小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2011 第17回 & 第18回


読後雑感 : 2011年 第17回 
26.AUG.11
1.「われ日本海の橋とならん」 
2.「はじめての支那論」
3.「中国が日本人の財産を奪いつくす!」
4.「中国人はなぜ突然怒りだすのか」
5.「チャイナ・リスク 爆発前夜」

1.「われ日本海の橋とならん」  加藤嘉一著  ダイヤモンド社  7月22日
  副題 : 「内から見た中国、外から見た日本−そして世界」  帯の言葉 : 「友よ、国を開き、心を開け」

 8/18、中国東北部の吉林省と新潟の物流を進めると期待される「日本海横断航路」開設され、第1便のテディベア号が新潟東港に入港した。この日、新潟ではテープカットを始めとする盛大なセレモニーが催された。この本が出て1か月後に、念願の「日本海横断航路」が開通したわけである。私はこのテープカットの場に、加藤嘉一氏にハサミを持たせ立たせたかった。なぜなら、今後、加藤氏のような若者たちに、この航路を利用し、実際に「日本海の橋」になって欲しいと切に願っているからである。

 私はこの本を、軽い嫉妬の感情を抱きながら読み進めた。それはまず加藤氏の若さに対してであり、そして米・中両国語に堪能な彼の才能に、さらに文武両道を極めている能力にと及んだ。そしてついついこの本のあら探しをしている自分をそこに見つけ出し、恥ずかしく思った。本文中で、加藤氏は語学を習得する心得を披露している。それは怠け者の私にはとても真似ができないことであり、加藤氏の語学力は努力の賜であることがわかった。この加藤氏のような若者が、今後の日本を背負って立ってくれれば、絶対に日本は安泰であると思う。

 加藤氏は、「どんなに遅くとも、団塊の世代が80歳を超え、団塊ジュニアが60代に差し掛かろうとするこのときまでに大きな変化が起きない限り、この国は持ちこたえられない。すなわち日本の余命は20年なのだと。しかし今回の震災を受けて時計の針は10年進んだ。日本人は覚悟する必要がある。…(略)日本は確かに余命10年の国家となったのだ。政治も、経済も、そしてマインドセットも、抜本的な変化が求められている」と書いている。たしかに私たち団塊の世代に与えられている物理的余命も、あと10年である。そのことを私たち団塊の世代は自覚している。したがってこの若い加藤氏の挑戦状を受けて立って、あと10年以内に必ず日本を抜本的に変化させることを誓う。

 加藤氏は、「それでは具体的に、10代や20代の若者が日本の復興と再生に向けてできることはなんだろうか?」と問いを発し、「逆説的な話だが、僕は“海外に出ること”だと断言したい」と書き、「いまこそ真の開国を!」と檄を飛ばしている。さらに「18歳のとき、たった一人で中国に渡った僕は、大きな確信を持っている。世界を恐れる必要はない。外国人を恐れる必要はない。日本人はもっと海外に出て行くべきだし、海外の人をもっと受け入れるべきだ。なぜならみんな同じ人間であり、いつかわかり合えるときがくるのだから。最後にもう一度だけくり返そう。この真の開国に向けたラスト・チャンスを活かせるのか。それともロスト・チャンスとしてしまうのか。他人事ではない。これは読者のみなさん方、一人一人に課せられた“宿題”なのだ」と主張している。私はその迫力に圧倒されながら、この本を読み終えた。

2.「はじめての支那論」  小林よしのり・有本香共著  幻冬舎新書  7月30日
  副題 : 「中華思想の正体と日本の覚悟」   帯の言葉 : 「ウザい隣国・中国は“支那”と呼ぶべし」

 この本はゴーマニストと呼ばれる漫画家の小林よしのり氏と、ジャーナリストの有本香氏の雑談集である。本人たちも「漫画家とジャーナリストの言葉なので、専門家が語るよりは自由でおもしろいかもしれません。でも意外に深いんだぞ、ってところもありますから、まあ気軽に読んでみてください」という書き出しで始めている。

