小島正憲の凝視中国

中国はやがて借金大国となる & 読後雑感 : 2012年 第1回 


中国はやがて借金大国となる 
05.JAN.12
 2011年末、中国ではマンション・バブルの崩壊が始まった。

 2012年、中国経済がマンション・バブルの崩壊によって、大きく揺さぶられることは必定である。それでも、それは、中国という国家を崩壊させることはない。中国政府が財政・金融などのあらゆる政策を駆使して、これを乗り切るからである。しかしその結果、中国は、先進資本主義各国と同様の借金大国への道を辿ることになる。

1.改革開放政策とは、無償の資金の獲得政策であった

 ケ小平は改革開放政策に踏み切った。ケ小平が目指したものは、共産党の一党独裁を維持(社会主義)しながら、外国資本を導入し人民大衆の生活を急上昇(市場経済化)させることであった。ケ小平はそれに社会主義市場経済という名称を付けた。そのときそれは、ケ小平の「苦し紛れの方便」のように聞こえたが、今から考えてみれば、「言い得て妙」であったとも思える。とにかくケ小平は、文化大革命で疲弊した人民の生活を急上昇させることができるのならば、「黄猫でも黒猫でも良い」と考え、低賃金の労働力を餌に、先進資本主義各国に頭を下げ、外資企業を招き入れた。

 それに呼応して百戦錬磨の外資企業(以下:外資と略す)、ことに低賃金労働力を利用しようとする労働集約型外資が、中国に一気になだれ込んだ。それらの外資が、工場を建てるために土地(使用権)を求めたので、中国政府は国土(期限付き土地使用権)を切り売りして金儲けができることを知った。外資の中には海外で土地転がしを行い、巨額の利益を掴んできた経験を持つものが多く、中国でも安値で土地を仕入れておき、やがて大儲けをしようと企むものも出てきた。ここに外資と政府の思惑が一致し、一時期、工業用地が野放図に中国全土に拡大していった。同時に中国政府の懐中には、労せずして多額の資金が転がり込んだ。中国政府はそれを元手に、インフラ整備などを手がけた。もっともそこに腐敗の芽も潜んでいた。

 こうして中国は自力更生を捨て、他力依存つまり外資依存で、人民大衆の生活を疲弊した状態から離陸させることに成功した。しかしながらこの改革開放政策は、外資から資金と技術、場合によっては市場まで融通してもらったものであった。改革開放政策と言えば聞こえは良いが、それはいわば外資の投資つまり無償の資金援助を当てにした政策であった。企業でも国家でも、創業時つまり離陸するときがもっとも苦しく、その際の最初の資金の獲得がもっとも困難なのである。中国政府はこれを、外資導入といういわば無償の資金の獲得で乗り切ったのである。余談ながら、その離陸には、日本のODAの資金も一役買っている。

 わが社は1990年、中国湖北省黄石市に縫製工場として進出した。当初はわずかな投資であったが、工場の拡大とともに、その額はどんどん増えていった。そして1995年までの6年間でその規模は、5工場、総勢1万人の労働者を雇用するまでになった。この工場の急拡大に、わが社からの投下資本が大きな役割を果たしたことは言うまでもないし、それがなければ急成長は不可能であった。とにかく当時の中国企業は、一般に資金なし、技術なし、売り先なしという状態であり、あるのは無尽蔵の低賃金労働者と工場用地か建物だけであった。わが社からの投資は、そのほとんどがミシンなどの設備の外国からの購入に当てられた。

 当時の中国進出企業のパターンは、ほぼわが社と同様であった。これらの経過を振り返ってみるとき、まさに投資という名前の外資の無償の資金援助がなければ、中国経済の離陸は不可能であったと思う。もちろんわが社は、それの見返りとして、日本側でしっかり利益を確保し、日本政府に税金を払った。しかしながら、せっかく「世界の工場としての中国」に進出しても、失敗して撤退した日本企業も多い。それらの企業の投資は、名実共に、中国への無償の資金援助と化したのである。

 もし中国が外資導入という政策を取らず、国債を発行し借金で離陸を目指していたならば、中国の債務はそれだけで1兆ドルを優に超えることになる。いずれにせよ中国政府も中国人民も、改革開放政策という美名のもとで、外資から投資という名の無償の資金援助を受けて、疲弊した生活からの離陸に成功したのである。このことはその後の中国の体質を大きく規定するものとなった。

