小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2010年 第21回  


読後雑感 : 2010年 第21回  
21.NOV.10
1.「新 中国人と日本人 ホンネの対話」
2.「こんなに違うよ! 日本人・韓国人・中国人」
3.「中国人を理解しないで生きていけない日本人」
4.「“科学技術大国”中国の真実」
5.「チャイナ・インパクト」
6.「チャイニーズ・レポート」

1.「新 中国人と日本人 ホンネの対話」  金谷譲・林思雲著  日中出版刊  10月20日発行

 この本のタイトルを見て、私は軽く読み流せる本だと思い、気楽に読み始めた。しかし本文中には、現在、私が思案中の諸事案について、的確な分析が加えられている個所が多く、たいへん参考になった。

 現在、中国は、沿岸部から労働集約型産業を追い出し、産業構造の高度化を成し遂げようとしている。しかし私は現状の中国の若者の勤労思想や態度では、それは不可能だと思っている。それについて林氏は次のように語っている。

@中国式管理の第1の特徴は、“処罰”である。罰金によって、従業員に強制的に企業の利益を考えさせるのである。これが中国人従業員の頻繁な転職を招き、勤続年数を短くしている。上海では勤労者全体の平均勤続年数は3年1か月で、ことに30歳以下(ちょうど一人っ子世代に当たる)は1年5か月である。従業員にすぐ辞められては、中国企業は長期間の研究・開発ができず、それを必要とする複雑な製品を生産することができない。

A中国はソフトウェア産業の育成のために大量の資金を注ぎ込んだが、その育成に失敗した。その原因は、中国人の“自己中心主義”の性格にある。頻繁に転職する、それでは長期の研究開発を必要とするソフトウェア産業を育てることは困難である。

B中国人は細かいところまで突き詰めるのを好まない性格である。現在、中国で出土する刀剣は、基本的に鋳造品ばかりである。鋳造刀は溶けた鉄を型に流し込むだけでできるので、こちらの方が作るのは容易である。しかし鋳造刀は鍛造刀と比べると、性能において比べものにならない。中国人は性格的に鍛造のような手間ひまのかかる煩雑な技術を嫌って、簡単にできる鋳造技術を選んだのではないか。だから中国では日本のような高度な刀剣製造技術が育たなかったのではないか。

C中国人の精確さを嫌う性格は、生産の過程で莫大な浪費を生み出している。中国企業は日本企業のように精密な計画性を持たない。

D中国式思考に従えば、日本のようなコツコツ汗水たらして地道に技術開発を行ったり、そのために海のものとも山のものともつかない代物に多大の金と時間を注ぎ込んだりすることなど、愚の骨頂でしかありえない。

E自分が開発した技術がすぐに盗まれるとわかっているから、だれも苦労して技術開発をしようとしない。それよりも他人の開発した技術を盗んでたやすく儲けようとする。

F日本の経営者には、“職人気質”というものがあって、経営者自らが現場に入り、技術開発面での努力を惜しまない。中国では技術者あがりの経営者でも、大半は金儲けだけが目的で、技術開発にはあまり熱意を示さない。

 また金谷氏と林氏は、中国人の性格に言及し、おもしろいことを言っている。

「事態が順調に進んでいると、中国人の感情は突如熱狂的に盛り上がります。しかし、いったん何か困難に出会うと、その熱狂はみるみるうちに衰えて消えてしまうのです。これが中国人の”5分間の熱情“と呼ばれるものです」

「中国人は、熱情がすぐに冷めるというよりは、熱情の対象の移り変わりが激しいと言った方が適切だと思います。何かに対してすぐに熱を上げるが、長続きせず、すぐにほかのものへ関心が移ってしまう。投機性が強いという言い方でもいいかもしれません」。

 なお、かねてから私は日本に帰化した中国人の多くが、石平氏のように極端な反中派になり、同時に日本人の私が恥ずかしくなるほど日本を美化するので、彼らの心情を理解しかねていた。この点について、林氏は本文中で彼らの心理状況を、次のように明快に分析している。これを読んで、私も彼らの言動の背後にあるものをはっきり理解することができた。

