小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2012年 第7回 & 第8回


読後雑感 : 2012年 第7回 
02.MAR.12
1.「中国で売るために知っておくこと」
2.「これからの新しい中国ビジネス」
3.「中国ビジネス 技術・ブランドの活かし方」
4.「北朝鮮スーパーエリート達から日本人への伝言」
5.「最終目標は天皇の処刑」

1.「中国で売るために知っておくこと」  大渕愛子著  中央経済社  3月1日
  帯の言葉 : 「中国ビジネス 最初の一歩を強力にサポート  初めてこの巨大市場に進出する経営者のために、“必要資金の検討から” 簡単な“契約書の作成”まで、必ず役立つ基本の考え方を教えます」

 この本の帯では、若くて美人で弁護士の大渕愛子氏が、「私が中国ビジネスをサポートします」と言わんばかりに、微笑んでいる。多くの読者はこの写真につられて、この本を手に取るに違いないが、それも悪いことでないと思う。なぜなら大渕氏もまえがきで、「中国はあらゆる面で変化の激しい国です。共産党の一党独裁体制であるため、意思決定のスピードは速く、法改正も頻繁に行われますし、法の運用においてもころころと方針が変わります。このような世界ですから、“知識”で勝負するよりも、“知恵”で勝負するのが正しいように思えます。そのため、必要最小限の“知識”を勉強したら、できるだけ早く出て、転びながら学んでいくのが一番だといえるでしょう」と書いており、あくまでもこの本を、「専門知識が含まれているものの、すらすら読める本」として位置づけているからである。たしかにこの本は読みやすく、入門書としては適当であると思う。

 大渕氏は最初に、「お金の基本」を書いている。ビジネスを始めるには、とにかく資金が必要である。その意味で、この本の冒頭が「お金の話」から始まっているのは、理にかなっている。このような切り口から入った中国ビジネス本を、私は読んだことがない。ことに大渕氏が、「3年分の出資額を準備する」ようにと、アドバイスしていることに注目すべきである。10年ほど前に比べると、中国ビジネスも格段に資金が必要となっているのである。欲を言えば、企業での資金の内部往来のこと、外貨保有枠の今後の展開、「走出去」政策を利用した海外投資法などにも触れて欲しかった。

 Uでは、「どこで」、「なにを」売るかについて書き、そこでは北京や上海などの1級上位都市ではなく下級都市を、富裕層ではなくネクストリッチ層を狙うのもおもしろいと提起している。

 Vでは、ウェブ販売かリアル販売かと問いかけ、「まずウェブ販売から始めてブランディングを確立するという手順は、中国ではなかなか難しい。したがってまずはリアル販売で出店し、価格と品質のバランスが取れた商品を、日本流のサービス(接客、包装)とノウハウ(陳列、VMD)で販売することで、良い評判が口コミでじわじわと広がり、結果的にブランディングが確立されていく。このような方法こそが、地道ではありますが、中国で長期的に成功する近道ではないでしょうか」と結んでいる。私もそう思うが、リアル販売には資金がかなり必要である。

 Wでは、会社の設立にまつわる法務を解説している。従業員の採用についての注意事項では、「女性の採用の際、その人が妊娠しているか否かという点も企業にとっては関心事だと思います」と記してある。即戦力として採用しても、その力をしばらく活用できなくなる可能性があるからである。これなどは、女性の大渕氏ならではのアドバイスである。さらに賃金や保険制度についても、上海市の一般労働者で手取りが5000元の場合、額面が6563元、人件費総額では9450元(手当や退職金積み立てなどは含まず)になると、具体的に解説している。

 Xでは、契約と契約書の心得について書いている。
 Yでは、その他として、ショップ撤退のリスクとコストや、今問題となっている商標法についても詳述している。また接待について 「中国の商談は宴会で始まり、宴会で終わるといわれるほど宴会を大事にします。宴会を成功させるためにはまず肝心なのはお店選びです」と書いているが、この点については、最近のメディアの調査では、「7割の人が宴会嫌い」であり、その理由として「宴会での酒盛りが嫌い」と答えていることを付け加えておきたい。

2.「これからの新しい中国ビジネス」  梶田幸雄・温琳共著  エヌ・エヌ・エー  2月10日
  副題 : 「中国市場開拓の課題と展望」
  帯の言葉 : 「世界第2位の経済大国をターゲットとした新しいビジネスのあり方を考える」