2.現代中国経済の歩み

 中国は、1992年のケ小平の南巡講話以降、全面的に「中国は世界の工場」の時代に突入した。外資は低賃金労働力を求めて、中国に蝟集した。当時、中国では農村に余剰人口が6億人以上存在していると言われ、それが怒濤のように都会に流出してくるため、低賃金労働力は無尽蔵であると思われていた。しかしそれはわずか10年ほどしか続かなかった。2003年夏、突如として、珠江デルタ地域で人手不足が騒がれ始めた。人手不足は次第に沿岸部諸都市に波及し、数年後には常態化するようになった。当初、それは疑問視されていたが、今では誰一人疑う余地のない常識となった。ただしその原因については、いまだにだれも正確に分析できないでいる。私は「無数のモグリ企業が労働者を吸収し尽くしているため、統計上には一切反映されず、失業率が高いのに人手不足という矛盾した現象が表面化しているのである」という仮説を提唱している。その後、当然のことながら、労働者の賃金は急上昇し、外資は就労環境の改善に努めなければならなくなった。これで「中国は世界の工場」の優位性がかなり減殺された。

 胡錦濤政権は北京五輪を控えた2007年末、外圧に屈し、新労働契約法を強制施行した。この新法は労働者の権利を全面的に擁護したもので、内外資を問わず、経営者にとってきわめて不利なものであった。これ以降、労働者は権利意識に目覚め、各地で争議が頻発するようになり、そのほとんどで経営者側が敗北するハメに陥った。外資はこの事態に慌てふためき、中国から労働集約型外資の総撤退が始まった。2008年の旧正月明けには、韓国企業経営者の派手な夜逃げも出てきた。この新法は、外資にとって、「中国は世界の工場」の晩鐘となった。

 2008年5〜6月、外資の総撤退で輸出が激減し、中国経済は大きく落ちこんだ。胡錦濤主席以下の中国政府首脳が、総出で沿岸部諸都市を調査した結果、それは容易ならざる事態であることが判明した。中国政府は北京五輪を目前に控え、内需拡大に緊急避難せざるを得ず、家電下郷政策などを打ち出したり、前年末からの金融引き締めを緩和したり、新労働契約法の弾力的運用まで指示した。そしてどうにか北京五輪を凌いだ。しかし9月、リーマンショックが中国経済を襲った。政府は躊躇なく4兆元の財政出動を決定し、汽車下郷政策を始め、内需のさらなる活性化を図った。そして先進資本主義各国が総じて、経済危機脱出策を打ちかねている間に、中国はいちはやく内需の拡大に成功したため、「中国は世界の市場」として、その名を馳せる結果となった。

 しかし実際には、「中国は世界の市場」の幕は、2001年に切って落とされていたのである。1992年以降、中国からの怒濤のような輸出攻勢が欧米市場を席巻し続けた結果、中国は欧米諸国から国内市場の開放を迫られるようになった。2001年、中国は外圧に負け、WTOに加盟し、国内市場の開放に踏み切った。それでも当時は、中国市場に積極的に参入する外資はあまり多くはなかった。私は、「やがて中国が世界の市場になる」と読んでいたので、中国市場へ進出しようとする日本企業のために、上海の中心地の商業ビル(上海世貿商城)内に200店舗分のスペースを借り切って、日本商店街をオープンした。

 当時わが社は、中国全土の百貨店内に直販店を60店ほど持っていたので、中国市場の難しさがある程度わかっていた。そこで日本企業にまずこの商店街に入居してもらい、中国市場に慣れてもらおうと考えたのである。そこにコピーやFAXなど事務用機器をはじめ、事務員や通訳、コンサルタント、通関士、税理士、弁護士などを準備して、進出企業がそれらを気軽に使えるように工夫した。もちろん家賃は格安とした。ところがこのわが社の呼び掛けに呼応して、中国市場進出に名乗り出て来る企業は少なかった。ファッションショーやモデルのオーディションなどもやってみたが、さっぱり効果はなかった。1年半後、私は大損をして、この事業から撤退した(拙著:「中国ありのまま仕事事情」 P.70)。

 その後、中国は高度成長期を迎え、中国人民の中に富裕層が生まれ、彼らが内需の担い手となっていった。また2008年の北京五輪などをきっかけとして、中国内需に目をむける外資も徐々に増加していった。さらに2009年に入り、中国政府の4兆元の内需景気刺激策の効果が現れ、外資にとって、中国はきわめて魅力的な市場と映るようになった。しかも外貨準備高世界一、GDP世界第2位などの数字が一人歩きし、各国のメディアが「中国は世界の市場」と大合唱したので、その中国市場を目がけて新規の外資が雪崩を打って進出する事態となった。

