小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2010年 第2回


読後雑感 : 2010年 第2回
05.MAR.10
今回取り上げた書物

1.「ポスト<改革開放>の中国」

2.「7.5ウィグル虐殺の真実」

3.「不思議な経済大国 中国」 

4.「中国ひとり勝ちと日本ひとり負けはなぜ起きたか」


1. 「ポスト<改革開放>の中国」  丸川哲史著  作品社刊  2010年1月30日発行
    副題 : 「新たな段階に突入した中国社会・経済」

 丸川氏が提起する「30年周期の中国転換説」は、面白い。この独特の発想は、丸川氏が純粋の中国経済学者ではなく、台湾地域研究者であることから生み出されたのかもしれない。ただしこの本は、文体が簡潔明瞭ではないし、内容を理解するために、同じ個所を繰り返し読まなければならない部分が多い。その意味では一般読者向けではない。次作では、ぜひ読みやすい文章を書いていただけると助かるし、たくさん売れるのではないかと思う。

 丸川氏は、中国の現代史を30年周期で変化していると下記のように分析し、「現代中国におけるこの3つの30年周期がそれぞれ違った近代性を保有しつつ重層的に蓄積されていること―それが現代中国を理解する際の手掛かりなのである」(P.10)、「総じて、この3つの30年周期は、それぞれ前の周期の価値観を否定、あるいは克服する動きとして出てきている」(P.13)と主張している。

@1919〜48年 5・4運動から中国建国  「革命戦争期」 毛沢東が主導。土地革命。軍閥支配の終焉。

A1949〜78年 建国から改革開放    「革命政治期」 毛沢東が主導。朝鮮戦争、中ソ対立、鎖国化、文革。

B1979〜09年 改革開放から現在    「改革開放期」 ケ小平が主導。経済開放、天安門事件、北京五輪。

C2010〜49年 改革開放の再始動      「ポスト改革開放期」 ?

 丸川氏は@の時期において、毛沢東が主導権を取ったということは、中国人民によって「土地改革を志向する革命政府の方がうまく近代建設ができるし、さらに強力に国民国家形成ができるだろうという判断が下された」結果だと言い切る。Aの時期を、「極端に閉じた体制を強いられ続け、…どこからも支援を受けられず、すべての社会資本を自己調達しなければならなかったし、そうしなければ安心もできなかった」と分析し、Bの時期への移行を、「もう革命政治は続けられないし、対外戦争だけに備える体制はもう不可能である、中国は国際分業体制の中に入っていかねばならない―このような判断であった」と分析している。

 丸川氏は天安門事件についても独特の見解を示しているので、長くなるが下記に引用しておく。

 「1980年代半ばから、“改革開放”は都市改革を目指すようになっていた。端的に、この失敗が天安門事件に繋がるのである。農村に関しては、土地をとにかく分配してしまえば良かったわけだが、これを都市に適用することができなかった。そして、都市の公的資源、たとえば工場の土地や施設を労働者一人一人に分配することができなかった、あるいはしなかった。そして、都市の公的資源を国有化からはずし民営化する際に、共産党幹部によって占有されるという現象が出てきた。それからもう一つ、国有経済システムからの離脱に際して、経済混乱が起きていた。たとえば国営企業で作られた製品の値段と市場ベースで作られた製品の値段が2重になる、また給料体系が2重体系になる。そこで都市生活が極度に混乱し、不条理な制度改革によって損をしているのではないかという不満が一挙に昂進するところとなった。こういった経済混乱が、実は天安門事件の主要な原因であった」(P.16)。

 「1998年の天安門事件が遺した最大の矛盾とは、この天安門運動を弾圧したことにより、都市改革の失敗、もっと言えば“改革開放”の失敗がうやむやにされたということに尽きる」。

 「総じて、天安門事件によって明らかになったことは、思想としての“改革開放”がそこで死滅したということである。そして資本のグローバルな自己運動としての“改革開放”が、この数年後に中国全土を席巻することになる。1992年のケ小平による南巡講話がその合図となった。天安門事件によって生じた外国投資の冷え込みなど、経済包囲網を打ち破るためにも、経済システムとしての“改革開放”にもう一度エンジンをかけなければならず…、このときから中国が再び劇的に“改革開放”の軌道を走り始めるのである」

