カネボウ社員として中国に渡り30余年、数千に及ぶ中国進出プロジェクト を手がけた男彼の骨太で潔い生きざまは中国事業の成功法則そのものだ」 この本の主人公の古林氏には私も少し面識がある。本文中で、「古林恒雄、68歳。日中間ビジネス、特に、上海を中心とした華東地域で中国ビジネスに携わっている日本人ビジネスマンで、この名前を知らなければモグリと言われる存在である」と紹介されているが、まさにその通りである。たしかに「中国ビジネス」ならば、古林氏にアドバイスを受ければ、成功間違いなしである。現に私の義兄の会社も、古林氏のコンサルティングを受け江蘇省張家港市に問題なく進出した。古林氏は正真正銘の中国通である。古林氏は今までにも、幾多のマスコミで取り上げられてきたが、今回、やっと単行本として登場したわけである。この古林氏に比べれば、私などは、まだ駆け出しのチャイナウォッチャーである。この本では、その古林氏の苦労話や人生哲学が披露されている。 著者は、「古林氏には,中国ビジネスの原点は合弁企業、という思いが強い。決して独資企業を否定しているわけではないが、中国人とは話ができないという理由で独資を選択する日本企業が増えていることに、強い危機感を持っている」、「要するに独資は経営者が好き勝手をできる形態ではあるが、常に労働争議の危険をはらみ、本当の意味で中国社会に定着できない危険性がある。そう、古林は警告している」と書いている。私も同感である。 古林氏の率いる華鐘コンサルタントは、中国の希望プロジェクトに義捐金を送り続けており、すでに6校の華鐘希望小学校を建設しているという。さらに古林氏は清貧の思想に徹した生活を続けられ、金儲けとは無縁の人生を歩んでおられるという。まさに頭が下がる思いである。 7.「世界で稼ぐ人 中国に使われる人 日本でくすぶる人」 キャメル・ヤマモト著 幻冬舎 2月25日
帯の言葉 : 「あなたも人材仕分けされる! もう目の前に来ている給料が中国人より安くなる時代」 この本は、特別に中国に対象をしぼって書かれたものではない。単純に、中国の台頭を前提にして、若者にこれからの国際化時代の生き方を指南しているだけである。したがって中国関連本ではないので、あえて読む必要はない。 ヤマモト氏は本文中で、日本の若者の内向き思考を嘆き、とにかく海外に出ろと叱咤激励している。ことに楽天、ユニクロ、日産などの例をあげて、国内にいても社内では英語が常用語になる時代であるから、ぜったいに英語をマスターせよと言う。そして第2章の全部を使って、英語をモノにするノウハウを披露している。これを読んでいると、なにやら彼の言う通りやれば、英語力が身につくような気がしてくる。 またヤマモト氏は、日本人のリーダーシップ力不足についても言及し、リーダーシップの基本要素は、「構想力」、「構造力」、「行動(口動)力」の3つであると書いている。私はリーダーシップの基本は、「孤独をこよなく愛する力」だと考えているので、ヤマモト氏の提言にはかなり違和感がある。ヤマモト氏は第5章で人生には節目が必要だと説き、「5年5場所」説を展開している。この説には私も同意する。 いずれにせよこの本でヤマモト氏は、日本人の性格が国際化時代には不向きであると書き連ねているが、このようにぼろくそに否定されると、私はどうしても「内向き日本人礼賛論」・「日本人復活論」を書きたくなってしまう。 |
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読後雑感 : 2011年 第6回 |
03.MAR.11 |
1.「中国を知る 第2版」
2.「中国人とはいかに思考し、どう動く人たちか。」 3.「知りたくなくても知っておかなきゃならない 中国人のルール」 4.「中国エネルギー事情」 5.「中国進出 最強のプロフェッショナル50人」 1.「中国を知る 第2版」 遊川和郎著 日本経済新聞社 1月25日
