小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 2010年 第1回 & 緊急報告 : 目下、中国で空前の人手不足進行中


読後雑感 : 2010年 第1回 
29.JAN.10 
 昨今の中国ブームを反映してか、昨年は8月から12月の5か月間で、中国に関連する書籍の発行が40冊を超えた。

一般の読者は書店に並んだそれらの書籍を見て、あまりの多さにどれを読んでよいか迷ったことだろう。また刺激的なタイトルにつられて買ってみたが、中身はそれほどでもなく、がっかりした経験を持つ読者も多かったにちがいない。それらはまさに玉石混交という状態であった。そこで私は中国関連書籍が発行されたら、すぐに読んで、私なりの書評を書き、読者各位に購入の際の資料を提供しようと考えたのである。それが読後雑感を書き始めた動機である。なんとか年末までに、書籍の発行に追いつこうと思ったが、残念ながら10冊以上残ってしまった。さらに年明けにも続々と出版されている。今後はできるだけ発行後10日以内に書評が書けるようにがんばりたいと思っているので、しばらくの間、賞味期限切れのような読後雑感でご容赦ねがいたい。

 今回取り上げたものは以下の通り。

1. 「文革」

2. 「中国報道の『裏』を読め!」

3. 「中国は崩壊しない」

4. 『増長し、無限に乱れる「欲望大国中国のいま』


1. 「文革」   董国強編著  副題 : 「南京大学14人の証言」

   関智英・金野純・大沢肇編訳  築地書館刊  2009年12月15日発行

この本は、現代中国を理解するための、不可欠の書である。

なぜなら文革体験者は、現在、中国の各界の中心人物であり、この本は彼らの自白の書であり、懺悔の書であり、遺恨の書であるからである。

私は学生時代(40年前)に、極左派からよく殴られた。あるときは逃げ遅れて失明寸前まで、顔面を殴打されたこともある。私はその恨みを、今でも忘れることはできない。私を殴打した連中は、現在、日本社会で大手を振って歩いている。著名な政治家あり、大会社の社長あり、大組織の理事長あり、有名な論客あり、ちゃっかりチャイナウォッチャーに転進しているものさえいる。彼らは過去を反省することなく、現在を華麗に生きている。私は自分の恨みを晴らさずに、このまま死ぬわけにはいかないと思っている。親しい友人たちはこの馬鹿げた私の心情を笑うのだが。

私は殺されたわけではない。ただ殴られただけである。それでもこれだけの恨みを抱いている。中国の文化大革命では、中国全土で無数の人間が殺された。そしてまだその当事者たちが同じ社会で生きている。ここに恨みがないはずがない。現代中国は、この文革経験者の心情を理解せずしては、解析不可能である。

編者の董国強は、「この本は南京大学の文革経験者数十名に対して行われた聞き取りの中から、普遍的な意義を持ち、かつ読みごたえのある14編を精選したもの」であると言い、「本書に登場する人の態度はきわめて真面目なものであり、これを利用して個人の恨みをはらすという主観的な要求は全くない」と書いている。たしかに董氏が言うように、この本の中にはそのような個人攻撃に当たるような箇所は見当たらない。しかし随所に恨み節が書き込まれている。それらを以下に書き出しておく。

「私は今でもつらくて悲しくてたまりません。当時の、人間性の全くない残酷な現実を、私は骨の髄まで覚えています。私は共産党に対してなんの恨みも持っていませんが、今でもこのことは忘れません。私は、当時監禁や尋問調査をおこなっていた人々のやり方はまったく人間性の欠けたものであったと思っています。彼らは道義的な譴責を受けるべきなのです。文革終結後の1978年になって、南京大学は冤罪を受けた人たちの名誉回復をおこない、迫害に加担した人々は謝罪しました。しかし?陽で私を監禁していた人々は全く謝っていません」(P.326)

「私は歯を食いしばってこらえていました。もしあそこで倒れていたら、きっと枕木で怪我をしていたでしょう。これが最もたいへんな労働でしたので、よく覚えています。私に『枕木を2本同時に運べ』と言った人がだれだったのかもよく覚えています」(P.150)

「私や粛氏に高帽子を被せて練り歩かせたり、生物学科の10数人を『牛小屋』に入れて、毎日わずかの主食とおかずで重労働をさせたり、あるいは『階級の純潔化』・『地下の反動司令部摘発』運動で無理やり自白をさせたとき、前面で迫害を行ったのは紅衛兵の若い闘士でした。しかし幕の後ろで彼らを操っていたリーダーはZです。彼の『功績』は絶対に忘れることができません」(P.130)

この本が今まで発行された文革本と明らかに違う点は、加害者の証言を載せていることである。さすがに「私が人を殺しました」という文言はないが、それを匂わせる表現はある。被害者として告発することは比較的簡単であるが、加害者が罪を告白するにはかなり勇気がいることである。私は私を殴ったり、当時連合赤軍として社会を騒がせた一味は、その罪を懺悔してからあの世に行くべきだと思っているが、おそらく意気地なしの彼らはそれをしないであろう。中国では、やっと文革時代の加害者の告白が聞けるようになってきた。それを以下に書き出しておく。

「『紅総』の下部組織は、続々と軍隊に行って銃を取ってきました。…(略)このようにして私たち南京市の労働者の武装は、1万人の規模になりました。…(略)この武闘で大体10数人が死にました。何故なら、双方とも銃を持っており、片方が攻撃すればもう片方が銃を撃つという感じでしたので、死者が増えたのです」(P.216)

「揚州『紅総』は、江青の『文で攻め、武で防衛する』の講話が伝わると、直ちに『武衛連』を成立させ、解放軍の武器庫から武器を奪取しました。同級生は武器庫から帰ってくると、腰にモーゼル拳銃を差し、手には日本刀を持っていました。私は武器を持っていなかったので、銃を自作しました。武力闘争が始まったころは、双方矛や刀で戦っていたのですが、武器強奪以降、双方の武力闘争はエスカレートして、死者もどんどん増えていきました」(P.348)

