上海発中国万華鏡・林一氏からの便りD

2010年春節、春運を考える


2010年春節、春運を考える
上海発 2010年3月5日
 

 上海の春節を体験してみようと思ったのは、3年前の春節にツアー旅行で西安を訪れた時の大晦日の夜の猛烈な打ち上げ花火や爆竹に心底驚いたからだ。初めての体験だったので度肝を抜かれたが、爽快、痛快な気持ちにもなったのだ。

 勤務する大学は1月25日から2月末まで冬休みになる。2010年の春節は2月14日なので、それまでは旅行しようと決めていた。上海の寒さに辟易していたから、南方の広州、香港、マカオに行くことにした。

 まず、中国の旧正月である春節はいつ頃からスタートするのかと言うと、相当に早い段階からスタートするようだ。元々、休暇の長い大学の例は参考にならないにしても、大学が春節モードに入るのはやけに早かった。スクールカレンダーでは1月25日からだったが、その1週間前から試験の終わった学生達が荷物を持って続々と家に帰り始めるのだ。そして四川省や安徽省等から来ている出稼ぎの青年達(主に食堂で働いている)も帰郷し始め、1月21日には大小合わせて11位ある学校内の食堂やスーパー、果物屋も全部閉まってしまった。これには少し慌ててしまった。「生存の危機」という言葉が少し頭をかすめた。仕方なく間隔の間遠なバスを気長に待ち約20分かけて着く嘉定区の中心街で、昼食と夕食を済ませる生活を2日間続け、1月23日に飛行機で広州に向かった。

 広州の白雲飛行場からは、ひとまず広州駅行きのリムジンバスに乗った。広州駅にはすでにテント村が設置され、大きな荷物を持った帰郷の人々が右に左に行き来しそして座り込んでいる。2年前の春節時には異常寒波の襲来による積雪で列車の運休が相次ぎ、列車待ちの人達で溢れかえった場所だ。それにしても春節の3週間も前のこの混雑にはいささか驚いた。広州、香港、マカオをバス、電車、フェリーでぐるっと回って再び広州に戻ったのは1月30日である。広州駅に行ってみると大変な人混みである。

       

 テレビの中継車も出て駅前広場の情況を放送している。 後日の新聞で知ったのだが、1月30日すなわち春節の2週間前の土曜日が今年の春運(春節の帰省ラッシュ)の正式スタート日であった(2010全国春運大幕正式拉開)。

 広州駅の西端から少し歩くと広州駅バスターミナルがある。バスで帰郷する人達の波に乗って歩いていると、大きな荷物を天秤棒で肩にかついで歩く夫婦連れを見かけた。道を歩く人達は多くが荷物を持っているが、その荷物は見るからに重そうで天秤棒の男性の足取りはよろよろしていた。暫くするとさすがに疲れたのか男性は端に寄り荷物をおろし一息いれ、女性もそこに立ち止まった。すると小学校低学年と思われる男の子と女の子が駆け寄ってきた。 どうやら夫婦の前を歩いていたのが、父親が一服したのに気が付いて戻ってきたような様子だった。なぜか私はその光景を見つめていて胸を激しく揺さぶられたのだった。

   

 春運とは「春節の帰省ラッシュ」であり鉄道、長距離バスは特別の輸送体制を敷く。新聞などには「世界最大の定期的民族大移動」という表現があった。都会で働く人達が、年に一度故郷に帰り家族と共に春節を迎えるということを想像すれば心が暖かくなる。日本にも年末年始の帰省ラッシュがあり、かってはお盆、年末の時期には大阪駅前にもテント村が設置された。これは世界の多くの場所で見られる現象だろう。 

 そもそも正月やお盆の時に都会から農村に帰るという現象は、多くの人が生活の場を都市に移すという都市化があってこその現象である。また都市化現象は都市の工業化があってこそのもので、両者は不即不離の関係にある。人間の生活条件は、工業化、都市化の進展と伴に大変化し、それにつれて人間の生活様式、思考様式も変化せざるを得なかった。これらをひっくるめていえば近代化である。18世紀後半にイギリスで起こった近代化は、人類史の大きな転換点であり新しい流れとなって、日本もその流れに乗らざるを得なかった。そしてこの近代化の流れに一旦乗れば、必然的にそれまでの歴史、伝統、文化との断絶が起こる。情緒的に言えば「古き良き時代」はもう戻ってこないのである。

