小島正憲の凝視中国

上海万博雑報 : その2


上海万博雑報 : その2
−中国が上海万博で失ったものは何か−
05.NOV.10
 上海万博が終わった。巷では、入場者が7300万人を突破したことをもって、大成功したと喧伝されている。

 しかし私は、中国人民にとっては、失ったものが大きく、上海万博は開催するべきではなかったと考えている。

1.「謙虚さ」の喪失 : 「裸の王様」となった中国政府と人民

 10月27日、私はせめてもう一度、上海万博を見ておかなければと思い、会場に駆けつけた。前売り券を購入していたが、入場するためにはそれを当日券に交換しなければならず、そのために1時間以上並ばなければならないほど、入場者が殺到していた。その人混みの中で私が困惑していると、ダフ屋が近寄ってきて、当日券を70元で売るという。前売り券が90元であり、それは意外に安く感じたので、偽物かもしれないと思ったが買い求めた。そのおかげで速く、無事に入場できた。

 私は遠大館というその名前からは、展示の中身がまったく想像できない館に入ってみることにした。ここは小さくあまり有名な館でもないのに、結構人が並んでおり、入館までに45分かかった。本館へ入館する前に、戸外に20フィートコンテナが置いてあり、30人ほどの人が1グループとなり中に入っていく。なんだろうと思って見てみると、それは地震体験BOXであり、側面には「ブン川の地震は震度7.2。老人と子供は入室禁止」(ブン:サンズイに文)などと書いてあった。中に入ってみると、電車の吊革のような物が天井からぶら下がっており、それにしがみついて地震を体験する仕組みになっていた。5分ほどだったが、たしかにすごい揺れだった。

     

 地震体験にびっくりした後、本館に入っていくと、そこには「地震に強い建材や工法」と題して、各種のレンガや鉄筋などの類が並べられていた。次の部屋には、「寒さに強い住宅」と題して窓ガラスや防寒レンガが展示してあった。ここに「零下20℃の外気に囲まれた部屋が作ってあり、そこでそれを体験できるように作ってあれば」と思ったが、さすがにそれはなかった。さらに次の部屋には空気清浄システムの展示がしてあった。つまりこの遠大館は建築資材展示館であった。そこには名刺の受付箱や商談室などが設けられており、係員も待機していた。私はここに万博の原点を見た気がした。本来、万博というものは、このような商品展示が目的だったはずである。いつの日から、箱物競争になってしまったのであろうか。なお、この遠大館について、上海万博公式ガイド(日本語版)には、地震体験のことは一言も記述されていないので、おそらく日本人はこの館に興味を持たず、よほどの万博マニアでなければ入館していないだろう。

 私は前回のアメリカ館やその周囲の館、そして今回の船舶館などを見て回っただけであり、それで上海万博全体を評価するにはあまりにも早計であるとは思う。しかしこれまで多くの人の上海万博の感想を見聞してきた中で、箱物や上海のインフラ整備に関する評価などはあったが、各館の中身を高く評価したものにはあまりお目にかかったことがない。私はアメリカ館を見て、あの館にはまったく中身がなく、あれは大いなる詐欺だと思った。同時に中国人はアメリカになめられたと感じた。それでも中国人はだれも怒らないので不思議に思ったぐらいだ。

 中身のないのはアメリカ館だけではない。その他の館も同様だったようである。それについて、中国のネットには次のような文言も踊っていた。「(責められるべきは)万博入場者などの中国人民を騙している人々の方で、とりわけ主催者たちや政府関係者だ。なぜ人々は必死に上海万博を見ようとするのだろうか。それは主催者たちが詐欺の宣伝をしたからだ。国を挙げてイベントを宣伝し、国を挙げて人民を騙している。万博はそもそもごく普通の展示でしかないのに、政治化し、一般的なものを巨大で異常なものにデッチ上げ、国家の尊厳と一体化させ、国家の強盛と結びつけてしまったのだ」。なお、この文言はすぐにネット上から削除された。

