小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2011年 第27回 & 第28回


読後雑感 : 2011年 第27回 
21.NOV.11
1.「鏡の国としての日本」
2.「再び立ち上がる日本」
3.「甦る日本! 今こそ示す日本の底力」
4.「“敗者”からみた中国現代史」
5.「“華中特務工作”秘蔵写真帖」

1.「鏡の国としての日本」  王敏著  勉誠出版  10月20日
  副題 : 「互いの《参照枠》となる日中関係   帯の言葉 : 「比較から見えてくる日本人の心と感性」

 比較文化研究、日本研究、宮沢賢治研究で著名な王敏氏の著したこの本から、私は多くのものを学ぶことができた。
 まず王敏氏は序文で、「賢治は世の中のあらゆるものが循環していると言った。国も人も境なくみな連環している。東日本大震災の災難が原風景への転換点であれば、人間も生き方の転換を求められ、素朴な原初的価値観を蘇らせるべきだろう。自然融合という普遍的な価値の可能性について、2000年前の孔子、老子、荘子など、アジアの賢人たちが哲学と思想として指摘し、明かした。それを、日本人のアイデンティティとして、100年前に生まれた賢治が詩と童話の形でわかりやすく書いている」と、宮沢賢治を孔子や老子と同列に置き、高く評価している。ことに賢治の作品の中の「烏の北斗七世」を取り上げ、賢治の思想を紹介している。恥ずかしながら、私はこの作品を読んだことがない。さっそく読んでみることにする。

 また王敏氏は、文中のVで再び「烏の北斗七世」を取り上げ、「宮沢賢治への不可解な疑問を潜在させたまま、筆者は1980年代以来、日本社会に永住している。日本社会という研究室で日本について勉強してきた。その中で、ようやくこの烏の心境が理解できるようになった。それは日本人に独特な死生観であるからではないか。日本人に形成された思考や慣習の中に外国人には見えないものがあると気付いた」と書いている。この指摘を読んで、つい「私はわが意を得たり」と思い、うれしくなった。私も半年前から、日本人の死生観には独特なものがあり、それこそが21世紀の世界を導く思想になるのではないかと考えていたからである。残念ながら王敏氏はこの本で、「遠野物語」にも言及しているが、そこに登場している「デンデラ野・姥捨て思想」、つまり日本人の死生観については気が付いていないようである。

 さらに王敏氏は、「日中の文化考察は異文化を認識することが大切である。これまでは異文化が過小評価されてきたように思われる。日中両国は、同じアジアの文化の一員という背景から、文化の違いに留意しようとしないのではないか。重ねて言うが、日中は互いの文化に対し先入観を排除しなければならない」と書き、「日本人は歴史的に中国から受け入れた漢字や儒教の教養から中国と中国人をよく分かっていると思い込み、中国人は発信した中国文明の影響下にある国と見て、日本と日本文化を中国文化の亜流と見なすのである。従来からの中国観、日本観に加わった要素が、教条的な共産主義国家と見る中国観であり、侵略されて悲惨な記憶を積み重ねる帝国主義国家中心の日本観である。複雑な中国観、日本観の様相を形成している」と書いている。むべなるかなという主張である。

 なお私は今、人間の変節や転向という問題に興味を持って研究しているが、これについて王敏氏は、「一般的に、キリスト教、イスラム教、儒教文化圏の人々は思想を放棄する仕掛けを持っていない。そのため新旧の思想を交換するのも遅いとされている。行動だけでは動かない精神構造になっているからだ。だから幕末・明治維新を画して儒教から西洋思想に乗り換えたり、戦争の敗戦によって急激に変貌できたりした日本が不可思議でしかたがない」と書いている。さらに「新しい思想や学問があると好奇心をみせて飛びつく。日本文化には、思想を、衣服のように四季に合わせて着替える仕掛けがあるとみなければならない。思想を基調にしていなければ異文化の思想との衝突が少なくて済み、受け入れやすくなるかもしれない。感性を基調とした体であれば思想という服を着替えやすいわけである。このような感性重視の関係性思考を文化基調にしている国は多くないだろう。日本文化の独自性を思わざるを得ない」と続けて書いている。近々、私はこの視点を参考にして、日中の転向比較論を書いてみたいと思っている。

