小島正憲の凝視中国

読後雑感 : 月刊誌編 2011年10月号


読後雑感 : 月刊誌編 2011年10月号 
VOICE「軋む中国」・WILL「中国の病根7」など
20.SEP.11
 VOICE:10月号は総力特集「軋む中国」、WILL:10月号は総力大特集「中国の病根7」と題し、ともに保守系チャイナウォッチャーを勢揃いさせ、中国情勢分析を行っている。しかしそれらには大げさな題名にもかかわらず、いずれも月刊誌に相応しい論文は少ない。
 月刊誌には新聞やネットのような速報性は求められていない。また単行本のように研究書としての役割を担っているわけでもない。しかし月刊誌には、刻々と変わる情勢に振り回されず、十分に情報を収集し分析する余裕がある。また月刊誌は気軽に読まれるものであり、少々のフライングやミスもある程度許されるのではないかと思う。したがって社会に一石を投じるような、まったく新しい切り口を提供するのが月刊誌の役割ではないかと、私は考える。
 残念ながら、VOICE10月号にもWILL10月号にもそのような論文は掲載されていない。いずれも今までに言い古されてきた主張がほとんどである。これでは両誌とも月刊誌の役割を果たしていないと、私は考える。

1.総論

 VOICE:10月号の総力特集「軋む中国」の冒頭論文は、ジム・ロジャーズ氏の「バブル経済のソフトランディングはありえない」であるが、彼は本文中で「国の経済システムを危うくさせるような事態には陥らないでしょう」と主張し、タイトルとは逆に「中国バブルのソフトランディング」を予測している。おそらくこれはVOICE編集部が、読者の目を引こうとして刺激的なタイトルをつけようとした小細工の結果であろう。それでも内容と反対のタイトルをつけるのは、読者を愚弄する行為であり、許されることではない。次に続くのは石平氏と福島香織氏の対談「愛国心なき官僚たちの驕り」、清水美和氏の「高速鉄道事故の“敗者”は誰か」、柯骼≠フ「“国進民退”が加速する中国経済」、財部誠一氏の「ASEANに視点を移す日本企業」である。これらはいずれも月並みな主張であり、とりたてて目を見晴らせるような新論文はない。

 WILL:10月号の表紙には、総力大特集「中国の病根7」の見出しが踊っており、中でも中西輝政氏の「中国に負けない三つの条件」という題名がとりわけ大きく書いてある。ページを開いてみると、この論文の題名は「中国に負けぬための三つの条件」になっている。些細なことかもしれないが、このような題名のすり替えは許されるべきではない。他の論文でも、潮匡人氏の「空母建造で軍拡も止まらない」が、「海洋覇権を狙う中国空母は“吸血鬼”」と変わっている。おそらくこれは「吸血鬼」という表現が、あまりにもどぎついため、編集者が表紙に載せるのをためらったのであろう。これも「羊頭狗肉」の逆バージョンであり、このようなことはするべきではないと思う。なお中西輝政氏の論文も、「中国の病根」について書かれたものではなく、「日本はすでに弱者である」という認識のもとに、「中国とどう対抗するか」に主眼を置いたものである。この点でも表紙の題名と論文の内容がかなり乖離しており、編集者の良識を疑わせるものとなっている。後に続く、櫻井よしこ、関岡英之、宮崎正弘、潮匡人、石平、福島香織氏らの論文も、いずれも新鮮味がなく、本邦初公開というようなおもしろいものは皆無である。

 中央公論10月号には、藪中三十二氏の「中国の台頭がさらなる変化をもたらす」、遠藤誉氏の「中国政府を悩ませる“独立王国”鉄道部とネット世論」という論文が掲載されている。この二つの論文からは学ぶべき点が多い。

2.各論

《 VOICE10月号 総力特集 「軋む中国」 》

@「バブル経済のソフト・ランディングはありえない」   ジム・ロジャーズ   取材・構成:大野和基

 この小論は、国際ジャーナリストの大野和基氏がジム・ロジャーズ氏に取材し構成したというもので、副題に「“伝説の投資家”が中国経済の未来を徹底予測!」と付けている。ところが実際の内容は、前半が中国情勢一般に関するもの、後半が世界及び日本情勢に関するものという構成になっている。それだけ見ても、この題名が内容に相応しくないことがよくわかる。ある。