 「そして一切の社会的エネルギーを経済建設だけに流し込んでいく、経済挙国一致体制が成立するのである」

 ケ小平の南巡講和と時を同じくして、この時期に上海では朱鎔基の大号令のもとに、浦東開発が進んだ。はらだおさむ氏は、「“第二次天安門事件”は、中国ではいまも禁句である。もちろん今年の6月4日にもその記念式典などはなく、逆に天安門広場は立ち入り禁止の厳戒態勢がとられていた。わたしは中国ビジネスに半世紀、“革命の中国”のときも“改革開放”のいまも、ともに歩んできたが、この“6・4”がなかったら中国の“本格的な改革開放”はもっと遅れていたであろうと見ている。この事件があったから、西側諸国は中国への経済制裁を行い、中国は“改革開放は不変である”ことの“証(あかし)”として、翌90年4月の“浦東開発宣言”に踏み切ったのであった」と語っている。このはらだ氏の歴史の証人としての言は、丸川氏の説を反面から補強するものだと、私は考える。

 丸川氏は、今の中国を理解するためのキーワードは、「主権の防衛」・「経済建設」・「社会的平等」だと語っている。その上で「この3つの問題群―お互いに矛盾し絡み合う問題を地道に解決していく、これが現代中国のあり方であり、今後の中国の動向を探る中心軸である」と書いている。

 丸川氏は第1部で、2008〜09年の中国の変化を俎上に載せているが、残念ながらその見方は皮相である。ことに新労働契約法の施行について一言も触れておらず、また金融危機に際しての中国政府の対応の敏速さについて、「実に議論の場としての議会を主要な政策決定の機関とする西側政府との違い」を印象づけられたとしているなど、中国の変化の実態を掴んでいないことを露呈している。これは文献主義者である丸川氏の限界であろう。それでも、09年から始まる30年が、「“改革開放”の30年の間に曖昧にされていた“社会主義”や“革命”が再び問われることになるかもしれない。“改革開放”というスローガンは、とくに“文革”に対する徹底的な否定を前提にしていたのだから」と予想し、「米国を中心とした帝国的グローバリゼーションが行き詰まりを見せる中、もう一度そういった議論が起こるべきだろう」と書いている。

 さらに天安門事件に関連して丸川氏は、中国政府が持ったのは、「この期間、資本の流れとして、西側諸国からの投資が冷え込んでいく封鎖状況が生まれたことへの危機感である。しかし西側からの封鎖状況は“人権”というコンセプトを楯にして西側が中国を包囲したという感覚」であったと書いている。私はこのくだりを読んで、あらためて新労働契約法施行の意味がはっきりと理解できた。つまり中国政府にはこのときの衝撃がトラウマになって残っており、天安門事件の当事者たちは北京五輪開催に際して、世界各国からの人権問題に関する批判を事前に避けておこうとして、やみくもに新労働契約法の施行に踏み切ったのである。いわばそれは「民主化圧殺コンプレックス」とでも呼べるものである。しかしそれが逆作用となり、多くの外資の撤退を呼び起こすことになろうとは、中国政府は全く想像していなかったであろう。

 中国の一人っ子政策について丸川氏は、「19世紀から20世紀にかけて、人口爆発は西洋社会と日本において、常に対外戦争、植民地侵略戦争の原因となってきたものである。中国脅威論が大きく西側において問題にされている中で、しかし中国の30年前からの対応は、その危機を減らすための断続的な努力にあった、という解釈も可能なはずである」と、新解釈を提起している。その上で、今後の中国社会に一人っ子政策のツケが大きくのしかかってくると予測している。つまり改革開放以前の世代を養うのは改革開放以降の世代であり、一人っ子世代である。ここに大きな世代間格差が生まれてくるし、改革開放以降の世代には十分な老後が約束されていないので、福祉体系の整備がますます重要になってくると説いている。丸川氏はここで年金体制の整備を想定しているのであろうが、私は中国政府に先進資本主義国とはまったく違う年金システムを開発してもらいたいと思っている。日本のような国であっても、年金は崩壊寸前なのである。ましてや中国では、十年を待たずしてそのシステムが行き詰まると思うからである。


2. 「7.5ウィグル虐殺の真実」  イリハムマハムティ著  宝島社新書刊  2010年1月23日発行
   副題 : 「ウルムチで起こったことは、日本でも起こる」

 この本は出し遅れの証文のようなものである。なぜあえて、事件勃発半年後のこの時期に、世界ウィグル会議日本代表である著者がこの本を出版したのか、隅々まで読み尽くしても、その理由はわからない。もし彼があの惨劇を社会に大きく訴えかけようとするのならば、この本を事件直後に出すべきであった。またわざわざ半年後の今日、彼が忘れ去られようとしているあの惨劇を、日本人民に再び思い起こさせようとするのならば、その後の半年間に起きた多くの論争を踏まえて、それを論駁し尽すような本を著すべきであった。

