小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2011年 第29回 & 第30回


読後雑感 : 2011年 第29回
09.DEC.11
1.「孫文」
2.「中国義士伝」
3.「2025年 米中逆転」
4.「中国化する日本」

1.「孫文」  桝添要一著  角川書店  10月10日
  副題 : 「その指導者の資質」   帯の言葉 : 「革命の条件とは!? 現役政治家が問う異色の研究書」

 本書は、参議院議員で元厚生労働大臣、「新党改革」代表の桝添要一氏の近著である。桝添氏は日中関係を、「隣国で、関係が深ければ深いほど、様々な問題が起こる可能性が大きい。隣同士だから引っ越しはできない間柄だ。だからこそ、表面化した問題に対して、未来志向の関係を築き上げるように、政治家がきちんと対応することである」と書き、続けて「そんなときに大事なのは歴史である。…(中略)。日本人ほど歴史を学ばない民族は他にはない。だからどうか孫文をよく知ってほしい。こんにちに至るこの日中の百年史を知って欲しい。孫文の言葉をもう一度繰り返す。“日本と中国が争ってはいけない”」と主張している。そして桝添氏は、昨今、日中関係がうまく運ばない理由の一つを、「孫文のような広い視野をもった政治家が日中両国に少ないからである」と書いている。この文脈からは、あたかも「自分こそが、孫文の再来であり、閉塞した日中関係を打開できる政治家である」という自己宣伝にも受け取れる。

 桝添氏が一般の政治家よりも、はるかに博学多識であることは、私も認める。本著でも、孫文と宮崎滔天、梅屋庄吉などの交友関係などの考察には、その見識の広さがいかんなく発揮されている。しかし孫文がコミンテルンに支援を仰いだ経過や黄埔軍官学校が果たした大きな影響については、ほとんど触れられていない。それどころか、「私は、本当はロシアの援助を受けたくないんだ」という孫文の言葉(「孫文と辛亥革命を助けた日本人」 保坂正康著)を、わざわざ書き足している。

 桝添氏は中国が経済大国になったという認識に立って、「これからの中国には世界経済全体に対する責任がより強く求められてくるだろう。たとえば1998年に起きたアジア通貨危機の際、当時の宮沢喜一蔵相が、アジア支援のために300億ドル規模の資金援助を行うと発表し、IMFなどと共に手を尽くして救った。少なくとも大国の意識があったから、そうした広い視野で対処することができた。これだけの経済力をもつことになったのだから、中国も将来は同様の役割を果たして欲しい」と論じている。私は、中国経済が砂上の楼閣であり、マンション・バブル崩壊とともに、中国の金融機関などが大きな痛手を被ると考えており、その支援の役割を再び日本が演じなければならないと考えている。

 桝添氏は日中間では、「忠誠心」という価値観が根本的に違うといい、中国では「どちらかといえば、勝ち馬に乗ることが重視される」と書いている。そして「中国では、自分が仕えていた主君から権力が失われると思った瞬間に、できるだけ多くの手勢や武器を持って新たな権力の持ち主となる革命派にうつる、というわけだ」、「こういう中国の話と比較対象になるのは、会津の白虎隊だ。白虎隊は、最後まで徳川に忠義を尽くす。中国からすれば、あのような行為はバカに映るのだろう。なぜいつまでも主君に忠義をつくすんだ。さっさと明治政府側に寝返ったらどうだと。中国では、機を見るに敏で、革命軍に寝返ることで高く評価される」と記している。この記述は、博学で緻密な論を展開する桝添氏にしては、いささか粗雑な見解である。中国にも「主君に忠誠を尽くして死んでいき、後世に高く評価されている人物」もいれば、日本でも「簡単に寝返って、その後を新体制でまっとうした者」もいるからである。

2.「中国義士伝」  冨谷至著  中公新書  10月25日

 冨谷至氏はこの本で、漢の蘇武、唐の顔真卿、宋の文天祥の3人を取り上げ、「彼らが命を賭して守った価値、責務とはなにか」を解き明かそうとしている。この本は現代中国とは直接関係ないが、現在、私は共産主義における転向や変節という問題を考えているので、読んでみた。

 漢の蘇武が匈奴に囚われて20年、極寒の地バイカルに単身放逐されても、なお節義を守り生き抜いたことについて、冨谷氏は、「蘇武が貫き通したもの、決して妥協しなかったもの、それは皇帝と臣下、否、個人と個人との間に結ばれた信頼であり、節義ともいうべきその紐帯は、維持し守り続けねばならなかった。節を曲げること、それは相手との信頼関係の破棄のみならず、自己の存在の否定であった。“士は己を知るもののために死す”、これは自己の価値を認めてくれた者に対する恩義であるとともに、自己の存在を価値たらしめるものであった」と書いている。

