遺棄化学兵器処理問題への私見
遺棄化学兵器処理問題への私見 |
24.DEC.10 |
《目次》 1.フジタ社員拘束と遺棄化学兵器処理問題の怪。 2.遺棄化学兵器処理問題の概況。 3.水間政憲氏の語る真相。 4.安倍晋三元首相と遺棄化学兵器処理問題のからみ。 5.遺棄化学兵器処理問題への私見。 6.ニューギニア戦線での皆川節夫大尉の武装解除行動。 1.フジタ社員拘束と遺棄化学兵器処理問題の怪。 9月7日、突如として尖閣諸島事件が勃発した。日本政府が中国漁船の船長らを逮捕したことに対し、中国政府はガス田交渉の延期、数度にわたる丹羽大使の呼び出し、全人代代表団の訪日中止などの対抗措置をとった。そして9月23日、河北省石家荘市で日本人4人(日本の準大手ゼネコン:フジタの社員)を拘束した。その後日本側では、この中国側の行為を報復措置であると弾劾したり、これが拉致監禁同様の不法なものであるから断固とした抗議を行うべきであるという声もあがるなど、世論は反中国一色に染まっていった。 私はこの降って湧いたようなフジタ社員の拘束を、彼らには申し訳ないが、絶好のチャンスだと思った。なにしろフジタの社員は、遺棄化学兵器処理問題にからんだビジネスの調査を、石家荘市で行っていたときに拘束されたわけであり、この機会に、これまで隠され続けてきたこの問題がマスコミなどで大きく取り上げられ、世論を沸騰させると考えたからである。ところがその後、マスコミなどで、中国側のフジタ社員拘束の顛末についての報道はあっても、遺棄化学兵器処理問題については、まったくと言ってよいほど言及されなかった。かろうじて水間政憲氏が「領土問題の真実」という本を緊急出版し、その半分ほどのページを割いて真相に迫っただけである。中国側がわざわざチャンスをくれたのに、マスコミを始めとした日本側がそれに食らいつかなかったのはなぜなのか。 遺棄化学兵器処理は、現在、作業続行中で、日本国民の血税が注ぎ込まれている。すでに一説では630億円(970億円という説もある)ほどが投入済みであり、最終的には1〜60兆円(この額も不明)が必要だとも言われている。
しかも10月29日、オランダ:ハーグの化学兵器禁止機関本部で開催された締約国会議で、中国の張軍常駐代表は、「日本の廃棄作業の処理は依然として大幅に遅れている。2012年の期限までに完全廃棄せよ」と強く要求している。いったい日本政府は、この事態をいかに処理するつもりなのか。またマスコミを始めとして社会の木鐸を自称している右や左の論客は、なぜこの問題に言及しないのか。 日本人技術者の泊まっているホテル 新築の日本人技術者用マンション群−空き家になっている 私は11月末、2009年のPCI事件以来、遺棄化学兵器の処理が凍結されていると報道されている吉林省敦化市ハルバ嶺の現況を調査するために、現地に足を運んだ。そこでは日本人の技術者が約40名、処理作業続行中であった。また敦化市には、すでに処理作業のための日本人用マンション、10棟(500世帯居住可能)が新築されていたが、入り口の門は閉じられており、使用された形跡はなかった。現在派遣されている日本人技術者たちは、そのすぐ近くのホテルに泊まっていた。彼らが新設の宿舎を使用せず、ホテル住まいをしている理由はわからなかった。 2.遺棄化学兵器処理問題の概況。 日本が海外に遺棄した化学兵器の処理責任は、1997年に発効した化学兵器処理条約(CWC)が根拠とされ、中国での遺棄化学兵器処理は当初約定の10年内処理が延長され、2012年4月までに処理することが約定されている。しかしさらなる延長(条約では15年超の延長は認められていないので現条約の規定では2022年がリミットとなる)が余儀なくされている状況である。日本の対応はハルバ嶺での発掘・回収事業とその他中国各地の発掘・回収事業に分かれて進められている。2009年3月に麻生政権はPCI詐欺事件を受けてハルバ嶺での作業を3年間凍結し、その他地域の回収・無害化作業を進めて事業予算を縮小することとしていた。 