中国は「世界の工場」から「世界の市場」へ、完全にモデルチェンジすることに成功した。しかも「中国は世界の工場」のときよりも、「中国は世界の市場」のときの方が、外資の参入が、額も件数も格段に多くなったのである。この新規外資の参入は、無償の資金援助の続行となり、まさにそれは中国にとって天佑となった。なぜなら工場型外資の投資は工場や設備に使用され、一定期間、資金が寝てしまうが、市場型外資の投資は、そのまま仕入れや給与などの運転資金に回され、速効的な働きをするため、内需の活性化には特効薬の役目を果たすからである。しかもそれらの外資が失敗して撤退する場合には、固定資産はほとんど残っていないため、投資は中国の丸儲け状態になるからである。しかしながら私は、中国にとって、それは両刃の剣であると考えている。なぜなら「中国は世界の市場」の掛け声につられて中国市場に進出してきた外資は、逃げ足が速いからである。中国市場が儲からないと分かれば、それらの外資はさっさと撤退してしまうからである。

 一方、4兆元の内需刺激政策の結果、中国にはマンション・バブルという怪物が誕生してしまった。もともと地方政府はインフラ整備などを名目にして、農民からタダ同然の値段で土地を収用し、それを不動産開発商に高額で売却し、多額の収入を得て、その資金をインフラ整備などに充てていた。なおこのとき、その一部が地方政府役人の腐敗の温床になったことは疑う余地がない。不動産開発商がそこにマンションを建てて売り出すと、それに富裕層が蝟集した。彼らは投機目的でマンションを2〜3軒、買い求めた。マンション価格はどんどん上昇し、とうとう沿岸部のマンションの値段は東京を超えるようになってしまった。マンションは人民大衆には、まったく手の届かないものとなり、怨嗟の的になった。また人民元高を狙った投機資金の流入やインフォーマル金融もそれに加担し、その資金がマンション価格を押し上げた。中国政府役人や富裕層は、このマンション・バブルで大金を儲けて、外国に高飛びしようと企んだ。高騰するマンション価格は、中国人民の間に充満している格差への不満の絶好の対象となった。頻発する労働者のストや公害反対デモ、土地騒動などを前に、中国政府はマンション・バブルつぶしに動かざるを得なくなった。 

 2011年末、沿岸部主要都市のマンション価格は、少なく見積もっても20%は下がり、バブル崩壊は間近に迫った。

3.バブル経済崩壊後の中国

 中国のバブル経済は、日本のバブル経済とは違い、マンションのみがバブル化しているところに、大きな特徴がある。株は数年前にすでに崩壊済みであり、土地も工業用地や商業用地も、それほど値上がりしていない。わが社は中国各地に工場を持っているが、その用地にはいろいろな制約があり、簡単に売買することはできない。もちろん売買の対象は期限付きの土地使用権であるが、それさえ個人名義で所有することはできない。富裕層が会社を設立し、土地転がし目的で工業用地を買い求めたとしても、そこには「2年以内に開発すること」という条件がついており、購入した土地に期限内に建物を建てなければ没収されることになっている。現に日本企業の中でも、没収された例がある。しかも建物は建てたけれども買い手がつかず、幽霊工場となっている物件が、中国全土に満ちあふれている。その上、「中国は世界の工場」の時代は終わり、今や工業用地は無用の長物となりつつある(拙著:「中国ありのまま仕事事情」 P.106)。

 このマンション・バブルのみの崩壊という事態は、米国のサブプライムショックに似ている。あのとき米国では、銀行に口座が持てる層が直撃されたのであり、それ以下の、銀行に口座すら持てない極貧層には、直接大きな影響を与えなかった。したがってローンでの住宅購入者の個人破産や不動産業者、金融機関の倒産があっても、極貧層の暴動は起きなかった。今回の中国のマンション・バブル崩壊も、富裕層や不動産開発商、金融機関を直撃し、それらを崩壊させるが、人民大衆の暴動は起きない。おそらくマンション価格の値下がりに快哉を叫ぶ人民大衆が多いにちがいない。

 しかしながら不動産開発商や金融機関への影響はきわめて大きい。政府関係者は「マンション価格が半値になっても大丈夫である」と豪語しているが、連鎖反応的に起きる個人破産や不動産開発業者の倒産は、銀行に不良債権の山を築く。中国政府はこの事態を、先進各国同様、債権買い取り機構の増設、巨額の公的資金の導入などで解決するだろう。その多くを土地売却収入に依存していた地方政府は、これを地方債の発行でまかない、逃げ切るのだろう。そのためすでに中央政府の許可のもとに、一部地域でその地方債発行の予行演習が行われている。インフォーマル金融の崩壊については、新たな法律を制定するだろう。いずれにしても共産党の体制を維持するためには、人民の生活向上の維持が絶対条件であり、中国人民からチャイニーズドリームの幻想を失わせてはならず、いわば輪転機をフル回転させても、共産党は人民の生活安定と向上に努めるに違いない。

