小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2011年 第23回 & 第24回


読後雑感 : 2011年 第23回 
11.OCT.11
1.「中国で勝つ 10の原則と50の具体策」
2.「中国人観光客を呼び込む必勝術」
3.「中国最後の証言者たち」
4.「続 墓標なき草原」
5.「“中国版”サブプライム・ローンの恐怖」

1.「中国で勝つ 10の原則と50の具体策」  尹銘深著  東洋経済新報社  10月6日
  帯の言葉 : 「日本のトップ経営者が絶賛したバイブル!  これがなくては中国ビジネスは語れない!」

 尹銘深はこの本の題名に、「大企業関係者のための」という文句を付け加えるべきだったのではないか。なぜなら、この本の帯には、武田薬品の長谷川社長、資生堂の前田社長、明治の浅野社長、ソニーの吉岡副社長などの名前が、推薦者としてズラリと並んでいるし、本文中の紹介企業例はすべて大企業であるからである。尹氏自身も、「われわれは多くの大手日本企業が中国で同じような状況に直面しており、中国パートナーとの交渉に失敗している例をたくさん見てきた」と書き、中小企業のことはまったく眼中にない。私は大手企業ならば中国で大成功するのが当たり前で、失敗する方がどうかしていると思う。大企業には、資金も人材も情報も、すべてがそろっており、わざわざ尹氏がこのような本を書いて、コンサルティングをしなければならないという方がおかしいのではないか。

 この本には、中国市場に関する戦略面での記述はほとんどなく、戦術面であれこれのノウハウが述べられているだけである。しかも大企業向けで、中小企業に有益なものは少ない。

 中国の国家戦略に関する数少ない記述の中で、尹氏は、「欧米企業が中国で高い利益をあげている要因の一つとして、経済成長のパターンの転換をとらえ、国家戦略を深く理解していることが挙げられる」と書き、「日本は1970年代のオイルショック後、経済成長パターンの転換に取り組み、“国民の利益と国際的協調との同時実現”という方針を打ち出し、内外需の均衡・発展に注力した。そして知識・技術集約型経済への転換を図り、産業構造は新たな段階に入った。2010年10月、中国で決定した第12次5か年計画の5大目標のうち、第1の目標は“経済発展方式の転換を加速し、科学発展を促進する”である。これは1970年代の日本と同様、経済構造を変化させることにより、経済発展の仕方を転換することを目指したものだ」と続け、このチャンスに日系企業は中国に切り込めと主張している。

 日本は自力更生で臥薪嘗胆して産業構造の転換を成し遂げた。しかし中国は従前通りの外資への他力依存型で、しかも人民に耐乏生活を強いることなく、楽をして産業構造の転換を成し遂げようとしている。今の中国の状況は、日本とは明らかに違い、産業構造の転換は不可能である。尹氏はもっと深く、中国の実情をみつめるべきである。

2.「中国人観光客を呼び込む必勝術」  徐向東著  日刊工業新聞社  9月30日
  副題 : 「インバウンドマーケティングの実践」

 この本は、中国人観光客を日本に呼び込むためのノウハウの書である。日本の観光業関係者には、よい手引き書となるだろう。この本では、中国人観光客の日本旅行の大きな目的の一つがショッピングであり、その理由が「同じものでも日本で購入する方が、安い、そして信頼できる」ということだと書いている。たしかに日本では有名ブランド品のニセ物を掴まされることは少ないだけでなく、100円ショップやディスカウントショップでも、その品質は保証されている。なぜかメイドインチャイナであっても、日本で買う方が安いのも実情である。

 この本では、中国への日本の観光情報の発信不足を指摘している。そしてネットを使っての上手な情報発信の方法を細かく紹介している。また韓国の方が、はるかに情報発信が上手であり、中国人観光客誘致は日本より1枚上手であると書いている。ことに韓国の美容整形を通じた中国人誘致策を大成功の例として紹介している。

 東日本大震災の後、一時、中国人観光客は激減したが、これも最近では復調傾向であるという。中国では現在、バブル経済の真最中であり、すぐに観光客が増えてくると思われる。しかし早ければ来年中には、バブル経済が崩壊すると予測される。当然のことながら、バブル経済崩壊後は中国人観光客が再び減ることは間違いないだろう。したがって中国人観光客を当てにして、大規模な設備の改修などはするべきではない。

