小島正憲の凝視中国

韶関市3態=現代中国の縮図


韶関市3態=現代中国の縮図
24.DEC.09
 韶関市は広東省の北端に位置し周囲を、丹霞山を始めとして風光明媚な山河に囲まれた一大観光地である。さらに市内には全国最大といわれる客家団楼があり、また市内の北部には少数民族の瑶族が住んでいる。

 このように豊かな自然環境にあふれた街に、今年6月、突如として大問題が持ち上がった。
 周知のように、市内沐渓工業開発区にある玩具工場で、ウィグル族従業員と漢族従業員の間で喧嘩騒ぎが起きたのである。その後、この事件が発端となりウルムチでの暴動が起き、韶関市の名前は全世界に知れ渡った。

 

 しかし事件後、約半年が過ぎ、韶関市の名前は早くもマスコミの世界からは忘れ去られようとしている。

 そこで今回は、@その後の玩具工場、ABYDの進出、B翁源県での騒動の3つの事態に焦点を当て、現地調査を踏まえた上で論じてみる。私はここに現代中国の縮図を見る思いがするからである。


1.民族問題をものともせず拡大する韶関旭日国際有限玩具工場。

 私は6月の事件直後にこの地に来たが、韶関旭日国際有限公司の玩具工場の周辺にはあのときの物々しさはすでになかった。さすがに正門を撮ろうとしたら門衛に制せられたが、格別変わった光景でもなかったのであえて強行せず引き下がった。正門脇の広告版には、従業員大量募集の文字が躍っていた。そこには最大規模で、8万人の工場にする計画であると書いてあり、職種ごとの詳しい待遇が示してあった。大勢の若者たちがそれを覗き込んでいた。現在1万5千人ほどになり、半年前に民族問題を起こしたのがうそのようであり、工場はそれをものともせず拡大の一途を遂げているようであった。工場の第2期工事も着々と進み、第3期の計画地も整備ずみだった。

    

韶関旭日国際有限公司の第2期工事     玩具工場の求人用看板           玩具工場の分工場跡


 私が一番知りたかったのは、玩具工場でのその後のウィグル族の処遇と動静であった。6月の騒動直後、企業側はただちにウィグル族従業員800人ほどを別工場に隔離し、安全を確保した上で操業を続けたという報道であった。

 今回、私は本工場から30kmほど離れたその分工場に行ってみた。その分工場は白土工業開発区にあるということだったが、その地域にはウィグル族従業員が大勢働いているような気配がまったくなかった。その開発区には大型工場が10社ほど稼動していたので、結構、屋台や小さな露店などが繁盛していた。そのうちの幾人かに聞いて回ったところ、10月に全員が新疆ウィグル自治区に送り返されたという。

 そこでとにかくその分工場の場所を教えてもらって、一番奥の工場に行き着いた。すでに夜になっていたので、工場は真っ暗で事務所のみに電灯が点いており、工場内には従業員がいないことがよくわかった。そこには門もなく、もちろん工場名を明らかにする看板はなかった。

 本工場の一件があったので、恐る恐る門衛さんに近づき、「ここはウィグル族が働いていた工場ですか」と聞いてみたところ、彼は素直に、「そうだ。彼らは10月に全員帰された」と話してくれた。次いで「彼らにとってはその方がよかっただろう。ここにいても怖くて外には出かけられなかったから。私の仕事は彼らの外出をチェックすることだったが、ほとんどその必要はなかった」と言って、漢字とウィグル語で書いた外出時の手続き一覧表を見せてくれた。

彼の話によれば、ウィグル族の大半はおとなしい人たちで、あの騒動を巻き起こしたのはほんの10数人の不良分子であり、後の人たちはいわば巻き添えを食った形で気の毒だったという。ウィグル族従業員は大慌てで帰ったような気配で、分工場周辺には大量の生活ゴミが散乱していた。

 玩具工場の経営者は、あの騒動で腰を抜かして経営を縮小するような男ではなかった。ウィグル族従業員を分工場に隔離し、いったん世間の目から隠し、ほとぼりが冷めてから全員を新疆ウィグル自治区に送還したというのである。それが解雇であるのかどうかは、門衛さんに聞いてもわからなかったが、とにかく送還時にはなにもトラブルがなかったという。したがってこのことの真相は、ウィグル族従業員の出身地である南疆地域に行って聞き込みをしなければわからないと思った。これでまた私の調査事項が増えたわけである。

 いずれにせよ、玩具工場の経営者は、この騒動の後、民族問題を抜本的に解決しようとしないで、とにかく厄介払いにする方針を取ったのである。残念ながら、これが拝金主義の結果であり、このような状態が続く限り、民族問題の解決は難しいと、私は感じた。                          

 その後、また本工場周辺に戻って、ウィグル族従業員の痕跡や玩具工場の発展状況を調べてみることにした。

     

  玩具工場前の商店街                裏通りのホテル街                巨大な求人広告        

 6月に来たときには、工場前の建物の1階に数件のスーパーまがいの店と屋台があるだけだったが、今ではそこは立派な街に生まれ変わっていた。大通りから一歩中に入った道には、10軒ほどのビジネスホテル兼ラブホテルも立ち並んでいた。どんな人が泊まるのだろうかと思って、フロントのおばさんに聞いてみると、「昨日も3人、玩具工場の幹部が愛人を連れてきたよ」と笑いながら話してくれた。その周辺には医者、薬屋をはじめとして生活に必要なものは、ほとんど揃うようになっていた。

 この開発区には玩具工場を含めて大型工場が並んでおり、それぞれが従業員の争奪戦を行っているようだった。なぜなら、他の地域では見ることができないような求人用の大きな横断幕が、ほとんどの工場の外壁に掲げられていたからである。それはこの地域が「中国は人手不足」の象徴地域ではないかと思わせるようであった。


2.BYD、韶関市へ本格的進出。実業か虚業か?

