小島正憲の凝視中国

暴動情報検証 : 2011年 6月 & 暴動情報検証  内モンゴル特集 


暴動情報検証 : 2011年 6月 
25.JUL.11
1.〜5.は検証済み。6.〜10.は未検証。
暴動評価基準は文末に掲示。

1.6/12〜22、広東省東莞市のシチズン中国工場で11日間の連続スト。  暴動レベル0。

・マスコミ情報 : 東莞市のシチズン時計の中国工場で、6/12から1週間以上、500人余(最高時)の従業員が、残業時間が長いことなどに抗議してストライキ。会社側が従業員側の要求を呑む形で決着。6/23午後から通常稼働。

  

・実情 : 東莞市長安鎮新星路5号のシチズンの中国工場の「東莞長安新民冠利精密針表場」で、6/12、従業員のストライキが起きた。従業員総数は2000人余で、ストライキ参加者は500人ほど。6/21時点では200人ほどに減った。ストの原因は、会社側が6/08(水)〜10(金)の3日間、工場の冷房が故障したので休日とし、従業員に11(土)、12(日)の振り替え出勤を求めた。これに対して従業員側は、休日出勤の割り増し手当を要求したが、会社側がそれを拒否したので、それまで溜まっていた不満が爆発しストライキに発展した。さらに従業員側は毎日の始業時間10分前に行われてきた強制朝礼にも言及し、その分を残業手当として過去に遡って支払えと要求。念のため地元政府は、工場の秩序を維持するため、300人の武装警察を出動させ待機させた。会社側は従業員側の要求をほぼ認める形で、ストライキを収束させた。会社側は全従業員に朝礼時の10分間の残業手当などを、過去に遡って支払うことになったため、数百万元の臨時出費となったようだ。

・私見 : 2008年に新労働契約法が施行されてから、労働争議が発生した場合、ほぼ経営者側が負けている。また地元政府は基本的に労働争議には介入しない方針である。さらに今回の例のように、今まで慣例として認められ大目に見られていたことでも、法律に照らして過去に遡って補償を求められるようになった。会社側はあいまいな労働条件をただちに是正し、労働者側のあらゆる面からの提訴に勝てるように準備しておかなければならなくなった。現在、中国では、このように会社内の力関係が労働者側にきわめて有利になってしまったことを嫌い、会社を閉鎖したり、工場を他国に移転させる経営者が激増している。また実業を避け、投機などの虚業で儲けようと考える企業家が多くなっている。このままではやがて、中国から実業を行う経営者が消滅するのではないかと危惧されている。

2.6/06、広東省潮洲市で、賃金未払いに怒った出稼ぎ労働者が地元政府に抗議。  暴動レベル2。

・マスコミ情報 : 6/08、潮洲市潮安県古巷鎮で、賃金未払いに関する傷害事件に怒った四川省からの出稼ぎ労働者200人余が地元政府を取り巻き抗議。自動車など19台を壊すなどの騒ぎに発展し、現場には1万人以上の労働者が集結した。

  
      暴動発生現場

・実情 : 6/01、四川省からの出稼ぎ労働者が、勤務先の陶磁器工場の社長の家に約束の賃金を受け取りに行ったところ、社長が理由を付けて支払わなかったので、双方が口論となった。社長は外から刃物を持ったヤクザを2人連れてきて、労働者に切りつけさせたため、労働者は重傷を負った。その後、社長は姿を消してしまったので、四川省の出稼ぎ労働者仲間200人ほどが、連日、地元政府に抗議に行った。政府が明確な態度を示さないので、6/06、四川省の出稼ぎ労働者の組織の同郷会が1万人以上の労働者を糾合し、政府前の大通りで気勢をあげ、パトカー3台を含む車10数台を壊し、地元の住民を殴ったりした。地元の商店は略奪破壊を恐れて店を閉じた。また地元住民は外出を控えた。地元住民たちは18〜45歳の男性で自警団を組織して、四川省同郷会に対抗しようとしたという。潮安県政府は現場の秩序維持のため、武装警察3000人以上を出動させた。