 梶田幸雄氏は冒頭で、「企業実務家の方々に、@中国国内市場をターゲットとした場合の新しいビジネスのあり方を紹介し、A中国現地法人の形成の仕方を教え、B中国市場の開拓、販売方式について現状を把握し、課題および展望を示し、C紛争発生時の解決方法について、法制度および実務の動向の考察をとおしてガイドラインを示すことを考え、本書の構成(を行った)」と書いている。この本は、よくその目的を果たしていると思うが、1.で取り上げた大渕氏の書と比べると、素人には若干、難しい。

 第1章は、現代中国経済の概説である。
 第2章では、「これからの新しい対中国ビジネスの方式」を書いており、その最後に、「中国事業からの撤退を考慮している企業が多くなりつつあるようである。解散・撤退の理由としてはどのようなことが考えられるのか。一般に、@販売不振、A需要の見誤り、B競争激化、C賃金上昇、Dパートナーとの対立、E現地化要求、F税制の変更などといった順で考えられる」と書いている。この中の@、A、Bは、「中国市場への進出企業」の撤退理由に当てはまるものであり、早くもその風が吹いていることを示すものである。またウェブ取引について、「中国法においては、なおネット業者の責任および義務について明確な規定は存在しない。ネット販売を利用する売り主、買い主である個人または法人は、その当事者間またはネット業者との間の権利・義務について十分に検討しておくことが不可欠である」と警告を発している。

 第3章では、「中国における企業経営の最重要ポイント」として、会社法、内部統制システム、中国進出企業の人事労務管理などについて、書いている。

 第4章では、「中国市場の開拓」について書いている。この中で、フランチャイズ経営について、「フランチャイズ経営は、年々増加しているが、実務上の課題がある。この課題とは、第1に、必ずしも中国に限ったことではなく、日本でも存在することではあるが、@フランチャイズ契約の内容にかかわるトラブル、およびA消費者とのトラブルがあることである。また第2に、中国固有の問題として、B商務主管部門によるフラインチャイズ経営およびこの契約の監督管理のあり方から生じる問題がある」と書き、フランチャイザーとフランチャイジーとの間の契約内容をめぐる紛争が少なくないと記している。
第5章では、「紛争処理法」を扱っている。

3.「中国ビジネス 技術・ブランドの活かし方」 谷口由記他著  財団法人経済産業調査会 1月31日
  副題 : 「〜事業企画・知財・法務・税務のノウハウ〜」
  帯の言葉 : 「誰もが知りたい対中ビジネスのノウハウを伝授! 技術・ブランドを活かして中国に挑む。」

 この本は、一般読者には少し難しいのではないかと思う。ちょうど4人の著者が1章ずつ担当して書いているので、4回シリーズで勉強会を行い、そのテキストに使うとよいのではないかと思う。

 第1章では、知財、ことに最近問題になっている商標権について、中尾優氏が詳しく書いており、参考になる。ことに他書ではあまり解説されていない加工貿易型日系企業の、中国での製造および輸出時におけるトラブルについて詳述しており、この点について、長年、警告をならしてきた私としては、我が意を得たりというところである。

 第2章では小倉啓七氏が「出願実務編」、第3章では谷口由記氏が「知財ビジネス法務編」を、それぞれ詳しく書いている。私はこれらのことについては、知識も体験も少ないので、コメントは差し控えさせていただく。

 第4章では、佐和周氏が税務について書いている。移転価格税制やみなし外国税額控除、タックスヘイブン税制などを詳述しており、参考になる。移転価格税制について、佐和氏は、「移転価格の問題はつまるところ国家間の税金の取り合いであり、通常一国における課税上の問題にとどまらない。すなわち、中国子会社が日本親会社に対して支払う使用料は、基本的には中国子会社の課税所得を圧縮するため、その分だけ中国子会社の納税額が減少することになる。したがって、中国の税務当局の立場からすれば、中国製造子会社が日本親会社に過大な使用料を支払っていないか、目を光らせることになる」と書いている。この点は、委託加工貿易の場合も同様で、加工賃が他社よりも極端に安い場合は中国側で、逆に極端に高い場合は日本側で、この税制に引っ掛かる可能性がある。

 佐和氏は、「外国子会社配当益金不算入制度の創設により、日本の税務当局は、日本親会社への配当による資金還流時に従来のような追加徴税ができなくなった。このような状況で、例えば日本親会社が低税率国に所在する子会社に利益を移転させ、そこで稼得した利益を配当により回収したとする。この場合、日本の税務当局としては配当の回収段階では課税できないことから、海外子会社が利益を稼得する段階で、移転価格税制やタックスヘイブン対策税制により課税を試みるほかない」と書いている。この点は、佐和氏の指摘通りである。さらに言うならば、私が問題とし、空洞化税の創設を主張しているのは、日本に配当を還流させない企業が多い点である。