副題 : 「巨大経済の読み解き方」 帯の言葉 :「仕事に役立つ隣国の本音と素顔、最新情報まで詳しくカバー」 遊川氏のこの本は、常識として「中国を知る」には、手頃である。しかし過去に遊川氏は、「強欲社会主義」などの意欲作を世に問うており、それから比べると、この本は物足りない。たとえば遊川氏は「次の10年で起きる変化」という項で、中国の今後を予測し次のように書いているが、いかにも歯切れが悪く、こんなことなら誰にでも書けるような文言である。「イデオロギーで統治しようとしても不可能な彼らが社会の主流となった時、中国社会はこれまでとは異なる価値観や力学で動くのではないでしょうか。もっと余裕のある統治手法に自然と変わるかもしれませんし、試行錯誤が続き、その過程で様々な摩擦が生じるかもしれません」。 すべからくチャイナウォッチャーは大胆な仮説を立て、思い切った主張を繰り出すべきである。政治家や経営者は、それを読み、それに基づいて戦略・戦術を立て行動を起こしていくのである。毒にも薬にもならないような未来予測は不要である。もちろんそれが当たらないこともあるだろう。しかし政治家や経営者がどのチャイナウォッチャーの仮説を採用するかは、彼らの自己責任である。彼らは世の中のすべてが、ハイリスク・ハイリターンであることを熟知している。だから仮説の主張者に責任を取れなどとは言わない。彼らにとっては、むしろ仮説が一色に染まってしまい、多様性がなく、選択肢が少ないことの方が危険である。その意味で、現在、チャイナウォッチャーたちの中国認識が、「中国は超大国」あるいは「中国は強国」という論調で一致してしまっていることは、残念なことである。遊川氏も本文中で、中国を「世界経済の主役に躍り出た中国」と捉え、「中国超大国」論に与し、その論を展開している。ぜひ遊川氏には、次回作で、「早くも主役の座から滑り落ちた中国」というような論を書いてもらいたいものである。 私は2003年に「中国は人手不足である」、2005年に「中国は世界の市場」、2007年に「中国では不動産バブルは起きていない」などの小論を発表してきた。当初、それらは多くのチャイナウォッチャーなどから、笑われたものだった。しかし今日、それらの予測は見事に当たった。もちろん「チャイナ+1は不要」という小論を書いたが、これは見事に外れた。現在、私は「中国は超大国」論に対抗し、「中国は砂上の楼閣」論を展開している。 2.「中国人とはいかに思考し、どう動く人たちか。」 中島一著 夢の設計社 2月5日
副題 : 「彼らが振り回す“独特な常識”を知りなさい!」 帯の言葉 : 「この“難儀な隣人”とつき合わざるを得ない時代の日本人、必読の考察本!」 本文中で中島氏は、中国人を“難儀な隣人”などとは書いてはおらず、むしろ肯定的に評価している。題名や副題そして帯の言葉から受ける印象と、実際の中身とはかなり違う。ことに第6章は中国の通史を、第7章は儒教を、第8章は客家思想を書いており、細部には異論もあるがそれぞれに面白くまとめている。私ならばこの本の題名を、「歴史が醸成した現代中国人の思想」と付ける。ただし中島氏は、儒教を持ち上げ、客家にこだわるあまり、孔子嫌いの毛沢東を否定的に捉え、客家のケ小平を賛美している。これは少し行き過ぎではないかと思う。やはり毛沢東が中国革命において果たした役割はきわめて大きく、他の人物でそれを代替することはできないと、私は考える。 中島氏は儒教について、「儒教は宗教思想ではなく、現実の世界に焦点を置いて、皇帝から臣民にいたる各階層の人々の処世秩序のあり方や理想的な生き方を明らかにしようとした学問です」、「キリスト教では、地上で人間に尽くすだけでは、天にもどれない。