3.6/07〜10、湖北省利川市で、市民数千人が住民擁護の地元幹部の変死に抗議。 暴動レベル2。

・マスコミ情報 : 6/07〜10、利川市で市民数千人が、住民を擁護していた地元政府幹部が汚職の嫌疑で逮捕され、取り調べ中に変死したので、それに抗議し市政府前でデモを行った。中でも6/09の抗議デモは過激で、市政府前で武装警察と衝突し、住民数十人が負傷。事後、取り調べに当たっていた2人の検察官は拘束、検察長は辞任、共産党規律委員会書記は解任。

  
    利川市人民政府庁舎

・実情 : 6/04、湖北省恩施洲利川市の利川検察院で、都亭弁事処書記兼主任の冉建新氏が汚職容疑で取り調べ中に急死した。冉建新氏は住民の立場に立ち、利川市政府の土地収用などに反対していたので、市政府に住民から賄賂を受けたという嫌疑をかけられ逮捕されていた。住民は検察院に死因の公表を求めて抗議をしたが、市政府側が明快な返答をしなかったため、抗議の規模が膨らんだ。6/09の午前中、抗議する住民は2000人以上になり、野次馬も含め1万人以上が市政府前の龍船大通りを塞ぎ、交通を麻痺させた。集まった住民は市政府庁舎に投石し窓ガラスを壊したり、門の字を削り取ったりした。6/09午後、市政府は秩序維持の名目で、武漢の武装警察5000人以上を36台のトラックで出動させ、威嚇のため戦車6台を投入し、住民を武力で強制的に排除した。そのとき住民130人が拘束され150人が負傷した。

  
    6/09当日の様子 ネットから

事後、市政府は抗議した住民からの要求や死亡した冉建新氏の家族からの要望を全面的に受け入れ、取り調べに当たっていた2人の検察官は停職、検察長は辞任、共産党規律委員会書記の李偉を解任するなどして、事態の沈静化を図っている。

4.6/10〜12、広東省増城市郊外の新塘鎮で数千人の出稼ぎ労働者が暴動。 暴動レベル3。

・マスコミ情報 : 6/10〜12、増城市郊外の新塘鎮の郊外で、四川省出身の出稼ぎ労働者が中心となって、3日間暴動が続いた。原因は6/10午後9時ごろ、新塘鎮大トン(土へんに敦)村の「農家楽」というスーパーの門前で、四川省出身の王聯梅さん(20歳)が露天を開いていたところ、村の管理者が来て違法露天として取り締まろうとしたので、口論となり王さんが殴られた。ちょうどそのとき王さんは妊娠していたので、近くにいた人たちが管理者の横暴に抗議し騒いだ。政府幹部は王さんをただちに病院に運び、事態を沈静化しようとしたが、四川省出身の出稼ぎ労働者や野次馬など1万人以上が集まり、管理者や警察にレンガやペットボトルを投げつけた。騒動は翌日3時ごろまで続き、暴徒は警察署や出稼ぎ労働者の管理事務所などに投石・放火、数十台の警察車輌をひっくり返すなどして騒いだ。一部では銀行のATMが襲われた。翌12日夜にも騒動が起きたので、市政府は武装警察7500人を出動させ、威嚇のため戦車なども投入し、催涙弾を使用するなどして事態の沈静化を図った。出稼ぎ労働者ら25人が拘束され、発砲による死者が出た模様。6/13、新塘鎮には夜間外出禁止令が出された。武装した警察官が10人1組となって、鎮内を巡邏。

    
        壊されたATM              破壊され修理中の保安隊事務所

・実情 : 増城市近郊は、中国随一のデニム生産基地であり、無数(1000社超)のモグリ工場(従業員20〜30人規模)がそこに蝟集しており、大量の出稼ぎ労働者がそこに集中して働いている。最近、そのデニム工場群の景気が悪く、閉鎖する工場が激増していた。今回の暴動はそれらのデニム工場で働いていた四川省出身の労働者が中心であったという。四川省出身労働者たちには、四川同郷会と呼ばれる非公式の組織があり、今回の騒動はその組織がインターネットで抗議行動を呼びかけたという。当局は事件解決のため、その組織に協力を求めたようである。

