読後雑感 : 2012年 第2回 & 第3回
読後雑感 : 2012年 第2回 |
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17.JAN.12 |
1.「2012年、中国の真実」
2.「中国人がタブーにする中国経済の真実」 3.「中国は世界恐慌を乗り越える」 4.「長春発ビエンチャン行 青春各駅停車」 5.「北京と東北部と―流れる時を紀行する」 1.「2012年、中国の真実」 宮崎正弘著 ワック 12月26日
帯の言葉 : 「いよいよ中国バブルの大崩壊が始まった!がら空きの工業団地、幽霊屋敷のようなショッピング街、住民がいない団地、 2010年、発生した暴動は18万件?4大銀行の帳簿から消えた80兆円の不良債務が突如として消えた?!GDP成長率はマイナス10%、インフレ率は16% 次は“人民元”大崩落だ!」 宮崎正弘氏は本文中で、郎威平(香港中文大学教授)の次のような言葉を紹介し、「中国のGDP成長率9.1%なんて“真っ赤な嘘”であり、本当の数字はマイナス10%、インフレが6.1%というのも大嘘で実態のインフレは16%、中国の不良債権は最悪で432兆円になる」、そして宮崎氏自身も、「筆者が現場を歩いた感覚から言えば、後者の数字は別としてこの郎教授の立場に近い」と書いている。私も中国経済については、宮崎氏と同様の感じを持っているが、さすがに郎教授の発言をこれほど乱暴に、かつ検証抜きで引用することには、良心が咎める。しかも宮崎氏は郎教授の名前を間違えている。正しくは「郎咸平」である。 さらに宮崎氏は、「ある統計によれば、中国における昨年の暴動は18万件に達したという」と書き、その情報の出所を、「ウォールストリートジャーナルの2011年9月29日付けのコラム」と記している。西側雑誌のコラム記事を、検証抜きで引用して、あたかも中国に反乱と暴動が氾濫しているように、読者に印象付けようとする宮崎氏の言辞には呆れてしまう。しかもこのような宮崎氏の言辞を「孫引用」して、「暴動18万件」の言辞を振りかざす輩も多いことから、宮崎氏の責任は重いと言わざるを得ない。さすがに宮崎氏も気が咎めるのか、「2010年、中国で発生した暴動は18万件?」と、「?」を付けている。しかし後述の福島香織・石平氏などの「孫引用」者たちは、「?」を取り払ってしまっている。 本書における宮崎氏の指摘は、事実無根というわけではない。宮崎氏は、「改革開放以後の中国に通うこと150回以上。…(中略)。日本人がおそらく足を踏み入れたことのないような辺境、遠隔地に行く」ことを、自らの宣伝文句にしているほどの現場主義者である。したがってその観察眼には学ぶべきものも多い。しかし最近の中国行脚では、かなりその目が曇ってきているようである。本書の第4章は東北地方の紀行文になっているが、ロシアとの国境地帯における中国企業の活動、北朝鮮との国境地帯における状況、吉林省の敦化の現況などの、もっとも核心的な部分についてはなにも語っていない、つまり本質を見切れていないということである。 なお本文中の宮崎氏の金融システムに関する視点には、参考になる点が多かった。この部分をもっと深く掘り下げて分析するか、または参考文献を明示して欲しかった。 2.「中国人がタブーにする中国経済の真実」 福島香織・石平著 PHP研究所 2012年1月12日
