小島正憲の凝視中国

読後雑感:2012年第6回&中国関連本リスト:2012年第1報 


読後雑感 : 2012年 第6回 
28.FEB.12

.「いま中国人は何を考えているのか」
2.「“中国の正体”を暴く」
3.「中国人民解放軍総覧」
4.「四字熟語の中国史」
5.「中国と中国人は、この五文字で理解できる」

1.「いま中国人は何を考えているのか」  加藤嘉一著  日経プレミアシリーズ  2月15日
  帯の言葉 : 「なぜか中国のスタバには、ショートサイズがない。 実利より見栄を重視する。日本は軍事国家だと本気で思っている…。 気鋭の中国ウォッチャーが実体験をもとに、知られざる“彼らの思考”を詳しく紹介」

 今回も、まさに日中両国で売り出し中の加藤嘉一氏を取り上げる。おそらくこの稿が読者各位の目に届くころには、加藤氏には日中のメディアが、河村たかし名古屋市長の軽率な発言に対するコメントを求めて殺到しているだろう。そして加藤氏はそれに対して、そつなく、ぶれなく、的外れのない大人の対応をするであろう。私は若き加藤氏が、老獪な中国ウォッチャーや中国関係研究者を、はるかに凌ぐ中国に関する洞察力を持っていることを認める。この本でも、その力を遺憾無く発揮している。ただし加藤氏はまだ若い。私も加藤氏を手放しで褒めちぎっているだけでは、彼の成長のために、良くないと思う。また彼に将来の日本を背負って行ってもらうために、あえて今回は、苦言を呈することにする。

 この本では、従来見られた若き加藤氏の新鮮な観察眼が曇り始めており、通俗的中国ウォッチャーと同様の論考が多くなっている。たとえば、まえがきの「中国の若者はハングリー精神を持っている。成長に飢えている」、「市民革命の萌芽は確実に育ちつつある」などという主張は、すでに多くの人に言い古されてきた文言であり、その視点で中国を分析することには限界があり、だからこそ加藤氏のような若者に新鮮な切り口が求められているのである。このまま加藤氏が老成すると、いつの間にか、世間から忘れ去られることになるだろう。若い加藤氏には、大胆な切り口で、中国を解剖してもらいたいものである。たとえもしそれが間違っていても、内省して出直せばよい。若き加藤氏には十分な時間が残されている。すでに老境の私でさえ、いつも内省をくりかえし、訂正、出直しを続けているのだから。

 第1章ではまず、上海万博や北京スタバ、サッカーの話題が取り上げられているが、いずれも内容が希薄で、コラムならともかく、本の巻頭に持ってくる文章ではない。ただしあの尖閣諸島問題勃発直後の重慶大学での講演時の雰囲気については、体験した加藤氏しにしか書けないことでもあり、説得力がある。

 第2章ではネットを中心にした話題を取り上げ、「かつてないほど外国と交わり、関わり合いが深まっている中国社会。国内は荒れている。インターネットという武器を手に入れた中国人は、すでに一方的に統治される愚民としての人民では決してない。“物言う市民”になってきたのだ。中国は民主主義的意義における選挙権を持たない。しかしそれは、中国に有権者がいないことを意味しない」と書き、続いて劉暁波氏のノーベル賞の受賞について、「劉氏の受賞をもって、中国の民主化プロセスが加速すると判断できる根拠はどこにもない。西側諸国が“国際社会の勝利”などと浮かれている余裕はもっとない。短期的には、中国はより一層、世論統制を強化し、対内的には独裁的に、対外的には強硬的に振る舞わざるを得ないであろう。我々は、得体の知れない巨人をどう認識し、付き合って行くのだろうか」と発言している。私が若き加藤氏に不満を抱くのは、この態度である。若いのだから、もう一歩踏み込んで、「中国は民主化の道を取れ」と発言するか、「民主主義は究極の姿ではないから、中国はここに向かって進むべきだ」と主張してもらいのである。もっともこのように発言した場合、加藤氏の中国メディアでの出番は封じられるかもしれないが。