 イリハム氏はこの本のタイトルに、「7.5ウィグル虐殺の真実」と掲げているが、この本の中では真実が語られていない。たとえばイリハム氏は、P.14で「虐げられているのは、ウィグルやチベットのような少数民族だけではありません。支配民族であるはずの漢族でさえ、年間10万件の暴動事件を起こしているといわれています」と、臆面もなく書いている。中国全土で勃発しているといわれている暴動については、私の暴動情報検証を検索すれば、それが実態とはかなりかけ離れた情報であることが、すぐにわかる。このような作業を行わず、出来合いの情報を基にして書いている著者に、真実を語る力があるとは思えない。

 たしかに7.5ウィグル事件は、現在でも不明なことが多い。しかし私の現地調査でも明らかにしてきたように、すでに多くの事実も判明している。イリハム氏はP.16で、「中国では2003年から、数十万にも及ぶウィグル人の男女を強制連行し、全国各地で労働させているのです」と書いているが、それは真実ではない。私が現地調査した結果では、少なくともこの数年間、強制連行の事実はない。私はカシュガルの農村まで足を運んでその実態を調べたが、それは強制的ではなく自主的であった。ただし今回イリハム氏はP.144で「2008年にカシュガルのヤルカンドのある村では、一人の19歳の女性が村の共産党政府から割り当てを受け、山東省の工場に“出稼ぎに”行くように命令されました」と書いている。私の調査した村はヤルカンドではなかったので、近日中にそこに行き調べたいと思っている。ついでに山東省の出稼ぎ先にも調査に行きたいので、ぜひその会社名を私に教えて欲しい。昨年私は、出稼ぎ先の一つとされていた天津市の会社に行ってみたが、ウィグル人の姿はまったくなかった。おそらく山東省にもいないだろう。

 イリハム氏は7月15日にウルムチで起きた事態についても、ウィグル人の起こした蛮行については、一行も言及していない。イリハム氏はP.28で「あの日、共産党政府は市内の二道橋などのウィグル人居住区を計画的に停電させ、武装警察などの部隊に無差別発砲をさせていました」と書いているが、私は信頼できる筋から、まったく別の情報を得ているし、実際に二道橋まで行って現地調査をして、それを確かめている。私はそこでウィグル人中年男性から直接、次のような話を聞いた。「私が二道橋の側の屋外食堂で、7月5日の夕方、友人のウィグル人と食事をしていたところ、突如としてウィグル人による漢族への暴行が始まり、目の前で数十人の漢族が殺された。友人のウィグル人は風貌が漢族に似ており、ウィグル語も話せなかったので、ウィグル人暴発青年からかなり詰問されたが、ハミ族だと言って許された。隣で食事をしていた背の低い漢族が一人、逃げ遅れていたので、私たちは私たちと大きな車の間に隠れさせた。そのうちウィグル人暴発青年たちがその場を離れていったので、私は漢族に500mほど離れた民家に逃げ込むように言った。漢族はすぐにそこに全力で走って行った。ところがあと数10mというところで発見され、ウィグル人暴発青年が投げた石が頭部に当たって倒れた。そこにウィグル人暴発青年が集まり、その漢族を寄ってたかって殴りつけ、虐殺した。このようなことが方々で起こった。私たちは夜8時半から、その場に釘付けになっていたが、翌日の3時になって、やっと家路に着くことができた」。そのとき彼の目からは大粒の涙が流れていた。私はこれも真実の一面だと理解している。

 イリハム氏はこの本の半分以上を使って、「私の“ビジネス”は何を扱っても面白いくらい儲かりました」と自慢話を展開している。私はイリハム氏のこの態度から、この人物の品性があまり高潔ではないと判断する。世界ウィグル会議のラビア・カーディル元議長にも言えることであるが、自らがビジネス界で儲けたことを誇りにしているようでは、真に独立運動を指導することなどできない。しょせんビジネスというものは、汚いものである。したがって自らがその世界に身を投じていたことを恥じ、しっかり反省することがない限り、崇高な民族独立運動を指導する資格はないと考える。

 イリハム氏はP.186で、「もしすでに(日本企業がウィグル自治区で)投資を済ませて現地で工場や企業を稼動させているのであれば、…、ぜひその従業員としてウィグル人を雇用していただきたいと思います」と書いている。しかし現実には、ウィグル族の若者は漢語を十分に使いこなすものが少なく、その上一芸に秀でた優秀な人も多くない。 このような現状で、イリハム氏は企業にあえて損を覚悟でウィグル族の若者を雇えというのか。それは日本に進出している英米の企業に、英語が話せない青年を優先的に雇えと言っているのと同じである。イリハム氏はまず、ウィグル族の若者たちを「漢語や英語を勉強し、一芸をマスターし、漢族を凌駕せよ」と叱咤激励するべきである。  私たち日本人も、「坂の上の雲」の時代、そして焦土と化した戦後、「欧米に追いつけ追い越せ」を合言葉に必死に努力して、今日を迎えているのである。

