小島正憲の凝視中国

中国の人手不足近況&読後雑感2010年 第5回


中国の人手不足近況(2010年3月) 
06.APR.10
1.人手不足の現況。

国家統計局の調査発表では、2009年度の農民工総数は2億2978万人と、前年対比1.9%増加。ただし東部沿海部で働く農民工は9076万人で8.9%減少した。東部沿海部のうち、珠江デルタ地域は22.5%減の3282万人、長江デルタ地域は7.8%減の2816万人。逆に中部地区は33.2%増の2477万人、西部地区は35.8%増の2940万人。

旧正月休暇などで帰郷した農民工が、そのまま地元で就職して、元の職場に戻らない構図が、数字で裏付けられた。

2.最低賃金アップラッシュとその影響。

2010年旧正月明けから、中国沿海部の地方政府が相次ぎ、労働者の最低賃金引き上げに踏み切った。広東省の平均21%アップを皮切りに、上海、北京、浙江省、福建省、江蘇省、山東省などが続いている。また沿岸部のみでなく、山西省も4月1日から15.5%の最賃アップを発表した。全国総工会は第11期全人代で、全国の最低賃金を各地平均賃金の40〜60%まで引き上げるように提言した。たとえば北京では賃金の平均が3726元なのに対し最低賃金は800元、深センでは3621元なのに1000元で、約20%にとどまっているとして、大幅な引き上げを要求している。

中国政府はこの最賃アップで、労働者への所得分配を増やし、消費の底上げを図り内需主体の経済を創生し、外国企業の投資に過度に依存している経済発展方式の転換を図る狙いである。しかしながら、外資を含む労働集約型企業は、人件費高騰に悩み、沿海部では台湾系、香港系、韓国系などの工場閉鎖が相次いでいる。日系企業も、このままの状態が続くようならば、内陸部への移転か、東南アジアなど他国への転出を検討せざるを得ないという。

最賃のアップは人件費のアップをもたらすだけではない。当然のことながら、社会保険料などの福利厚生費用の企業負担も大幅にアップする。これがまた企業の経営を大きく圧迫する。なぜならば中国では法的に定められている5項目の社会保険料を合わせると収入の40%、一部の地域では50%にも及ぶからである。これは世界の大多数の国の水準を上回るものである。世界銀行の計算によれば、中国の社会保険料は世界181か国のうち、もっとも多く、これは経済発展が著しい「BRICS」の他の3か国の平均水準の2倍、北欧5か国の3倍、G7の2.8倍、東アジアの香港や台湾の4.6倍にもなるという。清華大学の白重恩教授は、「中国の現在の社会保険料率は高すぎて企業や会社員の大きな負担となり、さらには雇用拡大にも不利な影響をもたらすことになる。また家庭の可処分所得の増加を制限し、補助保険や商業保険の成長を押さえつけることにもつながる」と指摘している。さらに最賃アップは、退職金その他の費用のアップにも直接つながり、企業経営を大きく圧迫する。しかも最賃アップに伴って最低生活保障基準なども引き上げられることになり、やがてこの費用も企業への徴税強化として跳ね返ってくるものと思われる。

その上、このほど広州市政府は、「集団ストライキなどで従業員が賃上げなどを企業に求めてきた際、企業代表者は労働組合など労働者側と必ず交渉しなければならない」という条例案を発表した。もし企業側が正当な理由なくして交渉を拒否した場合は、企業に対し2万元、代表個人に対し2000元の罰金を課すとしている。また中国政府は年内に、労働者への給与支払い方法などを詳しく定めた「賃金条令」を制定する見通しである。労働契約法が掲げる「同一労働同一賃金」の原則を初めて法制化、収入格差の是正策としてアピールするものとみられている。全人代で温家宝首相が、「収入分配制度の改革」に取り組む方針を発表、条例制定はその一環として考えられ、業界ごとに協議して賃金を決定したり、派遣・正規労働者の権利を同等にしたりすることなどが盛り込まれる方向だという。

このように、今や中国における企業経営者は、人件費アップという前門の虎、労働契約法という後門の狼ににらまれて、逃げ場がない状態となっている。

3.人手不足に伴って起きている現象。

@超人手不足を前にして、企業のあの手この手。

 ・給与の引き上げはもちろん年齢制限の緩和、戸籍条件の廃止、独身寮・妻帯者用社宅などの完備、冷房完備、3食提供、カラオケ・運動・娯楽などの設備の充実、保育園の併設などなど。