 問題は、富裕層の崩壊が、「中国は世界の市場」の幻想の崩壊に直結していることである。私は従来から、「中国内需が儲かる」というのは、虚構であると言い続けてきた。マンション・バブルの崩壊とともに、富裕層が没落し、これでやっと「中国市場が儲からない」ということが誰の目にも明らかになってくる。つまり化けの皮がはがれるのである。やがて中国内需に見切りをつけた、市場型外資の総撤退が始まる。ここで中国を延々と支え続けてきた無償の資金援助が杜絶するのである。

 同時に自慢の外貨準備は激減する。なぜなら中国の多額の外貨準備は、貿易黒字や投資をその源泉としているが、その貿易黒字の過半は外資が稼ぎ出しているものであり、それを中央政府が強制的に召し上げた結果だからである。それは投資分を含めてもともと外資のものなのである。したがって外資は手持ちの人民元を外貨に変え、合法・非合法を問わずあらゆる手段を使って、いっせいに国外脱出を図る。人民元は急落し、さらに外貨が減る。それらの事態は韓国の1998年のIMF危機の再現となる。中国は国債を大量に発行して急場を凌ごうとするであろう。かくして中国は、中央政府は国債、地方政府は地方債に大きく依存する借金大国となる。 

 このとき中国には、労働集約型外資はすでになく、市場型外資も足早に逃げ去っており、多くの労働者の受け皿はない。ここに失業問題が大きく浮上してくる。また中国政府は数年前から、沿岸部を中心にして産業構造の高度化を企図してきたが、新産業は育っていない。新労働契約法施行の結果の労働者の権利意識を恐れて、知識集約型・ハイテク型外資は順調には入って来なかった。また中国の経営者はバブル期に労働者の反乱に嫌気がさし、経営意欲を喪失し、実業を諦め虚業としての財テクに走っており、運良くそれに成功したものは、すでに海外に高飛びしてしまっている。その中国をインフレが襲い、やがて少子高齢化という大波が押し寄せる。

4.日本の中小企業家は、この事態に、いかに対処すべきか?

 私は、日本の中小企業経営者のために、「中国バブル崩壊時に備える7か条」(日経ビジネス「中国ビジネス 2012」所収)を書いておいた。その見出しを以下に列挙しておく。

@進出企業は早い段階で資産を売り逃げしておく。いったん利益を確定したのちチャンスを見て再挑戦すればよい。

A人民元が急落する可能性が強いので、持ちすぎないこと。

B中国内に骨董品や絵画などの財宝が湧出してくるので、安価で購入する。ただし国外へ持ち出す時は注意が必要。

C中国内のマンションや土地などを安価で購入する。ただし土地については、十分な調査が必要。

D騒乱の兆しがあっても進出企業は中国内にとどまり、逆張り経営を行い、千載一遇のチャンスを見出す。

E日米の不動産を安価で購入しておき、中国人移住者に提供する。

F中国人の海外資産を安価で購入する。

5.日本人はなにをなすべきか?

 「中国経済の現状は、日本の80年代後半のバブル経済との間には差異がある。現在の中国は、1965年ごろの日本経済、1971〜73年の日本経済と酷似しており、政策さえ間違えなければバブル経済の崩壊は避けられる」との主張もある。百歩譲ってその主張が正しいと認めたとしても、もし現在の中国が1970年代初頭の日本の姿と酷似しているとするならば、行き着く先は日本と同様の借金大国となるわけである。なぜなら日本の正常な経済成長は1965年の赤字国債解禁前までであり、1975年以降は赤字国債発行が恒常化してしまったからである。その後は、いわば借金を重ねて成長したわけであり、結果として解決不能な1000兆円余の借金を背負ってしまったのである。それは異常であったと言わざるを得ない。このような1965年以降の日本を現代の中国になぞらえるということは、中国に異常な借金大国の道へ進むことを勧めているのと同じである。今、日本は中国に、この道を辿ってはならないと言うべきなのである。もし日本の歩んできた道が正しいと信じ、中国にもそれを勧めるのならば、日本は1000兆円余の借金を見事に返済してからにすべきである。

 日本は1000兆円余の借金を返済し、目前の少子高齢化社会を解決する妙案を実施し、数々の懸案を解決すべきである。もっとも、高度成長の果実をふんだんに受け取ってきたのは、私たち団塊の世代である。私たちは、「飢えを体験せず、戦争も経験しなかった」という人類史上、稀に見る幸運な時代を生きてきた。ただしそれは末代に1000兆円余という借金を残すことによって、優雅な生活を先食いしただけのことである。私たちは、本来、できるはずのない豊かな生活をエンジョイしてしまったのである。したがって私たち団塊の世代は、死ぬまでに、1000兆円余の借金を返済しておかねばならない。