 この本で、王敏氏は多彩な課題に論及しており、各国の国家の比較に見る愛国心、中国人の色彩感覚など、参考になる文章が満載である。

2.「再び立ち上がる日本」  李培林著  楊慶敏訳  人間の科学新社  10月1日
  副題 : 「重新崛起的日本 − 異文化という視点からの日本考察」

  帯の言葉 : 「中国における日本人論として“菊と刀”、“ジャパン・アズ・ナンバーワン”をはるかに凌ぐベストセラーとなったのはなぜか?」

 この本は、中国人の日本人観としてたいへん参考になる本である。この題名は耳目を引きつけるにはタイムリーなものである。誰もが東日本大震災から雄々しく立ち上がる日本人像を描いていると思い、この本を買い求めることであろう。しかしこの本は、著者が4年前に執筆したものであり、東日本大震災後に書かれたものではない。それでも私はこの本を詐欺まがいだとは非難しない。なぜなら題名に騙されてもよいから、読んでみる価値のある1冊だと思うからである。この本は、副題に書いてあるように中国でもこの題名で出版され、ベストセラーになったようである。著者は、わずか2か月間の日本滞在を材料にして、この本を書き上げたという。まさにその観察眼と考察には驚かされる。

 著者は、「民族文化、心理的特徴、行動様式などに対する観察・分析は、およそ異国からのものがもっとも鋭く、深いものになると思われる。これは異国人の目で見るとき、常に比較の枠組みで分析されるので、独特なものが見出せるからであろう」と書き、「私は専門外なのでよく分からないが、強いて“菊”と“刀”のような言葉で日本人の実用主義的理性を特徴づけるとすれば、私は直感的に“神社”と“桜”を選ぶであろう」と続けている。

  さらにその理由を、「“神社”は日本人の実用主義的理性を象徴するものである。日本人は、自分たちが“有用”“有効”と思われるさまざまな外来文化を巧みに吸収することができる。それぞれ出所が異なり、しかもお互いに矛盾している文化や、ロジックの繋がりのない文化など、彼ら自身の文化と衝突するものでさえほとんど気にしない。彼らには、さまざまな異なるものを完全に理解し、融合するだけでなく、さらに新しい実体を作り上げるというような特殊な能力を持っている。言語にしろ、衣食にしろ、企業組織にしろ、権威社会にしろ、すべて多元的な選択によって構成されているが、同時に存在していても互いに矛盾しないシステムになっている」と書いている。これは前掲の王敏氏と共通する視点であり、首肯できる。

 次に桜について、「“桜”は、日本人の命に対する追求と特殊な理解を象徴するものである。桜の花のように生命の流れのなかでほんの一瞬の輝きにすぎないとしても、彼らは命をかけて仕事をするし、そういう仕事を非常に喜ぶ。一人の個人としては、彼らはみな平凡であるが、たくさんの桜の花のように集団になると、いつも個体を超越することができ、予想外の天地を揺るがすような大事業を成し遂げることができる。まるで、全体はいつも部分の総和より大きくなる、といっているようである」と書いている。私は寡聞にして、このような桜の比喩を他に知らないが、あらためて著者からこのように言われると、これまた腑に落ちる。

 もっとも著者は、「日本の大和民族は、死の壮烈な美しさと滅びの悲壮な美しさに独特な理解を持ち、追求しているようである。日本人の花見の伝統には、桜を楽しむ最高の時期は桜が散り始める頃だとされている。花びらが散りかけ、滅びつつある状態の桜の美しさを楽しむのが、花見の至高の境地であると思われる」とも、書いている。

 著者は「一般の中国人から見れば、日本人は心にいつもある種の文明の傲慢さと大和民族の優越感を持っているように感じられる。確かに、日本人は傲慢になれるだけのものを持っている」と書き、同時に、「かつて日本の植民地であった韓国と、日本に侵略されたことのある中国は、おそらく世界中でもっとも日本に対して複雑な心理状況を持つ国家であるが、日本人の経済的奇跡を創る能力には感服せざるをえない。日本経済はこの100年あまりの歴史の中で、世界経済体制の“枝葉”から“幹”になった稀に見る特異な例である。日本は世界の7大強国に入った唯一のアジア国家である。しかし韓国と中国は、同じ黄色の肌で黒髪を持つ日本人に対して、同類としてお互いに軽視する傾向があり、金髪、青い目の西側文明の方を崇拝している」と書いている。

 また著者は、「日本の多くの大学生の中国史の理解は、中国の大学生の日本史の理解よりはるかに深い」と言い、「中国の大学生が持っている欧米諸国の歴史文化についての知識・理解は、欧米諸国の大学生が中国についてもつ知識・理解よりはるかに多い」と書いている。これはおもしろい比較である。

