中国観察記 林 一氏からの便りS

2014年秋、済南、鄭州、北京を歩く


2014年秋、済南、鄭州、北京を歩く
2014年11月20日
 「臭い物に蓋をする、蓋をしておく」というのは、ある意味で大人(おとな、たいじん)の節度ではあるだろう。しかし今回はあえてその禁を破り自分の体験を踏まえて、中国の公衆トイレについて真面目に考えてみたい。
 私は2014年10月16日〜28日の間、山東省(煙台、済南)、河南省(鄭州、開封)、北京を歩いた。私の中国旅行では出来る限りの「エコノミー」を心掛けているので、公衆トイレのお世話になることが多いのだ。

1.日本人が受けた中国の公衆トイレの印象

  公衆トイレのことについて多く語ることになる今回の私の旅行記の前に、書物の中で見つけた日本人が受けた中国の公衆トイレの印象をいくつか紹介したい。

 司馬遼太郎の『空海の風景』の中にも、円仁(838年入唐、その後10年間かの地で仏教修学)が『入唐求法巡礼行記』で、運河の船着き場近くの川を流れる汚物の様について触れているという箇所がある。これは時代が相当に旧いので、現代の参考にならないかも知れない。以下に引用するのは現代の書物である。

 文化大革命直後の1978年から2年半、家族4人で北京に暮らした主婦はその著書(南條純子、『再見北京−見てきた中国の素顔』)で「トイレにドアがない!」の章をわざわざ設け、次のように書いている。
 「およそ中国に行ったことのある人で、トイレについて、強烈な印象を持って帰らない人はいないであろう。大都市のホテル内のことではなく、地方および遊覧先、あるいは劇場等一般の人々が出入りするトイレのことでる。」

 1994年夏、村上春樹は初めて中国に行った。大連から長春まで一晩12時間、「便所にも立てないくらい満員の、まさに中国的混乱の極致とでもいうべき硬席(三等車)」に乗った。そして次に、ハルピンからハイラルまで今度は「中国の列車の中ではいちばん立派な席である軟座の寝台」に乗った。その車中での感想を次のように述べる。
 「便所は例によってだんだん壊滅的な状況になっていったが、これもまあ例によってただあきらめるだけのことである。」(村上春樹、『辺境,近境』、「ノモンハンの鉄の墓場」)。最初の中国旅行でのこのようなクールな感想は「一斑を見て全豹を断じた」感はあるものの、さすがに鋭い観察眼と言わざるを得ない。

 2000年ミレニアムの前後、日本の一青年が西安からローマまでの「絹の道」を徒歩で行くという雄大な計画を立て実行した。ゴビ砂漠の周縁の道路のどこかで、ユーラシア大陸を自転車横断中のイギリス人青年と出会い、紅茶をごちそうになりながら旅の情報を交換しあった。「中国の公衆便所の話になると、もうお互い話がとまらなかった。この国の公衆便所は壊滅的に汚い。むしろ便所など使わず、どこかその辺で用を足した方が良いという結論に達すると、クリスが大きく頷いて言った。イエス! ノグソ イズ ベター。」(大村一朗、『シルクロード 路上の900日』)。イギリス人青年は日本でも自転車旅行をし、「ノグソ」なる言葉を知っていたらしい。

 2013年夏、私は黒竜江省 伊春市 金山屯にあるその地では唯一の汽車駅に隣接する公衆トイレに入るなり飛び出した。そこは正しく壊滅状況だったのだ。

2.済南 孔子の故郷へ

 煙台−済南間(鉄道距離で524km、所要時間約7時間)は高速バスを利用した。一時間に一本の便があり、切符購入も簡単だったからだ。トイレのことを考えると、列車よりも高速バスに乗る時の方が緊張する。私の自衛策は至ってシンプルだ。まず朝食は食べない、そして車中はペットボトルの水をなめパン類をかじったりはするものの、極端に言えば「飲まず食わず」を覚悟する。