 唐の顔真卿が玄宗、粛宗、代宗、徳宗と4代の皇帝に仕え、その間、一貫して正義を主張して筋を通し、そのために時の宰相と対立し、幾度となく左遷されたが、彼の学識、度量のゆえにそのつど中央に戻ったことについて、冨谷氏は、「顔真卿が守らねばならなかったもの、それは士大夫、読書人がその学識によって身につけた責任、義務、節義であり、それを守ってきた士大夫としての一族の知の伝統であり、その放棄は自己と顔氏一族の存在を否定することだったのだ」と書いている。

 宋の文天祥が宋滅亡後、北京の牢獄で3年幽閉されても、なお節義を守り処刑されていったことについて、冨谷氏は、「進士、状元という経歴、それが文天祥たち進士合格者の責任と義務であり、守り通した誇りであった」、「(科挙制度)での成功者は、その制度を当然肯定するものであり、制度に基づく組織=国家の体制は是認されるものであり、維持せねばならない。瓦解は、自らの存在の否定に他ならない」と書いている。

 最後に冨谷氏は、「漢の蘇武、唐の顔真卿、宋の文天祥、すなわち彼らが守り通した責務、妥協できなかった価値観、それは彼らがそれぞれ異なる“義”に依ったからに他ならない。蘇武にあっては任侠的信義であり、顔真卿にあっては血統が受け継いできた士大夫の学知・理知とそれに基づく行動であり、そして文天祥にあっては進士及第状元の経歴とその経歴に期待される責任と誇りであった。完遂せねばならない責務、守るべき節義が時代によって違っている以上、“義”は一定不変の意味をもつものではなく、時代による可変性を有する」と書いている。

 続けて冨谷氏は、「社会のエリートとして選ばれた者が有する自覚、責任、義務はノブレス・オブリージェといわれる。私は思う。その社会、その時代の選良意識が強ければそれだけ節義、道義への自負が強い。逆に“義”への意識は、選良であってこそ出てくるものではないだろうか」、「あらゆる方面で格差是正、平等が強調される今日の日本、学力均等、一億総中流意識のなかでは、節義の丈夫を生み出す環境は果たしてあるかと言えば、さあどうであろうか。節侠に生きた蘇武の不屈、知を力とした顔真卿の意地、状元の文天祥の矜持を育んだエリート意識を生み出す原動力は何か.現代社会、今日の日本ではいったい何が現代の義をつくりあげるだろうか。はっきりいって私には見つからない」と書いている。私は同様の言葉が、現代中国にも当てはまると思う。

3.「2025年 米中逆転」  渡部恒雄著  PHP研究所  12月12日
  副題 : 「歴史が教える米中関係の真実」
  帯の言葉 : 「アメリカの中国政策はなぜコロコロ変わるのか?」

 私は店頭でこの本の表題を見て、あまり読む気がしなかった。どうせ、この手の表題の本にありがちなあまり中身のない予測本だろうと思ったからである。しかし実際に読み進めて行く間に、なかなか含蓄のある本であることがわかった。渡部恒雄氏はこの本の大半を、米中関係の歴史の記述に費やしている。その意味では、副題を本題にすべきであったのではないかと思う。しかも著者の結論は、「現在の米国が、開かれた国家として人口を拡大し、世界の最先端の技術を受け入れるかたちをとっているかぎり、今後の予想される未来において、現在の米国の圧倒的な優位性が、中国に取って代わられる可能性は小さいだろう。今後10年はもちろん、2050年を睨んでも、米国と中国の立場の逆転までは起こらないと考えるのが自然である」と、「2025年 米中逆転」を否定しており、この点ではまさに羊頭狗肉の書となってしまっているからである。

 渡部氏はオバマ政権で「米中G2」が浮上してきた背景として、「オバマ時代の米中関係が過去のどの米国の政権とも異なるのは、中国の政治経済および軍事の能力がかってないほど影響力を増し、米国の経済とも深い相互関係を持つようになったと同時に、米国は世界への影響力を低下させていることだ」、「米中は大国としての意識を共有しているために、意見の相違はともかく、対話するスケールが一致している。したがって、世界のガバナンスについての戦略対話がしやすい、ということになる」ということがあると書いている。私は、「大国としての意識」と同時に、ともに「借金大国であるという自覚」があるからだと付け加えるべきだと考える。