 小林氏は、「わしは以前から、日本は自分たちの生き方や幸福感のあり方を見直す時期を迎えていると思っていたんだよね。アメリカ流ルールの“グローバリズム”や、中国の経済発展一本やりの“全球化”に巻き込まれて、激烈な国際競争を繰り広げながら、日本はさらなる“坂の上の雲”を目指して近代化を続けるのか。それとも経済成長を至上の命題とした近代化にブレーキをかけて、もっと緩やかな進歩でいいから、人と人の絆を築き直すような、成熟した文化を持つ社会を模索するのか」、「もはや近代資本主義は限界に達しているし、金融グローバリズムも日本人はやれた柄ではない。もちろん第2次産業でも最先端技術をはじめとして戦える部分はあるんだから、それは引き続きやればいいよ、でも、それ以外の部分は農業をはじめとする第1次産業にシフトして、半分閉じた国になっても全然かまわない」、「だからわしは鎖国論者になるんだよ」と主張している。この小林氏の「鎖国論」を肯定するわけではないが、私も、日本はこの辺りで一度立ち止まって、真剣に「鎖国」も含めて、独自の生き方を模索してみる必要があると思っている。

 有本氏はあとがきで、「私は、いわゆる“反中親米”(あるいは媚米)ではない。中国もアメリカもウンザリするほど腹黒だ。しかしその私が、つねづね支那人の中華思想にはウンザリだといいながら、アメリカ製の“グローバリズム”はなんとなく受け入れてしまっている。それはおかしい、と小林さんは指摘した」と述懐している。このように、この本には有本氏が小林氏の思想を受容する場面、つまりジャーナリストが漫画家に言いくるめられているような場面が多い。

 なお有本氏は“中国人が日本の水源を買っている”や、“ダライ・ラマの政治的引退でチベット・中国関係はどう変わるか“、”中国残留日本人孤児が殺されなかったわけ“などの見出しを掲げ、文中で持論を展開しているが、いずれも事実誤認が多い。もちろん漫画家の小林氏にも少なくない。

3.「中国が日本人の財産を奪いつくす!」  宮崎正弘著  徳間書店  7月31日
  副題 : 「“土地、企業、技術”の乗っ取りが加速」
  帯の言葉 : 「震災後の混乱に乗じて中国の“日本侵略”が進んでいる」

 この本は、約1/3が題名通りの内容で、残りの2/3は日本には関係のないことが書いてあり、その意味で「羊頭狗肉」の書である。また前回の「徳山ダム」の通信でも明らかにしておいたように、「和歌山、三重、岐阜の森林資源と水源地買収の実態」という見出しを掲げながら、本文にはいっさい具体的な地名が出て来ない。文中にはそのような個所が多く、今回の書は、手抜きが多いような感じがする。元来、宮崎正弘氏は現場主義で、中国のすみずみまで自分の足で歩いて、事実を検証し、それを文章化するというチャイナ・ウォッチャーであったから、私は本書を読んで、若干失望した。伝聞の類の文章がほとんどだったからである。

 たとえば、「こうしてイタリアの古都は乗っ取られた」という文章では、数年前までの古都での中国人の様子が描かれており、現在すでにそこでは、かつての中国人の役割をアフリカからの黒人が演じつつあるという事実については、まったく触れられていない。これなどは現場に行って見てみなければ、わからないことでもある。あるいは「バングラデシュでもインドでも、マオイストらのテロリズムが横行している」と書いているが、少なくともバングラデシュにはマオイストはいない。これも私は、現地の大学で確認済みである。

 歴史の誤認もある。宮崎氏は、次期共産党主席の呼び声が高い習近平氏の父の習仲勲が、彭徳懐の側近だったため失脚を余儀なくされたと書いているが、彼はそれ以前に劉志丹や高崗の仲間として指弾されているのである。また5月に起きた内モンゴルの暴動についても、ネットやメディアから入手した程度の情報がほとんどで、現場をしっかり見た上でのものではなく、事実誤認が多い。フフホトについても、その記述の中で、「もともとフフホトはチベット仏教の街で共産党は宗教的影響力を制御するために、仏教寺院の周囲にモスクを建てさせ意図的にイスラム教徒を入植させ人為的に民族対立を常態化するという分離支配を行ってきた」と書いているが、この文章の中の「イスラム教徒」というのは、回族のことでウイグル族ではない。読者にあたかもウイグル族を入植させたかのような印象を与えることはよくない。回族は古来から中国全土に居住しており、取り立てて入植と騒ぎ立てるほどのことではないからである。

4.「中国人はなぜ突然怒りだすのか」  王珍華著  日文新書  4月30日
  副題 : 「驚くべき日本と中国の習慣・風土の違い」

 王珍華氏は1964年生まれの46歳、「花の60后」である。この年代の中国人には、ハングリー精神が旺盛で優秀な人が多い。彼らは文革終了後の大学で学び、改革開放の波に乗って外資とともに成長し、起業して経営者として成功している人も多い。彼らは激動の20年間を生き抜き、多くの果実を手にしてきた。彼らより前の世代は、農村に「下放」されており、大学で正式に教育を受けた人は少ない。彼らの後の世代は、簡単に外資の波に乗ることはできす、起業しても成功する人は少なくなった。そして中国経済は成熟し、若者たちはハングリー精神をなくし、「80后」の時代を迎えている。しかしこの世代には「天安門事件」に翻弄された人が多く、王珍華氏もその一人ではないかと思われる。なぜなら文中で、「やくざに等しい中国政府」、「中国共産党と名乗る独裁政権」などの憎悪に満ちた表現が散見できるからである。