「当時私たちは隊長として、Y先生の尋問を行っていました。尋問後、Y先生はトイレの下水管の曲がった部分にベルトを巻きつけ、結び目を作り、首を吊りました」(P.267)

この本は文革に対する新たな視点をたくさん提示している。以下に列挙しておく。

@文革当初、康生の妻の曹軼欧が一定の役割を果たしていた。

A本の中でほとんどの証言者が、「林彪事件」の後、文革の本質に気付いている。

B文革中に逍遥派として生きていたものが相当いる。あるいは文革で利益を受けたものがいる。

 ※逍遥派とは中間の日和見主義者の一群で、上手に文革騒動に巻き込まれずにうまく立ち回ったもの。

C「私たちは毛沢東の大躍進の誤りを当時の中国の全体的な背景の中に位置づける必要があります。共産党の未成熟や、共産党の小ブルジョア的熱狂性と関係があります」(P.252)

D「振り返って見れば、文革の発生は、我が民族の欠点との関係が深いと思います。ある監督が言ったことですが、我が民族の悲劇は、社会に人為的な災難が到来した際、それに抵抗する人がたいへん少ないということです。また人為的な災難が去ってからも、それに責任を取る人がたいへん少ない―ひどい場合は、一人も出てこない―ということです。…(略)毛沢東が文革を開始したとき、だれも反対意見を出すことができませんでした。劉少奇・ケ小平ですら異議も唱えず、誰もが文革を支持したのです。文革が発生すると、あらゆる人間がこれに巻き込まれ、誰も無関係ではいられませんでした。しかし、政治運動の終結後、懺悔した人はいたでしょうか。みな被害者面していないでしょうか。これは我が民族の最も悪い点であると思います。そして本来は社会のる良知・良心・正義を代表するはずの知識人たちも同様であったことは悲しむべきことです。…(略)このような民族の問題点は、私たちの伝統文化―儒教と道教―に関係があるように思われます。特にキリスト教的な悔恨・反省の意識が欠けてしまっていることは重大な問題です」(P.316)

E「天安門事件当時、私は事件が鎮圧されるだろうと思っていました。しかし大多数の人はそうは考えていなかったようです。…(略)『民主活動家』は少しも民主的な素養がなく、ただ騒ぐだけで騒ぎが大きければ大きいほどよい、という考えだと感じていました。私はこれはよくないと考えました。実際『民主』で重要なのは対話です。ですから話し合いが必要である以上、妥協と譲歩も必要なのです。一度で解決することのできない問題に対しては、継続して理由を述べ、それからゆっくり話し合い、最後に共通の認識に至るのです。

当時社会科学院で若い人に話しました。『現在、政府は完全に対話を拒絶したわけではないのだから、談判をすすめることはできます。しかし一度に高い要求をしてはいけません。ゆっくりやることが必要です。もし10の要求があればまずそのうちの5を出し、次に話し合うときに残りの5を出すのです。こうやってゆっくりやれば目的を達せすることができるのです』。またこういうことも言いました。『改革開放は長期間の漸進的な過程で、ちょうど錆び付いた門を開けるのに似ています。錆び付いた門をどうやって開けますか。なんども開閉して、油をさし、少しずつ開閉を繰り返して、最後に完全に開けることができるのです。すぐに門を開けようとしても、方法はなく、ただ全部閉めておくしかないのです』。

ですから、私の『6・4事件』に対する見方は、当時活動した人々のレベルは高くはないというものです。

また民主を正面から宣伝、主張することは当然重要ですが、現実に多くの民主的行為が踏みにじられている事実に対し関心を払い、このようなことをする当事者を批判・譴責、場合によっては法的な制裁を行うことが必要なのです。政治家・学者・文化人はこの使命を背負っています」(P.74〜75)

※上記の天安門事件への視点に、私はたいへん勉強させられた。ちょうど天安門事件に関して2冊の本が発刊された(「天安門事件から08憲章へ」、「趙紫陽極秘回想録」)ので、次回の雑感でこの視点を加え、検討してみたいと思う。


2. 「中国報道の『裏』を読め!」  富坂聰著  講談社刊  2009年12月1日発行

この本を読んでも、中国報道の裏は読めない。中国報道の「裏を読む」ためには、その報道の「裏を取る」という行為が不可欠である。つまり現場に立ち自分の目でその報道の正誤を確かめ、自分の力で裏に隠された事実を暴き出さない限り、「裏を読む」ということは不可能なのである。富坂氏も文中で、中国のメディアが誤報を垂れ流し続けていると指弾し、その原因を「たいていの誤報記事には、記者がネットなどの情報に依存し、現場に行きたがらなくなっている」からだと書き、現場に立つことの重要性を説いている。けれどもそのように書きながら富阪氏自身は、この著作中で一度も現場に出かけておらず、中国報道を別の中国報道やネット情報で追跡調査することですべてを済ませ、「中国報道の裏を読め!」と大言壮語している。これはまさに誤報を誤報で上塗りしているようなものである。つまりこの本を読んでも、「中国報道の裏を読む」ことなど到底できないということである。

富坂氏は序章で、「07年の中国十大誤報ニュース」を取り上げ、「それが見事に現代中国の世相を反映している」とそれに高い評価をくだしている。その反面、「メディアをチェックする共産党中央宣伝部の機能など、マスコミの日常業務をこまかく検閲して制御できるほど細かい網の目を張り巡らせているわけではなく、またそんな気もないことがよくわかる」と書いている。たしかにこの十大誤報ニュースは「人間が犬に噛み付いた」程度の誤報であり、わざわざ中央宣伝部が目くじらを立てるほどのものではなく、たいして意味のないもので、「世相を反映している」などとおおげさに言うほどのものではない。