 私は中国の春運もこのような文脈の中で考えたいと思う。すなわちこの30年余の改革開放体制下の工業の発展が現在の春運を生み出したのだ。春節の歴史は長いが、春運の歴史は短い。しかも工業化が加速したのはこの20年、10年のことであり、それに伴って春運のスケールも巨大化した。不即不離の関係で言えば、中国の目覚しい工業化も農村からの出稼ぎ労働者(農民工)なしには成立、持続しないのである。そして改革開放の先頭を切った珠江三角地帯(深セン、東莞、珠海・・・・、労働集約型産業が多い)の鉄道拠点が広州であり、春運と言えば広州という図式がイメージされるのはこのためであろう。

 鉄道部門の予測によれば、2010年春節時の鉄道輸送人数は2億1000万人(前年比9.5%増)になる。長距離バス、自動車、船、飛行機などを含めれば、途轍もない数字になるだろう。汽車賃の安い普通列車に乗る人達は、超満員の車内の過酷な条件に耐えながら、広州から上海から北京から長春、成都、チチハルへと30時間、40時間の移動をするのだ。2010年の公共交通機関の春運輸送体制は、1月30日から3月3日までということだから、その期間は一ヶ月余の長丁場である。この春運の背景には農民工達の「何が何でも故郷に帰る」という強い意志がうかがえる。しかし一体何が彼等をそこまで突き動かしているのだろうか。それは中国の長い歴史、文化、伝統なのだろうかあるいは強い家族意識なのだろうか。

 ある時中央電視台9チャンネル(国際放送)を見ていたら、春運をテーマにしたトーク番組に出遭った。ゲストは四十代半ばと思われるある研究所の研究員と年配の大学教授だった。様々な問題を抱える春運を多角的に検討するこのような番組を作ること自体素晴らしいなと思って見ていた。討論は英語で行われたので十分には理解できなかったが、研究員が次のような発言をした時に、直感的に「それは違うだろう」とつぶやいた。その発言の概略は「いやーそれにしても中国人の伝統、文化、家族意識は根強いですね。我が家も春節は来客があるので阿イさん(家政婦、阿イさんは何軒かの家を掛け持ちする、時間給は10元:140円 前後)がいてくれれば助かるのだけど。時間給を2倍、3倍にすると言っても、故郷に帰るからと言って断られるんですよ。私の友達も皆そう言ってますね」というものだった。

 中国の経済的大躍進を支える農民工は、都市で働くものの生活の場を全て都市に移すことは出来ない。
 農民戸籍と都市戸籍の区別があり、農民戸籍の人達は都市では教育、医療、社会保障の行政サービスを受けることが出来ないのだ。このため子供、年老いた親を故郷に残して働く、また夫婦がそれぞれ別の都市で働く、単身で働く、毎年違った都市で働く人が多い。工業化と多くの人が生活の場を都市に移すという意味の都市化は不即不離の関係にあるのが自然だが、現在の中国ではこれがいびつな形になっている。乱暴に言えば中国のこれまでの工業化は、農村の労働力を利用するだけのいいとこ取りをしている面がある。そしてこのいいとこ取りのしわ寄せが農民工に集中していると思えてならないのだ。現在の春運はそれを象徴的にしかもビジュアルに表していると言えないだろうか。

 13億人という途方もない人口を擁する中国の舵取りは確かに容易ではないだろう。このような条件下で政府は、非常に冷静に客観的に事態を把握しているように私には感じられる。3月上旬は年に一度の全国人民代表大会が開催される時期で、新聞もこれに関する記事が多い。その中で私が興味深いと思ったのは、政府の2009年の総括と2010年の展望である。それは「2009年は新中国成立以来最も困難な1年だった。2010年は最も複雑な1年になる」というものだ。そして2010年の中央文件第1号(共産党中央が認識する今年の最重要政策課題)は農村問題だった。これをどのように解釈するか。世界の誰もが驚く経済成長を続けてなおこの発言は、自信と余裕の裏返しとも考えられるが、私としては政府の冷徹な事態認識に期待したい。とは言え現時点では、いびつな形の都市化が引き起こす春運は単純な帰省ラッシュと言うより、「中国の特色ある」という形容句を付けるほうがふさわしいと思われる。

 では多くの農民工を春運に突き動かしているものは何だろうか。上記の研究員に「2倍、3倍の時間給を出す」と言われても、それを蹴って故郷に帰るという彼等の決意、決断。そこに私は彼等の意地と人間としての矜持を感じる。そしてあの広州の親子を思い出すと、目に少し涙がにじむ。それにしてもこの研究員の富裕ボケは救い難い。

 「奴隷たるを望まぬ者」(中国国歌の冒頭句)である彼等がいる限り、「中国の特色ある」春運は暫く続きそうだ。