小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2011年 第21回 & 第22回


読後雑感 : 2011年 第21回 
26.SEP.11
 今回取り上げた下記の5冊は、ともに「中国が世界第2位の経済大国である」ということを前提にして書かれている。
 私は「中国経済は砂上の楼閣」であると考えているので、これらについては同意しかねるが、今回はその点への論及は行わない。

1.「中国市場攻略のルール」
 「2010年には、GDPが日本を抜いて米国に次ぐ世界第2位。保有する外貨の量が世界最高の2兆8500億ドル(236兆円)」
2.「やっかいな中国人を黙らせる法」
 「中国は、世界の工場と揶揄されながらその立場に甘んじた結果、気が付けば世界第一の外貨保有国になっていた」
3.「いまさら聞けない中国の謎66」
 「世界第2位の経済大国になった隣国・中国の一挙手一投足は、直接・間接を問わず日本にいろいろな波紋を巻き起こしている」
4.「中国社会の見えない掟―潜規則とは何か」
 「国内総生産(GDP)が日本を超えアメリカに次ぐ世界第2位になった中国には、大国にふさわしいルール順守の責任がますます重くなる」
5.「中国人の腹のうち」
 「2010年、中国のGDPは日本を追い抜いた。中国のGDPは今後10年以内にアメリカを追い抜き、世界一の経済大国になる」

1.「中国市場攻略のルール」  陳立浩著  すばる舎  8月28日

  帯の言葉 : 「巨万の富が眠る13億人マーケット。 狙うなら今だ」

 陳立浩氏は第1章で、「夢の中国13億人市場で成功する! とっておきのビジネス情報」という見出しを付け、いろいろなことを書いているが、それらはすでに巷でよく知られている情報ばかりで、「とっておき」のものはなにもない。ことに儲かっているビジネスの代表例として大企業の資生堂を紹介しているだけで、中小零細企業の成功例はまったく書かれていない。これで中国市場を云々するのは、いささかおこがましい。でも、この本だけでなく、他の多くの識者も中国市場に進出し成功したという日本企業を紹介する場合、大方、投下資本とその回収期間、利益とその配当額、そして日本での本社の当該事業納税額などを明示していない。多くの「大儲け企業」話は、外見上の派手さや企業の広報を情報源にしており、その企業が本当に大儲けしているかどうかはよく吟味されまま紹介されているのが実情である。

 陳氏には、次回作で多くの「大儲け企業」、とくに中小零細進出企業の実情を財務諸表付きで報告してもらいたいと思う。ことにもっとも大事なことは、それらの「大儲け企業」が、日本国家にどれだけの税金を払っているかを調査し明示することである。余計なことだが、日本国家の庇護のもとにありながら、自企業だけ大儲けし、海外に儲けを蓄積しているのでは虫が良すぎると思うからでもある。日本国家への納税という点を進出企業の評価の基準にし、多額納税中国進出企業の例を少なくとも100社は集め、それらを分析すれば、もっとも有効な「中国市場攻略のルール」が浮かび上がってくるであろう。それをしないで、実際には中国市場で大儲けできず、日本国家に税金を納めている企業が少ないにもかかわらず、「狙うなら今だ」と進出を煽るのは大きな間違いである。

 陳氏は「中国ビジネスの販路開拓には、“展示会”と“ミッション”に注目!」と書いているが、私の経験から言えば、この方法はあまり効率的ではない。展示会などでは、中国人の名刺が山のように集まるが、実際にビジネスに結びつくものは1/1000ほどの確率である。玉石混淆の名刺の山の中から、掘り出し物をみつけるには大変な労力を要する。

 陳氏は第5章の第4節で、「違法の労働者ストライキ、なぜ起きる? 効果的な対策は?」と見出しを付け、一文を披露しているが、その中には「人手不足や新労働契約法」の文言がまったく出てこない。これでは、陳氏は中国の現状をまったく理解していないと言わざるを得ないし、その陳氏が書いた「中国市場攻略のルール」を読んでも、中国市場が攻略できるとはとても思えない。

2.「やっかいな中国人を黙らせる法」  鈴木健介著  草思社  9月25日
  副題 : 「中国要人が教える中国式マネジメント術」
  帯の言葉 : 「中国人は3つに分類してビジネスしよう! 中国人にドラッカー式マネジメントは通用しない!」