3.「中国最後の証言者たち」  欣然著  中谷和男訳  武田ランダムハウスジャパン  9月22日
  副題 : 「沈黙の世代が語る20世紀」
  帯の言葉:「長征、人民共和国建国、文化大革命… 沈黙を守り続けた歴史の生き証人たちが、いま、重い口を開いて語り始める!」

 この本の内容は、タイトルや副題から受けた印象とはかなり違い、それほど過激ではない。あえて「沈黙を守り続けた歴史の生き証人たちの最後の証言」と題するほど、陰惨極まりないものではない。かねてから私は、これらの「歴史証言物」について、被害者証言よりも、加害者の反省の証言が重要であると言い続けてきた。残念ながら、この著書も全編が被害者証言で覆われており、加害者証言はまったくない。日本では最近、旧帝国陸軍の将官や下士官、兵士などの加害者証言が見られるようになってきた。今まで心の中に溜まっていたものを、吐き出して死んで行きたいという心境なのであろう。おそらく中国人にも、そのような心境になっている人が多くいるはずである。ぜひ欣然氏には、次回作で、それらの加害者証言を書き綴ってもらいたいものである。

 石油開発に携わった技術者で文革被害者の一人は、欣然氏に、「そうだな…。時はまだ熟していないので、確かなことは言えない。私が考えるに、若い人たちは紅衛兵やその同世代の人間と意見交換をし、文化大革命の教訓を受け入れるべきだと思う。私たちには彼らを導く責任がある。なぜならば、私たちは彼らよりも人生のさまざまな局面を経験しているからだ。若い人たちは社会の表層としか接触していないが、私たちは表面だけでなく断面も見てきたからだ。私たちの世代は国家の発展について、元紅衛兵や新世代の官僚と意見を交わすべきなんだ」と語っている。私もそう思う。

 雑伎団員で文革時代に、その技術レベルが下がったという女性は、欣然氏に体罰について聞かれ、「技の訓練をしているときに体罰を加えるのが法律に違反するというのですか。それなら生活と時間を浪費するのは法律違反ではないのですか。今の若い人たちはよく“生活をエンジョイする”と口にしますね。でも、どれほどの子供たちが生活をエンジョイすることの意味をわかっているのでしょう。生活能力がなければ仕事で成功することもないし、料理や家事ができなくて、“生活をエンジョイ”することなどできるでしょうか。それは他人の血と汗をエンジョイすることです。私はそれを犯罪と呼びます」ときっぱり答えている。たしかに最近の中国各地の雑伎団のレベルはずいぶん下がってしまっている。

 文革時に三角帽子を被せられたこともある女性将校は、欣然氏に毛沢東の印象を聞かれて、「1949年の中国解放は素晴らしいことだと思う。毛沢東についてもそうよ。毛沢東主席が多くの誤りや犯罪を犯したことは私も認めるけど、彼が中国という国家の復興に全体として貢献したことは否定しようがないわね。彼は歴史に残る偉大な人物であり、その名は後世に伝わるでしょう。秦の始皇帝は焚書を行い、儒者を生き埋めにし、人民に対して暴威を振るったけど、中国を統一して法体系を集大成し、経済を発展させ、世界に冠たる万里の長城を建設したことは否定できない。阿片戦争後の中国人民に自尊心を取り戻させた毛沢東の業績は同じように評価できる」と語っている。妥当な毛沢東評価である。

 なお、本文中のかつてのユダヤ人居住区の記述には不十分さが残っているし、長征最末期の西路軍の記述には明らかな誤りがある。これらの個所から判断して、本書は学術的には完璧ではないと見た方がよいと思う。

4.「続 墓標なき草原」  楊海英著  岩波書店  8月26日
  副題 : 「内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録」
  帯の言葉 : 「文化大革命期のモンゴル人たち.“対日協力者”であった過去が,これほど苛酷なエスノセントリズムの犠牲をもたらしていたとは」

 この本も、モンゴル人に特定した文化大革命被害者の記録である。これまでになんども書いてきたが、文化大革命の真相について語ろうとするならば、加害者証言を引っ張り出すことが絶対に必要である。加害者のほとんどがまだ生きており、中には政府幹部に居座っている人たちもいて、その彼らが文革時の自らの行動を明らかにせず、現在の中国社会を動かしているからである。そこから反省を伴う証言を引き出したとき、はじめて文革の全貌を明らかにすることができるのである。