日本国内の反論としては、化学兵器禁止条約による「遺棄化学兵器」の定義(第2条6項)は、1925年1月1日以降にいずれかの国が他の国の領域内に当該他の国の同意を得ることなく遺棄した化学兵器(老朽化した化学兵器を含む)とされているが、「同意」を得て引き渡したので「遺棄」ではなく、日本に処理責任はないという意見(引き渡し書類は全部現存しているわけではないというのが外務省の見解で証左されていないようである)。また、数量について日中双方の意見が異なる、発煙筒が有毒であるとして処理対象になっていることがおかしい、ロシアや中国の遺棄兵器まで含まれているなどの反論や、反中感情論による反論などがある。 ※日本政府の公式見解は、内閣府大臣官房遺棄化学兵器処理担当室:(http://wwwa.cao.go.jp/acw/index.html)に紹介されている。中国では外交部に2000年に設置された「処理日本遺棄在華化学武器問題処理弁公室」が対応部門となっている。 今回、フジタ社員が拘束された河北省石家庄市では2003年に簡易処理が行われている。安部総理と温家宝総理の間で中国各地をトレーラーで移動させる移動式処理施設の使用が合意され、まずは南京および石家庄で稼働することになっており、南京では神戸製鋼所が建設した移動式処理施設が今年9月に稼働し、9月1日に中国で最初の廃棄処理事業の開始を宣言する式典が行われた。中国で2000年以降に回収した4万8000発のうち南京に保管されている約3万6000発の廃棄処理をはじめ、その後、武漢に施設ごと移動させて処理する予定である。フジタの石家庄市での行動は、南京での受注に続き、石家庄市で公示された機械メーカー対応事業に対して現地調査を行うための訪問であると同社のホームページ(http://www.fujita.co.jp/information)で釈明されている。フジタ上海の元総経理の話では、今回の調査には中国人ガイドが同行していたとのことであるが、日本のニュースでは触れられていない。なお、フジタは入札準備の続行は厳しいと判断し、これを断念したと報道されている。 《遺棄化学兵器処理問題に関する日中間の歴史的経過》 1987年 中国側からの遺棄国への責任についての発言
1990年 中国側から日本に対して非公式な日本軍遺棄化学兵器処理についての打診 (海部内閣) 1991年 日本から中国現地へ調査団派遣 1992年 中国が公式に日本の責任を問う声明発表 1996年 日中協議本格化 1997年 内閣官房に「遺棄化学兵器処理対策室」設置 (第2次橋本内閣) 1999年 遺棄化学兵器処理の廃棄に関する日中「覚え書」に署名 (小渕内閣) 遺棄処理事業開始 2007年 4月、温家宝首相、来日時に「移動式処理施設」を要求 (安倍内閣) 2007年 10月、PCIに強制捜査 (麻生内閣) 遺棄処理事業一時凍結 2009年 1月、ハルバ嶺事業について合理性がないという理由で、政府が事業の見直しを決めたという報道あり 3.水間政憲氏の語る真相。 遺棄化学兵器処理問題を追い続けてきた水間氏は、今回、「領土問題の真実」(PHP:12/10刊)を緊急出版し、世論の覚醒を試みた。この水間氏の主張の真偽については異論もあるが、以下にその要旨を記す。詳しくは上掲の著書を参照のこと。 ------------------------------------------------------------------------------------------- 2006年3月、山形県鶴岡市のシベリア資料館で、600冊に及ぶ「旧日本軍兵器引き継ぎ書」が発見された。この資料によれば、1945年9月9日、降伏文書調印式で、すべての兵器は日本側・岡村寧次大将と中国側・何応欽大将の間で署名調印し、中国側に接収されたことになっている。また、旧満州における関東軍も、ソ連極東軍最高司令官ワシレフスキー元帥から「武装解除に関する命令書」を手交されており、これらの指令通り、各軍隊が武装解除、兵器の引き渡し(引き継ぎ)を行ったとされている。したがって、旧日本軍の兵器の所有権は中国側(あるいはソ連に引き継がれた)にあり、遺棄化学兵器問題は日本に責任はない。さらにシベリア資料館に所蔵されている600冊に及ぶ兵器引き継ぎ書は、北支・中支・華南・旧満州の関東軍を網羅しており、中には、電気スタンドやケント紙1枚までも記されている。