 王氏は、「日本いる中国人著名人は本当のことを言わない人が多い」という見出しを掲げ、「日本では、日本で有名になった中国人が、“大学教授”、“ジャーナリスト”、“作家”、“ビジネスマン”などという文化人の肩書きで、日本や中国について発言する機会が多くなっています。しかし著者のようにペンネームを使った中国人や、台湾出身の中国人でない限り、実名で中国社会の醜悪な実態を語り、中国政府を真正面から批判することなどはできません。中国に自分の家族や親戚を残している限り、日本で発言したことがいつ何どき問題にされ、どんな口実で家族や身内といった関係者に迫害が及ばないとも限らないからです」と書いている。しかし私の知っている限りでは、日本に定住している中国人の知識人は、中国に家族を残している人でも比較的自由に発言していると思う。

 王氏は、「日本人はなぜ中国人部下を別室に呼び出して叱るのか」と問いを発し、そのような日本人の態度は間違っていると言い、「私も、部下の中国人がだらしのないミスや失敗をしでかしたときには、周囲に他の従業員がいようがいまいが叱ります」、「少なくとも重大なミスや失敗を犯した中国人従業員には、公然と叱り、ケジメをつけなければなりません」、「日本人の部下と同様に扱い、叱るときは叱る、ほめるときはほめるとメリハリをつけて接するのは当然のことなのです」と書いている。しかし私の体験から、日本人上司が中国人部下を人前で叱ることは難しいと思う。予期せぬ言い訳や反論にあって、論争になり、口下手な日本人上司が立ち往生することもあるからである。ここは多くのマニュアル本にあるように、「別室に呼び出し、個別に叱る」方が無難だと思う。

 なお王氏は、この本文中で題名と同じ「中国人はなぜ突然怒りだすのか?」という見出しで一文を書いているが、明確な分析をしておらず、私にはその理由がよくわからない。

5.「チャイナ・リスク 爆発前夜」  黄文雄著  海竜社  8月16日
 帯の言葉 : 「超大国にのしあがった中国はついに限界を迎えた。世界は日本は、いったいどうなるのか?」

 黄文雄氏は、この本に「チャイナ・リスク 爆発前夜」という題名をつけているにもかかわらず、「爆発前夜」という論拠をまったく示していない。つまりチャイナリスクについて羅列しているだけで、それがいつ爆発するかについてはどこにも書いていない。それは黄文雄氏がこの本の最後を、「もっとも根源的なチャイナ・リスクは、まさしく中国人の万古不易の中華思想にひそんでいるのではないだろうか」という曖昧模糊とした文章で締めくくっていることを見れば、よくわかる。この本もまた「羊頭狗肉」の書である。

 この本にも黄文雄氏の他の著作と同様に、中国を歴史的に見た分析が多い。半分以上がそれで占められていると言っても過言ではないだろう。その意味でも、「爆発前夜」というよりも、「チャイナ・リスクの歴史的分析」という題名がふさわしい。黄文雄氏は、そのチャイナ・リスクの一例として、「暴走する人民解放軍」という項目を掲げて分析しているが、その人民解放軍が共産党政権に「どのような形で、どれぐらい、いつ」影響を及ぼすのかは明記していない。これでは人民解放軍が中国の起爆剤になると強弁してみても説得力はない。

 なお文中で黄文雄氏は、「実際最初の革命根拠地・井崗山は匪賊の根城で、紅軍は農民労働者というよりもルンペンを主力とする。もっぱら略奪しか目がない匪賊集団で、共産主義革命を目指した党のエリートも頭をかかえたほどだった。紅軍の暴虐狼藉ぶりは、“三大規律、八項注意”などのつくられた“美談”が決していうほどのものではなかったことを物語る」と書いているが、これは誤りである。たしかに井崗山時代が匪賊まがいの集団であったことは事実であるが、その後、紅軍が長征に踏み切り、その中で全軍に“三大規律、八項注意”を徹底し、秩序ある軍隊に変貌していったのである。紅軍が規律正しい軍隊であったことは、後に八路軍と行動をともにした日本兵の多くが証言しているところでもある。黄文雄氏の他の歴史的な記述についても、このような独断と偏見による歴史の歪曲や誤りが多い。

