上海発中国万華鏡・林 一氏からの便りM

上海再訪−中国サッカーと社会主義市場経済


林一氏、上海再訪記。
中国上海での教員生活を終えて帰国した林 一氏が9か月ぶりに上海を再訪。
街と人との再会、そして、そこで見つめた「中国のいま」について興味深いレポートが届きました。
「中国のサッカーと社会主義市場経済」という切り口からどんな中国が見えてくるのか・・・。


中国サッカーと社会主義市場経済
2012年3月5日 記
9ヵ月ぶりの上海

 2月9日から18日までの9日間、上海の街を歩いてきた。昨年5月以来、9ヶ月ぶりの上海だ。
 この間、日本のマスメディアでは中国経済の変調(の兆し)を報じる記事が多くなってきたので、街歩きでそれが体感できるかという思いがあった。しかしたかが9日間程度の街歩きで、経済の微妙な変化が感じられるほど、現在の中国経済は「やわ」ではないだろうとも思っていた。

 春節(今年は1月23日が元旦)から2、3週間の上海は、地下鉄や繁華街を行き交う人の数は心なしか少なかった(圧倒的な人波はなかったという意味)。これは故郷でゆったりと春節を過ごした農民工の上海への戻りが例年より遅れていることが大きな原因であろう。なにしろ単純労働のサービス業、建設業、製造業では人手不足状態なので、その分野で働く農民工は「就活」で焦る必要はないのだ。

 人の動きの微妙な変化をよそに圧倒的な高層ビル群は以前と変わらず存在感を誇示していた。浦東の陸家嘴(上海明珠塔を始め高層ビルが林立する地区)を久し振りに歩いたが、今度もまたシュール(超現実的)な感覚にとらわれた。映画「スターウオーズ」の巨大宇宙船を見ているような気がするのだ。上海国際金融(通称上海ヒルズ、現在では中国一の高層ビル)のすぐ隣では、中国一の座を取り戻す使命を帯びた上海タワーの建設が静かに進行中だった。2014年に竣工予定だがクールな雰囲気である。超高層ビルにも慣れっこになっているのか、上海人でもその建設を知らない人も多い。東京のスカイツリーが醸し出す人をワクワクさせるホットな雰囲気とはまことに対照的である。

 陸家嘴地区から黄浦江を挟んだ対岸は外灘(バンド)であり、1920年、1930年代に建設された建築物がズラッと並んでいる。外灘の堂々たる石造りの西洋建築群も、当時の老百姓(庶民)の眼にはシュールなものに見えたのではないだろうか。当時の旅行記に「外灘はまるで映画のセットのようだ」という記述があったが、言い得て妙である。

 上海大発展を視覚的に象徴する超高層ビル群と往時の西洋建築群には相通じたものがあると思えてならない。どちらも老百姓の日常生活とはあまりにもかけ離れ過ぎていると思えるのだ。旅行者の独り善がりの感傷はこれくらいにして、本題に戻らなければならない。

中国サッカーのこと

 私がサッカーに興味を持ち始めたのは、1993年の「ドーハの悲劇」からである。1993年にはJリーグも発足したのだが、私の興味は一貫してナショナルチームの試合に片寄っている。中国サッカーに対する興味は2004年のアジアカップの時からだ。あの時は、重慶の試合での日本国歌演奏時にブーイングが巻き起こるなどで日本人にも強烈な印象を与えた。決勝戦は日本と中国で戦われることになり中国はおおいに盛り上がった。当時私は折り良く中国瀋陽に滞在していたので、新聞、テレビを通じて中国人のサッカーに対する悲愴なまでの熱い気持ちを感じることができた。メディアでは「国際冠大会で一度も優勝したことのない中国にとって、この決勝戦は願ってもない千載一遇のチャンスだ。何がなんでも勝たねばならない。」という論調が満ち溢れていた。これはえらい試合になるなと思いながら日本人だけでテレビ観戦したのだが、日本が3対1で勝った。しかし私に強烈な印象を与えたのは、試合そのものより翌日からの新聞、テレビの報道であった。新聞には「手球(ハンドの反則)」の言葉と写真が踊り、テレビでは「手球」のシーンを繰り返し放映したのだ。1点リードした日本のコーナーキックからの2点目が中田浩二選手の「手球」だと言うのだ。あれは日中の何人もの選手がボールに飛び込んだので、どちらにでも判定され得る際どいプレーだった。その時の主審はクウェート人だったが、彼に対しても「アホ、バカ、間抜け、眼が開いているのか」の罵声が浴びせられたのである。一端下された判定にあれほど拘ってはルールに基づくスポーツは成立しないだろうと思うほどで、異常さを感じざるを得なかった。