帯の言葉:「危険なのは新幹線だけか? “インフラ倒壊”、“バブル破裂”、“格差デモ”―地獄の3重苦はすでに始まっている!」 この本は、保守派の論客と言われる福島香織・石平両氏の、中国情勢をめぐる雑談である。本文中には、二人が今までに言い古してきたことが羅列されているだけで、新たな情報も論点もない。しかも全体を通じて、「中国人がタブーにするほどの中国経済の真実」の分析はほとんどミ見られない。 バブル経済の崩壊について、福島氏は、「私は中国経済について“バブル崩壊”とか“経済崩壊”という言葉を使うべきかは悩ましいところだと思っています。高度経済成長がいったん踊り場にさしかかり、調整期間を迎えるだけかもしれない。必ずしも“崩壊”とは言えない気もします。外資から見た場合も、経済が崩壊するから中国にビジネスチャンスが完全になくなるかというと、そうではなく、まだある気がするのです」と明言は避けている。それに対し、石氏は、「私はもう、はっきり“崩壊”であると考えています。これまでの経過を見れば、中国経済は崩壊するしかありません。中国経済の高度成長がこれで終わり、新しい時代が始まる」と言い切っているが、その後の時代についての明快な分析は語っておらず、「結局、中国経済がこれから10年もフル回転で、市場が拡大していくと思っている中国人はいないと思うのです」と、中途半端な予測で終わっている。 6中全会についての評価についても、福島氏は、「なぜ“文化体制改革”をテーマにしたかについて、私にははっきりした答えはありませんが、おそらく“経済については結論が出ないから、文化体制改革とでも言っておくか”という程度のような気がします」と、歯切れの悪い発言をしている。 また雑談の中で、前後が矛盾するような個所もある。最初の方で、両氏は中国の厚黒学に触れて、「清末民初の時代に、李宗吾という思想家が厚黒学という書物を著しました。これがいまでも中国人の考え方に影響を及ぼしている」、「厚かましく心が黒い。生きるためには、面の皮が厚く、腹黒くなければいけないという教えです」、「中国に限らず、世界は性悪説です。性善説がまかり通るのは日本ぐらい」と、中国人が歴史的に性悪説にどっぷり浸かって生きてきていると語り合いながら、後半では、「福島さんのおっしゃるように、いまの中国は人の善意を信じません。“人間はみな泥棒”という性悪説の考えになっています。ただこれは毛沢東の時代から始まったものです。中国共産党が中国を支配する以前には、儒教の“礼節”という考えが、中国に残っていました。それが共産化する過程で、崩壊していったのです」と話している。この発言はあまりにも乱暴なものであり、両氏には歴史を語る資格はないと断言してもよい。 また福島氏は、「2010年には、じつに18万件の集団事件がありました。ここでいう集団事件とは、100人以上の規模の官民衝突やデモをさします」と、その出所をまったく示さずに話している。おそらく上掲の宮崎正弘氏のものを引用しているのだろうが、自ら検証もしないで、あいまいな根拠に基づいて「中国の真実」を語ることは不可能である。 3.「中国は世界恐慌を乗り越える」 副島隆彦著 ビジネス社 2012年1月11日
帯の言葉 : 「ドル、ユーロが凋落するので、今こそ人民元預金 いよいよ“1ドル=2元=60円”時代へ」 副島隆彦氏はこの本の結論は、「それでも中国はなんとか大丈夫である。北京、上海、広東省の不動産バブルは確かにハジける。だが内陸部の“西部大開発”の力でこれを中国は乗り越えるだろう」というものである。つまり上掲2著とは違い、中国がバブル崩壊を乗り越えて、ますます経済成長を遂げるというものである。副島氏はその根拠を、西部大開発の波及効果に求めている。また副島氏は大胆な主張を打ち出している反面、「中国の金融システムの闇には、今のところ私の調査は行き届かない」、「今回調査した内モンゴルのオルドスでは地元の人口の7倍の建物の戸数が出現していた。沙漠の中に高層ビル群が突っ立っていた。これが一体、このあと数年で、どういうことになるのか、だ。私もまだすべてを予測できているわけではない」と、上手に逃げ場を作っている。 いつものことながら、副島氏の論には、粗削りで事実誤認の部分が多い。たとえば「中国では労働組合が許されていない」と、随所に書いているが、この表現は適切ではない。広東省の富士康について所在地を広州市としているが、それは東莞市の誤りである。