上海発中国万華鏡・林一氏からの便りC

上海の地下鉄−怒涛の拡張


上海の地下鉄−怒涛の拡張
上海発 2010年1月6日
 2010年5月1日の万博に向かって、上海は今最後の追い込み、化粧直しの真最中である。 トンネル、橋梁の建設、道路の拡張、整備、歩道のタイル張替え、道路に面した建物の壁面改修などが進行中だ。
 海外からの観光客が必ず訪れると言ってもよい外灘の遊歩道や南京東路も大規模なリニューアルを行っている。
 外灘と南京東路が交差する所に位置するオールド上海を代表する建物の一つである和平飯店も休業中だ。
 南京東路を歩いた日本人も多いだろうが、今度来て見たら「これがあの南京東路か?!」と驚くかも知れない。

 このような中で、短期の旅行者には見えにくいかも知れないが、地下鉄の拡張(新線の建設、既存路線の延伸)が怒涛の勢いで進んでいる。
 地下鉄の建設は有名な建物や街路のお化粧直しと違って上海市民(老百姓)の日常生活に直結する。ほんの少し前までは、市民あるいは地方からの出稼ぎの人達の通勤、通学、移動、外出の主要な交通手段はバスそして自転車だった。しかし、今では、押し寄せる波のような自転車と言った風景は、現在の上海では見つけるのが難しいくらいだ。
 上海のバス路線はそれこそ網の目のようになっていて、今でも市民の足としての機能を十分に果たしていると思う。しかし慣れないと、外国人だけでなく中国人にとってもまことに利用しづらい。外国人の私でさえ、何度かバスの行き先を尋ねられたことがある。
 そしてラッシュアワー時の車内の混雑、乱暴な運転(急発進、急停車が多い)、道路渋滞によるノロノロ運転で、立ったままの時は非常につらい思いをする。ある時若い女性が嘔吐する所に乗り合わせたことがあるが、乗客は慣れているのか騒ぐようなことはなかった。私はたまたま終点まで乗ったのだが、乗客が降りると運転手は車内にあるほうきと塵取りを持ってブツブツ言いながら清掃しだした。

 ではタクシーはどうかと言うと、ラッシュアワー時はこれがなかなかつかまらない。道路脇で暗黙の紳士協定を信じて大人しく待っていると次々に先を越されてしまう。ましてや雨の時は絶望的な状況らしい(私はまだ経験していない)。
 上海市街から約40キロ離れた私の勤務校に、週一回非常勤で通う日本人講師がいる。ある雨の朝彼は始業間際にあたふたと駆け込んで来て、「やっとこさタクシーをつかまえたが、スクールバス(上海市街地に住む教職員を送り迎えする)の発車時間に間に合いそうもないので、そのままタクシーに乗って来たよ。 えらい出費だ」とボヤいていた。

 従って地下鉄の開通は多くの市民の待ち望むところなのである。地下鉄は上海市民にとってだけでなく出稼ぎで上海に来ている人たちや外国人にとっても大変に有難い。料金が安い(1元=14円として、40円〜90円)ばかりでなく、道路の渋滞と無縁なので時間が計算しやすい。

 バスは一回乗車ならなんとかこなせても、乗り換えとなると急に難しくなる。行き慣れていない所に、バスを複数回乗り換えて行くのは恐らく誰にとっても至難の業だろう。それに較べ地下鉄の乗り換えはあっけない位に簡単だ。 
 上海在住の日本人のブログ(発信者は30〜40歳が中心、私もいくつかのブログを定期的に見て貴重な上海情報を得ている)でも地下鉄の話題が多いのは、地下鉄に対する関心が高いことを示しているだろう。

            
      人民広場駅 1号線・2号線乗り換え通路       ホームには広がる地下鉄交通網のディスプレイ

 私は、街中を散歩するのが好きなので上海市街に滞在する時はブラブラ歩きを楽しんでいる。現在の上海が非常に刺激的で暫く飽きそうもないのは有難い。そのようなある時、私はふと「そうだ地下鉄に全部乗ってみよう。 各路線の終点駅まで行ってみよう」と思い立ち、早速実行に移した。

