小島正憲の凝視中国

ブラジルと富士康


ブラジルと富士康
22.JUN.11
 BRICsの筆頭にあげられるブラジルに、富士康が120億ドル(約1兆円)規模の投資を行うと発表した。

 富士康に果たして勝算はあるのか。なぜブラジルなのか。私はその回答を求めるため、ブラジルに足を踏み入れた。
 そしてそこで私が見たものは、意外にも国際金融資本の「バブル転がし」の実態であった。
*このレポートは、「TACT経営研究会 ブラジル経済事情視察研修旅行」(6/06〜15:総勢11名)の参加報告書である。

   

1.ブラジル豆知識。
・面積:851万km(世界第5位、日本の22.5倍)
・首都:ブラジリア(連邦直轄区)
・言語:ポルトガル語
・宗教:主にキリスト教(カトリック)
・人口:1億9073万人(2010年、都市部の人口は84%)
・非識字率:9.7%(2009年)
・政体:連邦共和制  議会制度:2院政
・元首:ジウマ・ヴァーナ・ルセフ大統領(2011年1月就任)
・実質GDP成長率:7.5%(2010年)
・1人当たりGDP:1万813.9US$(2010年)

2.富士康豆知識。
・富士康(フォックスコン)は、台湾の企業=鴻海精密工業有限公司のブランド名。
富士康は、電子機器の生産を請け負う受託生産では世界で最大。
・1974年、台湾で郭台銘氏が鴻海塑料有限公司を30万元で創立。その後、日本から製造設備などを購入し拡大。
・1982年、社名を鴻海精密工業有限公司に変更し、1600万元を増資。日本や米国から新設備を導入。

・1988年、中国の深?に進出、従業員数1000人。売り上げ10億円突破。台湾で上場。昆山、天津などに工場拡大。

・その後、短時日で富士康は世界でも有数のIT製造企業に成長。深?の工場は従業員数40万人を越える。
・2005年、ブラジルに進出。現在、ブラジル国内に5工場を持ち、従業員総数は4800人。
・2010年、富士康の深セン工場で自殺者が相次ぎ、マスコミなどで批判を受けたので、深?工場を縮小し、中国の内陸部の武漢、鄭州、成都などに工場移動。規模を100万人に拡大予定。
・2011年4月、サンパウロ州JUNDIAI市の工場に、生産ライン拡大のため120億ドル(約1兆円)の増資決定と発表。
※中国と台湾の両国で、富士康の「奇跡の成功物語」についての書籍が出版されている。今年中に抄訳し紹介したいと考えている。

3.ブラジルは純債務国であり、インフォーマル経済が隆盛な国であった。

@ブラジルの国家資産負債残高表は大赤字。

 6月初めに、読者各位に「中国の“外貨準備高3兆ドル突破”への疑問」と題した小論を送信したところ、すぐに国際金融の専門家から、「小島さんは外貨準備と国際資産負債残高表を混同しているのではないか」とのご批判をいただいた。たしかに指摘通りであったので、私はこの課題を解決すべく研究を続けていた。このような問題意識を抱えながらの今回のブラジル調査旅行は、ブラジルの国家経済を分析するに当たって、私にきわめて有益であった。ブラジルを国際資産負債残高の視点から分析すると、明確にその国家像が見えてきたからである。私にはブラジルは一般に言われているような成長著しい純債権国ではなくて、まだ純債務国であり、「砂上の楼閣」であるということがよくわかった。以下にその根拠を示す。中国経済も同様に分析することができるので、それは稿を改めて言及する予定である。

 以下に記してある表のAは一般企業の貸借対照表フォームである。それを国家に準用するとB、つまり国際資産負債残高表となる。Cは某日系ブラジル大銀行の頭取提供のブラジルの説明資料の最初のページである。Dは鈴木孝憲氏が作成したブラジルの対外資産負債総合ポジション表である。某日系大銀行の頭取は、このC表を示しながら、我々にブラジルは純債権国であると主張した。鈴木氏は、D表でブラジルは現在約6000億ドルの対外負債を抱えていると分析している。つまり頭取と鈴木氏の主張は正反対である。私は鈴木氏の主張が正しいと断言する。それ以上に、鈴木氏の主張でもまだ追及不足の部分があり、ブラジルの債務額はもっと多くなると考えている。国家負債の部分に、貿易黒字の外資分、外資配当未処理分、外資保有固定資産の時価評価分などが欠落しているからである。いずれにせよ、某大銀行の頭取がブラジルを純債権国として主張することは明らかに誤りであり、それを謳い文句にして、ブラジルに投資を誘う行為は詐欺に等しい。ブラジルを投資適格国と評価しているムーディーズなどの格付け会社も同罪である。