神への罪の償いとして、信仰心をしめさなければなりませんが、儒教では人間世界での人間に対する忠義と礼儀を尽くせば、天にもどることが自ずとできるのです」、「この世での死は、この世の過渡的な出来事であり、天がまた受け入れてくれるのです。中国人の楽天的な強さは、このような天人合一の思想から生まれてきていると考えます」と解説している。 中島氏は客家について、「異民族による侵略と殺傷略奪、生活のための刻苦耐労の連続は、儒教精神を心に持ちながらも、自由を熱望し、圧迫に反攻し、敵の攻撃を退けるための強靱な個人と、強固な組織集団の構築を促したのです。同時に、礼や義にくわえて、現実的に勝ち抜ける力の養成が必要なことを認識しました。教養を越えて、実利を獲得できる学問、教育、学習の必要性を強く認識し、いかなる苦労があっても、子孫の勉学の機会の最大化を最優先し、学舎を儲けて、客家の一族なら誰でも無料で学校に行ける機会を設けたのです」と書いている。 中島氏は、「中国人は、ほとんど愛国精神を持たない。国のために命をかけるなどとは、思いもしない人が大多数である」と人民を切って捨て、同時に「適切な統制が可能な一党独裁制が賢明な判断をすれば、人類史上まだなかった新しい仕組みがつくりやすいかもしれません」、「この難題を解く方程式を、近く政権を握る習近平に、世界の人は期待しているのです」と書き、中国政府に淡い期待をかけている。 3.「知りたくなくても知っておかなきゃならない 中国人のルール」 水野真澄著
明日香出版社 2月13日 帯の言葉 : 「好き嫌いは言っていられない隣人・中国」 水野氏のこの本は、中国ビジネスへのハウツーものとしては、そつなく出来上がっており、大きな誤りはない。ただし人間一般の本性の深みまで見通した上で書かれた本ではない。それは48歳の若さの水野氏が書いた本だけに、無い物ねだりと言うべきかもしれない。やはりこの年代の人たちは、マルクス主義を学ぶ機会がなく、したがって「金儲けが悪であり、資本家は労働者を搾取する悪人」であるという認識がない。ましてや中国へ企業進出するということは、「他国の労働者にまで手を出して収奪する」ことに他ならない。水野氏には、「自分が悪人である」という自己認識がない。もちろん私は水野氏を悪人であると批判するつもりではない。人間一般は、資本家であろうと労働者であろうと、日本人であろうと中国人であろうと、性悪な部分と性善な部分を併せ持つ二重人格者であるという認識を持たねばならぬと言っているのである。その観点から、日本人の自分は悪人であるという認識の上で、中国人論を展開しなければ、中国人の深層心理に迫ることはできない。 たとえば水野氏は、「通訳を上手に使おう」、「通訳だけを特別扱いしない」という文章を書いている。この内容には間違いはない。しかしながら水野氏は「上手に使う」という表現の中に、すでに通訳を見下したような思想が混入していることに気が付いていない。私ならば、「通訳は自分の分身である」、「通訳の人生の最後まで面倒をみる覚悟が必要」と書く。私は中国だけでなく、世界の10か国以上で経営者としてビジネスを展開してきた。そのすべての国で、私を助けてくれたのは通訳であり、それらの国から撤退した現在でも、私は通訳たちのその後の人生に目配りをしている。 そんな私だが、上には上があるもので、高田拓氏が「今、あなたが中国行きを命じられたら」(ビーケーシー刊 2010年8月2日発行)の中の文章に出会ったときは、脳天を殴られたようなショックを受けた。昨年の読後雑感第19回で紹介しておいたが、あえてそれを下記に再録しておく。水野氏のものと読み比べてもらいたい。 さらに高田氏は、「(通訳には)さらに宴会となると別の苦難が待っている。私が話し、彼が通訳し、相手が話し、彼が通訳する。要するに彼はほとんど食事をする時間がない。まして、飲酒を禁じられている。