 中国にいる時、超級リーグ(日本のJリーグに相当)やワールドカップ、アジアカップ、アジアオリンピック等の試合をテレビ観戦した。南アワールドカップ、アジアカップは全試合を放映するのである。これだけでなくヨーロッパトップリーグの試合も簡単に見られる。特別の料金を払う必要はない。

 私はバルセロナ対レアル・マドリード戦、マンチェスターU対マンチェスターC戦を中国で初めて見た。
 ヨーロッパトップリーグの試合を見ていて気付いたことがある。反則が少ないこと、反則を受けた選手もすぐに立ち上がることで、これには感心した。超級リーグ等で反則を受けた選手が大げさに倒れ込み、しばしば試合が中断されるのを見せつけられていたので、とても新鮮だった。これは観客の見る力の差に由来するのではないだろうか。見る力を持った大勢の観客の前では、選手もいい加減なプレーは許されないことが分かっているのだろう。ある時日本対中国の試合があった。試合は日本の勝ちだったが、翌日の新聞を見て驚いた。ある中国のサッカー評論家が中国選手の意味のない反則を批判したところ、その選手は自身のブログで「お前はそれでも中国人か」と反撃したというのだ。「愛国無罪」、「売国奴」なる言葉は思考停止を強制するのだろうなと、考え込まざるを得なかった。

 中国サッカーのアジアカップ出場回数は10回(日本は7回)。ワールドカップ出場は2002年の日・韓大会の1回だけである。日・韓大会への出場を決めた試合は瀋陽で行われたが、瀋陽の主要道路は歓喜の人波で埋め尽くされたという。歓喜の人波は瀋陽だけではなく、全国的に見られた。白岩松氏(中央電視台のキャスター、若き日サッカープレーヤーであり熱狂的サッカーファン)も出場が決定した瞬間自宅を飛び出し、息子を車に乗せて北京の中心に行きパレードに参加したとエッセーに書いている。

 アジアカップでの中国サッカーの入賞は6回あり、列記すると、1976年 3位、1984年 2位、1988年 4位、1992年 3位、2000年 4位、2004年 2位である。日本の入賞は優勝4回を含め5回。ここで気付くことは、改革開放後のスタートダッシュは良かったが、次第にジリ貧になっていることである。特に「世界を驚かせた」この10年余の経済パフォーマンスに較べると、中国サッカーの成績は不振であまりにも対照的だ。ここに中国人のサッカーに対する嘆き、自嘲、ストレスそして疑問(何故なんだ)が混じりあった複雑な感情がある。私としては「眠れる獅子」は眠ったままでいて欲しいというスポーツマンシップに悖る気持ちもないではないが、それはそれとして「中国サッカーはなぜ国際舞台で勝てないのか」という疑問を抱き続けてきた。本文はこの疑問に対する私なりの答えでもある。

サッカー大醜聞

 私は2月9日から18日まで上海に滞在したが、その間にまことに偶然だったのだが中国サッカーについて2つの大きなニュースがあった。ひとつは中国サッカー協会の「サッカー改革案」の発表であり(10日)、もうひとつは「サッカー大醜聞」裁判の最初の「判決」である(16日)。以下に2つの事柄の大筋を紹介したい。

