2年遅れの中国認識
2年遅れの中国認識 −WEDGE6月号:阿古論文について− |
19.JUN.09 |
新幹線の中で、WEDGE6月号を読んでいたとき、「溢れる“失業農民” 崩れる中国の経済成長モデル」(阿古智子:早稲田大学准教授)と題した文章が目に留まった。これまでもWEDGEの中国に関する記事については、偏った立場のものが多く気にはなっていたが、それが世論を揺り動かすほどのものではなかったので、あえて反論してこなかった。しかし今回の阿古論文は、あまりにも時勢に遅れているので、現地調査を踏まえた上で、反論を試みることにした。中国は五輪前(2007年)から大きく変化している。この阿古准教授の文章も2年前ならば少しは納得できるが、刻一刻と変化している中国の現状の前では「2年遅れの中国認識」と言わざるを得ない。このような文章を堂々と掲載するWEDGE編集者の見識を疑う。 1.総論に対する反論 阿古准教授は、小見出しで次のように書いている。これが阿古准教授の結論だと思うのでその全文を引用する。 「中国の成長モデルを支えてきた農民工。しかし、金融危機の直撃によって職を失い、各地で暴動が発生するなど中国はいま、久方ぶりに不安定さを増している。問題の根底にあるのは、中国の戸籍制度である。農民を差別的に扱ってきたツケが積み重なり、身動きがとれなくなっているのだ。大きな矛盾を解消できない中国。今後、日本企業はそのリスクをよく見極める必要がある」 現在、中国は世界中でもっとも早く経済危機から立ち直りつつあり、世界はその中国の消費力に経済復興の望みをつないでいる。これが現在の中国に関する世界の共通認識である。 したがって上述のように「中国はいま、久方ぶりに不安定さを増している」などという主張は、おおはずれである。 もし論ずるのであれば、「この中国経済の復調が本物であるかどうか、どこまで続くか」などがテーマとされるべきである。 なお、暴動情報認識、農民工の現状についての捉え方、戸籍制度についての認識など、どれも素人の判断に等しいものであり、研究者のものではない。これについては各論で述べる。さらに日本企業に対する提言も「リスクを見極めよ」などというのは見当違いで、企業はそんなことは百も承知であり、ハイリスク・ハイリターンを求めて、中国に金儲けに行っているのであるから、「リスクがあるが、へっぴり腰ではバスに乗り遅れる。リスクを乗り越え、大儲けするにはこのようにせよ」という提言でなければ、企業にとってまったく役に立たないし、それでは文章を書く意味もない。 2.各論に対する反論 @暴動について。 阿古准教授は「各地で暴動が発生」として、それを根拠にして「中国が不安定さを増している」と主張しているが、現実の中国では暴動という類のものは少なく、なおかつ大きな暴動は減る傾向にある。 私は過去1年間に渡って、暴動現場に駆けつけて調査を行ってきた。そして「中国は暴動では崩壊しない」という結論に達した。阿古准教授が文中で引用されている東莞市の合俊集団の労働者デモ、浙江省桐郷市の騒動についても、それぞれ私が調査報告済みなのでそれを読んでいただきたい。 それは暴動レベルは2以下で、騒動という類のものである。 おそらく阿古准教授は一般マスコミの報道を鵜呑みにしたのだろうが、今後、暴動については同友会上海倶楽部HP上の私の調査結果を確かめてから論文を書いてもらいたいものである。
(暴動レベルについては拙論「暴動情報検証」を参照していただきたい)。 ただし阿古准教授が論拠の一つにしている1月に起きた安徽省蕪湖市の事件は、私にとっては注目度の低い騒動だったので現地検証は省略し、各位には情報提供のみとしていた。しかし今回、阿古准教授がわざわざこの事件を例として取り上げているのには、なにか特別な意味があるのかもしれないと考え、すでに半年過ぎで風化しているかもしれないが、私はひとまず現地検証に行ってみることにした。まず阿古准教授の文章をそのまま以下に書き出しておく。 「安徽省蕪湖市では、地元最大の不動産会社が経営難に陥り、給与1500万元(約2250万円)分が未払いとなっていたが、1月13日、農民工約1000人が集結して特殊警察隊500人と衝突、交通要所の橋をふさいで抗議を行った」 この文章は私が2月に提供した暴動情報とほぼ一致しており、出所は同じであると考えられる。私はそのとき、この情報の真偽について疑問を持った。なぜなら通常、不動産会社が農民工を1000人も雇用していることはありえないからである。それでもたいした事件ではなかったので、あえて現場検証には踏み切らなかった。 今回わかったことは、不動産会社ではなく建設会社であり、デモの中心になった農民工は50人から100人程度ということであり、いつものように、それを取り巻く野次馬を含めると1000人になったという実態であった。私の2月の暴動情報における当事件の暴動レベル0。という評価は正しかった。 上海から高速バスで5時間走ると蕪湖市に着く。市の周辺は建築ラッシュで、街は活況を呈している。