 渡部氏は、「対中楽観視による罠は、歴代の米政権が中国の変動期に必ずといっていいほど陥るお馴染みの失敗といえる」と書き、「朝鮮戦争時に毛沢東は米国と戦争するという自殺行為をとらないだろうという希望的観測」、「ブッシュ(父)政権は、天安門事件で戒厳令が出されるような状況になっても、ケ小平は改革・開放を推進する人物であるから、学生と政府の対決が平和裏に解決されると考えていたようだ」などの例を上げている。

 渡部氏は、米国内には中国に対する異なる思想を持つ4つのグループ、「@保守派と国防総省に多い対中安保警戒派、A政権を中心に政策選択の幅も広い対中関与派、B中国との経済関係で儲ける対中経済推進派、C民主党でも中国に厳しいリベラル・人道派」が存在しており、それが渾然一体となって、その時期の国内外の重大事件と重なって、対中政策を形成してきたと記している。

 渡部氏の、「米国人の対中姿勢に影響を与える重要な事象が、この時代のキリスト教伝道師の活動である。当時の中国におけるキリスト教伝道師のなかでは、米国人の数が圧倒的に多く、米国内での人道的社会運動の影響を受けて、その目的がたんに中国人をキリスト教に改宗させるだけでなく、中国全土を貧困や迷信などから救済しようとする道義的なメンタリティが育っていた。そしてこれ以降、中国で育った米国人宣教師の子弟から、米国内の“中国救済への使命感”に影響を与える人物が育っていくのである」という指摘は、傾聴に値する。

 さらに渡部氏は、米国の選挙制度について言及し、「何より、人権や民主主義という米国の価値にかかわる問題こそは、米国民の支持や同情を大きく集めることができる効果的なツールだからである」と書き、その有効性を説いている。またレーガン大統領時代の台湾政策を取り上げ、「側近の意向に反して、レーガン自身の台湾支持の気持ちは固く、陣営内での調整が難しかった。しかし最終的には、レーガンは側近の意向に沿う形で事を収めていく。米国の政策過程では、大統領本人の意向もさることながら、側近との相互関係も大きな影響を与えているのがよくわかる」と書いている。

4.「中国化する日本」  與那覇潤著  文藝春秋  11月20日
  副題 : 「日中“文明の衝突”1千年史」

 この本は、奇想天外という表現があてはまるような本である。その内容もさることながら、「物語」風の文体にも、いささか面食らった。おそらく與那覇潤氏は、読者に親しみやすいようにと考え、この文体で著したのだろうが、冗漫な文章になっているきらいがあり、逆にわかり難くなっているのではないかと、私は思う。また本書の結論部分はきわめて短く、大半が歴史上の分析に費やされていることから、副題を表題にすべきだったのではないかとも思う。

 與那覇氏の結論は、「私たちが生きていかなければならないのは、おそらくは1000年も前に“歴史の終わり”を迎えて変化の止まった中国のような世界であり、そしてそのような社会にいかなる正負の側面があり、なにをなすことが可能でなにをやったら危険なのかを過去の事例から学ぶことこそ、いま歴史というものに求められている使命と確信します。そして、それこそが自ずと、この国の復興のみでなく、隣国の人々との共生、さらには彼らが置かれている状況の改善にもつながってゆくものであると」いうものである。

 與那覇氏は、「本書でいう“中国化”とは、そういう現実の日本と中国のあいだの力関係のことを指すのではなく、“日本社会のあり方が中国社会のあり方に似てくること”を意味します」と書き、「今より1000年と少し前の西暦960年、中国大陸に“宋”という新たな王朝が生まれました。この王朝の下で、中国社会の仕組みは一度切りの大転換を遂げ、転換後のしくみは現在に至るまで変わっていない」と自説を展開している。そして宋代の特徴を、「宋朝時代の中国では、世界で最初に(皇帝以外の)身分制や世襲制が撤廃された結果、移動の自由・営業の自由・商業選択の自由が、広く江湖に行き渡ることになります。科挙という形で、官吏すなわち支配者層へと成り上がる門戸も開放される」と記している。

 與那覇氏は、膨大な歴史文献を駆使しながら、この本で「中国化する日本」という持論を展開している。私にはとてもこの與那覇氏の主張の是非を論じるだけの学識はない。どなたか歴史に通暁した方からの、この本の論評を読ませていただきたいものだと思っている。與那覇氏の歴史を「まさかりで切り割る」ような主張には、私も心底驚いた。