 まず「サッカー大醜聞(中国では「足壇反賭掃黒案」)」だが、醜聞の多様性(サッカー賭博、不正審判、不正プレー、勝ち星のやり取り・・・・)と容疑者の広範性(サッカー協会幹部、監督、コーチ、選手、審判、クラブ経営者・・・・一説には100人を越える)を考慮し筆者が勝手に「大醜聞」とした。

 16日、「サッカー大醜聞」の最初の判決が遼寧省丹東市の中級人民法院で4名の元審判に言い渡された。その内の一人は中国審判団の第一人者で国際審判員でもあるから、サッカーファンなら日本人でもその顔を知っている人は多いだろう。彼の収賄額は約1000万円で、5年6ヶ月の懲役刑。量刑の一番重かったのは懲役7年(収賄額は約2000万円)だった。18日には、遼寧省鉄嶺市の中級人民法院で2名の中国サッカー協会中堅幹部(国家体育総局の役人でもある)に判決が下された。20日の朝日新聞によれば、それぞれ12年、10年6ヶ月の懲役刑。収賄額は二人合わせて約5000万円。さらに3月下旬には、遼寧省瀋陽市で2名の中国サッカー協会の最高幹部(国家体育総局の役人でもある)に判決が言い渡される予定である。また、プロサッカークラブの経営陣に対する本格的な審議、判決は今年のリーグ戦の終了後に予定されているらしい。

 実は今回の「サッカー大醜聞」が騒がれ出したのは2009年初めであり、2009年末から2010年初めにかけて、関係者が次々に逮捕されていたのだ。逮捕から判決まで2年以上の時間がかかったのは、事件の広範性、複雑性が原因だとする裁判所(人民法院)の説明を額面通り受け取る中国人は少ないが、これも仕方がないか。私は中国の腐敗、汚職は強力な集権体制にビルトインされた構造的なものと考えているので、個々の案件をフォローすることに関心を失っているが、折に触れて報道されるそのすさまじさにはやはり唖然とさせられる。2011年初めに逮捕された前鉄道大臣の収賄額は100億円を超えるらしい。事件の容疑者が党、政府の高級官僚になればなるほど党の判断が裁判所の判決に優先されるとのことだから、部外者にはその推移が次第に分からなくなるのだ。また腐敗、汚職の最新トレンドは下級官僚による一昔前なら考えられないような巨額の収賄、横領が増えていることらしい。

 今回の「サッカー大醜聞」については、時間をかけて数多くの容疑者を拘束し判決を下すという当局の姿勢は一応評価すべきであろう。しかしサッカー、「サッカー大醜聞」に対する老百姓の根強い関心の中では、適当にお茶を濁すという従来のやり方が通用しなかったということではないか。衆人環視がいい加減な処理を許さなかったのだ。今回の「サッカー大醜聞」は中国サッカー協会の2名の最高幹部(彼等の頭上にはまだまだ上級の党、政府の官僚組織が控えている)に対する3月下旬の判決でピークを越えそうな様子であるが、そこで一線を引かれたのだろうか。中国の党中央、政府の巨大な官僚組織の上層部には何本もの線が伏在し、不可侵の聖域があるのではという思いにかられる。

サッカー改革―「管办(バン)分離」

 2月10日、中国サッカー協会は「特別会員代表大会(正式の代表大会ではない。複雑な事情から正式の代表大会は長く開催されていない)」を召集し、中国サッカーの改革案(主にプロサッカーの)を決議した。多くの中国人が待望し注目した中国サッカーの改革ではあるが、大会の開催時間は30分足らずで二つの議案は満場一致で可決された。