また富坂氏は「加えて中国の記者はたいてい社会のエリートで、媒体そのものが大きな権力でもある。虎の尾さえ踏まなければ少々のクレームなんかではビクともしない。こうした体質のために、自浄作用もなかなか働かない」と書いている。これを裏返して言えば、「虎の尾を踏んだ記者は制裁を受ける」ということである。実際に昨年、鋭い社会風刺で有名だった雑誌の編集者以下数十人がいっせいに総辞職した例がある。これは彼らが「虎の尾を踏んだため」、制裁を受けることを予知して取った自発的な行為だったと言われている。富坂氏にはこのニュースを掘り下げてもらいたかったが、残念ながらこの本では一行の論及もなかった。

なお富坂氏のこの本での語り口はきわめて巧妙である。それはそれぞれの章での結論の部分が、疑問形あるいは推量形で終わっており、断定形ではないことを見ればよくわかる。つまり富坂氏は意識的に断定することを避け、この本への批判と自らの予測が外れることを恐れて、このような文言を使ったものと思われる。「貧困であることが子供まで奪っていく社会を、人々はいったいどこまで許容していくのだろうか」(第1章末尾)。「やはり中国も大人になりつつあるのだろうか」(第2章末尾)。「日本の生真面目さと、それに対する中国の生命力、両者がうまく協調して何かを生み出す日はあるのだろうか」(第3章末尾)。「さて、中国は社会の底流に溜まり始めたガスをきれいに処理することができるのだろうか」(第4章P.171)。「この問題を根本的に解決できるような有効な政策も、おそらくないだろう。唯一、時間と世代交代に委ねることが有効な解決策なのかもしれない」(第4章P.214)。「この国の幸福指数は高いとはいえないかもしれない」

マスコミ界や言論界で生きようとする人間ならば、その文章は潔く断定形を取るべきである。もし断定できなければ、仮説を立てその上で論を進め、その仮説が誤っていればただちに訂正すればよいのである。


3. 「中国は崩壊しない」  陳惠運・野村旗守共著  副題 : 「『毛沢東』が生きている限り」

   文芸春秋刊  2010年1月10日発行

多くの読者は店頭でこの本の題名を見て、「強く素晴らしい中国」を描いている本だと思うに違いない。次に副題に目を移し、その思わせぶりな表現に興味をそそられるに違いない。しかしながらこの本の中身は、中国の現状を否定的に描きながら、「毛沢東神話が壊れない限り共産党の地位は揺るがない」(P.42)、「中国はごく近い未来に最強になり得る可能性を秘めている。それが中国の国家目標であり、国民の総意である。だから、中国は分裂もしなければ崩壊もしない。だからこそ危険なのだ」(P.202)ということを論じたものである。したがってこの本の題名は、その中身を逆説的に表現したもので、詐欺的である。私ならば正々堂々と、「中国は崩壊しない。だから危険なのだ」という題名を掲げる。

まず野村氏は、最近中国のネット上などで毛沢東神話が復活していると書き、中国人民の中には毛沢東への思慕の念が根付いていると説く。そして「毛沢東神話が壊れない限り、共産党の地位は揺るがない」と続け、その体制を軍隊、武装警察、公安などの暴力装置が補完しているので、「この中国という国の強固な国家体制は容易なことでは壊れない」と結論付けている。しかも「中国人は常に強い指導者を求める。そして現在の中国において強力なリーダーシップを発揮できる権力は、共産党をおいて他にない」と言い、その上共産党は人民統治の術に長けており、適当なガス抜きも行うので、その体制は磐石であると、その論を展開している。

野村氏の論述を読んでいると、いろいろなところで誤認がある。

・「大暴動と言っても過言ではないような数千数万単位の大規模騒擾事件が、年を追うごとに増加している」(P.99)。

 *私の暴動検証を読んでもらえば、これが大きな誤認であることがすぐわかる。

・「農村の住民が都市に移り住むことはできても、戸籍の移動は絶対にできない」(P.106)

 *現在これは有名無実。

・「1億枚のワイシャツを1か月で作ろうと思えば5万人もの労働者が必要となる」(P.173)

 *2万人で済む。

・「不動産バブル崩壊に泣く市民はごく少数に限られる。90%以上の人々は住宅価格の大暴落を諸手を挙げて歓迎する」(P.182)

 *土地を持っている農民は土地価格が大暴落すれば泣く。もともと土地を持っていない都市住民は、土地価格には関心がなく、住宅価格が大暴落すれば大喜びする。野村氏は土地価格と住宅価格を混同している。

野村氏は、「異常なまでに格差が拡大していると報じられる現代中国だが、農民たちの暮らし向きは少なくとも20年前と較べれば格段によくなった。すべては共産党のおかげだと彼らは考えている。知識人たちの言うような『民主化』など誰も望んでいないのだ」(P.143)と、常識的に述べてもいる。

野村氏は、最後に「我々は中国の強さの秘密を、細部にわたり解剖してきた。…(略)中国は現在のところまだ最強ではない。しかし、ごく近い未来に最強になり得る可能性を秘めている。それが中国の国家目標であり、国民の総意である。だから中国は分裂もしなければ崩壊もしない。だからこそ危険なのだ」と主張し、「おわりに」で、「中国に対して『友愛』のみの外交は絶対に通じない、ということをここで強調しておきたい」と結論を述べている。これがこの本で彼が立証しようとしたことである。


4. 『増長し、無限に乱れる「欲望大国中国のいま』  石平・宮崎正弘共著

   WAC刊  2010年1月15日発行

この本に書いてあることの多くは嘘ではない。しかし現代中国の深層を抉り出しているわけでもない。この本は著名な二人の北京・上海旅行記である。文中には石平氏の「初恋や中国の富豪への強烈な嫉妬心」なども露わにされており、弥次喜多道中的な面白さがある。両氏の共著はこれで2冊目であり、前作はよく売れたという。この本もまたよく売れ、二人の懐も結構潤うのではないかと思う。

・宮崎氏は、現在の中国経済のV字型回復を認めようとはしない。たとえば「中国の経済実体はポンジ・スキームっていう。つまりねずみ講なんですね」(P.24)と語り、中国政府の4兆元の財政出動の効果は「結果的にGDPを1.5%ぐらい押し上げるだけで、全域に効果が及ばない」と言い切っている。さらに中国の統計数値は信じられないと言いながら、中国社会科学院中小企業センターの研究員が話したこととして、「2008年の金融危機以来、中国にある4200万社の中小企業のうち、40%はすでに倒産している。さらに40%がいま倒産の危機に瀕している」(P.40)を引用し、中国の中小企業の窮状を訴えている。