腹は減るし夜は遅いし肉体的にもたいへんなのだ。宴席が終わったあと、私はいつも通訳を誘って夕食をもう一度した。“ご苦労様”、このような気配りのできない日本人は通訳者を使いこなせないし、仕事も満足にできないのである」と書いている。 私は通訳者に一度もこのような配慮をしたことがなく、このくだりを読んでいて、大いに反省させられた。 また水野氏は「中国のことだから中国人に聞くべきだ、という思い込みは持たず、冷静に聞き出した情報を吟味すべきだ」と書いているが、私は一歩進めて、「中国のことは中国人自身でもわからない。それは日本人が日本のことをわからないのと同様である」と言いたい。私は2003年から「中国は人手不足である」と言い続けてきたが、最近になるまで当の中国人たちも信じなかった。やっと人手不足現象が全中国で深刻になり、テレビなどでも取り上げられ、論争が繰り広げられるようになってきたが、いずれもその真因を突き止めてはいない。いまだに社会科学院は失業者が問題であるというようなばかげた統計値を発表している。現代社会を生き抜くには、自ら鋭い嗅覚を研ぎ澄まし、常識を疑い、独自の判断を下し、そのもとで行動するような異端の思想が必要なのである。 4.「中国エネルギー事情」 郭四志著 岩波新書 1月20日
帯の言葉:「驚異的な成長をいつまで支えられるか? 深刻化する石油不足、石炭依存による環境汚染と、政府の戦略」 郭四志氏のこの本は、中国のエネルギー事情を詳細に検討しており、この面での中国政府の苦悩がはっきり読み取れる好著である。資料的な部分が多く、他の中国関連本のように、さらっとは読めないが、ぜひ多くの人の目に触れて欲しい1冊である。 郭四志氏は、「中国が莫大な資本力・外貨準備高を盾に内外開発の投資や貿易・直接投資・M&Aを通じて、必要なエネルギーを一時的に入手したとしても、グローバルな視点から見て、世界人類に必要なエネルギー、化石燃料が次第に減少し、世界のエネルギー資源の希少価値が上昇するなか、その需給の逼迫は加速する。長期的に見て、伝統的な手段による供給確保では、根本的に地球エネルギー資源の希少・逼迫問題を解決することにつながらない。また、化石エネルギーの消費は、温室効果ガスを拡大し、地球規模の環境問題の深刻化をもたらす。むしろ、エネルギー消費諸国、とくに中国のような消費大国は、省エネ・新エネ(非化石燃料の開発・導入)への取り組みを含めて、これまで高度成長を支えたエネルギー・資源多消費・重厚長大の産業・工業構造や、経済成長方式を調整・転換することを目指すべきである」と主張している。私はまさに至言であると思う。 ただし郭四志氏は、中国政府が@上記のような政策がやがて失敗することや、A政策の大転換ができない理由、あるいはBこのままのエネルギー政策を続けた場合の危険性については言及していないので、下記に私の見解を述べておく。 @郭四志氏は本文中でなんども、論証無しに「中国が莫大な資本力・外貨準備高を盾に」という文言を繰り返し使っているが、その認識は根本的に誤っている。中国は一皮剥けば、現状ですでに借金大国であり、資本力もないし外貨準備はもともと他人の金を盗用しているだけである。「中国が莫大な資本力・外貨準備高を盾に」を前提にした議論は無意味である。数年以内に訪れる住宅バブル崩壊と同時に、その化けの皮は見事にはがれるし、その結果、豊富な資金にものを言わせた中国の結果は、雲散霧消する。 A郭四志氏は、「これまで高度成長を支えたエネルギー・資源多消費・重厚長大の産業・工業構造や、経済成長方式を調整・転換することを目指すべきである」と主張しているが、中国政府はこのことを強力に中国人民に呼びかけていない。日本はオイルショックのとき、日本全土からネオンサインが消え、政治家も袖を切った背広を着て、いわば国家一丸となって省エネ・省人・省力化に取り組んだ。