上海発中国万華鏡・林一氏からの便りJ

上海、「11・15火災」を考える


上海、「11・15火災」を考える

上海発 2010年12月29日
 2010年11月15日(月)午後2時、上海市静安区のマンションで大火災が発生した。私がこのニュースを知ったのは、当日の午後7時、上海北西部にある勤務校の寮の自分の部屋のテレビによってである。いつものことではあるが私の中国語聴解能力では、テレビのニュースを通して分かるのはうわべのことだけだ。ただ画面で見るマンションがまるで火達磨のように燃え上がっていることに異常さを感じ、一人の消防員が火災現場から少し安全な場所に戻るなり倒れ込む様子をみて、これは相当に大きな火災だなということは感じ取れた。

 翌日から新聞を通してこの火災の実態を知るにつれて、私は本当にいろいろなことを考えさせられたし、中国の一面が今まで以上にはっきりと見えるように思った(私が読んだ新聞は、主に「東方早報」と「南方周末」である。)
 以下にこの火災を通じて私自身が思ったこと、考えたこと、私の眼に見えたことをレポートしたい。

 本題に入る前に、少し中国のテレビと新聞についての自分なりの感想を話したい。テレビでは主にニュースを見ているが、報道の内容には違和感を覚えるし物足りなさも感じる。テレビのニュースは「積極的な」報道が中心である。「積極的な」報道という表現は日本語ではやや不自然だと思うが、中国語ではよく使われる表現なのであえて使った。「積極的な」報道の意味は「物事の明るい面を積極的に、そして前向きに報道する」ということだ。政府の政策の発表や成果の紹介に多くの時間が割かれる。 自然災害(地震、洪水、旱魃、雪害、山火事)や事故(炭鉱落盤、化学工場、花火工場の爆発、建設中の高速道路橋梁の落下、大きな交通事故)のニュースでも救援活動の報道が目立って、自然災害における人災的側面や事故原因の究明、追及は少ないようだ。そして凶悪な殺人事件の報道が少ないと思う。日本とは対照的だ。

 一方、私の購読する二紙の新聞は切り込み方が非常に鋭く(外部専門家の寄稿も含めて)、読んでいて胸がドキドキすることがある。このような論調を展開して政府当局との間に軋轢は生じないのだろうかと外野席ながら心配するような時もある。ただし政府を正面切って批判するまでにはいたらないようだ。それにしても最後の一線を挟んで両者は緊張した関係になることもあるのではと想像するが、実際はどうなのだろう。

 先程、テレビのニュースには物足りなさを感じると言ったが、少し変化も見える。中央電視台(CCTV、日本のNHKと考えてよいと思うが、コマーシャルは盛んに流す)には12くらいのチャンネル数があるが、その中の「CCTV新聞」チャンネルは異色だ。このチャンネルは中国のテレビニュース報道のスタイルを変えようとしているように思える。 変革の主役、特に影の主役は分からないが、画面上の主役は白岩松(蒙古族、43歳)というキャスターで非常に魅力的な人物である。

(1)上海、「11・15火災」の概要

 上海万博終了から二週間後の2010年11月15日午後2時ごろ、上海市静安区のマンションで大火災が発生して、
58人の死者と70余人の負傷者が出た。中国では大きな事件の場合に、その事件の起こった月と日の数字をとって呼ぶのが慣わしのようで、「6・4」と言えば1989年6月4日の「天安門事件」を指す。今回の事故も「11・15」火災と呼ばれるようになった。

 
   今回の火災を伝える「東方早報」

 1998年に完成したこのマンションは28階建て(高さ85m)で、戸数は156戸である(1階には店舗が入居)。 事故当時、このマンションでは省エネを主目的とした外壁の改修工事が行われており、建物全体を工事用足場が取り囲み、ビニールシートが全面を覆っていた。10階部分の足場で行われていた電気溶接の火花が側にあった外壁保温材料(ポリウレタン)に飛び火、さらにビニールシート、そして足場歩行部分の竹組み板に燃え移った。以前は低階層の足場が全て竹で組み立てられているのをよく見かけたが、最近は高階層の工事が多くその足場には鋼鉄パイプが使われている。しかしその歩行部分には依然として竹組み板が使われている。