 日本人は、まず自分の頭の上のハエを退治し、日本を健全な国家に立て直し、世界や中国に見本を示すべきである。そのためには日本人全体が、とりわけ団塊の世代が、「国家が何をしてくれるかよりも、国家に何で貢献できるか。国家にどのようにして尽くすか」を考え、自らの権益を捨て、日本の借金完済のために、できる限りのことを実践すべきである。たとえば私は、懸案の年金制度について、現行の賦課方式年金制度を取りやめ、同世代扶助方式年金制度を実施すべきであると考えている。近い将来、その叩き台を提案したいと思っている。少子高齢化の方は、老人が早死にすれば、これは自然に解決する話であり、そのモラルを確立すればよいだけである。私はその一案として、「老人決死隊」を考えている。また私は昨年、アジア・アパレル・ものづくりネットワークや現代中国情勢研究会を立ち上げた。今年は、日本の未来のために役立つような新たな組織を創出したいと考えている。

 いずれにせよ団塊の世代は、残すところ10〜20年で、この世から姿を消すのである。老醜をさらすのではなく、有終の美を飾ろうではないか。私たちは、十分人生を楽しんだではないか。この上は、借金を完済し、再び光輝く日本を取り戻し、死んで行こうではないか。そして借金大国としての道をひた走る中国に、借金返済法や少子高齢化社会の解決法などを「後ろ姿」で教えるべきである。もし中国が苦境に陥ったら、反中感情など捨て去り、ただちに援助の手を差しのべるべきである。そのときのために、多額の援助資金を貯めておかねばならないことは言うまでもない。なによりも、日中が反目しあうような関係は、わが世代で終止符を打っておこうではないか。



読後雑感 : 2012年 第1回 
06.JAN.12
1.「中国・電脳大国の嘘」
2.「中国文化強国宣言批判」
3.「中国モノマネ工場」
4.「“すいません”が言えない中国人 “すいません”が教えられない日本人」
5.「経済成長を牽引する中国女性消費者のリアル」 

1.「中国・電脳大国の嘘」  安田峰俊著  文藝春秋  12月20日
  副題 :「ネット世論に騙されてはいけない」
  帯の言葉 :「中国に幻想を抱くな! そんなの全部“嘘八百”!?」

 また頼もしく、愉快な若者が登場した。著者の安田峰俊氏は29歳の若者である。安田氏は本文中で、かなり加藤嘉一氏を意識して持論を展開しているが、このように若者たちがお互いをライバル視して、競い合う姿を見て、私は頼もしく、ほほえましく、かつうらやましく思う。私は安田氏の前著「中国人の本音」を読んだときは、このような感想を抱かなかった。しかし今回の著書では、安田氏自身が若者らしく謙虚に前著を振り返っている。このくだりを読み、私はこの若者のすがすがしさ、素晴らしさを改めて認識することができた。この本は学術的にも評価されるべき水準を備えていると思う。その意味で、この本にジャーナリスティックなタイトルが付けられたことは、誠に残念である。

 安田氏は、「言うまでもなく,2010年に発表した処女作“中国人の本音”でこれらの話題を肯定的に取り上げ、“中国の変化”への期待を隠しきれなかった筆者自身からして、往年の“カン違いの歴史”を忠実に踏襲した“バカ”な日本人の一人である。筆者はこれ以上手遅れになる前に、他の“中国業界”の人々に先駆けて、前著における自分の主張への部分的な修正と、それに対する自己批判を本書でおこなっておこうと思う」と、転向の弁を語っている。私は安田氏の主張の是非はともかく、この潔さを支持する。まだ若いのだから、前言に拘泥せず、面子もなにもかも捨て、真実を追い求めればよいと思う。

 安田氏は、高速鉄道事故後の上海や杭州の現地状況を歩いて回り、「今回の高速鉄道事故後の上海や杭州の街に、“世論の沸騰”はほとんどみられなかった。“沸騰”していたのは、“微博”に代表される中国のネット上の書き込みと、それをセンセーショナルに取り上げる日本の国内報道だけだったのだ。現地の社会とネット上の社会では、さながら別の中国が存在するかのようだった」という調査結果に辿り着いている。そして「ネット上の自由な気風や活発な言論が、“中国の民主化”や“一党独裁体制の打破”への道を開いていくのではないか―?といった意見も、近年は日本を始めとした西側のメディアや識者を中心に少なからず見られる。重ねて書いておくが、ほかならぬ筆者自身、2010年の春に刊行した“中国人の本音”では、似たような主張を行っている。だが、過去の筆者を含めて、こうした楽観論には中国のネット世論が孕む根本的な問題点を考慮していない意見が多いように見えることも事実である」と、自省している。