 ・従業員に小型車1台が当たるくじ引きの実施。

 ・ワーカー一人を紹介し、そのワーカーが3か月間勤続した場合、紹介者に数百元を支給。

 ・部下が旧正月開けに戻ってきたら、上司にボーナスを支給。

 ・地方政府の役人が企業の代行として、各地に求人に出向し、企業説明会などを開催。

A上海で警備員・家政婦不足。

 ・上海市ではマンションなどの警備員不足が深刻な問題となっている。警備員は、長時間勤務であるにもかかわらず賃金が低く、治安面の知識や体格なども要求されるので、人材確保が困難になっている。一部地域では2/3しか確保できず、住民から不安の声があがっている。

 ・上海市では旧正月明けに家政婦も郷里から戻ってこないため、大幅に不足している。上海だけでなく、北京で4〜5万人、武漢で4万人、寧波で2万人ほど不足だという。たとえばかつて安徽省の無為県は北京の家政婦県とよばれ、最高時には5.5万人を送り出していた。ところが近年、無為県にも電気関係の会社ができ、大勢の従業員を採用するようになったという。さらに一人っ子が増え、家政婦という職業を希望する若者が皆無となった。その結果、沿海部諸都市で働く家政婦は見当たらなくなった。今後は沿海部諸都市の共稼ぎ夫婦のもとに、香港のようにフィリピンなどからメードさんが押し寄せてくるのであろうか。

B東南アジアから珠江デルタに出稼ぎ工。 

 ・深刻なワーカー不足に見舞われている珠江デルタ地区に、ベトナムやミャンマーなど東南アジアからの不法な労働者が増加しつつある。昨年広州市で、アフリカ人向け商店での大量のアフリカ人販売員の不法就労が摘発され、騒動となったことがあったが、今回は工場での不法就労である。

 ・ベトナム、ミャンマー、パキスタン、スリランカなどからの不法就労者は、中国人労働者よりも低賃金で、なおかつ中国人労働者が嫌う仕事に就くので、企業から重宝がられているという。海外からの出稼ぎ工が、沿岸諸都市の労働集約型産業の新たな担い手になるのだろうか。

 ・海外からの出稼ぎ工は、広西チワン族自治区などから、不法入国をして珠江デルタ地域にバスで移動してくるらしく、すでにそれを仲介する専門組織もできているという。

 ・不法入国、不法就労の取締りも行われており、今年に入ってすでに400人ほどが検挙されている。

C部品・春物衣料高騰。

 ・深刻なワーカー不足が続く珠江デルタ地区で、工場の稼働率低下や生産停止によって、品薄となった部品などが値上がりし始めている。旧正月明けの1か月間で10%ほど値上がりした電子部品もあるという。

 ・アパレル・繊維業界で深刻化するワーカー不足により、春物の生産量の減少で品薄となっているものがあり、販売価格が高騰している。広州市内の春物衣料の卸売価格は10%ほど値上がりしているという。

D干ばつの影響で、雲南省から出稼ぎ工増加。

 ・雲南省を中心に中国南西部で続く干ばつの影響で、農作業ができなくなった農村部の労働力が出稼ぎに出る動きが加速している。雲南省ではただちに職業訓練を実施し、今年中に110万人以上を育成する計画。

 ・この干ばつが珠江デルタ地域にとっては、まさしく「干天の慈雨」になるかもしれない。

4.人手不足の今後の見通し。

@人手不足は解消せず。

 ・個別企業はワーカーの確保のために、給料アップや福利厚生条件を完備しても、近隣の他社も同様の動きをするため、コストのみアップして、肝心のワーカーは集まらずじまい。各企業はコストアップ分を企業努力で吸収しているが、限界に近くなっている。