 現在(2009年12月23日)、上海の地下鉄は9号線まで開通しているが、4号線は環状線なのでこれを除くと終点駅=始発駅は全部で16駅だ。
 仕事の合間を利用するので16駅全て行くのに約1ヵ月半かかったが、沿線風景を眺めているだけでも充分楽しめた。
 地下鉄旅行の時、いつも地下鉄路線図を眺めていたが、その内に上海の地下鉄に俄然興味が湧いてきた。そこで出来る範囲で調べてみることにした。すると上海の地下鉄の過去、現在、未来を知れば知るほど、その怒涛の拡張のイメージがより鮮明になって来たのだった。

 注記: ここでは一貫して「地下鉄」という言葉を使うが、最近開通した地下鉄の多くは市街地を離れると地上の高架を走る。また従来線でも地上の高架を走っているものもある。従って、万博前には上海の地下鉄の総延長が400キロを越え世界で第何位になるとか言う表現に疑問を呈している日本人のブログもある。そのことは上海市政府も意識しているのか、正式には「軌道交通」(略称して「軌交」、因みに「公交」は「公共交通」の略称で市街地バスのこと)という言葉を使っている。また「軽軌」という言葉もあるが、これは汽車(旧来型の汽車は見るからに重量感に溢れている、中国語では「火車」)を意識した言葉かも知れない。
 地下鉄のことを「軽軌」と言う場合は、高架部分のことを指しているようだ。また上海、中国では汽車(火車)が通勤、通学のために使われることはほとんどない。

 「四通八達」を旗印にしているのか、2009年〜2010年の上海は正しく東西南北、360度に怒涛のように地下鉄の拡張を展開している。
 私が初めて上海を訪れたのは今から13年前の1997年だが、あの時の上海の地下鉄がどのようなものだったのか殆んど覚えていない。僅か2泊の滞在で地下鉄にも乗らなかったから当然かも知れないが、上海の地下鉄の歴史を見てみると、あの当時走っていた地下鉄は1路線(現在の1号線)だけだった。

 上海市街地をほぼ南北に走る1号線の開通は1995年4月のことで、上海駅から錦江楽駅(上海南駅から南方向の次の駅)までの16キロであった。
 この1号線の開通は、「世界のメガロポリスの中で唯一地下鉄のない都市」と言う「汚名」を返上するものとなった。
 その後、1号線は南方向、北方向に延伸され37キロの路線となっているが、その足取りは現在の怒涛の拡張から見るといじらしい程のスローペースだった。
 また上海市街地をほぼ東西に走り人民広場駅で1号線と交差する2号線の開通は2000年6月で、その建設は依然として手探りで一歩一歩の感がある。

 ところで上海がいつ頃地下鉄建設の計画を立てたかと言うと、それは1958年まで遡る。
 中華人民共和国成立から10年後のことであり、悲願の1号線開通の37年前のことである。
 やはり相当に長い準備、雌伏期間があった訳で、「ローマは一日にして成らず」の感がする。

 軟弱で水分が多い地盤なので地下鉄建設に疑問を持つ専門家もあったようだが、地質調査、実験トンネル建設などが着実に進められた。しかし1966年〜76年の文化大革命期には中断を余儀なくされたようだ。
 地下鉄建設の本格的な始動は、文革終了そして改革開放の選択から10年以上経ってからであり、1990年に国務院の正式許可がおりた。また建設資金としてドイツからの借款を受け入れることになった。この影響もあってか、上海の地下鉄にはドイツおよびフランスの技術が多く導入されている。


 話は変わって、上海の地下鉄が中国の都市の中で何番目かと言うと、北京(1969年)、天津(1984年)に次いで3番目である。
 北京は別として上海が天津の後塵を拝しているというのは意外な気がする。しかし考えてみれば新中国において上海は常に出遅れているのだ。改革開放の先鞭をきったのも華南の深センであった。
 これは上海の反応が鈍いと言うことではなく、中央政府の思惑(上海の突出した発展を警戒する)によるものと言えよう。