 その上で安田氏は、ネット世論をその質と量の両面から分析し、「中国の5億人の“網民(ネット利用者)”の大部分は、政府批判や民主化議論のためではなく、友達との雑談や女の子のナンパ、株などの金儲け、有名人へのミーハーな追っかけ心理、もしくはタダで映画や音楽を楽しむなどといった、きわめて人間臭い動機からインターネットを利用しているだけである」と喝破し、「日本では数年前まで、大手の報道機関やまともな中国ウォッチャーであるほど、“中国のネット上の書き込み”の内容を、一般の情報よりも一段劣った信頼できない情報として扱う傾向があった。だが、2010年ごろまでにこうした姿勢が180度転換していき、現在では中国で起きた些細な事件でもとりあえず“ネット世論の反応”を引き合いに出すような新聞記事やニュース番組・書籍などが、かなり多くみられるようになった」と説明している。そして「こうした一連の論調は、中国の全人口から見れば数%程度にすぎないごくわずかな人々に対して、日本人の願望を過度に投影するがゆえに生まれているのではないか。ここでいう“願望”とは、中国人は共産党政府に対して爆発するほどの不満を持っていてほしい、中国はなにかのきっかけで民主化してほしい―。という、日本人の中国に対する一方的な理想論に基づく幻想のことだ。われわれ日本人は、この幻想のフィルターを常に目の前に被せながら“ネットが中国を変える!”と薄っぺらい言葉を掲げて大喜びしているのである」と断じている。まことに辛辣だが、至言だと私は思う。

 さらに安田氏は、「われわれ西側諸国の住民たちが考えているほどには、民主主義は世界のあらゆる国家にとって、ベストな体制とはいえないのである」、「仮に政権が倒れたところで、反体制運動を思想面でリードしていた上品でリベラルなインテリたちが、“次”の中国の政権を担える保証はまったくない」と書き、「過去の事例から判断する限り、上品で知的で控えめなインテリは、中国の支配者にはなれない。たとえ最新技術であるインターネットの力をもってしても、中国という国の性質が根本的に変わることはない。中華王朝数千年の統治の伝統は、たかがネットごときで変わるほどヤワではないはずである」と結んでいる。この指摘には、私も同感である。なお、この章の“壁破り”ネット利用者と孫文や共産党創始者とを比較分析して、その類似性に言及している点は、参考になる。

 私は、安田氏の「ネット世論が、中国を民主化するなどという幻想に騙されてはいけない」という主張に反対ではない。たしかにネット世論などという得体の知れないものに、幻想をいだくべきではない。しかしながら、今やインターネットが中国社会の末端の出来事まで、リアルタイムで一般社会に浮上させてしまっており、しかもそれらは中国政府に不都合なものが多い。さらにそれらは瞬時に海外に漏出するため、全世界に曝され、場合によっては中国政府に批判が集中する事態となる。その結果が中国政府への外圧となり、それへの政府の対応策を妥協的な方向に傾かせることになる。私は、ネットのこの影響力は無視できず、やがてボディブローのように利いてくるのではないかと思っている。

2.「中国文化強国宣言批判」  高井潔司著  蒼蒼社  12月12日
  副題 : 「胡錦濤政権の落日」

 高井潔司氏は元新聞記者であり、現在は大学教授である。この本は学術書の体裁を装っているため、難解で寝転がりながら読むというわけにはいかなかった。高井氏がこの本で展開しているものは、上掲の安田氏の主張の対極にある。つまり高井氏は、「市民大衆がインターネットを通してその声を発信し、政治や外交に影響力を及ぼすようになったのも見逃せない。“インターネット民主主義”とさえ呼ばれる現象も起きている」、「伝統メディアが基本的に国有で、党や政府を始め経済階層で言えば、上層の人びとの代弁者となっているのに対し、誰もがアクセスしやすいインターネットは大衆の武器であり、それを通して大衆が政府や特権層の横暴を監視し、批判し、摘発するというわけである。インターネット世論の力は強大になっている」と、インターネットが世論形成に大きな役割を果たしていると評価しているのである。

 私は、「ネット民主主義」や「ネット世論」などの評価に関しては、上掲の若い安田氏に軍配を上げる。なぜなら高井氏は元新聞記者に似合わず、現場主義ではないからである。高井氏がこの本で書いている中国の現場での調査は、わずかに瀋陽と重慶の2か所だけであり、それも数日間のみで、しかも限られた範囲のものであり、独自の調査ではない。さらに高井氏が本文中で使用している資料も、政府の発行文書や統計数字の羅列、中国人学者の論文からの引用が多く、「その背景を読まなければならない」という割には、それらを疑問視し検証することなく、鵜呑みにして使用している。