 事故当時は風が強かったこともあり、火は瞬く間に建物全体に燃え広がり、火達磨の状態になった。マンションのある一帯の狭い道路状況やマンションとマンションの間隔が狭かったこともあり、消火作業は手間取り、完全鎮火まで4時間かかった。ある消防士の話では、高階層からのガラス破片の落下の脅威は想定を越えていたと言う。落下したガラスによって消火ホースの半分くらいが使い物にならなくなったとのことだが、背筋が寒くなる。近年世界各地で超高層ビルが競うように建設されているが、我々には超高層どころか100mくらいの高層ビルの火災の消火経験も殆どないという事実に改めて驚かざるを得ない。

(2)「スピーディー」な政府の対応

 「11・15」火災は発生後の政府(上海市政府、中央政府)の動きは非常にスピーディーであり、効率経、スピードをモットーとするグローバル企業顔負けだと言えば皮肉っぽいが、あまりの手際の良さに唖然とする思いだった。 まず火災発生の原因調査が行われ、失火は無免許の電気溶接工の火花と断定され、15日深夜、16日未明にかけて8人(電気溶接工及び他の作業員)が警察に身柄を拘束された。

 この工事は何層かの下請け業者によって行われていたが(後述)、責任追及は次第に上層の会社にも及び、20日の4人、26日の2人名を加え、この火災事故の逮捕者(身柄拘束から正式逮捕になった)は14人になった(13人との報道もある)。逮捕理由は「重大責任事故罪」である。中国では死亡者が30人を超える事故は重大責任事故とするとの規定があるようだ。

 事故当日の夜半、上海市政府はすぐさま上海市長を組長とした「11・15火災事故善後処置指導小組」を組織し、同時に5人の副組長も任命された。中国の党、政府機関には「副」の肩書きが付いた人間がやたらと多いが、今回もそれを踏襲している。

 そして更に、中央の党の政治局員と国務院安全監督総局局長がその日の内に派遣された。翌日の早朝から、派遣された政治局員と上海市共産党委員会書記は、揃って現場および病院に出向いた。その様子がテレビで放映された。

 一方、国務院の局長は事故「調査組」を組織して大局的観点からの事故原因の究明にあたった。現在、中国では鉱山事故が多く、重大な事故では彼が現場で陣頭指揮を執ることがあり、何度かテレビ画面に登場した。資源価格の高騰で今や石炭は「黒いダイアモンド」となっており、各鉱山が目の色を変えて生産第一主義に突っ走っていることが鉱山事故多発の背景にある。 「山西省の鉱山主」と言えば、今の中国では成金の代名詞なのだ。

 そしてこの「調査組」はなんと、火災事故発生から僅か2日後の17日夜に、調査結果を発表したのであるが、まことにスピーディーな仕事ぶりというより他ない。その内容を要約すると、事故原因は無免許の電気溶接工の失火とした上で、「今回事故の五大問題」として、@無免許の電気溶接工の重大な違法、規則違反、A保温材工事の違法、規則違反、B工事現場の安全管理の手落ち、突貫的工事進行、C工事現場における燃えやすい資材の使用、D各下請け業者に対する統括者の不十分な安全監督、を挙げている。中国語に「説了算」という言葉があり、いろいろな状況で使われる。日本語に訳せば「鶴の一声」が適当かと思われるが、私に言わせればこの調査結果の発表(新聞の見出しでは「国務院調査組認定」)はまさしく「説了算」、「これにて一件落着」である。

 では、上海市の「小組」の主要な任務は何か。それは上海市の各地で進行中の建設工事現場、各単位(政府機関、会社、工場、学校・・・)での安全検査の実施である。私が勤務する大学でも、避難訓練(一部の学生寮を対象に)、大量の消火器の入れ替えが行われた。これだけでなく、被災者および被災者の親族に対する手厚いアフターケアーが「小組」の大事な仕事である。そして被災家屋一戸当たりの補償額、死亡者一人当たりの補償額(96万元、約1300万円)、避難世帯の家賃補助、焼失した個人所有物(家具、有価証券、現金、絵画、骨董品・・・)の補償基準などが、次々に発表された。

(3)マンション改修工事の費用

 中国の都市は外敵の侵略を防ぐために城壁に囲まれていた。現在では多くの都市で城壁が撤去され道路になったりしているが、都市民は小区(社区とも言う、最近は花苑、家園などとも呼ばれる)という壁で囲まれた中に建つマンションに住む。城中に城ありと考えれば理解しやすいだろう。「一小区」の住民数は、一定していないが何千人あるいは万を越える場合もあるようだ。出入り口は通常一つか二つで、大きな小区では門衛が常駐している。