また「江沢民には秘密がある。江沢民の父親自身が漢奸であり、どうも上海に進駐していた日本軍に情報を売ることをしていた国民党の幹部だったらしい。江沢民自身も日本語がしゃべれるようだ。上海交通大学を卒業したとされているが、本当は交通大学に合併された小さな大学の出身らしい」などと書いているが、最近の研究では、江沢民はハルピン工科大学の出身であると言われている。また内モンゴル調査を入念に行ったと書いてるが、それはまさに表面を撫でた程度に過ぎない。 副島氏は、「アメリカ社会が今以上に豊かになるということはもうない。実体経済はやはり人間の労働に依存しているのだ。汗水たらして苦労して働くことが経済の基本、土台であることがはっきりしてきた」と書きながら、他方では、「文字通り“一攫千金の山師”となることができる経済活動の自由が今の中国にはあるのである。このことが重要だ。日本にはそんな夢はどこにもない」と嘆いて見せている。つまり副島氏は、一方で金融資本に蹂躙されている先進資本主義各国の現状を唾棄しながら、他方で中国人民が額に汗せず、濡れ手に粟の大儲けを夢見ていることを肯定しているのである。これは明らかな論理矛盾である。もっとも中国人民の間でも、チャイニーズ・ドリームの幻想のメッキは剥げかけてきており、中国政府はそれをどのように糊塗するかに腐心している現状である。 その副島氏が、「日本に長年暮らす優れた中国人知識人で、中国共産党支配に反対し、糾弾し続けているのが石平氏である。私は石平氏を“(中国の)見せかけだけの成長”であろうとも、“それでも13億人の貧しい国民をここまできちんと食べさせ、全体をかなり豊かにした。だから、この事実だけはとりあえず認めましょう」と言って、彼を説得しようと思う」などと、おもしろいことを書いている。その企画を出版社が売れそうだと思って取り入れたのか、本書の最後には、「―現在・過去・未来― 中国のすべてを語りつくそう 副島隆彦vs石平」というCDの発売予定広告チラシが挟み込まれていた。価格が1万円もするので、買ってまで聞こうとは思わないが、粗雑な論議が展開されているのではないだろうか。 4.「長春発ビエンチャン行 青春各駅停車」 城戸久枝著 文藝春秋 11月15日
帯の言葉 : 「わたしの恋はガタゴトゆっくり進む」 この本は、残留孤児2世の日本人女性の私小説である。城戸久枝氏は、28歳までを中国で過ごした父親の半生を知ろうと考え、長春市の吉林大学に留学する。そしてそこで留学中のラオス人男性と巡り会い、二人の間に恋に似た感情が芽生える。本文中では、その城戸氏のほろ苦く、ほほえましく、じれったい恋?がめんめんと綴られている。城戸氏が現代日本女性の典型とは思えないが、ラオス人男性に翻弄される日本人女性の姿を読み進めていくうちに、なぜか日本人男性としての血が騒ぐのを覚えた。もし城戸氏の相手が中国人だったら、あるいは欧米人だったらとも考えてみた。さらに城戸氏が男性で、ラオス人女性と恋に落ちたらどうなっていただろうかなどと、思いをめぐらせてみた。 なお城戸氏は、前作:父親の軌跡を描いた「あの戦争から遠く離れて」で、大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。蛇足ながら、私は久しぶりに私小説を読んで、いろいろと考えることが多かった。私は若きころ、中国の「革命文学」を読んで感動し、涙を流したことがあった。そしてそこから男女の愛情よりも思想性を優先することの重要性などを学んだ。また「革命英雄を描くべし」という中国の「中間人物論争」などにも、興味を持ったものだった。そして3年ほど前、芥川賞作家の楊逸氏にお会いしたときに、次回作では「英雄」を描いて欲しいと頼んだが断られたこともある。今回、城戸氏のこの作品を読んで、私は最近の若者の男女の愛情感覚について学ばせてもらい、自分の世代との大きな断絶を感じた次第である。 5.「北京と東北部と―流れる時を紀行する」 社本一夫著 西田書店 10月10日
