小島正憲の凝視中国

社会主義中国の労使関係の未来像 & 読後雑感:2010 第11回


社会主義中国の労使関係の未来像 
―多発するストに日本人経営者はいかに対処すべきか― 
25.JUN.10
 中国では労働者の攻勢が日増しに強くなってきている。おそらく予想通り、今年の後半、中国ではストの嵐が吹き荒れるだろう。私は前々回の通信で、「なぜ中国がこのような『労使対決型』の労使関係に陥ったのか、また今後中国はどうなるのか」について詳しく分析しておいた。さらに前回の通信では、韓国の「光州事件とソウル五輪、そしてIMF危機の経過と結果」を詳しく論じることによって、その相似性から、「北京五輪と天安門事件、そして今後の中国」を類推・考察できるようにしておいた。

 今回は中国で日本人経営者が、ストなどの労使紛争に巻き込まれた場合の対処法を具体的に論じ、同時に社会主義中国のあるべき労使関係に言及する。

 ※なお、下記に私が述べるスト対処策以外の妙手をお持ちの方は、ぜひご教授願いたい。

 連絡先:中小企業家同友会上海倶楽部事務局。


1.スト対処方法 : 模範回答編。

 日本人経営者はストライキが発生する前に、下記の手を打っておく必要がある。

@経営の現地化は必須条件。

日系企業では、昔から「現地企業の経営は現地中国人に任せなければならない」(いわゆる現地化)と言われ続けてきたが、残念ながら現実にはそのような企業は多くないようである。今回ストのあった広州のホンダ傘下企業では、「日本人幹部がわれわれの50倍もの給与を取っているのは納得できない」と抗議の声があがったという。人間として差はなく、経営力などもさして大きな差がない日本人が、日本人というだけで現地企業の幹部として超高給を取っていれば、彼らから非難の声があがるのは当然である。経営者を含めて企業の幹部を全員現地化していれば、これだけの給与格差は生じず、労働者の怒りの対象にもならなかっただろう。

したがってこのような現地労働者の抗議の声をかわすために、日本人の給料は現地企業から取らないことにしなければならない。どうしても日本人が経営に関与しなければならない場合でも、日本の本社で給与を支払うシステムにしておかなければならない。ただしこの方法を取ると、日本の国税から現地企業に対する寄付行為と見なされ、損金不参入・経費否認とされる可能性があるので注意が必要であり、またその企業で生産したものを日本に輸入しようとする場合は、その給与分が関税評価額に加算されることがあるので、これまた注意を払っておかねばならない。さらに中国側でも、常時駐在ということになると、日本の所得に課税されることになるので、滞在日数を年間通算182日未満に抑えておかねばならない。    ※これらの詳細については、中小企業家同友会上海倶楽部事務局にお問い合わせください。

A「労使協調」体制の確立を目指せ。

6月18日の日本経済新聞は、中国の労働紛争急増に関しその対処策として、経済教室欄で笠原清志立教大学教授の所論を載せている。同教授の結論を下記に書いておくが、まさにそれは優等生の模範解答である。

このような時にこそ、日系企業の経営者は、労組(工会)法に抵触しない範囲で労組が一般労働者の意見を代表するようにして、労使が直接協議できるようにすべきである。そして、自らの企業の経営理念や社是、社訓を明確に示し、それを経営活動の基本にすべきである。そのような理念や目標に対する共感や同意なくして安定した労使関係を形成することはできない。

私が長年所属してきた中小企業家同友会は、日本の高度成長の時代に幾多の労使紛争に揉まれた。そこから得た教訓をまとめ、1975年1月、「中小企業のおける労使関係の見解」を発表した。それの一部分を以下に紹介しておく。

最近の経済的、社会的環境は、中小企業の労使間にするどい矛盾をひきおこす要因をもちこんでいます。我々中小企業をとりまく情勢や環境は、ますますきびしさを加え、その中で中小企業経営を維持し発展させることは並大抵のことではありません。しかし、だからといって我々中小企業経営者が情勢の困難さを口実にして経営者の責任を十分果たさなかったり、あきらめたり、なげやりにすることが間違いであることはいうまでもありません。経営者は「中小企業だから、なにもいわなくても労働者や労働組合はわかってくれるはずだ」という期待や甘えは捨て去らねばなりません。これでは自らの責任を果たしているとはいえないのです。経営者としてやらねばならぬことは山ほどありますが、なによりも実際の仕事を遂行する労働者の生活を保障するとともに、高い志気のもとに、労働者の自発性が発揮される状態を企業内に確立する努力が決定的に重要です。

中小企業経営者と労働者は経営内において雇用と被雇用の関係という点で立場がまったくちがうわけですから、労使の矛盾や紛争がまったくなくなるということは決してありません。労使は相互に独立した権利主体として認め合い、話し合い、交渉して労使関係を処理し、生産と企業と生活の防衛にあたっては、相互に理解しあって協力する新しい型の労使関係を作るべきであると考えます。このような中小企業における労使関係が成立する条件はいま、社会的に成熟しつつあります。

中小企業経営者はこのように、積極的に正しい労使関係の確立に努力をし続けてきた。一方、大企業の経営者も懸命に努力を続けた。この状況を飯田経夫先生は「経済学の終わり」(1997年刊)の中で、次のように語っている。

若いときに勉強した「マル経」の教えを旨としつつ、仕事としてはカネ儲けに励み、つねになにがしかの罪の意識に苛まれながら、自らの行為を律した財界・経済界のリーダーが、過去にはかなりいたという事実は、まことに感動的だと私は思う。

私はこれらの先輩日本人経営者の思想や姿勢が、日本の労使関係に「労使協調型」を定着させたと考えている。まさに今、現代に生きる日本人経営者は、かつて日本が歩んできた道を中国で再現し、「労使協調」体制を確立しなければならないのである。