終戦後の武装解除、中国側(国民党軍)への兵器引き渡しが、驚くほどの律儀さで遂行されたことが分かる。 ※終戦時における旧日本軍の武装解除の状況については、6.の項を参照。私の体験上からも上記を傍証。 このような新資料が発見されたわけだから、1999年に日中双方で交わした「覚え書」を、この際見直し、この事業を再検討すべきである。2006年5月12日、当時の安倍晋三官房長官も国会答弁で、「この史料は精査すべき内容である。しかるべき調査をさせたい」と、明確に答えている。なおその後、調査グループが編成され、史料の1/3の調査が終わった時点で、「化学兵器の引き渡し記録は全く発見されていない」との報告があったが、その調査はきわめて杜撰なもので信用できない。再度、やり直す必要がある。 さらに日本政府は「日中覚え書」で、化学兵器禁止条約で廃棄処理を義務づけられていない化学兵器まで廃棄処理の対象にしてしまった。その中には単なる発煙筒である「しろ剤」やほとんどの砲弾に使用されるピクリン酸まで含まれている。その点も、遺棄化学兵器処理に当たって、明確にしておかなければならない。 日本政府は2000年以降、同処理費用に970億円を投じている。中国の要求通り処理費用を捻出すると1兆円を超えるとも言われている。中国の要求が法と正義に基づいた正当なものであれば、日本の責任において処理することに対して、国民の誰一人として反対する者はいないだろう。 -------------------------------------------------------------------------------------------- 4.安倍晋三元首相と遺棄化学兵器処理問題のからみ。 安倍晋三元首相が、若きころ神戸製鋼に勤務していたことは、明白な事実であり、安倍元首相自身が神戸製鋼加古川製鉄所での経験を「私の原点」だったと回顧しているほどである。その神戸製鋼が遺棄化学兵器の処理を、日本政府から随意契約で受注してきた主要な企業であることも、これまた明白な事実である。したがって安倍元首相は世論から、遺棄化学兵器処理問題ビジネスになんらかの関係があるのではないかと、勘ぐられても不思議ではない。 WILL11月臨時増刊号で、安倍元首相は、「民主政権でわが領土は守れない」という小論文を書き、その中で、「(日本政府は)フジタの社員が4人も拘束されたにもかかわらず、1週間も放置した。直ちに駐日中国大使を呼び出すべきだった。これは許すことはできない」と書いているが、フジタの社員が遺棄化学兵器処理問題に絡んでいたことについては一言も語っておらず、頬被りしたままである。その安倍元首相を、塚本三郎氏は「安倍晋三君、いま一度再生の烽火を上げよ」(撃論ムック Vol29 オークラ出版)の中で、「対中外交に深い造詣」を持つ政治家として、政界への再登場を促している。しかしながら、今、なによりも安倍元首相がやらなければならないことは、遺棄化学兵器処理問題の徹底的な調査である。これは安倍元首相が官房長官在任中に、国民に約束したことであるから、私費を投じてでもやるべきである。そのことの黒白をつけなければ、再登板など問題外である。 なお安倍元首相が退陣してから、麻生内閣のときにPCIに強制捜査が入り、遺棄化学兵器処理問題が一時凍結
されたことをもって、麻生太郎元首相が遺棄化学兵器処理問題を終結させたかのような認識があるようだが、実際 には敦化市ハルバ嶺では現在も続行中である。ネット上ではこれを民主党が復活させたと、強弁している人もいる ようだ。 5.遺棄化学兵器処理問題への私見。 @真相の究明。 水間氏の言うように、まず行わなければならないのは真相の究明、つまり第1に「遺棄化学兵器が旧日本軍から、他国に引き継ぎされたものであるかどうか」をはっきりさせ、第2に「もし引き継ぎされていなかったとしても、遺棄された兵器のうち日本が処理する責任を負わなければならない化学兵器の種類と量の確定」をしなければならないのである。山形県鶴岡市の「シベリア資料館」に600冊にも及ぶ兵器引き継ぎ記録が残されているのならば、ただちにこれを精査すべきである。