小島正憲の凝視中国

義烏市の近況


義烏市の近況 
14.MAY.09
                                                                                     中国浙江省の義烏市については世界中にその名がとどろいているので、今さら私がレポートするまでもないと思っていた。しかし国際情勢がかなり変化し新局面が現れてきたので、主に下記の2点を調べるため、義烏市に行ってみた。


@宮崎正弘氏の「イスラム村」情報は本当か。


A金融危機・経済恐慌の影響がどのように現れているのか


義烏市は上海南駅から特急で2時間ほど南下した場所である。この点で言えば宮崎氏の上海近辺とか上海郊外という表現は妥当ではなかった。義烏市は上海からはかなり離れた場所で、15年ほど前は田舎町であった。


@宮崎正弘氏の「上海近辺にイスラム教の集落ができつつある」という情報はほぼ正確であった。


 宮崎正弘氏は、「北京五輪後、中国はどうなる?」(並木書房刊) P.92〜93において、上記の見出しで下記のように書いている。中途半端に引用して、宮崎氏の本意を外すと申し訳ないので、あえて長文を引用する。


 「上海郊外に義烏という町がある。世界的に有名な理由はここがニセ物工場のメッカだからだ。

  観光客もグッチやディオールのニセ物を買い込むためにわざわざやってくる。あれほど著作権侵害を強調して   やまないアメリカ人がバスツアーで一番多いのも矛盾した話。インドやアラブからのバイヤーも多い。

  異変は2年ほど前からはじまった。

  アラブ系ムスリムが次々と中国にやってきて義烏に住みついたのだ。資源重視外交をとる中国がアラブ諸国と  の交流を深化させようと留学生を大量に受け入れた動きに連動している。

  アラブ人は早くも2千人に達しており、数年以内には2万人にふくれあがる勢いだという。

  彼らは半年間有効のビジネスビザで中国に入り、安い繊維製品を買い付けて中東の物流拠点であるドバイに   輸出し、半年経つと香港へ出国してビザを更新して義烏に戻ってくる。中国を出る気配がまったくない。

  しかも中国内のムスリムと連帯して新しいイスラム教のコミュニティを形成しつつある」


 この宮崎氏の記述はほぼ正確であった。


 義烏市の生活雑貨卸売りセンターからタクシーで南に20分ほど走ったところに、アラブ人街があった。そこにはアラブ人の貿易公司が20社ほど、アラブ人向けレストランが10数軒、アラブ人が多く宿泊するホテルが10数軒、かたまっていた。夜などはレストランにアラビア語のネオンが輝き、店の前ではアラブ人男性だけがテーブルを囲み、水タバコをふかしアルコール抜きで談笑している。そこはアラブ世界に迷い込んだような錯覚に陥るほどである。


 ただし長期滞在のアラブ人は一定の場所に集中して住んでいるということではなくて、義烏市中心部のマンションに中国人と混在しているという。


 義烏市にはもともとイスラム教徒はいなかった。2000年に260人ほどのアラブ人が商品買い付けのため、アラブ諸国から義烏市に来て住みついた。その後、年を経るごとに増え、07年には2万人を超えるようになった。それとともに、中国内の回族もここに集まってきて、ペルシャ料理のレストランなどアラブ人向けの商売を始めるようになった。

 

 義烏市政府は中国イスラム教協会を通して北京からイスラム教指導者を招聘して、モスクを建て、国内外のイスラム教徒に便宜をはかった。その後、モスクは数度の引越しを経て、現在は一度に5000人がお祈りできる大きな寺院となった。金曜日の礼拝日には、アラブ人と中国人回族が同じモスク内でお祈りを捧げるという。


 たしかにこの面から考えると、ここに国籍を超えたイスラムコミュニティが成立しているわけであり、中国政府ならずとも不気味な感じがする。


 なお、そのモスクに礼拝に訪れるイスラム教徒は、40%が中国人回族で、残りはイエメン、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イラク、クウェート、パレスチナ、イラン、レバノン、シリア、ヨルダン、リビア、エジプト、マリ、スーダン、パキスタン、アフガニスタン、インド、マレーシア人などだという。


 最近ではこのアラブ人街にも金融危機・経済恐慌の波が押し寄せており、09年に入って帰国するアラブ人が若干増えているという。それに加えて地方から義烏市来ていた商売人や出稼ぎにきていた農民工が帰郷したので、マンションなどに空室が目立つようになり、家主が賃貸広告を出すようになった。