B日本人経営者は清貧かつ清廉潔白であれ。

私は企業経営に携わって40年余、「酒・タバコを一切たしなまず、カラオケ・ゴルフ・パチンコ・マージャンその他一切の遊興・賭け事にふけらず、一切のぜいたく品を持たず、自宅もなく自家用車もなく、飛行機はエコノミークラス・新幹線は普通指定席、海外のすべての工場で労働者と起居・飲食をともにし、現場で率先して現地の中国人よりも汗を流して働いてきた。しかも女性関係はきわめて潔白であり、他人からいわれのない金品を受領したことは一切ない」と、公言し続けてきた。「この私に見習え」とは言わないが、日本人経営者はすべからく「清貧の思想」(中野孝次著)を熟読玩味し、かつ拳拳服膺し、自らの行動を厳しく律すべきである。そうしなければ、中国人労働者との間に真のコミュニケーションを作り上げることなどはできないし、「労使協調」の実現はとうてい不可能である。

以上が性善説に基づいたスト対処法の模範解答である。ただし6月20日の日経新聞の詩歌教養の欄で、瀬戸内寂聴氏の「大金持ちだった中野孝次」という文章を読んで、私はびっくり仰天した。しばらく沈思黙考した後、どうしても性悪説に基づいたスト対処法を書かねばと決心した。次に劣等生の私が、現実のスト対処ノウハウを書き連ねる。


2.スト対処方法 : 現実戦術ノウハウ編。

 日本人経営者がいくら努力をしたとしても、現在の中国の状況下では、それでもストライキは起きる。不幸にして、もしストライキが発生した場合、私は下記のような戦術を取ることを勧める。経営が現地化されていても、実権を日本人経営者が握っている場合は、同様である。

@無駄な抵抗はするな。

もしストライキなど労働者の集団示威行為に遭遇したら、日本人経営者はすみやかに妥協することである。なぜなら絶対に勝ち目はなく、紛争がこじれた場合、拉致監禁されるという最悪の事態にいたることもあるからである。現実に昨年、北京松下では日本人総経理が6時間超、総経理室に監禁された例もある。

労働者側は超人手不足を背景にしているだけに、絶対に負けない。もしストライキの結果、会社側が要求を呑まなければ、さっさと会社を辞め転職が可能である。そうすれば要求した賃上げ分ぐらいは簡単に待遇を上げることができる。

普通、労働者のストライキに対する経営者側の対抗戦術はロックアウトである。ところがこの戦術を超人手不足状態が続く現在の中国で行った場合、労働者は簡単に離職し、次の職場に移ってしまう。その結果、経営者側がストに勝ち、操業再開し、新規に労働者を募集してもおそらく応募者はゼロに近く、企業は開店休業、倒産の憂き目に会うことになるだろう。したがっていずれにせよ勝っても、苦境に立たされるわけだから、「無駄な抵抗はせず、早めに妥協する」ことが得策である。また日本人経営者の中に、ストライキを戦った経験者がいないことが、さらに大きな弱点となるだろう。おそらくロックアウトなどといっても、その言葉すら聞いたことがない人たちが多いのではないか。日本人の中で、ストライキを戦ったことがあるのは60歳代以上であり、すでにこの年代は現役を引退して年金生活に入っている人が多い。日本人経営者はこの人たちを臨時顧問に採用して、ストライキに対処すればよい。この人たちの中には、青春時代に命の危険も顧みずストライキなどの修羅場をかいくぐってきた人もいるので、場合によっては中国戦線で身代わりになってくれるかもしれない。

企業で労働争議が起きた場合、警察を含む地元政府は基本的に干渉しない。むしろ紛争の拡大を怖れて、労働者側の味方の顔をする。前掲の日経新聞の笠原教授は、「この数年、中国では行政が警察力を背景に労働紛争やストライキに介入し、解決しようとする傾向が強まっている」と書いているが、これは誤りである。すでに5年ほど前から、警察や労働局などの地元政府は、労働争議には干渉しないということを暗黙のルールとしている。これは私が中国各地に点在している私の工場群の地元政府の動向をウォッチした結果でもある。ただし労働者側が器物損壊や人身に危害を加えるような行動に出た場合にのみ、警察などが介入する。このような事例は労働争議の氷山の一角であるが、すぐにマスコミが記事として取り上げるので、それを笠原教授が誤解されたのではないかと思う。

また最近中国政府の地方政府は、地場の最低賃金をかなり押し上げ、労働者の懐を暖め、その分を消費に向けさせ、内需拡大のための後押しをしようとしている。

日本人経営者が、「無駄な抵抗をせず、妥協」しても、さらにその後に苦境が待ち構えている。労働者側がこの成功体験に味をしめ、2次・3次のストに打って出る可能性が大だからである。また工場内で労働者たちの顔が大きくなるので、日本人経営者が苦心惨憺して作り上げてきた工場内規律は守られなくなり、品質は限りなく落ちていく。

飯田経夫先生は、10年以上前に、前掲著でいみじくも下記のように語っている。これは日本の高度成長期の労働者に対して述べられたものだが、まさに今回の中国の労働者の状況をピッタリ言い当てている。私は学者である飯田先生の、この性悪説に立った率直かつ透徹した見方に、驚嘆せざるを得ない。