 文革中には、多くのモンゴル青年も紅衛兵となって、大暴れしたことはまぎれもない事実である。著者の楊海英氏も本文中で、ビルジド氏の口を借りて、「人間は権力に弱いものです。漢人たちから革命的な延安派だと褒められると、それに乗じて権力の座に就こうとするモンゴル人も当然、出てきます。権力のために同胞を裏切る者もいます。中国共産党はこのようにモンゴル人同士を意図的に内紛させ、まとまった力にならないようにうまく支配しています。昔もいまも」と書いている。楊氏にはぜひ、次回作でこの裏切り者のモンゴル人の証言を引き出し、紹介してもらいたいものである。

 本文中の楊氏の記述には、若干、問題がある。たとえば、「内モンゴル自治区の中央部にパーリン左旗がある。…(略)。パーリン左旗も清朝末期まではモンゴル人遊牧民が暮らすのどかな草原だったが、いまや漢人農民が9割以上を占める農耕地帯と化してしまった。蒼穹の下の草原に白い天幕が点在するような往昔のモンゴルの面影は、なにも残っていない」という記述は、誤りを含んでいる。詳しいことはここでは書けないが、最近、現場を見たばかりの私には断言できる。また楊氏は本文中の各所で、あたかもモンゴル人の多くが日本贔屓のように書いているが、それもまったく事実とは異なる。

 また楊氏は長征についても、「現代中国では、紅軍の逃亡を“戦略的な撤退”、“長征”などと表現している。そして、“長征は宣言者だ。長征は宣伝隊だ。長征は種まきの機械だ”と吹聴している。しかし、その実態は、内部では粛清を徹底し、対外的には略奪と殺人の旅だったことが、明らかにされている」と書いているが、これは明らかな誤りである。さらに楊氏は1930年代に起こった「AB団粛清事件」に言及し、中国共産党の残忍さを示す例として挙げているが、この事件はまだ共産党の戦略や体制も定かでない時点で起きたもので、かなり複雑で現在の共産党と同一視して語ること自体に無理がある。
 なお楊海英氏の前著「墓標なき草原 上・下」が、第14回司馬遼太郎賞の受賞の栄誉に輝いたという。

5.「“中国版”サブプライム・ローンの恐怖」  石平著  幻冬舎新書  9月30日
  帯の言葉 : 「2012年、ついにバブル崩壊」

 このところ保守派の論客の諸氏が、矢継ぎ早に本を発刊しているので、石平氏は、かなり焦っているのではないだろうか? この本はかなり粗っぽい。

 まず石平氏は序章で、「インフレ亢進と、その処理の後遺症として、中国の不動産バブルは確実に崩壊していく運命にある。それはいったい、どのように起き、中国という国全体にどのような影響をもたらすのか。バブル崩壊後の中国は、いったいどのような結末を迎えることになるのか。これらについて、次章から詳しくお話していこう」と書き、論を進めているが、終章では、「まさにこの2011年から中国経済は破綻への道を歩み始め、民衆による暴動がそれを後押ししながら、中国社会は想像を越える大混乱に陥っていくのである。そうなったときには、諸外国に対する中国政府と軍の本格的な暴走は誰にも止められないであろう。2012年を起点にして、バブル崩壊と前後する民衆の暴走と、それにともなう中国の対外的暴走がいよいよ現実となってくるのである。このような中国にどう対処していくべきなのかについては、隣国の日本にとって真剣に考えていかなければならない最大の難題であろう」と締めくくっている。

 このような指摘ならば、素人でもできる。念のために書いておくが、石平氏は本文中で、「バブル崩壊後の中国は、いったいどのような結末を迎えることになるのか」について、ほとんど語っていない。この著作で、石平氏は政府やメディアなどの発表を盛んに引用して、論を組み立てているだけで、同じ保守派の宮崎正弘氏とは違い、自分の目や足で確かめた情報は皆無である。したがって今の石平氏の力では、「バブル崩壊後の中国の行方」について、実態に即した推測は不能で、独自の見解を示すことはできないのだろう。

