小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 09年8・10月発行本−その3 


読後雑感 : 09年8・10月発行本−その3 
11.DEC.09
今回取り上げたのは以下の5冊

1.「中国市場に踏みとどまる!」 

2.「中国問題の核心」 

3.「1冊でつかめる! 中国近現代史」

4.「中国分裂 七つの理由」 

5.「なぜ日本が中国最大の敵なのか」


上記のほか、10月中に「チャイナ・アズ・ナンバーワン」、「発禁“中国農民調査”抹殺裁判」の2冊が発行されている。両著とも力作のため、それを読みこなし検証するのに、目下悪戦苦闘中である。若干賞味期限切れとなるが、12月末までには読後雑感を各位にお届けできると考えている。


1.「中国市場に踏みとどまる!」  上場大著  キャップス刊(2009年10月1日発行)


 上場氏は第1章から4章までを使い、いろいろな角度で中国の社会を分析している。

 中国の失業者の認識、北朝鮮問題、北京松下での争議などについては記述や解析が不十分な面もあるが、他の部分は法律面などをしっかり把握した上で、事業成功に必要な対応手段を具体的に書き、さらに撤退しようとしている日本企業には、「踏みとどまって、つぎのチャンスに備えよ」と、文中で檄を飛ばしている。その点では読み甲斐がある本である。

 私は手に取った本を購入するかどうかに迷ったとき、その本の最後の部分を読みそれで決定することにしている。。そこに著者の意図が凝縮されていることが多いからである。

 上場氏はこの本の最後で、「中国ビジネスに携わるにあたってのマインドセットについて」、「“中国を好きになる”ということだと思う」と書いている。私も同感である。この言葉につられて、私はこの本を購入し本文を読み進めていった。

 この本の副題は「日本企業の勝ち残り戦略」となっている。この本からこの点を読み取りたいならば、第5章の「日本企業勝ち残りの法則」を読むだけで十分である。

 上場氏はその章で、まず勝ち残るためには、顔・関係・価格・管理の4Kが必要だと説き、その上で、「どんなに時宜を得た、よい製品でも、売れるようになるまでには、最低3年かかる。その覚悟がなければ、中国ビジネスに手を染めるべきではない」と説く。そして「3年かけて製品が売れるようになると、今度はニセモノや類似品が跳梁跋扈することになる」ので、「対策は淡々と現実的に行え」と続け、次にニセモノよりももっと警戒しなければならないのは「内部の敵」だと強調し、それらの「リスクを回避できるかどうか、競争に勝つかどうかの基本は情報にある」と書いている。

 そして素晴らしい日本のサービスを教育と訓練で中国人従業員に徹底すれば、中国市場で十分に勝てると結論付けている。

 さらに上場氏は「サービス業や流通と同様に、日本企業に商機があるのが、物流だと思う。とくにコールドチェーンだ」と具体的な提言もしている。そして最後に、上掲の「中国を好きになれ」という言葉でこの章を結んでいる。

 これらの上場氏の指示に従えば、十分、中国戦線に勝ち残ることが可能であると思うが、私はこれに次のような方法を付け加えれば鬼に金棒だと思う。

 私は日本企業に地元政府に対して提言力を持てと言いたい。

 つまり日本企業の持つ豊富な経験やアイディアを地元政府や関係機関にどんどん提案することである。彼らは予想外に柔軟なのでそれを受け入れることがあるし、場合によっては特区を作って試行するようになるかもしれない。私は日本のように既得権益が重なり合って身動きの取れない国よりも、中国の地の方が革新的なアイディアを実行しやすいと見ている。これが功を奏せば、地元政府とのパイプがしっかりつなげ、確実に勝ち残ることができる。

 なお、日経ビジネスの11/30号は、この本を中国ビジネスの注意点がわかる1冊として紹介している。


2.「中国問題の核心」  清水美和著  ちくま新書刊(2009年9月10日発行)

 清水氏は「おわりに」で、この本を著すに至った心境を、「中国については、とかく感情論や色眼鏡で見る論調が多く、報道さえ偏見や反発から自由ではいられない。最低限、中国で起きていることを、感情に流されず事実に即して見るとともに複雑でわかりにくい情勢に自分なりの見解を示すことが必要ではないか。こうした考えから変幻する中国情勢に関する本を、新たに加えることになった」と記している。

 しかしながら清水氏は、この本の中で「わかりにくい情勢に自分なりの見解を示す」ことに成功はしているが、「事実に即して見る」ことについては不十分さを残している。

 清水氏が自らの体験した具体的な事象に論及しているのは、冒頭の鉄道列車内の事件についてのみで、その他の部分については他者からの情報を根拠にした主張がほとんどである。 したがって正確に事実が確認されておらず、残念ながらそこから導き出された結論には誤りが多い。