 ・中には先進資本主義国の企業が歩んだように、自動化、省力化、省人化を進めようとしている企業もある。

 ・既進出企業の約8割が、今後の「中国国内販売」をにらんで、内陸部への工場移転を考えているという。

 ・この人手不足に対応できず、沿岸部では工場を閉鎖するところも多く、他の東南アジア諸国やインドなどへ工場を移転し、そこから中国内需に挑もうとする企業も少なくない。

A大学倒産。

 ・一人っ子の影響、とりわけ18〜22歳の大学生適齢期の青年数が4000万人の減少するのにともない、今後10年で一部の大学が倒産するという見通しが語られている。

 ・一方、中国の高等教育就学率は、99年以降、700万人から3000万人に激増しており、2020年になるまで高等教育就学人口が毎年50万人増加すると計算すると、およそ総人口の40%が就学することになるという。

 ・上海市では大学入学者の減少を予測して、今年から大学のランキングを査定し、それに沿って財政支援を行うことによって、大学の質の向上を狙うという。就職内定率が悪く、父兄からのクレームが多く、教師と実験施設が充実していない大学は最悪の場合、学生の募集が禁止になるようである。

B「第2次人口ボーナス」の創出を主張。

数年前から、中国のエコノミストたちの間で、中国経済の急成長の原因の大きな一つは「人口ボーナス」であるということが語られるようになった。彼らは「人口ボーナス」の経済成長への寄与度は30%以上であると推計している。ケ小平の改革開放とほぼ同時に一人っ子政策が取られ、また老人たちも文化大革命の中で命を短くしており、社会はそれらの扶養の負担から長らく逃れることができた。また改革開放の主人公は文化大革命の嵐の中を生き抜いてきたハングリー精神溢れる大勢の若者たちであり、改革開放はその圧倒的なエネルギーによって、押し進められてきた。まさにこの時期には、「真ん中が膨れ、両端が細い」という高度成長最適型の人口構造であり、それが他の先進資本主義国の十倍以上の規模で、経済成長に寄与してきたのである。したがってその「人口ボーナス」が失われたときの反動もまた大きいと、中国のエコノミストたちの間で意識されている。

「人口ボーナス」は、今や経済成長の桎梏に変わろうとしている。中国の労働人口の増加のスピードは2015年から下降の道に入り、高齢化社会の到来とともに、それらの扶養負担が一人っ子たちの肩に大きくのしかかることになる。中国のエコノミストたちは、ここで中国は「人口ボーナス」の消滅の危機にたじろぐことなく、「第2次人口ボーナス」の創出を行わなければならないと主張している。彼らは「第2次人口ボーナス」の創出とは、「人力資源をもっとも重要なものとして認識し、それらを低収入→低教育→低能力→低収入の悪循環に落ち込ませないようにする。教育制度、就職制度、戸籍制度、社会保障制度などを改革し、人力資源の持続的な成長ができるようにする。その結果、中国の産業構造の高度化を成し遂げ、中国経済、中国社会の持続成長を達成する。中国経済を“生存型段階”から“発展型段階”に転化する」ことだと説明している。

5.逃げ出す外資→外需激減→内需絶好調→輸入一辺倒→激増する貿易赤字。

中国の13億人の人口は日本の約10倍である。したがって経済の量的規模が10倍であることは、周知の事実である。しかしながら、この経済変化のスピードに加速度がついた場合、それが10倍のスピードとなることには、多くの人が気がついていない。最近になってやっと中国の人手不足が認知されてきたが、13億人の中国でも人手はあっという間に枯渇した。逆に外貨準備高もGDPもあっという間に日本を越えた。その変化のスピードは大方の予想をはるかに上回るものであった。つまり中国の変化を見る場合、スピードが他の先進諸国の数倍速くなるということを意識しておかねばならないのではないだろうか。

したがって今後、中国の誇る外貨準備もあっという間になくなる可能性がある。なぜなら現在、中国では外需は人手不足などの影響があり遅々として回復していないが、内需はあっという間に燃え上がってきている。13億人の消費を満たすための輸入は激増しており、世界各国の企業が「世界の市場」を目指して殺到し、商品を売りつけるために血眼になっている。結果として早くも、3月の貿易収支は赤字に陥ったという。この数字は人民元高を避けるためのトリックだという人もいるが、中国のエコのミストたちの間には、むしろ人民元高に誘導すべきであるという声も聞かれるようになった。なぜなら内需振興のためには人民元高歓迎だというのである。