 石平氏は、本文中で幾多の自己矛盾に気付かず論を進めている。いつも言うことだが、中国では不動産バブルは起きていない。起きているのは住宅バブルだけである。土地はバブル状態ではない。石平氏のこの本の中で、不動産バブルと書いておきながら、実際にそれを論証するために挙げている例や数字は、すべて住宅のものだけである。どうしても石平氏が不動産バブルだと言いたいのならば、次回からは、必ず土地のバブル状態の実例と統計数字を全面に打ち出してもらいたい。石平氏がその点を明確に意識していれば、本書で米国のサブプライム・ショックと中国の住宅バブル現象が、住宅という共通項で一致していると強く主張することができたのに、残念なことである。

 また暴動についても、「(中国全土で)年間8万〜9万件以上の暴動や騒乱事件が発生していた」(P.124)と書きながら、一方で「(2010年)1年間では、ほぼ5日間に1度の頻度で中国のどこかで暴動や大きな騒乱が発生していた」(P.141)と書いている。石平氏は単純な計算も苦手なようである。年間8万件の暴動や騒乱ということは、1日当たりで200件、5日で1000件の勘定になる。注釈抜きで、5日間に1度と1000件を同時に披瀝している石平氏の度胸には感心する。

 なお石平氏のバブル発生の分析には、人手不足の実態や2007年末の新労働契約法の施行、インフォーマル金融の存在などがまったく視野に入っていない。また産業構造の転換なども言及されていない。なによりも中国経済は外資に牛耳られているという視点がまったくない。これではバブル崩壊後の中国を予測できるはずがない。



読後雑感 : 2011年 第24回 
28.OCT.11
1.「中国ビジネスに失敗しない7つのポイント」
2.「中国マネーの正体」  3.「中国革命の真実」
4.「豹変した中国人がアメリカをボロボロにした」
5.「中国人はなぜうるさいのか」

1.「中国ビジネスに失敗しない7つのポイント」  杉田敏著  角川書店  10月15日
  副題 : 「PR戦略で乗り越える!」
  帯の言葉 : 「中国の落とし穴に落ちないために」

 巷には、中国市場に売り込むためのハウツー本が溢れかえっているので、この本もその類であろうと思いながら読み進めた。しかし予想に反してこの本はおもしろかった。この本で杉田敏氏は、「中国における広報」という立場から、中国市場を眺めている。本書は一般的な「中国ビジネスのハウツー本」ではなくて、「広報」という点にしぼって書いている。そのような視点から、中国を取り上げている本は少ないだけに、中国市場で金儲けをしようと考えているビジネスマンには参考になる本である。この本も題名と中身がかなり違う本であり、私ならば題名を、「PR戦略で乗り越える中国ビジネス」と付けただろう。多分、その方が売れたと思う。

 まず杉田氏は、「覚えておくべき“抗日記念日”」として、それをリストアップしている。次に「“南京大虐殺”について意見を聞かれたら…」として、「そうした歴史があることは非常に残念ですが、私たちは経済を通じて日中の友好に貢献していきたいと思っています」という模範解答を示している。私もこの答えがよいと思う。また台湾問題についても、その表記方法を含めて詳しく解説し、「天安門事件」、「法輪功」、「チベット問題」などの用語はタブーであると書いている。さらに広報をする場合の細かい注意事項を記している。中でも「中国で忌み嫌われる数字に250があります」という記述には、私も初めてお目にかかった。「250は500の半分で、1000の1/4なので、日本語の“半人前”よりもさらに悪く、“アホ”“バカ”“間抜け”ということ」だそうである。

 杉田氏は新聞記者などに支払う礼金について、「記者会見での各種の“礼金”受け取りも一律に禁じています。ただ現実には、記者会見に出席した記者たちに対して、“交通費”を渡すことは不文律として残っています。1人当たり100〜300元(約1200〜3600円)くらいが相場です」(P.95)と、金額を明示し書いている。このような礼金の類については、なかなか相場がわからないので、これは参考になる。ただし杉田氏は後半でも同様のことを、「大体イベントや記者会見などの際には300元から500元、インタビューには500元から1000元(テレビの場合にはさらに割高に)、プレスツアーに参加してもらう際には中国国内の場合で500元から1000元、海外の場合には1日当たり400元から800元を支払うというのが“相場”となっています」(P.162)と書いており、若干高くなっている。

 杉田氏は、「今、コミュニケーションの世界では“産業革命”に匹敵するくらい大きな変化が起きています」と書き、特にインターネットの世界での激変と、加えて中国でのネット社会の難しさや面白さを詳しく紹介している。また中国に進出している日本企業は、「中国社会のニーズに合致し、政府の賛同が得られ、さらにパブリシティ価値がある広報活動を効果的に行っていかなければなりません」と記している。また「問題が起きたときは、“100%無傷で危機回避するのは不可能”ということを理解しておくべきです」と、進出日本企業に注意を喚起している。

