社会動態インタビュー Vol.1
いま、日朝関係と向き合うために
~元中国大使、外務省アジア局長 中江要介氏に聞く~ 2009年5月
社会動態インタビュー企画、第一回は、外務省アジア局長、中国大使などを歴任された中江要介さんです
いま緊張とこう着状態に陥っている日朝関係をどうとらえ、国交正常化問題とどう向き合うべきなのかについてうかがいました。
日本が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)と国交正常化交渉を始めたのは1991年のことでした。
以来18年になりますが、いまだに関係の正常化は果たされていません。
とりわけ2002年9月に小泉首相が訪朝し金正日国防委員長とのあいだで、日朝国交正常化の早期実現に向けて努力することを約束した「日朝平壌宣言」に調印しましたが、北朝鮮側が、日本人の拉致問題を認め謝罪したことで、日本国内の激しい反発を生みました。
加えて、2006年のミサイル発射、核実験に対して日本政府が北朝鮮への「制裁」に踏み切ったことで両国の関係は緊張を一層深める状況になりました。
そして今年4月の「ロケット発射問題」で日本政府が制裁措置をさらに強化し、一方の北朝鮮側も日本への非難を強めるなど、国交正常化への道はきわめて険しいものになっています。
こうした状況に、拉致問題も解決への道筋が見えず、核、ミサイル問題とあいまって、日本と北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の関係を打開する手掛かりを見いだせずに過ぎています。
またアメリカのオバマ政権も、いまのところ、対北朝鮮政策を明確にするところに至らず、米朝関係も停滞、足踏み状態にあります。
しかし、米国発のいわゆる「金融危機」に端を発する世界的な経済危機が深刻さを増す中、東アジアにおける平和で安定した環境、協力と連携の重要性がますます増しています。
なによりも、冷戦構造を残す朝鮮半島に平和と協力の環境を実現し、未来に向けて東アジアの平和的な発展をめざすという、歴史的な課題にどう向き合うのかが、いまこそ問われていると考えます。
こうした問題意識に立って、中江さんにお話をうかがうことにしました。
まず中江さんの略歴を記します。
中江要介氏略歴
1922年大阪生まれ。47年京都大学卒、外務省入省。
71年アジア局参事官、74年同局次長、75年アジア局長。
78年駐ユーゴ大使、82年駐エジプト大使、
84年から87年まで駐中華人民共和国大使、87年退官。
同年原子力委員会委員、91年三菱重工業株式会社顧問、
92年日中友好協会副会長、
同年日中関係学会会長、2005年同会名誉会長。
創作バレエ台本「いのち」「動と静」「浩浩蕩蕩一衣帯水」「鵲橋」執筆。
著書に「中国の行方」「らしくない大使の話」「日中外交の証言」その他。
(木村知義)
ホームページに「インタビュー企画」のページを設けることになり、その第一弾として中江さんにご登場願うことになりました。まず心からのお礼を申し上げます。
今回の「ロケット発射問題」で北朝鮮に対して、国連の安全保障理事会で「議長声明」が採択され、北朝鮮の今後の動き、朝鮮半島情勢が世界の注目の的になっています。
昨年、中江さんからいただいたメッセージで、アジアをテーマに掲げるなら、いまこそ日朝関係正常化という問題に取り組むべきだという激励を頂戴しました。
この状況の下で、日朝関係の正常化を目指すべきだと力説されるのはなぜなのでしょうか。
まずここからうかがっていきたいと思います。
(中江要介さん:以下敬称略)
それには二つの問題があると思います。
ひとつは、朝鮮半島問題について、その現状をどう認識して将来を考えるのかという問題がある。
この点については残念ながらどの国も、国際社会が真剣に考えているとは思えないのですね。
その時その時の出来事に一喜一憂することはあっても、じっくり構えて朝鮮半島情勢をこれからどう運んでいくべきかについては考えられてもいないし、議論もされていないという問題がある。
もうひとつは北朝鮮という国をどういうふうに考えるかという問題があります。