帯の言葉 : 「中国との行き来、四半世紀 つぶさに訪ねた北京と中国東北部の近代国家へと変貌を続けるその時々の姿を 時の流れとともに愛惜をもって描く」 本書は社本一夫氏夫妻の紀行文である。旧通産省特許庁の役人であった社本氏は、1979年に中国の若手官僚を受け入れ、特許制度を教え、それ以来中国の官僚や学者との交友が続いているという。また社本氏の夫人は、大連で生まれ、中学生のとき北京で終戦を迎え、家族と離れ一人で苦労して帰国されたという。夫妻は1984年に中国に入ってから、なんども往来し、ことに北京と中国東北部を歩き、その変遷をこの本で書き連ねている。また単なる紀行文ではなく、社本氏の博識が随所に書き込まれている。 |
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読後雑感 : 2012年 第3回 |
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24.JAN.12 |
1.「“中国模式”の衝撃」
2.「二つの国の狭間に生きる」 3.「チベットの祈り、中国の揺らぎ」 4.「今、知っておきたい 真の中国」 5.「中国でお尻を手術。遊牧夫婦、アジアを行く」 1.「“中国模式”の衝撃」 近藤大介著 平凡社 1月13日
副題 : 「チャイニーズ・スタンダードを読み解く」 帯の言葉 : 「アメリカン・スタンダードvs中国模式日常生活、ビジネスから外交戦略まで、いまの中国を貫く 独自発展モデルを知らなければ、この国とは渡り合えない」 近藤大介氏のこの著書は、中国事情をあまり知らない日本人が読むには、適当な本である。ただし、新聞やテレビの中国関連ニュースを注意深く見ている人ならば、あえて買ってまで読む必要はないであろう。本文中には、常識的な中国事情が羅列してあるのみで、近藤氏独特の視点や中国の未来の大胆な予測などは皆無である。 ことに第1章の北京の日常生活の描写は、あまりにも誇張されすぎている。私は上海のマンションでかなりの時間を過ごしているが、たまに停電や断水、エレベーターの故障などのトラブルに見舞われることはあっても、それは日常茶飯時ではない。多くのマンションで不断に内装工事が繰り替えさえているが、それはだいたい朝8時から夕方6時ごろまでであり、近藤氏が書いているように深夜に行われ、騒々しくて眠れないということはほとんどない。また本章の、「確かにこの措置によって、北京市内の新築マンションの価格は下げ止まった」(P.31)という文章は、意味不明である。 近藤氏は第2章で、中国ビジネスなどについて論じているが、その範囲は日本人駐在員に関連した大企業の商業ビジネスに限定されており、これまで中国ビジネスの主役であった中小企業の工場経営者や、その現場でのビジネスなどにはまったく触れられていない。これでは中国ビジネス一般を語ることはできない。しかも近藤氏は、「中国ビジネスで失敗している会社は千差万別だが、成功している日本企業は、ある共通の“必勝パターン”を持っている。それは、中国の現地法人の運営をトロイカ体制にしていることだ。つまり三者の異なったタイプの日本人の合議制により、重要な決定を下していくのだ」と書いている。これは間違いではないが、「成功している一流商社ビジネス」とその範囲を限定しておくべきである。なぜなら中小企業では、とてもそんな余裕はなく、その三者分をすべて自分1人でこなさなくてならず、場合によっては工場長などをも兼任しなくてはならないからである。そしてそのようにして中国で大成功している日本の中小企業がたくさんあるからである。 また近藤氏は、本文中で2度、「マオ」(ユン・チャン著)を引用して、毛沢東に言及しているが、ユン・チャン氏のこの書は、なにかと問題視されており、引用するには適切ではない。