ケインズ主義と福祉国家の到来によって、「失業と飢えの恐怖」がなくなると、「ヒラの人たち」(労働者)は、それまでは心中深く秘していた不平不満を、心おきなく言動に表して、やたらに文句を言ったり、サボったりするようになるだろう。「辞めてくれ」といわれれば、さっさと辞めて、しばらくは失業保険にぶらさがることもできるし、そうでなくても探せば他に仕事はいくらでもある。さらには、「失業と飢えの恐怖」のもとでは、そもそも心に不平不満を抱くゆとりすらなかったのが、いまやそうするゆとりができたという面もあるだろう。こうして職場の規律は失われ、労使関係は以前よりも悪化し、とげとげしくなって、生産性はなかなか上がらないだろう。人間とは、「失業と飢えの恐怖」で脅迫し続けなければ働かないものだ―という人間観はいかにも寒々としているけれども、この種の「先進国病」症候群は、随所で観察されるようになったものと考えられる。

A三十六計逃げるに如かず。

中国では愛国主義教育の結果、一般に日本人は嫌われている。したがって日本人経営者が企業の表に出ている場合は、労働争議のターゲットになりやすい。私は危機に遭遇した場合、「36計逃げるに如かず」の戦術を取ることをお勧めする。

日本人経営者が雇われ経営者の場合、中国の現場でしたたかな労働者と戦って男を上げようとするよりも、会社をやめる選択や転職および起業の用意をした方がよい。中国ではどうせ勝てないし、負けて本社に戻っても「負け犬」の烙印はその後もついて回り、多分よほどのことがない限り、出世は無理だと思うからである。雇われ経営者ならば、個人資産を失うわけではないから、身の安全と将来を保全した方が得策であると考える。本社は火消しのために、ストライキに強い次の人材を送り込んでくるから、心配は無用である。

しかしオーナー経営者の場合は別である。すでに日本の会社を売り払って、中国に全財産をつぎ込んでいる場合も多いからである。この場合は中国にある企業を「売って逃げる」ことをお勧めする。この戦術を取る場合でも、日ごろからの準備が肝要である。なによりも現地企業が無借金であることが必要であり、同時に地元政府や取引業者との間で、売却する際に行動が規制されるような法的・人的しがらみがあってはならない。さらに売り先の目星もつけておかなければならない。日本および他国での起業の準備もしておかねばならない。その上で、できるだけ高値で売って逃げればよい。もしこれらの準備が間に合わなかった場合、またどうしても売れなかった場合には、1円で他人に譲渡するという奥の手を使えばよい。つまり全投資分を中国に差し上げて、日本に帰るということである。

余談だが、このようにして中国進出の日本人経営者が全投資分を中国に置いて帰れば、その総額は今ではおそらく4〜5兆円に及ぶのではないかと思う。かつて私は「中小企業の対中戦後賠償(1兆円)方策」(拙著「中国ありのまま仕事事情」所収)という小論を書き、これで対中戦後賠償を代替させ、完結させればよいと提言しておいたが、まさにその時期が到来したのである。ただし日本政府なかんずく国税庁は、この1円売却の結果の全投資額について、その契約が間に合わず中国側のサインがないような場合でも、無条件で損金参入を認めるべきである。  

B撤退保険に加入しておくこと。

日本人オーナー経営者がすべてを捨てて日本に逃げ帰った場合、一文無しでは再起不能となる。したがって事前に撤退保険に加入しておくことを勧める。中国に捨ててきた全投資額を、日本で保険会社から受け取れる仕組みを作っておけばよいのである。

一般的に言って、中国に所在する人や物については、中国外の保険会社で引き受けることはできない。中国内の保険会社ならば引き受けることは可能であり、財産保険のオプションとして、暴動・ストライキ・騒擾などで対象物が破壊された場合は補償される。しかし操業停止や撤退による損害はカバーされていないし、もし該当しても人民元での支払いとなる。日本の民間保険会社に中国での保険加入手続きを依頼することも不可能ではないが、地域が限定され、なおかつ中国の現地保険会社への再保険となる。

撤退保険に該当するものは、「独立行政法人日本貿易保険」の「海外投資保険」であるが、この法人の保険金支払い窓口である債権業務部担当者の見解は、「中国全域でのストライキ、あるいは省全体でのストライキが起きた場合で、株式や配当金の支払い請求権を外国政府(地方政府も含む)に奪われた場合、あるいは不動産、設備、原材料になど関する権利、工業所有権など、事業の遂行上で特に重要なものを外国政府により侵害されたことにより事業継続不能、破産手続きの決定、銀行よる取引停止、3か月以上の事業の休止に陥った場合、そのリスクを填補する」というものである。

このお役所的な見解からは、今回のような個別的なストライキの場合は保険の対象にならないということのようだが、「中国全域あるいは省全体のストライキ」と個別のストライキの区分が、量質ともに明確に規定されているわけではない。さらに今後、ストライキが省全体に拡大することがあり得る。したがってこの保険に加入している中国撤退企業が一丸となって、この独立行政法人に陳情すれば撤退時の補償を受けることは可能ではないかと考える。

なお、民間保険会社でも、この分野に大きなニーズがあることから、近日中に必ず該当商品を開発し売り出すにちがいない。もしそうなれば、少々高額でも必ずその保険に加入しておくべきである。

C子飼いの中国人幹部を見捨てるな。

以上が日本人経営者に伝授できる私の一般的スト対処法のすべてであるが、最後に日本人経営者が撤退に際して、絶対に行っておかなければならないことを記しておく。

それはそれまで日本人側に付いて懸命に努力してくれた、いわば子飼いの中国人幹部のアフターケアである。日本人経営者は彼らを絶対に置き去りにしてはならない。もし彼らの身の安全や財産の保全の確保が間に合わなかったときは、日本人経営者は自ら人質になって、まず彼らを逃がすべきである。このようなときにこそ日本男児の気概を示し、最後まで責任を取るべきである。この点で、2008年2月、煙台の韓国企業の韓国人経営者が行ったように、無責任であってはならない。彼らが置き去りにされた場合、「日本人の犬」・「裏切り者」と蔑まれて、きわめて不幸な人生を歩まなければならなくなるからである。