今や、中国13億の民は、バブル景気に踊り、株やマンションなどを転がし、一儲けしようとしている。だれも真剣に働かず、消費のみを考えるようになってきた。もともと中国人は商の民とよばれ、モノ作りは得手ではない。商品を右から左へ動かして儲けることに熱心な国民である。このようなときに、中国のモノ作りを担ってきた外需向け外資企業は、人件費アップと人民元高の挟み撃ちとなり、雲の子を散らすように中国から逃げ出そうとしている。そうすれば中国は、輸入一辺倒の国となり、一転して貿易赤字国となるのは必定である。外貨準備などあっという間に消えてなくなる。そのスピードは想像を絶するものになる。数年後、中国は貿易赤字と、今回の4兆元など、限度を超えた財政出動の結果の財政赤字との、双子の赤字に苦しむことになる。

もちろんそれまでには5年間ほどの猶予がある。その間に中国市場で一稼ぎするというビジネス手法もある。





読後雑感 : 2010年 第5回     
09.APR.10
1.「超大国中国の行方」 
2.「感染症の中国史」
3.「チャイナビッグバン」
4.「“悪の論理”で世界は動く!」

1.「超大国中国の行方」 関西・関東日中関係学会編 桜美林大学北東アジア総合研究所刊
                                                2010年3月25日発行

この本は、「中国はもはや超大国である。完全なかたちで超大国になった、というわけではないが、あと10年、20年を経過すれば世界公認の超大国になるだろう。このことを疑うひとはほとんどいないだろう」という竹内実京都大学名誉教授の言葉で始まり、「“超大国中国の行方”では21世紀には名実ともに超大国となるであろう中国の現状とそれゆえに抱える課題、問題の大きさを各執筆者の専門家の視点から自由に論じていただいた。内容の上からも質、量の面からもばらつきがあり、いささか本としての統一性に欠ける嫌いはあるものの、それでも、読者はそれぞれの執筆者の論文、考察から中国解読の多くのヒントと糸口を見つけ、与えられるであろう」という川西重忠桜美林大学教授の言葉で締めくくられている。

たしかに各論文に与えられたスペースは少なく、各先生方は意を十分に尽くせなかったのではなかったかと思う。それでも、ユニークな論文が多く、この本を読めば中国を多面的に捉えることができるようになる。安井三吉神戸大学名誉教授の論文:「21世紀の中国と華僑華人」からは、華僑や華人についての概況を学ぶことができる。王敏法政大学教授はその論文:「日中のソフトパワー」の中で、遣隋使と遣唐使を「世界史上で最初といっていい国際交流と留学生政策の実施」と評価されており、さらに「その中でも阿倍仲麻呂は科挙試験に実際に合格した唯一の日本人で、今の中国の高校教科書にも出ております」と書き、また「私が“鶴の恩返し”という絵本を中国語に翻訳したときに、『だんなさんが約束を破って機織りしているところをのぞいたのに、妻の鶴は黙って去ってしまう。なぜけんかしなかったのか』と多くの読者に質問されました」と書いている。これらはたいへんおもしろい日中文化比較であると思う。

大久保勲福山大学名誉教授の「人民元相場の歴史的経緯と今後の見通し」もよくわかる解説となっているし、安室憲一大阪商業大学教授の「21世紀も中国の競争力は持続するか」は的確に中国の今後を占っている。また原田修関西日中関係学会元会長の論文:「日中合弁事業の事例(20年)から見た中国の行方」では、いつもながら日中ビジネスの生の歴史が語られている。

中でも私が目を奪われたのは、蒋海波甲南大学非常勤講師の論文:「近現代史から21世紀中国の行方―近代中国災害史からの考察」であった。日頃災害という視点から中国近代史を見たことがなかったのでたいへん参考になった。ことに「災害の回数を見れば、最多は水害、次は疫病、その次は干ばつ、地震、台風、冷害と続く。死亡者数を見れば、干ばつがダントツ一位、73%を占めている。その次は洪水、疫病、地震、台風、冷害と続く」というくだりを読んだとき、おりしも雲南省を中心とする干ばつ被害の情報が大きく報道されている時期でもあったので、目を見開かされた。今のところ地震や洪水のときのような派手な救援活動は起きていないが、中国政府首脳がこの災害の処理を誤ると、これが大きな政治の転換点になるかもしれないという気がしたからでもある。