 巻末の鈴木健介氏の略歴には、「1994年10月新華通訊社“瞭望周刊”と広告代理店契約を結ぶ。以後中国でのビジネスを本格化するも、2001年倒産・破産」と記してある。その失敗体験が影響しているのか、本文中には中国人への否定的評価が多く、タイトルも「やっかいな中国人をだまらせる法」という中国人を見下げたようなものになっている。鈴木氏が中国とのビジネスを展開し始めた1994年は、「中国ビジネスの黄金期」を過ぎた時点で、朱鎔基の経済引き締め政策が始まったころである。したがって鈴木氏のビジネスの失敗は、戦略的なものに大きく左右されたのではないかと推察される。しかし鈴木氏は失敗を戦術的なものとして理解し、「やっかいな中国人の上手な取り扱い方」を、この本で披露している。

 鈴木氏は第1章で中国人を、「虫・犬・牛」の3タイプに区別して、その見方と対処法を書いている。中味を読むまでもなく、このような表現だけで、鈴木氏の中国人観を見て取ることができる。このような表現は中国人を侮蔑することにもなるので、できうれば避けて欲しかった。本文中には、ときおり真面目な記述があり、それなりに学ぶべきところもあるので、残念である。

 鈴木氏は、「日本人は教えてくれた、また育ててくれた恩を意識して共存共栄を図るが、中国人は身につけた能力は自分が努力した結果であり、誰の援助も受けていないと考える人が多い。隣人である中国人と仲良くするためには、人材育成に期待しないことだ。期待しなければ裏切られることもないし、失望することもない」と書き、「中国人を育てようとする考えをなくせ」と力説している。私にはこのような鈴木氏の主張が理解できないわけではないが、これでは中国ビジネスは成功しないと思う。私は鈴木氏とは違い、これまで多くの中国人を一流の経営者に育て上げることに成功してきた。その私の体験から、日本人には「相手の中国人に、最初から独立を前提として教え、育てる」ことを勧める。つまり中国人を膝下に囲い込もうとするのではなく、中国人を自由に泳がせ、そこから利益を得る方法を構築すべきなのである。

 なお鈴木氏は、中国人が宴会などの乾杯のときに、テーブルを指でトントンと叩く習慣について、あれは乾隆帝の仕種を真似たものだと書いている。おもしろい指摘である。

3.「いまさら聞けない中国の謎66」  歐陽宇亮著  プレジデント社  9月25日
  副題 : 「中国人の発想・決断・行動を知らずしてビジネスの成功はない」
  帯の言葉 : 「なぜ日本で炊飯器をたくさん買うのか? なぜ非があっても謝らないのか?」

 この本は、中国の実情をソツなくまとめ、書き連ねている。内容に大きな誤りはない。しかし深い掘り下げもないので面白みには欠ける。いわば毒にも薬にもならないという本であるが、中国ビジネス初心者には手頃な本でもある。

 ただし「なぜ(中国人は)大枚の現金を持ち歩くのか?」と題した一文で、「大きな買い物でもクレジットカードなどはあまり使わず、必要な分のお金を持ち歩く。皆、現金を抱えていくことになる」と書いているが、これだけは明らかな誤りである。現在、中国では、スーパーなどの少額の買い物などまで、キャッシュカードで払う人が多くなり、そのためにただでさえ混み合うカウンターに長蛇の列ができてしまうほどになっている。乗り物などもプリペイドカードなどが普及しており、現金を持ち歩く人は少なくなっている。また例として、歐陽氏は「ウイグル族の女性は、買い物のときはスカートをめくり、靴下に挟んだお金で支払いをする。いわば靴下がサイフ代わりだ」と面白いことを書いている。私はウルムチ、カシュガル、ヤルカンドなど新疆ウイグル地方になんども出かけているが、ついぞこのような光景を目にしたことがない。

 本文中には、前後で相矛盾した記述もある。たとえば「中国沿岸部の都市にいる出稼ぎ労働者は、社会保障制度が整わないなかで過酷な労働を強いられている場合が多い。何かの理由で仕事を失うと、どこまでも貧困になってしまう環境にある」(P.46)と、「これまで安価で豊富な労働力で“世界の工場”と呼ばれてきた中国だが、農村の余剰労働力が底をつき、人手不足となる“ルイスの転換点”を迎えたとも言われる」(P.166)とは、明らかに矛盾している。