・しかしながら石氏は「いま、たとえばそういうエリートにしても汚職する幹部にしても、みんな自分たちの状況がよくわかっているんですよ。今こそ中国で一攫千金のチャンス。これから先はもうこんなチャンスはない」(P.92)と現在、中国に絶好のビジネスチャンスが到来していると言い、また「中国はいま、個人消費では不動産が活気がありますね」(P.32)とも話している。つまり石氏は、その話の端々で中国経済が活況を呈していることを認めている。この点で、宮崎氏と石氏の意識にはかなりのズレがあるように思うのだが、二人のよもやま話はそのまま進行する。

・両氏が決定的に間違えているのは、マンションの値上がりを不動産の値上がりと勘違いしていることである。不動産という言葉の中には、土地とマンションが入っており、中国では土地の売買は一般的には自由ではなく、したがって大して値上がりもしていない。だから石氏は「中国はいま、個人消費ではマンション売買に活気がありますね」というべきなのである。土地があまり値上がりしていないということは、きわめて重要なことである。私は中国政府の打ち出の小槌がここに隠されていると考えているからである。おそらく両氏とも、マンションの売買には携わったことがあっても、土地の売買を手がけたことがないため、もっとも肝心なことがわかっていないのであろう。このような点が、私が両氏の観察が皮相であると主張する所以である。

・また石氏は「いま中国農村では大量の失業者があふれている。労働者もまたたいへん苦しい状況下に置かれている」(P.87)と言っているが、これも大きな誤解である。現在、中国は空前の人手不足だからである。中国政府は中国人民にチャイニーズドリームの幻想を与えることに成功した。中国人民はこぞって「俺もベンツと妾4人を持とう」(P.86) と考えて突っ走り始め、多くの起業家が生まれ、そこに労働者や農民工が吸収され尽し、超人手不足現象が生じてきているのである。

・宮崎氏は「サービス精神ゼロ。マクドナルドへ行けばすぐわかります。品物は投げて寄越すし、カネを払ったら釣り銭はバシャットと投げてくるし、ぜんぜん昔と変わらない」(P.54)と嘆いている。この観察は中国を歴史的に見てきた宮崎氏の言とは思えない。中国人のサービスはいったん向上し、人手不足現象の到来とともに最近になって悪くなってきたのである。私は宮崎氏とは違い、地方へ行ったとき、ケンタッキーやマクドナルドのお店の接客の良さや店が清潔なことに驚くことがある。この現象は都市よりも地方の方が多少人手に余裕があるので、まだサービス精神が残っていることを証明しているのである。

・宮崎氏は4兆元の財政出動を、延命措置を続けているだけと言い、そのカンフル剤が切れれば、「社会不安が広がる。暴動はもっと拡大する。いまでも年間12、3万件起きているけれども、これが20万件くらいになって、しかも規模がものすごいことになる。つぎに何が起きるかというと、進出した外国企業が撤退を始めるんです。これは今の共産党にとっていちばん怖いことじゃないかな」と語り、続けて石氏が「怖いです。というのは、そういう状況がまた、失業問題に追い討ちをかけるということになるからなんです。温家宝たちが心の中でいちばん恐れているのは、失業の問題だと思いますよ」と話している。現在、暴動が10万件以上起きているという宮崎氏の主張は、まったく根拠のないもので、検討するには当たらない。また失業問題も現状では大きな問題とはなっていない。

・宮崎氏は、まえがきで「北京・上海のいまを観察に行く」と書きながら、上海の観察部分は最後の10ページほどしかなく、若干、羊頭狗肉の感じがする。





緊急報告 : 目下、中国で空前の人手不足進行中
26.JAN.10
今、中国では空前の人手不足現象が起こっている。

時代遅れの中国ウォッチャーたちは、いまだに「中国政府にとって失業者対策が大きな課題である」などと言っているが、現実の中国社会ではそれらをあざ笑うかのように、異様な人手不足が進行中である。中国政府も失業問題を過剰に恐れるあまり、人手不足現象を認めたがらず、それを軽視する傾向がある。しかし現在、中国経済が内包する深刻な問題は人手不足なのである。

1.人手不足の実情

華南の沿岸部諸都市では人手不足がかなり深刻であり、受注不足や厳しい労働契約法などの影響もあって、工場の閉鎖や倒産が相次ぎ、一部の地域では街全体がゴーストタウン化しつつある。

広東省東莞市の人力資源局では、春節後には厳しい労働者不足に直面すると懸念し、「求人200人に対し、応募者が100人しかない状況になる」という予測を各企業に伝えている。そして黄副局長は各企業に、「春節前に従業員の福利厚生などの条件を整え、春節後も企業に残ってもらえるように図るべき」としたうえで、「学校や政府労働部門などを通じ、積極的に従業員を確保する手だてを取っていく必要がある」と話した。また東莞市では深刻化する労働者不足問題に対応するため、出稼ぎ農民工に都市戸籍を与える優遇策を導入するという。また東莞市の劉共産党書記は、労働者不足の解決のため、「最低賃金の引き上げ」が必要であると発言している。

私の知人が経営する東莞市内の縫製工場では労働者が激減し、数年前の1/4に減ってしまい、立派な工場が空き家のようになってしまった。彼は受注先の信用を繋ぎ止めるために、空いたスペースを他の縫製会社に貸し、自企業の生産能力が以前と変わらなように見せかけているという。

広州市人力資源服務中心によると、春節後の同市の労働者不足は20万人に及ぶという。なお同市の出稼ぎ労働者数は225万人であるから、約1割が不足する勘定である。なお、広州市でも最低賃金を1000元以上(養老保険、医療保険などを含まず)にして、ワーカーの確保を目指すという。