Aブラジルはインフォーマル経済が隆盛。

 和田昌親氏はその著書「ブラジルの流儀」(中公新書)の中で、現地の経済研究所発表として、「ブラジルのアングラ経済の年間規模は5,780億レアル(3,285US$)で、GDPの18.4%に達した。この規模はアルジェンチンの経済規模に匹敵するという」、あるいは現地マスメディア報道として、「世界銀行はブラジル企業の3社に1社、労働者の6割が税逃れをしているとし、その結果GDPの40%がアングラ経済だと指摘した。大企業がほとんど納税感覚のない露天商を上手く使って、脱税の連携プレーをしているケースも多いという」と書いている。今回私は、その実態の一端を目にすることができた。


 ブラジルの誇る観光地の「イグアスの滝」の近くで、ブラジル・アルジェンチン・パラグァイの3か国が国境を接している。ブラジルとアルジェンチンの間を流れるイグアス川には「友情の橋」が、ブラジルとパラグァイの間を流れるパラナイバ川には「友愛の橋」が、それぞれ架かっている。ガイドの話によれば、その「友愛の橋」を、毎日1万人を越えるブラジル人が渡って、パラグァイ側のエステ市に「買い出し」に行っているという。  

 私はすぐにその現場に行ってみた。たしかに「友愛の橋」付近の、歩道は大きな袋を担いだたくさんの人でごったがえしており、車道は荷物を満載したワゴン車やバスなどで大渋滞となっていた。エステ市に渡ってみると、そこには5000以上の店が軒を連ねており、一大マーケットが出来上がっていた。それは韓国の東大門市場や中国の義烏市とよく似ていた。ありとあらゆる物が売られていたが、中国製が大半を占めており、そのほとんどが米ドルで売買されていた。

 
   パラグァイ・エステ市の市場の一部

 それらの物品は、ブラジルの港からスルーでパラグァイのエステ市へ渡り、市場に並べられているのだという。パラグァイは無関税なので、高い関税が課せられているブラジル国内より、エステ市の市場で売られているものは、かなり安い。そこでブラジル人の担ぎ屋さんがエステ市でたくさんの物品を仕入れ、「友愛の橋」を渡って帰るとき、若干の袖の下を払う代わりに、関税を払わずいわば密輸でブラジル国内に運んでいるのである。このインフォーマル経済(アングラ経済)の実態は、ブラジルの統計数値にはいっさい現れてこない。

4.ブラジル今昔→東山牧場とカンピーナス市のシリコンバレー。


@東山牧場。

 私はまずサンパウロ市から120km離れたカンピーナス市にある東山牧場を訪ねた。東山牧場とは、1927年に三菱財閥の創始者岩崎弥太郎の長男久弥が、3700ヘクタールの地を買い求め、その地に弥太郎の雅号の「東山」を付け、農場経営を始めた場所である。その後、第2次大戦中に、敵国財産としてブラジル政府に接収された時期もあったが、現在では弥太郎の弟弥之助のひ孫に当たる岩崎透氏が社長となり、総面積約900ヘクタールの農場を経営している。コーヒーの木が120万本近く植えられ、他にトマト栽培などが手がけられている。

 
     東山牧場のゲート前

 ブラジルには1908年に、日本からの移民が開始されている。貧しい農家に生まれ、しかも跡取りになれない男たちが、「さあ行かう 一家をあげて南米へ」という謳い文句に誘われてブラジルに渡ったのである。移民した日本人たちを待っていたのは、奴隷同然の苦しい生活であったという。それでも日系移民はその苦境を乗り越え、ブラジルの地に土着し、今では日系ブラジル人は150万人を越えるようになっている。そのような日系移民の様子は、2005年にNHKで放映された「ハルとナツ 届かなかった手紙」にも詳しく描かれている。この東山牧場はその撮影現場になっており、現在でもその撮影当時の家屋や備品が残されており、それを通じて往時の様子を偲ぶことができるようになっている。またそこには19世紀の奴隷小屋なども残されている。私はそれらを見ながら、できるだけ早い機会に満州移民とブラジル移民を比較検討してみたいと思った。