 また出向者人件費について、「日本親会社が中国への出向者の給与に関して不必要に大きな較差補填をしている場合には、日本の税務当局が、日本親会社から中国子会社への寄付金という指摘をしてくることも想定できる」と書いている。これに付け加えて言うならば、輸入時にも、この補填人件費などが関税加算対象となることも計算内に入れておかねばならない。

4.「北朝鮮スーパーエリート達から日本人への伝言」  加藤嘉一著  講談社  2月20日
  帯の言葉:「中国で一番有名な日本人が聞いた北朝鮮主導層の肉声!“俺達の国はあと2年で崩壊する”」

 3/01の日経新聞の本の広告欄を見て、私は驚いた。2面と3面の下欄に、ともに加藤嘉一氏の顔がデカデカと載っていたからである。片や前回の読後雑感で取り上げた「いま中国人は何を考えているのか」という本の宣伝広告であり、もう一方はこの本の宣伝広告であった。長年、日経新聞の本の広告欄を見てきたが、同日に、同一人物の顔つきの宣伝広告が両面に出たのを、私は始めて見た。いまや加藤嘉一氏は、「売れっ子スター並み」になったようである。

 残念ながら加藤嘉一氏のこの本は、前回までのものと比べて、かなり落ちる。まず題名がよくない。本文中には、「北朝鮮スーパーエリート達からの伝言」は、ほとんど書かれていない。この本に書かれているのは、加藤氏が中朝国境地帯を歩き、見たり聞いたりしたことがほとんどである。その意味ではこの本には、「加藤嘉一の中朝国境見聞記」という題名がふさわしい。帯には、「北朝鮮主導層の肉声」という言葉が踊っているが、その表現にふさわしい文言は、本文中にはない。加藤氏もこのように、読者をバカにするような「羊頭狗肉」本を出していると、そのうちに飽きられ忘れ去られることになるだろう。自戒して欲しいものである。

 加藤氏は本文中で、延吉市に、「小高い山になっているところに、北朝鮮から脱北してきた人間を放り込んでおく収容所を見つけた」、また図們市には、「小高い丘の上にある“脱北者専用収容所”」があると書いている。しかし加藤氏は、両方とも具体的地名を明記していない。私はこの両市に詳しいが、そのような目立つところに、収容所があるとは聞いたことがない。具体的な地名が書いてあれば追跡調査を行ってみたいのだが、それもできない。幸い、文中には延吉市の収容所の写真が載っているので、近日中にそれを頼りに検証してみたいと思っている。

 また加藤氏は琿春市の防川も訪ねており、そこでの国境警備隊とのやりとりが書いてあるが、この場所についても具体的地名は書かれていないし、その場所の特徴を示すような状況描写がない。この個所は、この本の他の部分に比べ、なぜか淡泊であり、臨場感に欠け、ひょっとすると現地に行っていないのかもしれないと勘ぐらせてしまうような描写が続く。しかも防川へ行く途中の道路際にある張鼓峰事件記念館、安重根祈念碑などの記述はまったくない。反面、図們市へ帰る途中の「断橋」や、その周辺で野良犬に囲まれたことは、いやに詳しく書いている。なお、この「断橋」についての記述も間違いがあるように思うので、調べてみる。この地点についても、具体的地名は書かれていないが、写真が載っているので、だいたいどこにある橋かは察しがつく。私は加藤氏に、「今後、見聞録を書くときは、具体的地名を鎮や村の名前まで必ず明記すること、そして写真を撮るときには必ず自分を入れておくこと」と、提言しておきたい。

 加藤氏は丹東市にも、なんども足を運んでいるようだが、丹東市内での北朝鮮の人々の動きなどは、ほとんど眼中に入っていない。また朝鮮族が少数民族であり、韓国、北朝鮮との間で複雑な位置にあること、中国政府のシンクタンク内では北朝鮮の行く末についての対策が考案済みであることなど、ほとんど察知していない。加藤氏は、「筆者が現在、最も関心を持つ研究の対象は、あくまでも中国政治である。特に、中国共産党の政策決定プロセス、イデオロギー、権力闘争、改革プロセス、そして国家リーダーが何を考えているか、である」と書いているが、この程度の観察眼で、天下国家を論じるのはまだまだ早いと言うべきだろう。