この臥薪嘗胆の結果が産業構造を重厚長大型から軽薄短小型に転身させたのである。つまり日本政府は日本国民に、その窮地を乗り切るために窮乏生活を強いたのである。そして日本国民はその政府の指揮に従い、見事にそれをやりとげたのである。またそれが日本を世界に冠たる技術立国に導いたのである。もちろん日本政府も中東などに石油購入行脚に積極的出かけたことを否定しないが、主たる側面は、日本国民への耐乏生活へのよびかけである。現在の中国政府は、中国人民に耐乏生活をよびかけてはいない。むしろ金にものを言わせて他国の資源漁りをやっている。これではとうてい産業構造の転換は不可能である。 B郭四志氏は、「中国は発電量の電源構成からみると、火力発電量が圧倒的に大きく、全体の7割以上を占めている。また火力発電において石炭火力は90%のシェアを占めている」、「中国政府は、エネルギー安全保障と環境保全の視点から、石炭に依存する度合いを軽減し、とりわけ原発に力をいれようとしており、最近、その活発な原発建設の動きが注目を集めている」と書き、中国政府の原発建設への積極性に言及している。郭氏は原発建設には、まだ未解決の問題が多く含まれており、その危険性を指摘しているし、同時に中国にはウラン燃料が少ないことを懸念している。私は、原発が多く建設されることは、少数民族問題など多くの紛争のタネを抱え、テロが根絶できない中国にとって、自爆の原因を作っているようなものだと思っている。 5.「中国進出 最強のプロフェッショナル50人」 週刊SPA!中国取材班監修 扶桑社 2月10日
副題 : 「チャイナビジネスはこの人達に聞け!」 帯の言葉 : 「資金、コネ、実績がなくても、中国ビジネスは“今から”成功できる!」 週刊SPA!中国取材班の皆さんには申し訳ないが、私は、「資金、コネ、実績がなくても、中国ビジネスは“今から”成功できる!」ほど、甘くはないと思う。このような特集を目にすると、私はいつも、「記者や編集者たちは本当にこの人たちの懐具合や儲け度合いを調べてから書いているのだろうか」という疑問を抱く。数年前、この種の本で、中国ビジネスの大成功者とデカデカと書かれ、「チャイナビジネスはこの人に聞け!」と題するような単行本まで出した女傑は、希代の詐欺師で、想像を絶する借金を抱え見事に破産したあげく、現在、日本で係争中である。この事実について、彼女のことを英雄のように持ち上げた記者も編集者も頬被りしたままであり、ついぞ謝罪記事を目にしたことがない。できうれば週刊SPA!中国取材班の皆さんには、5年後ぐらいに、このメンバーに再取材していただき、どれだけの人が生き残っているかを書いてもらいたいものである。それは良心ある記者や編集者ならば、当然行うべき仕事であると考える。 もちろんこの本は、50人のプロたちの宣伝も兼ねているので、その50人がそれぞれ50冊ほどを買い込み、営業用に使うであろう。それだけでこの本は2500冊ほど売れる勘定となり、これで出版社は出版費用をペイできる。
100冊ほど割り当てれば、かなり儲かることになる。これは米国のゴールドラッシュ時に金を掘る当人よりも、ツルハシ屋と弁当屋が儲かったという典型例である。 この本で取り上げられた50人のプロの中で、私が面識のあるのは「村尾龍雄弁護士」のみである。彼は非常に中国に精通した素晴らしい弁護士である。他のプロについては、面識もなく業界も違うので、私が評価することはできない。ただ上掲の女傑のようなプロが混じっていないことを祈るのみである。なぜならそのような人物が混ざり込むと、この本に登場したすべての人が同様ではないかと疑われ、被害者になる可能性があるからである。 |
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