 なお本書は、「中国は日本の良さを見て、稚拙ながらも学ぼうとするが、日本は中国の悪さを見て、嫌悪感を抱いたり、人によっては見下して優越感を得たりする。これでは決して未来志向とは言えない」と書き、日本人の態度をたしなめている。私にもこの傾向はあるので、自戒しながら進むこととする。

4.「中国社会の見えない掟―潜規則とは何か」  加藤隆則著  講談社  9月20日
  副題 : 「暗黙のルールが支配する中国の裏側を覗く!」
  帯の言葉 : 「不当逮捕、違法監禁、冤罪、汚職、言論弾圧、闇取引  法より優先される面子・掟とは何か?」

 現在、読売新聞中国総局長である加藤隆則氏の著した本書は、歴史に通暁した加藤氏の博識と、現場に密着した加藤記者の眼力が相俟って、きわめて読み応えのあるものとなっている。しかも加藤氏は国家権力に媚びを売らず、一貫して人民の立場に立っており、ジャーナリストの鏡のような行動を取っている。ただし、あえてその加藤氏の記者魂と行動に注文を付けるならば、今後は、「人民も性善ではなく、性悪である」という前提で取材に当たって欲しいと思う。そのためには加藤氏自身にも、自らを正義の味方ではなく、「性悪な人間」であるという自覚が必要不可欠である。

 本文中には加藤氏の正義感?が勝ちすぎて、「性悪な人民」を見逃し、事態を見誤っている個所が散見できる。たとえばチベット暴動やウルムチ暴動についての記述であるが、当日のそれらの暴動は明らかに少数民族側の漢族側に対する暴力行為に端を発している。もし少数民族側が正当なデモのみを行っていたならば、絶対に弾圧はなかった。これらの現場を私は直視しているので、このことを断言できる。加藤氏が読売新聞記者の名誉に賭けて、私に反駁するならば、私はそれを受けて立つ自信がある。この点で少数民族側に立ち、彼らの暴力行為を是認することは、少数民族問題の解決を遅らせるだけである。私は少数民族に対しては、「臥薪嘗胆をせよ。どんなことがあっても暴力行為に訴えてはいけない。経済面を含むあらゆる分野で努力を重ね、漢族を凌駕する力量をつけよ」と、呼びかけることがもっとも大切なことであると考えている。

 加藤氏は「おわりに」で、「本書の執筆に当たっては、社会の周縁にありながら、たくましい精神と高遠な理想を持って国の将来を憂えている人々との交わりが、大きな動機の一つになった」と書いている。残念ながら本書には、中国人の経営者の登場がきわめて少ないし、外資の実態についてはまったく語られていない。つまり加藤氏の脳裏では、知識人や虐げられた人民などへの関心が強く、昇竜の如き中国経済の当事者である資本家や経営者が取材対象としておざなりにされていると思われる。次回作では、「性悪の体現者である中国人経営者」を赤裸々に描いてもらいたいものである。なぜなら「性善な人民」も「性悪な金持ち」を目指して、いっせいにチャイニーズ・ドリームを追いかけており、それが現実の中国経済の隆盛のエネルギー源となっているからである。なお、これは少数民族地域でも例外ではない。

 加藤氏は四川省大地震のとき、生徒を置き去りにして自分だけ逃げた教師のことについて、「一人の青年を社会から抹殺するやり口は異常だ。范は身を挺して生徒を助ける勇気はなかった。表現の仕方に不適切な部分があった。だが、大きな体制の潜規則を相手に、誰もできなかった問題提起を行った勇気はあった。もし、真実の報道が行われ、道徳の強制が行われなかったならば、さらに、地震の避難訓練が定期的に行われ、学校の建物に手抜き工事がなければ“范ホウホウ:足偏に包(早逃げの范)”は登場していなかった」と書き、彼を擁護している。これは理解できないことはないが、私は詭弁の類であると考える。やはり責任ある教師が生徒より先に逃げてしまうのは、人間として許されるべきことではない。この早逃げの范と今回の東日本大震災のときの中国人研修生を助け死んで行った日本人経営者を比較すれば、それは一目瞭然である。かたや道徳的規範となるべき教師であり、かたや金儲けが主体で道徳とは無縁の人間である。日ごろ性善を志向している知識人で人民でもある教師が逃げ、性悪で日ごろ金儲けに邁進している経営者が身を挺して人を救ったという実情を、加藤氏は直視し、人間の本性に迫る主張を展開すべきである。