 中身のない箱物を見るだけに、入場料を払い、数時間をかけて並び、まさに「くたびれもうけ」としか言いようのない上海万博であっても、7300万人を超える入場者があり、中国全人民がこぞって上海万博の大成功を喜んでいる。この現象は中国人の自己陶酔であると言っても過言ではない。まさに本音では誰も「素晴らしい」とは思っていない上海万博を、マスコミや政府や入場した人民が、異口同音に「素晴らしい」と合唱するので、結果としてすべての人民が「上海万博は素晴らしい」という幻想に取り憑かれてしまったのである。これはまさに中国政府も人民も、「裸の王様」に成り下がってしまったということである。私のようなへそまがりか、素直な子供だけが、「上海万博はつまらない」とその本質を見抜き、はっきりと言い切ることができるのである。

 中国政府と人民はこの上海万博の大成功で、「先進国への仲間入りを果たした」と、錯覚している。おりから中国はGDPで日本を抜いた。日本の10倍の人口を持つ中国が日本のGDPを抜いたからと言って、国民一人あたりのそれは1/10であって、それほど騒ぐことではないが、中国人民はあたかも日本を凌駕したかのように、これまた錯覚している。

 これらがあいまって、中国人民の中に大国意識が芽生えている。

 私は現在の中国経済は、「張り子の虎」あるいは「砂上の楼閣」であると考えている(このことは近々、別の機会に論証する)。まさに上海万博がそれを象徴している。外面は豪華だが、まったく中身はない。これが上海万博であり、中国経済の現実である。問題は、この実態を中国人民が意識していないことである。中国人民は、上海万博の大成功とGDP世界第2位などという宣伝文句に踊らされて、中国は経済大国であるという幻想に酔いしれてしまっているのである。

上海万博で中国人民が失った物は、「中国は張り子の虎であるという自覚」、「中国経済は砂上の楼閣であるという自覚」、そしてそこから発生する「謙虚さ」である。中国人民は元来、「謙虚さ」の少ない性格である。それが「謙虚さ」を捨てて「傲慢さ」を身につけてしまったのである。短絡的ではあるが、それが若者たちに顕著に現れて、反日デモなどに反映していると言える(これも別の機会に論証する)。「謙虚さ」を忘れた人民は、まじめに努力をすることを放棄する。したがって中国経済は遠くない時期に急降下する。

 もちろん40年前の日本の大阪万博でも、今回の上海万博と同じであったではないかという反論もあるだろう。これに対して私は、日本の場合は、その3年後にオイルショックがあり、日本国民全員が、「日本経済は砂上の楼閣」であることに気付かされ、「謙虚さ」を取り戻さざるを得なかったし、その結果、まじめに努力しなければ国家が破滅するという危機感を共有した。そして日本は官民共に、ひたむきに省エネ・省力・省人化に突き進み、重厚長大型経済構造から軽薄短小型経済への構造転換に一気かつ見事に成功したのである。それが日本経済の真の強さ(産業構造の高度化)を確立したのである。

 中国政府と人民は、上海万博で「謙虚さ」を失った。この代償はとてつもなく大きい。


2.民主主義の喪失 : 国家権力による個人の行動情報の掌握

 話が前後するが、当日、私はまず浦西の万博会場に入り、地図を広げて、一番先にどこの館に行こうかと考えていた。すると私の携帯電話にメールが入ってきた。急いで見てみると、それは万博事務局からのもので、そこには「万博会場へようこそ。万博会場の地図や人気館情報は…を見て下さい」と書いてあった。私は「ヘェー親切だなー」と思いながら、船舶館の方へ歩いていった。するとまたメールが入ってきた。どうせ同じ物だろうと思いながら画面を見てみると、今度は「浦西と浦東の海上を結ぶフェリーの最終時刻のお知らせ」だった。私は、「ご丁寧なことで」と思いながら、1時間ほど並び、船舶館を見終えた。次に、5分ほど離れた航空館へ入ろうと思ったが、ここは1時間半待ちの表示が出ていたのであきらめ、隣の信息通信館に入ることにした。それでも30分ほど並び、いざ入館という時に、またメールが入ってきた。今度は何だろうと思って見てみると、「信息通信館にようこそ。この館の見学時間は45分です。入り口でイヤフォンを借りてください」というお知らせだった。そのメールを見終わって私は、「なぜ俺が、現在ここに居ることがわかるのだろうか」と不思議に思った。