2.「感染症の中国史」  飯島渉著  中公新書刊  2009年12月20日
  副題 : 「公衆衛生と東アジア  苦悩する“東亜病夫”」

ちょうど上掲の書を読み終わったとき、書店の棚でこの本を見つけた。歴史を災害や疫病という視点から見ることに興奮さめやらぬときだったので、すぐに買って読んでみた。この本は、歴史を感染症という新たな切り口で見直させてくれるユニークな書である。昨年発行の本であるが、あえてここで紹介させていただく。この本が多くの読者の目に触れることを願うものである。

2003年に中国でSARSが流行したとき、まず私の耳に飛び込んできたのは、「広東省でペストが流行っている」という噂であった。そのとき私は「まさか今どきペストなんて」と思って、それには取り合わなかった。たしかにそれはペストではなくSARSだったので、その噂のことはそれ以後、すっかり忘れてしまっていた。しかしこの本を読んで、あのとき中国人が「ペストが流行ってきた」と言って大騒ぎを起こした理由がわかった。中国では1894年(日清戦争が勃発した年)に香港でペストが大流行し、台湾、上海、天津などの沿海諸都市で猛威を振るったという。もともとこのときのペストは、雲南の地方的な病気であったが、清の軍隊が雲南省のイスラム教徒の杜文秀の反乱を鎮圧したときに、広東省へ持ち帰り、またたくまに広東省全域に広まり、香港もそれに巻き込まれたものだという。中国人の記憶の中には、そのときのぺストの恐怖が、色濃く残っていたのであろう。

2003年にSARSが流行したとき、中国は国家の総力を挙げて、病院や公衆衛生関係者だけでなく、警察権力、そして解放軍まで動員し、その制圧にのぞんだ。そして当時、中国に居住していた外国人もそれに素直に従った。空港で厳格な検疫が行われようとも、病院で差別されようとも、誰もそれを共産主義国家権力の横暴だとは非難しなかった。飯島氏は約100年前のペスト大流行のときに、この感染症の拡大防止のために、権力が個人の人権の部分にまで立ち入ることになったと書いているが、私のSARSの体験上から、それはよく納得できる。

飯島氏は、「19世紀半ば以後、西ヨーロッパでは、コレラ対策を契機に衛生事業が制度化され、政府が公衆衛生の頂点に位置し、医療・衛生事業に介入する国家医療や国家衛生が推進されました。また衛生それ自体が持つ個人管理の側面に注目すると、衛生事業の制度化は社会制度の再編の契機となる可能性を持っていました」と書き、これ以降、“小さな政府”が“大きな政府”に転化していったと主張し、さらに「近代国家が衛生事業を制度化することは、統治のための回路としての衛生事業の行政化を意味していました。植民地における衛生事業の制度化はしばしば統治政策のうちの“善政”として語られる場合があるのですが、実際には衛生事業の制度化という近代化こそが殖民地化だったのです」とも書いている。もっともな指摘である。

飯島氏は日本住血吸虫病とはその寄生虫を発見したのが日本人であるため、その名前がついているだけで、特別に日本発の感染症ではないと書き、古来から中国にもその病気があり、湖南省の馬王堆で発掘されたミイラからも日本住血吸虫の卵が発見されていると言っている。また1949年当時の上海の青浦県ではこの病気で、ある村のほぼ全戸が感染しており全滅寸前という悲惨な状況であり、中国共産党が全力を挙げて衛生事業を展開しこれを抑制することに成功し、青浦県任屯村にはこの日本住血吸虫の根絶を記念する「血防記念館」が建てられたと書いている。このくだりを読んで、私はびっくりした。なぜなら私がこの17年間、合弁事業を展開し住んできたのは、他ならぬこの青浦県だったからである。この歴史的事実については全く知らなかったし、このような記念館があることを誰からも聞いていなかった。近日中に訪ねてみる。

また飯島氏は、“コロンブス・イクスチェンジ”という言葉を紹介し、感染症の大陸間の伝播をコロンブス以来の感染症の交換という視点で取り上げている。たとえば「ハワイの原住民は、ヨーロッパ人が持ち込んだ感染症(はしか、結核、コレラ、性病など)によって、18世紀末には30万人ほどであった人口が100年ほどのあいだに6万人ほどに激減します。その結果、アメリカ人がハワイでプランテーションなどを経営する際に、労働力としてたくさんの中国人や日本人を受け入れざるをえなくなったのです。 感染症による人口の減少が顕著だったのは南アメリカでした。スペイン人やポルトガル人が持ち込んだ天然痘が原住民社会の人口を激減させ、結果として植民地化が進んだのです」と書いている。