バスターミナルの周辺でタクシー運転手や駅の係員、食堂の服務員など10数人に事件のことを聞いて回ったが、だれも知らなかった。いつもの現地調査ではこの手でだいたいわかるのだが、すでに半年も経っているのと、上述の情報には具体的な地名が書いていなかったのとで、手がかりがつかめず途方にくれた。 仕方がないので、市内地図を買って、河と1000人で封鎖できそうな橋を探した。幸いなことに、河は市の南方に1本(青弋河)しかなく、その河には5本の橋がかかっていた。 そこで私はタクシーでそのうちの1本の橋(中江橋)のたもとに行って、周辺の店に聞きまわった。するとある屋台の女性がその事件を覚えており詳しく話してくれた。また近くの不動産屋の年配の男性も同様の話をしてくれた。 蕪湖市・中江橋のたもと 彼らの話では、春節前に建設会社で働いていた農民工50から100人が給与の未払いに抗議して、横断幕を掲げて大通りを練り歩き、橋のたもとまできてそこに座り込んだという。午後4時ごろのことで、退勤途中の一般人も含めて1000人ほどの野次馬がそれに加わり、交通が麻痺してしまったので、武装警察が出て整理に当たったという。事態は数時間で収まったという。 この事件は暴動という類のものではなく、小さな抗議活動であり、おおげさに取り扱うほどのものではない。蕪湖市は大発展中で、農民工は圧倒的に不足しており、上海に出稼ぎに出向かなくても十分に仕事にありつける。それが証拠にその橋のたもとにあった労働人材市場にはだれもいなかったし、市内のあちこちで求人広告が貼り出されていた。 A湖北省沙洋県の定点調査について。 阿古准教授は湖北省の沙洋県を7年に渡って定点調査をしているからと、胸を張って中国を論じている。 私は中国の湖北省黄石市に工場進出して20年、その後上海に15年、香港で12年、吉林省琿春市で
5年、それぞれ工場や営業所を展開してきた。その間、中国の内販にも挑戦し、全土の60を越す都市の 百貨店に直売店を出していた。だから中国全土の生の情報をかなり多く把握していると自負している。 それでも文化大革命以前から中国を見続けてきた大先輩の前では、いつも自分の中国認識の浅薄さを思い知らされ、身が縮む思いをしている。 阿古准教授も定点調査というからには、せめて深さを改革開放時点からとし、広さを中国各地の10か所以上にすべきであると思う。そうでなければ巨大な中国を論じることは不可能である。 それでも私は、阿古准教授がわざわざ湖北省沙洋県に限定して定点調査を実行しているのには、そこになにか特別な理由があるかもしれないと考えた。その疑問を解くために、私は沙洋県を訪ねたみた。 沙洋県は湖北省の中央付近に位置しており、武漢空港から西北へ車で2時間半ほど走ったところにある。街の側を漢水が流れ湖も多く、付近にはのどかな田園地帯が広がっている。一見したところでは、それは
中国のどこにでもある農村風景である。しかしこの県の名前を聞くと、多くの中国人は眉をひそめるという。なぜならばこの県には、中国で2番目に大きい監獄があり、さらに県の中には20か所を越える監獄が存在しているからである。なぜここに監獄が集中しているのか、その理由はわからないが、実際に道路を車で走っていると、とにかく監獄が多い。またやたらと公安や司法と書いた警察車両に出会う。ついつい脱獄が多いので巡回しているのかと思ってしまうほどであった。昼ご飯を食べているとき、地元の人にこの県の人口は60万人ぐらいだが、そのうちに監獄関連で仕事をしている人が3万7千人いるという話を聞いて、警察車両の多さにも納得した。 ある監獄前で 私は中国の多くの街を見てきたが、監獄がこれだけ堂々と街中にあふれている場所ははじめてだった。 監獄はそれ自体が独立した事業体を経営していて、大型農場や綿製品製造工場、小型機械製造工場などを併設している。したがって農産物の収穫期になると受刑者が総出で働くので壮観だという。中には監獄の看板と会社の看板がいっ しょに掲げられているところもあった。それらの多くの監獄に全国から面会に来る人だけでも、相当な数にのぼり、飲食店や招待所(安宿)も普通の県よりはかなり多い。監獄関係者専用カードが通用する店があるぐらいである。 公司名と監獄名の看板 ホテルで県の地図を見ていると、そこに「5・7幹部学校旧址」という場所があったので、従業員に聞いてみたが詳しい住所はわからなかった。とにかく近くまでいってみたがなかなかわからない。地元の老人を探して聞いてみると、現在は警察学校になっているという。