事件後、増城市公安局は19人の男を公務執行妨害などで逮捕、ネット上で暴動を扇動するデマを流したという理由で男1名を拘束。なお公安当局は6/19、容疑者の摘発に住民の密告の協力を得るため、その見返りとして「5千元から1万元の報奨金と、通報者が出稼ぎ者の場合は“増城市の戸籍”を与える」と発表した。さすがにこの戸籍授与の報奨は行き過ぎだということで、すぐに撤回された。現場付近は6月末でも緊張感がただよっており、監視役の私服警官が多いため、周辺での聞き込みはきわめて困難だった。

5.6/18、広東省深セン市で、現役・退役軍人の家族ら約100人が住宅問題でデモ。 暴動レベル0。

・マスコミ情報 : 6/18、広東省深セン市にある香港駐留部隊の後方支援基地で、部隊の現役・退役軍人の家族ら約100人が、住宅問題の解決を要求して抗議デモを行った。家族らは皇崗公園に集合し、福田区福強路の後方支援基地の門前までデモ行進をした。抗議参加者は香港駐屯の大隊・中隊クラスの退役または現役幹部の家族で、住宅が配給されていないことに抗議した。なお、連隊クラスの幹部将校には住宅が配給されている。

  
    深セン市の後方支援基地

・実情 : 抗議に参加していたのは、1993・94年に深セン後方基地に進駐していた大隊・中隊クラスの幹部将校の家族で、当初、深センに進駐してきたときには住宅を提供するという約束があったという。この問題を解決するために、2002年に市政府は土地を駐留部隊に譲ったが、その土地に建設されたのは連隊クラスの幹部将校のものばかりで、しかもそれらは規定よりかなり大きいのに、下級将校の約200人には住宅が未配給であるという。なお、抗議した家族らは後方基地の事務所から出てきた兵士に解散させられ、そのときに数人の婦人が押し倒されケガをしたという。また軍はすべてが「退役軍人住宅保障弁法」に則り処理されていると発表しているが、そこには下級将校について住宅を配給するということは明記されていないようだ。

・私見 : この事件は、軍幹部の住宅不正受給を明らかにしたもので、軍の内部にも汚職腐敗が充満し、上下の階層間で内部矛盾が存在しているということを示している。

6.6/01、湖南省岳陽市で民間自衛団が城管と対抗。 暴動レベル0。

・マスコミ情報 : 5月末、湖南省岳陽市で不動産やホテルなどを手がける民間企業の泰和集団が、自らの敷地内に違法建築を行ったということで、市政府から建物の撤去を命じられ、撤去しない場合は強制的に取り壊すと通告された。強制取り壊し実行の当日、泰和集団はヘルメットを被り、防弾チョッキを着て、盾と棍棒を手にした30数人の自警団を組織し、撤去作業に来た城管に対抗した。2時間ほどのにらみ合いの後、城管はなにも手出しをできず撤退した。

7.6/06、江蘇省啓東市郊外の漁村で、土地収用・漁場汚染に住民約2000人が抗議。 暴動レベル1

・マスコミ情報 : 江蘇省啓東市郊外の漁村で、海沿いの土地が埋め立てられて、発電所が建設された。そのとき土地が収用されたが、補償金の一部を地元政府幹部が着服し、住民には十分な補償金が支払われなかった。また発電所の影響により付近の海が汚染され、住民は養殖業が続けられなくなっていた。6/06、漁民が発電所の近くで漁をしていたところ、発電所の警備員に殴られたことから、住民の不満が爆発し、2000人規模の抗議行動に発展した。抗議は連日続き、6/10には地元政府が数百人の武装警察を出動させ、抗議者を解散させようとしたため衝突。住民10数人が逮捕、数人の負傷者が出た。

8.6/09、浙江省紹興市楊ジン橋鎮で、鉛中毒に村民1000人が抗議。  暴動レベル0。

・マスコミ情報 : 紹興市楊ジン橋鎮で100人ほどの村民が鉛中毒となっており、汚染源の疑いのある錫箔工場の撤去を求めて村民約1000人が地元政府に抗議。

9.6/17、広東省河源市紫金県で、鉛中毒で入院中の児童の退院強要に、住民1000人が抗議。
                                                   暴動レベル1。

