小島正憲の凝視中国

上海の毛沢東 vs 北京の孔子  


上海の毛沢東 vs 北京の孔子  
28.FEB.11
目次 : 1.上海の毛沢東  2.北京の孔子  3.船山学vs孝経  4.超高齢化社会に必要な革新思想 

1.上海の毛沢東

 1月16日の日本経済新聞に、「モーレツ中国 気分はレトロ」と題した面白い記事が載った。上海市内に60〜70年代の国有企業の工場を再現したテーマレストランがあり、結構繁盛しているという内容の記事だ。「9車間 川香坊」という店名だったのでネットで探してみると、その店は意外に近く、徐家匯区の8万人体育場の中にあり、すでに2年前に開店し営業をしているという。休日には行列ができるほどだというので、予約をしようと電話をしたところ、平日ならば予約なしで結構ですという返事だったので、私はさっそく行ってみた。

 そのレストランは総合運動場の観客席の下を利用したもので、天井が鉄骨で高く組み上げられ、窓も50センチ四方の鉄枠でしつらえ、工場らしく見せてあった。入るとすぐに毛沢東像が出迎えてくれ、サービス員たちが工員風のつなぎの服を着て、席に案内してくれた。彼女たちは皮肉にも、工員風だけあって愛想が悪かった。壁際には、古い工場のいろいろな機械が設置され、工具がたくさん展示されていた。個室には、財務科、工程科などの名称が付けられており、特等室は総経理室であり、支払いカウンターには伝達室という名札がかかっていた。テーブルの上には、古い琺瑯の食器が並んでいた。ところどころ琺瑯が剥げていたが、よく見てみると新しいものに細工がされ、古くさそうに見せかけたものだった。

     

 私がテーブルに着くと、さっそく工員風の服務員がメニューを持って、注文を聞きに来た。この店は四川料理がメインであり、メニューには辛くて美味しそうな料理の写真が並んでいたが、残念ながらそこには文化大革命時代のレトロな食事は載っていなかった。私はせっかくこれだけの大食堂を造ったのだから、食事も当時のものがあるのではないかと思い、服務員に聞いてみたが、「そんなものはない」と素っ気ない返事だったので、仕方がなく普通の四川料理を頼んだ。それでも出てきた料理は、そこそこ美味しかった。

 中央には小さな舞台がしつらえてあったので、紅衛兵の踊りでもあるのかと思って聞いてみたが、これまた「カラオケです」と、ぶっきらぼうな答えが返ってきた。ただしその「大食堂」に流れていたバックミュージックは、勇ましい革命歌ばかりだった。値段はそんなに高くなかったが、物珍しさに釣られて行く人はあっても、2度も3度もそこに足を運ぶお客はないのではないかと思った。日経新聞には繁盛していると書いてあったが、上海の通常のレストランならば満席になる午後7時になっても、お客はまばらであり、すでにこの店の繁盛期は過ぎ去ったのかもしれないと思いながら、私は店を出た。

2.北京の孔子                      《》 →

 北京の天安門広場の東にある国家博物館の北側に、長安街に面して大きな孔子像がお目見えした。青銅製で高さは9.5m、1月12日に落成式が行われた。胡錦濤政権が「和諧社会」を唱え、社会の安定化を図っており、そのために孔子が引っ張り出されたものと思われる。目下、政府幹部の発言にも論語が多く引用され、伝統文化までも動員して、国内の安定に神経を使っているということを、この像が象徴している。

 
      天安門広場東の孔子像

 文革末期には「批林批孔運動」が展開され、中国全土で孔子批判が行われた。毛沢東存命中には、秩序維持思想を根幹にする孔子の儒教は否定されていた。明らかに毛沢東の思想つまり秩序破壊を旨とする思想とは相容れなかったからである。それが30数年を経て、かつての激しい運動を忘れたかのように、孔子の思想が復活したのである。

 すでに中国政府は国策として、2004年11月、ソウルに「孔子学院」を設立したのを皮切りに、世界各地に「孔子学院」を設置している。現在時点でそれは88か国、282校に及び、当初の経費は5000万元ほどであったが、2009年度には28億元に至っている。「孔子学院」という名前を冠しているが、実際には儒教の思想を伝播するのが本旨ではなく、現代中国語の学習を通して、中国の友好国を増やそうとするものであると言われている。世界各地の「孔子学院」には、北京の総部から運営費として20〜30%の補助があり、教師などの派遣が行われている。