 加藤氏は、「少なくともいえることは、今の日本人に、北朝鮮政府をあざ笑ったり、北朝鮮国民に同情したりしている余裕はないということだ。政治が低迷し、国力の低下は著しく、国民は内向きになるだけの日本社会こそが、国際社会から、そして北朝鮮人からあざ笑われ、同情されているのである。この現実を屈辱だと認識することだ。日本人は自らの誇り高き生き方を国際社会に証明できる時間は限られている。タイムリミットは2年。筆者は、日本人として、自戒を込めて、そう断言したい」と書いている。そうならば、加藤氏は日本国内に戻り、政治活動をするべきではないのか。今をときめく橋下大阪市長も、茶髪の弁護士としてテレビ番組で有名となり、現在に至り、国政を左右するようになっている。加藤氏も十分に売名を果たした。加藤氏の今後に注目したいところである。

5.「最終目標は天皇の処刑」  ペマ・ギャルポ著  飛鳥新社  1月27日
  副題 : 「中国“日本解放工作”の恐るべき全貌」
  帯の言葉 : 「日本人が読めば背筋が凍る!ここまで来ている侵略工作 チベット出身者だから分かる中国の悪辣な戦略」

 日本を第2の故郷とし、岐阜女子大の名誉教授でもあるペマ・ギャルポ氏に、生粋の岐阜県人である私は、親近感を抱いている。しかし、ペマ氏がこのような題名の本を出したことを、嘆かわしく思う。なぜなら本文中では、「最終目標は“天皇制の廃止”」という普通の章名なのに、題名は「最終目標は天皇の処刑」と、センセーショナルなものに変わってしまっているからである。たしかにこの題名の方が反中の右翼的思考の強い人たちに、強い関心を持たせ、結果として販売部数を伸ばすことができるだろう。しかし普通の日本人は、「天皇の処刑」という言葉を、抵抗なく受け入れることはできない。それを逆手にとって、売り上げを伸ばそうとするペマ氏の魂胆は汚い。さらに本文中の半分はペマ氏の前半生の回顧とチベット略史であり、さらに第4と第5章は題名とはあまり関係がない。その面から考えても、この題名は適切ではない。

 第3章のみが、この題名の内容を扱っているが、1972年に国民新聞に掲載された「日本解放第2期工作」という得体のしれない記事を、ネタにして話を展開している。これは、いわば40年前のゴシップ記事を題材にしているようなもので、まったく評論にも値しないものである。ペマ氏はこれが、中国共産党が日本侵略のために作成したものだと言い、現実の日本はまさにそこに書かれている通りの工作結果に成り果てていると主張している。しかしそれはペマ氏の大きな誤解である。たとえば「工作」の中で「民主連合政府」という文言が取り扱われている。それは当時、日本共産党がさかんに主張していた政策であるが、ペマ氏の一連の文章の中には、日本共産党の文字は一度も出て来ない。また当時、日本共産党は中国共産党と絶縁状態にあった。したがって「民主連合政府」という文言を以て、中国共産党の工作であるというには無理がある。他の文言も同様のものが多い。

 ペマ氏は、「日本は奇跡に近い成長で世界第2位の経済大国となり、かつてイギリスが目指した“揺りかごから墓場まで”を具現化する、世界有数の福祉国家になりました。その上、“一億総中流”と言われるほど格差が少ない国、世界一治安がよい国にもなりました」と、日本を褒めているが、その原動力や理由についての分析はない。また、「このままだと、あと10年もしないうちに日本人が中国人のメイドや運転手をするような、今まで思いもしなかったケースも当然でてくるのだろうと思います。そうなったのはなぜかと言えば、企業単位や政党単位でものを考えて、日本を国家という一つの有機体として認識する人が少なくなったからだと思います」、「今のうちに国家単位で日本を考えられる指導者が現れないと、大変な問題になるという危機感を持ってもらいたいものです」と言っている。これはペマ氏の日本人理解の浅はかさを示すものである。私は、日本に今必要なものは、「脱・リーダー待望論」であり、「国民総リーダー論」であると考えており、目下、その理論を、弁証法を軸にして構築中である。日本は確たるリーダーを持たずに、絶対に再生する。それが日本である。

 ペマ氏は、「中国の侵略に対して座して死を待つことは当然できません」と言い、憲法を変え、「予防外交を通して自国の主権と国民を守れ」と記している。またインドと連携して中国の台頭に備えよと書いている。ペマ氏は軍備拡張という言葉を慎重に回避しているが、言わんとしていることは、まさに軍備拡張である。私はこれには、断固として反対する。

 なお本書でペマ氏は、私が関心を寄せているチベット人哲学者について、数度、論難している。このことについては、稿を改めて反論するつもりである。


読後雑感 : 2012年 第8回 
06.MAR.12
1.「李鴻章」
2.「満州帝国50の謎」
3.「インド vs.中国」
4.「2013年、中国・北朝鮮・ロシアが攻めてくる」
5.「中国スパイ秘録」