・マスコミ報道 : 広東省河源市紫金県臨江鎮の三威バッテリー製造工場の近辺では、同工場から排出される汚染水などで、多くの住民の血中鉛濃度が基準値を超えていることが判明。中には200人余の児童も含まれており、入院治療中であった。6/17、地元政府がこれらの児童に強制退院を迫ったため、1000人余の住民たちが近くの国道を封鎖し抗議。地元政府の職員が退院を拒む母親らに暴力を振るったため、さらに多くの住民が集まり、抗議を行った。地元政府は夜9時ごろ、武装警察200人ほどを出動させ、警棒を振るい住民たちを解散させた。

10.6/20、広東省広州市の韓国系ハンドバッグ工場で、賃上げで4000人の従業員スト。
                                                暴動レベル0。

・マスコミ情報 : 6/20、広州市郊外にある韓国系ハンドバッグ製造会社の「世門手袋」の工場で、賃上げなどの待遇改善を求めて、4000人以上の従業員がストライキに突入。工場周辺には警察が待機。従業員側は賃金を現行の1100元から1300元へのアップを求めると同時に、トイレ休憩などの労働条件の改善、社会保険費の給料からの天引き中止、食堂の食事の改善、工場内への携帯電話の持ち込みの不許可の撤回などを要求している。

≪私の暴動評価基準≫
暴動レベル0 : 抗議行動のみ 破壊なし
暴動レベル1 : 破壊活動を含む抗議行動 100人以下(野次馬を除く) 破壊対象は政府関係のみ
暴動レベル2 : 破壊活動を含む抗議行動 100人以上(野次馬を除く) 破壊対象は政府関係のみ
暴動レベル3 : 破壊活動を含む抗議行動 一般商店への略奪暴行を含む
暴動レベル4 : 偶発的殺人を伴った破壊活動
暴動レベル5 : テロなど計画的殺人および大量破壊活動



暴動情報検証 : 2011年 6月 内モンゴル特集 
22.JUL.11
 5月から6月にかけて、内モンゴルで暴動が起きた。今回はその現地調査報告である。

            

 結論から先に言えば、今回の内モンゴル暴動は、「チベットやウイグルの暴動の再々現」にはならなかったということである。その意味では、内モンゴル暴動発生後の事態の推移は、かまびすしく民族紛争として、これを報道した日本のマスコミや反中・嫌中チャイナウォッチャーの期待を大きく裏切るものであった。その理由は、下記によるものと考えられる。なお、日本のマスコミではあまり報道されなかったが、6/24、今回の暴動の発端となった錫林浩特市西烏珠穆沁旗の付近で蒙古族の便乗抗議行動が起きた。今回、私はこの現場も取材した。そこから見えてきたのは、いつもの中国の他の暴動と変わらぬ状況、つまり悪徳資本家と結託した中国政府地方幹部と、したたかに利益を貪り取ろうとする中国人民衆(今回は蒙古族)の醜い銭ゲバの光景であった。これをことさらに中国政府の横暴と、虐げられた蒙古族の民族紛争という構図として誇張して捉えることは、誤りである。

・内モンゴルの1人当たりGDPは、4万7174万元(約59万円)で、広東省を上回り全国第6位で、そこそこ豊かであり、蒙古族全体がその利益の分け前と恩恵に預かっているという実情を、無視することはできない。ただし鄂尓多斯など都市周辺部と遊牧民の収入格差、東西蒙古の地域格差、炭鉱開発などの自然環境破壊という問題が新たな不満の種になっている。

・西烏珠穆沁旗は鄂尓多斯に次ぐ炭鉱地帯で、5年前ほどから開発され始め、今後の発展の可能性が大きな地域であり、地元蒙古族住民もその恩恵に預かりたいと考えているものが多い。

・2011年度は内モンゴルの民衆生活改善に、中央政府は788億元(約9800億円)を投入する計画を発表しており、地元住民は、その恩恵に預かることができる。また蒙古族の学生には学費免除政策や大学入試の際に10点プラスの優遇政策などがある。

・チベット族やウイグル族と比較して、蒙古族の不満はより軽微であり、より漢族への同化が進んでいると思われる。ただし不満がないわけではない。漢族が蒙古族の先祖伝来の草原を蹂躙し大儲けしていることに対し、自分たちの儲けや補償が少ないことに不満を抱いている。