読後雑感 : 2011年 第30回 
26.DEC.11
1.「中国は21世紀の覇者となるか?」
2.「日中もし戦わば」
3.「巨竜中国は2022年に崩壊する」
4.「“仮面の大国”中国の真実」
5.「中国の近未来への予言書」

1.「中国は21世紀の覇者となるか?」  ヘンリー・キッシンジャー他著 酒井泰介訳  早川書房
                                                    12月15日
  副題 : 「世界最高の4頭脳による大激論」
  帯の言葉 : 「尖閣問題から資源戦略までを論じ尽くす!」

 この本は、キッシンジャー、ファリード・ザカリア(国際問題ジャーナリスト)、ニーアル・ファーガソン(ハーバード大学の歴史学者)、デビッド・リー(李稲葵 清華大学の経済学者、中国人民銀行の金融政策委員会の学術委員)の4氏による、トロントで開催された第7回ムンク・ディベートの発言記録である。なお前2者の発言は「中国が覇者となることに」懐疑的かつ否定的なものであり、後2者は肯定的なものであった。

 このディベートは、「中国の成長が始まったのは、市場経済に舵を切った1978年のことだ。この針路変更を考えに入れても、1990年代初頭までの年率平均で10%に及ぶ成長はあまりにも鮮烈で、異常とも思われる。新たに見出した経済力をもって、とりわけ欧米がそれらを失いつつあるように見える時代にあって、中国はすでに世界の主導的政治大国の座に躍り出た」という認識を前提にして、「中国がこの勢いを維持できるかどうか、21世紀の世界的覇権国家になれるかどうかをめぐるものだった」(ピーター・ムンクによる序文から)。そしてこの4氏の大激論の結果は、激論前には「中国は覇者となる」との見解が多数派を占めていた聴衆を、少数派に転じさせた。

 まずファーガソン氏が、中国の人口動態データや経済データを持ち出し、中国が大国であることを証明し、「私はただ中国のことだけを問題にしているのではありません。21世紀における中国の優位性は、結局のところ西側の衰退にあるのです」と激論の口火を切っている。しかしこのファーガソン氏の持ち出したデータは、きわめて常識的かつ表面的、公式的なもので、その数字の背後にあるものまで厳密に検討、検証されたものではない。この程度のデータや物証で、中国の将来について論じることは、学者としてはきわめて軽率であると、私は考える。

 これに対してザカリア氏が、経済的、政治的、地政学的な理由により、「中国は21世紀を通じて世界的な覇権国にはならない」と言い、「さらに、中国の制度には膨大な非効率が組み込まれている」と指摘し、「中国への月度の外資流入は、インドへの年度の外資流入額にほぼ等しいのですが、それでいて中国の経済成長はインドをわずかに2%程度上回っているにすぎません。言い換えれば、中国の成長の質をよく見てみると、見かけほど目覚ましいものではないということです。巨額の投資、膨大な数の空港、片道8車線の高速道路、建設中の高速鉄道、そのあげく、それらから生み出される投資収益率は、あまり印象的なものではないのです」と発言している。この指摘は、傾聴に値すると私は考える。

 続いてリー氏が、「中国社会の発展は道半ばである」と言い、それをエネルギー、リバイバル、インフルエンスという3つのキーワードを使って説明している。エネルギーとは、中国人民の170年前の西洋諸国に対する屈辱を晴らそうとするものであり、それが「経済的にであれ、政治的にであれ、これからも変化を続ける原動力になる」と主張している。これは「戦後日本の経済発展を、敗戦から立ち上がる日本国民のエネルギーの結果である」と言っているようなものであり、科学的な分析とは言えない。さらにリー氏は、中国人民の目指す目的地は、「1500年前の偉大な帝国、唐の時代の復興です」、つまりリバイバルですと言っている。そして今から90年後には、中国は世界に対して多層的な影響力(インフルエンス)を及ぼすと話している。このリー氏の発言は、非科学的で情緒的かつ非現実的なものであり、激論の輪から大きくかけ離れたものであり、私はこの場にはふさわしくないと考える。

