上海発中国万華鏡・林一氏からの便りA

60周年国慶節(2009年)をどう見るか


60周年国慶節(2009年)をどう見るか
                                           上海発 2009年10月12日
 

 テレビで60周年国慶節の行事を延々と見続けた後、中国人自身がこの60周年をどのように考え、意義付けし、評論しているかを知りたくて、何紙かの新聞を買った。

 その中で「南方周末」(2009年10月1日)のある記事が私にとって示唆に富み刺激的だった。
 この記事は1949年から1999年までの10年毎の10月1日付けの「人民日報」の第一面を掲載して、その時代を概観すると同時に「二字」でその時代を象徴するという大胆な試みである。

 肝心の2009年10月1日現在の概観とそれを象徴する「二字」はないが、「現在を知るには過去を見よ」ということか。

 今年の国慶節を象徴する「二字」は何か、すなわち現在の中国をどのように見るかは、読者それぞれの想像力に委ねられていると見るべきだろう。

 以下、記事の要約を通じて過去を振り返り、今年の国慶節を象徴する「二字」を考えてみたい。
 これこそが一読者である私が私なりの想像力で捉えた現時点の中国の姿だと思うからである。


  1949年10月1日、「共和」 

 毛主席が天安門楼上で「1949年10月1日、中華人民共和国が成立した」と宣言した日だが、共産党による全国の統一は未だ成らずの状況だったようで、各界諸勢力との「共和」が不可欠だった。
 中央人民政府主席こそ毛沢東だったが、6名の副主席の内、3名は非共産党員だった。
 蒋介石は依然として大陸に在り、台湾に渡ったのは同年12月10日である。


  1959年10月1日、「陣営」

 中華人民共和国成立以来10年が経過しその間の躍進を目覚しいものと形容し、この勢いでいけばはるか先に見えていた英国に追いつき追い越すのは時間の問題だと号令をかけている。
 毛沢東と並んで劉少奇国家主席の写真が掲載された。そしてその下段には世界の社会主義国家の首脳(フルシチョフ、金日成、ホーチミン等)の集合写真がある。
 これが世界の社会主義「陣営」が一堂に会した最後の機会で、翌年中ソ論争が表面化し中ソは「断絶」状態へ。


  1969年10月1日、「紅潮」

 「文化大革命」で社会主義、毛沢東主義が真っ赤に燃え上がった(「紅潮」)中での国慶節の「人民日報」の第一面には、毛沢東の写真が前面に掲げられている。
 余計な言葉は不要という雰囲気だ。
10年前には毛沢東と並んでいた劉少奇は、この年の11月に失意の内に亡くなった。 またこの年の4月には毛沢東の後継者とされた林彪も後年姿を消す。


  1979年10月1日、「覚醒」 

 30周年国慶節であるが、「文化大革命(10年の動乱)」から「覚醒」したばかりの頃であり、「人民日報」の紙面は政治色を押さえ気味であった。
 ケ小平が日本経営者団体連合の名誉会長の櫻田武と会見し、改革開放および外資導入を手探りする様子が報道されている。


  1989年10月1日、「平静」

 同年6月4日の「天安門事件」の記憶がまだ生々しい中での国慶節であるが、「人民日報」は中国が「平静」であることを内外に示す。
 前日の9月30日には外国の報道記者の天安門広場での取材を許可し「平静」さをアピールする。
 また李鵬首相が「社会主義のみが中国を救い、発展させる道だ」と強調する。


  1999年10月1日、「融入」

 前年のアジア金融通貨危機の中、中国は人民元の追随切り下げをせず、危機の拡大を防いだと評価された。
 朱首相は国慶節前日の晩餐会で「中国は世界の複雑な経済環境下で予想される困難に対処し、適時に果断な総合対策を採る」と表明。
 そして21世紀のスタート年(2001年)にWTOに加盟、いよいよ世界の表舞台に登場する(「融入」)することになる。


 以上これまでの節目、節目の国慶節をざっと眺めてみただけでも、「十年一昔」とはよく言ったものでそれぞれに非常に興味深い。

 さて問題は今年の国慶節を象徴する「二字」であるが、誰がどのように考えても大胆無謀な試みである。
 それは百も承知の上で、私は私なりの考えを明らかにしたい。


 昨年来の世界金融経済危機、混乱の中で、中国が世界のどの国よりも早く立ち直ってきたことは誰も認めざるを得ないだろう。
 また先ごろの報道では今年の経済成長率は8.3%になり、来年は9%になるだろうと予想されている。