 たとえば随所で「金融危機の影響で、中国国内には2千万人以上に達する失業者が生まれ」と、できあいの情報を根拠にした主張を展開しているが、これは大きな誤りである。

 またチベットやウルムチ暴動への言及も、一般マスコミの報道を根拠にしているもので、清水氏独自の現場調査を踏まえたものではなく、事実誤認が多い。

 集団抗議事件についても、「公安省が認めただけでも、こうした集団事件は2006年に9万件以上に達した」(P.130)と、中国政府の発表を鵜呑みにしてそれに疑問を感じていない。

 ことに09年6月に湖北省石首市で起きた事件や、08年6月に起きた貴州省瓮安県の事件を引き合いに出し、「騒乱、デモ、陳情など集団事件は日常化している」との見解を示している。

 私はこの二つの事件現場に足を運び、自分の目で検証してきたが、現場を見ていない清水氏の主張はかなり的外れとなっていると見る。

 しかもこれに続いて、ここでは「国営通信新華社発行の時事週刊誌“瞭望”(08年9月8日号)によると、1993年に8700件だった集団抗議は2006年に9万件を超えた」(P.136)と書いている。清水氏の「集団抗議9万件」の根拠は、公安省発表なのか“瞭望”なのか、私は理解に苦しむ。

 それでも清水氏は、中国経済の鈍化が五輪前から起きており、その原因を07年末の金融引き締めと改訂労働契約法の施行であると見抜き、しっかりそれを記述している(P.149〜154)。

 他の多くの中国ウォッチャーが、中国経済の急減速を単純にリーマンショック以降として論を展開しているのと比べれば、清水氏は事態を正確に把握していると言える。

 清水氏はまず第1章で、「再び高まる東シナ海のうねり」との見出しを掲げ、尖閣諸島問題を論じている。もちろんそこでは冷静な論が展開されており、多くの中国ウォッチャーの主張に見られるような愛国心に拘泥したものではない。しかしもしここで清水氏が、実際に尖閣諸島に足を運び、目で見た事実を踏まえてこの文章を書いていたならば、もっとインパクトの強いものになり、「中国問題の核心」に迫ったものになっていただろう。


3. 「1冊でつかめる! 中国近現代史」  荘魯迅著  講談社+α新書刊(2009年10月20日発行)

 荘氏はわかりづらい中国の近現代史を、読みやすい物語調に仕立てて書いており、この本を片手にソファーに寝転びながら読み進めて行けば、だれでも数時間後には中国通になれるのではないかと思うほどの仕上がりである。

 もちろん中国問題専門家の目で読めば、随所に疑問点も浮かびあがってくるが、日本人が書いたものではなく、中国人の荘氏が日本語で書いたものだけに、新たな視点が付け加えられており、多くの人に読んでもらいたい1冊である。

 この本は、前半=アヘン戦争を描いた序章から蒋介石が台湾へ渡るまでの第8章までと、後半=新中国建設開始の第9章からケ小平の南巡講和の第11章までに大別できる。

 前半は歴史的事実に沿って淡々と述べられているが、一転して後半は荘氏の憤りが文中からあふれ出てくるような筆致になっている。荘氏は幼かりしころ、文化大革命に遭遇し辛酸を嘗めてきただけに、冷静な記述にはなりえなかったのであろう。私も文化大革命の被害者であっただけに、その心情はよく理解できる。

 荘氏はまずアヘン戦争を、イギリスが中国を市場として開放させるために仕掛けたものとして捉え、夜郎自大化していた清朝末期の為政者たちが右往左往し、その都度変わる指示に林則徐をはじめとする重臣が翻弄されていく様子をを活写している。

 太平天国の乱については、洪秀全など指導部の腐敗に言及し、「20世紀の50年代以降、中国は政治的原因により太平天国を農民革命として評価してきたが、近年はようやくその腐朽な本質に反省の目線を向け始めている」と新しい解釈を試みている。

 李鴻章などの「洋務運動」についても、彼らが掲げた「中体西用」の方針を「“褌にタキシード”というへんてこなファッションに似た改革」と、言い得て妙な表現を使って揶揄している。 

 また康有為などの「維新変法」についても掛け声倒れだったとした。

 義和団の乱については、「ずばり過激な攘夷運動である」と言い切り、「抑制がきかなくなってしまったこの大群衆は至る所で教会を焼き払い信者を殺し、しまいには洋務派や維新派に同情した者まで槍玉にあげた。何よりもぞっとするのは、タバコ、メガネ、洋傘、鉛筆、洋書、ないしマッチといった舶来品を携帯、使用しただけで多くの人間が容赦なく叩き殺されたことである」とその残虐面を指摘している。そして「中国の歴史学界はこれまで、太平天国、洋務運動、維新変法、義和団を“4大改革”として見る向きがあった」が、それらはむしろ歴史の歯車を逆転させたのではないかと指摘している。