 第3章では、日本の頻繁に変わる首相を刺身のつまにしながら、「今の日本には、“中国崩壊論”や“中国異質論”などをただ感情的に放り出し、そこに溺れている余裕は、少なくともない。今中国で何が起きているのか、どういう地盤沈下が起きているのかを冷静に見て行く必要があるのだ」と書いている。

 それを受けて第4章では、やっと現実の中国の地盤沈下の様子が書かれているが、いずれも表面的な報告に終わっている。まず加藤氏は「6年間にわたる中国の見聞の総括」として3つの視点を上げている。まず第1に、中国は外資導入で「高い成長率を実現してきた。これからの30年は、“出て行く(走出去)”の政策が肝心になる」と書いている。これは間違いではないが、「走出去」政策についての政府の真の意図については言及しておらず、したがってこの政策の悪しき方向性を見切れていない。第2に、中国人民を束ねる思想の欠如を上げ、「今を生きる中国人は儒家思想すらもカネ稼ぎの種に使ってしまっている」と嘆いている。しからば加藤氏は中国人民を如何なる思想でもって善導するのか、それを提起してもらいたいものである。第3に、社会主義と資本主義の優劣について、「イデオロギーとしての優劣は冷戦の終結をもって半ば証明されている」と書き、「異なる体制やイズムを批判しあう時代は過ぎ去ったのではないだろうか。それよりも、多国の体制・理念から吸収できる要素があれば、素直に認め、謙虚に学ぶ。そんなしたたかさが、各国に求められているのではないか」と主張している。私は、体制やイズムの優劣については、まだ決着していないと考えている。加藤氏の社会主義に関する認識は浅薄であり、この程度の学識で優劣を云々することは軽率である。同時に資本主義の未来も暗澹たるものであり、加藤氏がその処方箋を明示しない限り、優劣を証明することはできない。

 第5章には、加藤氏が実際に歩いてみたラサ、海南島、東莞、鄭州などの地点の見聞録のようなものが書かれている。いずれの分析も通俗的なチャイナウォッチャーよりは若干鋭いが、本質に迫っているとはとても言えない。

 私は最近、ある友人から、加藤氏が北京で勉学に励んでいた時期の横顔について、いろいろな情報を得ることができた。それは今までに伝えられてきた加藤氏のさわやかなイメージとは、若干違うものだった。そのような情報を入手したので、今回のコメントはあえて少し辛口としてみた。

2.「“中国の正体”を暴く」  古森義久著  小学館101新書  2月6日
  副題 : 「アメリカが威信をかける“赤い脅威研究”の現場から」
  帯の言葉 : 「今、アメリカが最も恐れる国 増大するその脅威はかつてのソ連を凌ぐ!」

 古森義久氏はこの本で、米国の軍事専門家の言葉に古森氏自身の分析を加えて、中国の軍事力の解説を行っている。まず古森氏は、中国政府の軍拡の動機を、「中国が台湾という“国家の核心的な利害”とみなす課題をめぐってでさえ米海軍の空母に圧倒されれば、すごすごと引き下がるという屈辱的な事態を2度と起こさないために、アメリカに対抗できるだけの軍事力を構築する決意を固めた」と、説明している。また「共産党は軍の(天安門事件)での人民殺戮の労苦に報い、かつ軍の忠誠を保つために、軍の意向に応じる形で軍事力増強を許したというのだ」とも、記している。

 古森氏は、「中国は経済的にグローバルな拡張を続けています。とくにエネルギーや自然資源を確保するための拡張が目覚ましい。最近、リビアで働いていた数万単位の中国人の撤退を人民解放軍が請け負ったこともその一例です。アフガニスタンでもすでに道路建設などに従事していた中国人100人以上が死にました。アフリカ各国への中国の経済進出も、ものすごいです。となると、そうした各地での中国人の保護を目的として中国陸軍が出動する。資源の確保のために中国陸軍が出てくる。そういう可能性が現実となりそうです。パワー・プロジェクション(遠隔地への兵力投入)の能力保持により、陸軍の出動目的がずっと幅広くなるのです。つまり有事のシナリオの拡大です」と書いている。