 日本では立命館大学をはじめとして、桜美林大学、早稲田大学など、10数校に設置されている。
 この「孔子学院」を、中国の文化侵略の先兵であるとか、世界各地における中国の諜報活動拠点であるなどと評するチャイナ・ウォッチャーもいる。しかし私は、この「孔子学院」がそれほどの力を発揮しているとは思わない。数年前、私は日本のある大学の「孔子学院」から授業での講演を依頼されたので、事前の準備をしっかり行い、それに臨んだ。ところが実際に行ってみると受講生は数人で、しかも遅刻する学生が多く拍子抜けしたことがある。

 中国のネット上でも、イギリスの大学の「孔子学院」での、私の経験と似たような実情が報告されている。私は世界各地の「孔子学院」の実態を調べて見ると、そこから中国の実相がわかり、結構、面白いのではないかと思っている。

 
   北京の孔子学院総部

 先日私は、北京の「孔子学院総部」に行ってみた。そこでは毎年3000人の大卒を受け入れ、語学を中心に1年間教育して、世界各地に送り込むという。孔子や儒教に関する素養を身につけるような授業は少なく、総部の1階の展示室にも、各国語の語学教科書はあっても、孔子や儒教の書物はほとんどなかった。それでも毎年、多くの学卒がここに殺到し、コネがないとなかなか入れないようであった。私はそれらの説明を聞きながら、日本でこれと同様の役割を果たしているのは、青年海外協力隊ではないかと考えた。日本の若者は内向きになっており、なかなか海外に目を向けなくなったと言われているが、中国の若者たちが競って「孔子学院」に入り、海外へ雄飛しようとしていると聞き羨ましく思った。

3.船山学vs孝経

@毛沢東と王船山

 加々美光行氏はその著作「裸の共和国」の中で、毛沢東にもっとも大きな思想的影響を与えたのは 王船山であると書いている。王船山とは湖南省出身の明末の歴史哲学者で、若年にして異民族の侵略に抵抗して戦い、破れてのち、少数民族の地に隠遁し、再帰を図りつつ、多くの歴史哲学書を残した人物である。彼は怨念の歴史哲学者とも呼ばれている。以下、加々美氏の前掲著作に準拠して王船山と毛沢東の関係を書いておく。

 辛亥革命後の1914年、この王船山に傾倒していた湖南開明派の劉人煕が船山学の普及のため、湖南省長沙の地に「船山学社」を創設した。1919年に劉人煕が死去したあと、閉鎖状態になっていたものを、1921年、湖南第一師範学校を卒業した毛沢東がマルクス主義の教育と宣伝のために「湖南自修大学」として再開した。もっぱら自学自習に重点が置かれており、最盛期には200人ほどの学生が学んでいたという。1923年、危険思想を教えているという理由で、軍閥政府によって強制的に閉鎖された。

 
   長沙の船山学社前で

 「人の心は本心を探り当てると、百万人といえどもわれ行かんというか、あらゆる反対を越えてでも自己の信念を貫いてゆく、その信念を貫いてゆく行動性というもの、その行動の強さというものは、天に通ずるものだと。天に通じるものと考えるのですね。それが陽明学にせよ、船山学にせよ、天人合一思想といわれる。天と人というものは一体のもので、人は本心にもとずく行動をおこすとき、本当に自分の心というものを探り当てたときに現れてくるもの、それは宇宙の摂理(天命)に通じていると、これが天人合一思想ですが、陽明学、船山学、共通してそういう主意主義の思想があるわけです」
 「ただ問題は人間は自分の本心をどうやって探り当てるのかという問題があって、自分の本心はそんなに簡単にはわからないものなのです」
 「したがって本心を探り当てる過程が重要になってくるのです」
 「王船山は社会的実践を通じて、社会的実践の中で常に、あらわれた結果が自分の本心にかなっているかどうか、試行錯誤を繰り返す、そういう反復をくりかえすことで、最後に本心を探り当てる。船山の場合は、社会的実践を本心を探り当てるプロセスと考えている。この実践を船山は“造命”と名付ける。“造命”とは“天命”に単に従うというのではなく、むしろ“天命”を造り変えるという実践過程を指す。ここに毛沢東の“主観能動性”、私たちの用語法でいえば“主体性”と合致する思想があったわけです」
 「毛沢東の思想の核心には、船山学の影響がきわめて大きいのです。それが主意主義、精神の爆発的な力、といったようなものを信じる考え方です」。

 このように加々美氏は、「天命を造り変える実践過程、つまり主観能動性に基づく革命実践を継続し、思考錯誤を繰り返す中で、理想の社会に近づいていこうとする毛沢東思想が生まれた」と説いている。このように毛沢東思想を説明されると、人民公社運動や文化大革命の思想的背景がよく理解でき、腑に落ちる。