 南京大虐殺については中国人の立場から、「…今になって数字にこだわり、被害者の心に新たな傷を加えるのは極めて非人道的ではないだろうか?30万という数字は恨みの記憶ではなく、言語に絶する戦争の苦難の象徴として中国人の心に刻まれたものだ。それが実数であれ、概数であれ、南京大虐殺は揺るぎない事実である」と書いている。

 私はこの見解に反対ではないが、日本人として何かとこの問題を鼻面に突き出されるのには閉口しているとは言いたい。それにしても日本に在住している荘氏が、保守論壇や右翼から幾多の妨害を覚悟の上で、このように堂々とした主張を記述していることに敬意を表する。

 第9章以降は、毛沢東の悪政の記述に大半が占められていると言っても過言ではない。残念ながら資料などに未公開の部分が多く、証言者も亡くなっていたり口をつぐんでいたりして、依然として事態は謎に包まれた部分が多く、それらの記述がすべて真実であるとは言い難い。

 ことに建国後の幾多の政治闘争を毛沢東と劉少奇との間の権力争いに収斂していく思考方法には疑問を感じる。ユン・チャン氏の「マオ」ほどの憶測交じりではないにしても、今後の資料公開などの結果如何で、荘氏は記述を変更せざるを得ないかもしれない。読者には第9章以降を、そのような目で読んでもらいたいと思っている。

 荘氏はこの本を近現代史と名付けているのだから、できればケ小平の南巡講和で筆を置くのではなく、その後の歴史にも迫ってもらいたかった。なぜなら南巡講和からすでに20年が経過し、その過程で中国が劇的に変化し、G2と呼ばれるほどに巨大化してきているからである。この過程については資料も豊富であり証言者も現役であるから、描きやすいと思う。またこの過程を記述することで、過去の毛沢東時代の評価を見直すことも可能であると思うからである。

 さらに荘氏は、紙幅の為にという理由で、長征や朝鮮戦争などについて詳述することを避けているが、できるだけ早い時期にこれらに関しても論述してもらいたいものである。


4. 「中国分裂 七つの理由」  宮崎正弘著  阪急コミュニケーションズ刊(2009年9月28日発行)

 中国の国内線の機中で、宮崎氏のこの本を読んでいたとき、隣の日本人から表紙を隠すようにとアドバイスを受けた。確かにこの本の表題は、中国人にとっては不快なものであり、私はわざわざトラブルの原因を作る必要もないと思い、その忠告に従って本に新聞紙で臨時のカバーを付けて読み続けることにした。

 いつものことながら、文中での宮崎氏の世界全般に渡る多彩な情報には勉強させられるが、その情報の中には若干時代遅れで現実とは落差のあるものや、事実を誤認している部分も多い。ここでは細部にわたっての検討は行わないが、チベットやウルムチでの暴動についての記述、また東北3省なかでも延辺朝鮮族自治州近辺についての言及などは、私がこの1年半書き続けてきたものと読み比べれば、それは明白である。かつての宮崎氏は中国全土を自分の足で歩き、その堪能な中国語を活かして現場から確実に情報を収集し、それを文章化していた。この本における宮崎氏の行動スタイルはそれらと比べると若干鈍っているようであり、その分だけ現状分析に鋭さが薄まっているようである。

 文中で宮崎氏自身も「筆者はミャンマーを1週間旅行したことがあるが、その穏やかな人々と風景ののどかさに、むしろ感動した」と控え目でかつ常識的に書き、その体験からスーチー女史を「英国殖民の狎れ、英国へ留学したスーチー女史には土着の思想も発想もない」と切って捨て、「このミャンマーの政治を左右するのが中国の外交能力である」と解析している。

 私は10年ほど前に、ミャンマーで3年間工場経営を続けていたし、そのときスーチー女史の自宅前の肉声演説も数回聴いたことがある。また彼女に対する期待の声をミャンマー国民から直接聞いている。その体験から、ミャンマーの人民は穏やかではなくきわめてしたたかであると言い切れるし、ミャンマーを取り巻く情勢は宮崎氏が分析しているような単純な構図ではないと考える。

 宮崎氏は「中国は国際社会の反対をよそに、堂々とミャンマー政府を支援してきた。中国がミャンマー軍事政権への武器援助の交換として獲得したのは、…中国雲南省とミャンマー南方の港湾とを結ぶハイウェイ建設、さらに沖合いからミャンマーを南北に縦断するガス輸送パイプラインを中国が敷設する」権利であると書いているが、その文言は10年前のマスコミにも登場していた古臭い分析であり、10年後の現在でもそれらは遅々として進行していない。これはパキスタンのKKHが、中国の支援のもと全面修理中で来年中には素晴らしいハイウェイに生まれ変わろうとしているのと好対照である。