もっとも撤退を想定して、事前に子飼いの中国人幹部への配慮を行っておくべきである。危機に際してジタバタしても手遅れである。日本やカナダ、オーストラリア、英国などの永住権を取らせておくのも、その一つである。

※撤退に関する相談(売却方法・撤退保険加入方法・中国人のアフターケア方法)なども、当上海倶楽部事務局にお問い合わせください。


3.労働法・株式会社は過去の遺物。

人間を労働者と資本家という2種類に分ける手法は、マルクスの発明品である。現代資本主義社会に生きるわれわれも、残念ながらこのマルクスの発明品に大きく規制されている。それが証拠に、先進資本主義国の労働法は、いずれも使用者(経営者=資本家)と労働者を2分し、それを法的に対置している。

私は使用者(経営者=資本家)と労働者は相互乗り入れ可能であると考えているし、階級として固定されたものでは  ないと考えている。労働者が脱サラ起業すれば使用者(経営者=資本家)となるし、それが倒産すれば彼らは労働者に戻るわけである。したがって私は人間を労働者と資本家に2分して考えるのは現実的ではないと考えるに至っている。昨日まで労働者であり味方であった人間が、ある日突然、敵対的な資本家になるというストーリーには、どうしてもなじめないからである。

私は2年前に、わが社の全役職を辞め、オーナー(会社の株の大半を持つ株主)になり、会社の経営とは無縁の人間となった。いわば所有と経営の分離を行ったのである。そしてオーナーの身分になった私は、奇妙なことに気がついた。わが社の経営を任された後継経営者は、きわめて優秀であるがいわば雇われ経営者であり資本家ではない。したがって運悪く経営状況が悪化すれば、ただちに首をすげ替えられる運命である。いわば無権利状態なのである。取締役陣も同様である。経営者が労働者を理由無く解雇すれば裁判に訴えられ、労働法で守られている労働者が勝つ。ところが雇われ経営者はオーナーから不当に首を切られても対抗手段はなく、必ず負ける。またオーナーは何の罪にも問われない。雇われ経営者は資本家階級に属し、労働法で守られていないからである。

有能な雇われ経営者がオーナーの一時の感情でその職を解かれ、その後に、無能な経営者が選任されれば会社は倒産の憂き目にあうことになるし、労働者は路頭に迷うことになる。そもそも労働法は労働者の生活を守るためにある。しからばオーナーの暴挙から労働者の生活を守るためには、雇われ経営者を労働法で守らなければならないこととなる。労働者にとっては、雇われ経営者を資本家階級ではなく、労働者階級の範疇に入れることが得策ということになる。そうしなければ労働者の生活を守ることはできない。最近、私はこんなことを考えている。

それでもわが社のような古典的株式会社では、悪徳オーナーの顔が具体的に特定できるので、その暴挙を人道面から弾劾し窮地に追い込むことが可能である。しかし現代資本主義の株式会社においては、機関投資家という得体の知れない怪物に牛耳られ、個々の株主=オーナーの醜い顔はまったく表面には出てこない。それどころか労働者たちも結構株を買っており、つまりオーナー自体が労働者大衆であるという珍現象さえ生まれている。結果として社会的に無責任な集団(中には労働者の集団さえそのバックになっている場合もある)が、経営者の首を勝手に切り、労働者を路頭に迷わせているのである。

奥村宏氏はその著書「株式会社に社会的責任はあるか」(岩波書店刊)の中で、「株式会社そのものを変えていくことが必要である」と主張している。それを以下に紹介しておく。

株式会社は19世紀後半に近代株式会社制度が確立したあと、資本家大株主が支配する第1期、20世紀になって株式分散による経営者支配が行われる第2期、そして1970年代以降、機関投資家に株式が集中する第3期というように変化してきた。現在は株式会社の第3期の末期にあり、株式会社の矛盾が表面化し、それは危機に陥っている。

株主主権の原則はもはや崩れてしまっているのだから、それにかわって従業員主権にしていくということが考えられる。それは従業員が株主になるという形でこれまで試みられてきたが、それは成功したとはいえない。株主総会に代わって、従業員総会によって経営者を選ぶということも考えられる。この点ではドイツの共同決定法がひとつの実験であったが、これも成功しているとはいえない。一部の学者のように、日本の会社は従業員主権になっているという者もいるが、従業員出身の人が社長になったからといってそれは従業員主権ではないし、従業員を大事にする人本主義だから従業員主権ということにもならない。

株主有限責任という株式会社の原則を成り立たせる条件が崩れ、無責任社会になっているが、そうであるとすれば株主有限責任という制度そのものを考えなおす必要がある。それはすなわち株式会社に代わる企業を作っていくということである。

このように資本主義世界の根幹である株式会社と労働法は、すでにまったく形骸化しており、論理的に破綻した過去の遺物となっているのである。


4.社会主義中国の労使関係の未来像。 

そもそも社会主義中国は資本家階級の根絶と、その結果として、労働者階級そのものも揚棄することを目指していた。  今こそ社会主義中国は、その原点に立ち戻るべきなのではないか。株式会社法や労働法は外資が持ち込んだ誤った概念であり、すでに破綻した過去の遺物である。社会主義中国は、株式会社に変わる組織を創出し、労使概念をなくし、労働法をなくすことを目指すべきなのではないだろうか。

奥村宏氏は前掲著で、株式会社の変革について下記のように述べている。

国家についてはこれまた多くの国家論があり、ファシズムや民主主義、あるいはナショナリズムについて人々は盛んに議論してきた。そして家族についても多くの議論があったが、株式会社そして企業についての哲学的な議論は全くといってよいほどなかった。あるとすれば会社をいかにして活性化するか、いかにして利益を増やすかというような議論ばかりで、人間にとって企業とは何かというような根本問題は議論されてこなかった。