 ジム・ロジャーズ氏は、中国のバブル経済について、「沿岸部の都市で起きている不動産バブル対策として、たしかに中国政府は何らかの手を打とうとしています。そのため、実際に不動産の価格は下落傾向にあるし、取引も減少している。中国政府はソフト・ランディングを試みているのでしょう。しかし問題なのは、かつてのいかなる国もそのソフト・ランディングに成功したことはない、ということです。どの国の政府も、それほど賢くはなかった。今後、上海やその他の不動産バブルが起きている都市で、破産に見舞われる人が出てくるでしょう」と語っている。つまりジム氏は、「バブル崩壊で損害を被る人がゼロである」という状況を「ソフト・ランディング」と捉えており、その意味で「中国経済のソフト・ランディングはありえない」と言っていることになる。一般に「バブル経済のソフト・ランディング」とは、「バブルの崩壊が経済システムを崩壊させない」ことを指しているのであり、ジム氏の捉え方は明らかに誤っており、その意味でこの小論の題名は、「バブル経済の崩壊で損害を被らない人はいない」と付けるべきである。

 しかもジム氏は本文中で、題名とは逆に、バブル経済はソフト・ランディングすると次のように明快に言い切っている。「今後予想される中国経済の危機は、アメリカのそれと比べると、本質的に異なります」、「いま中国で起きていることは、けっして信用バブルではありません。たんに不動産価格が高騰しすぎただけです」、「中国の経済システムそのものが破綻するとは思えません。2008年に金融危機が生じた際は、すでにアメリカは世界最大の債務国であったというだけでなく、史上最大の債務国でした。しかしいま中国は世界最大の債権国です」、「国の経済システムを危うくさせるような事態には陥らないでしょう」。この小論の題名は、取材した大野氏の責任によって付けられたものだろうが、ジム氏の本旨をねじ曲げ、読者に誤解を与えるような行為は、許されるべきではない。

 ジム氏は高速鉄道事故について、「たしかにひどい事故でした。しかし5年もすれば、多くの人が忘れてしまうのではないでしょうか。そもそも、国が急成長するときには、どんな国でも問題が生じるものです」と言っている。私はこのような視点も必要であると思う。また人口減に関して、「中国の場合、すでに一人っ子政策を緩和しており、また経済も繁栄しているので、過去数百年のあいだ本土を離れていた華僑が戻ってくる可能性があります」とも書いている。これについては、私は逃げ出す人はあっても帰って来る人は少ないと見ているので、同意できない。

またジム氏は、東日本大震災後の日本について、「日本は必ず復興すると確信していますから、私は日本株を買ったのです。私の考えでは、これからアメリカやイギリス、他の欧州諸国が受ける“痛み”と比べると、日本のそれは少ないでしょう。国際的に見ると、日本は大債権国であり、国民の貯蓄も巨大です。なによりも日本の教育レベルは高く、国民は勤勉で賢い。日本国民は復興のために何をなすべきか、すでにわかっているはずです」と語っている。

A「愛国心なき官僚たちの驕り」  対談 : 石平・福島香織

 この対談には、「当局の鉄道事故対応に怒る国民の姿は、“革命前夜”を思わせる」という副題が付けられており、前半は高速鉄道事故の話、後半は“革命前夜”の話である。高速鉄道事故について、石平氏は「中国のメディアも自問していますよ。日本の新幹線はなぜ40数年間も、人命にかかわる事故を起こさないできたのか。逆に、中国に足りないものは何か、と。私が代わりに答えるとすれば、それは仕事に対する強い使命感や責任感といったもので、これらはまさに日本人の“国民性”そのものから生まれてくるものでしょう。中国人がけっして簡単に真似できるものではない」、「日本の国民性には、いいものをつくること自体を喜びとする文化がある。ところが中国人にとって、モノをつくるのはあくまでお金を儲けるための手段にすぎません。極端なことをいえば、何もつくらないで、お金が入ればいちばんいい。それには汚職が最短距離である、というのが中国人の発想なのです」と語り、これに対して福島氏は「私も中国でエンジニアと名乗る人たちから、仕事に対するモチベーションを感じたことがほとんどありません」と応じている。これについては、私も共感できる部分がある。