 次の瞬間、私は、「あっ、俺の行動が捕捉されている」と感じた。私の背筋に冷や汗が流れた。「万博会場に入ってからの俺の行動が、自動的に逆探知されている」と思ったからである。私は動揺する心を抑えながら、信息通信館を出て、外でしばらく頭を冷やして考えてみた。そこで私は、「つまり問題地域にこのシステムを応用すれば、そこに入る人間は即座に把握できるわけである」、「上海万博はその壮大な実験場だったのではないか」、「おそらくフジタの社員はそれで捕捉されたのではないだろうか」と、次々と想像を膨らませた。

もちろんこれは、私個人の行動を特定したものではなく、万博入場者で携帯電話の保持者のすべてに等しく行われているサービスだと解釈することもできる。また専門家に言わせると、日本でも携帯電話の機能はすべての保持者個人の位置を特定できるようになっており、だから保持者個人が行く先々で、その街の地図や情報を取ることが可能なのであるという。考えてみればカーナビも同様の機能で成り立っている。また迷惑メールなどが勝手に送りつけられたりする事などを考えれば、そんなに目くじらを立てるほどのことではないと言うことも可能である。

 しかし中国と日本の根本的な違いは、@日本の場合は契約時に受信者の同意がある、A同意がない場合でも、受信者がそのような送信者に自主的にアクセスした結果である、B迷惑メールなどは公的組織ではなく私的組織により受信者の情報が勝手に使用された結果である、さらにC送信者が受信者の居場所を、受信者の同意なしで自動的に察知することはできない、という点にあると考える。なお、専門家の意見によれば、日本でも自動的に逆探知をしているが、そのシステムを悪用していないだけだという。またこれを警察権力が捜査令状を取って逆探知することができ、これが有力な捜査方法になっているという。

 中国の場合は、公的組織が個人の同意なしで、勝手に個人の行動情報を握り、公的組織の都合のよい情報を送りつけ、あまつさえ個人の居場所さえ把握可能にしているというわけである。思い出してみると、数年前の反日デモのときには、私の携帯電話にまで「デモへの参加を自粛するように」とのメールが入ったし、大雪害のときには「除雪ボランティアに参加してください」というメールが来た。そのときは不思議に思わなかったが、これは公的組織における個人情報の無断使用であり、重大な人権侵害である。

 現在、中国では8億5千万台の携帯電話が普及している。今後もさらに増えていくだろう。そしてその携帯電話にも9月1日から購入時の実名登録制が実施されはじめた。また10月1日から10年に1度の一斉国勢調査が始まった。余談だが、この国勢調査は80億元(970億円)を投じて行われるもので、かなり徹底したものになる様相である。私の住んでいる上海のマンションにも、実施への協力要請とこの地区の調査員の顔写真が3名分、身分証明書と共に、張り出されている。さらに今回の調査では、中国に居住する外国人も対象とされており、私のところにも調査員が来る可能性があるので、そのときどんな体験ができるかを楽しみにしている。

 中国政府がこれらの基礎資料をもとにして、中国全土にこの逆探知システムを展開し、スーパーコンピューターで管理すれば、13億人の行動情報の瞬時把握が可能となる。ちなみにスパコンの昨年度の世界一は中国所有のものである。この逆探知システムが稼働すれば、今、問題になっている「劉暁波氏の言論の自由の束縛」どころではない。国家権力によって、人民の同意なしで人民の行動情報が逐一掌握されることになり、行動の自由が国家権力によって束縛されることになるわけである。これは重大な民主主義の破壊行為であり、断じて許すことはできない。

 この私の推論は、ITや通信科学には疎い私の全くの的はずれの議論かもしれない。また中国政府もまだその可能性に気が付いていないかもしれない。しかし急速な科学の進歩が、人類が築き上げてきた社会や思想を、台無しにしてしまうことが多々生起している今日、真剣にその危険性について検討しておく必要があるのではないか。

 もちろん中国は、「上に政策あれば下に対策あり」の社会であるから、多くの人民は個人的な防衛策を講じるであろう。私も今後、暴動調査などで問題地域へ入るときや隠密行動が必要な場合は、@携帯電話の電源を切る(電池も外す)、A他人名義の携帯電話を使う、B日本契約の携帯電話(この場合、かなり高額となる)を使う、などの方策を取ることにする。