・しかし多くの蒙古族は不満を募らせ、政権転覆、民族独立を願う方向ではなく、現在の地位や身分を確保しながら、より多くの利益を獲得しようとするものだと思われる。

・今回の暴動は偶発的なもので、計画的なものではなく、蒙古族の中に確固とした指導部もカリスマ指導者もいない。

・暴動に参加しようとしたものは、ネットや携帯電話のメールへの付和雷同派が多く、野次馬的な参加者が多い。したがって容易に押さえこまれてしまった。

・政府側は、チベットやウイグルの暴動処理の中で、学習効果を積んでおり、なによりも暴徒を未然に押さえ込むことの重要性を強く理解していた。

・今回も政府側の暴動鎮圧の迅速な対応がなかった場合、蒙古族の学生や遊牧民が暴徒化していた可能性はある。

・また政府側は今回の事件発生現場の当事者に、素早く補償金などを支給し、同時に西烏珠穆沁旗の共産党書記を解任し、内モンゴル地域での中学・高校の「学費免除・教材費免除」の範囲を広めることにした。

・6/15、温家宝首相は国務院常務会議を開催し、「内モンゴル自治区の発展を加速させ、生活水準の改善や社会安定を図る方針」を決定した。また同会議は、「2015年までに自治区内の森林被覆率を21.5%に、草原被覆率を43%に引き上げ、農民や遊牧民の生活水準を向上させるためにインフラ建設を加速させ、2020年までに、住民の平均所得を全国平均を上回る水準に引き上げる方針」を打ち出した。

・最近、蒙古族を含む多くの中国人民は、抗議行動を行えば、必ず政府や企業がなんらかの譲歩を行うので、その結果、多くの恩恵(アメ)を受けられるということを熟知している。つまり政府の制裁(ムチ)を覚悟の上で、行動を起こすことが多い。

・今回の暴動処理は、政府のアメとムチが成功した見事な実例である。ただしアメを配分する財源が枯渇したとき、ムチだけでは国民を統御できないことは明白である。このことは民族紛争だけでなく、中国全土の暴動にも適用できる。

・なお、錫林浩特市西烏珠穆沁旗には、1995年〜2008年までの間に、民生支援として日本政府から200万元の援助資金が投入されている。

1.5/10、錫林浩特市西烏珠穆沁旗の薩如拉錫力カツ査で、蒙古族牧民が漢族のトラック運転手に轢き殺される。   暴動レベル0。

・マスコミ報道 : 5/11早朝、錫林浩特市西烏珠穆沁旗の薩如拉錫力カツ査で牧畜を営む蒙古族の莫日根氏が、日ごろから石炭運搬大型トラックが蒙古族遊牧民の草原を勝手に走り回り、周辺の牧場と民家に大きな被害を与えているため、抗議するため大型トラックを阻止することを30人ほどの仲間と計画し、当日トラックの前に立ちはだかった。そのとき大型トラックの漢族運転手は、莫氏を轢き殺し逃げ去った。すぐに公安が追いかけ、その日の午後、西烏珠穆沁旗から南へ100kmほど行った林西県で逮捕した。事態を重く見た地元政府は、ただちに莫氏の家族に56万元の現金、56uの家1軒、子供2人と妻に毎月1800元を支給することに決定した。

このトラックの漢族運転手は莫氏を轢殺する前、夕食時に酒を飲みながら、「くずモンゴル人を轢き殺しても、せいぜい40万元払えばチャラにできる」と公然と言い放っていたと伝えられ、また莫氏の轢殺現場写真がネット上で飛び交ったため、これらが蒙古族民衆の怒りに火をつけた模様。ただし本当にそのように言ったかどうかは不明。

なお5/14にも、鉱山に勤務する蒙古族労働者が自動車事故で死亡した。詳細は不明。

6/08、内モンゴル自治区錫林郭勒盟の中級人民法院は、莫氏を轢殺した漢族運転手に死刑判決を言い渡した。

・実情 : 薩如拉錫力カツ査の炭鉱は、西烏珠穆沁旗の中心部から100kmほど離れており、草原の真ん中を延々と1時間以上走ったところにある。そこまで未舗装の道路をタクシーで埃を巻き上げながら走ってみたが、その道路がマスコミ報道のように、自然破壊をしているようには感じられなかった。ときどき草原の中に道路らしきものがあったが、それは遊牧民の家に通じる道路であった。たしかに炭鉱への幹線?であるその未舗装道路を、数百台の大型トラックが行き交ったら、草原はかなり荒れるのかもしれない。残念ながら、事件以後、炭鉱は閉鎖されており、その壮絶な光景を見ることはできなかった。ただし道路の舗装工事は着工されていたので、近い将来、砂埃などの環境破壊問題は解決されるのではないだろうか。