政府や安倍元首相が行わないのならば、民間人有志がボランティアでも行うべきであり、もし誰も手がけないのならば、私がこれに乗り出してもよいと思っている。また中国側やロシア側に残っている資料を徹底的に調査研究すべきであるし、まだ存命中の旧日本軍関係者の証言を早急に聞き出す必要がある。 A覚え書きの更改。 調査の結果、もし遺棄化学兵器が他国に引き継がれたものであるならば、それを根拠にして1999年に交わされた覚え書を見直すべきである。水間氏は化学兵器禁止条約の第4項の「廃棄の期限」の、「条約の趣旨および目的に危険をもたらさないと認めるときは、(中略)単独の要請(中略)に基づき、廃棄に関する規定の適用を変更しまたは例外的な状況において停止することができる」に基づけば、日本単独でも変更してこの事業を停止することができると書いている。いずれにせよこの事業には、現在に至るまで、日本国民の多大な血税が投入され続けているわけだから、真相が究明され、旧日本軍が中国の地に化学兵器を遺棄していないということが判明した時には、中国と再交渉して、覚え書を更改すべきである。 B化学兵器処理事業の続行。 その上で、旧日本軍が中国に化学兵器を持ち込んだことは事実であるから、その処理事業には全面的に協力するべきであり、日本国民がその費用負担を負うことはやむを得ないことだと考える。したがって中国側も遺棄化学兵器に関する資料などを日本側に明確に提示し、処理事業が円滑にしかも低額で行えるように協力すべきである。現実に今でも、遺棄されたという化学兵器での中国人民の事故が起きていると言われているし、中国側にはまだ遺棄化学兵器の処理技術が確立されていないという。このような状況下では、日中双方がこの事業に真摯に向き合い、協力事業として展開し、早期に解決することが必要なのである。 C事業透明性の確保。 PCI事件に見られたように、この事業にはきわめて不透明な部分が多い。いわば利権の巣窟になっている可能性が高い。この事業こそ、仕分けの対象にして、その真相の究明をしなければならないのではないか。その上で、公明正大な発注方式を徹底し、この事業を展開すべきである。さらに政府は事業の進捗状況を克明に発表するべきであり、マスコミを始めとするチャイナウォッチャーは、現地周辺にしっかりアンテナを張り、この事業を注視していかねばならない。 D戦争放棄。 この事業は戦後処理である。戦争はその勝敗にかかわらず、戦後に多大な負担を遺す。もし遺棄化学兵器の処理事業に60兆円が必要だとするならば、現在の日本国民の負担は耐え難いものとなる。 戦争は当該国双方の後世の人々に、遺棄兵器処理という多大な付けを残す。今やそれは核兵器から地雷の処理まで広範囲にわたり、多額の資金を必要とする。したがって絶対に戦争をしてはならないと、私は考えている。 6,ニューギニア戦線での皆川節夫大尉の武装解除行動。 私は若きころ、帝国陸軍通信参謀の皆川節夫大尉に師事し、厳しい鍛錬を受けていた。そのとき私は、皆川大尉からニューギニア戦線での終戦時における日本軍の武装解除および処理が、日本軍指揮官のもとに、短時間できわめて整然と行われたことについて、よく聞かされた。なお皆川大尉はそのときの状況について、下記のような文章を書き残しているので、それを記しておく。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 熾烈な連合軍の戦略爆撃も執拗な戦術爆撃も、これを迎え撃つ日本軍の基地の対空砲火も、今は静寂に帰して月余の或る日−。紺碧の空、エメラルドの海、楽園にもまがう西部ニューギニヤ某地区の海岸にはヒタヒタと岸うつ波を背に、一青年将校が先ほどから老司令官のやつれた面貌を凝視したまま粛然たる影を落としていた。苦悩のカゲリを払った司令官は、徐に口を開いて、 1.豪陸軍参謀L中佐を団長とする連合軍終戦処理監視団の基地内各所における追及はきわめて厳しい。L中佐は本朝来地区内の監視中、突如本職に対し海岸集積所にある兵器、弾薬、資材類の海没を命ぜられた。しかも、作業は即刻開始し、終了に当たっては10時間を超えることを許さず、かつ作業中は海洋司令部に位置してこれを監視するとのこと。 2.本職はただちに海没作業を開始し、誠実にL中佐の命令に従わんと決意している。 3.M大尉は海没作業指揮官となり、10時間以内に集積中の兵器弾薬類の海没を完了せよ。海没区域は沖合2哩以遠の海域とする。所要の兵員、資材等に関してはすべて貴官の意図に従う。 4.細部はT参謀と協定すべし。 との要旨命令を下達された。 心耳に聾乎たる作戦要務令の原則は、M大尉の勃然たる闘志を喚起し、敗戦国軍を代表してL中佐に挑戦するを男児の本懐と決意するに至らしめた。M大尉は欣然、笑みを含んで、 1.承知しました。全力を揮ってご期待に応え、破れたりとも日本陸軍の伝統を発揮いたします。