ベルリンの壁崩壊以後、体制論が消えていくとともに人類は思想の貧困状態に陥った。これを突破して新しい地平を開いていくためには、人間にとって企業とは何か、そしてどのように企業を変えていくべきかということを問題にする必要がある。

「法人である株式会社の責任は、まずなによりもその代表者である経営者がとらなければならない」。これが本書での私の主張であるが、そのためには株式会社という企業のあり方を変えていかねばならない。そのような企業改革の思想が、いま求められているのである。

問題はだれがその変革の担い手となるかということであるが、奥村宏氏はこの点について下記のように付けくわえている。

会社が経営危機に陥ったり、倒産した場合、労働組合はできるだけ賃金や退職金を確保しようとするだけで、経営危機に陥った会社をどのように立て直していくかということは考えない。「それは経営者や銀行が考えることで、われわれには経営のノウハウもなければ経験もない」とはじめから問題にしない。これでは会社側の提案に乗るだけで、企業改革にはつながらない。

このように奥村宏氏は変革の担い手を労働者には期待していない。しからばだれがこの担い手となるのか。

私はオーナー(国家)の委託を受けて、労働者の代表が経営を行う(使用者になる)というシステムを提言する。しかもこれに期限を設定しておいて、一度使用者になった者も次には労働者に戻るというシステムにしておく。つまり労使をローテーションさせ、すべての労働者に資本家(経営者=使用者)と労働者を体験させるのである。いわば人為的に労働者に資本家になる機会を提供し、労使の階級の垣根を取り除くのである。これは結果として貧富の格差を取り除くことにもつながる。私はこれが究極の「機会の平等」の保証であると考える。もちろん実施にあたっては、幾多の困難があることは承知の上である。

中国は大国なので全国的にこのような実験を行うことは、毛沢東の大躍進政策の轍を踏む可能性があり、危険である。したがって特区を作って実験をしてみればよい。私は許されることならば、小国キューバに投資して、縫製工場を作り実験してみてもよいと思っている。私に残された時間はもう少ないが。





読後雑感 : 2010年 第11回 
 ≪アジア特集≫  
29.JUN.10
 京大東アジア経済研究センターで、7月12日(月)に、「東南アジア市場で競合する中国と日本」というテーマのシンポジウムが開催される。
 今回はその前座を務めるつもりで、≪アジア特集≫を組んでみた。
 なお、6〜9は本の題名の紹介のみ。

1.「ドキュメント アジアの道」 
2.「アジアマネーが開く扉」 
3.「アジア投資で稼ぐ必勝法」
4.「アジアビジネスモデル60」
5.「東アジアにおける相互理解と和解を求めて」
6.「激動するアジア経営戦略」
7.「東アジア戦略概観 2010」
8.「中韓国交正常化と東アジア国際政治の変容」
9.「アジア太平洋と新しい地域主義の展開」


1.「ドキュメント アジアの道」 エヌ・エヌ・エーASEAN編集部 エン・エヌ・エー刊 2008年4月15日発行
   副題 : 「物流最前線のヒト・モノ群像」

この本は「はじめに」で、「物流革命が始まった。伝統的な海運、空運に合わせ、陸のネットワークも一気に進んでいる。モノ、ヒト、カネがこの物流に乗り、一大経済圏を構築しようとしているのが東南アジア諸国連合(ASEAN)。すでに中国との連携が軌道に乗りつつある」と書き出し、空の道、海の道、陸の道、21世紀のシルクロードという構成で本文を展開している。多くの新鮮な話題が豊富で、面白い本である。

空の道の項では、シンガポールのチャンギ空港を域内最大で、業界も絶賛と紹介している。またマレーシアのペナン空港での武装強盗団の話や、タイのドンムアン空港からスワンナブーム新空港への移行時のドサクサのときの話題なども書いている。

海の道の項では、「シンガポール港の未来のライバル候補には、ミャンマーのヤンゴン港もある。シンガポール港湾の発展には、中国、インドの経済成長が大きな要因となっている。その中印が経済的結びつきを強める傾向にあり、シンガポールにとって願ってもない状況である。しかし、両国を結ぶ中間点としてより優位にあるのは、シンガポールよりもミャンマーだ。第2次大戦中に連合国の中国支援物資は、主にインドからミャンマー経由で陸路で運ばれた」と、興味深い指摘をしている。また「海賊との終わりなき戦い」という文の中では、「インドネシア海軍は、商船の護衛を有料でしてくれる。護衛は短時間だが、軍艦と連絡があることは、無電を傍受している海賊に十分な威嚇となる」という話も紹介している。

陸の道の項では、数年後には中国の昆明からラオスを経てタイに入りシンガポールに至る南北経済回廊、ベトナムのダナンからタイ内陸部を通過してミャンマーのモーラミャインに至る東西経済回廊、バンコクからプノンペン、ホーチミンを結ぶ南・東西経済回廊が張り巡らされ、大メコン経済圏が形成され、飛躍的発展が期待できると書いている。また「悪化するタイ南部治安」という書き出しで、「マレーシアと国境を接するヤラー、ナラティワート、およびパッターニの3県を中心にタイでは21世紀に入って、テロが続発」述べている。また「中国と国境を接するラオスの街、ボーテンがカジノ拠点と化したのは最近のことだ」、そこは「ラオスの中にありながら、中国人に営業の特権が与えられている。ラオスにおける中国の特別区、まるで中国租界だ」とも書いている。