 後半では、石平氏が高速鉄道事故以後、中国には「民衆+メディアvs.政権」という見事な対立構図ができ、「この対立構図の成立こそが、今後の中国の激変を予感させる」と言い、「私はいまの中国では民間の“挑戦する力”がかなり強くなっていると思う。実際に、われわれが体験した20数年前の中国社会といまは、雰囲気が似ているんです」と続け、福島氏が「1989年6月14日の天安門事件ですね。いまはまさに革命前夜であると」と応じている。さらに二人は、中国は不動産バブルの崩壊と共に、一気に大不況に向かい乱世が到来すると予測し、「政治も経済も社会も大混乱に陥って、収拾のつかないときに、中国共産党が唯一生き延びる選択肢は、国民の目を外に向けることです。その標的となるのが一つは台湾。もう一つは言うまでもない、日本です」と語り合っている。

 中国が政治・経済など困難な局面に立っていることは間違いのないことであるが、現時点を「革命前夜」と規定するのは明らかな誤りである。なぜなら両氏とも中国における外資の存在をまったく忘れているからである。外資が中国を席捲するようになったのは、天安門事件後のケ小平の南巡講話以降で、現在では中国の大地の隅々まで大小様々な外資が進出しており、これを駆逐することはもはや不可能である。中国政府にとっての“革命前夜”は、同時に外資にとっての“革命前夜”でもある。したがって外資は中国に革命を起きることを望まず、その延命に最大限の協力を惜しまない。バブル経済崩壊に際しても、ソフト・ランディングさせるべく、知恵と資金を投入するはずである。私たち中国に進出している外資企業は、中国政府が崩壊することを望んではいない。

B「高速鉄道事故の“敗者”は誰か?」  清水美和

 この小論には、「共産党指導部の対立激化が引き起こす危機」という副題が付けられている。清水美和氏は、高速鉄道の事故処理に関する経過を分析しながら、中国共産党指導部内の暗闘を詳細に描いている。現在、中国共産党内部では、来秋の党18回大会を前に、上海グループ、太子党派、共青団派のみつどもえの指導権争いが行われており、この事件がその帰趨に大きく影響を与えたという。ことに鉄道省が上海グループ=江沢民派の牙城であったが、江沢民氏の健康状態が悪化していることと、次期大会での指導部入りが濃厚であった同派の張徳江副首相が、この事件で失態を演じたことが相俟って、「党・政府内にビルトインされた利権構造に乗っかるかたちで勢力を伸張してきた上海グループにとって大きな痛手となるはずだ」と書いている。ただしここで清水氏は、上海グループが“敗者”となったと特定しているわけではなく、「“敗者”は誰か」という題名への回答は上手く避けている。清水氏はここで思い切って、“敗者”を明記すべきだったのではないか。

 なお清水氏は最後に、「日本の政府・経済界よ、対中戦略を練り直せ」という見出しを掲げて一文を書いているが、「廉価で物言わぬ労働力を目当てにした中国進出はもはや過去の話になった」、「日本の政府、経済界はこうした中国の奥深い内情に目を凝らし、中国に対する戦略と付き合い方を練り直すときである」という時代遅れで言い古された文言を記しているだけである。清水氏には、ここで自ら付けた見出しに相応しい、積極的かつ具体的な提言を披露して欲しかった。

C「“国進民退”が加速する中国経済」  柯隆

 柯隆氏はこの小論を、「中国経済を取り巻く世界情勢は不透明さを増している」というあいまいな文言で締めくくっている。内容についても、題名を一貫して追及したものではなく、中国経済を総花的に論じたものとなっており、独自の鋭い切り込みはまったくない。