 社長の岩崎透氏自らが懇切丁寧にそれらを案内してくださり、最後に農場の一番高い場所にある展望台「一心亭」で四周を見回しながら、農場経営の現状などについての話をしてくださった。そしてビルが林立するカンピーナス市の中心部を指さしながら、「この農場のすぐ近くまでIT産業の工場が進出してきている。ワーカーの給与が日増しに高くなってきており、農場経営も機械化せざるを得なくなってきている」と説明された。なお農場の視察後、東山牧場の特設食堂で、名物のシュラスコ料理をご馳走していただいた。それは和風の味付けにしてあり、とても美味しかった。

 
東山牧場からカンピーナス市のシリコンバレーを臨む

Aカンピーナス市はブラジルのシリコンバレー。

 現在、カンピーナス市には多くのIT産業の工場が操業中である。韓国のサムソン、中国の華為や連想など、大手の工場も進出している。今やブラジルはパソコン販売台数世界第3位も市場になりつつあるので、それを狙って、世界中のIT企業がこの地に集まってきている。ブラジル政府はこの地を、「ブラジルのシリコンバレー」にする予定であるという。ただし富士康はこの地には進出しないようである。

.ブラジル経済の歴史的推移と内需活性化の真相。

@歴史的推移と内需活性化の真相。

 多くのエコノミストが、「ブラジルにはビジネス・チャンスがあふれている。解決すべき問題はまだいろいろあるが、今後10年、2020年に向けてのブラジル経済の成長は間違いないだろう」(「2020年のブラジル経済」 鈴木孝憲著)と予測している。また2014年のサッカーワールドカップ、2016年の夏期五輪のブラジル開催が決まっており、ブラジル人自身も高度経済成長の夢に酔っている。しかし私はそのようには考えない。簡潔に言えば、「ブラジルはBRICsとおだてられたことにより、外資が流入し、経済が大きく変貌した。またちょうどルーラ大統領の貧困層へのバラマキ政策によって内需が拡大した」ということであり、「ブラジルは自力更生で現在を築きあげたわけではなく、外資依存の結果が現在の姿である」と考える。その結果、外資は気紛れであるから、ある時点でいっせいに流出し国家デフォルトになる可能性もあるし、バラマキ政治の行く末は増税であり、これまた経済破綻に陥る可能性が大であるからである。私には14年前の東南アジア通貨危機のとき、国家デフォルトに陥った国が短時日の間に、自力更生のみで、世界経済を牽引するような立派な国になるとはどうしても思えない。ブラジルが再生したといわれる経過を見れば、それが自力更生ではなく、外資依存であることがよくわかる。鈴木孝憲氏の「2020年のブラジル経済」から、その説を引用して以下に記しておく。

・ブラジルは1980年代から1990年代にかけての大不況「失われた10年」が有名になりすぎて成長期の活況が忘れ去られているが、それ以前のブラジルはすごかった。他のBRICs諸国に比べ、自由主義工業国としての歴史、経験、実績が豊富だ。本来なら、「新興国」ではなく「再興国」と呼ぶべきだろう。

・1997年のアジア全体の連鎖的通貨危機をきっかけに、ブラジルからも資金が流出し、99年のブラジルはまたも通貨危機に見舞われた。

・21世紀に入り、ブラジルは急成長するBRICsの一国とおだてられ、うまく風に乗った。そして05年12月に1MF債務を全額繰り上げ返済、06年4月にはブレイディ債を前倒し償還し、「重債務国」の汚名を返上した。

・政策金利を高く設定し、外資導入をしやすくした面もある。先進諸国の超低金利で行き場を失ったヘッジファンドの資金が、高金利に狙いを定めて流入してくる。ブラジルへの短期資金の流入が止まらないのはこうした理由が大きい。

