小島正憲の凝視中国

9/04:ウルムチ暴動緊急短信/中国人経営者はビセキを知っているか?


9/04:ウルムチ暴動緊急短信 
04.SEP.09
各種の報道機関が、ウルムチの市中心部で9/03午前中、漢族住民ら数万人が治安維持を求めて政府に抗議デモを行ったと報道。 (日経新聞、朝日新聞などは、1000人以上と報じている。ネット上では数万人と報道。)

・日経新聞は、「ウルムチ市内では最近、注射針を使った傷害事件が相次ぎ発生。これまでに地元公安局が容疑者15人の身柄を拘束したが、事件をきっかけに市民が不安を強め、政府への反発に発展したという。デモ参加者の多くは漢族と見られる」と報じている。9/04のNHKテレビの正午のニュースでも、9/03のウルムチ市の漢族による抗議デモの状況を放映し、注射針による傷害事件が起きていることを報道。

・私は8月末に、ウルムチ在住の漢族商人と上海で会い、その後のウルムチ市内の情勢について、情報を聞いていた。

そのとき彼は、「ウルムチ市内では、先週からエイズ患者が自らを刺しその注射針で人を刺す事件が頻発しており、市民は恐怖を感じている。きっとウィグル族の報復だ」と話していた。それを聞いていたときはそれがこのような事件に発展するとは思わなかったが、1年ほど前の大西広京大教授の「新疆ウィグル自治区のデモ…」に関する論考の中に、「なぜか南疆地方にエイズ患者が多い」という記述があったことを思い出した。

※「新疆ウィグル自治区のデモ/テロ現場を調査して」 大西広著 京大上海センターニュースレター第236号

・今の段階で、ウルムチで頻発している注射針事件が、ウィグル族の報復であるとは断定できない。しかしながら漢族の間でそのようなうわさが飛び交い、政府に対する治安維持を求めた大規模なデモが発生したようである。現在までのところ、公式にはウィグル族への漢族の大規模な報復活動は起きていないようである。

・もしこの注射針事件がウィグル族の報復活動であったとするならば、これは新手のテロ活動である。おそらく爆弾テロよりも始末が悪いと考える。漢族の不逞の輩の行為であったとしても同様である。

・今、国際社会はこの注射針行為を、断固としてやめさせるべきである。行為の主体が漢族かウィグル族かを詮索する前に、国際社会が大きな声を出すべきである。新疆ウィグル自治区をテロ行為の応酬という泥沼に陥らせないために、さらにこの行為を世界に蔓延させないために、国際世論がそれを封じ込めなければならない。

・私は「世界ウィグル会議」のラビア・カーディル議長が、「ウルムチのウィグル族がまったく注射針事件に関係ない場合でも、ウィグル族にこのような暴挙を絶対に行わせないように、そしてウィグル族が漢族の挑発に乗らないように声明を発する」ことを強くのぞむ。

・中国当局は、注射針事件の容疑者を拘束したようだが、すみやかに事実をマスコミに公開して、無責任なうわさによる

事態の拡大を防ぎ、ウルムチ市内の漢族の心情を落ち着かせるべきである。




中国人経営者はビセキを知っているか?
02.SEP.09
 PHP新書から「微分・積分を知らずに経営を語るな」(内山力著)という本が、発行された。

 私は高校時代の数学の時間に、どうしても「微分・積分」が理解できず教室で先生によく叱られた。赤っ恥をかいて、とうとう落ちこぼれ生徒になってしまったほろ苦い経験を持っている。したがって店頭でこの本に出会ったとき、一瞬、顔が真っ赤になり、胸がどきどきした。「ビセキもわからないようなお前は、おちこぼれ経営者だ」と経営者失格を宣告されたような気がしたからである。


 その本のブックカバーには、「在庫管理、価格決定、マーケティングなど、私たちはあらゆるビジネスシーンで“昨日の結果から明日を読む”ことが求められる。カンや経験で予想を行ってきた多くの企業を尻目に、セブン・イレブン・ジャパン、トヨタ、花王は微分・積分を活用することで大成功をおさめた。“ビセキ”こそは、世界中の天才たちの努力によって生み出された、最も確実に明日を読む方法なのだ。しかもその概念は極めて単純、誰にでも理解できる。数字に強い“できる人”、堅実な経営者となるためには、本書の内容を理解しておきたい」と書いてあった。