 最後に杉田氏は、中国において「見えない落とし穴」にはまらないようにするための広報に関する10の注意事項を書いている。これは、今後、中国市場で闘うビジネスマンには、たいへん参考になる指摘である。

2.「日本に群がる! 中国マネーの正体」  富坂聰著  PHP研究所  11月1日
  帯の言葉 : 「世界一羽振りのいい金持ちが求める“3つの宝”とは? 中国の唸るほどの財力をビジネスに利用せよ!」

 富坂聰氏の前著「中国の地下経済」は秀作であった。それだけに私は、今回の著書が「中国マネーの正体」を鋭く暴いたものだろうと期待して、読み進んだ。しかしながら本文中で富坂氏が書いているのは、「この矛盾を抱えた中国が、経済失速が本格化する前に打ち上げる花火、日本人が絶対に逃してならないものこそ、このビッグウェーブをつかむことなのだ」という内容であり、「中国マネーの正体の分析」ではなかった。実際にこの本の2/3は、いかに中国人マネーを利用して儲けるかという話で埋まっている。富坂氏はこの本の題名を、「中国人マネーを掴み大儲けする方法」とでも付けるべきであった。また帯の言葉をそのまま題名にすれば良かったと思う。この本も題名と中身が違う「羊頭狗肉」の書の類に近く、その中身も従来の富坂氏のものとはかなり趣を異にしている。残念ながらこの本は、富坂氏の著作中では失敗作の類ではないかと、私は思う。

 本著で富坂氏は、「チャイナマネーの流入と聞けば、現在のところほとんどの日本人は、中国人による土地の買い占めの話題を思い浮かべるはずだ。そして、いつのまにか自分の住む町が“中国人によって占拠され、生活そのものがチャイニーズスタイルに染められてしまう”もしくは“乗っ取られてしまう”との心配へつながっていくようだ。…(略)。中国や中国人が戦略的に一つの国を乗っ取ろうとしていると考えるのは、およそ馬鹿げた話である」、「今回、中国からさまざまな形で接触を受けた日本の中小企業からはいろいろな話しを聞くことができた。そして分かったことは、こうした話題では常に心配の種として付きまとう“技術が流出する”とか“金にモノを言わせて買い叩かれる”といった問題がそれほど現実的ではないということだ」と、明快に主張している。私は、この富坂氏の主張を全面的に支持する。

 富坂氏は、中国の近未来を予測するカギとして、胡錦濤主席の「今後5年間、中国は海外進出戦略に力を入れ、国内企業の対外投資を後押ししていくからだ」と、温家宝首相の「人民元の柔軟性向上など、あらゆる物価抑制策を探る」の二つの発言を取り上げ、「この発言だけで中国の未来が見えればよほどの中国通だが、ここでは少し丁寧に2人のリーダーの発言を掘り下げてみたい」と書き、それぞれの発言を分析し解説している。ところがこれに続く本文中では、温家宝首相の発言の解説が約25ページ、胡錦濤主席の発言の解説が約1ページとなっており、明らかに不均等な紹介で、いささかこじつけ気味になっている。

 富坂氏はこれからの中国を知る一つのキーワードとして「人口ボーナスの枯渇」をあげ、それが2010年ごろであるとし、ルイス転換点に到達したのも今年だという学者の説を紹介している。しかし実際には中国では、労働力不足は2003年に表面化しているし、京都大学の劉徳強教授は2002〜04年にルイス転換点に到達したと指摘している。また富坂氏は「人口ボーナスの枯渇」の根本原因が広範なモグリ企業の存在にあることを正確に認識しておらず、そのために2011年度旧正月明けの一時的人手不足緩和現象も把握できていない。なお富坂氏は、労働集約型外資の夜逃げの多発を2007年の旧正月明けとしているが、これは2008年の旧正月明けの誤りである。07年度にはまだ夜逃げは表面化していない。さらに2007年末の労働契約法の施行の理由を、「この背景にあったのは労働災害の増加だったと言われている」としているが、この分析は根拠薄弱である。労働契約法の施行は、北京五輪開催への外圧であったと考えるのが正しい。「“賃上げウェーブ”の裏には、ビジネスの“種”を探して労働者を裏から扇動する弁護士の存在があった」という指摘も見当違いである。総じてこの章の富坂氏の分析には、事実誤認と偏見が多い。