 まず柯隆氏は、ケ小平の改革開放政策を評価した上で、その負の遺産について言及し、貧富の格差の増大と環境破壊を上げている。私はケ小平の改革開放政策のもっとも大きな負の遺産は、「外資に中国全土を蹂躙させたこと」であると考えている。この点を、柯隆氏がまったく意識していないことが不思議である。

次に柯隆氏は、「中国は市場経済なのか」という見出しで、中国経済の「メーンプレーヤーは国有企業」であるとし、ことに「国進民退」の流れが2008年リーマンショック以降、顕著になっていると指摘している。ただしここではそれを分析しているだけで、その解決策については何も語っていない。

 その後に「国進民退」とは関係なく、唐突に「引き締め政策をためらう政府」という見出しの一文を書いている。そこで柯隆氏は、政府が経済引き締め政策実施をためらうのは、景気減速の減速や住宅バブルの崩壊、そして失業問題などを恐れているからであると記している。そしてその解決策として「出口は一つしかない。サービス産業を雇用を吸収する受け皿とすることである」と書いているが、この断定は誤りである。なぜなら中国政府は「産業構造の転換」を、現下の矛盾の解決策として取り組んでおり、その成否はともかくとして、これをまず取り上げるべきである。さらに失業問題の解決策として、サービス産業の拡充を持ってきても、おそらく若年労働者はだれもそこに就職しようとしないだろう。これは巷の趨勢をまったく理解していない机上の空論である。仮に失業問題が深刻であったとしても、サービス産業はそれを吸収する受け皿にはなり得ない。

 また柯隆氏は、「胡錦濤国家主席と温家宝首相は、外国の要人と会うたびに、民主主義が人類の普遍的価値と認め、政治改革を断行する意気込みをみせるが、実際の改革は行われるどころか、メディアやインターネットに対する規制が強められる一方である」と書いているが、それは正しくない。胡錦濤主席は2007年末、北京五輪を前にした外圧の影響で、「新労働契約法」の施行に踏み切った。これはその是非はともかくとして、「民主化」という面では大きく評価されるべきである。私が今、注目しているのは、胡錦濤主席に「政治改革」を迫っている外圧が如何なるものかという点である。内圧については、多くの論客たちにすでに言い尽くされているからである。柯隆氏には外圧に切り込んで欲しかった。

D「ASEANに視点を移す日本企業」  財部誠一

 財部誠一氏の小論は、読み甲斐がある。財部氏は、「中国が政策的に“重点産業”と決めた分野への進出はかなり難しい」、「中国共産党が意欲を持っていない、単価は低いが必然性があり、かつ中国の重点産業でない産業は狙い目だ」と書いている。この財部氏の明快な指摘に、私もまったく同感である。さらに続けて財部氏は、「自らの業種・業態が中国のこれからの10年にマッチングするか。まずは、その問いを日本の経営者は反芻すべきだろう。いまの中国に進出することに、どのようなメリットがあり、デメリットがあるかを厳格に判断するのだ。さらには今後、いかに中国経済が発展するか、というマクロな視点は無意味だ。ミクロな目線で会社の規模や最終的に望む売り上げの規模を考え、それが上海なら実現できるのか、香港から深?あたりで十分か、何十年かかっても全国区にしたいのか、と思考する。中国市場における日本企業のアプローチは、新たな次元に突入している」と書いている。これは至言である。私も今後、この指摘をしっかり脳裏に刻み込んで、中小企業家同友会上海倶楽部のメンバーへのコンサルティングに努めたいと思う。

 財部氏は中国が抱えている金融面でのリスクの一つとして、人民元問題を上げ、貿易面での元安メリットとその結果によるインフレとのジレンマを指摘し、それを解決する本筋は「資本の自由化」だと言い切っている。しかし「喉から手が出るほど中国は“資本の自由化”を欲しているものの、それはすなわち、共産党が金融を自由に操れなくなることを意味する」ので、それは現状では不可能であろうと言っている。この指摘も正しい。しかしその後に続く、「いまの中国も成長途上であることを考えれば、来年、再来年に危ないという話ではない。問題は2015年以降、一人っ子政策により人口がピークアウトして減少に転じる。このとき中国がどうなるか、そこが正念場である」という指摘には同意できない部分がある。