 私はこの中の、「極めて単純、誰にでも理解できる」という宣伝文句につられて、その本を購入した。確かに本文はわかりやすく、40年ぶりにビセキコンプレックスから解放されたような気になり、「高校時代の数学の先生がこのようにビセキを教えてくれれば、私の人生がもっと変わったものになっていただろうに」と、複雑な思いがこみ上げた。


 現下の不況は、日本の誇る大企業の経営を直撃している。トヨタを例にとれば2兆円の黒字から、8千億円の赤字予測に転落した。大企業は慌てふためいて派遣切りに走り、世間の顰蹙を買っている。大企業の経営者はほとんど有名大学の出身であり、私のようなマンモス私立大学出ではない。彼らの高校時代はきわめて優秀であり、ビセキなど軽くマスターしていたにちがいない。それでも彼らの中で、この不況を事前に予測し、数字を落とさず企業経営を守った優秀な経営者はほとんどいなかった。

 つまりこの間の経済の激変は、ビセキが無力であることを証明したようなものである。


 私はビセキを理解していなかったが、経済の暗転局面をいちはやく予測することができた。
 米国でサブプライムショックが起きたときに、ただならぬ気配を感じたのである。
 したがってまずはじめに社長である私が会社のすべての役職を辞し、次に後継社長が会社の構造を大改革した。

 その結果、金融危機が襲ってきたときには、すでに私の会社はリストラが完成し、磐石で揺らぐことはなかった。

 なぜ、ビセキが理解できなかった中小企業のオヤジにできたことが、ビセキに精通した大企業の優秀な経営者にできなかったのであろうか。ビジネスの成否は、突然の運・不運で決まることが多い。それを科学的に解析することは不可能に近い。つまり過去の延長線上で未来を予測しようとするビセキの科学的手法は、激変する経営環境の前では無力なのである。


 予測不可能で突然の激変を前にした場合には、思考方法などは役に立たない。

 なによりも「やる気」が大事である。「たとえどのような事態になろうとも、臨機応変、切り抜けてやる」という精神力こそが必要不可欠なのである。

 このように書くと、いつもそれは科学的でないと批判を受ける。しかしながら自らの経営者人生を振り返ったとき、ここまで生き延びてくることができたのは運がよかったとしか言いようがないし、危機に際したとき開き直って努力をしたからだとしか説明のしようがないからである。理論よりも、「やる気」が、事態を打開してきたからである。


 現在、中国が世界経済を引っ張っている。その中国の第1線経営者たちには大卒が少ない。改革解放後のドサクサにまぎれて台頭してきた経営者が多いからである。彼らの若者時代は文革終了直後で、教育は荒廃していた。それでもチャンスに恵まれ金儲けに成功した彼らは、さらにビジネスを拡大しようとした。残念ながら無学の彼らはそこで壁にぶち当たり、あらためて勉強しはじめた。今では少し下火になったが、数年前までそのような壮年経営者を対象としたMBAコースが花盛りであった。そのコースでもビセキはほとんど教えない。だからとても中国人経営者がビセキなどをマスターしているとは思えない。


 現在、中国の教育では、微分・積分は高等学校の2年生で簡単に教えている。大学受験で、微分・積分を応用して回答すると、たとえそれが正解であっても採点の対象にはならず0点だという。大学の文科系では微分・積分は選択科目となっており、文科系学生はほとんど勉強しないらしい。理科系では必修科目となっており、すべての理科系学生は中レベルまで受講するようになっており、数学専攻者は高レベルを習得しなければならない。

 ちなみに私の友人の息子が復旦大学のコンピューター専攻で、そこでは微分・積分については中レベルの授業が行われているという。もちろん大学院をめざす学生には、ビセキは必修科目である。


 つまり現在の中国では、理科系大学を卒業したものでなければ、ビセキなんぞ学んではいない。ましてや壮年の現役中国人経営者はビセキなど知る由もない。それでも中国経済は沸きかえり、金融危機後の経済復興競争の先頭を走っている。ビセキは知らないが「やる気満々」の中国人経営者が、沸騰する中国経済の中で、金儲けに奔走しているからである。


 実際にビセキを知らない彼らの中から成功者が現れ、大金持ちになる人が続出している。中国ではすでに10数年前から、起業ブームが続いてきている。それが中国経済の活況を支えてきたといっても過言ではないだろう。

 出稼ぎ労働者が田舎に帰れば、だれもが近所の人の成功物語を聞かされる羽目になる。だからそれにあこがれて猫も杓子も起業する。しかもそれらは親戚一党から金を借り集めて始める者が多く、当初はもぐり営業を続けるので、政府の統計数値にはまったく表れてこない。