3.「中国革命の真実」  くどうひろし著  柘植書房新社  10月15日
  副題 : 「過渡期への手付」

 この本は、「トロツキスト」つまり「極左冒険主義者」のくどうひろし氏が書いたものである。最近、学者や保守派の論客を自称する人たちの本を読みなれている私は、久方ぶりに「極左冒険主義者」の生硬な文体にお目にかかり、学生時代に連れ戻されたようなある種の懐かしさを感じた。この本のくどう氏の文章には、日本語としての整合性が取れていない部分が多く、読み難い。これも往年の闘士の名残であろうか。

 くどう氏の副題「過渡期への手付」は、そのまま第12章の題名になっている。その章をよく読んでも、私にはどうしてもその意味がわからなかった。私が「手付」という意味を取り違えているかもしれないと考え、辞書で調べてみたが、「手を付けること、手付け金」などの説明があるのみで、その言葉に特別な意味があるわけではなかった。昔日の「極左冒険主義者」たちは唯我独尊的なところがあり、他人の理解不能な言辞をふりかざし大衆を扇動していた。くどう氏のこの文章を読んでいて、ついつい私はそれを思い出してしまった。

 くどう氏はこの本の構成を、第1〜8章までを中国成立前、第9〜11章を毛沢東専制期、第12章と補章を改革開放以後、としている。つまり「中国革命の真実」という題名で、主に中国成立前のことを扱っている。その記述の中では、コミンテルンと中国共産党の関係が深く考察されており、その面では参考になる個所が多い。たとえば、コミンテルンから派遣されたマーリンと陳独秀との第一次国共合作時の確執についての記述は、参考になった。またくどう氏は、孫文について、「孫文が中国ブルジョアジーを組織できなかったのは、彼の力量というよりも、古典的なブルジョア革命論と買弁ブルジョアジーの限界であった。晩年、“連ソ、容共、労農援助”を掲げ、“革命いまだならず”と没したことは、状況の典型的な反映であり、たえず進化を続けた知性と誠実を物語っている」と書いている。

 くどう氏は、「毛沢東の人民公社、大躍進の訴えは、天の声、神の言葉だったのである。それを防ぎ歯止めをかけられるのは、マルクス主義者の考え、理論であり、それを理解できる労働者階級の存在である。返すがえすも痛恨の極みは、上海クーデターで百万の労働者、革命の精鋭を失ったことである」と書き、革命後の中国の苦難の歴史を、中国の労働者階級が上海クーデターで壊滅したことに帰している。これは前回の読後雑感でも紹介しておいた最近の中国研究の結果とは大きく違う。当時の上海の労働者階級は未成熟で、革命の前衛になり得なかったからである。

 くどう氏の結論は次のようなものであるが、これまた理解し難いものである。
 「植民地解放、革命が成功しても、それらの労働者が直ちに資本主義を上回る経済を建設するのは難しい。帝国主義はその弱点をついてあこぎな金儲けをはかる。そうした場合、第三世界にとって中国はさまざまな教訓を提示し、政治、経済の大きな拠り所である。先進国の労働者がそれと連帯、交流する意義はきわめて大きい。経済発展の設計と技術を持ち合わせ、活用できるだけでない。労働者のインターナショナリズムが、新たな国際関係、経済建設への相乗効果を生み、国境を感じさせない社会への萌芽になろう。日本の労働者が社畜を返上し、交流、連帯するならば、中国労働者の自発性が社会の秩序になる時期の到来は、予想以上に早いのではないか。上海コミューンを闘って倒れた労働者階級の後継ぎが注目される時代になった」。

4.「豹変した中国人がアメリカをボロボロにした」  川添恵子著  産経新聞出版  10月11日
  帯の言葉 : 「アメリカ西海岸の政治が食われた。アジアの領土は削り取られた。 そして日本の拠点に先兵は潜伏中!」

 ショッキングな題名の川添恵子氏のこの本は、羊頭狗肉の書の代表格である。なぜなら本文中で、アメリカのことについて書かれている個所は第1章のみで、しかもロスアンジェルスなど一部の地域での中国人の生態について記されているだけだからである。ちなみに第2章は主にフランスのボルドーワイン、第3章はブータンとラオス、第4章は中国の高速鉄道、第5章は日本についての記述である。これほど題名と内容が乖離した本も珍しい。