 さらに黄文雄氏は中国での急速なネット社会の普及を取り上げ、「“愚民”が理想的な人間とされ、時代が下がり、科学技術の進歩発展と共に、言論鎖国ますますきびしく、ことに中国政府は“サイバーウォー”の開発が最終防衛の手段ともなる。もしネット空間が農村にまで広がり、中国人の愚民化ができなくなるとき、中国はいったいどうなるだろうか」と書いている。もし黄文雄氏が題名に忠実ならんとするならば、このような疑問形で文章を終わるのではなく、「ネットが農村に普及し、この数年で愚民がなくなり、チャイナ・リスクは爆発する」と書くべきである。

 黄文雄氏は「蔓延する“亡党亡国”の危機感」という項で、最初に「経済危機や経済崩壊の危険状態から中国国家崩壊論を説く者が多い。たとえば不動産バブル、インフレなどからドミノ式に経済、社会から政権さらに国家の崩壊へと説くのもその一例である」と書き、最後に「清朝が滅びたのは“黄金の十年”といわれる最後の経済繁栄がもたらした社会大変動が主因だった。むしろそれが歴史の鑑ではないだろうか」と締めくくっている。この最初と最後の文章は明らかに矛盾していると私は考える。



読後雑感 : 2011年 第18回 
01.SEP.11
1.「島国チャイニーズ」
2.「旧満州 本溪湖の街と人びと」
3.「中国朝鮮族を生きる」
4.「潜入ルポ 中国の女」
5.「必読! 今、中国が面白い 2011年版」

1.「島国チャイニーズ」  野村進著  講談社  8月24日
 帯の言葉 : 「“反中”“嫌中”が蔓延する日本に生きる在日チャイニーズたちのひたむきな人生模様」

 この本で野村進氏は、日本で活躍する中国人の姿を、赤裸々かつ肯定的に描いている。野村氏はあとがきで自らの立脚点を、「あえて乱暴な言い方をするが、日本人は中国人を恐れ、中国人は日本人を恐れているのである。両者を取り持つべきマスメディアは、むしろその恐怖を煽って、テレビの視聴率を稼ごうとしたり、新聞・雑誌や単行本の売り上げを伸ばそうとしたりしてきた。また、新時代を切り開くメディアであるはずのインターネットも、ユーザーの鬱憤や屈折の掃き溜めと化して、両者の怒りの火に油をそそぐほうにいそがしい。“無知にもとづく恐怖”には、“事実にもとづく知”で対抗するしかない」と書いている。私もまったく同感である。

 野村氏は第1章で、劇団四季で活躍する中国人俳優を取り上げている。四季には現在、24名の中国人俳優が在籍しているという。彼らは舞台で流暢に日本語のセリフを話し、華麗に役を演じているので、日本人とまったく区別がつかないそうである。野村氏は文中で、舞台裏での彼らの涙ぐましい努力を披露している。私はまだ四季の舞台を一度も見たことがないので、できるだけ早い機会に中国人の演技を観劇に行きたいと思った。

 第2章では日本で活躍する中国人大学教授について書いている。すでにその数は2600名を超えるという。私の周囲にも多くのきわめて優秀な中国人大学教授がいらっしゃるので、それは頷ける。野村氏は、「この章では、中国出身の大学教授や研究者たちが、実に多彩なジャンルで活躍している一端を報告してきた。だが、私を含む大半の日本人は、彼らの異郷での信じがたいほどの努力と、日本社会への少なからぬ貢献に、ほんのちょっとでも目を向けようとしたことがあったろうか。それどころか、拝外・国粋主義を売り物にする日本のマスメディアの中には、中国出身の大学教授や研究者に中国共産党のスパイが紛れ込んでいると主張する人々さえいる。…(略)裏付けがあるのならまだしも、明白な根拠もなしに、くだんのごとき風評を煽り立てるのは、悪質な“デマゴギー”と呼ぶべきものだ」と書いている。これもまっとうな見解である。

 第3章では芥川賞作家の楊逸さんを取り上げている。私も楊逸さんにはお目にかかって取材をさせてもらったことがある。そのとき私は、飾り気のない、それでいて人間的な深みをにじませ、しかも苦労人としての過去を微塵も感じさせない楊逸さんと、時間を忘れて話し込んだものである。この章の野村氏の記述は、その日のことを昨日のことのように思い出させてくれた。