深セン市の宝安・龍崗の両区では労働者が推計40万人不足しているという。金融危機後、四川省などの故郷に帰った出稼ぎ農民工が戻って来ないことが原因と考えられている。ところがその四川省の成都市でも労働者不足が発生しているという。

福建省でも事態は広東省と同様である。福建省労働就業中心は、春節後、福建省全体のワーカー不足は20万人を超えると予測している。

華中でも状況は深刻であり、人手不足現象を見透かしたように、春節前の労働者の強気な労働争議が増えている。

1月15日には、蘇州工業園区内の台湾系企業:聯建(中国)有限公司)で4000人(6000人を超えるという報道もある)の労働者が旧正月前のボーナス支給を求め、社内の機械や建物を壊すなど、暴動を起こした。会社側は数百人の武装警察の出動を要請し、ひとまず労働者を静めた。そして1か月分のボーナスを支給すること約束して作業再開にこぎつけた。

蘇州を始めとする華中地域では、基本賃金の最低ラインが850人民元ほどだったが、台湾系企業各社が従業員の引止めを図り、1000人民元以上に引き上げるケースが増えている。

浙江省当局は、7〜9月には同省の労働力が73万6500人不足していたとの見解を発表した。浙江省は出稼ぎ労働者を安定させるために、医療や教育面で地元住民と同等の社会保障サービスを提供する「居住証」制度を全面的に導入する。

上海市の松江・奉賢の両区では、国家統計局の有力企業100社を対象にした調査で、その6割が従業員の確保が困難と答えた。上海の私の工場の周辺では、最近、20〜50人規模の小工場が乱立し、それらが日給制でワーカーを募集するようになった。それらの工場は、ワーカーに手取り日給100元を支払っており、私の工場からもどんどん労働者が流出していく。残念ながら、私の工場では手取りでは日給70元ほどしか払えない。それらの小規模工場はモグリ営業で、社会保険や税金などを払っていないため、高い日給の支払いが可能であり、ワーカーは目先の日給に釣られて、それらの工場に吸収されていくのである。さらに驚いたことに、ワーカーたちは月から金まで働き500元を手にして、土日で遊んでそれを使ってしまうという刹那的な生活習慣が流行しており、それがまた彼らにとって魅力になっているという。残念ながら私の上海の工場は、そのような競争に巻き込まれ、ワーカーが最盛時に比べて半減している。

私の湖北省黄石市の工場でも人手不足は深刻であり、工場のワーカーは最盛時の半分になった。また吉林省琿春市の工場も労働者は潤沢ではない。その他の諸都市でも状況は、大同小異であると考える。

なお私は、中国の輸出が前年対比で落ち込んでいるのは、外需不足だけではなく、受注があっても人手不足で生産できないことにも大きな要因があるのではないかと思っている。この角度からの学者諸氏の論及を待つところである。

5年ほど前から、私は「中国は人手不足である」と言い続けてきたが、その主張はなかなか受け入れられなかった。

そこで私はそれを立証するために、街の中の小売店や飲食店の店頭の求人広告に着目し、それらを徹底して調査することにした。もし人手が潤沢ならば、だれも求人広告などを店頭には貼らないからである。この3年間、私は暴動調査と縫製工場立地調査、長征の研究のため、中国全土のすみずみまで足を運んだ。そしてそのついでに行く先々の田舎町で、店頭に求人広告をみつけそれらをデジカメに収めてきた。私はどんな田舎に行っても、簡単に店頭で求人広告をみつけることができた。つまり現在、中国ではすべての片田舎で、求人広告を出さなければならないほど人手が不足しているということである。ちなみに私がこの3年間で踏破した街を以下に列挙・図示しておく。

≪2007〜09年の3年間で私が踏破した中国の街≫

  北京 : 北京、 

  天津 : 河北区、武清開発区、 

  河北省 : 晋州市周家荘郷、滄州市孟村回族自治県、

  山西省 : 三交、太原、長治県、平遥県、昔陽県大寨、

  遼寧省 : 瀋陽、大連、丹東、

  吉林省 : 吉林、長春、敦化、延吉、琿春、

  黒竜江省 : ハルピン、佳木斯、同江、牡丹江、綏芬河、東寧

  上海  : 浦東、虹口、上海市全域、

  江蘇省 : 江陰市華西村、張家港、南京、銅陵、連雲港、

  浙江省 : 温州、玉環県、寧波市象山県、桐郷、義烏、杭州、      

  安徽省 : 淮南、無湖、鳳陽県小崗村、阜陽、合肥、宣城、

  福建省 : 泉州、厦門、   

  江西省 : 宜春市銅鼓県、南康、萍郷、井岡山、

  湖北省 : 武漢、宜昌、潜江、當陽、石首、荊州、黄石、 

  湖南省 : 吉首、醴陵、長沙、株州、ロウ底、漣源、

  広東省 : 深セン、東莞、英徳、広州、韶関、清遠、

  海南省 : 東方市感城鎮、三亜、

  重慶 : 重慶、

  四川省 :成都、瀘定橋、石棉、漢源、阿バ藏族羌族自治州若尓蓋県、阿バ藏族羌族自治州紅原県

        阿バ藏族羌族自治州阿バ県、巴西、瀘州市古藺県、

  貴州省 : 遵義、茅台、赤水、瓮安県、貴陽、                    

  雲南省 : 鎮康、昆明、瑞麗、

  チベット自治区  : ラサ、  

  陝西省 : 西安、延安、呉起、志丹、

  甘粛省 : 隴南、甘南藏族自治州夏河県、甘南藏族自治州:合作市、甘南藏族自治州:碌曲県、

       甘南藏族自治州:瑪曲県、ラ子口、哈達舗、会寧、蘭州、武威、張掖、酒泉、瓜州、白銀、

  青海省 : 黄南藏族自治州:同仁県、西寧、

  新疆ウィグル自治区 : 星星峡、ウルムチ、カシュガル、タシュクルガン、

  