 また宮崎氏は「いま中国はあたかもコミンテルンの謀略の現代版を実践するかのように、一方でミャンマー軍事政権に異常なテコ入れを行い、他方ではミャンマーの反政府ゲリラ組織にもテコ入れしてきた」と書き、この中国の二股外交を非難しているが、もしこのテコ入れの効果がなく、ミャンマー軍事政権が崩壊したらどのような事態になるかについては言及していない。

 私はミャンマーの軍事政権が崩壊したら少数民族が乱立し、旧ユーゴの惨状の再現になるのではないかと思っている。したがって現実的にはミャンマーを国際的な監視のもとで、通常国家にソフトランディングさせることができる国際体勢が整うまで、この軍制を続行させたほうがよいと思っている。現在、ミャンマー人民の多くが飢え死にしているわけではないので。

 宮崎氏は、この著書に「中国分裂 七つの理由」とタイトルをつけているが、「日本にとって、中国の分裂は得なのか、損なのか」については、文中に明確に記していない。私はそれを明確にすることこそが、もっとも大事なことだが思うがいかがなものだろうか。

 たとえば宮崎氏は、第2章「自壊する中華帝国」の中で、「後節では“分裂の先輩”であるロシア帝国が15に大分裂のあと、どういう運命をたどったかを検証してみよう」と書き出し、いろいろな情報で数ページを費やして、最後に「このようなポスト冷戦構造の地殻変動の波は、いずれ米韓、米日、米豪、米印の安全保障条約の改定、変動へと?がるだろうが、それはTUNAMIとなるか、漣か」と結んでいる。私はこの10ページほどをなんども読み返してみたが、結局、ロシア帝国が分裂後、どのような運命をたどったかはよく飲み込めなかったし、そこからロシア帝国の分裂が日本にどのような影響を及ぼしたかを読み取ることはできなかった。

 宮崎氏は、ロシア帝国の分裂の検証という限りは、その結果の日本の損得勘定について明確に言及すべきでないだろうか。そうでなければロシア帝国の分裂を論じてみても、意味のないものとなる。中国の分裂についての論及も同様である。

 宮崎氏は極東ロシアの現状についても分析を加えている。私は来週、牡丹江・綏芬河経由でウラジオ・ハバロフスクへ市場視察に行く。この宮崎氏の分析に学んで、それを私なりに検証したいと思っている。


5.「なぜ日本が中国最大の敵なのか」 杉山徹宗著  光人社刊(2009年10月4日発行)

 杉山氏はこの著書で、「なぜ日本が中国最大の敵なのか」を自論としては明確に論じていない。その意味で、この本は題名と中身がかなりずれている。

 杉山氏は文中で、中国研究者の「対日戦略レポート」を引用して、「なぜ日本が中国最大の敵なのか」を論証しようとしているが、そのレポートについてさえ「レポートの真偽は定かではないが」と注釈をつけているほどである。

 杉山氏は、「中国にとって最大の敵は日本である」と書き、2番目がロシア、3番目がインド、4番目が米国と続けているが、いずれも検討するまでもない内容である。

 杉山氏は第1章から3章までを割いて、「比較防衛学」を開陳している。それはそれなりに参考にはなる。

 第4章では各論に入り、個別の国家が戦った場合の検討を行っており、最初に日本と中国が戦端を開いた場合を想定して分析している。そして「総合軍事力ではかった場合、中国の軍事力は明らかに日本を凌駕しているが、決定的な差は核戦力である。しかし日本が米国の核の傘の下にあるため、中国が核戦力を使用できないとすると、…(略)日本が中国を凌駕することになる。ただし日本が中国に優越するのは間接的軍事力がすぐれているからで、通常兵器の比較では到底中国の軍事力にかなわない。このため日本が勝利を得るためには奇襲攻撃しかない」と書いている。この文言は、なにやら真珠湾攻撃など、いつか来た道を想起させるものである。

 それでも杉山氏は、増大する中国の軍事的脅威に対して、日本も軍事力を強化せよとは主張していない。彼は「中華帝国の実現を諦めさせるには日本はどうすればよいか」と問いを発し、「日本がしなければならないことは、核兵器の保有の意味がなくなってしまう技術を開発するとか、エネルギー資源を世界に輸出できる技術を完成させることである」と答えている。日本の努力方向を明示したこの指摘には、私も賛成である。

 なお本文中には、中国の実態に言及した各所に多くの事実誤認があるが、その反論は省略する。