 今回の火災で炎上したマンションも、3棟で形成される「教師マンション」小区の一棟である。残り2棟は延焼を免れたが、小区全体が立ち入り禁止となったため、小区の全世帯が他の場所に一時避難している。上海市の退職、現職教師が多く住んでいるため「教師マンション」と呼ばれているのだが、基本的には商品マンションなので教師以外の人も住んでいる。 中国のマンションは大別して商品マンションと保障マンション(政府の補助金のあるマンション、三つか四つの名称で呼ばれているが、ここでは保障と言う言葉で概括する)に分かれる。中国のマンション事情は、これ以外に複雑な歴史的経緯もあるので、部外者にとってはまことに理解しづらい。

 問題の改修工事だが、火災を起こしたマンションだけでなく3棟全部(約450戸)が対象だった。工事内容は、@外壁の断熱、保温工事(省エネ工事)、A窓枠の鉄枠からアルミ枠への交換、B階段部分のペンキ塗り替えだが、相当な大工事である。誰がこの工事の費用を負担するのだろうか。マンションの住民に決まっているではないかと思われるかもしれないが、私は直感的にそうではないと思った。と言うのは、万博前の上海では街のあちこち(特に道路に面している所)で外壁塗り替え工事が行われていた。中国人に誰がその費用を負担するのかと聞いたところ、政府に決まっているではないかという返答をされた経験があるからだ。これは最近知ったのだが、国際飛行場のある浦東地区では、マンションの屋根を赤色や青色に塗り替える工事も、政府の金で万博前に急ピッチで進められたらしい。その話をしてくれた日本人によると、飛行機でやって来る外国人旅行者の第一印象を良くするためだそうだが、中国人の発想にはまったく頭が下がる。それとは別に中国のマンションでは管理費はあるが修繕積立金がないということを知っていたからだ(超高級マンションの事情は分からないが)。積立金がなければ臨時に費用を徴収すればいいではないかと思われるかもしれない。しかしその費用をすぐに払える人は極めて少ないと想像されるのだ。

 「教師マンション」のある静安区は、内環状線の中にあり地下鉄などの交通の便が良い。健脚ならば高級ホテルや外国ブランドショップの立ち並ぶ南京西路を通って上海の中心の人民広場へも、40〜50分で行ける。ただ旧市街エリア(火災現場のすぐ近くに上海第三日本国民学校があった。その建物は今でもの残っている)にあり、場所によっては道路状況が良くない。この辺りでは新築マンションならば一u当たり4万円が相場ということだから、100uの部屋で5200万円である。5200万円という数字は、この10年間で5、6倍に跳ね上がった上海のマンション価格高騰によってもたらされたもので、嘘でもなんでもない現実の数字である。ただこの間に一般庶民のフロー所得の上昇は極めて緩慢であったことも現実である。ストックの価格とフロー所得の極端な格差というのも、中国の数多い格差現象の一つなのだ。上海や北京などの大都市の普通の市民の「富裕感」は、自分たちの住んでいるマンションの評価額の急騰に支えられている側面があるのだ。

 この工事の発注者は「静安区建設・交通委員会」ということだから、工事代金は政府の金すなわち税金から支払われる。総工事費用は3500万元ということだから、1戸当たり7.7万元(約100万円)になる。「教師マンション」には退職教師が多く住む。彼等の年金額は詳しく分からないが、100万円を払うには2、3年の年金をすべてつぎ込まなければならないだろうと推測しても決して大げさではないと思う。 

 ところで個人の私有財産の保護に税金を使うことと「税の公平性」という問題はどのように考えられているのだろうか。中国では土地所有者は国家であるから、その上に建つ建物の修理、改善に税金を使っても問題はないと解釈するのだろうか。「教師マンション」の場合、政府は「住宅改良実験プロジェクト」という名目で工事を発注したようだが。過去10年余のマンション建設のスピードがあまりにも速かっただけに、10、20年後には修理、改修の工事要求が一時にドット押し寄せる可能性がある。これらの要求に対して次からつぎへと「実験プロジェクト」名目で対処せざるを得ないとすれば、上海市政府も大変である。

(4)マンション改修工事の流れ

 発注者の「静安区建設・交通委員会(以下、委員会とする)」は、入札によって工事業者に「上海市静安区建設総公司(以下、元請けとする)」を選定する(2010年9月)。この元請けは、「上海佳芸建設工程公司(以下、二次請けとする)」に工事を担当させる。この二次請けは、工事を足場組み立て、窓枠交換、保温材吹付け等などに分割し、三次下請けに工事を任せる。そしてこの三次下請けは、農民工を集め実際に工事を進める。