 ひとつは「プロリーグの管办分離案」である。「管办」の「办(バン)」は行う、運営、実施するという意味の簡体字で日本語では使われていない。「管办」なる概念は、社会主義体制の根幹をなすものである。「管」は舵取り(管理、監督)の機能を果たし、「办」は漕ぎ手(運営、実施)の機能を果たす。中国の政府、政府機関、企業、学校、病院等の組織には、「管」と「办」の2本の指揮、命令ラインが存在する。上海直轄市の例でいえば、上海市共産党委員会のラインと上海市政府のラインがあるということだ。今話題になっている広東省のある村の直接選挙であるが、村民が選んだのはあくまでも「办」のトップである村長だ。選ばれた村長は「管」のトップである村党支部書記も兼務すると報道されているが、今度の動きが郷、市、省等の行政単位に広がっていくのは簡単ではないだろう。一つの組織に2本のラインが存在し「管」ラインが「办」ラインより優位であることは、中国の社会主義体制では揺るがせにできない原則なのである。

 従って「管办分離」は現在の体制の根幹に触れるものであり、ある意味では革命的なものなのだ。
 私はこの言葉を見た時少なからぬ衝撃を受けた。しかし新聞を読み進める内に、今回の「管办分離」は体制の根幹に触れるものではなく極めて限定的で中途半端なものであることが分かった。

 そもそも今回の「管办分離案」はプロリーグを対象にしたものである。すなわち今後プロリーグは新設された「プロリーグ理事会」が主体的、独立的に運営し、サッカー協会はその運営に直接タッチしないことになった。今回の案は日本のプロサッカーリーグ連盟を研究し見習ったものと言われるが、「Jリーグを主体的に運営するのは、日本プロサッカーリーグ連盟である」という日本では当たり前の考え(常識)が、中国ではこれまで通用しなかった。中国サッカー協会とさらにその上の機関である国家体育総局サッカー中心が、プロリーグの運営に「口を出して」いたのである。国家体育総局サッカー中心は行政府の組織であり、そこからの「口出し」は軽いものではない。ほんのささやき程度の「口出し」でも、聞きようによっては絶対的な行政命令の響きがあると漏らすサッカー関係者もいた。

 本来ならば「管办分離」は「管」の国家体育総局サッカー中心と「办」の中国サッカー協会の間で行われるべきなのだ。そして中国のサッカー関係者にもこのような意見を持つ人が少なくない。

 サッカー協会のある役員が国家体育総局サッカー中心とサッカー協会の分離の考えを高級幹部に打診したところ、「そのような問題は君ら(君らレベルの人間)が考えることではない」と一蹴されたそうである。まるで思考停止を宣告されたようで恐ろしい話である。

 結局、今回の「分離案」はサッカー協会とプロリーグの間の分離という中途半端な形に落ち着いた。
 「看板は2枚(国家体育総局サッカー中心とサッカー協会)あるが、同じグループの人間が行ったり来たりする」という意味の中国語が指摘する状況は何も変わらなかった。私などより遥かに中国、中国サッカーのことが分かっている中国人が「中国サッカーの改革は一夜にしてならず」、「今回の改革で実績を上げ更なる改革を目指す」、「現在小歩、将来大歩」と自分を納得させる様子に、私は何とも言えない切ない気持ちになるのだった。

サッカー改革―3名のサッカー協会副主席選出

 2年前(2011年1月22日)、豊迪氏が「大醜聞」によって逮捕された南勇に替わり、国家体育総局サッカー中心の主任になったが、複雑な事情によりサッカー協会の副主席にはなれなかった。サッカー協会で就任した職位は秘書長であるが、国内的にはサッカー協会の実質ナンバーワンと理解される。しかし国内の常識は国際舞台では通用しない。豊迪氏は秘書長の身分で、国際サッカー連盟、アジアサッカー連盟等の会議に出席することになるが、厳密には中国サッカー界の正式な代表(顔)とは言えず何とも「バツの悪い」事態が発生したのだ。国際サッカー連盟、アジアサッカー連盟はこれに対して大人の対応をしたそうだが、このいささか異常な事態が748日続いた。なにかにつけて「面子」を重んじる中国にしてこの事態は、よほど複雑な事情があったのだろう。