  
        轢殺現場?にて

・私見 : 莫氏の轢殺現場を探して、蒙古族の民家を尋ねて聞きまわった。そのうちに夜の9時を回ってしまったが、炭鉱現場から30kmほど離れた地点の草原の真っ只中で、運転手が地元の蒙古族から教えてもらったのはこの辺だというので、降りて現場写真を撮った。その現場で、私は「この地点は炭鉱からかなり離れているので、補償の対象にはなっていないのではないか。そのことが蒙古族遊牧民の大きな不満の原因ではないか」と考えた。暗闇でなおかつ周辺には人家もない場所であり、運転手も怖がったのでそれ以上の探索はやめた。

2.5/15以降、西烏珠穆沁旗県人民政府前で抗議行動。  暴動レベル1。

・マスコミ報道 : 5/15以降、半月間ほど、蒙古族民衆は怒りが収まらず、西烏珠穆沁旗県人民政府前に集合し、政府に抗議をした。多いときには1000人ほどが集まり、政府の窓ガラスを割るなどの行動に出た。

・実情 : たしかに西烏珠穆沁旗県人民政府前で抗議行動は半月ほど続いたというが、それほど過激なものではなく、投石し窓ガラスを割る程度であったという。

  
   西烏珠穆沁旗県人民政府前 

3.5/24〜27、錫林浩特市人民政府前で抗議行動。  暴動レベル1。

・マスコミ報道 : 5/24〜27、西烏珠穆沁旗の薩如拉錫力?査の轢殺事件をネットや携帯電話のメールで聞いた錫林浩特市の蒙古族の学生や市民が錫林浩特市人民政府前で抗議行動。5/27には、遊牧民や学生数百人によるデモ隊と300人以上の武装警察が衝突。40人以上が連行。 ※錫林浩特市人民政府前の抗議行動については未検証。


4.5/30、呼和浩特市新華広場に蒙古族遊牧民や学生が集合。暴動レベル0。

・マスコミ情報 : 5/30、内モンゴル自治区の区都、呼和浩特市の新華広場に蒙古族の遊牧民や学生が1000人余集合。広場周辺では数百人規模の武装警察が出動し、厳重な警戒をしいた。数日前から、ネットや携帯電話のメールで5/30に新華広場に集まり、抗議行動を起こそうという情報が流されていたので、当局は事前に厳戒態勢で臨んだ。新華広場に面した「内蒙古国際大酒店」は平常通りの予約を受け付けたが、広場への車の進入が禁止された。また市内の大学はすべて、武装警察の監視の対象となり、学生たちの外出を禁止するなどして、学内に閉じ込めた。なおこの状態は半月ほど続いた。

  
  新華広場にて 後ろは人民解放軍兵士

・実情 : ネットや携帯電話のメールなどで情報を知った蒙古族の学生や遊牧民は、5/30、呼和浩特市新華広場に集結したが、武装警察によりただちに解散させられ、広場は立ち入り禁止となった。その後、この状態は半月ほど続き、蒙古族の学生や遊牧民が新華広場の中に入り抗議行動を起こす余地はまったくなく、完全に押さえ込まれた。ただし新華広場の周辺では、毎日、少しずつ小競り合いのような事件が起きていたという。

蒙古族の学生が多いという「内蒙古師範大学」では、30日の早朝から武装警察200人ほどが警戒に当たり、「学生の無許可外出を禁止」するなどした。なおこの武装警察は大学の正門から50mほど離れたホテルに寝泊りし、半月間ほど大学を監視していた。市内の各大学にも同様の措置がとられた。