 第4章では中国人留学生を、第5章では中国人妻を、第6章では神戸中華同文学校を、第7章では池袋に住む中国人を書いている。それぞれに読み応えがあるものである。

 ただし「吉林省琿春市のあたりでは子持ちも含め、結婚適齢期の女性たちが、こぞって日本や韓国に嫁いでしまうため、取り残された男たちは、国境の向こうの北朝鮮から花嫁を募っている」(P.172)と書いているが、これは事実誤認である。琿春市に住む中国人男性の名誉?のために、明言しておくが、そのような事実はない。この点では、野村氏は「事実にもとづく知」のスタンスを逸脱している。ただしこの朝鮮族地域で、北朝鮮人が見下げられていることは疑いのない事実である。

2.「旧満州 本溪湖の街と人びと」  塚原静子著  幻冬舎ルネッサンス  7月5日
帯の言葉 : 「かつて日本が中国につくった満州国の一都市・本溪湖。この街の歴史を忘れ去ってはいけない―」

 この本は、塚原静子氏の手による「太子河―満州本溪湖100年の流れ」と「本溪湖物語―南満州本溪湖の記録」のダイジェスト版であり、塚原氏自身の体験記ではない。しかし塚原氏は、はじめにで、「人は、どうして平気で戦争をするのでしょうか。世界が平和でありますように祈らずにはいられません」と書き、旧満州の一断片である本溪市の記録をわざわざダイジェスト版にして残し、この記録に携わった関係者以外の日本人、ことに若き日本人の目に触れさせようとしたのである。おそらくこれには私費がかなり投じられているのではないだろうか。私はその志に感銘を受けた。戦後60年余、昨今、旧満州を含め、多くの戦争体験者や被災者、被害者の方々がこの世を去っていかれる。現在、塚原氏のような努力はなされておかなければならないことであり、貴重である。

 塚原氏は文中で、八路軍や共産党などについての体験者の寄稿を紹介している。
・一回目は八路軍で働いていた時期である。皆とても暖かい心で接してくれた。ソ連軍とは対極の態度。
・8月19日、廟児溝、柳塘で働かされていた特殊工人が中国共産党臨時指導部を結成した。そして2日後には、他の炭鉱の特殊工人も合流し、炭鉱、製鉄所の諸設備、それに街の治安維持、保安のための「本溪工人糾察隊」を編成した。…(略)。2000名にもなる本溪工人糾察隊の部隊は、「日本人を知るのは我々だけである。日本人保護に全力を尽くそう」と小銃や棍棒を持って東奔西走し、整然と行動した。また、「日本人の生命財産を犯す者は死刑」と公示して治安の維持に専念し、当時の在留日本人から感謝された。
・ソ連軍の進駐で街の治安は一気に悪化した。略奪、暴行は日常茶飯事で、日本人ばかりでなく、中国人、朝鮮人も襲われた。
・この頃から中共軍による「留用」が始まりました。医師、看護婦、薬剤師、検査技師などの医療関係者や特殊な技術者を命令で使うのです。…(略)。若い女性たちは野戦病院での下働きや看護の助手として徴用されました。そして中共軍が追いつめられ、本溪湖からの撤退も噂されはじめた4月初旬、大々的な「娘狩り」が行われました。…(略)。この徴用された女性たちは、中共軍と行動を共にすることを余儀なくされた。彼女たちが日本に帰国できたのは、1953(昭和28)年のことであった。
・ただ八路の兵隊がちょくちょくやって来ては家の中をかきまわし、自分たちの欲しいものを勝手に持って行ってしまうのには腹が立ちました。
・10次にわたる引き揚げ団が本溪湖を出発した後、中国国民政府に留用された技術者とその家族450名が本溪湖に残った。残留した日本人技術者たちは、発電所の修復、その他工場の修復を中国人たちと共に行った。また、炭鉱の生産性を高めるために、日本人技術者たちは自分たちのもつノウハウを惜しみなく中国人たちに教え込んだ。

こ れらを読むと、当時の本溪湖の日本人は、中国共産党や八路軍について、相反する印象を持っていたようである。私はこれらのどちらも事実でありウソではないと思う。どちらも大小の違いはあれ、当時、本溪湖で生起し、日本人が体験した事実であるだろう。したがってどちらか一方を意図的に取り上げ、非難の対象にするのは間違いであると考える。

 私は、日本が満州を侵略したわけだから、敗戦とともに、民間人も含めてその責任を問われても文句が言えた筋合いではないと考えている。したがって中国人が自分たちの国土を侵略した憎むべき日本人を、徹底的に迫害してもそれは当然のことであり、むしろそのような中で日本人に温情をかけてくれた中国人がたくさんいたということに注目すべきであり、感謝すべきであるというのが、日本人の取るべき基本姿勢だと、私は考えている。