 今をときめく電池自動車メーカーの比亜迪(BYD)公司が、韶関市の東莞(韶関)トウ江産業転移鉱業園への本格的進出を決め、6000ムー(約4平方km)の土地を購入した。(*トウ江のトウ:さんずいに貞)

 この工業園は汪洋広東省書記の省内工業再配置計画に沿ったもので、広東省政府は韶関市に5億元の支援金を出すという。11月10日、BYDと韶関市政府は覚書に調印した。

 BYDの初期投資額は15億元(約200億円)の見込み。BYDはここに国内最大級の自動車走行実験場と部品工場を同時に建設するという。

         

     韶関市の開発区の看板         土地物色中の関係者         BYD開業式典用地前で

 BYDの韶関市への進出は、地価や人件費が沿岸部よりも低いことを狙って、コストの削減を目的としている。韶関市はBYDの走行実験場は観光の目玉としても活用できると踏んでいる。

 ただし韶関市は東莞市だけでなく、他の沿岸部都市とも協定しており、この日も「中山三角(トウ江)産業転移工業」の標識を付けた車で政府や企業の人間が乗りつけ、BYD周辺の土地を物色していた。

 1.の玩具工場のところでも書いたように、この地はただでさえ人手不足なのに、次々と沿岸部から大型工場が移転してきたら、人手の争奪戦となり、人件費はみるみるうちに上がっていき、結果としてコスト削減効果はなくなる。そんなことはだれでもわかるのに、なぜBYDほどの会社が移転を決めたのか、理解に苦しむ。

 また本気でBYDがここに進出する予定ならば、15億元の投下資金では0が一つ不足している。

 10月に発表された中国の富豪ランキングのトップはBYDの王伝福会長で、その資産は350億元(約4900億円)と言われている。それにしては韶関市の事業の規模は小さい。それも疑問の一つである。

 私はおそらくBYDは、不動産業にも手を染めるのではないかと考えている。BYDは土地を、山地は1ムー=2万元、田畑を1ムー=4万元の格安価格で購入しており、もしこれをバブルの絶頂期で手放せば巨額の資金が転がり込む。

 BYDがまじめに実業の王道を走るか、それとも虚業の裏道に進むか、それはあと数年で判明する。それでもこのあたりの農民は1世帯につき、100万元ほどの土地売却収入を得るという。農民はもろ手をあげて、BYDを歓迎している。

なお、韶関市には大型の刑務所が5か所あり、いずれも刑務所内の囚人労働力が企業の貴重な人手となっている。


3.農民、したたかに参戦。  ※この項は既報(09年11月暴動情報検証3.)を書き直したものである

 このように沿岸部から大型企業が移転してくるのに伴い、土地は急激に値上がりしてくる。ところが政府はすでにそれを数年前に見越して、農民の土地を接収済みである。農民はそれがどうにも口惜しくてたまらない。しかし農民は指をくわえて見ているわけではない。

 たとえば韶関市翁源県陂下村では、10月30日、強制土地収用に農民が抗議し警官と衝突する事件が起きた。 マスコミはこの事件を、「翁源県政府がダム建設を理由に農民の土地約81ヘクタールを格安の値段で強制収用し、村民の家屋を強引に取り壊そうとした。中には新築の家屋もあったので、村民は必至で抵抗した。そこに警官と300人ほどの身元不明者がハンマーを持って取り壊しを開始。投石などで抵抗する村民との間で乱闘が起きた」と報じたが、実情はかなり違っていた。

 翁源県陂下村の土地は、2004年に山地は1ムー=1万5千元、田畑は1ムー=2万5千元で、村民から政府が接収済みであった。価格は当時としては相場並みで格安とはいえない。しかしその価格に納得せず、協議書にサインしていない村民もいるという。

 09年度に入って、村の中央に県道が通ることになったり、また近くに県政府の建物や高層マンションが立ち並ぶようになり、一気に土地価格が上昇してきた。それに不満を持った村民の一部が、売却済みの土地に許可なく臨時の安物家屋を建て、土地代や新築家屋?の立ち退き代を政府に要求した。政府はそれらの家屋が違法建築であるということを理由に、取り壊しを強制的に実施しようとしたところ、村民との乱闘に至った。つまり農民もしたたかにこの銭ゲバに参戦しているのである。

 なお、数ヶ月前には、新設の道路が隣村と境界地点を通るため、隣村が陂下村の土地を強奪し、隣村対決で村民同士の乱闘騒ぎがあり、制止に入った警官が負傷する事件もあったという。

 たしかに地元政府のやり方は強引であるが、農民の側も一方的な弱者ではなく、この機会をとらえて一攫千金を狙っている者もいるのである。               

 陂下村の農家で老婆に話を聞いていると、彼女は「田畑を取られたので、私は生きていけない」と泣き出した。

 しかし隣に座っていた若い娘は、「私はここから自転車で20分ほど走った街で、店員をして月給1000元ほどもらっている。毎日が楽しい」と、ニコニコ顔で話をしてくれた。

 たしかに翁源県の街中の店は結構繁盛しており、至る所に求人広告が貼ってあった。これは世代間格差と呼ぶのがふさわしい現象だろうか。





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