 古森氏は、中国人民解放軍の現役兵力は約230万、そのうち陸軍は130万と、記している。本書には武装警察についての分析はない。空軍のステルス戦闘機について、「私の調査では少なくとも4種類の試作機があります。そのうち3種はすでに飛行しています。中国空軍自体はこのJ20部隊を2017年までには実戦配備できると考えているようです」と書いている。また海軍のロシアから購入した空母ワリヤ−グの実戦配備計画について、「中国の空母、恐れるに足りず」として、「中国海軍にはまだ空母を支える輸送船が5隻しかありません。給油艦も未発達です。護衛の戦闘艦も少なく、有事には敵の攻撃に対しきわめて脆弱な面があります」と書いている。

 古森氏は、「今、中国軍が力を注いでいる一つは、兵員の質の向上です。とくに部隊の中核となる下士官の質の向上が強く求められています」と書いている。しかしながら、兵士のほとんどが一人っ子世代のわがまま小皇帝であり、同時にそれらの中国人若者をまとめる強力な思想が、現代中国社会からは消滅してしまった現在、彼らの質を向上させるのは至難の業であろうと、私は考える。

 古森氏は、「中国の覇権志向ですが、2012年から最高指導者となる現在の習近平国家副主席や李克強副首相らはまだ慎重だと思います。彼らは文化大革命中に成人となり、イデオロギーの危険性や貧困の重みを知っています。専制であり、独裁ですが、慎重さを持っている。ところが次の世代、つまり2022年に共産党のトップとなる世代の指導者たちは文革の間に生まれ、当時の最高実力者、ケ小平による改革の時代に成人となりました。イデオロギーは後退し、経済は高度成長を続け、中国は常に国連安保理の常任理事国でした。中国政権の内外での政治パワーの威力を当然だとみなす世代なのです。こういう世代の指導者たちは、“中国は世界第2の経済大国であり、宇宙にも進出する軍事大国なのだから、アジアで覇権を求めても当然だ”という思考を抱くに至る。この思考は危険です」と書いている。

 以上のような分析を、古森氏は、「中国が世界第2の経済大国」であり、今後も高成長を続けるという前提で行っている。軍事大国化・覇権国家化するためには、国家財政にかなりの負担がかかる。中国の軍事力の分析には、今後の中国の財政力の分析が必要不可欠である。右肩下がりが予測される中国経済を前にして、この分析が全く欠落している古森氏の本稿は空論の類であると、私は考える。

3.「中国人民解放軍総覧」  笹川英夫著  双葉社  2月14日
  副題 : 「世界第2位の軍事大国の正体! 秘密のベールに包まれた陸海空軍&特殊部隊を完全解説」
  帯の言葉 : 「日本危うし!!!  空母就役で始まる中華帝国の暴走に備えよ!!」

 笹川英夫氏は、この本で最新の中国人民解放軍の全貌を描いている。上述の古森氏の書と読み比べると面白い。
 笹川氏は、中国が「“真珠の首飾り”と呼び、インド洋各地の海洋拠点(ミャンマーのココ諸島、シットウェー、バングラデシュのチッタゴン、スリランカのハンバトタ、パキスタンのグワダルなど)を真珠に見立て、それを数珠繋ぎに結ぶ1本のラインを中国本土からアフリカの沿岸まで延ばそうとする壮大な構想を持っている」と書いているが、その構想からは早くもミャンマーが離脱の動きを見せている。

 笹川氏は、中国人民解放軍は、総兵力200万人以上、年間軍事予算は公表分だけで約5千億元(およそ7兆円)と、記している。武装警察については、強力な武装を施した対テロ部隊であり、その正体は軍の影の部隊であると書いているが、その規模については記していない。空軍のステルス戦闘機について、「中国のステルス戦闘機開発については2009年に軍高官が発言を行っていたが、技術的に不可能と思われ注目はされなかった。しかし現在、その言葉の示すとおりステルス機が開発され、飛行にも成功しているようである」と書いている。海軍の空母ワリヤ−グについて、艦載機は現在開発中であるとしながら、「たびたび試験飛行をする姿も目撃されており、正式に我々の目の前に姿をあらわす日も遠くないであろう。現状では海上自衛隊に有利と言われる日中の海上戦力バランスだが、最新鋭の戦闘機部隊を搭載した空母が登場すれば、そのバランスが逆転することは間違いない」と書いている。