 高速道路網の建設、整備や自動車販売台数の急増など近年の中国のモータリゼーションは目を見張るものがある。高速道路にサービスエリアはつきものだが、何度か経験したがこれがくせ者だ。建物は大きく駐車場スペースも広いが、地方ではまだまだ利用客が少なく閑散、寒々としている(上海周辺になると逆に利用客が多過ぎて圧倒されるが)。サービスエリア全体の維持、管理のお粗末さはトイレを見れば一目瞭然だ。

 私の乗った高速バスはエンジンの調子が悪くなり、ガソリンスタンドで停車し修理することになった。これを利用して乗客はトイレに行ったが、男子トイレの小便器は3つしかなくおまけに1つは便器そのもが無くなっていたので、行列になった。するとある中年の男性が無くなった便器の下の小さなパイプの穴目掛けて用を足し出したのだった。中国人の状況に応じた対策能力は半端ではない。これこそ「上有政策 下有対策」の実践例かと思い感心した。

 済南から観光バスで孔子の故郷である曲阜に行った。孔廟(孔子を祭る廟)、孔府(孔子の子孫が暮し続けてきた宅)、孔林(孔子一族の巨大な墓苑)をぐるっと回るツアーだ。近年、中国では国内旅行熱が高まっている。しかもその日は日曜日とあって観光客が押し寄せていた。

  
               廟入場門                                孔廟内
 中国だけでなく海外にもある孔廟の総本山だが、人が多過ぎたせいか厳粛な気持ちにはならなかった。厳粛な気持ちを味わいたければ、中国各地にある孔廟(文廟,夫子廟とも言う)に行くほうが良いだろう。鄭州文廟には一人で行ったが、人が少なく落ち着いた気持ちになれた。各地の孔廟の近くには必ず言っていいほど、城(町)の守り神を祭る城隍廟があり、多くの参拝客を集めそこでは太く長い線香がもうもうと燃えている。

 私は当初、両者の人出のあまりの違いに戸惑ったものだ。思うに士大夫が有難く思う孔廟よりも、老百姓(庶民)にとっては身近な町の守り神の方が御利益は大きいに違いない。

   
         鄭州城隍廟の焼香                       孔林(至聖林)の入場門
 孔林の前の広場には土産物屋の屋台が並び、周囲を建物が取り囲む。そこの一等地と思われる場所にある食堂で昼食となった(料金50元=900円弱、1元=17.5円で計算、以下同じ)。食事を終え広場の屋台をひやかした後、食堂の隣奥に「公共トイレ」の文字が見えたので近寄ると、ガイドが私を手招きする。最初、ガイドの話がよく理解できなかったが、どうやらその「公共トイレ」は1元取られるので、食堂の裏手にあるトイレに行けということらしい。ガイドの親切なアドバイスに従ったが、そこのトイレは壊滅的とまではいかないが十分に悲惨だった。食事を提供する二階建ての大きな食堂にしてこのトイレに対する無頓着は一体どういう事なのだろう。そして観光収入が大きな財源に違いない孔子の聖地で有料の「公共トイレ」とは。私のカルチャーショックは益々大きくなるのだった。

3.鄭州 中国鉄道の中心 農業大省 出稼ぎ大省

 済南から鄭州(鉄道距離で668km、所要時間8時間23分)へは在来線の列車(K185次)に乗った。プラットホームに入って来た車輌のプレートをみると、なんとK185次は済南発ウルムチ行きだった。中国にはこのように遠く離れた二つの点を結ぶ列車がやたらと多い。それを毎日、ほぼ定刻通りに走らせている中国の鉄道運行能力は本当に凄い。列車だけでなく長距離バスも驚くほど長い距離を走り、寝台バスまである。かって上海駅近くの長距離バスターミナルで、ハイヒールを履いた若い女性が大きなバッグを二つ持ってウルムチ行きのバスに平然と乗り込む姿を目撃した時は、感動の余りしばらく動けなかった。