 この小論に財部氏は、「“カントリー・ガバナンス”の欠如がもたらす進出リスクとは?」という副題を付け、「中国には“上に政策あれば下に対策あり”といわれるように、中央の考えが地方の政治に反映されないケースが頻繁に起こる」、「鉄道部のような機密性が高く、国内に特化した組織では中央と地方の関係と同じように“カントリー・ガバナンス”が欠如している」と記している。

《 WILL10月号 総力大特集 「中国の病根7」 》

@「中国に負けぬための三つの条件」  中西輝政

 中西輝政氏はこの小論の1/3を高速鉄道事故の分析に、1/3を中国の技術評価に割き、そして最後の1/3で「中国とどう対処すべきか」について記している。つまりこの小論の2/3は「中国の病根」の分析であり、そこには新しい切り口はない。残りの1/3が「中国に負けぬための三つの条件」、つまり本論であると考えられる。

 中西氏は「日本はすでに完全な弱者に成り下がっている」という認識のもとに、中国のような巨人との「大きな力の差を覆すためには、敵の急所をつくほかはない」と書いている。そしてその方策として、「結局は、@憲法を改正し、財政を立て直して本格的(当然、核装備を含む)な再軍備に取り組む、Aそれまでは、日米安保のさらなる緊密化に取り組み、当面の対中抑止と東アジアの現状維持に努める、ということである」と主張している。そして3番目として、「たとえ弥縫策であっても、“金もかからず、いますぐ自力でできることは何か”、それを考え、提言するのも言論人としての責務だと思う」と書き、「@スパイ防止法の策定、A対外情報機関の整備と合わせて、対外広報や宣伝活動の画期的な取り組み、B中国の急所としての北朝鮮との関係」の3項目を上げている。私は、中西氏の「日本は完全な弱者に成り下がっている」という認識には賛同しかねる。また中国が巨人であるという単純な認識にも、与しかねる。また北朝鮮が中国の急所であるという認識には、この小論からではその根拠がよく理解できない。

A「南シナ海の次は沖縄が狙われる」  櫻井よしこ

 櫻井よしこ氏は、この小論の題名に「南シナ海の次は沖縄が狙われる」と付けているにもかかわらず、最後で、「日本とは対照的に、30年以上を費やしていま、遂に空母の試験航行に辿り着いた中国は、南シナ海でのより強固な支配権の確立に向けて、軍事力を最大限活用するだろう。その動きは必ず東シナ海に、さらに沖縄へと広がる」と予測しているだけである。この小論では沖縄が狙われていることの具体的論証はない。しかも櫻井氏は、「(高速鉄道事故で)愛する身内を失った究極の悲しみと怒りのなかにある家族にさえも、財力による封じ込め作戦がほぼ成功したように、3兆ドルに上る外貨準備を駆使する中国の財力は、領土領海をめぐる深刻な国家間問題にも有効性を発揮する」と書いている。この櫻井氏の中国財政についての分析は、まさに中国政府のふりまく幻想をまともに信じたものであり、櫻井氏ほどの論客でもこの程度の認識かと思うと残念である。

B「中国人永住権は侵略の“第一段階”」  関岡英之

 関岡英之氏はこの小論の半分を、中国における漢族の新疆ウイグル自治区への進出についての記述に割いている。そして中国は国家として「漢人を大量に送り込み、都市と水源を制圧するという戦略」持っていると書き、「ウイグルは他人事ではない」と言い、突如として日本にその話題を振り、「中国人が北海道や紀伊山地などで、私たち日本人の貴重な水源である森林を買収しようとする動きが伝えられている」と書き続けている。この主張はあまりにも短絡的である。ウイグルと日本を同列に論じるのも、中国人が森林や水源を買う行動を国家戦略と言い切るのも、荒唐無稽である。もし関岡氏が、本当にまじめにこの問題を論じようとするのならば、最低でも、中国人の買い取られている日本の森林や水源を突き止め、具体的な地名を上げて、それが中国の国家戦略に基づいているということを立証すべきである。