 笹川氏は、「中国軍は一歩兵にいたるまで“量”から“質”への転換を達成しようとしている」と書いている。しかしながら、兵士のほとんどが一人っ子世代のわがまま小皇帝であり、同時にそれらの中国人若者をまとめる強力な思想が、現代中国社会からは消滅してしまった現在、彼らの質を向上させるのは至難の業であろう(強調するため、あえて上出の文章を繰り返して使用した)と、私は考える。

4.「四字熟語の中国史」  冨谷至著  岩波新書  3月21日
  帯の言葉 : 「<四つの漢字>という<窓>から見てみると… 時を超え、海を越え、こうして言葉は伝わってゆく」

 冨谷至氏のこの本を、私は自分の知的好奇心を満足させ、同時に楽しんで読むことができた。
 冨谷氏はこの本の冒頭で、「四字熟語はこのような背景からでてきて、このような異なった解釈があり、またこのように意味が変わってくるのかということを知ることで、知的満足を覚え、知的生活の楽しさを再確認していただければ、この本を出版した意味があろう」と書き、続けて論語から「知識を得ること、それだけで満足するのではなく、そのことが好きにならねばならない、好きになるだけでなく、それを楽しまねばならない」という文章を引用している。またあとがきでは、「研究は競争であることから、走り出した以上は、トップを目指して全速力で走らねばならない。そこから成果を出すための資料蒐集は、調べ物を楽しむといった悠長なことではなく、どうしたら他の研究者よりもすぐれた成果を出せるか、どうすれば世界に冠たる研究ができるのかを常に気にして、ストレスから解放されることはない。それが、我々の日常茶飯の状態なのである。しかし今回はそうではなかった。この年齢になって、恥ずかしいことであるが、ものを調べるのは楽しいことだと改めて思い知らされた」と、述懐している。すでに著名な学者である冨谷氏のこの真摯な態度に、私は頭が下がる思いである。

 「臥薪嘗胆」という四字熟語には、私は特別の思いがある。私が小学生の時、父親から児島高徳と後醍醐天皇の別れの時の「天勾践を空しうするなかれ、時に范蠡無きにしもあらず」という名文句と「臥薪嘗胆」という四字熟語を教えられ、意味はよくわからなかったが、一生懸命暗証したものだった。冨谷氏は本文中で、「“臥薪嘗胆”は民衆が作り上げた巷談であり、それを司馬遷が取り上げたと言ってよいかもしれない」と書いている。

 「四面楚歌」という四字熟語にも、思い出がある。父親が亡くなったとき、ちょうど私は司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読んでいた。私は項羽の「四面楚歌」の心境になり、「力は山を抜き 気は世を蓋う 時に利あらずして、騅逝かず 騅逝かざれば奈何とすべき 虞や虞や若を奈何せん」と、口ずさんだものだった。冨谷氏は本文中で、「“天の我を亡ぼさんとし、戦いの罪に非ず”との言葉を残して散っていった項羽、彼の心には、天に対しての己の挫折と敗北、そこからくる慷慨、悲嘆があった。一方の劉邦、彼も人間の力ではどうすることもできない流れ−それが運命、天命であるのだが−それを認めていた。しかし項羽とは違い彼の心にあったのは、天に対する畏怖とそこから来る覚悟、達観であろう」と書いている。

 冨谷氏は、「孔子を始祖として3千年ちかい中国の歴史に計り知れない影響を与えた儒教、儒教とは何かをここで論ずるには、無謀の誹りをうけるであろう。しかし、象を撫でる群盲を自認して言えば、人間の善意に対する楽天的信頼と、古の秩序ある世の中(聖人君子の世、三王五帝、堯・舜・禹の理想的な時代)を模範にして、そのような世界を実現するという尚古思想がその根底にあると言ってもよい」と書いている。現代中国に孔子を復活させようとする試みは、果たしてこの延長線上にあるのだろうか。

