小島正憲の凝視中国

「なにをなすべきか」


「なにをなすべきか」〜「岐路に立つ中国」と「崖っぷちに立たされた日本」〜 
17.MAY.11
 日本経済はバブル崩壊後、すでに20年、低迷を続けている。3月11日、日本は想定外の大地震に見舞われた。この大地震で発生した大津波が福島県の原発を襲い、日本中を放射能汚染の恐怖で覆い続けている。今回の東日本大震災の追い撃ちで、日本はさらに「崖っぷちに追いやられた」のである。このような時期だからこそ、今、すべての日本人は日本経済の再生のために、一致団結し、個々人が「なにをなすべきか」を考え、全力をあげて国家に貢献することを目指すべきである。

 津上俊哉氏は近著「岐路に立つ中国」で、日本の現況にも言及し、日本を「崖っぷちに立たされた国」と評していた。前回私は、その津上氏の著書の中の、「岐路に立つ中国」の部分への短評を書いた。今回は津上氏が同著で展開している「崖っぷちに立たされた日本」の部分について、その記述を叩き台にしながら、私自身が、「なにをなすべきか」を考えてみる。なお、各項冒頭の点線内の文章は、津上氏の「岐路に立つ中国」のものである。


1.「なにをなすべきか」


 「日本の政治にはリーダーシップが欠如している」と言われて久しい。そんなことはないというつもりはないが、もっともダメなのは国民の「フォロワーシップ」だろう。世の中には「あちら立てればこちら立たず」で、解決策のない難題がいくらでもある。マスコミはそういう難題を解決できない政治家を「無策無能」と批判し、国民もテレビの受け売りで「ダメな政治家」を嘆く。言うなら自分で解決して見せてほしいものだ。「主権者は自分たち国民で、政治家は自分たちが選んだ代表」だ。我々凡俗の代表である政治家が快刀乱麻で問題を解決してみせるスーパーマンであるはずはない。

 

 津上氏は日本の一般大衆に向かって、「日本の政治家の無能無策を嘆くよりも、難題があれば自分で解決してみせよ」と息巻いている。津上氏は、いわばそれは自業自得であると言いたいのであろうが、津上氏自身は、なにも解決策を提示していないし、行動も起こしていない。それは卑怯ではないか。現在、日本人にとって重要なことは、政治家を批判することでもなければ、彼らを選んだ一般大衆にその責任を転嫁することでもない。今、必要なのは日本国民全員が、「政治は自分になにをしてくれるのか」を考えるのではなく、「自分は日本国家に、なにができるのか」を考え、具体的な行動を起こすべきときなのである。経済復興に向けて議論百出も結構だが、「なにかを言うのではなく、なにかを行うこと」を優先すべきである。大震災直後であるから、もちろんボランティア活動や寄付がもっとも有効で速効的である。しかし多額の復興費用のことを考えたとき、なによりも全国民が、日本経済の復興に向けてそれぞれの立場で、しかも思い切った発想で、それを実践することが必要なのである。今回の東日本大震災でも大多数の日本人は被災しておらず、まだ余力を残しており、私はそれが可能であると考えている。もちろんまず被災者の皆さんへの全面的支援が、最優先されなければならないことは言うまでもない。

2.借金・超高齢化社会の打開策


  今の中国が「岐路に立つ」国だとすれば、日本は「崖っぷちに立たされた」国だ。1980年代、戦前に育った日本人たちが苦労して多くの遺産を遺してくれたのに、戦後育ちの我々3代目はそれを使い果たすどころか、後代に莫大な借財まで押しつけようとしている。何年か前、「食い逃げ世代」に属する人士から、「美しく優雅に衰退する日本でもよいのではないか」というノーテンキな意見が聞かされたときは、本当にため息が出た。何が優雅な衰退だ、落ちぶれた国の利益は無視されるのが国際政治であり、国勢が傾いた国にろくな未来は待っていないことがなぜ分からないのだろう。
 唯一の皮肉な救いは、我々世代の高齢化が日本経済にもたらす桎梏は、時間が解決してくれることだ。戦後育ちの世代が「早く消えてくれることだけを望まれる世代」に終わるとしたら、いたたまれないほど恥ずかしくて申し訳ない限りだが、日本は今世紀半ばには「高齢化の桎梏」をくぐり抜けて再出発できる日が来ると思う。
 しかしその再出発には条件がある。我々世代が後世に遺す負の遺産は経済問題に留めて、戦争、国の分裂、他国からの搾取まで受けるような政治的混乱を日本に引き起こす愚だけは避けなければならないということだ。