そこまで行って門の前をうろうろしていると、中から老人が出てきたので聞いてみたら、この中だという。彼が気安く案内してくれたので付いて入った。 そこは1966年、文化大革命の初期に毛沢東が「5・7指示」を出し、北京の幹部など約2万名を労働改造に下放した場所だという。そこには現在、なにも看板らしいものは残っておらず、ただみずぼらしい家が建っていただけだった。それでも結構多くの人が、昔をしのんで、ここに訪ねて来るという。 5・7幹部学校旧跡 沙洋県にはこの他にも「5・7幹部学校」が数か所あったという。ここは文化大革命時代からいわば政治犯の収容所として機能していたのではないかと思われる。それが現在の監獄の多さにつながっているのではないだろうか。 その意味で沙洋県は中国の中でも、きわめて特殊な歴史をもっている県であり、現在までもその宿命を背負っている県である。この県をじっくり調べれば、中国の歴史の1ページが解明できるのではないかと思う。 だからおもしろい県ではある。しかしながらこの県を中国の標準的な農村県として位置づけて、定点調査をしてみても中国の一般農村についての正しい結論を得ることはできないだろう。 B農民工問題について。 「農民工の大量失業が中国を危機に陥れる」という主張はよく聞かれるものであるが、これほど現実を無視したものはない。 私はすでに7年前から、「中国は人手不足である」と言い続けてきたが、やっと最近になって一般に認知されるようになってきた。金融危機後でも、その傾向は若干変化してきたものの、巷に失業者がうようよしているような状況ではなく、基調は依然として「人手不足」である。 だから「溢れる“失業農民”」という主張は現実無視もはなはだしい。 (以下に掲げる写真は沙洋県内の求人広告の一部である) 「農民工」が仕事を選り好みしなければ、失業という事態を避けることはできる。大学生の就職浪人問題も取沙汰されているが、これとてもミスマッチが大きな原因である。 今、中国で展開されているのは、より条件のよい就職口をみつけようとしている労働者(農民工)と、より質のよい労働者をより安く採用しようとする経営者のバトルである。労働契約法が整備された現在、「虐げられた労働者」や「溢れる“失業農民”」などという固定観念で、中国に生起している事態を把握しようとすることは児戯に等しい。 阿古准教授が定点調査している沙洋県も例外ではなく、街は「人手不足」である。私は沙洋県の大通りを歩いてみたが、あちこちに求人チラシが貼られていた。「農民工が溢れている」状態ならば絶対にこのような求人広告が店頭に貼られることはない。 ある工場の門前の求人広告には、月給1100元という条件が提示されていた。門衛の話によれば、これだけ高額を提示しても応募者は少ないという。ちなみに上海の私の工場でも初任給は1500元である。
阿古准教授はこの実態を直視すべきである。沙洋県でも「失業農民は溢れていない」のである。 C戸籍制度について。 中国の戸籍制度はたしかに表面的には不条理である。しかし実際にはかなりの抜け道があり、骨抜きになっているのが実状であり、地方出身の農民工も以前と比べると戸籍問題を重視しなくなっている。また政府も数年後には実態に合わせて手直しをしようと考えているといわれている。 たしかに農民工は日本の国民のように住民票や戸籍を自由に移動させることはできない。しかし現実には農民工はどこでも自由に移動して働いている。ただ社会保障などの面で、移住先の恩典に預かれないだけである。 しかしながら中国では社会保障制度については整備途上であり、今後、地域間格差が大きく是正されるにちがいない。現在、大きな問題になっている医療制度については、都市住民であっても前払い金を納めなければ高度な医療を受けることはできない。この点では農民工も都市住民も差がない。つまり戸籍には関係がない。 いまや農民工はJターン現象で、物価の高い主要都市を避け、郷里に近い地方都市に移動しつつある。
それが沿岸部の人手不足現象に拍車をかけている。さらに最近の政府の内陸部振興政策はそれを後押ししている。ことに最近では高級管理者や技術者の不足が沿岸部の諸都市で目立つようになってきた。それらを解決するために、上海市では数年前まで市内のマンションを買った者や、市内にある会社の総経理には戸籍を与えるなどの方策を実施してきた。 なお、最近になって正式に細則を公表し、戸籍制度の改革をスタートさせた。深センでは高学歴者やIT技術者などに戸籍を与え、人材の確保に努めている。 つまり農民工でも努力次第では、戸籍を手に入れることは不可能ではないのである。だから戸籍制度が中国経済発展の桎梏になっているという主張は、中国の現実を反映しているとはいえない。 |
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