私が、7/14に呼和浩特市新華広場に調査に行ったときには、広場は全面開放されており、ちょうど市政府の「ハイブリッドバス導入式典」が行われており、広場全体に60台ほどのハイブリッドバスが並べられていた。そこには300人ほどの関係者に混じって、人民解放軍の兵士が50人ほど参加していた。通常、このような式典に兵士が参加することはなく、その理由を付近の人に聞いてまわったが、誰も答えてくれなかった。ただし兵士たちには、まったく緊張感がなく、だらだらとしていた。

いずれにせよ、呼和浩特市にはラサやウルムチのような緊迫感はまったくなく、武装警察の姿などや騒動の痕跡など、市内のどこを見回しても見つけ出すことはできなかった。チベットやウイグルの暴動では、半年後でも、ほとんどの街角に武装警察が機銃を持って立ち、10人単位の武装警察が常に街中を巡邏し、危機感がみなぎっていた。それと比べると、ここは天と地ほどの差があった。

地図を見ていると、市内の外れに回民街という地名の場所があったので、そこに行ってみた。そこには道路を挟んで両側に、黄金色の回族建築が立ち並んでいた。その街並みは1kmほど続いており、看板には2006年に完成したと書いてあった。回族の住民に聞いてみると、この場所に回族は4〜5万人集中して住んでおり、呼和浩特市全体では15万人ほどいるという。この街は、回族の資本家と政府が協力して作ったもので、観光の目玉にもなり、この地の回族全体がこれで潤っていると話してくれた。今回の蒙古族の騒動についての意見を聞いてみると、「われわれ回族には関係がないことだが、馬鹿げたことだと思う」と言った。

なおその近辺に、ウランフ記念館があったので行ってみたが、参観者はチラホラだった。

・私見 : 市政府はネットなどから、事前に蒙古族の抗議行動を察知しており、それを完全に制圧し、暴発を防いだ。これは当局側がチベットやウイグルでの教訓を活かした結果であるし、蒙古族側の組織の弱さ、ネットや携帯電話のメールでの決起のよびかけの脆さを露呈したものであると考えられる。

5.6/24、赤峰市巴林左旗県の白音諾尓鎮で、鉛採掘会社への蒙古族遊牧民の抗議行動。
                                                   暴動レベル1。

・マスコミ報道 : 6/24、赤峰市巴林左旗県で、蒙古族遊牧民が鉛採掘鉱山から排出された水により、草原が汚染され、大量の家畜が死亡したとして、鉱山事務所前で抗議行動。陳情には500人が集まった。武装警察50人が駆けつけ退去させたが、その際、年配の女性を含む4人以上がけがをした。複数の逮捕者が出た模様。

・実情 : 6/24、巴林左旗県(赤峰市から北へ300kmほどの場所)の白音諾尓鎮(巴林左旗から北西に100kmほどの場所)にある鉛鉱山の事務所前で、周辺の蒙古族遊牧民が鉛鉱山から排出される有害な水に対して、補償の増額を要求して抗議行動。事務所前に蒙古パオを作って200人ほどが座り込んだ。周辺村落から、1戸に1〜2名の割り当てで抗議行動への参加が要請されていた。武装警察も駆けつけたが、大きなトラブルにはならず、鉱山側がただちに1人当たり250元の補償金を追加で支払うことと、汚染されたという牧草地を復元するという約束をしたので、村民は解散した。

  
       鉛鉱山事務所前で

・内情 : 7/15、現地はきわめて平穏で、騒動の痕跡はまったくなかった。周辺の遊牧民もこの鉱山に勤めたり、鉱山関係のビジネスに携わったりしている人が多く、その人たちにとっては今回の騒動は迷惑だったという。しかも周辺の遊牧民はすでに鉱山側から補償金を受け取り、ある程度、この鉱山を承認していた。しかし今回の一連の内モンゴル騒動を見て、補償金の増額要求行動に出たのである。いわばこれは便乗抗議行動である。遊牧民間の内部矛盾もあり、この地の騒動は早期に収拾された。