「日本で一般的なサラリーマン身分の元留学生たち(20〜10年前に来日)は、帰国して一族や友人を訪れてみると、かつての仲間がひとかどの職に付いていること、しかもその社会的な地位が自分よりも高いこと、そして実入りも自分よりもいいことを知って、これまで抱いていた“優越感”がこなごなに打ち砕かれます。かわって、いつの間にかきざしてきたのは、“後悔”の念です。…彼らは中国をまるでこの世の暗黒、地獄のように描き出すのですが、それはとりもなおさず、“だから自分は日本に留まっているのだ”というおのれの正当化の試みにほかならないのです。…また彼らは日本を楽園であるかのように誉めたたえます。しかしこれもまた、日本に留まることを選んだ彼らの、自身の選択を正当化しようとする努力の一環なのです」。

2.「こんなに違うよ! 日本人・韓国人・中国人」  造事務所編  PHP文庫  10月18日

  帯の言葉 : 「娯楽から政治まで、いまどきの日中韓をまるごと比較」

 本文中には、日中韓の3国の比較がデータでわかりやすく表示されている。3国の差異がよくわかりおもしろいと思う。ただしかなり怪しいデータや解説も含まれているので、この本の記述を頭から信じてしまうと危険である。たとえば編者は、「ちなみに中国の自動車は日本と同じく右ハンドルだが、韓国ではアメリカ→ヨーロッパと同じく左ハンドルとなっている」(P.277)と書いているが、「中国は左ハンドル」であり、この記述は明らかに間違っている。編者と出版元のPHP文庫はできるだけ早い機会に訂正文を公表する必要がある。そうしなければ、この本を読み、これを信じた読者が中国で重大な交通事故を起こしかねないからである。その他の個所には、このような決定的なミスは少なく、眉につばをつけながら読み進めていけば、本文中には結構参考になることもある。

3.「中国人を理解しないで生きていけない日本人」  孔健著  ベスト新書  8月20日

  副題 : 「激変した“チャイナ・ニーズ”をつかむ方法」

  帯の言葉 : 「“日本人は永遠に中国人を理解できない…”なんて言っている場合じゃなくなった!」

 この本は、孔子の第75代直系子孫の孔健氏が著したものである。孔健氏はかつて「日本人は永遠に中国人を理解できない」という趣旨の本を出している。その本は読者の間でもそこそこの評価を得ていた。しかし孔健氏は、昨今の「日本の停滞と中国のめざましい発展」を目の当たりにして、「新しい時代に即した日中の問題を洗い出し、整理してみたいと思い」、本書を著したという。

 本文中で孔健氏は、「私は、このようにインターネットという時代の武器を使って政治・経済の動向から下世話な話題も掲載して日本の正しい姿を中国人に伝えようとしている。日本人も大マスコミの報道だけで中国を知るのでなく、もっと細部にわたった中国の情報が得られるメディアがあるといい」と書いている。このような孔健氏の指摘を待つまでもなく、日本人の多くがネット上でたくさんの中国内部事情を発信している。不肖私もその一人であると自負している。

 孔健氏は本文中で、「中国人と上手く仕事ができる極意」として、「孫子の36計」と題してアドバイスを開陳している。その内容はともかくとして、このネーミングはいただけない。「孫子」と「36計」は作者も全く別であり、「孫子」が哲学的背景をしっかり持って書かれたものであるのに対し、「36計」は中国の詭計の集大成のような本である。読者にそれをあたかも孫子と36計が同一の書のように紹介するのは、誤解を招くのでよくない。孔健氏は「孫子に学ぶ36項」というぐらいにしておけばよかったと思う。しかし孔健氏の36項目の提言はすべて有益である。たとえば、「日本人特有の意味のない微笑みはやめたほうがいい。」「巧言令色を信じるな。」「“三顧の礼”は現代でも生きている。」「乾杯に無理につき合わなくていい。」「二次会、三次会は不要。」「口では中国人に勝てないと思え。」「中国人の奥さんを誉めてはいけない。」「トップだけではなく現場へも挨拶に行け。」「中国人の内部抗争に巻き込まれるな。」などは、拳々服膺すべきである。

 孔健氏は、「まず知ってほしいのは日本人が歴史的に“一つの顔”しか持っていないのに対して、中国人は“二つの顔“を持っていることである。自分の面子は死んでも守る顔と、契約はいっこうに守らない顔。無愛想な役人の顔と、鼻薬が効いてからの豹変顔。世話をしてもらったときの感謝の顔と、職場を平気で変わる恩知らずの顔。まじめな顔と、平気で遅刻したり贋作を作ったりする顔、などなどだ」と書いているが、つまりこれは中国人が「二重人格」であり、それを隠さないということである。しかし私は日本人も「二重人格」であるが、それが胸中に秘められているだけで、この点は大きな差異ではないと思っている。かく言う私も「二重人格者」であるということを自覚している。