 

 つまりこの項で津上氏は、団塊の世代の老人に対して、「@1000兆円にも及ぶ借金の返済についてはそれを免罪し、A確実に到来する超高齢化社会については、時間が解決してくれるのを待つ」という無策を提示しているだけである。これでは「無能無策」の政治家と五十歩百歩であり、日本の経済復興策にはならない。私は@、Aについて下記のように考え、行動するつもりである。

@1000兆円の借金完済策。
 今のところ、私に1000兆円の借金完済の妙案はない。ただし日本の高度成長経済やバブル経済、改革開放後の中国の経済急成長、そして現在のバブル経済などを実際に体験してきた人間として、経済成長というものは実態よりも「幻想」によって生み出されやすいものであり、為政者がうまくその「幻想」を作り出せば想定外の急成長をすることが可能であると思っている。「幻想」を夢と言い換えればわかりやすいかもしれない。日本国民がかつてオイルショックを乗り越え、見事に産業構造の転換を成し遂げたときのように、この東日本大震災を社会構造の転換で乗り切れば、そこに実態の伴った「幻想」が必ず生まれるだろう。そしてそのとき、日本国民にその「幻想」をさらに大きくするような為政者が現れれば、再度の経済高度成長も不可能ではないと考える。そうすれば1000兆円の借金完済も夢ではなくなる。


 先進国は一様に年金債務という重荷を抱えている。経済が「先進国の優位性」を失った後も、年金の重荷を背負い続けられるのだろうか。

 

 上記のように津上氏は年金の重荷を心配している。年金については現行の賦課方式をやめ、同世代扶助方式に切り替えればよい。そうすれば若者の負担は大きく減る。それだけでも若者の頭の上の暗雲を取り払うことができ、若者自身が夢を描きやすくなる。医療費についても、次項で述べるが、老人が「早死に」していけば、格段にその負担は減る。

 もちろん真剣に日本国家の貸借対象表を検討し、1000兆円の借金の実態がどのようなものであるかを突き止め、それの解決策を真剣に考えなければならない。当然のことながら、政府の持つ米国債や民間の個人や企業の海外資産なども、加算して考えてみることも必要である。あらゆるアイディアを総動員し、全国民が一致団結し、私欲を棄て、取り組めば、借金完済は不可能ではないと考える。ただしその場合、津上氏の下記の提言のような日本国債を海外の投資家に肩代わりしてもらう策だけは避けるべきである。


 日本は当面国債を外国資本家に買ってもらう必要はないものの、将来を見据えれば、海外に日本国債の安定投資家が増えることは有益なはずだ。しかし尖閣事件を契機に「中国が大量の日本国債を保有すれば、将来日中関係が緊張したときに、今度は国債の売り浴びせを脅し材料に用いてくるのではないか」との警鐘がならされた。


A超高齢化社会克服策。
 超高齢化社会の克服策は誤解を怖れずに言えば、団塊の世代が「早死に」することであり、その思想を確立することである。これが東日本大震災で被災された皆様方には、たいへん失礼で無神経な言葉であることは十分わかっている。またこれまで日本社会に長く貢献されてきた皆様方にも、まことに無礼な言い分だと自覚している。私はそれらを承知の上で、あえて団塊の世代のみを対象にして、「早死に」の思想を確立しようとよびかけているのである。

 戦後生まれの団塊の世代は、飢餓を体験することはなかったし、戦争に狩り出されることもなかった。日本の高度成長経済の中で人生の前半を過ごし、その終焉とともに今度は借金経済で人生の後半を維持したのである。その点で団塊の世代は、歴史上でもきわめてまれな幸福な人生を歩んできていると言えるのではないだろうか。もちろん弱肉強食の資本主義社会であるから、個々には悲惨な生活を体験した人もあるだろう。しかしながら戦前や戦中を生き抜いた人々の生活と比べれば、その厳しさには雲泥の差がある。戦火の下をくぐって生きてきた人たちには、できうれば人生をやり直したいという心情の人が多いと聞く。それに比べて団塊の世代は、自分の人生に納得している人が多いと思う。したがって飽食の時代という、歴史上まれな時期を生きることを堪能してきた世代は、今、新たに「早死に」の思想を確立すべきであるし、また確立することができると考えている。