 さらに著者は、「日本の大学の先生たちは、今の中国よりもっと“大釜の飯を食う”体制を享受している。あまり競争もなく、みな年功序列に従って、前の席が空くまで待たなければならない。もし自分は非凡であると自惚れ、分不相応な考えを持つ人がいれば、多くの場合、周りに非難され、なかなか出世できなくなるだろう。だから、若い教員はまず謙虚に生きることを学ばねばならない」と書いている。

 著者は、「かつて“楢山節考”という日本映画があった。この映画は、貧しかった昔の山村では、不足する食糧を節約するための口減らしとして、60歳以上の年寄りを背負って山奥に捨てに行く習慣があり、捨てられた年寄りは結局寂しく餓死してしまうというストーリーであった」と書いている。しかしこの「姥捨て思想」の根源にあるもの、またこの日本発「姥捨て思想」こそが、21世紀の地球の救世思想になるということには、気付いていない。

3.「甦る日本! 今こそ示す日本の底力」  段躍中編  日本僑報社  12月9日
  副題 : 「千年に一度の大地震と戦う日本人へ 中国若者たちの生の声」 

 この本は、第7回中国人の日本語作文コンクール受賞作品集である。今回も力作揃いであり、しかもこの本の半分は、題名に示されているように、中国の若者たちからの日本人への激励文で、埋め尽くされている。涙なしでは読めない文章や、自ら経験した四川省大地震とダブらせて描いているもの、中国での募金活動中の暖かいエピソードを書いたものなど、多くの中国の若者の励ましの言葉が綴られている。中には、恥ずかしながら日本人の私でも知らない古人の藤原清輔の和歌を励ましの一首として書き込み、教養の高さを示している若者さえいる。いつもながら、段躍中氏と日本僑報社に、心から敬意を表する次第である。多くの日本人の目に触れてもらいたい1冊である。

 なお、この本の残りの半分は、「日本企業に伝えたい中国人消費者の本音」というテーマに基づいた、中国の若者たちの日本企業と日本人への提言作品である。それらの中の代表的な意見を以下に書き出しておく。

・中国で事業を行う時に、最も重要な事は客を大事にすることだ。トヨタの大規模リコール問題は中国で大きく報道され、トヨタは中国の客の信頼を大幅に失った。客から常に信頼差される物作りが何よりも大切である。「客様は神様だ」昔よく使われたこの言葉を大切にすべきである。中国で企業を経営するのは想像以上に壁が厚い。何か壁にぶつかったとしても、努力することで日本企業が更なる発展を遂げることを期待している。

・日系企業が中国で発展していく為には、企業を中国現地化にする必要があり、トップマネジメントの経営陣に中国人を登用しなければならない。また登用制度を明確化する必要があると中国に進出している日系企業に伝えたい。

・商売、特に国際貿易はただの物作りだけでなく、人と人とのコミュニケーションでもある。日本人は伝統を守るのが得意なので、技術上は世界的な成功を収めている。中国の消費者として、日系企業の今までの成績に驚くと同時に、もう少し地元化、かゆいところに手が届くような商品とサービスを期待している。

・日系企業が中国で成功するためには中国人の風俗習慣を知ることが大切です。中国人の消費観念をより深く理解すれば成功しやすいでしょう。

・日本のやり方、日本で売られているもの、日本での宣伝方法をそのまま中国に持ってきても中国で市場を得ることは難しいと思います。日本には日本人のニーズがあるように、中国には中国人のニーズがあり、そのニーズの多くは「80年代っ子」が作っているのです。しかもこの「80年代っ子」は実は日本の総人口よりも多いのです。

・中国では国民の半分以上が農民で、農村における消費市場はばかにならないものであり、十分重視することが必要である。日系企業が農村でどのようにしたら成功できるかを私は考えた。そして、いくつかの提案をしたい。まず、包装の費用を減らして、その費用を量の面に回すことである。包装が豪華ではなくても量が多ければ、農民の間で必ず人気を呼ぶであろう。

・日本企業が中国で成功するための最大のカギは、日々変化している中国人のライフスタイルを消費者と同じ目線でしっかり観察し、かつ理解することだろう。

・独自の特色とその土地への適応性の調和点を探求するのが企業にとって課題となると思う。(…中略)。独自性と融合性のバランスを上手に取ることはとても難しいとは分かってはいるが、何とかしてちょうどよい製品を提供してくれないだろうか。これが私の日本企業に伝えたい本音である。