21世紀のシルクロードの項では、「夢のヒマラヤ特急便」という見出しで、「上海〜ニューデリー間をヒマラヤ山中経由の陸路でつなぐ。そんな壮大でロマンに満ちた事業計画がある」と書いている。


2.「アジアマネーが開く扉」  小森正彦著  エヌ・エヌ・エー刊  2009年5月30日発行
   副題 : 「対日投資が日本経済を強くする」

この本は昨年の5月に発行されたもので、掲載資料など現状とは差もあるが、アジア特集の一部分として下記に紹介しておく。

小森氏は「はじめに」で、「アジア諸国は長い間に力をつけてきた。その勢力はいまや欧米にも広がっている。しかるに日本はいまだ『閉じた』ままである。日本は対外直接投資には積極的でも、海外からの対内直接投資受け入れにはなぜか消極的である。金融危機で欧米の力が弱まったいま、世界経済多極化のきっかけとなり得るのが、実は『アジアマネー』である。アジアに軸足を置く日本としては、多様なアジアマネーを受け入れ、そのたくましい成長力を取り込み、新たな生き残り策に転換すべきときが来ている」と主張し、「欧州は国力の衰退という問題に、先行して対応してきた。イギリスやアイルランドは、外資の活用により経済を再建した。ドイツやイタリアも中国企業を受け入れ、伝統的な機械・繊維産業を活性化させている」と続けて書いている。

小森氏は、日本に既に進出している外資系企業(外資比率20%以上)は、2008年で3259社であるとし、その親企業を国籍別に見てみると、米国=44%、アジア諸国合計=13%、独=12%、英=7%、仏=7%であり、最近ではアジア系が増える傾向にあり、ことに中国人が日本で起業する例が目立つようになっているという。

また「アジアの対日直接投資は累計5000件・1兆円を超えている」と書き、ここでもM&Aなどの手法による中国の対日直接投資が増えているという。たしかに1か月ほど前、アパレル企業の老舗“レナウン”が中国企業に買収された例もあり、小森氏の言を裏付けている。

アジアからの観光客も増加しており、ことに中国からの団体ツアー客が激増している。中国人観光客は消費意欲が旺盛で大金を使うので、日本各地の観光地の救世主となりつつあるという。これに加えて日本政府が、7月から中国人の観光ビザ取得についての制限を緩和することを決定したので、さらに増えることが予想され、日本の観光業に活況をもたらす可能性が高い。

「外国人労働者も1996年には37万人だったものが、2007年には78万人と倍増している。… 在留外国人は20歳代が全体の28%、30歳代が25%を占め、働き盛りの世代が多い。外食産業やコンビニエンスストアは日本人からは時給が安く敬遠されがちで、留学生アルバイトのような労働力なしでは成り立たなくなりつつある。… ただし概して外国人の雇用形態は不安定で、派遣、請負といった間接雇用が多くなっている」とも指摘している。また「英仏独では非熟練労働者や不法労働者は制限するが、高度人材は積極的に確保する『選択的移民』策をとっている。欧州委員会も2007年にブルーカード制度を導入し、高度人材がEU域内で自由に就労できるようにし、米国のグリーンカードに対抗している」と書いている。

しかし小森氏は見当違いの分析もしている。「金融危機後、中国・アジアNIESはまだ伸びる」と言い、「なかでも中国の対応は速かった。生産・輸出の悪化が報道される前に先手を打って大規模な支援策を発表しており、市場心理の冷え込みを未然に防ごうとしたかのようである」と書いているが、この点は私がかねてから指摘しているように、中国政府が金融危機以前から必死で経済浮揚策を打ち、失政の挽回を図った結果であり、なにも驚くには値しない。

また小森氏は、「欧米はアジア人排斥から受容へ」と題し、イタリアの例を上げ、「フィレンツエ西北に位置するプラートは、中級のウール製品などでイタリア随一の繊維産地となってきた。しかし中国の廉価品との競合で製糸・染色工場の閉鎖が相次ぎ、次第に中国資本と労働力を受け入れるようになった。中国人は人の嫌がる仕事でも長時間低賃金で働いた。中国人は技術やノウハウを覚えると独立していった。今では中国企業は2000社にのぼり、街のはずれに中華街を形成し、プラ-トの人口18万人のうち中国人が2万人を占めている」とこの現実を肯定的に見ているが、数か月前にプラートでは地元業者と中国人業者との大きな衝突があったと報じられた。中国人の進出は、必ずしも小森氏の言うようにバラ色の結果をもたらしてはいないようだ。

さらに小森氏は、「閉じた日本は見捨てられる」と題し、「一部の日本人がいくら中国を嫌っても、中国の人口は圧倒的である。人口力だけで考えれば中国はアジアひいては世界のデファクトスタンダードともなり得る規模に達している。中国は政治力・外交力・軍事力に加え経済力を強化している。… 中国はアジア・世界の覇権国家を目指している。このまま日本が変われずにいると、中国の周辺国家となってしまうかもしれない」と嘆いている。

最後に小森氏は、「フロリダ教授は経済開発の鍵として3T(タレント・テクノロジー・トレランス)をあげている。タレントは人材力、テクノロジーはイノベーション力と考えられる。ただしこの二つだけではかた過ぎて遊び心がない。ここにトレランス(社会の寛容性、包容力)の意味がある。これら3Tがあいまって都市の学習力や知的創造力を支えていくと考えられる。激しい環境変化と都市間競争のなかで、都市は自らを高度化し変貌し続けなければ衰退を余儀なくされる」、「トレランスという概念は異質なものに対する寛容度を示す。トレランスは新しいアイディアを受け入れ、試すチャンスを与え、失敗から学ぶために重要なマインドセットである」、「トレランスとは結局、よそ者を偏見なく受け入れる度量ではないだろうか」と結んでいる。