 たとえば、「21世紀に入って、中国では、デモや暴動などの“集団抗議事件”が頻発している。…(略)。一説には2008年には、12万7千件、2009年には20万件を突破したと言われる」と無邪気に書いている。もしこの暴動発生件数が事実であれば、中国全土の各省ごとに、1日で17件以上(20万件/32省/365日)の集団抗議事件が起きていることになり、これは高井氏の瀋陽や重慶の短い訪問期間中でも、必ず目にすることができるほどの数である。この暴動発生件数の政府報告は、現場を重視している者ならば、その誤りを簡単に見破れる程度のものである。高井氏が中国滞在中に体験しなかったことが、なによりの証拠でもある。こんな情報をなんの検証もしないで、そのまま論拠としている本書は、信憑性に欠けるものだと言わざるを得ない。現場主義の視点から見て安田氏の方が、「ネット世論」や「ネット民主主義」については、現場に密着して正しい判断を下していると言える。

 なお高井氏も現場主義について、「“ステレオタイプ”理論を、マスメディアに導入したW・リップマンは一方で、ジャーナリストの優れた本能として、“行って、見て、語る”ことであると指摘し、現場取材が、現実、事実とステレオタイプの食い違いを発見させ、ステレオタイプを修正するきっかけとなることを示している。したがって記者たちは“現場取材”を常に求められる」と力説している。高井氏がこの文言通りに、この本を書くに当たって、集団抗議事件の現場をくまなく調査していれば、「ステレオタイプを修正する」ことができたであろう。残念ながら、高井氏はその現場にはまったく「行って、見て」おらず、その結果「ステレオタイプ」の結論に陥ってしまっている。

 高井氏は「文化強国宣言」について、「人権抑圧などによって形成される中国イメージは、中国当局にとって、外部からの中国の体制転換を求める圧力と感じるとともに、中国の国民にとっても大きな不満となっている。時には大衆が外部からの圧力に反発して、排外主義的なデモ行進など直接行動を引き起こすこともあり、逆に“ジャスミン革命”のように外部からのよびかけによって、デモや集会が開かれることもある。“中国イメージ”の内外の非対称性は、中国の前途を脅かす不安定、不確定要素となっている。序章の冒頭、紹介した“文化強国”宣言も、中国のソフトパワーを高め、内外に対して強固な不動の“中国パワー”を確立し、中国の前途を脅かす不確定要因を取り除こうという狙いが込められている」と書いている。この主張については、私も反対ではない。

3.「中国モノマネ工場」  阿甘著  徐航明・永井麻生子共訳  日経BP社  11月21日
   副題 : 「世界ブランドを揺さぶる“山寨革命”の衝撃」
   帯の言葉 : 「一時の“模倣”はコピー、普遍の“模倣”は革命  中国の驚異的発展を底辺で支えるハイテク製造現場のモノマネ・イノベーション“山寨”の最前線に切り込んだ異色ドキュメント」

こ の本はタイトルからの印象とは逆に、「山寨=モノマネ=模倣」を肯定的に、しかもそれは新産業革命に匹敵すると捉えており、意外な側面からネット社会を描いている。その点で言えば、副題を主タイトルにした方がぴったりの本である。少々回りくどい文章が続くが、辛抱して読めば、それなりの価値はあると思う。なお本書は、「山寨」という言葉の意味を、「“コピー、偽物、ゲリラ”、“非官製、非エリート、草の根”など、いわば政府や企業や団体のお墨付きを得た正式な製品や主流の文化への対義語」であると定義している。

4.「“すいません”が言えない中国人 “すいません”が教えられない日本人」 井上一幸著 
                                        健康ジャーナル社 12月31日
  帯の言葉 : 「中国人を味方につける。活路はその先にある!」

 この本は、一昔前に流行ったような、回りくどいタイトルだが、意外におもしろい。井上一幸氏は日本国内で、中国人を対象とした人材紹介業を行っているという立場から、日本人と中国人の意識のズレについて、分析している。

 第1章で、井上氏は「すいません」という言葉をしつこく追いかけ回し、「すいません」には「依頼のすいません」、「感謝のすいません」、「思いやりのすいません」の3通りがあるが、「すいませんは謝罪ではない」と言い切っている。そして中国人に向かって、「“すいません=謝罪”という理解は捨てて下さい。“すいません”は思いやりの表明です。これを自然に言うことができたら、みなさんの印象はまるで違ったものとなります」と説明している。たしかにこれなら、中国人も納得しやすいだろう。