 なお、イリハム氏はこの本の中で、カシュガル地区のヤルカンドで、昨年5月、漢族の小学校教師がウィグル人の生徒23人に対して性的暴行を加えていて、それが発覚し逮捕されたが、精神に異常をきたしているという理由で、実刑ではなく故郷へ送還されたと書いている。また、8月31日、ウルムチ市のサイバック区にあるウィグル人の小学校で、児童全員にインフルエンザのワクチンの注射が行われ、そのうち5人がその晩に高熱を出して死亡した。このことが注射針事件の伏線になったと主張している。この2件については未確認なので、近日中に検証したいと考えている。


3. 「不思議な経済大国 中国」  室井秀太郎著  日経プレミアシリーズ刊  2010年1月12日発行

 この本は、中国をさらりと概観している。したがって中国の現在の動向を掴むには適しているかもしれない。しかし深みのある分析は少ないので、すでになにがしか中国と関わっている人たちには、物足りないかもしれない。

 室井氏は、08年11月の4兆元の景気対策について、「決定も早かったが、実行されるのも早かった」(P.36)と述べるだけで、それが「なぜ早かったのか」についてはまったく言及していない。このようなところが、私がこの本に深みがないという所以である。

 株の上場についても、多くの情報を駆使して説明をし、その中で「政府は市民に理性的投資」(P.78)を呼びかけていると書いているが、室井氏がもし証券会社の店頭には足を運び、中国の一般市民の株式に関する姿勢を生で掴んでいたのならば、もっとリアルな解説になっていただろう。市民たちは店頭に大勢たむろして、トランプゲームを楽しみながら株のボードを横目で見ている。つまり彼らは、始めからゲーム感覚で株の売買を楽しんでいるのである。このような市民たちに「理性的投資」を求めてもあまり効果はないと思う。

 格差問題についても、「中国経済の新たな柱となった私営企業の経営者のなかから巨額の富を蓄積するものも出現し、都市住民の間での所得格差はかつて考えられないほどに大きくなっていった」(P.121)、「底辺に取り残された人々が機会の不平等に対する不満を募らせていけば、社会の不安定化を招きかねない。世界の経済大国となった中国は、世界でも有数の格差による社会不安の危険性を抱えている国なのである」(P.126)とありきたりの説明をしている。むしろその格差こそが、中国人民をチャイニーズ・ドリームの実現に駆り立てている原動力になっているのであり、それがさらに中国経済を飛躍させ続けているというのが現在の中国の実情なのである。

 農村問題についても、安徽省の「中国農民調査」(陳桂棣・春桃著)を引用して説明しているが、この書は10年前の農民の状況を描いたもので、当時と現在とでは雲泥の差がある。昨今の中国では、農村の周辺に工場や商店などが林立し、農民は就職口に困ってなどいない。むしろ都市に出た出稼ぎ農民工は、物価や住宅などの高騰によって生活が苦しく、農村で自宅から通っている人たちのほうが生活にゆとりがあるという逆転現象すら現れてきている。また農地を貸して収入を得るなどのチャンスも増え、今後は都市住民よりも農民の方が有利となるかもしれない。

 室井氏は、中国が外貨準備高世界一になっても、「人民元が外貨準備の大きさにふさわしい国際通貨となるためのハードルは高い」(P.157)と書いているが、その外貨準備の多さの根拠の分析も薄弱であるし、中国政府が狙っている金本位制についても言及していない。

 「中国にも国有商業銀行のほかに株式制の銀行や地域に密着した銀行などが生まれて、少しずつ競争の“芽”が出つつある。富裕層の出現と拡大によって、新たなサービスの対象となる顧客も広がりつつある」(P.174)と書いている。現在、中国では中小企業向けの小口金融を行う金融機関や、消費者金融を専門とする機関が生まれつつある。室井氏にはその面への言及もして欲しかった。


4.「中国ひとり勝ちと日本ひとり負けはなぜ起きたか」宮崎正弘著 徳間書店刊 2010年1月31日発行

 私はこの長いタイトルを店頭で見たとき、一瞬、宮崎氏が宗旨替えをしたかと思った。なぜなら宮崎氏のこれまでの著作には、「中国が崩壊する」とか「分裂する」といった題名のものが多く、まさか今回、「中国ひとり勝ち」などという文言が表紙に踊り出て来るとは思ってもみなかったからである。それでも本文を開いてみると、そこにはいつもの宮崎節があふれかえり、博学多識ぶりが遺憾なく発揮されていた。