1.「李鴻章」  岡本隆司著  岩波新書  11月18日
  副題 : 「東アジアの近代」

 私はこれまで、李鴻章について、「西太后と組んで清朝末期に暗躍した大物官僚」程度の印象しか持っていなかった。しかし岡本隆司氏のこの著書を読んで、李鴻章という人物の印象が、大きく変わった。

 李鴻章は難関の科挙の第一関門の郷試を突破した頭脳明晰な人物であり、進士合格に向けて曾国藩に師事し、勉強を続けた。この曾国藩との縁が彼の人生を決めた。曾国藩は湖南省地方の自警団を組織し湘軍を結成、太平天国の乱を治めるため大奮闘した。李鴻章はその経験を真似し、上海を中心に淮軍を組織、太平天国軍と対峙した。そして湘軍の力を借り、外国人傭兵部隊と協力して上海を守り切った。高杉晋作が上海に行き、その状況を見聞したのは、ちょうどそのころだった。その後、湘軍と淮軍は太平天国軍を打ち破り、曾国藩と李鴻章は救国の英雄となった。しかし曾国藩が湘軍を事実上解散してしまったため、李鴻章は時の最高の実力者に上り詰めた。さらに李鴻章は上海を中心にして財力を蓄え、外交力も涵養し、軍事・財政・外交と、当時の清朝が直面していた重大な問題すべてにおいて、随一の地位を占めるにいたった。彼は科挙出身者にありがちな柔弱な文人官僚ではなかったのである。

 李鴻章と西太后の関係について岡本氏は、「1860年以降の西太后も、自らの利害に反しない限り、おおむね事情に通じた地方当局の処置にまかせている。それが督撫の拡大した裁量の正当化にひとしくなり、中央の君臨と地方の統治は噛み合って、バランスを保った。それが19世紀に入って以後、治安の回復を模索して出た一つの結論でもあった」と書いている。

 李鴻章の新疆地方の平定について岡本氏は、「乾隆帝の新疆平定から百数十年、その維持のために多額の労力と金銭を費やしながら、何の利もあげてこなかったと指摘、これ以上の浪費を重ねて遠征を強行するより、ヤークーブ・ペグ政権を認め、清朝にあらためて朝貢させればよい、主張した」と書いている。これは現在の中国政府にも言えることかもしれない。

 また李鴻章は自らの北洋艦隊について、「いくら強力堅固な戦艦をそろえても、士官・技師の人材と組織を欠いては、海軍の運営強化ができない」と認識しており、「だからこそ、対外的な脅威に処するには、せめて海軍の威容をさかんにするしかなかった」のではなかったかと、岡本氏は書いている。この北洋艦隊の状況については、当時の日本の東郷平八郎連合艦隊司令長官も認識していたと言われている。これは下士官や技能士などの現場第一線の幹部の養成が、かなり遅れており弱いことを認めたものであり、現在の中国でも同様のことが言え、中国の持つ国家的・国民的体質とも考えられる。

 最後に岡本氏は、「李鴻章は“垂簾聴政”と“督撫重権”が噛み合い、安定していた時代の政治家であった。かれの実力が両者を噛み合わせ、安定に導いた、という方が正確かもしれない。しかし日清戦争から義和団事変の過程で、彼が権勢を失うとともに、両者の乖離は決定的になった。激化する中央と地方の対立は、以後の中国政治の構造線をなす。李鴻章の居場所は、どうやらもうそこにはないようであった」と書いている。

 また岡本氏は、「そもそも清朝政府は民間の経済活動にほとんど介入しようとしなかった。貨幣はその典型で、通貨管理のない銀地金と銅銭の使用であったし、生産・流通に対しても、保護・規制の施策はないにひとしい。それでも財産の保護、契約の履行がなくては、経済活動がなりたたない。権力からそうした保障が十分に受けられなければ、民間は独自にそのしくみをつくりあげるほかない。そこで当事者どうしで結束し、ルールを定めて財産を保護し、約束履行を保証して、違背した者には制裁を加えることのできる団体を結成した。これを幇・行・会といい、一種の同郷同業団体であるが、同姓の集団たる宗族その一つに数えても良い。これは相互扶助組織にとどまらない。紛争の調停・仲裁・解決など、むしろ政府権力が手を出そうとしない私法の制定・行使の役割を担っていたからである。だからその構成員からみれば、こうした中間団体こそ権力にひとしい。“小さい国家”とも評されたゆえんである」と書いている。このように解説してもらうと、近代中国特有の「幇・行・会」という組織がよく理解できる。