なお巻末には、対日直接投資をしている企業などの個別資料が掲示してある。


3.「アジア投資で稼ぐ必勝法」  此下竜矢著  角川SSコミュニケーションズ刊 2010年4月13日発行

著者の此下氏はファンドマネージャーであり、まさに現代資本主義社会の主人公=資本家である。此下氏は弱冠38歳で、「傘下にある上場企業はタイに2社、日本に2社、その他、アジア各国に経営に関わる会社だけでも25社、投資だけの会社、不動産、債権などはさらに多く保有しています。経営傘下の会社の業種は、投資会社はもちろんのこと、主なものだけでも証券会社、ファイナンス会社、保険会社、債権回収会社、5星ホテル、コンテンツ制作会社、ゴム製造業、食品製造業、サービス業などバラエティに富んでいます」と、本文中で豪語し、それだけの実績を上げ得た理由を次のように書いている。

「それは常に、それぞれの対象の『現場』に行き、『現物』を確認し、『現実感』を持って決断する原則を守り続けているからです。投資ファンドというと、きれいなオフィスでデスクに座り、巨大なパソコンモニターの前で仕事をしている。頭だけ使って、書類上の数字だけをいじっている。そんなイメージがあるのではないでしょうか。しかし実際はそうではありません。私たちの投資哲学で一番重要なものは『現場力』です。グループの会議で一番だめだとされるのが、『現実感』がない報告提案なのです。『現場』と『現物』の匂いのしない発言は相手にしてもらえません。『現場』には誰が行った?『現物』はどうなっている?これがなくては会議が始まりません」。

此下氏は自らの投資哲学を、「三現主義」と主張している。これには私も同感である。私の行動哲学も「実事求是」つまり現場主義であるからである。

此下氏は個人投資家が長期投資し成功するには、任せられるファンドマネージャーを見つけることだと言い、今後のアジアは無限の成長の可能性を持っているので、これからのアジアの時代に正しくファンド運用してくれるファンドマネージャーを選べばよいと書いている。なお自身の仕事をしていく上でのモチベーションを、「私の家族、友人、恋人や、自分と共に戦ってくれる仲間に幸せになってもらいたい」と述べている。私は、この若い資本家=此下氏の10年、20年後の姿が楽しみである。

 なお、此下氏は、本文中で今後のアジアの経済について、@華南・北ベトナム経済圏、A環インド洋経済圏、Bマラッカ海峡経済ベルト、Cメコンデルタ経済ベルトの4つの軸によって成長すると独自の理論を展開している。ことにアジアハイウェイが交差するメコンデルタ経済ベルトの発展に大きな可能性があると指摘している。


4.「アジアビジネスモデル60」  加藤修著  エヌ・エヌ・エー刊  2009年10月25日発行
   副題 : 「進化する地域戦略とグロスボーダー展開」

   帯の言葉 : 「アジアの変化と特性をよむ 拠点設置、事業再編のための新フォーメーション」

加藤氏はこの本の冒頭で、「アジアでは進出だけでなく、景気悪化による拠点再編やリストラクチャリングも進めなければならない複雑な時代へと突入した」と書き、それでも「中堅中小企業の経営者からは、これからの時代は中国やアジアに打って出て行くしかないといったコメントも多く聞かれるようになった」、また「一方で既に拠点網を展開した大企業は、景気悪化により拠点の整理、すなわち撤退や統廃合を進めている。リストラクチャリングに合わせ、地域本部機能を充実させる企業や日本の海外子会社からの配当課税見直しにより資本政策の再検討を進める企業もある」と続けている。私も、この「配当課税の見直し」は、大企業のみならず中小企業にとっても、企業を飛躍的に発展させる千載一遇のチャンスでもあると考えている。

本書について加藤氏は、「過去にアジアを自分の目で見て、自分の足で歩き収集した、そして日本国内で多くの企業の話に耳を傾け、分析したモデル・フォーメーションから、代表的な事例を中心に一般化して編集したものである」、「世界的な景気悪化で難しい経営を迫られる日本企業が、本書の事例を参考として日本から新たなる世界へ旅立つことに対して、また大企業にとっては拡大した戦線を素早く整理し、体制を整えて次なる飛躍への準備を進められることに対して、ささやかなる一助となれば幸いである」と書いている。

加藤氏はベトナム・タイ・シンガポールの3国についての記述で、この本の半分を費やしている。つまりアジアの中でもこの3国の優位性に注目している。たとえばタイの項では「タイ―ラオス連携での新展開」として、ラオス戦略を将来的な可能性を秘めたモデルとして紹介しているが、私の大先輩はすでに数年前から、ラオスでの工場展開をしており、この路線を先取り実行している。またシンガポールの項では「アセアン地域保守メンテナンス本部」としての機能を持っていると紹介しているが、ここにも私の取引先でもある岐阜の中堅気機械メーカーが10数年前からメンテナンス拠点を構え、東南アジア諸国をカバーしている。

この本の中で、唯一、ミャンマーだけがまったく取り上げられていないのが残念である。


5.「東アジアにおける相互理解と和解を求めて」  帯谷朋子著  田宮昌子監修  鉱脈社刊 
   副題 : 「宮崎からの若い風」                         2010年3月24日発行

私はこの本を、「今どきの学生の卒論なんて、つまらないだろうな」と思いながら、読み始めた。アンケート調査を基にした序章は、想像通り面白くなかった。ところが第1章の「歴史教科書問題」、第2章の「メディア・ナショナリズム」と読み進めていくうちに、著者がしっかり勉強し真剣に書いていることがよくわかった。私は座り直して、この本を最初から読み直した。