 鄭州は鉄道の南北線(北京---広州)と東西線(連雲港---蘭州)の交差点になっており「中国鉄道の中心」と呼ばれ、人口1億人を超える河南省の省都で、750万人〜800万人の人口を擁する大都市である。河南省は「農業大省」と呼ばれ、中国人の間では発展の遅れた省のイメージが強い。近年、「遅れた」イメージを払拭すべく省全体が猛烈と動き出した。省都たる鄭州は先頭を切って「鄭東(鄭州東部)」という新城(計画人口150万人)を猛烈な勢いで建設した(どの都市でも新城は、旧城、旧市街地から東西南北のいずれかの方向に向かって10〜20km離れた農地に建設される)。余りにも高速で大規模に建設をしたが肝心の居住者がそれにまったく追いつかず、その地域は「中国最大のゴーストタウン」(アメリカのメディア報道)と揶揄されてもいる。私の見たのは新幹線の鄭州東駅の周辺、つまり新城のほんの一部だけだが、林立する高層ビル、マンションを眼前にして溜め息しかでなかった。私はこれまでも少なからぬ新城を見てきたが、どこも判で押したように「鄭州東」と似たり寄ったりで、まるで「金太郎飴」なのだ。

 リーマンショック(2008年)後のスピーディーかつ果断な4兆元(当時のレート換算で約50兆円)の景気刺激策によって、アメリカ、ヨーロッパ、日本を尻目に中国が高度成長を続けたことは紛れもなく世界を驚かせたし、中国の存在感は益々大きくなった。そのこと自体は評価すべきだし、先進国をはじめ多くの国々がその恩恵を受けたことは否定できない事実だ。しかし、この間の中国の動きについて私は「やり過ぎ」感をどうしても拭うことはできない。「やり過ぎ」をビジュアルに感じられるのは、全国の都市で起こっている新城建設だと私は思っている。マンションを買える人はすでに旧市街の一等地に住み、複数の投資用マンション(新城にあるものも含め)を有し移動は簡単だが、新城の不完全な行政サービス(教育、病院、交通・・・)のため他人より先に移り住むことはないだろう。そして旧城、旧市街でしか生活の糧を得られない人は、新城のマンションといっても余りにも高過ぎるので、快適な居住環境に憧れたとしても移り住むことはできないだろう。新城では需要と供給の巨大なミスマッチ、アンバランス(供給過剰)が今なお進行している。

 
                鄭州駅前
 「農業大省」は「出稼ぎ大省」でもある。時期は10月下旬だったので、出稼ぎのピークではないが、鄭州駅前広場は農民工の往来が絶えない。国務院の2014年9月30日のレポートによれば、2013年末の流動人口(農民工)は、2億6,894万人。求職、就職、離職、転職、失業を繰り返すのは、その内の何分の一、いや何十分の一であるにせよ、彼等が主役となった人間の移動はスケールが違う。出稼ぎのピーク時には、この広場は人、人、人で溢れ返るだろう。当局は殺到する人波による不測の事態を恐れてか、鄭州駅前広場は鉄製フェンスでぐるっと囲まれ、そして人間一人がやっと通れる出入り口が何か所かに設けられているだけだ。このようなフェンスで囲まれた駅前広場を見るのは初めてだった。さらにこの広場では、新聞売りがいないし、新聞を売る店、屋台もなかった。聞いてみるとこの広場では、当局によって新聞販売が禁止されているとのことだ。これも初めての経験だった。

 新築された巨大な鄭州駅の広場に面した一階には、全国展開のファストフード店など食堂が軒を連ねている。あるファストフード店で食事をした後、用を足したくなったのでトイレの場所を尋ねた。するとその店員はさも面倒くさそうに駅前広場の向かい側にあるビルの横に公共トイレがあると言った。これだけ沢山の食堂があるのに食事客のためのトイレを共同ででもいいからなぜ設置しないのか。駅構内のトイレがあるじゃないかと思われるかも知れないが、中国の駅は構内の混雑、混乱を避けるため構内に入るには切符を提示しなければならず(発車時刻まで2時間以上の余裕のある切符では入場を拒否されることがある)、いったん入場すれば原則として出ることはできないのだ。今年の国慶節ゴールデンウイーク(10月1日から1週間)に、鄭州駅の利用者は20万人前後に達し過去最高を記録したという。20万人とトイレの関係を誰かルポしてくれないだろうか。