 さらにこの問題を論じるときには、中国全土に渡るきわめて多くの土地(使用権)が外資によって買い占められているという事態を、冷静に見てみる必要があると考える。

C「高速鉄道の危険な暴走は止まらない」  宮崎正弘

 宮崎正弘氏は、最近、「中国大暴走」という単行本を刊行した。この小論はそのダイジェスト版である。宮崎氏は中国の高速鉄道のすべてに乗車し、その感想を書いている。それは私の感想とも一致する部分が多い。しかしこの小論での宮崎氏の結論は、「高速鉄道の事故をきっかけに、中国経済の崩壊がはじまったと言っていい」、「新幹線事故が示唆する中国経済の破局は深刻なものとなるであろう」、「これらの対外債権も、いずれ切り崩して鉄道部の赤字補填に使われることになるだろう」というものであり、題名とは逆に、「いずれ暴走は止まらざるを得ない」というものである。

D「海洋覇権を狙う中国空母は“吸血鬼”」  潮匡人

 潮匡人氏は、中国海軍が空母「ワリャーグ」の試験航行を始めたことを詳細に論じ、「遅きに失したが、この際、日本も空母を持とう。その一歩を踏み出そう。もちろん、中国に批難する資格などない」という文言で、この小論を結んでいる。

 たしかに中国海軍は空母「ワリャーグ」の試験航行を始めたが、中国海軍はこの体制を維持できないのではないかと、私は見ている。潮氏はその軍備を支える予算について、「今年度の中国国防予算(公表額)は、約7兆5千868億円。名目上でも過去5年間で2倍以上。過去20年間で約18倍となった。名実とも、アメリカに次ぐ世界第2位の軍事大国である。日本は、軍事でも経済でも、中国に抜かれた」と単純に分析しているが、これは中国国家の財政が健全であることを前提としたときに成り立つ話である。私は、2008年の4兆元の財政出動以来、中国の国家財政はかなり窮屈となってきており、その上バブルが崩壊すれば軍事予算は大幅に削らざるを得なくなると見ている。その時に、軍部が暴発する可能性を指摘する論客もいる。私たちがなさねばならないことは、そのような事態を避けるために、中国経済をソフト・ランディングさせる方策を見出し、それを中国政府に献策することである。潮氏のように、軍拡競争に突き進むことは、日中双方にとって、いつか来た不幸な道に進むことになる。それは絶対に志向してはならないことである。

E「異常な物価高騰で暴動から崩壊へ」  石平

 石平氏のこの小論の結論は、「中国社会全体が大乱に陥った場合、中国政府は対外冒険に走り出すことによって、国民の目を外へと向かわせて、内部の危機を回避しようとする。そして、現在の国際情勢下では、共産党政権が対外的に走り出した場合の矛先は、かなり高い確率でわが日本国の領土、あるいは日本にとっての生命線となる周辺の海に向けられてくるだろうと予想できる。中国の暴発と中国からの脅威はいよいよ、われわれの身近に迫ってきている」というものである。これは特別に目新しいものではなく、石平氏のいつもの主張である。私たちがまず行わなければならないことは、中国社会の大乱を待ち望むのではなく、いかにして中国経済をソフト・ランディングさせるかを考え、その方向に向けて行動を起こすことである。それが不幸な歴史を繰り替えさないために、為されなければならないことであるし、ある意味ではもっとも困難な道である。石平氏には、不幸な歴史を再現させるような安易な道を選択することではなく、中国経済をソフト・ランディングさせる具体的な戦略を描き出してもらいたいものである。