 この10数年で私の工場だけでも、独立起業して社長になったものは100人を超す。今、中国ではそれらのビセキを知らない成り金経営者が肩で風を切って歩いている。


 一方、日本では中小零細企業がどんどん減っている。この数年、企業の開業率を廃業率が3%ほど上回る状態が続いている。したがって単純に計算すれば、30年経てば日本から企業がすべて姿を消すことになる。

 この事態は、少子化などよりはるかに深刻である。

 最近、日本の完全失業率は過去最悪の5.7%になったと報じられた。その原因の一つに、大企業の派遣切りが槍玉にあげられ、次期国会では労働者派遣法の改正まで取沙汰されている。しかしそうしてみても失業率は改善されないだろう。守りに入っている大企業に雇用を拡大せよと迫ってみても、景気が良くならない限り労働者を増やすことはないだろう。ましてや労働者派遣法を改正して、解雇が難しい正規労働者ばかりにしてしまったら、少々景気が良くなっても労働者を増やさないだろう。

 失業率を減らす最も良い方法は、企業数を増やすことである。中小企業が雨後の筍のように増えれば、労働者はそこに吸収され、失業率は大幅に改善される。そんなことは自明の理である。しかし残念ながら、日本の中小企業は減る一方である。


 一般的には、中小企業を活性化し起業家を増やす政策として、すぐに資金面での支援が取沙汰される。しかし金を貸してみても、起業家は増えない。だれも金を借りてまで、起業しようとしないからである。

 今、日本の若者は社長をやりたがらない。若者の心の中には小さいときから、「社長とはテレビの前で頭を下げている禿か白髪の格好の悪い人間」という印象が刷り込まれているからである。

 この点で、起業家つまり社長を軽蔑の対象にして、若者から社長になる夢を奪い、それで視聴率を稼いでいるマスコミの責任は大きい。


 とにかく日本の若者には、金を借りリスクを背負ってまで、起業しようとする者がほとんどいない。これに加えて現存する中小企業は後継者難である。借金のあるような展望のない中小企業は誰も継がない。借金がなく業績がよい中小企業は、株価が高くなりすぎて後継者が相続できない。いずれにしても現存する中小企業は、後継者がいなくていずれ消えてなくなる運命である。


 確かに中国はバブル経済に突入しようとしている。しかしそれに人民が踊っており、金持ち全盛の社会となっている。すべての人が起業し社長になろうとしており、やる気満々の社会である。

 上海の繁華街で、「社長」と大声で叫ぶと、ほとんどが振り向くような雰囲気である。彼らの羽振りはよく、みんなが社長と呼ばれたがっている。どんどん企業数が増えるので、5年ほど前から、さしもの13億の中国にも人手不足現象が現れてきた。

 政府の発表する統計では失業者がかなり多いようだが、実際には労働者がもぐり営業の中小企業に吸収され尽くして、中国のかなり田舎まで行っても人手は不足している。その結果、労働者の給与は最低賃金制などには関係なく、どんどん上がって行く。


 中国を例に出すまでもなく、起業家を増やすには、誰もが社長になりたがるような雰囲気を醸成することである。ことに起業家に敬意を表するような社会の雰囲気を作ることである。私財を銀行に担保に入れて、金を借り起業し、リスクを背負って労働者を食わせていく経営者が、社会から蔑視されるような風潮をなくすべきである。


 資本主義は資本家と労働者がいて成立するものである。その資本主義社会から、資本家がいなくなれば社会主義 となる。マルクスも資本家が自滅するとは予測していなかったが、結果は同じ社会主義社会の到来となる。

 したがって資本主義社会を存続させたいと願うならば、資本家を生き延びさせるべきである。資本主義社会は労働者・消費者が主人公ではない。資本主義社会は資本家が主人公なのである。もちろん社会主義社会は労働者が主人公である。現代日本は資本主義社会であるから、自らリスクを背負って社長をやる人間が主人公であり、その人たちが敬意を表されるべきである。現在の日本のように、だれも社長をやりたくない、あるいはだれも責任を取りたくない、だれもリスクを背負って企業経営をやろうとしないという風潮の社会が長く続けば、その結末は当然のことながら労働者ばかりの社会主義社会となる。


※上記は、話をわかりやすくするために、資本家=経営者=社長=金持ちと単純化して書いた。