 上記の「特別会員代表大会」で、豊迪氏は晴れて副主席に選出されたので、国際舞台での「バツの悪さ」は解消したことになる。しかし不思議なことに彼の他に2名の副主席が同時に選出された。3名にはそれぞれの役割が当てられているようだが、これでは中国サッカーの正式代表となる豊迪氏の国際舞台での存在感が軽くなるのではないだろうか。どうして副主席補佐のような肩書きでは駄目なのか。中国の複雑な事情そしてそれが生み出す諸現象は本当に理解しにくい。それにしても中国では副○○の肩書きがやたらと多い。上海市にも何人もの副市長がいるのだ。

 748日の空白と言われるが、私は不思議だなと思いながらも「主席」はいないのだろうと思っていた。しかし驚いたことに「主席」はいたのである。それは袁偉民氏という長老で実質的な活動はなく肩書きだけの存在だったらしいのだ。さらに驚いたことには、今年末に予定されている中国サッカー協会の会議で次期の主席がすでに決定されていることだ。その人物は現国家体育総局副局長(サッカー中心担当)の蔡振華氏である。中国という車は、複雑な事情でエンストもすればスピード違反もする。

岡田監督の挑戦

 私はこれまで中国サッカー界の「管」と「办」の未分離を述べてきたが、プロクラブの状況も残念ながら同工異曲であると考えるほうが自然だろう。プロクラブの「管」のトップはクラブオーナーであり、「办」のトップは監督(中国ではヘッドコーチの中国語訳の主教練)である。不動産開発業者、IT企業家等「金をしこたま儲けた」人間がオーナーになっているクラブは多い。また「管」のトップのさらにその上には党、政府の高級官僚の姿が見え隠れするのも中国の常識だ。

 プロクラブ「上海申花」のオーナーはオンラインゲーム企業グループの総帥で、一年の大半をアメリカ西海岸で過ごす。しかし「上海申花」における彼の存在感は絶大で、メディアも執拗に彼を追い掛け回す。試合のコメントでさえ、監督より彼のコメントが注目されるのだ。今春「上海申花」はポルトガルでキャンプを張った。その時現地のプロチームとの練習試合で6対0の大敗を喫したが、「アネルカ(元フランス代表で英プレミアリーグ「チェルシー」の主力選手。今年、巨額マネーで獲得)が出場していないのだから、負けて当然だ」というオーナーのコメントが新聞見出しに大きく載った。このようなことは「上海申花」に限ったことだと信じたいが、どうもそのようには思えないのだ。以下の文はネット上で見つけたものだが、ため息がでる。「中国では偉い人は何をしても許される。専門的なことは一切分からなくても偉そうにふるまってよいのだ。市長が選手の更衣室にズカズカと入ってきて選手に説教をたれた。これを見て時の外国人監督は怒ってすぐに帰国した。」

 岡田氏が率いることになった「杭州緑城」は、杭州をホームとするチームでそのオーナーは不動産開発業「緑城」グループの総帥である。ところがこの杭州市と「緑城」は、中国マンションバブルの今後の動向において主役になる可能性がある。

 2010年初めからマンション価格抑制策が実施されて2年余の現在のマンション市況は、価格小幅下落(20〜30%下落の説もある)、取引量急減、在庫量急増という状況である。政府としては何とか価格小幅下落(ソフトランディング)で事態を収拾したいところだ。もし価格が暴落すれば(ハードランディング)不動産開発業者の倒産、銀行の不良債権急増だけでは済まず、地方政府の財政破綻という混乱が予想されるからである。と言うのは、マンション用地の譲渡金はこれまで地方政府の大きな財源になっているからだ。これは「土地財政」と呼ばれるが、「土地財政」が歳入全体の半分を越える都市は少なくなく、歳入に占める土地財政の比率の最も高いのは他ならぬ浙江省(省都、杭州市)なのだ。杭州市はこれまで流れ込んでくる「土地財政」を使って驚くべきスピードでインフラ、新城建設を展開してきた訳で、もし「土地財政」の縮小という逆風が吹けば杭州市の受ける打撃の大きさは容易に想像できるだろう。また2年余の価格抑制策は不動産開発業へのボディーブローとなっている。そして「緑城」は数ある開発業者の中で借金比率が最も高く、倒産という事態になれば一番バッターは「緑城」だと噂されているのだ。「緑城」は昨年末、資金繰り難で杭州市政府に泣きつき急場を救ってもらったとも言われる。最早、「緑城」の生殺与奪の権はオーナーの手を離れていると思われる。私が杭州市と「緑城」が中国マンションバブルの今後の動向で主役を演じる可能性があると言ったのは、こういう理由からである。

