小島正憲の凝視中国

清の東陵 : 乾隆帝の側に眠る香妃  


清の東陵 : 乾隆帝の側に眠る香妃  
05,OCT.10
 北京から東へ、車で2時間ほど走った河北省遵化県に、清朝歴代皇帝のうち、順治帝、康煕帝、乾隆帝、咸豊帝、同治帝の5代の陵墓がある。ここは清の東陵と呼ばれている。ちなみに清の太祖ヌルハチや太宗ホンタイジの墓所は瀋陽にある。また雍正帝、嘉慶帝、同光帝、光緒帝の4代の陵墓は、河北省易県にあり、それは清の西陵と呼ばれている。雍正帝は康煕帝の側に眠るのを怖れて東陵に入らず、西陵を造営しそこに埋葬されたが、乾隆帝は迷ったあげく、偉大な祖父の側に眠ることを選んだという。

        
               清の東陵の案内板                                           乾隆帝と並ぶ香妃

 清の東陵には皇帝たちの陵墓のほか、各皇后陵や側室のための妃園寝がある。もちろんあの名高い西太后の陵墓もある。残念ながら、1928年7月に、国民党の軍閥孫殿英の軍隊よって略奪・破壊されるなど、陵墓はその後何度も盗掘され、貴重な歴史的な遺産が失われてしまった。1980年代に入って、中国政府が復元につとめ、2004年には世界遺産に登録されるほどになった。

 地元の人に聞いてみると、清の東陵はかなり広く、車で回っても丸1日はかかるという。今回の私の目的は、乾隆帝の横に眠る香妃の墓所を確認することだったので、まず案内板を見て、乾隆帝の墓所を探した。するとそこには、はっきりと香妃の墓所が書いてあった。すぐに私はそこに飛んでいった。

 乾隆帝は事実上63年と4か月間の長きにわたって、実権を握り、清の絶頂期を築き上げた。乾隆帝の陵墓は裕陵と呼ばれ、広さは順治帝に及ばぬものの、建物の壮美さと技術の精緻さは、清代陵墓の首位である。とりわけ地下宮内の石像仏や経文の彫刻はすばらしいものである。

         
                                 香妃の陵墓                                                  香妃の地下宮内

 この乾隆帝には41人の妃があり、裕陵に5人の妃、その隣の裕妃園寝に36人の妃が埋葬された。裕陵の中に埋葬されるには、@乾隆帝より先に亡くなった妃、A皇貴妃以上の位などの条件があったという。香妃は妃の位であり、この条件を満たさなかったようである。ちなみに裕妃園寝に葬られた妃たちは、皇后1人・皇貴妃2人・貴妃5人・妃6人・嬪6人、貴人12人、常在4人の合計36人であったという。

 香妃は容妃と呼ばれ、乾隆帝の寵愛を受けていたようである。裕妃園寝でもその他大勢の妃のグループの中ではなく、門を入ってすぐ左側の一番前に、香妃の陵墓があり、それが証明されている。裕妃園寝内には、陵墓がたくさんあり、それらは手前の大きなものから、奥の方へ、順次小さく簡素なものになっていく。私はそれらを歩きながら数えてみた。30か所まではだいたい数えられたが、あとはよくわからなかった。

 残念ながら、香妃の陵墓も盗掘され、めぼしいものはほとんどなくなっていたという。それでも学者たちは、残っていた布の端くれや小さな玉などから、ここに埋葬されていたのが香妃だったと断定した。文献上からも、乾隆帝が香妃の好物のライチーを、毎年南方から運ばせたことが明らかにされている。そこには日時や個数までも明記されている。また乾隆帝は香妃を伴って巡幸することが多く、その際、香妃のためにウイグル族の風習に近い回族のコックを帯同したり、回族用の衣服を用意するなどの配慮をしたという。

 たしかに香妃は、乾隆帝の側に眠っていた。その真偽については、いまだに学術論争が続いているようだが、私の香妃の追っかけは、ひとまずこれで落着とする。