 義烏市のあちこちには、壁一面の広告欄があって、昨年まではそれらが求人広告で埋まっていたそうだが、今では部屋の賃貸広告で90%が占められていた。


 なお生活雑貨国際卸売りセンターの標識には漢字、ハングルと並んでアラビア文字が書いてある。なぜか日本語はなかった。


 とにかく「百聞は一見に如かず」なので、下記の画像を見て欲しい。


      

   ≪市場の標識≫        ≪アラブ貿易商社≫        ≪アラブレストラン街≫

      

 ≪2004年建立のモスク≫    ≪モスク内 注:ネットから≫        ≪回族の少女≫

        

≪夜のアラブレストラン街≫     ≪水タバコ用キセル売り屋≫     ≪貸部屋の広告≫


A義烏市:生活雑貨国際卸売りセンターの景気はまだら模様


 義烏市の生活雑貨国際卸売りセンターは通称:福田市場と呼ばれている。最近になって市政府は呼称を「国際商貿城」に統一するように指導している。センター内には各所にその指示が貼り出されている。


 義烏市には100万人以上の外来人が流入しており、市周辺の人口を含めると200万人ほどになるという。市の中央部に6万2千を超える卸売り店が集中している生活雑貨国際卸売りセンターがある。売り場面積は400万平米を超え、その規模は世界一となっている。日本の100円ショップなどで売られている商品も、ほとんどここで調達されているようだ。そのために日本人経営のミニ商社がたくさんあり、仕入れの代行業などを行っている。もちろん中国各地はもとより世界中からバイヤーが押し寄せている。


 義烏市の李旭航副市長によると、金融危機後、義烏市の労働コストが12〜13%上昇し、それに人民元高と原材料の高騰が重なって08年後半から売り上げが落ちてきているという。それでも義烏市はこの逆境をはねかえすべく、売り場面積を2010年までに500万平米まで拡張する計画を立て、発表した。


 建築予定地は旧卸売りセンターで、現在使用されていない建物を壊し、その跡地を使うことになっている。しかしその建物はいまだ破壊されておらず、09年2月着工計画が予定通り進行しているとは思えない状態だった。やはり金融危機の影響は深刻なのではないだろうか。 


                 

                ≪建設予定地にある破壊されていない建物≫


 義烏市の生活雑貨国際卸売りセンターから、外国人が姿を消したという報道もある。この10年間、世界各地から貿易商が年間数十万人この地を訪れ、買い付けをし各国のデパートやスーパーなどに流通させてきた。


 この現象は「中国経済の奇跡」とまで称された。しかし北京五輪が過ぎたあたりから外国人バイヤーが激減し、その影響は深刻で、中国税関が発表した1月の輸出総額は前年同月比で17.5%減であった。私は義烏市のこの市場を訪れるのが始めてなので過去と比較することができないが、センター内には外国人の姿が少ないという感じを受けた。


 義烏市の繁栄と衰退は、市内を走る高級車を見てもよくわかるという。ディーラーは金融危機後、高級車の販売台数が急激に落ち込み、とくに100万元台の超高級車はまったく売れなくなったと嘆いている。08年度の販売台数は07年度と比べて20%減、ことに下半期は30%以上。09年度に入って売れ行き不振のため値引き合戦になっているという。


 反面、個々の店頭で商売をしている人たちに聞くと、09年度第1四半期の義烏市全体の売り上げは、前年対比増で景気は戻っているという。2008年度の義烏市場商品総取引額は492.3億元に達し、前年対比6.8%増加した。その中の生活雑貨国際卸売りセンターの取引額は381.8億元で前年対比9.6%の増加であった。09年2月5日の春節後初日には16.5万人がセンターを訪れた。これは前年対比10%の伸びであった。たしかに米国市場向けの商品輸出は減っているが、南アフリカ、ヨーロッパ市場は増大しているという。


 それでも義烏市政府は金融危機の影響を考慮し、09年を“市場開拓年”として位置づけ、国内市場に目を向け、幾多のイベントを開催し国内各地からの集客運動を積極的に展開しているという。それらの努力の結果か、センターの店頭では最近、中国東北部からの買い付け商人が多くなったという。                                                              

4月末になって、世界をメキシコ発豚インフルエンザが襲った。これは経済恐慌に追い討ちをかけた模様だが、義烏市のマスク卸売り問屋だけは大活況を呈している。国際商貿城内には100社を超えるマスクの卸売り屋があるが、いずれも注文を受けきれないとうれしい悲鳴をあげているそうだ。

 5/10現在で、このセンター全体から輸出されるマスクは1日500万枚を超えているという。この売れ行きは当分続くと見込まれている。