・「中国」という日進月歩の新興市場の中、中国企業が大きく成長したのに対して、日系企業が自慢のせいか足踏み状態で成長に遅れていることだと思います。

・何と言っても、日本企業は中国に立脚するために、もっと努力しなければならない。日本企業にとって重要なことは中国市場を重視し、中国人の生活習慣と消費観念を理解し、需要と結び付けていろいろと工夫を凝らすべきである。

・中国で「物が良くて値段が安い」ということわざがある。だから、中国人に物を売るとき、最も重要なポイントは安い値段と良い質である。日系企業は何といっても物のコストを下げる方法を考えなければならない。

・間もなく到来する男性の化粧ブームを生かし、商品開発と宣伝に力を入れれば、日本企業はきっと成功できるだろう。

・日系企業が公益活動に参加することの重要性です。企業は社会の役に立つので、消費者に喜ばれるからこそ売り上げが増えていくことができるのです。

 私はこれらの提言を読み終わって、中国の若者たちに二つの大きな特性があることに気が付いた。
 まず一つは、中国の若者たちの発想が意外に貧弱である点である。上掲の提言には、私をあっと驚かせるようなものはまったくなく、まさに優等生の模範解答のようなものばかりである。私はこの提言作品群を読んで安心した。なぜならこのような常識的で没個性的な若者たちが相手なら、日本の若者も互角に立ち振る舞うことが可能だろうと思うからである。日本の若者たちも常識的であり、異端の発想の持ち主が少なく、個性的かつ革新的な相手を前にしたときは対応不可能で、一方的に押しまくられ負けてしまうだろうと思うからである。

 次に私が注目したのは、中国の若者たちの自国認識であり、自己認識である。彼らは自国を、「人口13億人の急成長市場である中国には、世界各国の企業の資金が、留まることなく流れ込んでいる。日本企業も例外ではない。不況の世界経済を牽引する中国経済の底知れぬパワーには、誰もが一攫千金のビジネスチャンスを夢見ている」と認識し、自己を、「市場経済の発展とともに成長してきた“80年代っ子”はほとんど高学歴で、可処分所得が高い独りっ子であり、インターネットも使いこなします」と認識している。それらの共通認識に立っているから、彼らは上掲のような模範解答の羅列になってしまうのである。

 しかしながら昨今、中国では大学生の就職難が問題化しており、蟻族という造語すらできているほどである。それらの現実は彼らが持っている自国認識・自己認識とは、大きくかけ離れている。これは、中国の若者も中国人民も、そして多くの日本人も、すべてが「壮大華麗な中国マジックに幻惑され、洗脳されている」結果であると、私は考えている。やがてマンションバブルが崩壊し、中国経済が不況に落ちこむとき、中国の若者や中国人民、そして多くの日本人が「中国は発展途上国である」という現実に気付き、立ちすくむであろう。ここに素晴らしい作品を寄せてくれた中国の若者たちが、日本のバブル世代の人たちのような、中途半端な人生を歩まないことを祈るばかりである。

4.「“敗者”からみた中国現代史」  荒井利明著  日中出版  11月20日
  帯の言葉 : 「党公認の中国現代史の虚偽・誤りを正し、失脚者たちの証言から歴史の真相に迫る」

 荒井利明氏はこの本で、高崗、彭徳懐、劉少奇、林彪、「4人組」、華国鋒、胡耀邦、趙紫陽らの「敗者」を通じて、中国現代史の真相に迫っている。荒井氏は「おわりに」で、中国現代史の真相が明らかになるのは、「ケ小平批判、つまり、ケ小平に対する評価の見直し」の後であるという主旨を述べている。たしかに改革開放後の中国が大成功しているという認識が主流になっている間は、その主導者の「ケ小平の成果の呪縛」からは、すべての人間が解き放たれず、したがって真相の究明も進まないだろう。来るべき中国のバブル経済崩壊後には、改革開放路線の見直し機運も醸成され、その面からの中国現代史の謎の解明が進むにちがいない。