また最近起きた温州での民間金融についての記述も、それを「サラ金」などと書いており、事態を正確に伝えていない。現在、中国全土で、高利貸しやネズミ講まがいの民間インフォーマル金融が蔓延しており、それを「サラ金」などという言葉で記すのは読者に誤解を与えるものである。近藤氏は人民元の国際化についても、かなりのページを割いて記述しているが、資本の自由化や為替管理の緩和についての見通しについては語っていない。 近藤氏は第4章で中国の今後の政治状況を占っているが、「ではなかったかということだ」、「示唆している」、「これは想像だが」、「ここからは私の推測だが」、「いこうとするだろう」、「いずれにしても、来る習近平時代の中国は、風雲の時代になる気がしてならない」などという文句の羅列で、新鮮な情報は少なく、あまり参考にはならない。 なによりも近藤氏は、中国を金満国家として持ち上げ、「いまやG7の時代は終焉を迎え、新たなG2(米中)の時代が始動したことは、誰の目にも明らかだ」と書いている。この認識は明らかな間違いである。現実に中国経済には、昨年末からすでに陰りが見えてきている。中国を金満国家のように誤認するのは、中国政府の発表する経済統計数値や中国の表層部分だけを見ているからである。中国は日本とは違い、外資に全面的に依存して今日まで成長を遂げてきたのであり、今後も外資を取り込むことによって、引き続き成長を成し遂げようとしている国家なのである。つまり中国という金満国家の財布は、そのかなりの部分が外国企業の資金でふくらんでいるのであり、今後もそれを保ち続けなければならない宿命なのである。 2.「二つの国の狭間に生きる」 長谷川暁子著 同時代社 2012年1月10日
副題 : 「長谷川テルの遺児暁子の半生」 帯の言葉 : 「母は戦火の中、反戦を呼びかけたエスペランチストだった―。日中の“混血児”と呼ばれ、しかし烈士遺児として中国で育った若者が、歴史の奔流の中で見たもの、うけとめたものとは」 著者の長谷川暁子氏は、「革命烈士:緑川英子」の遺児として、建国後の中国である種の優遇を受けながら、同時に日本人との混血児として蔑視されながら、40歳近くまでを中国で生き抜いた。その後、長谷川氏は日本に帰化した。この本は長谷川氏自身が描いた半生記であり、本文中には反右派闘争、大躍進運動、文化大革命などの激動の嵐の中での体験が、身近な出来事として、鮮烈に語られている。 私は昨年、黒竜江省のジャムスに足を運んだとき、そこに緑川英子の足跡を見た。その時は緑川英子についての知識や興味が少なかったので、あまり深く詮索することなくその場を離れてしまった。しかしながらこの本の中で、緑川英子やその夫の劉仁の、ジャムスでの活動のよき理解者であったのが、当時の黒竜江省共産党委員会の幹部であった高崇民であり、その彼が後に高崗事件に連座し、「反党集団の主幹で、満州国や日本人との関わりが深い」という罪を背負い、その座を追われたという記述を読んで、驚いた。なぜなら私の満州に対する一つの興味は、「日本人が育てた満州国の中国人官僚と高崗事件の接点」にあり、この高崇民という人物こそがまさにその一人ではないかと思ったからである。長谷川氏はこの高崇民のおかげで、烈士遺児としての奨学金などを受け、育ったという。残念ながら長谷川氏もこの恩人の高崇民には会えずじまいであったようだ。 長谷川氏は、身近で起きた文革中の李先生の自殺について、「おそらく彼の人生の中で出遭った最も醜い打撃は、信じきったものに裏切られたことであろう。世の中に、信じていたものに裏切られることほど侘びしい憤怒はあるまい。戦友に見捨てられ、だれ一人信じてくれない、だれ一人手を貸そうとしてくれなかった孤独が、彼を絶望させたにちがいなかった」と書いている。たしかに人間にとって、「信じているものに裏切られる」ショックはきわめて大きい。