この点でも北朝鮮の将来をきちんと考えている人はほとんどいない状況で、ひたすら北朝鮮を非難し、攻撃して「いじめる」ことばっかり頭にあって、あの国が一つの独立国として北東アジアで普通に付き合っていける国になってゆくために、どうすればいいのかということについてほとんどの国が考えていない。
今回の安保理の「議長声明」にいたる経緯を見ていてもわかるように、国連そのものが国際社会ではなくなっている。パックスアメリカーナの下で国連覇権主義ともいうべき状況なのですね。それがますます昂じていく状況にある。
安保理の常任理事国と日本の間で話し合ってようやくこの「議長声明」が出来上がったと誇っても、いま言った朝鮮半島の将来についての視野もないし、北朝鮮の将来への認識もない。ただひたすら、いまの北朝鮮を非難することに懸命で、非難する度合いが強ければ強いほど、日本はそれに満足している。これは全く逆だと思うのです。北朝鮮を非難攻撃して悪者にして、それこそアメリカが「ならずもの国家」だと言ってイラン、イラクそれに一時はリビア、北朝鮮などを世界の「ならず者国家」ときめつけて満足していたのとおなじような心理状態なのです。これでは北朝鮮のためにもならないし、いわんや朝鮮半島のためにもならない。将来に大きな禍根を残すことになることを、いま、しているということに気がつかないことが問題だと思うのです。
思い出すのは大使としてユーゴスラビアに赴任した当時、チトーが君臨していたのだが、チトーがパルチザンの指導者としてユーゴの解放、自主独立、民族自決の活動をしていたころで、多くの周辺の国はチトーを恐れていたのです。チトーなんかはユーゴで、セルビア人、クロアチア人らと一緒になってバルカンの秩序を乱すそれこそ「ならず者」だとされていた。そのチトーはソ連からもドイツ(当時の西ドイツ)からも左右されずに、非同盟で自分の国を作ると頑張っていたのですが、今度はPLOがテロリストだとかなんだとかいわれて、アラファトがかつてのチトーのように悪者になって、アラファトはけしからん、倒さなければならないと、イスラエル、アメリカなどから指弾された。しかし最後にはアラファトを認めて彼と話し合わなければならないということになった。しかし、話し合いはつかず、結局、パレスチナ問題は未解決のまま数十年続いている。
わたしは下手をすると北朝鮮問題も同じ道をたどるのではないか、いつまでたっても北朝鮮は東アジアにおける「ならず者国家」で、「厄介者」で、あれがいる限りだめだ、あれを倒さなければならないと、みんなが「よろこんでなぶり殺しにする」まるでサンドバッグのような存在になってしまう形になっていくのではないかと危惧するのです。
それは決して朝鮮半島の将来にも、また北朝鮮という国の将来にも何の役にも立たない、むしろマイナスになることばかりを、いま重ねている。
朝鮮半島についていえば、分断されたことに様々な理由があったわけだが、それがどうして元のようにひとつにならないのか、なれないのか、なれるようにみんなで温かく見守っていけないのかということが考えられておらず、反省されていない。
ブッシュ大統領がパレスチナ問題になんの反省もなくアラブに対して非難攻撃ばかりを重ねて「9・11」の同時多発テロというしっぺ返しを食うことになった。それで「これは戦争だ!」と言ってイラクにむかって軍事力で抑えようとしたが、結局抑えられなかった。これと同じような間違いを朝鮮半島で将来犯すのではないかということを本当はみんな心配しなければならないのだが、評論家もジャーナリストも職業外交官もだれもそういうことを懼れず、一緒になって強い決議で北朝鮮を反省させなければならないと息巻いている。
そんなことで北朝鮮を反省させられると思うほうが甘い。今度の安保理を見ていると、世界中の北朝鮮を見る目が間違っている、根本的に間違っていると思う。
それは、繰り返しだが、朝鮮半島の将来をどうするのがいいのかということを忘れているからだ。
もうひとつは北朝鮮を北東アジアのひとつの国としてどう付き合っていくのかということについての見通しを持っていないことだ。
この両面で間違ったことをしている。それで口をひらけば拉致問題、貿易禁止、送金の制限だという。
そういうことを言っていて北朝鮮がわれわれと話し合える国になると思っていることが間違いなのだと私は思うのです。