 また工事の実行とは別に「委員会」は工事の監理、設計の仕事を「上海市静安建設工程監理有限公司」と「上海静安置業設計有限公司」に委託する(2010年10月)。元請けと二次請けは、新聞によれば国有企業(上海市の)ということである。道理で、この二社といい、監理、設計の会社には「上海」とか「静安」の言葉が付いている訳だ。 政府発注の工事であるから、工事の流れがこのようになるのは当たり前のことなのか。そうであれば元請け、二次下請け、監理、設計の会社は、余程襟を正して仕事をしなければならないだろう。でなければ、もし何かのきっかけで問題が発生し「仕事の丸投げ」、「トンネル会社」、「リベートの温床」などの追求があったら、どのように対処すのだろうか。

 ここで少し国営企業のことを話したい。現在、経済絶好調の中国で一番金回りのいいのは、年間1800万台販売の市場を持つ自動車メーカーなどの民間企業ではなく、国営企業なのである。特に石油、鉱山、建設、電信、銀行、保険などの大企業は「独占」国有企業と呼ばれ、その社員(特に幹部社員)は国民から羨望そして反感の目でみられている。大型国営企業は目につきやすいが、これ以外にも中央政府、地方政府の傘下にある様々な国営企業があるようだ。現在、中国では国家公務員。地方公務員、大型国営企業は、大学生、大学院生の憧れの就職先になっている。11月に国家公務員試験(中国語で「国考」)が実施されたが、志願者が殺到し、人気職種の倍率は1000倍(合格率0.1%)を越えるものもあった。

 さて工事は、元請け、二次請けを経て三次下請けの段階に来て動き出すが、様々な職種のグループが寄り合い所帯のような形で仕事を進めていたと思われる。その中で足場組み立て工事を請け負った人物は、安徽省出身で18年前に上海にやって来た。才覚があったのだろう、いくつかの職を経て足場組み立ての工事頭となった。彼の話によれば自分には会社組織がなく、仕事があればその都度農民工を集めているという。「教師マンション」の工事をするまでは、10階以上の足場組み立ての経験はなかったというから大胆な決断をしたものだ。足場の鋼材はリースで調達し、鋼材の溶接は別の工事頭に頼んだ。

 ここで彼の大胆な決断の背景を考えてみたい。改革開放から30余年、中国の道のりも最初は決して順調ではなかった。特に、社会主義と市場経済の折り合いをどのようにつけるのかという意識の面で多くの人間にためらいがあった。しかしこのためらいが中国の発展にはマイナスであることを鋭く、直感的に見抜いたのがケ小平である。 彼は「南巡講話」(1992年)で、居並ぶ政府幹部を前にして「肝っ玉を太くして、思い切ってやれ。発展こそが全ての問題を解決するのだ」と叱咤した。それからの中国の大発展を意識の面で後押ししたのは、この「思い切ってやる」という精神なのだ。権力とは無縁の「老百姓」(庶民)が「先富」の一員になるためには、どこかの段階で「思い切って」やらねばならないのだという思いは、ある種の信仰にさえなっているのではないだろうか。足場組み立ての工事頭の大胆な決断とこの信仰はどこかで繋がっていると思えてならない。

 さて問題の出火場所の工事である。足場組み立て工事はその時点でほぼ終了していたのに、なぜ10階だったのか。それは10階部分の足場がぐらついていたので、溶接で補強していたと言うから怖い話である。頭上の22階、26階では足場鋼材のペンキ塗り、更にその上の28階では重慶から来た十数人の農民工によって足場組み立てが続けられていた。しかも全体の工事が突貫的に行われていたため、10階の足場では溶接補強と外壁保温材の吹付けが同時に進行していたのである。このようなサーカスの綱渡りまがいの工事状況を、「監理」会社はどのように監理していたのだろうか。「監理」会社の作業日誌(ホームページで公開されていたらしい)には、規定通り安全監理の点検を行い(まさか当日のことではないだろうが)、「異常なし」という内容の記載があったとのことである。

(5)現場で働く農民工

 「陰冷」と形容される上海の冬は難儀この上ない。また時々北方から寒気団が南下して来る時は、文字通り身構えて待つことになる。揚子江以南においては建物の暖房については特段の配慮の必要なしとの政府の方針があったようで、冬の建物の中は寒々としている。このような寒風吹き荒ぶ中でも、上海のあちこちでは高層建築の工事が休みなく行われている(「11・15」火災発生直後は、一時期上海全市の建設工事がストップさせられたが)。そしてこの工事現場の主力部隊が各地方からの農民工なのだが、「教師マンション」の現場も当然ながら例外ではなかった。