大騒ぎをした新型インフルエンザも、やっと収束してきたようであるが、今後は中国ならずとも感染症で大きく国家の様相が変化することを想定しておかねばならないだろう。最近の中国の情報では、北京郊外で犬にかなりの人数の人間が噛まれたようである。中国では狂犬病も警戒せねばならない感染症の一つである。

録画しておいたNHKの「坂の上の雲」を見ていて、ふと日本海海戦のことを思い出した。たしかにあのとき、バルチック艦隊の敗因の中に、「艦隊が中国に寄港し、そのとき水兵が疫病にかかったので、士気が上がらなかった」という項があった。ひょっとしてその疫病はペストではなかったか。

3.「チャイナビッグバン」  葉千栄著  アーク出版刊  2010年3月10日発行
  副題 : 「スーパーインフラ投資と巨大消費市場の争奪戦」

この本は、「中国は世界の市場」の平易な解説書ではあるが、注目すべき新たな主張や予測は文中にはない。

葉氏は冒頭で、「商機は中国にあり! もはや中国抜きで日本再生はあり得ない」と言い切り、「今、中国で起きているのは、国のカタチを変えるほどの大きな構造改革=ビッグバンにほかならない。これは中国ばかりでなく、まさに世界経済を変えるビッグバンである」と書いている。

葉氏はまず、中国の自動車市場を捉えて、その爆発的伸びに乗り遅れるなと言い、ホンダのアコードの成功例を持ち出し、「成功の最大の要因は、日本国内では中級クラスであるアコードを、市場経済の申し子“新富”(ニューリッチ)向けの車として打ち出したことにある」と書いている。私はこのアコードの成功の背景には、中国のバブル経済があり、いわば日本のバブル時の「シーマ現象」が起きているからであり、今後の主戦場は安い小型車に移ると見ている。また中国ではBYDを始めとする電気自動車メーカーが、地方政府としっかり提携し、充電スタンドなどのインフラを整備している。この市場で日本車が勝つことは容易ではないと考える。

葉氏は、中国の高齢者市場が有望であると書き、高齢者用品などのマーケットに商機があると言っている。たしかに日本の「老人にやさしい」高齢者用品は、中国人と日本人の体格が良く似ているだけに、よく売れると思う。また日本で研究され尽くしている老人ホームの運営ノウハウを中国に持ち込み、老人ホームを経営することもおもしろいと思う。また葉氏は中国の医療制度について詳しく書き、その不備を補う保険に大きな商機があると主張している。

葉氏は日本が、「旅行大国中国の観光客を倍増させれば、地方の地盤沈下はすぐ解消する」と言い切っているが、残念ながら今のところ、すぐに大量の中国人観光客が日本に押し寄せるということは物理的に不可能である。なぜなら日本政府が、観光客を装った中国人が日本国内で逃亡するのを防ぐため、ビザの大量発給に慎重なためである。葉氏には、この本で、大胆な中国人の国内逃亡阻止用のアイディアなどの提案をして欲しかった。またせめて「日本の観光地の土産物屋の店頭にそれぞれ関羽様を祀るべきだ」というような斬新な提言が欲しかった。

さらに葉氏は、「なぜ中国では貧富の差が暴動につながらないのか」と問いを投げかけ、「一部の富裕層と大多数の貧困層という格差構造はあるものの、両者の収入がともに上昇していくという相対的な貧困であれば、内乱も農民蜂起も起こらないし、政権が崩壊することもない」と結論付けている。これには私も同意見である。

最後に葉氏は、「いずれにせよ、中国は今以上に、国際金融体制への大きな発言力を持ち、“世界の工場”“世界の消費市場”から、やがては“金融大国”になっていくことであろう。ただし、“世界の工場”“世界の消費市場”であることを捨てるわけではない。そこから生まれる国の活力を金融政策の拠って立つベースとし、その力をキープしながら、中国は“金融大国”への道を歩み始めるのである」と書いている。私は中国が、“世界の工場”の座から滑り落ち、“世界の消費市場”としてのみ君臨し、米国同様の道を歩むのではないかと危惧している。