A和諧社会と「孝経」

 中島一氏はその著作「中国人とはいかに思考し、どう動く人たちか。」の中で、儒教について、「儒教は宗教思想ではなく、現実の世界に焦点を置いて、皇帝から臣民にいたる各階層の人々の処世秩序のあり方や理想的な生き方を明らかにしようとした学問です」、「キリスト教では、地上で人間に尽くすだけでは、天にもどれない。神への罪の償いとして、信仰心をしめさなければなりませんが、儒教では人間世界での人間に対する忠義と礼儀を尽くせば、天にもどることが自ずとできるのです」、「この世での死は、この世の過渡的な出来事であり、天がまた受け入れてくれるのです。中国人の楽天的な強さは、このような天人合一の思想から生まれてきていると考えます」と解説している。

 このように天人合一思想を説かれると、浅学な私には王船山が説く思想と混乱し、「どちらが真理により近いのか」を判断することはできない。この点については、読者諸賢に解析をお願いしたい。

 しかしいずれにせよ中島氏は儒教とは、「皇帝から臣民にいたる各階層の人々の処世秩序のあり方や理想的な生き方を明らかにしようとした学問」であり、儒教を信じ「人間世界での人間に対する忠義と礼儀を尽くせば、天にもどることが自ずとできる」と説明しており、つまり儒教は社会安定のために大きな役割を果たすと言っている。

 孔子と儒教一般について、私の学力では、それについて見解を述べることは到底不可能である。そこで儒教の中でも、「孝経」のみに絞って考えてみる。なぜなら儒教の中でも、「孝経」が体制維持のための根幹思想になっていると考えるからである。加地伸行氏はその著書「儒教とは何か」で、「孝経」について下記のような見解を述べている。
 「孝経は原始儒家たちが整理していた孝、すなわち、祖先を祭祀し、親を愛し、子供産むという三者を合わせて孝とする《生命論としての孝》だけを説くものではない。中央集権国家においては、卿・大夫・士などの中間幹部が敬意をもって君主に仕え、忠(まごころ)をつくして君主に事(つか)えると、その爵位と俸禄を保つことができ、祖先の祭祀を絶やさないことになると説いている。また庶人の孝については、まず父母を養うという孝の基本を説き、そのことにより、生活が安定し、祖先の祭祀や子孫を増やすことができると言っている」。
 つまり孔子の儒教は「孝経」を通じて、親への孝を主君への忠に結びつけるという思想的変化を遂げていったと説明しているのである。

 胡錦濤政権は安定した和諧社会の建設を最重要課題としており、その意味では孔子=儒教=孝経の果たす役割はきわめて大きい。胡錦濤政権は孔子を持ち出すことによって、人民の親への孝行心に便乗し、共産党政権への忠誠心を醸成するという古くさい手法で、社会の安定を図ろうとしているのである。

しかし目前に迫った超高齢化社会においては、この「孝経」が社会の桎梏となる。次章ではそれを述べる。

4.超高齢化社会に必要な革新思想 

 日本はすでに高齢化社会に突入し、年金・介護・医療など、様々な解決不能な問題を前にして、人民も政府もともに立ちすくんでいる。いわゆる団塊の世代は、数年後にほぼ全員が年金生活に突入する。高齢者がますます多くなり、日本社会の未来を暗くして行く。この高齢化問題は中国にもすぐに到来する。中国では人為的に「一人っ子政策」が取られ続けた結果、日本よりも早い速度で、しかも短期間に膨大な数の高齢者が増加する。さらに中国では、まだ10年ほど前まで、国有企業の女性の定年は45歳近辺であった。さすがに最近ではそのようなことはなくなったようだが、それでも日本のように、65歳近辺まで働き続けるという習慣はない。おそらく女性では55歳、男性では60歳ぐらいで現役を終えようと考えている人が多いのではないか。

 医学の進歩とともに、日本にも中国にもやがて超高齢化社会が訪れる。この超高齢化社会は人類にとっての未体験ゾーンである。数十年前まで、だいたい高齢者は70〜80歳代で静かにこの世を去って行ったものである。ところが今や、90歳代の存命者はザラで、今後は100歳を越える高齢者が珍しくない時代になるであろう。