5.「中国人の腹のうち」  加藤徹著  廣済堂新書  9月9日

 著者の加藤徹氏は、裏表紙で「古典作品から現代風俗にまで通じた気鋭の中国文学研究者」と紹介されている。たしかにこの本には、私が今までに聞いたことのない文学研究者的?な記述がある。たとえば「日本で西洋の“エンペラー”を“皇帝”と訳するのは、本当は誤訳なんです。江戸時代に、新井白石が確信犯的に“皇帝”と訳したんです。新井白石は漢学者でしたが、ちょっと国粋主義的な面があって、中国人だけが皇帝を名乗るのはおこがましいと考えて、ヨーロッパのエンペラーをわざと皇帝と訳したんです」と書いて、その後に皇と帝の字義解釈を続けている。また「切腹も、もともと中国の習慣でした。日本には切腹はなかったんです」と書き、ここでも中国での切腹の史実を紹介している。しかし関帝廟について、「日本でたとえれば、上杉謙信や楠木正成が金儲けの神様として祀られているような感じでしょうか。関羽の出身地である山西省からは、近代に多くの商売人が出ました。日本でいう近江商人のようなものです。その商売人たちが、故郷の偉大な有名人として関羽を祀ったので、商売の神様として広がったんです」と書いているが、この記述は誤りではないが、かなり舌足らずである。その他、本文中で書かれている記述も、深く追求したものではない。

 加藤氏はこの本のあとがきで、「中国人の腹のうちを探ることは、それを鏡として、日本を振り返る作業でもある」と書いているが、この本の内容は中国人の「腹のうち」を探るには、不十分である。残念だが、この本を読んでも中国人の腹のうちはよくわからないだろう。


読後雑感 : 2011年 第22回
03.OCT.11
1.「現代中国を形成した二大政党」
2.「中華人民共和国誕生の社会史」
3.「双頭の龍の中国」
4.「トンデモ中国・中国を知らねば日本の復興はない」
5.「中国大暴走」

1.「現代中国を形成した二大政党」  北村稔著  ウェッジ  8月22日
  副題 : 「国民党と共産党はなぜ歴史の主役になったのか」
  帯の言葉 : 「今日の中国の政治の淵源はなにか―。第1次国共合作の詳細な分析を通し、現在の中国の国
家体制を現出させた動因をさぐる」

 今年は辛亥革命100周年に当たっており、中国各地の孫文ゆかりの地などで、盛大な記念式典などが催されて
いる。この本は、当時の孫文と蒋介石、毛沢東らの行動を、第一次国共合作の現場を描くことによって、浮き彫り
にしており、まさにグッドタイミングの書である。私は今まで、中国各地で、辛亥革命やその後の戦乱の地を多く見
て回ってきたが、それらが頭の中で、バラバラな知識の点として存在するだけであり、あの時代に蒋介石や毛沢東
がいかにして台頭し得たのかについては、正直に言って定かではなかった。この本を読んで、それらが頭の中で奇
麗に線となり、はっきりと理解ができた。この本は、ぜひとも多くの人に読んでもらいたい書である。私は浅学なの
で、この書を批判的に検討する能力はない。今後、おそらく「左翼研究者」(中国共産党信奉者)から、この書に対
する批判が出てくるであろうが、私はそれもまたぜひ読み、自らの見識をさらに深めたいと思っている。以下にこの
書から、私が学んだ点の一部を引用しておく。ぜひ本文全文をお読みいただきたい。