経営者でも、事業に失敗して、それまで苦楽をともにしてきた経営幹部が、いともたやすく自分を裏切り見捨てて行く姿を目にすると、人間不信に陥り、再起不能になる人が少なくない。だから私は、若い経営者には、いつも「すべての人間は裏切る。他人を絶対に信用してはならない。頼れるのは自分のみ。孤独をこよなく愛する人間でなければ、経営者としては成功しない」と強く教える。そして「相手は必ず裏切る。それが人間であると自覚した上で、その相手の裏切りまでも、人間として許容し、信じきることが大事である」と、たたみかけて諭す。 できるだけ早く、現代中国情勢研究会で長谷川暁子氏を講師として迎え、この本に書けなかったことなどを含めて、生きた中国現代史を、彼女から学んでみたいと思う。 3.「チベットの祈り、中国の揺らぎ」 ティム・ジョンソン著 辻仁子訳 英治出版 10月30日
副題 : 「世界が直面する“人道”と“経済”の衝突」 帯の言葉 : 「国を失うこと、心を失うこと。経済成長に沸き立つ人々と置き去りにされる人々。侵略から半世紀、ますます深刻化するチベット問題の真実と中国社会の変化を追う」 この本は学術書ではない。さりとてジャーナリストの書いた本にしては、文章が生硬かつ冗長であり、最後まで読み通すのに、かなりの忍耐が必要だった。もちろん日本語訳の問題があるのかもしれないが。しかもこの本で著者が訴えていることは、過去においてチベット問題を論じてきた多くの識者とほぼ同じで、まったく違う新たな切り口はない。たしかに多くの取材対象に迫り、貴重な証言を得ているが、チベット問題を解決に導くような決定的なものはない。今までのチベット関連本とあまり代わり映えがしないこの本が、あえてこの時期に刊行されたことは理解に苦しむ。 ティム氏は、「ギャッォはこれまで政策への不満を心の中にしまいこみ、外に出すことはほとんどなかった。それと対称的なのが、チベット人共産党員として最も有名なプンツォク・ワンギェルだ。ギャツォとは巴塘県の同じ村の出身だ。もう80代だったがはつらつとした人物で、本名を縮めたプンワンの名で知られる。現在は北京に住み、基本的には表舞台から距離を置き、ときたま訪れる客の相手をして過ごしていた。…」と、プンワンに言及しその果たした歴史的役割を高く評価している。しかしダライ・ラマに接見したとき、ティム氏はわざわざこの二人について質問しているが、ダライ・ラマのプンワンに対するコメントは記していない。ティム氏がジャーナリストを生業としているのならば、「なぜダライ・ラマがプンワン氏へのコメントを避けたのか」について、深く考察する必要があったのではないか。なぜならプンワン氏だけが、毛沢東とダライ・ラマの対話を通訳した生き証人だからである。またティム氏が本当に、チベット問題の真相に迫るつもりだったのならば、北京での6年間の滞在中に、プンワン氏のもとに足を運ぶ機会は、十分にあったと思うのだが、ティム氏はなぜそれを行わなかったのだろうか。この本の、その他の多くの取材がまったく無意味だとは言わないが、残念なことである。 またティム氏のダラム・サラの認識についても、私は違和感を覚える。私は昨年1月にダラム・サラを訪れたが、そこで私が見たものは理想郷ではなく、完全な階級社会であり、そのトップに君臨していたのがダライ・ラマを始めとするチベット層階級、そして一般チベット人の商売人、地元インド人、流入インド人という具合で、最下層の流入インド人が住むスラム街があり、街の清掃などの仕事は全部、その人たちが担当していた。ダラム・サラを理想郷のように描くティム氏は、あの社会状況を目にしなかったのだろうか。もし本当に、ダライ・ラマが素晴らしい宗教家ならば、まさにダラム・サラを階級のない理想郷に作り上げているはずである。 4.「今、知っておきたい 真の中国」 人民中国スタッフ作 朝日新聞出版 1月16日