(木村)そうしたことの根底には戦争処理、戦後処理ができていないという問題があるのではないかと考えるのですが。
(中江)その通りですね。最近見ていると、日本にはあれだけの戦争をして周囲に迷惑をかけて損害を与えてしまった、その戦争の戦後処理をきちんとして一人前になるのだという初心をほとんどの人が忘れてしまっていますね、日本では。
これまで、どんどん戦後処理をすすめてきて最後に残ったのが北朝鮮なわけですね。ですから北朝鮮との戦後処理をきちんと終わらせれば、アジア地域については、日本は、一応、アジアに損害を与えた責任を償う処理が終わる。そこではじめて日本はアジアの平和と安全についてアジアの国々と話し合ったり提案をしたりする資格ができる。しかしまだその資格がないのですね、日本には。
戦後処理をしないでいて、威張ってものを言っても信用されないのは当たり前だと思う。
その意味で小泉訪朝の「ピョンヤン宣言」は、もし本当にそのようにやろうとしたのであれば重要な一歩を踏み出そうとしたものだったと思う。どういう苦労があったのかはいろいろあると思うが、とにかく日本の総理がピョンヤンに行って金正日総書記と会って共同宣言を出して、そのなかで戦後処理のことも将来のこともうたったのですから。
それを北朝鮮に守れ、守れと言う前に、日本が守るべきだと思うのですが、拉致家族の一部が日本に帰ってきたとたんに忘れて、拉致家族がまだ残っているはずだ、残っている人を返せ、情報が不十分だ、と非難することばかりしているので、日本に対する信頼を失うことも当然だと思うのです。せっかくの「ピョンヤン宣言」もなんのためにあそこまでしたのかわからなくなる。かえってそれが原因で日朝関係が悪くなる。北朝鮮をますます悪者にして、悪者にしないと拉致家族は帰ってこないというようなことを言う。
それは何を根拠にしてそういうことを言うのか。相手の国と話し合いによって問題を解決しようとするときにその相手をいじめて悪口を言って、非難攻撃してならず者にして、それで話し合いができると思っているなら、それこそ「外交音痴」もいいとこだと思うのですね。
そういうふうにもってきた責任はジャーナリズムにもあると思うんですね。
ですから政治家のほうは話にならない、小泉総理自身が自分で出した「ピョンヤン宣言」を守らないのだから話にならない。そいう時にこそ、心ある人たちから、あなたはせっかくあの宣言を出したのだからそれを守ってこうすべきだという議論が国内で出ていいはずなのに逆で、あなたは宣言を出してきたが、相手は悪いやつなんだから、あんなやつはもっと厳しくやらなければ、アメとムチというけれど、ムチでやらなければ、とてもアメなど出してはだめだというようなことに世の中みんながなってしまっている。
そして北朝鮮というと安心して非難するんですね、日本人は。
これは了見の狭い島国根性の、外交センスのない欠点だと思いますね。
(木村)中江さんはアジア局長をお務めになる前に日韓条約、国交正常化など、日韓関係にもかかわってこられたわけですが、これは南半分へのものだったと思うのですが、その当時、残りの北半分、つまり朝鮮半島全体を視野に入れた戦後処理をきちんとしなければならないという問題意識は日本の外交にあったのでしょうか。
(中江)それは勿論ありました。当時の日韓正常化にむけての日韓交渉の直前だったと思いますが、当時の伊関アジア局長などの考えは、日韓交渉で南半分と正常化するけれども北を忘れているわけではない、北半分は白紙で残してあるのだ、南とは「日韓基本条約」で外交関係ができるけれども、北については白紙なのだから将来、北と交渉して正常化をきちんとすればそれではじめて朝鮮半島南北一緒になって日本との関係が正常化するのだというビジョンはちゃんと持っていたのですね。
で、多くの人にもそういうビジョンがあったはずなんだけれども、あっという間に忘れたのか、あとはもう南ばっかりで、北のことは無視する、白紙で残されているのではなくて無視するという態度に段々変っていったのですね。
そうなった理由は何かというと朝鮮戦争の歴史もあったけれども、要するに冷戦の下で日本がアメリカ陣営に立っていたということがあったと思うんですね。アメリカの意向が北朝鮮のような共産主義の国は相手にしないのだ、支援すべきは韓国とか台湾とかASEANとかという自由主義国としてのアジア諸国であって、日本もそれに協力すべきだという考え方だったし、それはいまもあまり変わっていない。だから日本の朝鮮政策というのは今後もアメリカの意向を忖度しているばかりでは進歩はないと思いますね。