  第1章で荒井氏は高崗事件を取り上げ、その真相を高崗と劉少奇の権力争いであったと以下のように推論している。建国直後、高崗は党東北局書記、東北軍区司令員として東北地域(旧満州)の実権を握っており、毛沢東の信任も厚かった。そのころ毛沢東は劉少奇との間に路線上の問題を抱えており、高崗を使って劉少奇を牽制していた。ところが情勢の変化とともに、党幹部の間で高崗の反劉少奇の露骨な動きに反発があり、毛沢東も反高崗陣営に身を置かざるを得なくなった。その結果、毛沢東の高崗切り捨てとなり、高崗は自殺に追い込まれた。私はこの荒井氏の説で、高崗事件のすべてを説明し切るには、若干インパクト不足であると考える。この高崗の部下であり戦友でもあったのが、習近平副主席の父親の習仲勲であり、高崗事件ではからくも連座を逃れたが、文化大革命を待たずに失脚している。私は習近平副主席が権力の頂点にたった暁には、高崗事件の衝撃的な真相が明らかにされると思っている。

 荒井氏は第2章で彭徳懐を、第3章で劉少奇を取り上げているが、あえて注目すべき新説は書かれていない。
 荒井氏は第4章で林彪事件を取り上げ、以下のように書いている。林彪は劉少奇なきあと、毛沢東の後継者に選ばれたが、それは林彪が自ら望んだことではなかった。それどころか健康状態などを理由に固持し続けており、拒みつづけることができなくなり、その座についてからも毛沢東に睨まれないように細心の注意を払い、劉少奇の二の舞にならないようにしていた。しかし江青らとの権力争いに巻き込まれ、「毛沢東天才論」をめぐって張春橋と対立してしまった。皮肉なことに廬山会議(1970年8〜9月)においての林彪の不運はその演説が、江青らごく一部の者を除くほぼ全員から歓迎され、支持されたことによって、毛沢東が林彪の影響力を脅威に感じ、嫉妬を覚えるまでに大きくなったことである。林彪派の敗因は、張春橋、つまりは江青派と毛沢東が一体であることへの認識不足であった。その後、林彪は飛行機でのソ連への亡命を図り、モンゴルで墜落死する。この経過は林彪自身の意志であったかどうかは不明のままである。また飛行機の墜落についても原因は特定されていない。ただしこの飛行機のブラックボックスはソ連が回収しており、それが公開されれば、かなりの事実が明らかになるだろう。

 荒井氏はこのように書き、林彪事件が中国人民に与えた影響は強烈だったと言い、その中身を、「毛沢東の“親密な親友で後継者”が“裏切り者、売国奴”だったというのである。偉大な指導者であるはずの毛沢東は、どうしてそんな林彪を後継者に選んだのだろうか−中国の人たちは林彪事件をきっかけに、毛沢東に対して、毛沢東が進めている文化大革命に対して、大きな疑問を抱いた。そして夢から覚めたのである」と記している。さらに毛沢東自身も衝撃を受けたといい、「林彪がまさか逃亡するとは考えていなかったからだろう。彭徳懐や劉少奇がそうであったように、林彪も結局は自己批判し、それによって毛沢東の最高指導者としての権威や権力を改めて誇示できると考えていたのだろう。林彪はそうした毛沢東の思惑を打ち砕いたのであり、だからこそ衝撃を受けたのである」と記している。

 第5章で荒井氏は、「4人組」について書いているが、ここにも注目すべき新事実はない。 
 第6章で荒井氏は華国鋒について書いているが、華国鋒が「毛沢東の隠し子であったのではないか」という俗説には、まったく触れていない。 

 荒井氏は第7章で胡耀邦、第8章で趙紫陽について書いている。これらの問題は、まだまだ生臭いので、ここでの私のコメントは差し控える。荒井氏の、「江沢民は“幸せ者”だった、とつくづく思う。…(中略)。長老たちが政治の舞台から次々に去ってゆく“よき時代”に総書記に抜擢されたのである。胡耀邦や趙紫陽がその“よき時代”に党の最高ポストにあったならば、中国の進路はかなり違ったものになっていただろう」という言葉を紹介するに留めておく。

5.「“華中特務工作”秘蔵写真帖」  広中一成著  語り:梶野渡  彩流社  11月20日

   副題 : 「陸軍曹長 梶野渡の日中戦争」   帯の言葉 : 「元工作員が貴重な戦場写真400枚を初公開!」

 私の趣味は「古戦場の踏破研究」である。私は岐阜市の織田町に生まれ、織田信長の墓所の崇福寺を遊び場にして育った「信長大好き人間」である。織田信長は桶狭間合戦で勝利し、天下取りへの道を切り開いた。桶狭間在住の郷土史家=梶野渡氏は桶狭間合戦研究の第一人者である。私は桶狭間合戦の踏破研究の際には、いつも現地で梶野渡氏のレクチャーを受けることにしている。私とこの本の主人公の梶野氏とは以上のような関係である。