 かつて日本には「棄老」の風習があったという。それは民俗学の大家、柳田國男氏が説くところでもあるし、深沢七郎氏はそれを「楢山節考」という文学作品として世に出している。そこに書き込まれている老人たちは、決して「棄老」されることを嘆き悲しんではいない。むしろ晴れ晴れとして受け入れている。私はこの思想を復活させるべきではないかと考えている。老人が長生きすることを善とする思想や親孝行思想は、為政者の手で、近年、社会の安定化のために作り出されたものなのではないのだろうか。歴史上では、老人が共同体や国家に貢献して、「早死に」して行くことを善とする思想の方が、支配的だったのではないだろうか。

 団塊の世代の老人には人生を堪能した人が多く、死に際を潔く、格好よく死にたいと考えている人が少なくない。尖閣諸島問題が持ち上がったとき、私は笑いものになることを覚悟して、老人決死隊構想を世に問うてみた。ところがそれに多くの賛同者を得たことは驚きであり、私はますますその意を強くした次第である。今回の東日本大震災に際しても、実は私は原発の処理現場に手助けに行こうと思った。前途有望な若者たちを放射能汚染に曝して死地に赴かせるべきではなく、まさに老人決死隊の出番が回ってきたと思ったからである。残念ながら、周囲の人達から、「あなたが行っても足手まといになるだけだ」とか、「まだ社会はあなたの力を必要としている」と説得され、思いとどまった次第である。だが心中では、「自分はただ単に、まだ覚悟が十分ではなく、勇気がなかっただけである」と、恥じ入っている。

 私は72歳までに後顧の憂いを無くしておき、その後、潔く死地に赴くつもりではある。それまでこの老人をお許し願いたい。若きころ私は、「わかものよ その日のために 体を鍛えておけ」という歌を、高らかに歌ったものである。しかしその後、忙しさにかまけ体を鍛えたことはない。現状のこの体では、たしかに足手まといになるだけである。これから、「老人よ その日のために 体を鍛えておけ」と決意し、来るべき日にそなえるつもりでもある。

 津上氏は、「世界で受け容れられる理念を語れるか」と問いを発しているが、団塊の世代は超高齢化社会克服の新思想を、世界に発信でき、それを実践できると確信している。またそれが中国の「超高齢化社会」の打開策への一助になると考えている。なお、この新思想については、私もまだ思考錯誤中であり、今後、継続して読者各位に発信していくつもりである。

3.中国情勢研究会の開設


 最近の日本では、中国との経済関係がますます緊密化する一方で、政治の分野では逆に反中・嫌中感情が昂揚している。それは「中国台頭」が日本人の心の上に大きな影を落とすようになったことと切っても切り離せない。
 中国は高齢化問題の制約により近未来に「ナンバーワン」になる可能性は低い。我々はもっと冷静になって、パニック心理で早まった行いに出ることのないように自戒しなければならない。
 50年先を見据える視座を持つことである。向こう10年、20年の間に中国が米国をしのいで、文字通りの「チャイナ・アズ・ナンバーワン」になる可能性は低い。50年後には、日本もいまの「落ち目」のままではいないだろう。
 「米国にも中国にも頼れない。…それでは今後の日本は『綱渡り』毎日になるのではないか?」。そのとおりである。それが中国と米国に挟まれた21世紀日本の宿命だ。

 

 上記の津上氏の中国認識は、一般のチャイナウォッチャーの「中国超大国化論」とは趣を異にするが、中国の本質を見抜いているとは言い難い。日本国家と日本人民にとって、現在、日本経済復興のために、「中国の現状をいかに認識し、どのように関わっていくか」はきわめて大きな課題であると私は思っている。その点で、長年、中国と深く関わっており、もっとも中国事情を入手しやすい立場にある私には、この課題を積極的に解決する責務があると考えている。