 最後に孔健氏は、次代の中国に関して「習近平氏から目を離すな」と書いている。なぜなら「習近平の父習仲勲は中華人民共和国建国から建設に功労のあった革命第一世代の政治家だ。彼は文革中反党集団として4人組の攻撃を受け、1962年から1978年にわたる16年間を迫害をうけて過ごした。名誉回復後は党の中央委員にも選出され、同時に広東省の改革を手がけ成果を上げた。その後の習仲勲は胡耀邦とともに党中央の民主化を試みたがケ小平に阻まれ無念の涙を流す。それを目の当たりにしていた息子習近平は、その後ケ小平とは顔を合わせなかった。したがって、習近平の政治的血流としても政治体制の改革をみずからの仕事の中心に据えると思われる」と書いている。私も同感であるが、さらに私は習近平氏の時代になれば、彼は文革時の総括だけでなく、建国前の延安時代の暗闘、あるいは建国直後の高崗事件なども解明されるものと期待している。

4.「“科学技術大国”中国の真実」  伊佐進一著  講談社現代新書  10月20日発行

 副題 : 「大使館書記官による衝撃のレポート 日本の技術力はすでに中国に負けている!?」

 この本は、科学技術畑の切り口から日中関係を捌いており、傾聴に値する見解が多い。読者各位にお勧めの1冊である。特に伊佐氏が大使館の一等書記官という身分でありながら、中国の泥臭い現場に入り込んで、事態の真贋を見きわめようとしている姿勢は貴重である。巻頭の伊佐氏自身が、北京の市井のマラソン大会に参加したときの体験から、中国の科学技術の現状に迫るくだりは、読者をこの本に引きずり込むのに絶好であり、また説得力を持っている。私は伊佐氏の文才も高く評価できるのではないかと思う。この本から私は多くの事を勉強させてもらったが、伊佐氏の労作に最大限の敬意を払った上で、あえて以下に私見を述べる。

 まず伊佐氏はこの本で、科学技術というものを基礎科学・応用科学という視点で考えているが、私はこれに現場での応用技術という側面を加味して考えるべきではないかと思う。日本の得意な現場でのQC活動や改善行動、そして熟練工の持つ巧みの技などを評価の中に入れて日中比較を行えば、日本の優位性が際立ってくるのではないかと考える。科学技術は現場で応用されて始めて価値が出てくると考えるし、そこにこそ日本人の特異性が発揮されてくると思うからでもある。もちろん日本の若者の多くが現場嫌いになって久しいが、現状では中国の若者の現場離れの方がはるかに深刻である。これに上掲1.で林氏が語っているように、中国人の国民性のマイナス面も加わってくるので、現場での応用技術面については、中国は日本を凌駕することはできないと考える。伊佐氏自身も本文中で、「そこには国民性、民族性、あるいは時代性といったほうがよいかもしれない共通する要素があるように思う。中国の現状を常日頃から見ていると、本当に科学技術が発展するであろうかと、懐疑的にならざるを得なくなる」と、述懐している。

 次に伊佐氏は、現状を歴史的な観点から見ていない。伊佐氏も私同様に、最近の日本の若者の内向き思考を嘆いているが、日本の若者がそうなり始めたのはこの10年間ぐらいのことである。私たち団塊の世代の青春期は、ほとんどの若者が海外志向であり、チャンスを作って留学や遊学に出かけたものである。私も大学卒業後、海外へ出かけたかったが諸般の事情でそれを断念し、友人たちが海外へ雄飛していくのをただ指をくわえて見ていた。もちろん私にはその能力や勇気が欠如していたからでもある。そのときの羨望の念が、現在の私を海外放浪に駆り立てている原動力である。したがって「外向き・内向き」については、その国の歴史的経過を見てその是非を判断すべきだと考える。

 たしかに中国人は現在、大量に海外へ出ているし、また大量に回帰(海亀)している。しかしこれは数字上から見た現状であり、中身はこの数年でかなり変わってきている。最近、中国から海外に出て行く若者は、「自らの意志で出て行く者が少ない(両親が強力に勧めるのでやむを得ず出て行く)」、また海外から帰国する若者は、「海外になじめず、負け組となって逃げ帰る者も多い」と聞いている。これらの現象は人為的一人っ子政策の結果の、「小天皇のなれの果て」であり、驚くようなことではない。中国の主役はすでに80后に移っている。彼らは小天皇として育ち、暖衣飽食の生活を満喫しており、すでに知的ハングリー精神を失っている。彼らのあとの90后は日本の後を追い、完全な内向き思考となることは疑う余地がない。数回前の私のヨーロッパ記に書いておいたが、イタリアの観光地ではかつてハングリーな中国人が行っていた仕事に、今では黒人が就いている。このように中国人が大挙して金儲けや勉強のために世界へ押しかけた時代は過去のものになりつつあるのである。