 なお、この本の最後の部分には、日本人技術者とドイツ人技術者との生死を超えての交流のドラマが記されている。

3.「中国朝鮮族を生きる」  戸田郁子著  岩波書店  6月24日
  副題 : 「旧満州の記憶」

  帯の言葉 : 「私たちは、つながっている 時は流れても、消せないもの 違う空の下でも、導いてくれるもの」

 韓国語と中国語に堪能な日本人である戸田郁子氏は、朝鮮族の歴史と現在を語ることのできる貴重な人物である。私の合弁工場は、この本の主役の朝鮮族が多く住む吉林省延辺朝鮮族自治州の琿春市にある。したがってこの地の朝鮮族については、かなりの知見があると思っていた。しかしこの本を読んで、戸田氏の記述から、私の知らなかった多くのことを学ぶことができた。一見してマイナーなこのテーマに果敢に挑戦し、光を当てた戸田氏のこの労作が多くの日本人に読まれることを願うものである。

 まず戸田氏は、安重根などの歴史上の人物を取り上げ、朝鮮族と日本人との関わりを朝鮮族の視点で描いている。私は黄埔軍官学校、上海臨時政府、ウズベキスタンの強制移住地を訪ねたことがあり、それぞれの地で朝鮮族の歴史と足跡を学んできたが、下記の戸田氏の記述で、それらが一本の線でつながった。

・士気の上がった(大韓)独立軍を日本軍がそのままにしておくわけがない。大規模な日本の討伐隊に追われてロシア沿海州に後退した独立軍連合部隊は、共産主義隊列に加わるか否か、だれを首領とするかなどで分裂し激戦となった。ここで多くの部下を失った洪範図は抗日戦線から退いたが、その後も変わらず軍服を着て銃を提げて歩くのが好きだったという逸話が残っている。1937年、スターリンによる朝鮮人強制移住で沿海州から中央アジアに移った洪は、1943年に波乱の生を全うした。平壌の貧農の家に生まれ、抗日義兵運動で朝鮮各地を転々とし、やがて間島から沿海州へと渡り、人生を終えたのはカザフスタン共和国だった。享年75歳。

・金元鳳は要人暗殺を企てる義烈団を組織、広州の黄埔軍官学校を卒業して朝鮮民族革命党を指導、上海臨時政府の要人となる。開放後に越北し北朝鮮の幹部となるが、延安派として粛清された。金科鳳はハングル学者であり、上海臨時政府の議員となり、後に延安で朝鮮独立同盟主席となった。開放後に北朝鮮に渡ったが、粛清された。

次いで戸田氏は戦後の朝鮮族の生き様について、下記のように書いている。
・皇国臣民であり満州国国民だった在満朝鮮人は、解放と同時に亡国の民となった。しかし「土地改革」が行われて地や親日派が弾劾され、安心して暮らせる土地を手に入れた農民たちは、この国に住むことを望んだ。国共内戦には、東北三省から6万人余りの朝鮮人が参戦し、10万人余りが銃後の任務に就き、数多くの「革命烈士」を出した。そして朝鮮戦争へと、戦乱の時代は続いた。1949年に中華人民共和国が建国し、1952年に延辺朝鮮族自治州が成立。初代州長に朝鮮族の朱徳海が就任した。…(略)。(その後、)朱徳海は文革で凄惨な迫害を受け、1972年に武漢で死亡。

・「我々はこんな社会を作るために、革命に身を捧げてきたのではない!」

親の代で故郷を離れて中国に渡り、戦乱の時代を過ごしてこの地への定着を決め、そして民族自治や民族教育のために力を尽くしてきた老幹部たちは、これまで流されたおびただしい血と汗を知っている。だからこそ、この現実に対する虚脱感はどれほど大きいことだろう。

・農村地域では朝鮮語の学校が激減しているが、都市部では朝鮮語を学びたいと願う学生は増えている。二重言語の境を守ってきた延辺朝鮮族自治州は、もっと注目を集めてしかるべき場所だ。…(略)。これまでが朝鮮語を守ることだけに心血を注いだ時代だったとすれば、これからは二重言語を使いこなす時代ではないかと私は思う。どちらの「国語」を取るかで悩むのではなく、どちらの「国語」も中途半端にならぬよう使いこなせる人材を育てること。それがこれからの民族教育ではないだろうか。