 その梶野氏はかつて、帝国陸軍曹長として中国戦線に従軍していた。その若き時代の記録が、今回、「“華中特務工作”秘蔵写真帖」という形で、彩流社から発刊された。梶野氏が関わった「特務工作」とは、具体的には占領地区の安寧を保つための治安維持工作と、占領目的を理解させ、占領統治に協力させるための宣撫工作が中心的な内容だったという。梶野氏の行動にはいつもカメラマンが同行しており、随所でそれを撮影していた。その写真1000枚ほどが梶野氏の機転で、日本に持ち帰られ、今回、60数年の時を経て日の目を見ることになったのである。

 梶野氏の語りや写真からは、日中戦争の知られざる意外な一面を多く知ることができる。たとえば、梶野氏らの医療行為を伴う宣撫工作の結果、彼らが駐留していた場所が敵軍に攻撃されたとき、村民たちが日本軍の側に立ち敵軍撃退の支援行動をしたという事実、国民党軍が八路軍に包囲攻撃され、日本軍に救いを求めてきたため、それに応じて日本軍が八路軍と戦い国民党軍を救ったという話など。それらはすべて写真として残され、事実として証明できるだけに貴重な証言であると思われる。未発表の写真が数多く残されているということなので、この本の発刊の労を執った愛知大学の三好章教授、広中一成氏らの今後の研究に期待するところ大である。

 なお、梶野氏が活動していた安徽省南東部には瑯ヤ山という名刹があり、そこの「酔翁亭」という場所に「欧文蘇書」と呼ばれる石碑があった。この碑は非常に歴史的価値の高いものと分かったので、梶野氏が奔走して軍の上層部に保存するように依頼し、砲撃や銃弾などで破壊されるのを防いだという。戦後、梶野氏はその拓本や写真を持ち帰った。ところが1972年、日中国交正常化を記念して名古屋で開かれた中国物産展で売られていた本の中に、この碑の亀裂が入った写真が掲載され、そこに「碑は日本軍によって破壊された」という記述あった。これを発見した梶野氏は、証拠写真や拓本をもとに、中国側に調査を依頼したところ、半年後、中国側から、「この亀裂は1960年代に、紅衛兵によってつけられたものである」との回答が寄せられたという。


読後雑感 : 2011年 第28回
06.DEC.11
1.「中国スーパー企業の研究」
2.「これから伸びる中国企業地図」
3.「中国産業地図」
4.「中国成長企業50社−長江編−」
5.「上海・華東進出 完全ガイド」

1.「中国スーパー企業の研究」  沈才彬著  アートデイズ  12月1日
  副題:「日本企業優位の神話は崩壊した」
  帯の言葉:「中国スーパー企業は日本を呑み込みながら躍進する!」

 この本で沈才彬氏は、中国経済の前途をバラ色に評価し、バブル経済の崩壊などはまったく視野に入れていない。まず沈氏は、「第2次大戦以降、西洋諸国と渡り合い、アジアの中で独走してきた日本企業は、これまで中国の企業に対して畏怖の念を持つことはなかった。しかし、2010年のGDP日中逆転以降、その風向きは変わり始めた。今、一部の中国企業は明らかに日本の企業を凌駕し、もはや日本はアジア一の経済大国の地位に胡座をかいてはいられなくなった」と書き、その証明として中国企業の日本企業買収例を10件、列挙している。その中に中国企業の山東如意科技集団が日本アパレルの老舗企業レナウンを買収した案件が取り上げられているが、私はこの買収は失敗作ではないかと思う。繊維業界ではレナウンの経営状況がきわめて深刻で、再生は難しいのではないかと言われて久しい。なぜこの企業をわざわざ山東如意が買収したのか、私には理解できない。買収するなら、もっと将来性のある企業に手をつけるべきではないのか。10例の中のその他の案件にも同様の匂いのするものがある。

 沈氏は本書で、中国のスーパー企業5社を取り上げて紹介している。これらの企業は、短期間に巨大企業になっており、その中身も充実している。それらはまさに昇竜中国を代表するような企業である。しかしながらこれらの企業は、いずれも政府との絡みが強く、その庇護のもとで急成長したという印象をぬぐえない。つまり日本の明治維新後の国策会社の急成長と同様の面があるとも理解できる。それでもそれらの企業の創業者たちの強いリーダーシップには、目を見晴らせるものがある。たしかにこれが現在の日本企業に欠落しているものでもある。