・国共両党は合作により、なぜ飛躍的に勢力を増大させたのか。その答えは、国民党がロシア共産党の政治活動
の規範であるボルシェビヴィズムに注目し、ボルシェビヴィズムの組織理論を採用して国民党の党組織を全面的に
改組したからである。ロシア共産党は、1917年に社会主義革命を成功させるという歴史的な政治変動を実現させ
ていた。一方、孫文たち国民党員は、辛亥革命の政治闘争に敗れ弱小勢力にとどまっていた。孫文たちが政治勢
力を挽回する妙薬として、ロシア共産党の党組織と革命運動の手法に大きな興味を抱いたことは容易に理解でき
る。第一次国共合作により、国民党が断行したロシア共産党に見倣った組織改革が、政治力と軍事力が一体化し
た大きな力を生み出し、混乱の極みにあった中国を新たに統一の方向へと推し進めたのである。

・ボルシェビヴィズムは、19世紀末からのロシアにおける革命運動の中で、革命運動理論としてマルクス主義者の
レーニンが構築したものである。その特色は、エリート集団の共産党が労働者階級の前衛となり、宣伝活動などの
人為的手段を使って階級闘争を発生させて社会主義革命を実現させる、というものである。…(略)。1917年に始
まるロシアの社会主義革命の過程では、政治組織に直属する新しい革命軍が創出され、ボルシェビヴィズムは政
治運動と軍事運動を一体化させた革命理論として、内容を深化させていた。

・孫文はボルシェビヴィズムによる国民党改組の決意を固め、ロシア共産党から派遣されたボロジン、国民党顧問
として受け入れる。さらに国民党に直属する軍隊を創出するためにロシアから軍事顧問団が派遣され、広州郊外
の珠江に浮かぶ小島である黄埔島に、蒋介石を校長とする黄埔軍官学校が開設される。

・国民党は、新しい組織理論をロシアから取り入れただけでなく、新しい人材を共産党員の中から取り入れた。孫文
は第一次国共合作の実現に対して、政策協定に基づく共産党との党外合作ではなく、共産党員が個人の資格で国
民党に加入することを要求した。…(中略)。目的は人材の確保にあったと思われる。

・ボルシェビヴィズムが国民党にもたらした最大の成果は、国民党直属の軍隊(党軍)の出現であった。新たに樹立
された黄埔軍官学校に入校して党軍の下級士官となる若者たちは、西洋式の中等教育を受けており、さらには五
四運動に象徴されるナショナリズムの洗礼を受けていた。彼らは国民党員であれ共産党員であれ、新しい党軍の
第一線で働き、国共両党の政治勢力の拡大に貢献した。…(中略)。黄埔軍官学校の教育は成功し、厳しい規律と
高い士気を備えた党直属の軍隊が成立した。党軍の兵士たちは軍閥同様に生活資金稼ぎの傭兵であった。しかし
下級士官の高い士気が兵士の質を向上させた。党軍の下級士官の死傷率は、当時としては異常に高い。彼らが
死を賭して戦い、国民党の発展を支えたことがわかる。

・黄埔軍官学校では、周恩来らの共産党員が政治教育で大きな影響力を発揮した。しかし校長の蒋介石を抜きに
しては黄埔軍官学校は語れない。蒋介石こそがソ連赤軍の軍事制度とその軍事思想を中国のナショナリズムに結
び付け、この基礎の上に新しい軍事力を確立する最大の役割を果たした。蒋介石の校長就任は、孫文の側近とし
て軍務についた前歴にもよるが、重要なのは彼には軍閥的背景がないことであろう。これは、諸軍閥がひしめく広
州で北は陝西から南は広西に至る全国から募集した学生を教育し、国民的な軍事力に育て上げる責任者には不
可欠の条件であった。

・国民党は第一次東征の実績から、1926年初めに北伐開始を決定する。豊富な資金を供給し北伐の道筋である
湖南省の農民運動の発展を計画した。3月からは毛沢東が農民運動講習所の所長に就任し、月額経費7980
元、講習生300名、期間4か月という、それまでにない規模の講習が行われた。毛沢東の所長就任と莫大な経費
は、汪精衛の意向であった。

・共産党は、農民運動の発展を国民革命運動の基礎と位置づけていた。しかし農民運動の激化が国民党との合作
を脅かすと、共産党中央は「暴走」を食い止めようとする。それにもかかわらず運動が「暴走」したのは、整った指揮
命令系統が存在せず、農民協会の構成員や県レベルの「現場」の共産党員たちが突っ走ったからである。そして
旧秩序が崩壊し始めると、その徹底的破壊を目指す民衆の暴力が容易に出現する中国社会の特色が、状況を助
長した。