2.「満州帝国50の謎」  太平洋戦争研究会・森山康平著  ビジネス社  3月2日
  帯の言葉 : 「夢の大陸に築かれた壮大な“実験国家”の建設から挫折まで」

 森山康平氏のこの本は、満州帝国に関して、写真をふんだんに取り入れて、わかりやすく解説している。ことに当時の日本国内の政治・社会・軍事状況を併記しており、理解しやすい。また満州問題に対する姿勢にも、その記述には偏向がない。

 森山氏は、「日本が満州国をつくった目的の一つが移民であった。移民といっても、農業をする人たちを送り出すことである。だから彼らは満蒙開拓団と呼ばれた。もっとも、当時の日本の農村は疲弊してはいたが、それは満州国をつくってまで移民させなければ、国が滅んでしまうといったほどではなかった。地主制度を改革して小作農を減らしたり、新しい作物を開発したり、国内産業を振興させたりして、国内改革で十分やっていけたはずだが、そういう試みはほとんどなされなかった。そういう観点からみれば、満州国への移民は、満州国に日本人を増やして、実質的に日本人の土地とする政策だったようだ。だから、開拓団とはいっても、ほとんど中国人がすでに耕している耕地を奪って入植させたのである」と書いている。私はこの視点が、満蒙開拓団を考える場合に、きわめて大事であると考える。

 なお別の個所で、森山氏は、「橋本欣五郎陸軍中佐らがめざした国家改造というのは、昭和維新運動という当時の大きな潮流に乗ったものだった。軍部、とくに陸軍を中心とした政府によって、挙国一致の総力戦体制をつくり、満州など大陸進出をはかろうとするものだった。そうすることによって、当時不況にあえいでいた農村を救済し、新天地への移民を促進しようとしたわけである」と、当時の一般的な風潮も紹介している。

 さらに森山氏は国際連盟脱退について、「日本は無理して満州事変を起こし、屁理屈をつけて満州国を建国してはみたものの、最後には国際社会から完全に追放され、孤立化に追い込まれた。しかし、関東軍や陸軍、あるいは昭和維新と国家改造を唱える連中にとっては、思うつぼの孤立化であった。もうどこからも掣肘をうけることなく、中国の新たな地域を侵略できるからである」と、明快に書いている。

 森山氏は張作霖爆殺事件について、関東軍高級参謀の河本大作大佐が実行したと書いている。最近発刊された「謎解き“張作霖爆殺事件”」(加藤康男著・PHP新書)では、「コミンテルン説」や「張学良説」が提起されている。加藤氏はそれなりの根拠を提示しているが、決定的証拠を示してはいない。満州国関係の諸資料は莫大な量にのぼっており、中国・台湾・ロシア・韓国などを始め、国内でも京都大学にも未読の書が手つかずのまま眠っている。これらを断片的かつ一方的に引っ張り出し、新説を展開することは不可能ではないが、歴史を歪曲することは避けねばならない。私は、それらの試みには、多くの先輩や知人の手を借りて、できる限りの反論を行っていくつもりである。

細かいことだが、本文中で、吉林省佳木斯という表記があるが、旧吉林省(現黒竜江省)と但し書きをした方が読者の混乱を避けることができるのではないかと思う。

3.「インド vs.中国」 浦田秀次郎+小島眞+日本経済研究センター編著 日本経済新聞社2月21日
  副題 : 「二大新興国の実力比較」
  帯の言葉:「強みと弱みが一目瞭然 これからのビジネスチャンス、克服すべき課題、日本の採るべき戦略がわかる初の比較分析」

 私は6年ほど前に、「インドは中国に勝てない」という小論を書いたが、この本を読んで、さらにその思いを強くした。それ以上に、「インドと中国を同列に論じること自体が、誤りではないか」と考えるようになった。

 この本の最終章では、「15年遅れのインド」という見出しで、「日本企業の中国向け投資も1980年代は決して多くはなかったが、これが急増したのは91年から95年ごろにかけてだった。一方、インド向けの日本企業の投資をみると、投資が急拡大したのは2005年から08年にかけてであり、中国からはほぼ15年遅れている」と書いている。この書き方はよくないと思う。なぜならこれを素直に読んだ多くの企業に、「中国で大成功した勝ち組企業ならば、これからインドに出かけても間に合い、成功の再現ができる」という幻想を抱かせてしまうと思うからである。

 私の同業者には、「中国勝ち組企業」が多い。しかしその「勝ち組企業」でさえも、昨今の人件費アップや労働争議を嫌って、中国を撤退し、ベトナム・ラオス・カンボジア・ミャンマー・バングラデシュ・インドネシアなどの東南アジア諸国に拠点を移しつつある。そして最近の、それらの同業者の間での共通見解は、「中国の経営は簡単だった。中国での成功体験を捨て去らなければ、東南アジアでの経営は難しい」というものである。この見解は、インドにも適用されると思う。つまり中国で使ったビジネスモデルは、インドには通用しないということである。中国とインドはまったく違う。したがって中国とインドを比較対象し、同列に論じることが、すでに読者に誤解を生じさせることになると思う。