 私はこの数年、中国全土を歩き回り、つぶさにその現状を見てきた。しかし最近、このフィールドワークだけでは中国の現状を把握することが不十分であることに気が付いた。当然のことながら、やはり現象から本質に迫るという手法、つまりミクロ的な視点からだけでは、大国中国の分析には限界があるのである。そこで私は、マクロ的な視点から、専門的に中国を検討することを中心にして、真剣に勉強してみようと考え、有志を募って下記のような研究会を立ち上げることにした。また研究結果はそのつどネット上で発信し、1年分がまとまったところで単行本にしたいと考えている。

《 「現代中国情勢研究会」 の開催要領 》

・7月から毎月1回、午後6時〜9時。東京で開催。各分野の専門的な中国研究者を招き、勉強会を行う。参加費無料。
・ただし参加者は原則として40歳以下で、限定10名。  ※参加希望者は私まで連絡をしてください。
第1回のテーマは、「満州国と中国建国の関係について―高崗事件の本質に迫る」 満州国研究の第1人者を招く。
第2回は、「最近の中国の暴動について」 台湾の中国暴動研究専門家を招く予定。
第3回は、「中国の外貨準備高の実態について」
第4回は、「中国の軍事力の実態について」
第5回は、「中国の住宅バブルはいつ崩壊するか」

第6回は、「中国のインフォーマル金融について」
第7回は、「中国の産業構造の高度化は可能か」
※その後の勉強会のテーマは、私の問題意識と参加者の要望を踏まえつつ、適宜、決定していく予定。

4.中国の少数民族の文化の紹介

 津上氏は「岐路に立つ中国」の中で、少数民族問題についてはあまり取り上げていない。私は数年来、チベット・ウイグル・朝鮮などの諸民族について、その現状の解明に努めてきた。それぞれの暴動の現場に、なんども足を運び、真相を究明することに情熱を傾けてきた。しかしながら少数民族問題の出口をみつけることはできなかった。もちろん少数民族地域への漢族の経済進出(朝鮮族地域は除く)は目覚ましいものがあり、少数民族の地場で少数民族が片隅に追いやられており、言語教育をはじめとして漢族化が強行されていることは事実である。反面、ビジネス現場で少数民族の自助努力を目にすることは少なく、このままでは漢族に席捲されても仕方がないという感じも受けた。

 日本のマスコミなどでは、中国の少数民族問題を興味本位に取り上げ、漢族の横暴を咎め、中国が非民主的な国家であると批判することが多いが、私は一概に、そのように捉えることは正しくないと考えている。ましてや従来のダラムサラ情報のように、その実態を歪めて伝えることは許されることではない。それでも漢族と少数民族との衝突の情報に接するたびに、その平和的解決方法はないものかと、私は心を痛め続けている。いずれにせよ、この問題は中国の内部のことであって、日本人の私がとやかく言うべきことではないし、漢族側にも少数民族側にも肩入れするべきではないとも思っている。

 中国の少数民族地域になんども足を運んでいる間に、最近、私は中国の少数民族問題について、私ができることは少数民族の優秀さを日本に紹介することではないかと思うに至った。たとえばチベットには深遠なチベット哲学があり、あるチベット人がそれを唯物弁証法と合体させ、見事な哲学に昇華させている。新疆ウイグル自治区のカシュガルには、11世紀に賢人たちが生まれ、政治・哲学・文学の分野で大活躍をし、素晴らしい書を遺している。私はそれらを訳出し、日本の読者に紹介したいと考えている。両著ともほぼ翻訳は終了し、今年中に、出版予定である。

5.アジア・アパレル・ものづくりネットワーク(略称:AAP)の創設


 妥協のない「核心利益」論で隣国との領土・領海問題を処理していくことの危険さを中国に知らしめ、地域の軍拡の流れに歯止めをかけることは必須であり、このために関係国と連携していくことは必須だと思う一方、日本が殊更に中国包囲網づくりの旗振りを買って出たりすることは慎むべきで、そこには非常に微妙なバランスが求められると考える。

 

 尖閣諸島問題以降、世間では「中国の軍拡を警戒せよ」という論調が支配的である。私はこの主張には同意できないが、反面、中国軍部の独走の可能性を否定する論拠も持っていない。中国はフィリピンやベトナムなどとも、日本同様の領土・領海問題を抱えており、その面で日本はそれらの国と情報交換を密にしておくことが重要であるが、この点で、津上氏は「連携していくことは必須」であるが、「旗振り役は慎め」と当たり前のことを言っているだけで、なにも具体策を書いてはいない。