 岡田武史氏が「挑戦と刺激」をテーマに、「杭州緑城」の監督に就任することになった。私はこのニュースを知った時、他人事ながら興奮してしまった。私は岡田監督の決断に心から敬意を表したい。

 中国生活10年の旧知の日本人と雑談していてこの話題になった時、彼は「えらいことになったね。苦労するだろうな。でもぜひ頑張って欲しいね」と言ったが、私の気持ちもこの言葉に尽きる。

中国サッカーは国際舞台で勝てるか

 南アワールドカップで岡田ジャパンはベスト16に残った。20年程前までは互角であったと思っていた「日本サッカーの発展を見るにつけ、われわれ中国人の心はなおさら痛むのだ」。サッカーの大好きな中国人のサッカー(特に代表チームの)を見守る眼は愛憎交々で屈折しているが、皮肉ではなくその気持ちは理解できる。このような中、新聞コラムで「出でよ、川淵三郎」という記事を見つけた。

 内容は「中国サッカー界にはどうして川淵三郎のような人間はいないのか。救世主よ、出てこい」という単純なものだったが、これが中国社会の所謂「英雄待望論」なのかと妙に納得した。

 日本サッカー協会の会長であった川淵三郎氏は、行政府の文部科学省の管理、監督の下にあるとは言え、
「办」のトップとして日本サッカー発展の任を担った。しかしサッカーの専門家でもある彼は代表チーム、プロリーグについては「管」に徹しその運営に直接タッチすることはないし許されることではない。彼が代表チームに対して出来ることは監督の任免や条件整備だけである。「管」と「办」の分離が確立し保障されなければ、最前線の部隊長である監督の絶対的な権限が保障されないことを彼だけではなく皆が理解している。監督に絶対的な権限が保障されない(監督、コーチ、選手間の意見の対立はあったとしても)チームスポーツはどのような姿になるのだろうか。

 文部科学省であれ国家体育総局であれ、「管」の立場の人間は「管」するスポーツについてはアマチュアであるのが一般的だろうがそのことは問題ではない。特に、中国の現在の50歳代の高級官僚の青春時代は文化大革命の真っ最中でスポーツどころではなかったはずだ。「管」がすることは有能で意欲的な専門家を見い出し、彼に実際の運営を完全に任せることなのだ。アマチュアの「管」が専門家の「办」に、例えば選手の起用、戦術、トレーニング法等で「口出し」するということは、専門性をないがしろにすること、専門家を侮辱すること、現場および現場の人間を軽く見ることなのだ。川淵三郎氏といえども中国サッカー界では、その能力、意欲を存分に発揮できなかっただろう。事は個人の問題ではなく、体制の問題なのだ。

 監督の絶対的な権限が保障されなかったら、チームはどうなるだろうか。監督の脆弱な立場を見透かしているコーチ、選手はどのように振舞うだろうか。私にはこのようなチームが持続的な成長を遂げるとは思えない。それでも勝利を望むならば、それこそ「少林サッカー」に夢を託すしかないだろう。

中国サッカーと社会主義市場経済

 ケ小平の天才的な発想転換と強引とも言える指導力によって出現した「社会主義市場経済」。1992年の「南巡講話」で「社会主義市場経済」といういささか分かりにくい路線を迷うことなく大胆に突き進めと号令してからちょうど20年。この間の中国の大発展を私は素直に評価したい。さすがに5000年の歴史の厚みはただものではない。インフラの整備は目覚しいものがあるし、何よりGDP世界第二位の経済大国に駆け上がった。世界の人々はこの『「中国崩壊論」の崩壊』と言わしめた経済的パフォーマンスに驚いている。しかしこの経済的パフォーマンスの裏側にある極端な所得格差、民主化の遅れ、腐敗・汚職の蔓延、環境破壊等の負の社会的パフォーマンスに戸惑ってもいる。