 本書では、中印を比較して、「@インドの議会制民主主義は経済発展のブレーキにもなっている、A中国は土地問題をスピード決着させており、インドは開発の阻害要因になっている、B中国より社会主義的なインドの労働問題、C汚職問題は中印共通」、と書いている。私はこのBとAが、中印発展較差の、もっとも大きな要因であると考える。

Bについて。中国もインドも、外国企業を誘致して自国経済の離陸を果たそうとした。そのために中国は、外資に無権利状態の低賃金労働力を自由気ままに使わせた。外資はそこで最大限の搾取機会を得て、巨額の利益を獲得した。後発外資も雲霞の如く、経営者天国としての中国に参入した。その結果、中国は予想をはるかに超えた外資の参入で、超多額の資金を獲得することができ、離陸に成功したのである。片やインドには、本書でも書いているように、「43にも及ぶ労働関係の法律があり、その多くは時代に合わなくなってもなお温存されたかたちになっている。たとえば従業員100人を超える事業所が1年以上勤務経験のある労働者のレイオフないしは解雇、さらには企業閉鎖を実施する場合は、事前に政府の許可が必要とされている」など、きわめて厳しい労働法規があり、インド人労働者はこれらの法規を熟知し、十二分に活用している。かつて私は、短期間、インドでの工場経営に携わったことがあり、この経営者に不利な環境を、身を持って体験済みである。私はインドには進出しない。このような状況が続く限り、私同様に、あえて火中の栗を拾う企業家は少なく、多くの外資企業が雪崩を打ってインドに殺到するという状況にはならないだろう。ここにインドが、外資導入の参入を利用しての、離陸ができないもっとも大きな理由の一つがあるのである。

Aについて、本書では、「中国では土地はすべて国有であるため、住民の立ち退きを含めて用地問題が深刻化することはなく、政府の一存で容易に工事に着手することが可能である。他方インドでは、基本的に土地は民間所有であり、住民の立ち退きがうまく進展しない場合が多く、立ち退きなどで住民の同意が得られない場合には土地取得は極めて困難になる」と書いている。中国ではこの事情が、外資にとって何重にもきわめて有利に働いた。まず外資は工業用地などを極めて安く入手できた。合弁などの場合には、中国側が土地や建物で出資してくることが多く、ただ同然で活用することができた。また地方政府は外資に土地を売却することによって、インフラ整備資金を捻出し、完備されたインフラで、さらに外資を引き寄せることができた。しかもこの過程で、地方役人の懐が潤うため、予想外に外資は厚遇されたのである。インドには、このメリットはまったくなく、進出企業にとっての資金負担がかなり重いものとなっており、この点でインド進出を躊躇している企業が多い。

4.「2013年、中国・北朝鮮・ロシアが攻めてくる」  福山隆・宮本一路著  幻冬舎新書  2月29日
  副題 : 「日本国防の崩壊」
帯の言葉 : 「日本、打つ手なし。これは絵空事ではない! ミリタリー・インテリジェンスが明らかにする眼前の危機」

 この本には、あまりにも荒唐無稽で、かつ論旨が矛盾している話が多い。題名には、「2013年、……が攻めてくる」と書いてあるが、本文中のどこを探しても、「来年、どこかの国が攻めてくるという確かな根拠」は示されていない。これだけを見ても、この本がいかにいい加減な本かがわかる。

 福山隆・宮本一路両氏は、「日本の場合、米中が対立的な関係から友好的な関係に変われば、米中の“共同管理”下に置かれる状態になる恐れがあります」(P.26)と書きながら、一方で「北東アジアは米中の主戦場になる」(P.41)と、矛盾したことを平気で書いている。

 両氏は、「戦後未曾有の情勢変化が起こっている」と言い、「米国の凋落、中国の台頭、インドの勃興、ロシアの復権」などを上げて、世界が多極化し不安定化すると主張し、中でも日本にとっての第一の脅威は中国であると書いている。しかしこの主張に至る両氏の中国についての認識は、きわめて浅薄で矛盾したものである。両氏は、「こんなモンスターのような中国が、改革開放政策により目覚ましい経済成長を続けています。2010年には日本を追い抜き、世界第2位の経済大国になりましたが、さらに2025年ごろには米国経済をも凌駕するとみられています」と書いている。また同時に「今後、共産党政権がハンドリングを誤れば、反政府勢力が結集に向かい、政権打倒に向けた全面的な暴動に発展する可能性は十分にあります。中国は、国内の不満を外に向けるやり方として、日本との間で歴史問題や領土問題を意図的に再燃させることを常套手段としています」と記している。どうやらこの二つの主張に、大きな矛盾があることに両氏は気が付いていないようである。