 出遅れた上海ではあるがスタート後は、地力の差を見せつけそれまでの鬱憤を晴らすかのようで、その発展のスピードは圧巻そのものである。
 地下鉄の総延長はすでに北京と肩を並べ、2020年ごろには遥か先を行くことになる。(つづく)


上海の地下鉄−怒涛の拡張(2)
2010年1月7日記
 21世紀に入って、上海の地下鉄建設にも拍車がかかった。
 まず、2号線に続いて3号線が開通する(上海南駅-----上海駅-----江楊北駅、2002年2月)。
 江楊北駅は上海北東部の宝山区にあり、3号線の北半分は宝山製鉄所を中心とした重工業地帯だ。
 次に上海地下鉄史上で、1号線と同じくエポックメーキング路線と言える4号線が2005年12月に開通する。
 これは上海版「山手線」で、黄浦江の下を潜り浦西と浦東を結びつけた。浦西側は多くの部分が高架式だが、浦東側は地下を走る。浦東側の地下トンネル建設は難工事だったようだ。このような難しい工事を次々にクリアーすることで、貴重な建設ノウハウが蓄積されていったのだろう。

 ところで地下鉄が上海市民の足と意識され始めたのはいつ頃だろうか。
 1、2、3号線だけの時は沿線住民の足であったとしても、上海市民の足になるにはまだ不充分だっただろう。
 やはり環状線である4号線が開通した2005年末あたりと考えていいのではないか。
 そしてここからが凄かった。

 2010年5月1日の万博開催という至上命題が後押ししたのだろうが、上海の地下鉄建設は驀進することになる。
 6号線(2007年)、8号線(2007年12月)、9号線(2007年12月)、7号線(2009年12月)そして2009年末には7号線の延伸線、9号線のU期路線、11号線の北段T期路線が開通した。
 さらに2010年の万博開催前には11号線の北段U期路線、10号線、2号線の東西延伸路線が開通する。
 2005年末から数えるとこの間僅かに4年余りである。なお5号線(2003年11月開通)は、上海の南東部郊外の閔行開発区を走り距離も17キロと短い。

 いやー、それにしても凄い。私が上海の地下鉄をレポートするに際して、「怒涛の拡張」と形容したのはこの間の建設、延伸のスピードによる。2006年以降のどこかで臨界点を越えて、地下鉄の利便性は劇的に向上したといえるだろう。
 2009年通年の地下鉄利用客数は13億人(前年比16.7%増)、2009年12月31日、1日の利用客数が527万人で記録更新。他のメガロポリスの数字を知らないので、これらの数字がどのような意味を持つのか分からない。
 しかし間違いなく言えることは、上海の数字はこれからも暫らく伸び続けるということだ。

 2009年12月31日、大晦日、この日は私も含めて嘉定区の住民が待ち望んでいた地下鉄11号線が開通した日である。

 新線の開通日に乗れる幸運に感謝しながら、午後2時頃学校から公交(バス)に乗り嘉定西駅に行き高架式の地下鉄に乗った。

           
            嘉定西駅 改札口                    嘉定西駅で林 一氏

 嘉定西駅は終点駅の嘉定北駅の一つ手前だが、予想外に乗客が多い。なんとか座ることが出来たが、初物見たさの乗客が多いようだった。特に老人が目立つ。70歳以上の上海市民は「老人カード」がありバス、地下鉄は無料なのだ。
 南翔(小籠包で有名)駅付近までの沿線は未開発の土地が多いものの、駅近辺では開発の鼓動がはっきりと聞こえた。
 約45分で2号線の江蘇路駅に着く。 そこからは上海の中心である静安寺、南京西路、人民広場はすぐ近くだ。
 来年の5月になれば、2号線に乗り換えて浦東国際空港と虹橋空港に、嘉定区からでも地下鉄だけで行けるようになる。