 現在、中国経済はまさに岐路に立っており、労働集約型外資企業は中国から撤退し、大挙して他国へ移動しつつある。この傾向は欧米系企業では顕著であり、日系企業は立ち後れているようである。おかげで今年の旧正月明けは、中国で人手不足の若干の緩和現象が見られたほどである。遅ればせながら日系企業の他国への移転も始まっているが、残念ながら移転先の情報が少なく、右往左往している状況でもある。幸いわが社は、バングラデシュには太いパイプを持っており、進出が決定してからほぼ1年で、600名ほどの工場操業にこぎ着けることができた。

 とはいうものの、すでにフィリピン・ベトナム・カンボジア・ラオス・インドネシア・タイ・マレーシア・ミャンマー・スリランカ・インドなどには、それぞれ日系の縫製会社が先駆的に工場進出をしている。それらを結集し情報交換を密にすれば、民間ベースでその国の情報を発信することは不可能ではない。むしろ民間ベースであるがゆえに、より濃密で有益な情報が入手できるのではないかと思う。20年前、わが社が中国に進出したとき、(株)サンテイの常川社長から、中国情報を惜しみなく提供していただいた。それが今日のわが社を築いているといえる。そのときの経験を思い起こし、恩返しのつもりで、私は今回、アジア・アパレル・ものづくりネットワークを結成したいと考えている。これが日本経済復興の新たな切り口になる可能性もある。

 縫製業を足がかりに、他業種の同様の団体がうまれ、やがて1本の太い幹に収斂されることを願っている。これらは純粋に民間ベースの情報交換組織であるから、津上氏の言う「非常に微妙なバランス」に気を配る必要もないだろう。

6.日本海横断航路の開設


 (北朝鮮が崩壊したとき)、日本は少なくとも10兆円に近い規模の出資を迫られる。それが後ろ向きのカネだけに終わるとは思わない。救いは北朝鮮の破綻が災いを転じて福となり、北アジア地域の新たな成長の起爆剤になるかもしれないということだ。北朝鮮だけでなく隣接する北朝鮮・中・露の国境地帯(図們工地域など)の開発も誘発され、永らく開発が遅れていた環日本海地域の経済成長を促進するだろう。

 

 現時点で、津上氏のように北朝鮮の崩壊後を予見して動くことは、あまりにも無謀である。ただし吉林省と黒竜江省は中国では比較的発展が遅れている地域であり、労働集約型産業の中国内での工場移転先としてはまだ操業余地のある地域である。そのように考え、私は6年前、吉林省の琿春市に工場進出をした。また琿春市は日本海に面した地域では、日本にもっとも近い中国の都市である。日本海横断航路が開設されれば、琿春市を出た荷物は2日間もあれば日本の港に着くので、クイックデリバリーには最適の地でもある。したがって私は進出当初から、この日本海横断航路の開設のために、中国側で荷主会議を結成したり、琿春や敦化、牡丹江などの諸都市の経済顧問を引き受け、その地の経済開発のために努力を続けてきた。しかし残念ながら、日本海横断航路は幾多の困難に阻まれて、なかなか開設できなかった。ところが昨年来、中国側のこの航路への対応が好転し、実現する可能性が見えてきていた。

 その航路の開通を目前にして、3/11、日本は東日本大震災に見舞われ、日本の東北地方の太平洋岸の港は大きな被害を受けた。このようなときにこそ、秋田・酒田・新潟・富山・敦賀・舞鶴・境港など日本海側の港を活用し、中・露との貿易を活性化させることが重要である。またあらゆるアイディアを総動員して、日本が東日本大震災の結果として抱えている難問を、中・露の協力の下に解決する方策を探るべきである。私もいくつかのアイディアを思いついており、それを各種団体に提起しているところである。おりしも中国は東北3省の活性化をはかり、莫大な資金投下を決定している。日本海側の諸港は、この機会をとらえて積極的に動くことが必要である。日中双方で、日本海を囲む地方が動き出せば、日本経済復興の起爆剤になる可能性もある。中・露両国も、東日本大震災の復興のための協力を惜しまないであろう。

 私はこの航路の開設のために、すでに結成済みの荷主会議を再招集して、支援を行う予定である。またビジネスアイディアを多く考え出し、日中双方に提言し、それを実現させるつもりである。