 最後にキッシンジャー氏が、「私は、21世紀の中国は、膨大な内政問題、差し迫った環境問題に足を取られるだろうと思います。そしてこのために、中国が覇権を握る世界という様子は、到底想像しにくいものです」と発言し、その根拠を「中国は経済的に偉大な事々を成し遂げてきました。ですが国家としては、毎年、2400万人の雇用を生み出さなければならないのです。さらに中国の都市は、年間600万人の農村からの移住者を吸収しなければなりません。1億5000万〜2億人の住所不定者を何とかしなければなりません。沿岸部は先進国並みである一方、内陸部は途上国並みという社会を御していかなければなりません」と説明している。キッシンジャー氏が、このような底の浅い中国認識で、「中国が覇権国家にはなれない」と主張していることに、私は驚いた。

 後半の議論では、ファーガソン氏が、「中国は世界最大の経済刺激策に取り組んで成功させ、それによって役割を一変させました。もはや他の新興諸国の競争相手ではなくなり、自らが頼りになる巨大市場となったのです」と発言し、リー氏が、「30年ほど前の中国には、変革などとてもおぼつきませんでした。今では米国を尻目に長距離高速鉄道網を手にしています。今ではGMよりも安いばかりか、もっと効率の良い自動車を生産しています」と主張している。しかしこれらの発言は、その後の高速鉄道の大事故と、やがて始まるバブル崩壊後の市場の冷え込みによって、虚言であったことが証明されることになる。私はこの本を読んで、これが世界最高の4頭脳による大激論ということならば、日本の中国認識や研究は、きわめて高い水準であると確信した。

 なおキッシンジャー氏は、「情報収集の能力については、今では30年前、40年前には想像もできなかった方法があります。しかし既に知っていることを組み合わせて考える力については、まさにボタン一つでどんな情報でも引き出せるようになったからこそ、先々を見据える思考力が衰えています」と指摘している。

2.「日中もし戦わば」  マイケル・グリーン、張宇燕、春原剛、富坂聰共著  文春新書  12月20日

 勇ましいタイトルのこの本は、@尖閣諸島、A北朝鮮、B台湾海峡危機、C米中直接対決についての、マイケル・グリーン、張宇燕、春原剛、富坂聰氏の対談集である。これらの対談の中で、私が興味を持ったのは、張氏と富坂氏がともに、中国の民主化を無条件に歓迎しておらず、民主化後の民意の暴走に一定の危惧の念を抱いていることである。なぜなら私は最近、尖閣諸島での漁船の衝突事件も、今回の中国漁船の船長の韓国警察刺殺事件も、結局のところ、中国政府が民衆(漁民)の行動をコントロールすることができなくなったことの現れではないかと考えており、今回の張氏と富坂氏の発言を読んで、その意を強くしたからである。

 残念ながらこの本で取り上げられている@については中国漁船の船長の韓国警察刺殺事件の発生、Aについては金正日の死亡という事態によって、議論が陳腐化してしまった嫌いがあるが、以下に対談の要点を記す。

 まず冒頭で、グリーン氏は、「米国はアジアにおける前方展開力について、より大きな戦略的視点を持って再考を始めています。たとえば沖縄に駐留する米海兵隊がより頻繁にアジア周辺を巡回することは間違いないと思います」と言い、春原剛氏が、「米国が普天間問題に神経質になっている背景の一つに、中国海軍の急速な増強があることは間違いないと思います」と続け、張宇燕氏が、「私の知る限り、中国の政権主流には米国と争うという考え方はありません」と答えている。

@尖閣諸島についての議論
グリーン:中国が尖閣諸島を武力をもって解決しようとした場合、米国は間違いなく日本を支援するでしょう。一方で平和な交渉なり、協議が行われる場合、米国に出る幕はないのです。尖閣問題について、米国の政策目標は何でしょう。第一に言えるのは、緊張が高まることは避けるということでしょう。
張宇燕:釣魚島の問題が最悪の状況を招かないように上手くコントロールすることが重要なのです。そうであれば両国間に争議があることを恐れる必要はありません。怖いのは問題解決に平和的手段が失われることです。
富坂聰:私も普通の状態で、中国がいきなり尖閣で武力を行使するという可能性は非常に低い、という張さんの意見には100%賛成します。ただ、それはあくまで普通の状態であればということです。少し心配なのは、ここ数年中国共産党のガバナンスが急速に弛んできていることです。

A北朝鮮についての議論
グリーン:金正恩はまだ、チキン・ゲームの演じ方を知らず、一方で北朝鮮は核兵器開発を進め、日本だけでなく、グアム、ハワイも狙える弾道ミサイルの装着を試みている。10年前とは違って、日米韓3か国にとって、より危険度は増している。
富坂聰:北朝鮮を中国がコントロールするということについて、西側(日米韓)は中国に期待し過ぎていると思います。中国は北朝鮮に自分たちの言うことを聞かせるほどの力は持っていないのです。
張宇燕:中国の北朝鮮に対する影響力ということですが、日本や米国が思うほど大きいものではない。