・コミンテルン第8回拡大執行委員会総会では、国共合作をめぐるスターリン派とトロツキー派の論争が、頂点に達
していた。トロツキーは、「国民党左派」の裏切りを予告し、武漢国民政府とは別の労働者ソビエトの樹立を要求し
た。これに対してスターリンらは、従来通り武漢国民政府を政治権力の要に据えようとした。その結果、コミンテル
ンの緊急訓令は、従来通り武漢国民政府を維持しつつ一方で労働者と農民を武装させて土地没収を行えという、
実現不可能な二面作戦を命じた。

・南昌暴動は、中国共産党独自の発案であり、コミンテルンの傀儡にとどまらない中国共産党の個性を示した。

2.「中華人民共和国誕生の社会史」  笹川裕史著  講談社  9月10日
  帯の言葉 : 「革命前夜、“普通の人々”が生きた現実とは」

 笹川裕史氏は、食糧徴発と土地革命という独自の切り口で、日中戦争から中華人民共和国誕生前後の社会を、
「四川省という地方現場」を通して描いている。力作であるだけに、副題を、「四川省での食糧徴発と土地革命の過
程」とでも付ければもっとよかったのではないかと、私は思う。笹川氏自身は、「本書はかつてのような革命礼賛でも
なく、極端な中国脅威論者のような全面否定でもなく、名もない普通の中国の人々にとって中華人民共和国の誕生
はどのようなものであったかを、革命前夜の社会動態を読み解くことを通じて描くことを意図している」と語ってい
る。この本はその意図を十分に果たしている。私もこの本から教わることが多く、たいへん勉強になった。

 なかでも私が注目したのは、「戦況がいよいよ悪化し、国民政府の首都南京もすでに陥落した1949年半ばにな
ると、大勢の難民が戦禍を逃れて四川省に押し寄せてくる。四川省政府は、このような事態をあらかじめ予測して、
同年2月には流入難民の管理・救済のための方針を作成していた。そこでは流入難民の総数を100万人と想定し
ていた。まず難民の流入経路にあたる省北東部の17県を指定し、その各県に入境難民救済委員会を作らせ、難
民の審査、登録、臨時救済、定着予定地への移送という業務を行わせた」という記述であった。歴史は繰り返すと
いうか、現在、中国が北朝鮮の崩壊を前にして、同じような準備を国境沿いで着々と行っていることを想起できるか
らである。

 さらに「本書全体の脈絡にもどしていえば、土地改革における大衆集会は、10数年間にも及ぶ苛酷な戦時下で
社会的に蓄積された富裕者への怨恨や敵意が臨界点に達し、その行き場のない負のエネルギーが、一定の公認
された出口を与えられて噴出する姿のように見える。土地改革という場が最善の機会であったかどうかはわからな
いが、おそらくなんらかの形で、このような場を経過しなければ、戦争で荒廃した社会は、再生に向けたスタートライ
ンにつくこともできなかったのではなかろうか。つまり、戦後の土地改革は、農業生産力の向上や、新たな統治基盤
の構築といった、共産党の政策意図とは別に、客観的には、いわば独自な戦後処理としての意味合いを持たされ
ていたのである」という笹川氏の指摘は、傾聴に値する。現在の日本の強固な既存権益構造をみるとき、このよう
なガラガラポンにしか活路が見出せないような気がするからである。

 しかも笹川氏は、日本農業史の専門家の野田公夫氏の主張を引き合いに出し、「第2次世界大戦直後は世界的
規模の“土地改革の時代”であった。それは史上空前の総力戦によって多くの国で旧体制が崩壊し、“土地分割こ
そ社会混乱に対する最高の処方箋であったからである”。」と記している。この視点も現代に通じるものがある。土
地改革を金融改革と言い換えたらと思うからである。

 「さらにいえば、新政権が革命後における最初の政策執行において、このような荒々しい暴力と反抗に満ちた地
域社会と向き合ったことが、指導者たちの社会認識を大きく規定したことも見過ごすことはできない。政権を掌握し
たにもかかわらず、自分たちの周囲に手強い敵がなお潜伏し、いつ牙を剥いて襲撃してくるかわからないといった
社会への根深い不信感が、その後の政策展開をきわめて容赦のないものにしたのではなかろうか」という記述か
ら、私は建国直後の中国政府首脳の苦しみとその後の変貌の原因の一端を垣間見た思いであった。