5.「中国と中国人は、この五文字で理解できる」  黄文雄著  ワック  1月27日
  副題 : 「詐(いつわる) 盗(ぬすむ) 争(あらそう) 私(オレが) 汚(けがす)  心を許せない隣人」
  帯の言葉 : 「ますます厄介な国、中国と中国人と付き合うために!」

 反中・嫌中の論客の黄文雄氏は、この本で、中国人の性質を濃縮、凝縮して、「詐・盗・争・私・汚」の5文字で言い表すという。上述の冨谷氏と比べれば、この黄氏の文言は、傲岸不遜としか思えないが、ひとまず読んでみることとした。

 黄氏は第1章で「詐」について取り上げ、「日本の商家は“誠実第一”という看板を掲げ、それをモットーにしないと商売にならないのに対して、中国は逆に“無奸不成商”といって、奸計や狡知がないと商売にならないというのが鉄則である」と書き、あたかも日本の商売は誠実一本槍で、中国の商売は不誠実そのものであるかのように書いているが、この表現にこそ「詐」がある。確かに日本の商店では、「誠実」を看板にしているところが多いが、その裏では奸計や狡知をめぐらせ、いかに儲けるかを必死で考えている。逆に中国でも、「不誠実」を看板に掲げて商売をしている店はまったくない。商店は、中国でもやはり「誠実」を看板にしているのである。黄氏がどうしても上述の主張を行いたいのなら、中国で「不誠実」を看板にして大成功している店をたくさん紹介すべきである。日本よりも中国の方が、商売の仕方において奸計や狡知に長けているという程度の問題なのである。

 第2章で黄氏は、「10数億総泥棒」と中国人を罵倒しているが、これはあまりにも乱暴な表現である。いずれにせよこの本の黄氏の記述は乱雑であり、肝心な部分で誤植がある。たとえば、「日本の漢学者や東洋学者は、いままで“儒教”と“道徳”の本質について、よく“儒教”は北方的文化、“道教”は南方的文化であるとか、“儒教”は官僚的文化、“道教”は庶民的文化であると教えてきた。これは基本的には間違いでない」(P.71)と書いているが、最初の“道徳”という文字は“道教”の誤植である。そうでなければこの文章は意味不明となる。このように肝心な部分での誤植を、校正時に見逃すような乱雑な黄氏の記述を、信頼することはできない。

 第3章で黄氏は、「100人以上の抗争は年々激増しており、近年ではほぼ10万件以上、人数は一千万人をはるかに超えている」(P.113)と書いているが、抗争の意味を明らかにしておらず、その数字的根拠をまったく示していない。また「では中国にははたして、日米欧のような真の企業家が存在するのだろうか。答えは否で、改革開放後の中国には真の企業家は一人もいない」(P.143)と書いているが、ここでも黄氏は、「真の企業家」の定義を示さず、暴論を展開している。たしかに改革開放後の中国の企業家の大成功は、政府や外資の支援に依るところが大きい。しかし同時に企業家が個人として懸命に努力し、勉強してきたことも事実である。彼らと手を携えて企業活動を続けてきた私が、その生き証人である。黄氏の文言は彼らに対する冒涜である。

 第5章で黄氏は、儒教には清浄という徳目が欠如しており、それが中国を不衛生で不潔な国にしている思想的根拠であると書いている。また「中華文明は黄河の濁流から生まれた。そこから穢れを忌避しない儒教のドグマができあがった。そして、中国人は文明が誕生したときからいまにいたるまで、変わることなく清浄の思想を持つことはなかった」と、記している。これも乱暴な推測ではあるが、この視点から儒教を見るのもおもしろいかもしれない。