4.「“悪の論理”で世界は動く!」  奥山真司著  李白社刊  2010年2月27日発行
  副題 : 「日本属国化を狙う中国、捨てる米国」

奥山氏はこの本の冒頭で、「中国の躍進とアメリカの衰退―。いま、世界はこの二つの興亡によって大転換期を迎えている。…(略)。中国とアメリカの戦略がぶつかった結果、太平洋の半分は中国が支配し、日本は強力な海軍力を得た中国の覇権の拡大によって、その版図にのみ込まれる―。ひと言で言えば、こんな世界像が20年後の未来に待っている」と書いている。さらに「日本が選択すべき道はたった三つしか残されていない。・日米同盟の維持、・中国による属国化、・日本の独立。あなたはどの道を選ぶだろうか」と読者に迫っている。奥山氏はこれらの主張を、地政学から推敲した帰結であると断じているが、あまりにも短絡的である。

続いて奥山氏は、「アメリカには“自由と民主主義(と市場を世界に広げる)”という国家ビジョンがある。中国にも“中華思想”と呼ばれる確固たるビジョンがある。だからぶれない」、「“世界観”なき日本はこのままでは滅びる」と臆面もなく書き、「たしかに、日本は戦後のどん底から、技術だけで大国にのしあがった。だからだろうか、“世界の中でどうやって生きていくのか”と問われると、“技術力で生きていくんだ”という人がかなり多い」、「日本も国益を守ろうとする努力はしている。たとえば、わが国を支える輸出産業を守るために円安誘導するなど、国益を守る策をとっている」などと、独断と偏見に満ちた論述をしている。以上が奥山氏の本論の前提であり、これだけで本分の約1/3を占めている。この部分は読み飛ばしても差し支えないと思う。

奥山氏は地政学で考えると、世界はこれまで「海(シーパワー)と陸(ランドパワー)の攻めぎあい」によって動いてきており、1900年以降はランドパワーの時代、つまり中国の時代だと主張している。さらに中国の最終目的は唐の時代の領土回復だと書いている。中国でもっとも領地を拡大した黄金時代といえば唐の時代であり、中国はそのときの失地回復を目指しているという。そしてかつてチベットも唐の領土であり、吐蕃と称していた時期に、唐王室の娘を妃として迎えており、唐の勢力下にあったと書いている。これは明らかな歴史の誤認である。このときは唐よりも吐蕃の方が力が強く、唐が妃を嫁がせて吐蕃との友好関係を保とうとしていたのである。引き続き奥山氏は中国が海洋に進出して、台湾をさらに沖縄を勢力化に置き、日本を属国化させようとしていると、極論を書いている。

奥山氏はアメリカが中国との関係を強化したがっていると言い、その理由を「もちろん13億人の巨大なマーケットへのアクセスを確保することもあるが、結局のところは中国の台頭が抑えられなくなったからである。簡単にいえば、“もし勝てないならば、仲間になれ”=“長いものには巻かれろ”ということである」と書いている。そしてアメリカが日本を中国に売り飛ばし、米中共同の敵とすることもあり得ると書いている。

最後に奥山氏は、「日本はどうしたらよいのか」と問いを発し、冒頭で示した三つの選択肢を示し、「アメリカとの同盟関係は先がない。中国による属国化はきわめて不幸な事態を招くとすると、残された道はこれしかない。独立である」と言い、「日本が独立するならば、インド・北欧と同盟せよ」と、得意の地政学とやらで結論づけている。さらに中国分裂の可能性を示し、そのときは上海など沿海部の諸都市と同盟関係を結べと主張している。


≪2009年に読み残した中国関連本  追加A 2冊≫

1.「中国の外資政策と日系企業」  渡辺利夫監修  勁草書房刊  2009年9月25日発行
副題 : 「中国の外資政策見直し、新たな好機。日系企業の対中投資に斬新かつ大胆な論点を提示する」

2.「党と国家 政治体制の軌跡」  西村成雄・国分良成著  岩波書店刊  2009年10月29日発行
副題 : 「中国共産党の独裁体制はいかにして成ったか? 中華民国から人民共和国へ、支配体制を歴史的連続線として捉え直す」