 「共産党統治区の場合は、かつての革命史観の解釈とは明らかに異なるとはいえ、土地改革が富裕者から食糧
その他の財産を暴力的に引き出すことによって、内戦に必要な物的人的資源を効率的に調達していたわけであ
る。これと対比させれば、国民政府がその統治下で富裕者に対する敵対的世論が高揚していたにもかかわらず、
彼らの利己的な戦時負担逃れを効果的に制御できなかった事実に改めて注目すべきであろう。総力戦を遂行する
という点においては、富裕層を標的とした階級闘争論や、それにもとづく土地改革を、政策手段として持ち合わせて
いた共産党の側が、やはり優位に立っていたのである」という指摘に、私は毛沢東戦略の凄さを再認識させられ
た。

 なお本文中に、かつて中国の地主だった「福地いま」さんの話が出てくる。この個所を読んで、私の大学時代の友
人の卒論が、この人をテーマにしたものだったことを思い出し、懐かしく感じた。

3.「双頭の龍の中国」  シャヒド・ユースノフ、鍋嶋郁共著  村上美智子訳  一灯社  8月28日
  副題 : 「北京と上海の対照的な発展と今後の中国メガシティ戦略」

 この本で著者は、中国の今後の発展にとって、産業構造の転換が不可欠であり、現在、「景気の低迷で、衰退し
つつある労働集約型産業からの撤退を加速し、土地や人的資源をより報酬の高い使途に再分配すべき時を迎え
ている」と明言している。そしてその面から北京と上海という「双頭の龍」がどのように中国を牽引して行くべきかを
説いている。本著は学術書に近いものであり、わかりにくい点が多いが、力作である。ことに産業イノベーションとい
う視点から、中国がしっかり分析されている。また膨大な図表や統計資料が添付されており、多いに参考になる。た
だし分析の前提が、政府の公式統計などを使用したものであり、中国の現場の状況など、統計数値には現れてこ
ない実情にはまったく言及がない。また著者は、中国は外資への全面的他力依存の国であり、日本が自力更生で
産業構造の転換を成し遂げた国であることを理解しておらず、両国のイノベーションを同じ土俵の上で論じてしまう
誤りを犯している。したがって本著は、これらの点で大きな欠陥を持つ書でもある。

 文中で著者は、上海と北京について、「イノベーション能力は様々なマトリックスから生じるが、それらが結びつく規
則性は明らかではない。研究費の増加は、疑いもなく唯一の重要な要素であるが、それだけでは十分と言うにはほ
ど遠い。先に述べた、研究者の質および経験、最新式設備・機器の利用可能性は、第2の要素である。技術変化
を加速することができるような活動を育むための、サイエンス・パークやインキュベーターといった、熟練された空間
の創出は、第3の要素である。知的財産権保護の機関や、金融またはその他の報酬を通じて企業や研究者にイノ
ベーションを促すようなインセンティブ・メカニズムは、第4の要素である。企業に新技術の開発や導入を促すような
規制や基準は、第5の要素である。…(略)探求するという文化は第6の要素であり、イノベーションを起こす個人に
とって特に重要なものである。最後のしかしながら少なからぬ要素として、新しいアイディアを追求し、交換し、洗脳
させる助けとなり、イノベーションの商業化を積極的に推進するような都市環境がある」と書き、2つのメガシティの
役割を明確にしている。

 またイノベーションを担う労働力の質について、「大学の卒業生が、理論的な基礎は身につけているものの、実践
的な知識や分析的なスキルはほとんどないまま労働市場に参入して」おり、その原因は、「棒暗記の学習や時代遅
れの教授陣の知識や教授法、教科書の質の劣悪さ、研究室の実験機器の老朽化、高等教育就学者の大幅増加
などである」とし、これらが「北京と上海の両市でもっとも重要な唯一の資産である労働力の生産性や革新性、起業
家能力を制約している」と指摘している。

