小島正憲の凝視中国

鄭州市の「富士康」パニック 


鄭州市の「富士康」パニック 
17.MAR.11
 河南省鄭州市は、現在、人手をめぐって富士康パニックに陥っている。

 鄭州市は中国の内陸部に位置し、750万人の人口を擁しており、最近まで沿岸部に農民工を送り出す基地であった。ところがその鄭州市に、昨年、富士康が工場進出を決定し、18万人のワーカーを雇用することを決定した。そして現在、その事業は着々と進行している。その結果、鄭州市近辺の農民工は大量に富士康の現地工場に流れ、給与水準も急上昇となり、従来の地元企業は苦境に立たされている。

         

 現在、鄭州市内の飲食店や小売店の店頭には、2軒に1軒の割合で求人広告が張り出されている。私は、ずっと中国各地の店頭求人広告ウォッチングを続けてきたが、このような激しい求人合戦には始めてお目にかかった。もちろんこれまで沿岸部に流れていた農民工の多くは、鄭州市に留まることになり、沿岸部の人手不足は加速されることになる。しかしこの富士康の鄭州進出は、鄭州市政府にとっては「地獄で仏様に会った」というようなものであったという。なにしろそれまで、この鄭州市は全国的に「鬼城」として有名となっていたからである。なお旧市街の中心部のビルの屋上には、アムウェイのどでかい看板があった。

1.駅前自由労務市場

 昨年まで鄭州市に関しては、鄭州市駅前の自由労務市場のことが話題になることが多かった。日本のマスコミ関係者などが、ここに大量の失業者が集まっているのを目にして、それを中国の深刻な失業者問題を論じる証拠として取り上げていたからである。私はこの情報に接して、これは誤報ではないかと考え、できるだけ早い機会に現地を見てみたいと思っていた。今回、その鄭州市駅前の自由労務市場と呼ばれる場所をこの目で見て、それはやはり誤報であったことを確認した。たしかにそこには失業者とおぼしき人々が、300人ほどたむろしていた。しかし彼らをよく見ると、ほとんどが中高年男性ばかりで、若者や女性はほとんどいなかった。しかも面白いことに、彼らは路上に自分の得意な職種を書いた紙を広げ、求人の声を待って立ったり座ったりしていた。私はこれらの紙をくまなく見て回った。そして彼らの9割近くが、料理人つまりコックであることを確認した。結局、この駅前自由労務市場は、「包丁1本を晒しに巻いて渡り歩く料理人」市場だったのである。残りの1割ほどは建築職人やドライバーの求職の紙であった。道路沿いには簡易宿舎があったり、ちょうどその自由労務市場が高速道路の下にあるため、そこで野宿しているような人が多く、表現は悪いがそこはホームレスの溜まり場のような場所だった。

 

 その自由労務市場を丹念に見て歩いているうちに、路上ではなく壁際には求人広告が貼ってあることに気が付いた。その広告の内容は、営業員・縫製従業員・電気工・ウェイトレスなどであり、ほとんどが45歳以下の指定であった。私はここで見事なミスマッチ光景を見ることができた。つまり求職側は45歳以上の男性料理人で、求人側は45歳以下のワーカーやサービス業従事者を求めているのである。それはなにやら数年後の中国を象徴しているような光景であった。

 その自由労務市場のすぐ側に、政府の「農村人力資源中心市場」という看板を掲げた大きく立派なビルが建っていた。そこに入ってみたが、広い建物の中に、わずか数人の若者がいただけで、受付事務員の方が多いという状態であった。そこには富士康の求人専門カウンターが置かれており、求人案内が高く積まれていた。それを手に取って読んでみると、求人範囲は18歳から35歳で、基本月給は2500〜3500元という驚くべき数字が並んでいた。受付の女性に聞いてみると、旧正月明けには、毎日1000人ほどの若者でごった返していたという。

2.富士康の玉突き人手不足現象

 昨年、鄭州市に富士康が進出し、10万人台の工場を作るということが大きな話題になった。その進行状況を確認するために、鄭州市の工場予定地を見て回った。

 まず経北2路の第9大街の河南鄭州出口加工区内にある臨時工場に行ってみた。そこには大通りに富士康の社員送迎用バスが10台ほど並んでおり、道路沿いに巨大な簡易工場のような建物が3棟建っていた。近寄って見てみると、「富士康社員食堂・関係者以外立ち入り禁止」という看板が掲げられていた。それを無視して中に入ってみると、200人ほどの若者が整然と並んで、イスに座っていた。そこは食堂ではなく、富士康へ就職を希望する若者の面接前の待合室になっていた。

 