 敵に塩を送るようだが、もし私がこの題名で本を書くとするならば、現在、米国各地で起きている「反ウォール街デモ」をしっかり調査し、この中に新規に移住した中国人が大量に参加していることを実証し、「豹変した中国人がアメリカをボロボロにした」という主旨の文章に仕立てる。ぜひ川添氏には、次回作でこの検証結果を扱ってもらいたい。ただし現時点での私の調査では、このデモにはまったく中国人系は参加していない、つまり「ボロボロにしていない」という結論になりそうである。同様のことは、先日のロンドン暴動でも言える。

 川添氏は第5章で、「合法的に乗っ取られる日本」と題して、北海道の地が中国人に買い占められていると書き、その目的を、「目的はリゾート開発? 土地転売によるキャピタルゲイン狙い? 自衛隊基地に微妙に近かったりするのはただの偶然? それとも水源地確保?」と書いている。同じ主旨のことを、保守派の論客の有本香氏は「中国の“日本買収”計画」の中で、「自衛隊、原発、警察―重要施設の周辺は無防備な状態にある。ここ数年、北海道に限らず、全国各地の警察施設や自衛隊、米軍基地に近い場所で外国資本による土地買収の話しは盛んに聞こえてきている」、「狙いは水か」と記している。この二人の間にある相違点は原発についての記述であり、共通点は「水」である。その中国人の水源地狙いについては、私も徳山ダム調査小論で述べておいたが、それは杞憂に等しいと考える。

 川添氏は、日本海横断航路について言及し、「中国は拉致国家・北朝鮮をご都合主義で“飼っている”親玉であり、ロシアからは美人スパイか怪しい物売りが来るだけでは?」と悪態をつき、「日中両国関係者は“砂上の楼閣物語”に陶酔している」と、あざ笑っている。この航路の中国側当事者の琿春市に工場を持ち、この航路の開設と日本海側諸都市の経済発展のために、長年、実際に汗を流して努力を続けてきた私にとっては、これは心外な言葉である。私は一日でも早く、この航路を安定させて川添氏を見返してやりたいと思っている。

5.「中国人はなぜうるさいのか」  吉田隆著  講談社  10月12日
  帯の言葉 : 「今さら人に聞けない“中国人の歴史”“中国人の謎” 誰も教えてくれない“やっかいな中国人”攻略法」

 著者の吉田隆氏は本書の冒頭で、「本書は“中国人はなぜうるさいか”という素朴な疑問から始まり、中国人の気質や中国社会の仕組みなどをわかりやすく解説している。これを読んで、中国人というものを理解して真の交流が生まれることになれば幸いである」と書いている。たしかにこの本は、わかりやすく書かれており読みやすいが、中身には新味がまったくない。その意味でこの本は、洪水のように出版されている類書の焼き直しに近い。吉田氏は若き頃にハンガリーに留学した経験を持ち、東欧諸国の造詣が深い。この体験から中国人をみつめ分析すれば、もっとおもしろい本になっていただろう。残念ながら本書には、そのような記述は1個所しかない。

 吉田氏は本文中で、「メディアが喧伝するように中国人が日本の不動産を買い漁っている。というようなことは感じられません」、「北海道の岩内町の温泉付き分譲地180区画が売り出され、そのうち6区画のみが中国人に買われた」という不動産業者の言葉を紹介し、「昨今メディアでは、中国マネーが日本の不動産を買い漁るという報道がされえちるが、どうやらそれはフレームアップされているようだ」と書いている。この指摘は正しい。

 また吉田氏は、「中国の大都市の地価の高騰はバブル時代の日本を凌駕するほど凄まじいものとなっており、2010年の上海万博開催前に売り出された上海のマンションでは1u212万円という数字が躍っている。これは単純に計算すると50uクラスの部屋が1億円を超えるということになるから億ションで、バブル期の日本のマンションの値段をすでに超えているのだ」と書いている。ここで吉田氏の言いたいことは、マンション建設用地の使用権の高騰とその結果のマンション価格の高騰であろうが、商業用地や工業用地はバブル状態ではないことに気が付いていない。吉田氏の頭の中では、土地とマンションが未分化であり、この本はその程度の中国認識に基づいて書かれていると判断することが妥当だと思われる。