 この本の半分以上は、題名とは離れて、アフガニスタン情勢などの分析に費やされている。かなり詳細に記述されているが、私にはその真偽を判断する力はない。ただ宮崎氏の記述に初歩的なミスがあることから、全体の叙述が完全に正しいとは言い切れないとは思う。

 たとえば、「バングラデシュにおけるマオイストはダッカ大学に公然と出現し、政治的影響力を無視できない」(P.134)と書いているが、これは誤りである。私は今回、わざわざダッカ大学を訪ね、この件を調べてみた。事務局へ話を聞きに行ったところ、事務局員が「ダッカ大学には毛沢東思想を教えている授業もないし、そのような学生サークルもない。中国から留学生が数人来て、ベンガル語を勉強しているので、その担当教授を紹介する」と言われ、ベンガル語科の教授控え室に案内してくれた。

        

     ダッカ大学内の記念碑前で        ダッカ大学の教授控え室にて

 そこでアブル・カシム・ファブル・ハク教授と、アハマド・コビール教授から詳しい話を聞くことができた。彼らは、「ダッカ大学には3万人の学生がいるが、マオイストはいない。授業でもマルクス・レーニン主義は教えているが、毛沢東思想は教えていない。現在、中国人留学生は1人である。10年ほど前は20人ほどいたが少なくなった。私の教え子たちが、卒業後、在バングラ中国大使館などに派遣されてくることが多いので、そのようなところから、噂が出たのではないか。バングラデシュ国政にも、マオイストの影響力は小さく、議席はゼロである」と説明してくれた。私はこれだけ聞いて控え室を出たが、彼らがウソをついているとは思えなかった。さりとて宮崎氏ほどの人物が根も葉もないウソを言うとも思えない。宮崎氏はいったいどのような根拠で、「ダッカ大学にマオイストがいる」と言われるのか、ぜひ教えて欲しい。次にダッカに来るときには、それについて具体的に調べたいと思うからである。

 また「アフガニスタンは中国と回廊が繋がっている」(P.123)という記述があるが、これも誤りである。たしかに地図上ではそのようになっているが、実際にはここは回廊ではなく高い山であり、タリバンが中国側へ潜入することは不可能である。私は咋秋、この地点の中国側を歩き確認してきたので、間違いはない。

 さらに「天然ガスの宝庫=トルクメニスタンからはるばるとウズベキスタン、カザフスタンを抜けること1833km。トルクメニスタンのガスを中国の新疆ウィグル自治区へ運ぶ遠大なパイプラインが09年12月に完成した」(P.11)と書いているが、現実は使用開始にはまだ程遠いのではないか。4月に他の調査のためウズベキスタンへ行く予定があるので、この点についても詳しく調査をしてみる。

 宮崎氏はこの本の最後の部分で、中国に関する分析を行っている。そこでも博学多識ぶりが発揮されているが、その中には間違った叙述や古い認識もかなりある。たとえば、「2010年1月に“武広高速鉄道”が開通した。…(略)この武広高速鉄道の車両、実は日本製である。しかも日本側は引き渡すときに時速を275km以内は保証するとしたが、中国はその約束をすぐに反故にして、350kmで無茶苦茶な走行をしている」(P.195)と書いているが、事実はそうではない。私が調べたところによると、武広高速鉄道に使用されている車両はCRH−3型であり、その技術はドイツのシーメンス社のものである。車両設計時速は350kmであるが、実際の運行の平均時速は341kmと報道されている。武広鉄道の建設についても、最初の9276kmは中鉄八局とドイツのHPH社が共同で行い、その後の1060kmは中鉄八局が単独で行ったという。私は近日中にこの列車に乗って、真偽のほどをこの目で確かめてみるつもりである。

 宮崎氏はこの本で、「中国がひとり勝ち」状態になったのは、アメリカ経済が疲弊したことが最大の原因であり、それをアフガニスタンを始めとする外交に対するオバマ大統領の優柔不断が弱さを増幅しているという。中国が漁夫の利を得ているというのである。また日本が「ひとり負け」状態に陥ったのは、鳩山民主党政権の愚策のせいであるという。そして宮崎氏は、中国の「ひとり勝ち」の結果の軍事大国化に抗するため、日本も核武装しなければならないが、今から開発していては間に合わないので、「日本は核弾道頭をパキスタンから買うという選択肢を考慮しなければなるまい。あるいはインドから買うのもアイディアだろう」(P.62)と主張している。これは極論に過ぎるのではないか。




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