2.兵力1000名と当基地所有の全舟艇を私の指揮下に入らしめられたい。 3.細部はT参謀と協定し、ただちに作業に着手します。 と答えたM大尉の目はひときわ美しいこの日の空と、湾頭に浮かぶA島、B島の平素にも勝るたたずまいにすいよせられていた。 1.戦いは終わった。今や我らの任務は全員無事で父母、妻子、兄弟の待つ、夢に見た故国日本に一日も早く帰ることである。 2.本日の海没作業は、ここに山ほど積まれている危険な弾薬、兵器を取り扱う。しかも、連合軍監視団の前で作
業を実行せねばならぬ。 3.私は諸君の安全と、任務の完遂に一切の責任を負う。諸君は作業間次の3点に留意してほしい。
a.帰国を控えて、一人といえども傷ついてはならぬ。安全作業に徹せよ。 b.作業中は各作業隊長の命令指示に従い軍紀厳正に行動せよ。作業間の移動はすべて駆け足とする。ただし監視団の天幕前を通過するときは速歩行進に移り部隊の礼を行う。観兵式にも比すべき堂々の行進であってほしい。 c.破れたりとは言え“ここに日本軍あり”と連合軍をして襟を正させようではないか。これをこそ散華した友へのよき手向けとしよう。 4.諸君の健闘を確信し、安全を祈る。 海岸集積場への進入路に位置したM大尉は、逐次到着する作業隊を掌握して、直接、上記4点に亘る所信を述べ、おのおの部署につかしめた。各作業隊長以下の的確機敏な行動により、予定通り海没作業準備は完了した。大・小発動艇以下一杯の故障なく、快調を示すエンジンの響きも軽く、今M大尉の発信命令を待機している。一方、彼我両軍首脳も一点、M大尉に視線を集中し、海岸一帯に緊張の気が漲った。嚠喨たるラッパの音、颯然たる標旗の発進命令により、沖合2哩を目指す作業は一斉に発進した。紺碧の海に17条、純白の航跡は目に白く、さながら洋上のパノラマを髣髴させる景観である。 一杯、続いて又一杯、海没終了艇は見事な循環漕航の航路に入った。一兵の損傷もなく、一艇の故障もなし。エンジンの奏でるリズムはますます作業隊の士気を鼓舞してやまない。監視団の幕舎前を通過する作業隊であろう、溌剌たる部隊行進の号令が、緊張したM大尉の耳たぶに快い。 天候依然として異変なく、一兵の損傷、一艇の故障なし。作業の進捗も甚だ順調とはいえ、山なす兵器、弾薬の残量は延兵力2000人時の成果に比しあまりにも夥しい。1000名の増援隊を待機中のM大尉は、新たに下記の如き司令官命令の伝達を受けた。 1.M大尉はただちに副官を伴い、司令部に急行せられたい。
2.監視団L中佐の命令要旨は次の通りである。 a.当地区における日本軍の終戦処理の実態は極めて誠実であり、監視団はこれを高く評価する。当地区において始めて伝統ある日本陸軍の活動に接した本官以下の監視団の喜びは極めて大きい。 b.海没作業に関する10時間制限は撤回し、すべて貴官の権限に委ね、安全なる処理を念願する。 c.貴官以下全員、祖国に復員されんことを祈る。 L中佐の意図判断の的中に弾む欣びももどかしく司令部位置に到着したM大尉は、あまりにも予期を越えた光景に接し思わず副官と顔を見合わせた。L中佐の監視団は司令官以下の見送りを受け今や内火艇に移乗し、泊地に投錨中の豪軍駆逐艦に帰艦の途上にあるではないか。 作業艇の航跡いよいよ白く、エンジンの音ますます快調。後事をM大尉に託した司令官は、心なしか、車中にあってしばし瞑目するかの如く見えた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ |
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