4.北京 胡同のトイレ

 北京へは鄭州東駅から新幹線に乗った(距離693km、所要時間3時間4分、料金309元=5,400円)。列車は安陽(殷墟遺跡)、石家庄,保定、琢州(三国志、劉備、関羽,張飛三義兄弟の桃園結義の地)と停車するが、歴史世界を疾走するようで愉快な気持ちになる。新幹線を近距離移動に利用する人も多いようで各停車駅では乗降客が多いが、ほぼ満席だった。

 主要都市の新幹線駅はどこも巨大だが、鄭州東駅も大きい。しかし駅構内の巨大待合ホールの稼働率は半分ほどだった。新駅(鄭州東駅)と旧駅(鄭州駅)のコントラストは、新城と旧城のコントラストと相似形だ。新駅のトイレは清潔で問題はなかった。ただ各トイレには清掃員が常駐している様子には違和感を覚えた。そこまでする必要があるのかと思ったからである。

 
                 鄭州東駅前
 鄭州東駅の駅前広場はだだっ広いだけで、歩く人は数えるほどで夜は完全にゴースト空間だろう。そして驚くことにこんな所にも二人ほどの清掃員がいて、箒を左右に動かしているのだった。

 北京で泊まったホテル(一泊,約3000円)は、王府井の北端から歩いて30分位の胡同エリアにあった。胡同は北京の歴史的景観を色濃く残すものとして、その保存が強く求められている。実際に旅行者としてそのエリアを歩くと、近代化された地区(例えば、王府井)では到底味わうことができない北京独特の雰囲気に浸ることができる。しかし現在の胡同はほんの一部を除いて大雑院化(一つの四合院や建物を小さく区切って何家族も住むこと)していて、居住環境は決して良好とは言えない。

 
         北京の胡同と大通り向こうのマンション
 まず建物が密集しているので、日当たりがとても悪い。そして共同炊事、共同洗濯が普通で、トイレについては一つの胡同に何か所か設けられているに過ぎない。大通りから横丁に入ってホテルに着くまでに二か所の公共トイレがあった。ある時そこを歩いていると、共同トイレの前にバキューム車が停まって作業をしていた。私は自分の子供時代の光景を思い出し暫くじっと眺めていた。保存か開発か。これは本当に簡単な問題ではないだろう。この問題に旅行者、ましてや外国人が容喙する余地は全くないが、この問題に当局がじっくりと取り組むことを、ただ願うばかりである。

5.「創建国家 衛生城市」 「做文明市民 創文明城市」

 中国を旅行していると、多くのスローガンを目にする。誰が言い出したかは知らないが、「中国はスローガン国家だ」というのはうまい表現だ。振り返ってみれば、1949年以降中国は「百家争鳴、百花斉放」、「文化大革命万歳 、造反有理」、「社会主義市場経済」、「愛国無罪」、「中国の夢」・・・数々のスローガンを生み出してきた。日本人にとって一目見てその意味がなんとなく分かるのは有難い。本節見出しのスローガンも多くの場所で目にするが、一番目は「新しい国家、衛生的な都市を造ろう」と訳せるだろう。二番目は「文明」という言葉が中国語では「マナー、エチケット」の語義もあることを踏まえなければならない(「文明」は「河南省は中華文明の源である」というふうに使われ、日本人にとってはこちらの方がしっくり来るが)。訳すれば「マナーのある市民になろう、マナー溢れる都市を造ろう」となるだろう。公衆トイレの男子用小便器」の前には「上前一小歩 文明大一歩」というささやかなスローガン(?)が貼ってあることが多い。「もう少し前進してください、そうすればマナーは大きく前進します」と訳すと、ニヤッと笑える。
 「衛生都市」、「文明市民」という言葉が随所に見られるということは、当局にも中国の「衛生」、「マナー」の現況にたいする客観的そして自省的な判断があるに違いない。今後はそれなりの政策、対策が次々に打ち出されてくる筈だ。再び世界を驚かせて欲しい。