 上海人もビックリの猛烈な勢いの地下鉄建設、これをどのように表現すればいいのか。
 上海人でも頭を悩ましているのではと思うが、次のような表現を見つけた。

 「申城軌交正処于大建設、大発展、大拡容階段・・・」
 (上海の地下鉄は今まさに大建設、大発展、大拡張のステージにあり・・・)。 

 最初これを見た時、単純に「大」を付けただけではないかと思った。しかしよくよく考えるとこの単純な語構成こそが中国人にとってはふさわしく、適切で、落ち着く表現なのかも知れないと思い直した。
 中国の世界においては「大」の持つ意味が、余程大きくて、深くて、多様なものなのだと思うしかない。

     
 同済大学前四平路横断トンネル建設現場        嘉定西駅周辺             建設中の9号線桂林路駅ビル

 「建設者昼夜奮戦(中国語の表現)」の大建設によって、良いことだけでなく多くの混乱も生じているだろうが、ここでは二つ取り上げたい。

 一つは、駅の運行路線案内図の取り替えが間に合わないことだ。
 私の地下鉄旅行はノンビリしているため駅の運行路線図を真剣に見ることはないので、これは上海のブログで知った情報である。
 短期間に次々と新線が出来、路線が延伸されるから修正シールを貼るのは納得出来るが、修正シールの上にまた修正シールが貼られているらしい。そして取り替えたとしても未完成の新線、延伸もついでに載せている場合があるので、小さい字の注意書きを読まないとひどい目にあうことになる。これでは「運行地図」というより「建設設計書」だと毒づいているのには、思わず笑ってしまった。

 二つ目は、急スピードの建設に駅周辺の整備が間に合わないことだ。
 この状況は我が11号線に特に目立つ。
 嘉定西駅の周辺などは、いくつかのマンション建設こそ見られるものの実に殺風景で、新駅誕生の華やいだ雰囲気はかけらもない。
 また上海市街地の9号線の桂林路駅の駅ビルはまだ工事中で、乗客は建設現場の横をヒヤヒヤしながら歩いて駅に向かう。
 でも考えてみれば、これは積極的な建設投資(政府支出)で民需を引っ張るという現在の中国経済の縮図かも知れない。

 また2009年12月22日早朝、1号線の上海駅近くで引込み線に向かう列車と本線を走る列車が衝突事故を起こした(幸い死亡者はでなかったものの新聞、テレビで大きく報道された)。
 また悪いことは続くもので、同日、同じ1号線の別の所で電気系統のトラブルがあった。
 これなど地下鉄急成長のヒズミとも考えられ、当局者は頭から冷水をぶっ掛けられたような思いをしたかもと想像する。

 そろそろこのレポートも終わりにするが、最後に考えねばならないのは上海の地下鉄は今後どのような展開をするかということだろう。
 万博開催を契機に一段落するのだろうか。
 上海市の計画では、2012年には2路線増え、さらに、2020年には合計18路線になり、その総延長は世界最長の約9800キロ(2010年5月で4200キロ)になる。この上に2030年までの計画もあるようで27号線などの数字も見える。

 上海市の計画をもとに考えると、上海の今後の地下鉄建設は、次の四つの目標を軸に進むのではないだろうか。
 @ 上海市街地と郊外を結ぶタコの足をさらに増やす。
 A 路線間の連結路線を建設する。
 B 外環状路線を建設し上海を大きくグルリと囲む。
 C 上海市のエリアを越えて、隣の江蘇省、浙江省を結ぶ。 
 こうなると上海版の万里の長城のようなもので、まことに気宇壮大だ。

 上海市の遠大な計画をそのまま鵜呑みにしただけだとお叱りを受けるかもしれないが、猛スピードで走る車輪が減速し止まるのには相当時間がかかるのも事実である。
 しかも2020年の18号線までの計画はかなり具体的で、計画新線の沿線に住む老百姓(市民大衆)のためにも突っ走らざるをえないだろう。
 ただこれからの新線は、郊外を走る線が多くなるので、市街地でのような華々しさは弱まるだろう。
 従って多くの市民が地下鉄の大発展、大拡張を肌身で感じることは少なくなるかもしれない。
 しかし、上海の地下鉄は、ここ4、5年の大建設ほどではないにしても、まだまだ「怒涛の発展途上」だといえるだろう。