中国関連本リスト : 2012年 第1報 
24.FEB.12
《 2011年分 》

236.「“中国残留婦人”を知っていますか」  東志津著  岩波ジュニア新書  8月19日

237.「中華民国の憲政と独裁 1912―1949」  久保亨・嵯峨隆編著  慶應義塾大学出版会  9月15日

238.「魯迅 海外の中国人研究者が語った人間像」  小山三郎・鮑耀明監修  明石書店  10月7日

239.「中国都市商業銀行の成立と経営」  門闖著  日本経済評論社  10月27日

240.「中国でお尻を手術。遊牧夫婦、アジアを行く」  近藤雄生著  ミシマ社  11月3日

241.「中国海軍と近代日中関係」  馮青著  錦正社  11月9日

242.「ダライ・ラマの“般若心経”」  ダライ・ラマ14世  三和書籍  11月10日

243.「日本対中ODA外交」  徐顕芬著  勁草書房  11月25日

244.「中国民主化・民族運動の現在」  柴田哲雄著  集広舎  12月10日

245.「龍のかぎ爪 康生 上・下」  ジョン・バイロン、ロバート・パック共著  岩波書店  12月16日

246.「西北中国はいま」  石原潤編  ナカニシヤ出版  12月19日

247.「中国の食糧・農業」  逸見謙三著  筑波書房  12月19日

248.「客家大富豪の教え」  甘粕正著  PHP研究所  12月19日

249.「日本に引き揚げた人々」  高杉志賜  図書出版のぶ工房  12月24日

250.「“大国中国”の崩壊」  松村史紀著  勁草書房  12月25日

251.「2012年、中国の真実」  宮崎正弘著  ワック  12月26日

252.「神の子 洪秀全」  ジョナサン・D・スペンス著  慶應義塾大学出版会  12月26日


《 2012年分 》

1.「二つの国の狭間に生きる」  長谷川暁子著  同時代社  1月10日

2.「中国は世界恐慌を乗り越える」  副島隆彦著  ビジネス社  1月11日

3.「中国人がタブーにする中国経済の真実」  福島香織・石平著  PHP研究所  1月12日

4.「中国の金融システム」  張秋華著  日本経済新聞出版社  1月12日

5.「“中国模式”の衝撃」  近藤大介著  平凡社  1月13日

6.「マルクスを巡る知と行為」  寺出道雄著  日本経済評論社  1月13日

7.「今、知っておきたい 真の中国」  人民中国スタッフ作  朝日新聞出版  1月16日

8.「中国の環境法政策とガバナンス」  北川秀樹編著  晃洋書房  1月20日

9.「川島芳子 知られざるさすらいの愛」  相馬勝著  講談社  1月20日

10.「革命いまだ成らず 上・下」  譚?美著  新潮社  1月20日

11.「日中危機はなぜ起こるのか」  リチャード・C・ブッシュ著  森山尚美・西恭之訳  柏書房  1月25日

12.「現代中国の言論空間と政治文化」  及川淳子著  お茶の水書房  1月25日

13.「中国と中国人は、この五文字で理解できる」  黄文雄著  ワック  1月27日

14.「最終目標は天皇の処刑」  ペマ・ギャルポ著  飛鳥新社  1月27日

15.「近現代中国における民族意識の人類学」  瀬川昌久編  昭和堂  1月30日

16.「はじめてのノモンハン事件」  森山康平著  PHP新書  1月30日

17.「中国ビジネス 技術・ブランドの活かし方」  谷口由記他著  財団法人経済産業調査会  1月31日

18.「“中国の正体”を暴く」  古森義久著  小学館101新書  2月6日

19.「これからの新しい中国ビジネス」  梶田幸雄・温琳共著  エヌ・エヌ・エー  2月10日

20.「北東アジアの直面する課題と国際協力」  環日本海経済研究所編著  日本評論社  2月10日

21.「中国人民解放軍総覧」  笹川英夫著  双葉社  2月14日

22.「チベット人哲学者の思索と弁証法」  プンツォク・ワンギェル著  チュイデンブン訳  明石書店  2月15日

23.「図でわかる中国経済―2012年改訂版」  馬成三著  蒼蒼社  2月20日

24.「中国“人権”考 −歴史と当代−」  土屋英雄著  日本評論社  2月20日

25.「党国体制の現在」  加茂具樹・小嶋華津子・星野昌裕・武内宏樹共著 慶應義塾大学出版社 2月25日