 さらに伊佐氏は中国政府が科学技術の振興のために、惜しみなく資金を注ぎ込んでおり、それが大きな優位点であると言っているが、あと5年を待たずして、これは不可能になる。中国のバブル経済が崩壊するからである。経済専門家ではない伊佐氏に、中国経済の実情が見えていないのに無理はない。それは下記5.で取り上げるような誤った常識をふりまく人たちの所論がまかり通っているからである。もちろん伊佐氏も指摘しているように、中国政府の資金投入はそのマネジメント不足や汚職などによって、必ずしもそれが絶大な効果を発揮しているわけではない。しかしその資金投入さえも、数年後には途絶するのである。そのとき中国の科学技術は当然のことながら、立ち往生する。日本は政府の助成金などを頼りにせず、民間企業が独自に技術革新へ取り組まなければならないと考える。

5.「チャイナ・インパクト」  柴田聡著  中央公論新社刊  10月25日発行

 帯の言葉:「緊急出版北京発 日本を抜き世界第2位の経済大国になる中国」

        「想像を超える行動と驚異的な成長を支える 国家システムの秘密がいま明らかになる」

 私は、中国経済は「砂上の楼閣」であると見ている。柴田氏は本書で、「2010年、かつて目標とした日本を追い抜き、そして、いまや米国までも視野に入れ、将来は世界最大の経済大国となる可能性を秘めている」と、主張している。どちらの予測が正しいかは、5年も待たずに判明するだろう。ただし私の予測が外れても、私は一介の市井の八卦見のようなものであるから、さして問題にはならない。しかし中国大使館経済部参事官という職位を公然と示し、本書を著している柴田氏の予測が外れた場合は、彼が日本国民の税金を食って仕事をしているわけであるから、その責任は当然取らなければならない。もちろん柴田氏はそれまで受け取った俸給をすべて返上する覚悟をしているだろうが、その肩書きに物を言わせて、日本政府や日本国民などをミスリードした責任は、どう取るつもりなのだろうか。

 この本は、さすがに東大出のエリートが書いただけに、情報量も多く、現在の中国研究の結果などをそつなくまとめ上げている。しかしながら柴田氏の情報の出所は、中国当局から発表された情報や、新聞記事、雑誌などの請け売りがほとんどであり、自らが現場を歩きそれらを確かめたというものはまったくない。また切り口の鮮やかな新説もないので、わざわざ「緊急出版」のこの本を買って読まなくても、日経新聞や経済雑誌を読んでいれば十分である。おそらく柴田氏は大使館から外に出ないで、資料に埋もれながら机上でこの本を書き上げたのではないか。本書にはその弊害が随所に見られる。いつものように、私のリトマス試験紙を使って、この本を解析してみる。

 リーマンショック時の中国経済の落ち込みについて柴田氏は、まず「リーマンショック前の中国経済は、歴史的好況が続いていたのである」(P.30)と書き、すぐ次のページでは「しかし実体経済にも好ましくない変化の兆候が現れていた。中国の経済成長を主導してきた沿海部の輸出企業の不振である」(P.31)と矛盾した記述をしているが、一応、リーマンショック以前に中国経済がすでに落ち込み始めていたことに気が付いている。さらに「中国政府は経済運営方針を大きく転換した」、「北京5輪直前の8月に入ると、従来の輸出抑制から一転、輸出支援に舵を切った」、「この段階での中国政府の対応は、景気を刺激するというよりも、経済成長の落ち込みを予防する意味合いの方が強かった」と続けている。