B台湾海峡危機に関する議論
張宇燕:かつてケ小平氏が「GDPで(1人当たり)2万ドル、その中ぐらいのレベルに達することを目標にしたい」と言いましたが、それを達成するまでにあと20年はかかると思っています。ですから、その期間は国内の経済発展を最優先させるために、安定的で平和的な社会を保つことが優先されると思います。つまり民主化されるとよくなるという前提で中国を見ると、間違うということです。民主化されたときには今、ネットなどで出ている言論(過激な意見)のほうが主流になる可能性もあるのです。つまり“武力で台湾を攻撃しろ”とか、そういう意見が出てくる可能性があるという話です。

C米中直接対決についての議論
張宇燕:中国が軍事力を増強する目的の一つには、まず歴史の背景という問題があります。1840年からの阿片戦争で英国に攻められて以来、中国には一つの教訓が生まれました。それは国が弱ければ、外国から虐められるということです。さらに現実的な問題としては、台湾問題があります。多くの中国人が共通に考えていることは、中国大陸の経済発展がいまほど速くなく、また軍備の増強も今日のように行われてこなければ、恐らく台湾にあった独立の動きは、もっと加速されていただろうということなのです。三番目の目的は、中国の海外における経済的利益の保護のためです。例えば、これまで中国は経済発展を遂げる過程で海外への工場移転や投資などを通じて海外の資産を膨らませてきました。こうした経済のグローバル化が起きたことによって、軍事力によってそれを担保するという必要性が生まれてきたのです。もちろん台湾の独立という問題はあります。国家の統一や領土の安全な獲得はすべての中国の統治者にとってその基本的な資格を問われる問題です。領土を失うことはすなわち政権からの転落を意味します。それは中国人民が絶対に受け入れないからです。中国も万が一、侵略されたり、攻められたときには、もちろん武器を持って立ち上がることがあると思います。が、それは希望していないということをわかってほしいのです。過去100年を見ても、中国人の生活が大幅に改善されたのはこの2、30年だけのことです。経済発展の恵を享受し、生活レベルを上げることこそ中国人の最大の希望です。そして戦争はこうした一切を奪うものだということです。
富坂聰:中国には二つの顔があります。もう一つの顔というのは、おそらく民主化がある程度進んだ後に姿を見せる中国の民意です。日本を含めた西側には中国の民主化に期待する声が高いのは承知していますが、私は実はこれこそもっとも警戒しなければならない変数、扱い方を違えれば武力衝突を引き起こしかねない危険な要素になると考えています。端的に言えば、中国がどれほど軍事情報に関して透明性を確保できるのかにかかっているということもできるのではないでしょうか。そして共産党の軍に対するシビリアン・コントロールの力、ひいてはガバナンスの能力が問われているのではないでしょうか。

3.「巨竜中国は2022年に崩壊する」  關洸念著  セルパ出版  11月28日

  關洸念氏は、この本で10年後の2022年に中国は崩壊すると予言しているが、その根拠は常識的なもので、深い考察や独創的思考によるものではない。關氏はその2022年の根拠を、「次の指導部で政治革命が起きることはないかもしれない。問題は第6世代に交代する2022年前後である」、「しかし経済停滞が深刻になり危険領域に達したとすると、社会の深層に溜まっていたマグマが噴出するであろう。中国社会は騒然となり、民主化要求の声も大きくなるであろう」、「これらの諸条件を総合的に勘案すると、中華帝国が崩壊する日は“2022±3”となる」と書き、「一国の未来を予測することは非常に難しい。世の中は何が起こるか予想もつかないのが現実である。しかし、この予測はかなり精度が高いといえる」と自画自賛している。しかしながら、この程度の分析と予測ならば、誰にでもできる。わざわざ關氏が威張るほどのものではなく、きわめて常識的なものであり、その意味でこの本は発行済みの「中国崩壊論」の総集編のようなものであると言える。巻末の参考文献を見ても、ジャーナリスティックなものばかりで専門書や学術書あるいは独創的見解を述べた書は少ない。

 私も中国の現体制は、あと10年は延命すると予測している。その根拠は中国が、マンションバブルが崩壊しても、他の先進資本主義国家と同様の超借金大国に追い込まれるまで、まだ10年の余裕期間があると考えているからである。