沈氏はレノボの紹介の項で、この企業が創業以来、今まで、「ワーストワン淘汰制度」をとり続けていると書き、この競争原理の活用が成長の原動力になっていると特記している。私は、この認識はすでに過去のものとなっていると考える。今や、中国は「一人っ子」の小皇帝世代に入っており、同時に人手不足で、一般企業は従業員の確保に奔走している状態であり、「ワーストワン淘汰」などと言っていると、その会社から従業員がすべて消えてなくなるほどだからである。またこの制度は、「新労働契約法」にも抵触する恐れがあると指摘されている。

なお沈氏は中国の政府債務がGDP比で17%であるとし、その数字の信憑性については一切疑問を抱いていない。その上で、日本の政府債務がGDP比220%であることを指摘し、「日本という国がもし民間企業だとしたら、220%という債務超過に陥っていることになる」と騒いでいる。この認識は正しくない。「もし民間企業だとしたら、社員持ち株会が220%の債券を保有していることになる」と表現すべきである。

2.「これから伸びる中国企業地図」  野村総研(上海)  中経出版  10月23日
  帯の言葉 : 「中国経済をリードする注目の市場」

 この本は、中国の第12次5か年計画(2011年スタート)をもとに、「中国はどのような成長戦略を描いているのか」、「日本企業が中国で成功するにはどうすべきか」について、IT・通信・新エネルギー・環境・医薬・ヘルスケア・保険・自動車などの分野を取り上げて、深く検討している。

 この本の著者たちは、「2010年、中国は実質GDPで日本を抜いて世界第2位の経済大国になり、今や国際経済における中国の存在感はきわめて大きい」という中国認識を前提にして、「一方で中国は、国内にさまざまな問題を抱えているのも事実だ。30年以上の高度経済成長を経た中国が直面することになった“構造変化”は次の通りだ」と書き、その最初に「国家構造の変化→人口構成の変化」を上げている。そして本文中の随所で、「中国は長期的に労働力が不足する。あるいは人件費が上昇する可能性が高い。企業としては、“無尽蔵の低コスト労働力の供給は、今後はできない”という前提に立つべきだろう」と警告を発している。このような文章を読むと、つい数年前まで、「中国の最大の課題の一つが失業者問題」という認識が、中国の政府関係者や学者、そして日本のチャイナ・ウォッチャーや学者までも含むほとんどの人の常套句であったことを思うと、隔世の感がする。一体、あの大合唱はなんだったのだろうか? またぞろ彼らはそれを反省せず、またその真因を追求しようともせず、無定見にも常識化した人手不足の原因を、「一人っ子」政策に求めている。その程度の認識では、今後の中国の動向を正しく把握することは不可能である。

なお本書は、「内陸への進出は物流上の課題は残るものの、外資企業にとって有力な選択肢となる」と書き、「内陸部地域ではまだまだ土地に余裕があり、人件費などのコストが沿岸部に比べて低いというメリットがある」と記している。しかし実際には内陸部でもさして人件費は安くはないし、ストライキなども頻発しており、大儲けできるという保証はない。

3.「中国産業地図」  亜州IR編  日本経済新聞社  10月24日
  帯の言葉 : 「急成長する中国の実力を豊富なデータと相関図で読み解く!」

 編者は本書の目的を、「急ピッチの成長が続く中国の各種産業は、業界を取り巻く環境や業界内の勢力地図も大きく変化しています。ここ数年は、特に国有企業の株式上場、大手企業間の買収・吸収、海外事業との戦略提携などが加速している状態です。そこで本書は、主要業界の最新動向を分析した上で、複雑化する業界内の資本関係や勢力バランスをわかりやすく図示してみました。(…中略)。中国における事業展開や中国経済の研究、中国株への投資などに本書をご利用いただければ幸いです」と書いている。たしかに相関図はわかりやすいし、データも豊富である。しかしながら「11年度は中国の経済成長ペースがやや鈍化する見通し。(…中略)。しばらくの間は9%台の成長を強いられそうですが、それでも先進諸国と比べた場合は突出した高水準であることに変わりはありません」という基本認識で書かれている本書は、あまりにも教科書的で、中国株で大儲けしようと企む「穴場」狙いの読者には物足りないであろう。