2.なぜ人手不足なのか

それではなぜ中国で人手不足状況が出現し、今またそれが空前の規模に成りつつあるのか? この項ではそれを解析してみる。

現状の中国には無許可営業の企業つまりモグリ企業が無数にある。私の勘では、正規に営業許可を取得している企業とほぼ同数のモグリ企業があると思っている。少し古いが、私はこの仮説の根拠として、07年度に山西省でレンガ工場での未成年労働者問題が大きく取り上げられたときのことを例に出すことにしている。このとき政府の調査チームは同省に入って、レンガ工場4861社を調査した結果、そのうちの66%に当たる3186社が無許可営業(モグリ)であったと報告している。もちろん私の周辺にも多くのモグリ企業があり、「中国にはモグリ企業が正規の企業と同数ほどある」ということを、私は実感としても知っている。

したがって中国の全労働者の就業を許可登録済み企業だけで考えれば、失業者が巷にあふれていることになる。そしてこれが政府の統計数字として発表されるので、それを学者や中国ウォッチャーたちが鵜呑みにして、「中国には失業者があふれている」と考えてしまう。ところが実際には、失業者の大半がモグリ企業に吸収されてしまっているので、人手不足状態となる。これが人手不足現象の種明かしである。もちろん中国政府もモグリ企業の実態はつかんでいないので、「8%成長を続けなければ失業者が増大し、社会不安を引き起こす」という脅迫観念に囚われ続けている。

このモグリ企業は、当然のことながら税金は払っていないし、社会保険などにも加入していない。さらに労働契約法や環境保護関連法などを守ろうとする意思はなく、摘発されそうになればさっさと企業をたたんで姿をくらましてしまう。これらの企業の経済活動は統計数値には反映してこないし、ここに巨額のアングラマネーも動いている。したがって中国の統計数値を引用して学説を展開する場合は、これらの状況をかなり加味し推敲しておかねばならない。

5年ほど前から顕著になってきたこの人手不足も、08年の旧正月前後の外資企業の夜逃げと金融危機後の不景気の結果、09年中ごろには一時的に緩和された。ところが中国政府の「家電・汽車下郷」政策や4兆元の内需刺激策の発動によって、中国内陸部に異常な好景気が出現した。この中国政府の財政出動について、当初、中国ウォッチャーたちからはインフラ投資中心であり、内需の活性化には結びつかないと疑問の声が上がっていた。しかしながら中国政府のこの思い切った政策は、中国人民の間に幻想景気を作り出すことに成功した。外需が完全に立ち直っていないにもかかわらず、中国経済は内需主導で見事なV字回復を遂げたのである。

その結果、中国全土の地方都市経済が活発となり、今まで沿岸諸都市に出稼ぎに行っていた農民工は、地方都市に働き口をみつけ、沿岸諸都市には戻らなくなったのである。日本でも高度経済成長時代に、地方出身労働者のJターン現象が起きたことがあったが、それを10倍に拡大したような事態が、今、中国で進行しているのである。


3.人手不足のプラス面

人手不足は着実に賃金を上昇させている。労働力の需給バランスが供給不足になっているわけだから、わざわざ行政が最低賃金を引き上げなくても、当然、どんどん上がっていく。他社よりも賃金が低い会社には、労働者は行かず、結果としてその会社は淘汰される。また労働者の地位も向上する。労働条件の悪い会社には、誰も行かない。福利厚生面を充実させ労働時間を守らなければ、労働者はさっさとその会社を去っていく。もちろん会社側は社会保険も完備しなくてはならない。したがって労働者の地位を向上させるためには、行政が労働法や最賃制などを整備し、社会保険への加入を強制するよりも、社会全体を人手不足状況にすることがもっとも有効かつ速効性があると、私は確信している。これは中国だけでなく他のすべての国でも通用することである。

ケ小平は大胆な改革・開放政策で、中国人民をいっせいにチャイニーズドリームを追いかけさせ、ごく一部の成り金を産み出すことに成功した。人民大衆は一攫千金を狙って、猫も杓子も起業し社長になり、中国全土に無数の会社が産まれた。その結果、13億の中国に人手不足現象が起きてきた。しかしながら厳しい経営環境とライバル会社との競争に負けて、没落する会社も多く、人民大衆は現実に目覚め、冷静に社会を見始めるようになった。ことに外資がいっせいに撤退するというような異常事態や、金融危機の結果の外需の急減速という状況は、のぼせ上がった頭に冷水をかぶせるようなものだった。チャイニーズドリームの化けの皮は剥がれる寸前だった。

ところが中国政府は大胆に内需経済の活性化に着手し、中国人民の間に再びチャイニーズドリームの幻想を与えることに成功した。今、中国人民は新たなチャイニーズドリームを追い求め始めた。内陸部にまで起業ブームが湧き起こり、沿岸部では空前の人手不足となり始めた。

今、中国人民は民主主義よりもカネを求めて奔走している。中国政府はカネを人民大衆にばらまき、チャイニーズドリームを追いかけさせているので、中国人民は現体制の変更、つまり革命を選ぶつもりなどさらさらない。ただ、カネを追い求める過程で、その奪い合いの結果として暴動などが発生する。いわばそれは銭ゲバである。したがって現在の中国では、暴動が革命に転化することはあり得ない。

中国人民が民主主義を強く要望しなくても、人手不足の結果、労働条件は中国人民にとって有利な方向に大きく前進する。つまり中国人民なかんずく労働者の発言権は大幅に拡大する。それにつれて中国人民の民主主義への希求も現実化して行く。

4.中国人民の堕落

だが人手不足現象は中国人民を堕落させる側面も持っている。人手不足なので、中国の労働者は解雇されることへの不安感など全く持っていない。解雇されても次の職場を容易にみつけることができるからである。それどころか、人手不足という会社側の弱みにつけ込み、労働契約法などを悪用し、一儲けしようと考える者も現れてきている。怪我や疾病を装って、会社側から多額のカネを巻き上げようとする者や、賃金の大幅アップ、ボーナスの即時支給などを要求して、会社内を暴れまわる者も出てきた。今のところ労働局には、それらを強く規制する動きはない。