・「韓国に定住するつもりのない朝鮮族は、とにかく一銭でも多く稼いで、早く故郷に帰ることばかり考えている」

・ここに描かれた延辺の少女は野暮ったくて純真無垢で、自己主張の強い韓国女性とは対照的だ。「韓国男の言いなりになる朝鮮族の娘」という構図は、韓国人の意識の反映でもあるのだろうか。朝鮮族を見下す韓国人の目線が気にはなるが、ムン・グニョンの愛らしさに救われる思いで見た記憶がある。

 上掲の「島国チャイニーズ」で野村進氏は、「吉林省琿春市のあたりでは子持ちも含め、結婚適齢期の女性たちが、こぞって日本や韓国に嫁いでしまうため、取り残された男たちは、国境の向こうの北朝鮮から花嫁を募っている」と書いている。この本で戸田氏は、「韓国男の言いなりになる朝鮮族の娘」と書いている。この二つの文章を繋げてみると、「韓国人は朝鮮族を見下し、朝鮮族は北朝鮮人を見下げている」ことになる。これは韓国経済が繁栄しており、朝鮮族が大挙して韓国へ出稼ぎに行っていること、また北朝鮮経済が疲弊しており、北朝鮮人が朝鮮族地域へ脱北してきていること、つまり韓国人が朝鮮族より豊かで、朝鮮族より北朝鮮の人々が貧しいということの反映であると見ることができる。同一民族であっても体制や経済水準が違えば、明らかに互いに他民族同様の意識となっているということはきわめて興味深い。民族問題とは、詰まるところ、このようなところに収斂されるのかもしれない。

4.「潜入ルポ 中国の女」  福島香織著  文藝春秋  2月25日
  副題 : 「エイズ売春婦から大富豪まで」

  帯の言葉 : 「なぜ苦界で生きる女はこんなに強いのだ!
  日本人初の女性北京特派員が凝視・直視・驚嘆・取材した“中国女”の全て」

 この本は「中国の女は強い」という書き出しで始まり、前半は「苦界で生きる女」、後半の第3章では女傑と呼ばれる女性経営者やチベット民族主義者のツェリン・オーセルなどを描き、第4章では章伯釣の娘の章詒和や現代の小皇帝について書いている。これらを読み終えて、私は、福島香織氏はなぜ、第3章をトップに持って行かなかったのだろうかと不思議に思った。チベット民族主義者のツェリン・オーセルや章伯釣の娘の章詒和について、福島氏が語るくだりは、迫力があり秀逸である。まさに「強い中国女性」を描ききっている。「現代中国の女性の強さ」を肯定的に描くつもりなのならば、当然のことながら、これらの中国の各界で成功した女傑の話が冒頭に並ばなければならないはずである。しかも第1・2章の「苦界で生きる女」の中にも、そこから這い上がって大成功したという女性の話が出て来ないのもおかしい。そんな女性も中国には、たくさんいるはずである。おそらく福島氏は、この本の読者に男性が多いことを意識して、このような構成にしたのであろう。その意味で、今回の読後雑感で取り上げた女性著者たちの書籍と比較して読めば、いかにこの本が軽薄であるかがよくわかる。未来ある福島氏には、読者におもねず、今後は真実に迫る重厚な文章を書いてもらいたいと切に願う。

 福島氏は第1・2章で、「苦界に生きる女」を詳細に描いているが、あまりにも「苦界」に目を向けすぎて、一般的な中国人女性の置かれている状況について、客観的把握が不足している。たとえば沿岸部諸都市では人手不足の結果、工場だけでなくレストランなどのサービス産業でも圧倒的に人手が足りない。上海では家政婦さんが不足しており、その賃金相場は6000元に迫る有様であり、雇い主が頭を下げて頼んだり、贈り物などをしなければならないような状況である。そこでセクハラやレイプが起きる可能性はきわめて少なくなってきている。今や、中国女性には「苦界」そのものが過去の話となっており、日本などの先進各国同様に、手っ取り早く楽をして大金を儲けるために その世界に足を踏み入れる場合が多くなっている。

 ツェリン・オーセルに関する記述の項で、福島氏は2008年のチベット暴動について言及しているが、その見方は明らかに偏向している。「情報量は新華社と中国中央テレビから流れる中国側の公式報道が圧倒的に多い。…(略)中国政府は外国人記者にかの地で自由な取材を認めておらず、その公式報道を一方的に受け取るわけにはいかない」と書き、自らは現場に赴かずネットなどに現れる伝聞を根拠にして、その論を展開している。私はチベット暴動についての真相は、「実録 チベット暴動」(大木崇著 かもがわ出版)を読めば,一目瞭然であると考えている。私は2008年8月、ラサに入り、この大木氏の書の裏付けを取ってきた。大木氏が書いていることは、すべて真実であった。福島氏がこの大木氏の著作を読んでいないとするならば、それではチベット暴動について発言する資格はないと考えるし、読んでいても無視しているとするならば、ジャーナリストとして失格である。福島氏の今年6〜7月に内モンゴルで起きた事件への態度についても同様のことが言える。