《 今回の内モンゴル暴動についての他の識者の調査報告や見解 》

1.ジェトロ香港の花木出氏の調査報告 

花木氏は6/07に呼和浩特市に入り、調査を行い、レポートを書いている。その一部を以下に紹介する。


 (呼和浩特市は)町の印象としては意外に小ぢんまりしており、緑が多い。しかし道を一歩入るとドブの匂いがきつい小道があり、一般民衆の生活水準は中国の他の都市より低い印象を受けた。町の中心部には大きなショッピングセンターがあり、ポルシェカイエン等の高級車が泊められているかたわら、他の都市ではあまり見ないロバの果物売り(周辺の農村から農民がロバに果物をひかせて町に来て売る)を見かけた。車も多く、車種も高級車が目立ち、豊かな人は豊かであるという印象を受けた。一方、この町でわずか1週間前に、中国中央指導部を身構えさせる大規模デモが起きたという印象は正直全く受けず、市民生活は完全に平穏に復帰しているように見受けられた。

 こうしたことから、@今回の内モンゴル自治区でのデモは、しばらく盛り上がり省都に波及したものの、自治区書記自らの積極的な対応で迅速にその火が消されたこと、Aしかしながら根っこにある貧富の格差は大きく、構造的な事情は変わっていないため、将来こうした問題が再燃する可能性は十分にある、と考えた。

 しかしながら、最近、北京に戻り、有識者と本件について話をしたところ、その有識者は以下のとおり私の思いつかなかった点を指摘した。すなわち、モンゴル族は.数民族であるが、遊牧民優遇政策により毎年放牧地1ムー当たり600〜700元の「放牧地保護手当」を支給されており、放牧面積も広大であることから事実上働く必要がないほど豊かであること、放牧民からの羊の買い取りは、漢族からの羊の買い取りより1頭当たり5元上乗せされており、この仕組みを悪用して漢族から羊を譲り受け自らの羊として売る「偽造羊」売却により多額の補助金を得ている者もいること、一方、駅前や街中に多く見られた貧しい身なりの農民はその多くがモンゴル族ではなく河北省あたりから流入してきた漢族で、モンゴル族の下請けとして営農・放牧等に従事している者が多いこと等である。この話を聞いて、こうした構造は長江三角州周辺でもよく見られる構造、つまりもともとの農家は賃金の高い都市に出稼ぎに行き、自らの農地は田舎から出稼ぎに来た農民に小作させ、更にそうした出稼ぎ農民に家を貸して家賃まで取るやり方と同じではないかと思い当った。

 したがって、貧富の格差については、単純に漢族とモンゴル族との関係に帰することはできず、むしろ最も底辺にいる「出稼ぎ漢族」の問題を意識して理解する必要があると言えよう。


2.ジャーナリスト:福島香織氏の見解

新進気鋭の女性チャイナウォッチャーでもあるジャーナリストの福島香織氏は、ネット上で、今回の内モンゴル騒動の内容を詳しく報じながら、最後に下記の見解表明している。


 これを、中国ではよくある乱開発と環境破壊を巡る政府・開発サイドと農民・遊牧民の対立という環境問題事件ととらえると、本質を見誤る。問題の本質は「モンゴル族の命は安い」「殺していい」という漢族の少数民族蔑視と、「草原」というモンゴル族の聖域に対する冒涜。そして「モンゴル族は政権転覆を画策する危ない勢力」という当局サイドの根拠のないおびえにある。もし、被害者がモンゴル族でなければ、少なくとも戒厳令を出すような事態にまで発展しなかったはずだ。
 かつて私が中国国内で出会ったモンゴル族は、私の家庭教師を含め、漢族以上に漢族社会になじもうと努力してきた人ばかりである。海外で独立運動を掲げる組織の規模も数も、ウイグル族やチベット族に比してずっとささやかだ。
 しかし、最近はそんなモンゴル族の中にも「結局は戦わなければ何も得られないのか」とつぶやく人も出てきた。バト・ソワさんも、兄の事件を経験した後「私たちの人権は、血を流して戦う覚悟がなければ守れない」と強硬意見を主張するようになった。
 今回のシリンゴル盟で起きた一連のモンゴル族デモは、中国当局の実力をもってすれば徹底鎮圧することは可能だろう。しかし、その流血の鎮圧が、長らく耐えに耐えていた蒼き狼の末裔の怒りに火をつけることになるやもしれない。
 そういう恐ろしいことは望まない。中国当局には、この内モンゴルの一連の事態に慎重に対応してほしい、と祈るばかりである。