 しばらく見ていると、隣の建物から係員が来て、名前を読み上げ、20人ほどを連れて行った。さすがにその隣の面接会場には、入ることができなかった。その建物の周囲を回ってみると、反対側の路上にも200人ほどの若者たちがたむろしていた。また富士康の保衛専門の求人窓口もあった。そこの係員に聞いてみると、「最近は就職希望者が少なくなった。旧正月明けには1日に、数千人の若者がここに集まっていた。ここで入社を内定し、深センか煙台の工場に3か月間研修に行き、その後に試験を行い、合格したら正式入社となる」と話してくれた。ちなみに保衛には研修はなく、月給は1500〜2000元、45歳以下の男性という条件で、この工場だけで2000人を募集していた。現在富士康は、この出口加工区の空き工場を数棟借りて操業を開始しており、既に約8000人がここで就業しているという話だった。

 次に商都路にあるという工場に行ってみた。そこには「鄭州四棉紡績有限公司」という名の大きなビルが建っていた。しかも新築して間もないような巨大で立派な事務棟が並んで建っていた。富士康がそれらのすべてを借用しており、現在、そこには約6000人が働いているという話だった。

      

 正式工場は空港から10分ほどの港区という場所に建設中であった。その周辺は昨年春までは、一面のナツメ林であったという。ダンプカーがひっきりなしに行き交い、クレーンが林立し、まさに急ピッチで工場建設が行われていた。私はしばらくそこで写真撮影をしていただけで、全身が砂ぼこりにまみれてしまった。

 ちなみに武漢にも昨年から武漢東湖新技術開発区に富士康が工場進出しており、これは5万人規模で、すでに工場は完成し正式稼働している。工場周辺の道路には毎日100台近くの40フィートコンテナトラックが並び、その運転手さんたちの定宿も出来上がっている。武漢でも、この富士康に若者を取られ、周辺の工場の求人はかなり影響を受けている。わが社も例外ではない。

 鄭州市では富士康が18万人の若者を雇用する予定であり、省や市の行政がその求人に躍起になっている。ほとんどの人力資源市場では、そこに富士康の求人専門カウンターが置かれているし、街角でも富士康の求人看板を掲げる私設会社を頻繁に見かけることができる。まさに鄭州市が公私一体となり全市をあげて、富士康の求人活動を展開しているといった様相である。この壮絶な富士康の求人活動に、従来の鄭州市の企業がまともに煽りをくらった形となり、市内は極端な若者不足に陥った模様である。市内の店頭の求人広告の異常な多さがそれを物語っている。つまり人手不足の玉突き現象が起きたのである。

 そこで鄭州市は人手に困っている各企業のために、旧正月明けに、求人のための合同人材市場をなんども開いているという。私は3月10日に、その開設場所の一つ、市内の経二路にある河南人材市場に足を運んでみた。そこでは求職側が毎日入れ替わりで200社ほどがブースを構え、若者たちもまた、よりよい職場を求めて毎日数千人が殺到しているという話であった。たしかにその日も、そこには若者たちが1000人以上集まっており、会場入り口に列を作って並んでおり、ほぼ50人単位で会場内に入り、真剣に職場を探していた。

 

 私はその光景を見て、富士康の玉突き人手不足は若者たちにとっては地元に就職口が多くなり、しかも給与水準も上がるわけだから、たいへん良いことだと思った。反面、企業にとっては優秀な人材を十分に確保することができなくなり、おまけに給与が大幅に上がるため、たいへん厳しい環境だと思った。

3.富士康は鄭州鬼城の桃太郎

 鄭州市は河南省の省都であり、悠久の歴史を誇る街である。その鄭州市では、2001年から旧市街の東部に面積150平方キロで150万人の新都市:鄭東新区を建設し始めた。この新都市:鄭東新区は世界中の建築家のコンペで、日本の黒川紀章氏の設計が他を圧して採用されたものであり、人造湖や商務センター、アートセンター、博覧会場などを中心に、素晴らしい設計が行われている。すでに中心部はほぼ完成し、周辺には低層マンションなどがずらりと立ち並んでおり、さらにその外周にも高層マンション群が建設中である。

 

 ところが鄭州市の市民がなかなかこの鄭東新区に移住せず、目下のところ、住宅部分には約30%しか住んでおらず、ネット上ではここが「鬼城」と化していると騒がれている。ちなみに「鬼城」とは、中国の住宅投資の加熱により、将来の値上がり期待によって買われたマンションなどに、実際には誰も住んでおらず、大半が空き家になっている街を指す。市政府側は必死にこの情報を否定し、マンションなどの70%には市民が住みついていると報道したが、ある大学の教授が学生を動員して、マンションの各部屋の電気のメーターの稼働状況を調査した結果、やはり3割ほどしか動いていなかったという。私も昼間にこのマンション群のエアコンの設置度合いを見て回り、夜間に電気のつき具合を確認して回ってみた。やはり実際に住民の気配があるのは3割で、「鬼城」が現実だった。

 省や市政府は、この窮状を打開するために、是が非でも富士康を誘致して、鄭東新区の活性化を図ろうとした模様である。富士康鄭州工場はこの鄭東新区と空港の間にあるため、この一帯に18万人が移住してくれば、多分、富士康桃太郎効果で、この鄭東新区から鬼が出て行き、市民も大挙して進出してくることになるだろう。