5.「必読! 今、中国が面白い 2011年版」  而立会訳  日本僑報社  7月1日
  副題 : 「中国が解る60編」
  帯の言葉 : 「上海万博後の第12次5か年計画の目標は? 待ったなしの経済構造改革と社会制度改革
  覇権主義か、国際協調か、岐路に立つ中国」

 この本は、2010年に発表された人民日報などの記事などを、丹念に抽出し、原文に忠実に訳出したものであるという。これらは現代中国の世相を反映したものとなっており、並みの中国解説本よりはるかにおもしろい。また各項目の末尾には“寸評”もつけられていて、ワサビも利いている。下記に、第2、3章についてのみ、私見を述べておく。なお他の章もおもしろく、中国人が実際に現状をいかに考えているかを知ることができる。

 社会科学院の沈崇麟氏は現代中国の家族関係に注目し、「世代間関係から見て、1980年代・1990年代生まれの子供は、家庭内では両親と向き合うだけでなく、父方と母方の祖父母とも向き合わなければならず、上の世代からは例外なく出世の期待がのしかかる。この世代の中国人は“オギャア”と生まれ落ちた瞬間から、社会や家族の様々な期待が山のようにその身にのしかかっている。これがまさに家庭内の世代間対立の源泉にもなる。家の外縁が広がるにつれ、こうした矛盾は激化の一途をたどっていく。この状況を変えるには次世代に対する社会の期待を変えなければならない。“大人になる”ことイコール“出世”することではないことを肝に銘じ、次世代の若者を上の世代の重圧から解放し、自由に成長できるようにしなければならない」と書いている。これに対して「寸評」は、「中国社会で有史以来の大きな変化が起こっている。孝を中心とした伝統的な血縁集団による強固な助け合い社会、内向きな利益集団が崩れはじめている。その一方で、人的ネットワークに基づく利益集団の色合いは形を変えて衰えることがない。その行き先は?」と書き加えている。

 私は沈氏も「寸評」も、この問題の解決方法に関して、消極的であると思う。「一人っ子」の抱える大きな問題の一つは、来るべき超高齢化社会を彼らが物理的に支え切れないということであり、それが若者の重圧となっているのである。それは沈氏が言っているような精神的なものではない。これは高齢者自身が解決しなければならない問題であり、それがなくなれば若者は自由に羽ばたく。私は、これは日本にも共通している課題であり、われわれ団塊の世代がそれを見事に解決し、中国に範を垂れるべきだと考えている。

 中国政府は1980年の3月から5月にかけて連続5回の連続フォーラムを開催し、出席者は「中国は人口が多すぎるので、出生率を早急に下げるべく一人っ子政策を実行するべきだ」という結論に達したという。そのとき同時に一人っ子政策によって生じるであろう問題として、@子供の知力が低下してしまわないか、A年齢構造の老化と労働力不足を引き起こすかどうか、B「4・2・1」世代構造が現れるかどうか(老齢人口が4・成年人口が2・少年人口が1)などが慎重に検討された。そして中国社会では一人っ子政策が厳しく実施されることとなって現在に至り、沈氏の言っているような結果をもたらすことになっている。

 田雪原氏は今後の人口政策について、「科学的発展観のもとで、人口数の抑制、人口の質の向上と人口構造の調整を総合的に実行し、人口と資源・環境、さらには経済・社会との持続可能な発展を実現させること。このためには、人口自体の、さらには人口と発展を考えに入れた、全面的発展を画した人口政策を制定し、数量抑制を中心に置くことから、数量抑制と“質の向上・構造調整”の双方重視に徐々に移行し、最終的に質の向上、構造調整という人口政策に達するべきである」と提言している。これ自体はわかりにくい記述であるが、この後に続く具体的提案をよく読んでみると、結局、一人っ子には2人の子供を産むことを認め、3人目は効果的に抑止するということであることがわかった。これに対して「寸評」は、「中国の人口政策が大きな曲がり角に差し掛かっていることは周知の事実だ。過去の人口抑制政策を総括し、その経緯とあぶりだされた問題点、今後の方向性について率直に論じたこの文章は熟読玩味するに値する」と書いている。