 上海に2年余滞在した時、朝早くから夜遅くまで2畳程の店で新聞販売をする青年と顔見知りになった。彼は福建省の片田舎から来た20歳代後半の独身で、販売の合間によく新聞を読んでいた。新聞に熱中している時は振り向きもせずに客の応対をするぶっきらぼうなところがあったが、余裕のある時は下手な中国語会話に付き合ってもくれた。東日本大震災の話題になった時、彼に「日本はすごいな。あの地震で倒壊したビルがないじゃないか。中国ではああはいかないよ。四川大地震を見なよ」と言われたことがある。私としては釈然としないものがあったが、印象に残った。9ヶ月ぶりに彼に会いに行き、最近の中国のことを聞いてみたが、彼は「マンションだけじゃないよ、何もかも悪くなっている、新聞販売も悪いよ」と暗い顔をしたのだった。

 「社会主義市場経済」とは一体何なのか。「社会主義市場経済」とはあくまでも共産党、政府(ここで国家なる抽象的な概念はふさわしくない)が上から主導する経済であり、共産党、政府が決定した枠組みの中でのみ許された市場経済である。その一番の特徴、強み、利点は効率性にあるし、これがあってこそ近年の高速発展が可能であった。これだけの発展を成し遂げた共産党、政府の経済政策、運営は評価すべきである。もし「社会主義市場経済」によってこれからも持続的な成長が可能なら万々歳であり、それこそ「中国模式(中国モデル)」と賞賛されるべきであろう。

 「社会主義市場経済」に弱点はないのか。嘘のように聞こえるかもしれないが、私は中国サッカーのことを考えていてふと思いついたのだ。中国の「社会主義市場経済」とはあくまでも自国内限定の発展モデルであって、グローバルな競争下ではその優劣は未検証であることに。この10年間にGDP規模は4倍になったが、その主エンジンは制約が少なく独自に決められる「投資」であった。「輸出」も間違いなく成長エンジンであったが、「輸出」の半分以上は資本と市場を持って進出してきた外資企業におんぶにだっこの所産である。共産党、政府は外資企業を利用したつもりであろうが、外資企業もちゃっかりと中国の低廉な労働コストを利用したのである。だから中国の「輸出」も未だ自分の足で国際舞台に立ったとは言えないのではないか。

 中国経済がグローバルな競争市場で勝ち抜くということは、簡単にいえば中国企業がグローバル市場で受入れられる優秀で競争力のある製品を生み出し続けられるかどうかにかかっている。ここで期待されるのは民営企業であり、典型的な内弁慶で内需だけでたっぷり儲けている国有の大型独占企業は役にたたない。しかし「社会主義市場経済」下の企業には、「管」と「办」の2本の指揮、命令ラインが厳として存在する。繰り返しになるが、「管」が「办」の優位に立つ2本のラインがあるということは、専門性がないがしろにされるということ、専門家が尊重されないということ、現場が軽んじられるということだ。これでは競争の前提であるプロフェッショナルな経営者、中堅管理者、技術者、現場作業員が育たないことになる。現在でもすでに「办」分野での専門性の向上、地道な工夫、継続的な改善等は評価されない風土があるのだ。党、政府は「創新(新技術開発)」、「転型(産業構造の高度化)」を盛んに叫ぶが、言うは易くの類である。このような中国企業が簡単に勝てる程、現在の大競争下の国際舞台は「やわ」なものではないだろう。

 このように考えると、内弁慶の「社会主義市場経済」を尻目に、中国代表として「ガチンコ勝負」の国際舞台に立つ中国サッカーが健気に見えるではないか。