・こんな動きの激しい経済の中で、国民生活が向上しているのはなぜか。個人レベルでは、ルーラ政権の貧困層支援策によって全国民の1/3の所得が増えたともいわれる。月賦の期間はどんどん長期化し、金利はかつてに比べると低くなり、ものが買いやすくなっていることは確かである。国民の収入が増えれば個人消費は拡大する。輸入品はレアル高で値段が下がり、庶民に手の届く存在になった。

A富士康はブラジル内需を狙う。

 富士康はすでにブラジル国内に5工場を展開中、その中ではサンパウロ州内のJUNDIAI市の工場が最大で3200名の従業員を抱えている。工場ではすでにHPとソニーの製品の生産ラインを持っており、ここにアップルのiPAD製造専用ラインを作る予定、今年の11月には生産を開始するという。富士康はこの工場で生産した製品を、成長著しいブラジルの内需市場に売り込む予定。ブラジルは輸入関税が高いため、中国で生産した製品をブラジルに持ち込み販売した場合、iPADの小売価格は860ドルになる(ちなみに米国では400ドル)。富士康は今回の増資は、この高い輸入関税を回避するのが目的であると説明している。なお、近年の中国の人民元高や人件費高、スト多発や電力不足を嫌っての工場拡大でもあるようだ。

 しかしブラジルの内情を詳細かつ冷静に検討した場合、内需が好調に見えるのはルーラ政権のバラマキ政策の結果であり、むしろ人件費も上昇気味であり、内需市場もバブル傾向が強く、増税も避けられず、経済の先行きには不安要素が多い。私は必ずしも富士康の予測通り、この内需目当ての事業がうまく展開するとは限らないと考えている。バブル崩壊と同時に、富士康もまた金融資本の犠牲者になるかもしれない。1兆円の投資はあまりにも規模が大きく、回収するのにはかなりの年月がかかり、その前にバブル経済が崩壊するのではないかと思うからである。なお、現在、富士康とブラジル政府は、誘致の優遇措置などの特例を協議中であるといわれている。

6.世界は金融資本に操られている。

 「安値で買って、高値で売り抜ける」、これが商売の常道である。これをグローバリズムという名前の国際ビジネスに適用すると、次のようなる。まず仕掛け人が、経済の低調な国の不動産などを安値で買い漁っておき、その後、その国に呼び水として見せ金を投じ、ニセ情報を流し、経済が上昇機運にあるように見せかけ、より多くの外資を誘引し、バブル経済を演出し、崩壊前に仕掛け人は高値で売り抜け、なにくわぬ顔で静かに退場する。この仕掛け人が国際金融資本であり、某日系大銀行もその一味(手先)であると考える。

 BRICsという表現は、2003年に米国証券会社ゴールドマン・サックスの調査マンが初めて報告書に使った言葉だという。ムーディーズやS&Pなどの格付け会社も、その後ブラジルを投資適格国と認定し、国際金融資本の提灯を持っている。某日系大銀行も、誤った情報を堂々と流し、まさにそのお先棒を担いでいる。

 世界は国際金融資本の「バブル転がし」に翻弄されている。日本はバブルで潰され、続いてITバブル、サブプライムショック、中国住宅バブル、次いでブラジルバブルと、国際金融資本は「バブル転がし」によって、その都度大儲けしてきた。

7.次なるバブル転がしの先はどこか?→私ならペルー。

 最近、BRICsのsが大文字のSになったという。つまりサウスアフリカが新興国に仲間入りしたというのである。国際金融資本が次なる「バブル転がし」の先にサウスアフリカを選定したというわけである。このように公表され衆目が一致したときには、すでに安値買いのチャンスは終了しているということであり、いまさら中小企業がサウスアフリカに押っ取り刀で駆けつけても大儲けはできない。中小企業に残されている金儲けの道は、国際金融の仕掛け人の先回りをして、自ら安値買いを行い、大きな流れを待つことであろう。

 私はブラジルからの帰路、ペルーのリマに立ち寄った。ちょうど大統領選挙の直後で、街中にはまだその余韻がくすぶっていた。リマではペルー日本人協会に行き、岐阜県人会の会長さんから移住当時の苦労話をうかがい、ジェトロのリマ所長の石田達也氏から「ペルー経済が堅実に成長している」という話を聞いた。石田所長の話はきわめて理路整然としており、それを聞き終わったとき、私はペルーがまだ国際社会で注目を集めておらず、この国への投資も面白いのではないかと思った。