F「中国共産党とネットユーザーの攻防」  福島香織

 福島香織氏はこの小論で、高速鉄道事故のとき、ネットが果たした大きな役割を詳細に分析し、「今回の高速鉄道事故の報道統制への抵抗は、あとで振り返れば、そういうネット統制に抵抗し、言論・報道への自由の空間を広げようとする人々の長い闘いのプロセスにおけるマイルストーンと評価されるかもしれない。報道統制の壁の向こうまで、あと何マイル? 現実の高速鉄道はクラッシュしたが、“言論の自由に向かう列車”はスピードアップしている」と書いている。この点については、私も同感である。

《 中央公論 10月号 》

@「中国の台頭がさらなる変化をもたらす」  藪中三十二

 藪中三十二氏はこの小論で、かつての日米関係と現在の米中関係を比較して、「かつての経済における日米関係はいまの米中関係と違い、相互依存型ではありません。中国はアメリカを内部に相当取り込んでいます。逆に日本はアメリカをなかなか入れず、入りかければすぐに“黒船襲来だ”と騒いでいました。そして日本はアメリカの心臓部に一方的に入り込んでいました」と書いている。この視点は、現代中国を理解する上できわめて重要だと思う。

また藪中氏は、「日本は世界に対してなにを主張すべきでしょうか」と問いを発し、「まず私は、日本は高い技術を持ちながら、核の道に走らなかったということを堂々とアピールすべきだと考えています。これは世界に範たるものです。さらに言えば、日本の人的貢献の最たるものは、専門家やボランティアによる貧しい国の国づくりです。これももっとアピールすることができるはずです」と書いている。私も同感である。

A「中国政府を悩ませる“独立王国”鉄道部とネット世論」  遠藤誉

 遠藤誉氏はこの小論で、鉄道部が「独立王国」を形成するに至った原因は、解放軍に鉄路建設で貢献し「半軍隊化」した鉄道部が、中華人民共和国誕生後今日までその組織を存続させたことにあると、論じている。これは他の論者の高速鉄道事故に関する鉄道部の分析よりも、はるかに見識が深い。ことに朝鮮戦争や中ソ決裂が鉄道部の「半軍隊化」と「権力の集中化」に大きな影響を及ぼしたという分析は、他者にはまったく見られない視点である。このように説明されると、中華人民共和国という国家の中に、鉄道部という「独立王国」が存在しており、「地方人民政府は地方鉄道局に口出しはできないし、また責任も負わない」という構図がよく理解できる。また今回の事故処理のゴタゴタも腑に落ちる。

 なお遠藤氏の次のような指摘は、示唆に富んでいる。

・今回の事故の犠牲者は、どちらかといえば中間層的な富裕層が多いと言えるだろう。高速鉄道の料金は安くない上に、犠牲者が多い先頭車両はファーストクラスとなっている。中国は急激な経済成長を遂げることによって、中国共産党の正当性を民衆に認めさせてきた。経済成長の担い手となり、かつその意味で共産党政権を安定させてきたのは、まさにこの中間層だ。ところが一方、経済力をつければつけるほど権利意識が強くなるのもまた人間の常だろう。中国もその例外ではない。となると、民を富ませて、その統治の正当性を主張してきた中国共産党は、富んだがゆえに芽生えた権利意識の矛先となっていく。…(略)。権利意識の核にあるのは、「人間の尊厳」である。それを蔑ろにすれば民は叛く。いまや5億人近くに迫るネットユーザーたちも黙っていないだろう。

・(中国は)集団指導体制をとっているために、首相といえども、一人の大臣を罷免すべきだと判断したときには、まずその理由を中国共産党中央政治局に提議しなければならない。政治局が調査討議後、「是」と決議したときにはじめて全人代に諮られる。しかも多数決が鉄則だ。首相は全人代の決議を受けて、ただ罷免を宣言するだけなのである。共産党一党専制政治と言われている中国だが、奇妙なところで実は「民主的」と言えないだろうか。…(略)。鉄道部改革の困難さも、実はここにあった。政治局や常務委員会メンバーの多数決によって人事や政策が決まっていくとなると、そのメンバー構成に関して権力争いが起きても、なんら不思議はない。