 また關氏は、「中国経済は世界的に大きな影響力を持つようになった。政治的な発言力も大きくなった。もしも中国に大事変が起これば、世界に及ぼす影響は測りしれない。穏やかな民主化を世界は願っている」と書いており、中国や現代世界の救世主を「民主主義」に求めている。關氏は他の先進資本主義各国が、いずれも「民主主義」を信奉した結果、超借金大国となり身動き取れなくなり、その体制が崩壊寸前であることをどのように考えているのだろうか。今、日本人が考えなければならないのは、中国の崩壊ではなくて、1000兆円もの借金を背負った日本の崩壊である。その意味では、日本がこの借金を完済し、日本の行くべき道を明らかにしたときにのみ、「民主主義」が救世主と言えるのである。蛇足ながら私は、「民主主義」が万能であるとは思っていない。

4.「“仮面の大国”中国の真実」  王文亮著  PHP研究所  12月29日
  副題 : 「恐るべき経済成長の光と影」
  帯の言葉 : 「貧富の格差の急拡大、不動産ブラックマネー、蔓延する官僚の汚職…。偽りの経済大国・中国にくすぶる、さまざまな社会のゆがみや矛盾  内実に精通する著者がすべてを暴く!」

 著者の王文亮氏はまず、「“世界大国”の輝かしい仮面の下に隠されている中国の真実は一体どうなっているのだろうか。本書は、経済成長主義が横行している中国の矛盾、あらゆる面で大きな変革を迫られている中国の社会構造および国民の生活保障について、多角的視点から、最新のデータと鋭い問題意識をもってその全貌と真相をリアルに描き出すものである」と書き出している。しかしながら、たしかに真相には一歩近づいているが、「鋭い問題意識をもってその全貌と真相をリアルに描き出」している点は多くはない。それでも、一人っ子政策の帰結や教育問題への提言、腐敗・汚職官僚についての分析などには、見るべきものがある。

 中国のGDPについても、「GDPは外国企業の作り出した価値も含まれ、その分はほとんど外国企業が持ち出してしまい、自国には残らない。自国に残されるのは法人税と労働者の賃金ぐらいである」と書いており、その着眼点はよいが、「最新のデータ」を駆使してのそれ以上の追求はない。また中国が高いGDPを維持し続けなければならない理由として、「国民経済の大黒柱になった外国資本をより多く誘致するため、中国は国内の投資環境を絶えずよくする必要がある」と書いており、その視点は評価できるが、外資の誘致についての歴史的・質的変遷について考察しておらず、政府が「労働者集約型産業の追い出し」を画策していることについてはまったく視野に入っていない。さらに「不動産バブルは必ず崩壊する」と書き、結果として、「不動産業と金融業はいうまでもなく真っ先に破壊的ダメージを受ける。あとは不動産業を支える関連産業、たとえば建築材料、鉄鋼、セメント、ガラス、家電なども大きな影響を受ける。そして雇用状況も一気に悪化し、大量の失業者が路頭を迷い、社会全体が出口なしの混迷状態に陥っていく」と安直な予測している。

 王氏は、「国民は社会保障の充実を求めている」と書いているが、現実はもう少し複雑である。中国の社会保険料支払いについては、企業負担が7〜8割であり、本人負担が2割〜3割である。中国は先進資本主義各国のように、社会保険は労使折半ではない。その少ない負担でも現在の一人っ子世代の若者は、社会保障制度のことなど眼中にはなく、とにかく手取り給料が多い職場を選ぶ傾向が強い。そこで多くの企業が人手の確保と社会保険の負担を減らすという一石二鳥を狙い、モグリ営業という形態を取る結果になっているのである。しかも王氏は中国が極端な人手不足状況にあることを知らず、「08年から吹き荒れている経済不況の嵐の中で、中国も失業率が上がり、失業者を大量に出している」とまったく見当違いのことを書いている。なお社会保障政策を専攻している王氏には、先進資本主義各国の社会保障政策がいずれも破綻寸前であることから、中国がこのような轍を踏まないために、先進資本主義各国とは質的に違う社会保障政策を提言してもらいたいものである。私は性善説を前提にした先進資本主義国型社会保障政策は、性悪説がはびこる中国では成り立ち得ないと考えている。