 この柴田氏の見解は甘い。柴田氏も書いているように08年6〜7月の時点で、国家指導者の総出による異例の沿岸部企業の視察が相次いでいた。中国政府には相当な危機感があったのである。中国政府は07年末に、北京五輪を成功させるために、インフレ対策として超金融引き締めを、また民主主義の外圧に屈して新労働契約法の強制施行を行った。これを嫌った沿岸部の外資が、07年末から08年の旧正月にかけて総撤退をしたので、沿岸部には幽霊工場が激増し経済が大変調をきたしたのである。韓国企業などの派手な夜逃げが続出しのもこの時期である。中国政府首脳がいっせいに沿岸部の内情視察に出向いたのも異例ならば、北京五輪直前に経済政策を大転換させたのも超異例である。それは「経済成長の落ち込みを予防する」というような生やさしいものではなかった。当時の政府にとっては北京五輪を成功させることが至上命題であった。その成功のために布石してきた金融引き締めや新労働契約法の強制施行をかなぐり捨ててまでも、経済の落ち込みを防がなければならないほど、それはひどかったのである。

 次に数年来の中国全土での人手不足に関する言及は、ほとんどない。今年に入ってからの内需景気の盛り上がりによる農民工不足に触れているだけである。しかも「現在の中国の労働市場は、大卒者だけで毎年600万人超、都市部の失業者数が約900万人、農民工が1.3億人など、巨大な労働供給プレッシャーが常時存在している」(P.64)などと書いている。柴田氏は、ほとんどの企業が人手不足に悩んでいる現況をまったく知らず、10年ほど前の戯言を繰り返しており、呆れて物が言えない。

 不動産についても、柴田氏は中国政府発表の情報をそのまま鵜呑みにしているものと思われる。これまで私がなんども指摘してきたところであるが、現在、中国で起きているのはマンションバブルであり、土地はバブルではない。その状態を不動産バブルと呼ぶのは、大きな誤りである。本文中でも柴田氏はマンション販売価格の値上がりについては資料付きで言及しているが、土地価格の値上がりについては、どんな資料も提示していないし、具体的な説明は一行もない。このことだけでも、柴田氏の分析がいかに杜撰なものであるかがよくわかる。

 外貨準備高についても、柴田氏は中国が、「世界最大、第2位の日本の倍以上の圧倒的ボリュームを誇る」と書き、あたかも中国が外貨をもてあましている大国のように喧伝している。しかし柴田氏自身も、「(企業には)経常取引に係わる外貨保有は認められているが、ほとんど外貨は市中保有されない。結果的に、政府が、国中の外貨を集中して運用するという形ができあがっている」と書き、市中にも企業にも外貨が存在していないことを認めているように、中国政府の外貨準備高が世界一だといっても、その実態は、本来、企業所有の外貨を勝手に国家が召し上げて使っているということなのであり、それが多いからといって国力判断の目安にはならないということである。ましてや外貨を稼いでいる多くが外資企業であることを考えると、中国が為替と資本の自由化に踏み切ったとき、いっせいに外資企業が手持ちの人民元を外貨に換えれば、中国は国家デフォルトに陥るであろう。もちろんそのような事態になれば、私の企業も銀行に眠っている遊休人民元を外貨に交換し持ち出す。中国政府やマスコミの外貨準備高世界一という掛け声は、彼らの自己陶酔以外の何物でもない。柴田氏はその尻馬に乗っているだけである。

 現在、中国進出企業のほぼ半数が、この1年でストライキを経験し、深刻に悩んでいる。この喫緊の課題について、柴田氏はまったくといってよいほど言及していない。経済部参事官でありながら、きわめてつれない態度であり、中国で儲けて、日本で納税をしている企業を無視しているかのようである。このようなときであるからこそ、本書で中国におけるストライキの特殊性を解き明かし、それへの対処法を開陳すべきなのではなかったか。それが経済部参事官としての責務ではなかろうか。

 大使館に籠もって、中国当局の発表だけに依存して中国情勢を分析している柴田氏には、モグリ企業やインフォーマル金融の存在が中国経済を大きく左右しているという実情については知る由もないだろう。柴田氏には、上掲の伊佐氏のように市民マラソンに参加せよとは言わないが、もっと現場に入って、しっかりと本物の情報をつかみ、早急に本書を凌駕するような著作を書いてもらいたいものである。

6.「チャイニーズ・レポート」  邱海涛著  宝島社刊  11月19日発行

  副題 : 「あっと驚く! 隣の国の性愛事情」

 店頭でその書籍名につられて、つい買ってしまった。あとで副題を読んで、後悔した。もう私はこの手の本を読んで興奮する年齢でもないが、買ってしまったので読んでみた。たしかに現代中国の一面を描いている本ではあるが、特別に論評をするまでもないと思う。ただしこれを読んで、逆にお隣の中国人は日本の性愛事情をどのように考えているのかを、知りたくなった。