 第2章では、「迷惑」という言葉を掘り下げ、日本人は、「もし迷惑をかけてしまったら、即座に“すいません”と言って迷惑の悪循環を断ち切る」と書いている。この解説には私も、なるほどと思う。そして「人を信用することができるかどうか−それが日本社会に馴染むための最も大事な要素である。人を信用することができる人は“すいません”と言えるようになり、“日本の文化のわかる人”へ進化していく。一方、人を信用することができない人、言い換えると、“騙そう、出し抜こう、さもなくば自分がやられる!”という思考回路から抜け出せない人は、どう足掻いたところで日本の企業で一緒に働くことなど無理である。そんな人が自分の企業にいたら、それこそはた迷惑であり、辞めてもらったほうが本人の為にも会社のためにも絶対いい」と言い切っている。

 第3章では、「できるできない論争」を、「中国人は“ゼロではない”という意味で“できる”と言い、日本人はそれを“完全にできる”という意味で使う」、つまり「できる」という言葉が表す内容がかなり違うところから、説明している。中国人のよく使う「問題ない」の言葉も同様に、内容が違うと解説している。

 また井上氏は、日本語検定1級はTOEICの600点程度であり、さして難しくはないので、中国人にはもっと日本語が上手になるように努力してほしいと言っている。さらに「中国人が日本に来たら、日本の文化風習に則って行動しなければ相手にされません。受け入れる我々の務めとは、“郷に従え”を支援することであり、間違っても迎合したり見逃したりすることではありません」と書いている。

5.「経済成長を牽引する中国女性消費者のリアル」  沖野真紀著  カナリア書房  11月30日

副題 : 「消費者を知らずして成功なし−中間層・富裕層宅の訪問徹底調査」

帯の言葉 : 「ここに、中国の生の真実がある。このリアリティを攻略できなければ中国マーケットでの勝利はない」

 この本は、「中華人民共和国−目覚ましい経済成長を続けるこの隣国は、日本にとって非常に重要な存在です。国内景気が低迷する中、中国の経済成長を取り込めなければ日本経済の未来はないとも言われる時代、中国進出でどれぐらい成功できるかが日本企業の成長力を大きく左右すると言っても過言ではありません」という書き出しで始まっている。つまりこの本で著者の沖野真紀氏は、最近流行の「中国市場で大儲け」を、日本企業にけしかけているのである。沖野氏のこの本は、中国の女性消費者にターゲットを絞り、その消費動向などを詳しく分析しており、化粧品などを扱う企業には参考になることが多いだろう。

 沖野氏は、世代別の消費動向を次のように述べている。「70后は、改革開放直前に生まれた世代。子供時代はインフラも整っておらず、豊かでなかった時代を経験していることから、理論的に判断する傾向がある。間違いのないものを買おうという意識が強いため、有名なブランドものを好む人が多い。80后は、消費に積極的な世代。流行など新しいものに対する関心が高く、それがそのまま消費行動に移りやすい。その反面、自分の個性を大切にするため、人とは違うものを欲しがったりする。90后は、学生が大部分を占めており、インターネット文化に慣れ親しんでいる世代であることが特徴といえる。豊かさの中で育った世代であるため、人生を楽しむことに価値を見出すと同時に、周囲に気を配れず、自己本位と批判されることもよくある」。この視点は、今後の中国の動向を読むために、参考になる。

 沖野氏はアムウェイについて、「世界中にあるアムウェイの中でもナンバー1の売り上げを誇るのが中国アムウェイと言われ、中国では知らない人がいないくらい知名度も高い。大都市に限らず、中国のどこに行ってもアムウェイの広告をみかける。地下鉄の連絡通路一面がすべてアムウェイという場合も結構ある」と、その裏の顔も知らずに無邪気に書いている。このあたりが世間知らずの沖野氏の限界なのであろう。

 なお沖野氏は、「消費力は各人の住宅事情にも大きく左右される。特に中国ではこの住宅事情が何パターンにも分かれる」と書き、「まず、住宅制度改革の際に単位房子の払い下げを受けた人たちは、死ぬまで住居費がかからない。中国の老人たちが孫に十分なお金を使えるのは、住居費がかからない人が多いからだ。彼らは年金も多く、改革開放前の質素な時代を生きてきた世代であるがゆえ、自分のためにお金を使うという習慣がない。それゆえ、お金は自ずと蓄積され、彼らの子供や孫へと流れていく。住宅をローンで購入した人たちも、不動産が高騰する前に購入した人と、高騰後に購入した人では、雲泥の差がある。さらに不動産が高騰する前に購入し、値が上がってから転売して財を得た人もいるので、同じ年収でも不動産の取得のタイミングで生活はまったく異なる。一方、住宅を賃貸している人たちは、都市部を中心にどんどん値上がりを続けている家賃に生活を圧迫されている状態だ」と続けている。つまり、同じ人民大衆でも、住宅取得を通じて、目端が利いて金儲けできた層と、貧乏くじを引いている層が混在しているということである。