 あと10年で中国が世界一の経済大国になると言うのならば、現状でも中国人民の生活は裕福でなければつじつまが合わず、しかも未来はバラ色なので、人民の不満などは蓄積されておらず、人民が暴動など起こそうとするはずがないからである。仮に一部の人間が暴動を起こしたとしても、それは人民の総意の中で、圧殺されてしまうはずである。逆に中国政府が人民の不満を国外にそらさなければならないということは、現在の中国経済が不調であり、財源不足で、人民を懐柔するだけの生活保障ができていないことの証明でもある。

 なお軍事面で注目しておかなければならないことは、中国の現役兵士が「わがまま一人っ子小皇帝」世代に入っており、その「質」をどのように上げていくかが、軍内部で大きな課題とされているということである。中国軍部の暴発を想定した場合、この点に着目しておかなければならない。残念ながらこの視点は、両氏にはまったくない。

 両氏は、「中国という国は、国家のあり方が明快で、論理的に一貫しています。即ち、常に明確な国家目標を掲げ、その目標を実現するための国家戦略があり、その目標を実現するために一貫した強い国家意思のもとに動きます」と書き、アヘン戦争以来の歴史を持ちだしてその論拠としている。しかしケ小平の改革開放路線は、国家戦略としての毛沢東の自力更生路線を真っ向から否定したものであり、先進資本主義各国に頭を下げて、とにかく資金と技術を借入し、市場も提供してもらい、他力依存で中国人民の生活向上を図ったものである。当時、ケ小平は「黄猫でも黒猫でもよい」と言い、社会主義市場経済という矛盾した概念を勝手に創作した。そしてその結果が、今日の中国の経済大国化を生み出したのである。それをアヘン戦争からの「一貫した国家戦略」というのは、強弁に過ぎる。

 両氏は、「中国琿春市と北朝鮮羅津市を結ぶ橋の改修・建設や道路整備を行っていますが、これはロシアへの対抗策と考えられます。中国が整備しているルートは、ロシアの北朝鮮侵入経路と重なり、ロシアの先手を打って橋の改修・建設や道路整備を行うことは、ロシアの北朝鮮進出を牽制する狙いを持っているものと考えられます」と書いているが、これは誤りである。ロシアはすでにハサン経由で北朝鮮へ入る鉄橋を持っており、中国が改修したのはそのルートとはまったく違う圏河税関の橋だからである。おそらく両氏は現場を見ないで、どこかのニュースの聞きかじりで書いているのだろう。

 両氏は、結論として、日本人民に「改憲し、軍備を増強せよ」と迫っている。私は、これには絶対反対である。どんなことがあっても、軍事的手段を取らないで、平和的手段で解決すべきである。

5.「中国スパイ秘録」  デイヴィッド・ワイズ著  石川京子・早川麻百合訳  原書房  2月28日
  副題 : 「米中情報戦の真実」
  帯の言葉 : 「アメリカを震撼させた驚愕の情報戦」

 米中の情報当局の内幕が赤裸々に描かれていると期待し読み始めたが、ほとんどが約20年前の、中国人の美人スパイ「パーラーメイド」に関する事件関連の記述であり、私にとってはつまらない本だった。

 ただし私は不思議なことに気が付いた。第1章(P.12)に、「20世紀、スパイたちを束ねる指導者として絶大な力を持っていたのが、毛沢東による権力の掌握と維持を支えた康生だった」という記述があり、最終章(P.327)に「“竜の鉤爪”もアグニューの独特なメタファーも誇張と言えばそれまでだが、それらの言葉には少なからぬ真実が含まれている。中国よるスパイの危険性や脅威を強調するまでもなく、中国はアメリカを舞台に現在も絶え間なく偵察活動を続けており、それは一向に衰退する気配はない。スパイ戦争はほとんど目につかないとはいえ、確かに起こっているのである」という文章が配されていたことである。昨年末、岩波書店から「龍のかぎ爪 康生 上・下」という本が発刊されており、まったく関連性のない両書の偶然の一致を、私は奇異に感じたのである。ちなみに本書では、「鉤爪を見れば竜がわかる」と書いており、岩波本では、「タイトルの“龍”は毛沢東を指し、かぎ爪という言葉には“醜い手”“警官”などの意味がある」と解説している。できるだけ早く、岩波本を読んでみるつもりである。