他の先進各国と中国では、労働者の実力行使の度合いが大きく違うので、会社側の被害も想像以上となる。中国の人民大衆の心中にはまだ文革の記憶が残っており、彼らは「造反有理」の合言葉で多人数の圧力を武器に、自分たちの要求を貫き通してきた体験を有している。したがって会社に多人数で押しかけ、座り込んだり暴れたりして、会社側からより多くのカネをむしり取ろうとする。そのとき会社側が労働契約法に従って処理しようと努力しても、それは徒労に終わる。ことに外資企業などはこの現実に直面して、困惑している。

さらに人手不足は企業において、品質やサービスの低下を引き起こす。たとえば労働者は工場で不良品を作っても、商店で仏頂面の接客をしても、解雇されることはない。会社側は解雇すると、次の労働者を採用することが難しいので、少々のことには目をつぶるからである。労働者も不愉快なことがあればその会社をやめればよいと思っている。すぐに次の会社がみつかるから。中国人労働者の頭の中には、会社内で自覚的に品質やサービスを向上させようとする考えは少ない。つまりかつて日本の会社で流行した改善運動を、中国で試みても大きな効果を生み出すことはできない。多額の報奨金を与えるシステムを作れば話は別であるが。だから品質やサービスが低下し、これがまた外資企業の頭を悩ますところとなっている。

会社にとって、人手不足の結果の人件費アップは、競争力ダウンに直結する。外資企業の多くは、人手の豊富な他国に逃避することを真剣に検討し始めている。また労働法契約法の施行強化は企業に大きな負担となってきている。社会保険への強制加入も会社の財務を大きく圧迫し始めている。それは先進各国のように労使折半ではなく、会社負担が60〜70%となっており、会社側にとってその費用はきわめて重いからである。

それでもすべての企業が法律の前で平等に競争しているのであれば、まだ救いがある。しかしモグリ企業の大半はすべての規制の網を逃れており、正規に営業している会社はそのモグリ企業との激しい競争に巻き込まれているのである。重い負担を抱えた外資企業などが、モグリ企業に勝てるはずがない。

その上、バブル経済対策のための金融引き締めがそろそろ取沙汰されるようになってきた。もし08年末のような強烈な引き締めが実行されるならば、それが最後のとどめとなり、外資企業の大半はなだれをうって中国を後にするだろう。もちろん夜逃げも続出する。これで完全に「中国は世界の工場」の座を明け渡すことになる。


5.中国国家の変貌

08年、中国政府は北京五輪を成功させた。しかしながらその裏で、中国政府は大きな代償を払うこととなった。中国政府は北京五輪を開催するに当たって、人民慰撫政策としてインフレ退治をしておく必要があった。そのため07年末に強烈な金融引き締めを行った。次に世界のマスコミから遅れた労働法を批判されるのを恐れて、多くの企業の反対を押し切って新労働契約法を施行した。また労働者や出稼ぎ農民工慰撫政策として、企業に社会保険への加入を強制した。これらの中国政府の政策の結果、嫌気が差したり経営に行き詰まったりした多くの外資企業が、07年末、いっせいに中国から逃げ出した。08年の旧正月前後、韓国企業の派手な夜逃げも続出した。ここに大雪害、大洪水、大地震などの天然災害、チベット暴動も加わり、3〜4月には中国経済はかなり落ち込んだ。エコノミスト誌はその状態を「中国大失速」として特集を組んで報じるほどだった。

中国政府はこの事態を深刻にとらえ、ただちに政策を180度転換して、金融引き締めを解除し、中小企業などへ優遇策などを繰り出した。このとき中国政府首脳の間には、経済活性化への大胆な政策が必要であるというコンセンサスが出来上がった。そこに米国発金融危機が襲来し、外需がぱったり止まった。中国政府は躊躇なく、4兆元の財政出動を決め内需の振興策をただちに実行に移した。

ただし労働契約法の手直しはせず、社会保険への強制加入は手を緩めなかった。このことが人手不足状態とあいまって事態を複雑化することとなった。つまり企業の経営環境はモグリ企業にきわめて有利、外資など正規企業にきわめて不利となったのである。そして再び、今度は静かに外資企業の撤退が始まった。しかし中国政府は、内需型企業の伸びが目立つので、08年のようにうろたえてはいない。むしろ「労働集約型外資企業の撤退はやむなし」という態度を示す首脳もいるほどである。

しかしながら現在の旺盛な内需は中国政府の財政出動の結果であり、多くの経済学者は内需が今後の中国の経済成長のエンジンになるという予測には、疑問を呈している。財政出動というカンフル剤が切れたら、内需は失速すると見る経済学者が多い。またもし内需が完全に中国経済の主役になる前に、外資工場が総撤退という事態になったら、そこには失業者問題が大きく浮上する。また反対に内需が真に活性化し根付いた場合でも、そこでは圧倒的な輸入超過、大幅な貿易赤字が発生することとなる。現在の貿易黒字の6割は外資企業が稼いでいるといわれており、その外需型外資企業が総撤退したら、たちまち中国の外貨準備は激減し、さらには米国と同様の債務国家に陥ると考えられる。中国は図体が大きいだけに、たくさんあるように見える外貨準備もすぐに底をつく。

目前にはバブル経済の崩壊が控えている。それを乗り切ったとしても格差問題が残る。さらに政治腐敗も深刻である。それでも中国政府が人民にカネを回せる状況が続く限り、政権は安泰であろう。そのカネはいつまで供給可能だろうか。打ち出の小槌はたくさん持っているが、バラマキはいつまで可能だろうか。4兆元の財政出動も、その財源はさだかではない。すでに企業に対する法人税・移転価格税・印紙税などの徴税が厳しくなり、輸入関税についても従来は見逃されていたような細かい点まで追求してくるようになってきている。今後はこの厳しい徴税を嫌って、中国から逃げ出す外資企業も多くなるだろう。

中国人民がチャイニーズドリームから醒めたとき、そこに暴動が革命に転化する可能性が出てくる。またそれを防ぐため中国政府は外敵を作り、人民の不満をそらそうとして、覇権主義国家としての顔を表してくるかもしれない。