著者は第1章のまとめで、「筆者は一国史を超えた『東アジア史』という発想を提案したい。国民を形成するための一国史的歴史教育が育む、自国に対する“自尊”には功罪両面があるが、一つ間違えば他国を蔑ろにしてしまうことにつながる。現在、歴史認識問題解決を難しくしている主な要因ではないだろうか。視野を地域に広げ、国々の歩みが地域を形づくっているという認識をもって『東アジア史』を考えることで、東アジアの歴史は共有されていくはずである。その中で、『国民』という概念を超えた、『東アジア人』という新たなアイデンティティが生まれてくるはずだ。東アジア地域の新しい未来が誕生するのである」と、提言している。

第2章のまとめでは、「これまで見てきたように、対象に関する否定的な情報は国民に好んで受容され、利益が得られると判断されているようだ。それらの報道の基調は大衆世論に直接反映されるため、今やメディア報道は時に対象理解を妨げる要因になっているとさえ言える。しかし元来メディアは社会の公器であり、ありのままの事実を伝え、対象への理解を促進するという役割を担っているはずである。情報化社会である現代、大衆に最も頼られ利用されるツールとなっているにも関わらず、メディアはその影響力の大きさに対する自覚と社会的責任感に欠けているのではないか。メディア界において報道は商品であり、利益を求めるのはやむを得ないが、対象理解を妨げるような偏った情報の提供は自粛し、公器としての責任感を持って対象理解を促進するような慎重な報道を心がけてほしい」と、訴えかけている。

さらに著者は第3章の「戦後責任問題」では、日本とドイツの戦後処理を比較し、日本のあいまいな戦後処理に言及している。その上、南アフリカのマンデラ氏を持ち出し、「確かに、自分の犯した非を認めることは難しい。しかし、今ここで過去の過ちを認め、中・韓の『赦し』を得て和解することは、一時的な苦痛とは比べものにならないメリットをもたらすはずである。未来を見据えた長期的なスパンで捉え、判断すべきだろう。そのためには、南アフリカにおいて、ネルソン・マンデラというリーダーが存在したように、世論に迎合するだけではない賢明な政治的リーダーシップが日本においてどうしても必要である」と、主張している。

そしてネルソン・マンデラ氏の次のような言葉を紹介している。「多くの犠牲者は、自らが体験した地獄の話を聞いてもらったことで、心の中の何かが変わる。復讐してやると誓ってきたその執念を捨て去る。そして赦しと和解の心を開く。私がこの国の将来に希望を抱いたのは、この真実だった」。私はこのくだりを読んで、いつまでも学生時代の恨みを持ち続けている自分を、いささか恥ずかしく思った。

第4章のまとめでは、「日中間においては、人の行き来は少なく、特に日本においては中国の大衆文化の普及程度も低いため、中国に対し“共感”を持つ機会が決定的に不足している。そこで筆者は、日中間においても、日韓間のように芸能人による現地でのリポートやグルメツアー番組など、対象に興味を持つような情報の提供を提案したい」と書いている。この提言は、第2章や第3章のものと比べると、かなり迫力不足である。自らが行動で示さなければならないような課題に直面すると、やはりアイディア不足が露呈してくるのであろう。この面での若者らしい斬新な行動を伴う具体的な提言を数多く聞きたいところである。

終章では筆者の指導教官である田宮昌子氏がディスカッションの輪の中に登場している。そこでは田宮氏が著者をはじめとする若い学生たちを、宮崎という地で懸命に指導されている様子がよくわかる。田宮氏の思想的立場は、「しかし、日本と中国、韓国っていう東アジアで、そういう国民単位での和解が絶対成立しないかというと、ヨーロッパでも先例はあるし、わだかまりはゼロにはならないだろうけど、まずは政治的なリーダーシップが必要ですね。政治っていうのは象徴行為、パフォーマンスなんですよ。そういうものをリーダーがみせていく。そしてムードを作り、大衆の意識を変えていく、流れができると結構動くもので、もちろんそこには利益がついてくる。そうすると社会は付いてくるはずと思う。独仏の和解がどうして成立するかというと、手を結んだほうがお互いに利益があるという状況が生まれたことによって動き始めたということですよね」という文言に現れている。

私も田宮氏の主張に同感である。ただし次のページで『日本は中国が日本より弱いうちにちゃんと謝れるのか』という中国人の問いに対して、「既に立場の逆転というものは始まってしまったので、日本はもしかしたら、永遠に歴史的な機会を失ったのかもしれないが、まだ始まったばかりです。間に合うかもしれません」と書いているが、この中国経済の現状についての認識は、メディアの「対象理解を妨げるような偏った情報の提供」を鵜呑みにした結果であると思う。日中の経済は表面的には「立場の逆転」が浮かび上がって来ているが、実態はかなりちがう様相を呈しているからである。

さらに若い帯谷氏には「日中韓の相互理解と和解」について、性善説からだけではなく、性悪説からのアプローチをぜひ試みて欲しいものである。できうれば一度、実業界に身を置いて、自己資金で中・韓とのビジネスを展開し、それらの人たちから騙されたり裏切られたりする中で、大損をしてみることをお勧めする。そうすれば自然に性悪説が身に付くからである。


6.「激動するアジア経営戦略」  安積敏政著  日刊工業新聞社刊  2009年11月30日発行
   副題 : 中国・インド・ASEANから中東・アフリカまで

7.「東アジア戦略概観 2010」  防衛省防衛研究所編  2010年3月29日発行   

8.「中韓国交正常化と東アジア国際政治の変容」  金淑賢著  明石書店刊  2010年3月23日発行

9.「アジア太平洋と新しい地域主義の展開」  渡邉昭夫著  千倉書房刊  2010年4月12日発行 

   帯の言葉 : 「環太平洋連帯構想から30年―東アジア共同体は可能か?」