 私事ながら、私の母は現在93歳で健在であり、100歳を越えようかという元気さである。私の父は30年ほど前に亡くなったが、若い頃は放蕩親父であったため、母がたいへん苦労し、いつも泣いていたことを、私は覚えている。それでも母は必死に私たち兄弟3人を育ててくれた。私はこの母が時には強く、時には優しく育ててくれたことに、深い感謝の念を抱いている。また学歴のない母であったが、向学心が旺盛で、同時に何事にも前向きにチャレンジしていく明るい性格であった。余計な話だが、私の腰が落ち着かない性格は父の放蕩児的なものの上に、この母のチャレンジ精神が覆い被さった結果だとも思っている。なお母は一流の縫製技術者であったため、80歳になっても、私の海外縫製工場の技術指導に駆けつけてくれていた。こんな素晴らしい母親を持った私は、今度生まれてくるときも、この母から産まれてきたいと思っている。

 しかしながらこの母もさすがに90歳を越えたあたりから、脳梗塞による痴呆がはじまり、昨日までできたことが今日はできなくなり、今日できたことが明日できなくなるという状態になってしまった。車椅子に頼らなければならない生活になり、字も判読できなくなった。最近、ときどき本を持ってきて、読んでくれとせがむ。子供の頃、いろいろな本を毎晩読んで聞かせてもらったこの母に、まさか私が読ませて聞かせるようになるとは、さすがの私も思わなかった。この母が二言目には、「私が長生きしているので、あなたたちに迷惑をかけるね」と言う。私の妻は明るく献身的に看ており、できるだけそんなことを感じさせないようにしてくれているが、やはり母の中には「申し訳ない」という気持ちが充満しているのだと思う。

 長々と私事を書いたのは、私はこの母の老化していく経緯を見ていて、団塊の世代の高齢者の生き方に一定の結論を得たからである。当初はやがて私も同じ道を辿って行くわけだから、どのような高齢者にならなければならないかを真剣に考えた。しかしあるとき、頭の中に、「生き方ではなくて、死に方だ」という考えが閃いた。団塊の世代の高齢者は、70〜80歳代で死んでいくべきである。なぜなら痴呆が進まないうちに、あるいはおむつのお世話にならなくてもよいうちに、老醜をさらけ出す前に死ぬことが、一番美しいと思うからである。それ以来、私は「いかに格好良く死ぬか」ということを考え続けている。その行き着いた先の一つが、老人決死隊である。これはアイロニーではなく、思考の必然的帰結である。

 また私は、未体験ゾーンに入った人類が作り出さなければならない新思想は、「親不幸のすすめ」であり、「早死にのすすめ」であると考えている。さらに「姥捨て思想」の復活ではないかと考えている。このことについては、現在思考錯誤中である。結論を発表してしまうと、まさに上を向いてつばを吐くようなもので、私自身が70歳代になっても格好良く死んでいなければ、まさに恥さらしとなるわけであり、すでにそれまであと10年を切っており、発表するには相当の覚悟が必要だからである。また現在70歳代で活躍中の高齢者に申し訳ないとも思うからである。いずれにせよ、超高齢化社会を迎えた日本や中国社会に必要な思想は、毛沢東ばりの革新思想であり、孔子の親孝行思想ではない。いささか強弁すぎるかもしれないが、上海のレストランの毛沢東像と北京の天安門の孔子像を見て、上記のように考えた次第である。

 もし団塊の世代の高齢者が美しく早死にしていけば、日本の年金・介護・医療の問題は氷解する。また私は早死にを前提にした場合、現在の年金制度をやめ、それに変わる新制度を作り出すことも可能であると考えている。現在、この方面に強い先生に、新システムの試算をしてもらっている。これまでになんども書いてきたことだが、私たち団塊の世代は、戦争にも巻き込まれなかったし、飢え死にもしなかった。本当に幸せな人生を送ってきた世代である。しかしそれは国家に借金をさせ続けてきた結果であり、それを払わずに死んで行くことは許されない。若い人たちに「食い逃げ世代」と陰口をたたかれて、死んで行くほど、格好悪い死に方はない。私たち団塊の世代に卑怯者は少ない。これが日本人の国家に尽くす思想であり、愛国心である。これまたアイロニーではなく、私の本心である。私がこのアイロニーと言う字句にこだわるのは、先日発信した「国家を捨てる中国人、国家に尽くす日本人」という小論に、ある著名な方から「強烈なアイロニーである」というご批判をいただいたからである。再びここで断っておくが、私は本心しか書かない。

 中国は和諧社会を守るために、孔子を持ち出した。この孔子=儒教=孝経では超高齢化社会を乗り切れない。しかし孔子を捨てれば和諧社会が崩壊する。中国は今、思想的にきわめて難しい時点に立っている。