中国発上海万華鏡・林一氏からの便りF

日本語教育の教室から


日本語教育の教室から〜日本語を学ぶ動機を通して考える〜
上海発 2010年5月18日
 上海で、日本の新聞の切り抜き(主に読者投書欄)の講読をしながら日本事情を話し、そして課題の作文(一週間に400字詰め原稿用紙一枚)を添削し、実際的な場面に即した日本語の使い方について説明する日が続いている。
 中国の学生の日本語学習は、総じて読み書きに強く、聞くこと話すことすなわち会話力が弱い。この点では日本人の英語や中国語学習と似通った面があると言える。しかし、なかには驚くほど上達が速く、猛勉強によって日本語能力試験で信じられないような高得点を取る学生もいる。

 話すよりも書くことの方が強いと言っても、まだまだ日本語学習暦2、3年なので、彼等の作文には文法の誤り、不適切な語彙選択も多く、なかなかスラスラとは読めない。また、手書きなので、判読できない文字もあり苦労する。特に彼等にとっては自家薬籠のものである漢字の独特の崩し方には弱った。それでも日が経つにつれて、単純な誤りが減りしっかりした内容の作文が増えてきて嬉しく思うこともある。

 
   大学キャンパス・授業に向かう学生達

 私が教えている3年生は、いわゆる「80后」(中国語の発音で、パーリンホウ)と呼ばれる世代のラストランナーであり、彼等より1、2年下は「90后」になる。 

 「80后」とは、1980年代に生まれた子供たちを指し、中国では「豊かになった社会で育った苦労知らずの世代」とされ、基本的には一人っ子である。

 苦労知らずと評される彼等だが、大学生になるには全員が「全国大学統一入試」を受験しなければならなかった。この受験勉強の重圧は相当のものであるらしく、ある時「睡眠について」という課題を出した時、高校三年の時はいつも睡眠不足だったと書いた学生も少なくなかった。この点では「一芸入試」や「AO入試」がまかり通る日本の大学事情(大学進学率はほぼ50%)とは異なる。

 学生は「全国大学統一入試」で取った得点と入学願書を志望大学(第一志望から第三志望まで記入する)に提出し、一方大学側はそれに基づいて合格者を決定するというのが、現行の、中国の大学入試制度である。従って、私の教える学生の中にも第二、第三志望で入学した学生がいる。

 日本語教育を通じて彼等と接するうちに、どのような動機、理由で数ある学科の中から日本語を選択したのだろうかと思いそれを課題にしてみた。

 学生たちの日本語学習の動機に一番大きな影響を与えたと思われるのは日本のアニメ、マンガである。子供の頃からテレビでアニメを見ることは日常生活の一部であり、特に日本のアニメはその時代に流行っていたという。 90年代に入って、中国が日本のアニメを導入したということも彼等の作文から教えられた。

 「聖闘士星矢」、「スラムダンク」、「名探偵コナン」、「一休さん」、「犬夜叉」、「美少女戦士」、「野原新之助」などのアニメが広く受け入れられ、彼等の共通の体験、記憶になっている。アニメならば中国のものもある筈だが、中国のアニメは教育的なものが多いらしい。「道徳教育のにおいが強い」という学生もいる。しかし一方では、中国では伝統的に子供の頃から正しく教育すべきという考えがあるのだという作文もあって、一様ではない。

 アニメの他に日本のことでよく知っているのは、ファッション、音楽や俳優(主にJ-POP、浜崎あゆみ、俳優の相原崇なども人気)、食べ物(さしみ、すきやき、すし、納豆)、温泉、化粧品、桜などだ。極端な言い方であろうが、「私たちは日本料理を食べて、日本の電気製品と化粧品を使って、日本のアニメをみる。」らしい。もちろん日本語を選択した理由、動機は一つではなく、複数の要因がからみあっている筈だが、こうした子供の頃からの体験や日常生活の要因は彼等の動機のベースにあるような気がする。

 彼等が入学した2007年9月頃は不景気だと思われていたらしく(経済成長率の数字からでなく、皮膚感覚として)、就職のことを考えて日本語を選んだという学生も少なくない。彼等の世代は小学校3年から学校で英語を勉強し始めたので英語の出来る学生は非常に多く、競争が厳しいから日本語を選択したという現実的な判断もある。

 ある地方出身の学生が、「将来上海で生活したいと思っているので、上海で仕事を探したい。上海には日本企業がたくさんある。日本語を勉強すると就職に有利だ。」と書いている。これは、大卒で上海の企業に正社員として勤めている者は、上海戸籍が取り易いという中国特有の戸籍状況も反映しているのだろう。

 
 ユニクロ旗艦店開業日の様子(南京西路 5月15日)

 少数だが、「中国と日本は一衣帯水の近い、親しい関係があり、中日交流に貢献したい。」、「明治維新後、第二次大戦後の日本の経済発展に興味を持った。」などを動機に挙げた学生もいる。

 また自分は日本語に興味を持っていたが、周囲に「反日感情」(戦前、戦中の日中関係に由来する)を持っている人も多く、日本語を選択する気持ちが揺らいだこともあると正直に言う学生もいたが、日本人としても率直に受け入れざるをえない歴史、現実だろう。

  こんななか、ある女子学生の「日本語は優しい言葉だと思う」、「ドラマの中の日本人の女性たちが日本語を話す姿がとても好きだ。」という作文が印象的だった。と言うのは、私は逆の立場で中国語のリズム、テンポがとても速く、時にはきついと感じていたからだ。テレビニュースの女性アナウンサーは、誰もが黒柳徹子のように高音でポンポンポンと早口でしゃべるような気がして聞いていて疲れるのだ(内容が十分に理解出来ないから余計に疲れるのかもしれないが)。

 激変する上海、中国では、流れに乗り遅れないためには早口で話さなければという脅迫観念にとらわれているのではないだろうか。NHKの「ラジオ深夜便」の女性アナウンサーのようにゆったりと話すのは、中国語では無理なのかなとさえ思うくらいだ。

  ところで、「私は100本以上の韓国ドラマを見た。 韓国語を勉強したいと思ったが、この大学には英語と日本語しかなかった。」という一文には、しばし考えさせられた。 

 
 上海万博開幕日の南京東路の人波(5月1日)

 私は生まれて初めての海外生活を上海で送っているのだが、日本のこと日本企業のことが以前よりも気になるようになった。走る自動車のマークを目で追いかけたり、トイレに入れば便器のマークにまで目が行ったり。日本企業そして様々な分野で働く日本人には是非頑張ってもらいたいと心から思う。私も慣れぬ海外生活で疲れを感じることも多いが、はつらつとして授業に向かわなければと気を引き締める毎日である。