中国の国旗と同じ真っ赤な色の表紙の本が、店頭を飾っていた。その色に吸い寄せられるようにして、手に取ってみると、タイトルは、「今、知っておきたい 真の中国」という本であった。中身は“人民中国スタッフ”が作成した画報のようなもので、中国の現状と歴史が要領よくまとめられており、中国をまったく知らない若い人たちには参考になる本だろう。ただし値段は2500円と高く、中国政府の宣伝物ならば、もっと安くすればよいのにと思った。それにしても「今、知っておきたい 真の中国」という割には、なぜ「今、知っておかねばならないのか」、つまりこの本が、なぜ「今」発行されねばならないのか、その必然性がよくわからない本でもある。 なお本文中には、わざわざ「農民工」という特集ページがある。最近、河南省盧展工共産党書記が、「“農民工”という言葉は差別用語である」と発言しているし、広東省共産党汪洋書記は、「“農民工”という言葉を止めることも検討する」と主張しており、「出稼ぎ労働者の熟練技術者88万3000人に都市戸籍を付与する」という計画も検討している。つまり近日中に、「農民工」が差別用語として禁止される可能性が高く、名実ともに「農民工」という存在がなくなる可能性が高い。そう考えると、デカデカとその名を書いているこの本が店頭から回収される日が遠くないかもしれない。そうするとこの本は「幻の出版物」となり、希少価値が出てくるかもしれない。私はそう考えながら、この本を買い求めた。 毛沢東の評価については、以下のように記し、「過ちを正視しそれを正してこそ、未来の発展は正しい方向を得、人民の支持が得られる。これが人民の信任と支持を得るための中国共産党が守るべき活動の姿勢、方法であり、信条である」と書いている。ただし本文中に1989年の事件はいっさい登場しない。 ・大躍進の失策に対し、毛沢東は自らの責任について1962年の7000人大会で、「中央が犯した誤りはすべて直接的に私に責任がある。間接的にも私に部分的責任がある。なぜなら私は中央の主席であるから」と述べた。中央指導者として自ら過ちを認め、責任を負い、もつて戒めとする態度は、人民の理解と支持を得た。 ・「文化大革命」が終わると、中国共産党中央は混乱を収拾し、正常に戻すために奮戦した。「建国以来の党の若干の歴史的問題についての決議」は、“文化大革命”を重大な過ちとし、徹底的に否定し、同時に“文化大革命”の過ちは毛沢東に主な責任があると明確に指摘した。 5.「中国でお尻を手術。遊牧夫婦、アジアを行く」 近藤雄生著 ミシマ社 11月3日
帯の言葉 : 「年収30万の三十路ライター、人生に迷う」 この本は、30代後半の日本人ライターが、タイ・ビルマ・昆明・上海へと流浪の旅を続けながら、その土地で遭遇した事件や人物などのことを書き連ねたものである。昆明でお尻の手術をしたエピソードが、おもしろおかしく書いてあり、それがそのままタイトルとなっている。 近藤氏は、タイからビルマへ入り、そこから中国国境の街ムーセ(中国名:瑞麗)へ向かい、そこで越境する手はずであった。10年以上前、私もミャンマーから陸路で中国入りを目指したが、それはできなかった。その経験があったので、近藤氏がどのようにして、あのムーセの国境を越えたのだろうかと思い、心を弾ませてこの本を読み進めていたのだが、結局、近藤氏もダメだったようで、再度、タイへ戻りラオス経由で中国へ入っている。近藤氏は肝心のこのミャンマー国境の越境事情について、まったく記述していない。ここにこそドラマがあったと思うのだが、残念であると同時に不思議でもある。 近藤氏は、本文中で、「年収30万円程度のライターである」と自虐的に書いている。できるだけ早い時期に、1人前のライターとなり、日本国家に税金を払い、自立した日本人として生きて欲しいものである。 |
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