 編者は、「8月までのPMIは、景況判断の分かれ目となる50を30か月連続で上回る状態。この点を見ても、過度に先行きを懸念する必要がないといえそうです」と書き、8月までのデータをもとにして、景気判断を下しているようだが、10月のPMIは早くも50を下回った。貿易についても、「日米欧との貿易が全体に占める割合は、輸出が01年の56%から11年度は48%に低下しています。裏を返せば、新興国との貿易が、よりハイペースで伸びていることを意味します。新興国の高い経済成長が背景にあるのはもちろんですが、中国が開発援助や民間投資を通じて世界的に影響力を強めていることも要因でしょう」と書いているが、11年度の輸出の大きな伸びは東南アジア向けである。それは労働集約型外資が中国から東南アジア各国へ逃避し、中間財などがそれらの各国に輸出された結果の数字であること、つまり日米欧の顧客が東南アジア各国に奪われたことの証明であるという認識がない。

不動産については、一般のマスコミ同様の誤りを犯しており、土地とマンションを混同しその解説を行っている。この項には、工業用地や農地などの値上がりについての記述はまったくない。図表や統計数字もすべて住宅のものばかりである。そして不動産は、「いずれにせよ、長期的にはなお“右肩上がり”の流れが期待されます」と書いている。現在、沿岸部諸都市のマンション価格は、すでに20%近く下落し、来年の旧正月前までにさらに下がると予測されている。そのとき編者は、この本の改訂版を出すつもりなのだろうか。

4.「中国成長企業50社−長江編−」  NET CHINA・ブレインワークス編  カナリア書房  11月10日
  帯の言葉 : 「急成長を遂げる中国で、注目すべきはこの企業だ! パートナー探し、進出企業探しで大活躍すること間違いなし」

 この本は、上海を中心にした親日ベンチャー企業のPR雑誌である。そのほとんどが100人以下の中小企業で、しかもハイテクや知識集型ではなく、むしろローテクで労働集約型である。したがって「中国成長企業」という題名と中身には相当の落差がある。たとえば本書の中のある家具製品の貿易会社の社長は、「家具製造業は労働集約型産業でもある。そのため、付加価値が低いためコスト競争に陥りやすい。今後の業界の動向を考えてみれば、3〜5年後にこれらの企業は次第に中国の北部または西部に移転することになる。だからこそ、新製品の開発が大きな付加価値を与えるのだ。わが社は常に新製品の開発に取り組んでいる」と語っている。しかし現実はすでに家具製造業者の多くは、中国の内陸部ではなく、東南アジアにシフト替えしてしまっており、この会社もそれに付いて海外進出を考えねばならない段階に入っているのであり、とても「中国成長企業」とは呼べない状況に陥っているのである。

それでもこの本の中には、ユニークな製品を売り出している会社もあった。その一つは、「使い捨てトイレカバー」の会社である。そこには「セット使用ができる使い捨てペーパーパッドも用意している。輸入された天然パルプで作られている。清潔に使用できるよう、先端には持ち手があり、手触りが柔らかく折り痕がつかない。また、快適で暖かく徹底的に病原菌を隔離する。また、水に濡れると分解され、無害である。便座を拭くために消費されていたトイレットペーパーを大幅に節約することができ、コストの削減も可能である」と、写真付きで紹介され、中国の一流ホテルなどで採用されていると書いてある。残念ながら、私はそれにお目にかかったことがない。早く、見てみたいものである。またその他に、竹繊維の下着やとうもろこし繊維のエコバッグなどを売り出している会社もあった。

 中には30年以上の社歴を持つアウトドア製品の製造販売会社があり、テントなどが写真付き紹介されていた。それを見て私は、四川省大地震のときに、湖北省にある私の服装縫製合弁会社で、救援用のテントを何日間も徹夜で縫ったことを思い出した。きっとこの会社も大活躍したにちがいないと思い、読み進めていったが、残念ながら最後までそのような記述はなかった。

5.「上海・華東進出 完全ガイド」  NAC国際会計グループ  カナリア書房  9月20日
  副題 : 「中国最新 IFRS・移転価格・内部統制とサービス業種進出」
この本には、上海・華東地域でビジネスを展開している日系企業や、これから進出しようとしている企業への的確なアドバイスがもりだくさん詰め込まれている。ただし公式見解のみで、裏話に類するようなものはほとんどない。