 残念ながら本書の、最終所見としての「政策提言」は、あえてここで紹介する必要がないほど、きわめて平凡なも
のに終わっている。

4.「トンデモ大国・中国を知らねば日本の復興はない」  黄文雄著  まどか出版  9月29日
  帯の言葉 : 「日本の“国難”は中国が隣にあること!?」

 この本の半分以上は、中国ではなく台湾についての記述である。文中でも黄文雄氏は、「私は、中国をただ非難
したいというのではなく、その現実を正確に見るべきだと主張しているのである。さて、台湾との関係も日本にとって
重要だと、多くの日本人に気づいてほしいと私は思っている」と書いている。それならば、黄氏はこの本の題名を、
「中国と台湾を知らねば…」と付けるべきである。さらに本文中には、東日本大震災から復興するために、日本が
中国を知らねばならない必然性は、あまり語られていない。2重の意味で、この本の題名と中身は大きく乖離してい
る。

 結論として黄氏は、「日本が生き抜こうとしたときに、アメリカの助けが得られないとすれば、どんな対応が必要に
なるだろうか。核武装を含む軍備の強化か、さらなる同盟やそれに準じた関係の構築か、覚悟を持って必要な対応
を考えるべきなのである」と書き、日本に平和主義を放棄し軍国主義化せよと迫っている。しかしながら黄氏は同時
に、日本を、「戦後60年以上、内戦もなければ対外戦争もない安定的かつ安全な社会として、世界が学ぶべき一
つのモデルになっている」と大きく評価している。私は、日本がそのような歩みをできたのは、戦争放棄の平和憲法
を守り抜いてきたからであり、平和主義を貫いてきたからであると考えている。黄氏は本文中での自らの主張が、
矛盾していることに気が付いていないようである。

 なお黄氏は文中で、「それでも中国が崩壊しない理由」という見出しで、ピーター・ドラッカー氏の主張を紹介してい
るが、私にはその文章がよく理解できない。以下に記しておくので、どなたか解説して欲しい。 (P.78)

 本来なら中国はユーゴスラビアやソ連のように崩壊している国だが、人民解放軍のようないかなる集団も対抗で
きない強力な軍隊の存在がまず一つ。もう一つは国営企業の問題だ。国営企業は赤字だらけで、それを誰も引き
取らがらず、政府が支えてきたことにより、外資が国営企業以外に落ち、中国が崩壊しないでいる要因だとしてい
る。

5.「中国大暴走」  宮崎正弘著  文芸社  9月30日 

  副題 : 「高速鉄道に乗ってわかった衝撃の真実」 

  帯の言葉 : 「緊急出版  中国新幹線を全線乗り継いだ著者が書き下ろす原発乱開発・軍事拡大・領土問
題・レアアース独占・不動産無謀投資」

 この本は宮崎正弘氏が、実際に中国新幹線を乗り継ぎ、沿線の問題点を自分の目で確かめ、そこから中国経済
や社会を俯瞰した著作である。たしかに本文中には、現場を見た者にしかわからない記述が多くあり、それなりに
参考になる。たとえば高速鉄道の武漢や広州の新駅は、市内から1時間ほど離れた不便な場所にあることも多く、
所要時間を額面通りに受け取っていると大変なことになる。結局、前後の余裕時間を2時間ほど見ておかねばなら
ぬことになってしまい、高速鉄道といっても期待しているほど時間短縮にはならないと書いている。これは岐阜に住
んでいる私にはよくわかる。岐阜市内から新幹線の岐阜羽島駅まで行くには40分ほどかかり、案外、不便だから
である。

 しかし宮崎氏の目には見えなかったものが多く、私はそれこそが現代中国を判断する場合の要点だと考えている
ので、残念なことである。たとえば各ターミナルや街中にデカデカと掲げられているアムウェイ(安利)の広告は、宮
崎氏の目にはまったく入っていないようである。駅前に多く存在するインフォーマル金融についても、記述はない。ま
た中国全土で横柄に振る舞っている外資系企業とその中国社会に及ぼしている影響についても言及はない。また
最近話題になっている黒竜江省方正県の日本人墓地についても、すぐ手前の巨大な華僑公墓にはまったく言及さ
れていない。

 この本には、ウイグル暴動や他の地域での暴動についても、明らかな事実誤認がある。また図們工地域の記述
も現状を正しく捉えているとは言い難い。総じて、粗っぽい中国論の域を出ない本である。