 王氏の一人っ子問題に対する分析はおもしろい。80后や90后はやがて「養老奴」になるだろうと予言し、「日本の民法では、両親の介護を子供の義務として定めていない。しかし、中国では、経済面はもちろんのこと、両親の介護にも子供が責任を持つと法律で明文化されている」と書き、「高齢者権益保障法」・「婚姻法」などの具体的条文を列挙している。さらに最近の農村では若者たちが結婚する際に、双方の両親との間に「老人扶養契約書」結ぶという例も登場してきているという。この項を読んで私は、ついぞそのようなものを目にしたことがないので驚いた。法律面での両親介護条文と「老人扶養契約書」については、すぐに調べてみたいと思っている。

 王氏は大学生の就職難について、その現状を、「いわゆる就職難とは本来ならば、大卒の労働力供給が企業等の労働力需要を大きく上回ることを意味する。現在日本やほかの先進国での学生の就職難は、まさにこのような市場原理が働いている結果である。しかし、中国の大学生の就職難は必ずしもそうではない。産業分野において、製造業、流通業、サービス業、農業などの現場で汗を流している大卒の姿がほとんど見られない。ブルーカラーになった大卒もまだ少ない。内陸部や農村地域で働く大卒は非常に稀である。労働力の需要がある、つまり、仕事があるにもかかわらず、就職できないというところに中国の大学生の就職難の大きな特徴がある」と分析している。この指摘は従来私が主張してきたものでもあり、まさに的を射たものであると思う。

 続いて王氏は、「(中国の)高等学校教育の立ち遅れは、産業労働者の大量供給に大きな支障をきたしている。日本やほかの先進国の経験がすでに証明したように、高度経済成長期の産業労働者は大卒でもなければ、中国のような小卒・中卒でもなく、高卒である。“世界の工場”になっている中国では、現場で働いている労働者の絶対多数は中卒以下の低学歴者である。高卒の産業労働者化はほとんど進んでいない」、「総人口の規模や産業化のニーズに見合わない高卒数の少なさは、また大卒のエリート意識を助長している。とても高いプライドをもつ大学生はいろいろなところで自分をほかの労働者と一線を画そうとし、肉体労働、現場労働を軽蔑する」と書いている。そして王氏は教育改革として、第一に大学重視、高卒軽視をなくす、第二に「産業構造の高度化はかっていくなかで、大卒の産業労働者化をいかに実現するか」などを上げている。これらの指摘や提言は傾聴に値する。

 王氏は政府官僚の腐敗や汚職について、「こうした官僚の腐敗や汚職は職権濫用の社会から必然的に生じてくるものだから、国民にとって、憎悪の対象であると同時に、羨望の的でもある。もし腐敗・汚職が一概に嫌われているならば、これほどひどい蔓延は到底考えられない。実際にチャンスがあれば自分もそうしたいという気風は国中に充満している」と書いている。この文言は、現代中国の腐敗・汚職についての風潮を端的に解析しており、首肯できる。そして「今や中国には、“レッドカラー”全盛の時代が到来した」と喝破している。さらに王氏は腐敗・汚職官僚の海外逃亡の手口の数々を紹介するなかで、「一部の腐敗・汚職官僚は職場や自分のつながりを利用して、海外で支社を作り、国内の資金を密かにこの支社に振り込む」と、彼らの資金移動の手口の一部を明らかにしている。これは従来から私が指摘しているように、政府が「走出去政策」を積極的に推し進めている裏の理由でもある。

5.「中国の近未来への予言書」  孫樹林著  桐文社  11月30日
  副題 : 「中国の社会深層を徹底解剖」

 この本は孫樹林氏が、「大紀元時報」の第11号(2005年11月3日)から第119号(2010年5月27日)までのコラムなどに掲載した評論をまとめたものである。題名は「中国の近未来への予言書」などと大げさなものになっているが、中身は感想文程度のもので、「現代中国の社会深層の解剖」にはほど遠い。孫氏は、この本の最後で、「中国の史上には予言書が多くある。その中で、唐の大学者であり唐太宗の側近でもあった李淳風と袁天コウが書いた“推背図”が、高い的中率により、もっとも重視、信頼されている。そのため本書は歴代でも禁書とされている。これまでの歴史を完璧なほど正しく予測したこの予言書は、中国の近未来についても明確に予言した。それの解読には多少差異があるが、しかし次の観点においては、かなり一致している。すなわち、中共はまもなく徹底崩壊し、中国はいよいよ真の勃興期を迎える、ということである」と書いている。私は初めてこの書の名にお目にかかったので、その是非について、ここで論ずることはできない。せめて孫氏がその予言書の内容を、もう少し具体的に書いてくれていれば、それが可能だったのだが、残念である。なお、本文中には、虚言はないが、孫氏の独断と偏見、事実誤認が多い。