 経済の発展段階が違うとは言え、世界3位の経済力の国がこの世界経済の環境下で達成しようとしているこの数字はやはり物凄いものだ。
 世界第1位の外貨準備高を持ち、自動車の年間販売台数がアメリカを上回ることは確実だ。

 世界の舵取りは最早G8でなくG20であり、中国はそのなかでも主要国である。
 そしてG2(アメリカと中国)と言う言葉があることを、私は中国で知った。
 2008年には北京オリンピックを開催し、2010年には上海万博が開催される。

 このような中で行われた今年の国慶節を、私は「自信」という「二字」で象徴したい。


 どの国にも影があるように、中国にも極端な経済、地域格差、巨大な官僚組織の歪み、建設投資に比重のかかりすぎた経済成長、政治の民社化の遅れ、社会保障の不整備、環境問題、少数民族問題等の問題がある。
 しかしこのような問題が一挙に解決できるものでないことも事実だ。

 ましてや経済成長に拍車がかかりだしたのは、この20年、10年である。

 問題を抱えつつも13億の国が、目の前で8%ないし9%のスピードで驀進しているのだ。

 中国が、中国人が、「自信」を持ったとしても不思議ではない。
 「自信」という言葉はいささか主観的な言葉である。見方を変えれば、「自信」は「不安」と裏腹の関係にあるが、これは誰にとっても、どの国にとっても不可避的であろう。

 それを踏まえて、私は敢えて言いたい。今、中国、中国人は、主観的かも知れないが自分たちの現在そして将来に「自信」を持ち始めたと。

 考えてみれば中国は長い、長い「中華」の伝統を持つ国であった。

                             (2009年10月12日記)

          

国旗護衛隊、169歩前進の意味
                                           上海発 2009年10月13日
 

 北京市長の「開始」の宣言で始まった60周年国慶節は、60発の礼砲の後、旗手を真ん中にした3名の国旗護衛隊が国旗掲揚塔に向かって前進する。

 俗な言葉でいえば、非常に「カッコ良く」、これからの式典の盛り上がりへの期待をいやが上にもかきたてる場面である。

 これに関して「東方早報」(2009年10月2日)を読んでいて、次のような記事を見つけた。

 すなわち国旗護衛隊はちょうど169歩前進したというのである。

 169歩と言えば、身長180cmを優に超える彼らの歩幅からすれば、130〜140mにもなる。 

 そんな長い距離を前進したかなと思って、記事をよく読むと、「共」という字がある。
 どうやら3名合計で169歩ということらしいが、それなら納得がいく。


 でもなぜ、ちょうど169歩(中国語で、169正歩)なのだろうか。

 このような儀式では昔から決まっている数字だろうかと思って、次を読む。
 すると169歩はなんと1840年から2009年までの169年に基づいた数字なのであった。

 1840年は第一次アヘン戦争が起こった年であり、それからの中国は数々の苦難に見舞われる屈辱の歴史を歩むことになった。

 しかし2009年国慶節の3の国旗護衛隊の169歩の力強い足音は、中国が「貧しく弱い国から富んだ強い国になった」、中国が「復興の道を歩き始めた」ことを、中国、中国人が自己確認しそして世界に示すものだと記事はいうのである。

 私はこの記事を読んだ時、その強烈な歴史認識に少し眩暈を感じそして素直に感動した。


 眩暈から覚め冷静になって次のようなことを考えた。

 60年前あるいは20年前の国慶節で、国旗護衛隊は何歩前進したのだろうか。
 そのようなことを考える状況ではなかったのかな。

 でも10年後、40年後はどうするのか。

 40年後(100周年国慶節)に、国旗護衛隊が209歩前進することはあり得るだろうか。

 もし彼等が209歩前進したとするならば、1840年を更に今後40年も引きずっていくということにならないか。

 とすれば2009年の169歩の意味は、新生中国が60周年の節目の年に、1840年以来の苦難、屈辱の歴史に「一応のケリをつける」という意志表明なのではないか。 

 ここにも私は中国そして中国人の自信を感じるが、それは少し読み過ぎだろうか。

                         (2009年10月13日記)