6.「外資系企業慰労会」での意見交換

先日、開発区政府の主催で、恒例の「春節前外資系企業慰労会」が開かれた。そこには15人ほどの企業代表者が出席していた。会議は、まず開発区主任の挨拶から始まって経済担当の長い報告があり、それが終わったところで意見交換会となった。最初に香港系企業の総経理が主任に向かって、「浦東にあった動物検疫所が万博のため押し出されて、私の工場の前に移転してきた。おかげで毎日、道路に豚やアヒルをいっぱい積んだ車が並び、臭くてたまらない。なんとかならないか」とこぼした。主任はにこにこしながら、「多分、臭いのも夏の間だけだろうから我慢して欲しい。業者たちから、お宅の企業にときどき豚を差し入れるように言っておく」と言った。出席者たちも笑いながらそれを聞いていた。

次に韓国系企業の代表者から、「ワーカーがまったく集まらないので、寮を作って遠方から連れてきたいと思っている。地元政府から寮建設ための土地を融通してもらえないか」との発言があった。すると即座に、ある台湾系企業のオーナーが「寮は作らない方がよい。100元ほどお金を余分に払って、会社の外で勝手に住んでもらいなさい」と言った。続けて彼は、「私の会社の寮で、先日、深夜に一人の従業員が心臓麻痺で死んだ。翌日、その従業員の親族一党がバス2台で押し寄せ、労働契約法を楯にとり会社の管理責任を追及して、補償金50万元を要求して門前に座り込んだ。労働局に相談したところ、問題が大きくならないうちに支払った方がよいという。私は仕方なく50万元支払った。その後すぐに寮を閉鎖した」と、興奮気味に話した。驚いたことに、そのときその場に居合わせた企業代表者のすべてがそれに同調し、「寮など作らない方がよい」と、言い立てた。

続いてある企業の総経理が大声で、「私は17万元を従業員に騙し取られた」と話し始めた。「私の会社の従業員が清掃中に転んで怪我をした。すぐに病院へ行かせたところ、松葉杖で帰ってきた。足が折れていたという。治療費などを前払いで17万元要求されたので、とにかく払った。ところが2週間ほどして他の従業員から、家では普通に歩いていると告げ口があった。探偵を使ってこっそりと調べたところ怪我はうそだった。証拠にビデオを撮り、労働局に相談に行ったが、払ったものは仕方がない、あきらめなさいということだった」と、いかにも腹立たしげに話した。

今度はメッキ工場の代表者が、「私の企業では、5年ほど前に退職した従業員から、勤務中に職業病になったと訴えられた。なにかよい解決策はないだろうか」と、さも困ったような顔で参加者に助言を求めた。するとすぐにプラスティック成型加工業を行っているという経営者が、「その従業員が辞めるときに健康診断はしましたか。もしやっていなかったのならば裁判で争っても、今の労働契約法では負けるので、要求金額を払って早く終わった方が得です。私の企業では、入社時と年間1回、また退社時にしっかり健康診断をやっています。それをしておかないとい職業病については20年前まで遡って企業責任が追求されます」と、静かな口調で語った。これには私も驚いた。まさか退社時まで健康診断を行い、徹底してリスク回避に努めている企業があるとは思わなかったからである。参加者全員がその説明に納得した顔をして頷いていたが、同時にそのコストの負担に自企業が耐えられるか不安気な表情も見せていた。ちなみに珠江デルタの工場では、「職業病にかかった」とうそ言い、従業員が工場に理不尽で多額の補償を要求するケースが多発しているという。60万元の補償金を要求したり、多人数で会社に押しかけ営業を妨害するなどの行為が増加しているが、地元当局は個別企業の労働争議としてまったく取り合わないという。

その後、代表者たちは口々に、人手不足の悩みと労働契約法への文句を言い合った。開発区主任はあっけにとられたように、聞いているだけだった。

7.外資合従策

その会議も終了に近くなったころ、先ほどから多くの意見を吐いていた一人の台湾人総経理が、いちだんと声を張り上げて、「この際、外資系企業は一致団結して、労働契約法の改正を政府に迫ろうではないか。このままでは、どうせ撤退に追い込まれるのだから、一か八かやってみよう」と叫んだ。その場に居合わせた大半の人たちは、それに同調し、首を縦に振り、拍手をした。私はそのとき即座に、会議を主催していた主任の顔を見た。彼はそれまでとは違う緊張した表情を見せた。

私はその台湾人には同調しなかった。たしかに私も、「外資系企業が全国規模で団結して政府に助言する」ことの重要性はよくわかっている。それは、今後の世界と中国を正しい方向へ導く一手段だと考えている。私はそれを「外資合従策」として、現在構想中でもある。しかしこのようなマイナーな会議で、その場の勢いに任せてそれを発議しても、地元政府から一蹴されるだけでなく、その後当局から睨まれ企業活動が妨害される可能性が大きいからである。このような組織を作る場合には、計画的にしかも慎重に、しかもしたたかに行うべきである。この台湾人総経理の行動から、私は極左冒険主義の匂いを感じた。 

8.農民工への教育

このほど日本政府は、農民工への労働契約法などの普及を目指すNGO(北京在行動国際中心)に、支援を約束した。農民工に対する労働契約法などの研修会実施に約600万円を供与するという。たしかにこれは重要なことだが、農民工の多くはすでに労働契約法などを熟知しており、またほとんどの農民工は携帯電話を持っているので、いろいろな情報が瞬時に伝わる。したがって私は日本政府がわざわざ労働契約法などの普及に乗り出す必要はないと考える。どうしても行うのならば、彼らが労働契約法などを悪用しないように、しっかりと指導教育すべきである。そうしないと労働契約法を楯にした農民工たちによって、日本人経営者の拉致監禁などの事件が多発することも考えられる。すでに北京では日本の代表的企業において、労働者が日本人総経理を長時間にわたって監禁した事件が発生しているではないか。