 58人の犠牲者の中には数名の農民工(どこかで7、8人の数字を見たが、改めて新聞を調べてみても見つからないのでこのような表現にした)と1人の「阿イ」さん(家政婦のこと、特に幼児の世話をする。地方から来た女性も多い)がいた。ここで改めて58人の犠牲になられた方々に心から哀悼の意を表したい。

 先程、足場組み立ての工事頭のことを書いたが、電気溶接の工事頭(江蘇省出身、23歳)もこのような高層建築の請負は初めてだった。そして彼に雇われた河南省の農民工は、知人の元で半年間ほど溶接の見習いをした経験を生かして働いていたが、日当は120元(1600円)だった。

 足場の管理という仕事に従事し、不幸にも亡くなった2人は安徽省からやって来た。彼等の日当は、仕事の内容から推測して120元を下回るだろう。その内の1人は、高3の息子と中1の娘の学費を稼ぐために上海に来た。 彼の唯一の娯楽は貸し本屋から借りた武侠小説を読むことだった。もう一人の犠牲者は、小柄でこれといった特技もなかったので、仲間内でも最も低い日当だったそうだ。稼いだ金で故郷に家を建て息子に嫁をとらせることが夢で、「働いては寝、寝ては働く」毎日を送っていた。節約生活の中での唯一の贅沢、楽しみは一番安いタバコ(「大前門」、1箱2.5元=33円)と一番安い酒(「双溝」、1瓶5元=65円)だったと言う。武侠小説が好きだった農民工の妻は、夫の遺体を前にひたすら沈黙を続けるのみで、ただ一言「これも運命」と言うだけだったそうだ。

 今回の火災で8人の農民工が逮捕され、中でも溶接工が無免許で違法行為であったことが大きく報じられた。しかしこれを聞いて許し難い行為だと怒る中国人はどの位いるのだろう。中国の建設工事で免許有無を問題にしていたら、多くの工事は進まなくなるだろうし、中国人もこのような状況を良く知っている。しかも現在の中国の工事現場は常に人手不足である。免許を持った熟練の作業員は、高速鉄道、高速道路、港湾、橋梁、地下鉄、超高層ビルなどの国の威信のかかった現場で、普通の農民工よりもずっと良い待遇で働いているのだ。免許の問題は「走りながら考える」ことにしてとにかく低コストで仕事をする。これが中国の普通のビル、マンション建設のビジネスモデルであると言ったら、言い過ぎになるだろうか。

(6)日照権の「玉突き」問題

 現在、20階以上の高層ビルの数が世界で一番多いのが上海市である。高層ビルの林立は上海の代名詞と言ってもいいだろう。これだけ高層ビルが多いと、日照権の問題があっても不思議ではない。ある記事で「教師マンション」が日照権の玉突き問題を引き起こしていたことを知ったので、それを簡単に紹介してこのレポートを終えたい。

 「教師マンション」が計画されたのは1996年(入居は1998年)だが、近辺の容積率は「4」であり、当初は20階建ての計画だったそうだ。道路を隔てて北側にある6階建てマンション(高層マンションが建設される前は、6階建てが主流で今でもたくさん建っている。6階まではエレベーター設置の義務がなかった)は、当然ながら日当たりが悪くなる。しかも建設が始まると、20階ではなく28階建てになることが判明して、6階建ての住民の抗議はますます強くなる。容積率はいつの間にか「4」から「6.77」になっていたので、「教師マンション」は違法ではない。結局は金銭的示談で決着したが、150戸ほど多く建てることのできた開発業者は示談金を払っても相当に潤っただろう。

         
   日当たりの悪くなった北側のマンション(左の建物)      「教師マンション」の南側は空き地、日当たりは良い

 時は流れて10余年後の2009年3月に、「教師マンション」の南側にあった工場が移転して4棟のマンションが建設されることが明らかになった。当然ながら「教師マンション」の日当たりは悪くなる。住民は、静安区政府、開発業者に強く抗議し、工事は今に至るも始まっていない。この抗議に対して開発業者は、「教師マンション」に近い部分を21階から14階建てにすると譲歩した。しかし開発業者はその穴埋めとして他の部分を16階から25回建てにすることにした。すると道路を隔てて東側にあるマンションの日当たりが悪くなることが判明する。以上が「教師マンション」を巡る日照権の玉突き問題の概略である。

 今回の省エネの外壁改修工事の「実験プロジェクト」指定と日照権の玉突き問題は関連があるのかないのか。 一般の人間にとってそれは想像する以外に方法はない。