(木村)一方では、そうであるにもかかわらず、今回の国連安保理の展開もそうですし、これ以前の北朝鮮とアメリカとの関係をみると、アメリカは自己の国益にもとづいて北朝鮮とも交渉するときは交渉するということで、日本はおいていかれていますね。
(中江)それはそうですよ。アメリカにはアメリカのアジア政策があってそれにもとづいておこなっている。しかしなんといっても核保有大国のアメリカですから、どの国もアメリカを敵に回しては損だという、アメリカ一辺倒の姿勢が蔓延しているからそうなるのだと思います。
北朝鮮も、北朝鮮に限らないどこの国だってそうだと思うんですけれども、この地域の問題は日本と話をしてもだめだ、この地域の一番の実力者はアメリカなんだからアメリカと話をしなければだめだとわかっているから、なんだかんだといってもアメリカとは話し合う。しかし日本とは、頭っから話をしない、こいつは「悪いやつだから」相手にしないと、日本に対しては今度もスポークスマンの激しい談話をすぐ出していますよね。六者会談なんか二度と絶対にやらないと言っていますね。ああいう「いじめられている」国の心理というものを日本は理解できていない。だから日本は頼りになる国だと、筋の通ったことを重んじてくれる国だとは思われないという、悲しい立場に追いこめられている。それは日本自身の責任だというべきです。
北朝鮮に対してのビジョンをちゃんと持たなければならない。それは南北がひとつになった時の朝鮮半島のあり方というものを日本は考えなければいけないということだと思います。
(木村)そのビジョンは、どういうことを考えるべきなのでしょうか。
(中江)これはかつての金丸訪朝団のときには、カネを出してどうこうということで補償の問題を議題にしたようですけれども、カネで解決する発想ではなく戦後処理をちゃんとするということでなければならない。
その戦後処理ということは一体何なのだということをはっきりさせなければならない。それは日本が朝鮮半島をいわゆる植民地化した、台湾と朝鮮半島を「外地」として自分の勢力下に置いた、その結果として相手の国や民族に非常な損害を与え、辱めを与え、ひどいことをした、そのことへの反省を日本はどれだけしたのかということが戦後処理だと思いますね。
だから反省の仕方が足りない、不十分で不明確だと私は思いますね。
小泉訪朝の際の「ピョンヤン宣言」で少しはふれていますが、すぐにそれに逆行するようなことをしているわけですから、不言実行ではなく有言不実行なのですね。そういうことでは戦後処理とはいえない。
戦後処理というからには有言実行で本当に相手の国や民族を踏みにじったことへの責任を痛感して、それを反省してそれを償うためにどういうことをするのか。それには何が大事かといえばおカネよりも心が大事だと思うのですね。心の償いが先なのであって、心の伴わないおカネだけではまったく評価されないのです。
心の伴ったお金、つまり戦後、アジア諸国にいろいろな賠償を払いましたが、賠償にまつわる汚職だとかいろいろな問題がありましたね、田中内閣の金権政治の悪いところだったのだけれども、おカネで人を動かそうというのが間違いのもとで、心の伴わないおカネほど害を残すものはない。
額は少なくとも心があれば相手はある程度理解し、信頼もしてくれるようになる。
しかし日本は国を挙げて心を喪失したんですね、戦後。そしてただアメリカのおかげで経済復興した。それでおカネ、おカネ・・・で、カネに物を言わせるということばかりを考えて、国連などで決議の採択のときなどずいぶんカネを使いますね日本は、無駄なカネを。
日本はこれだけ経済援助したのだから開発途上国は日本を支持しないはずはないと思いあがって、それがいろんな災いを残したことは枚挙にいとまがない。
いま大事なことは、戦後処理の問題でも一番大事なことは、心の問題だと私は思うのですね。
だから何億ドル損害を与えたから何億ドル賠償を払って経済協力すればいいじゃないかという、そういう発想が禍となって田中総理の東南アジア歴訪の際には「反日デモ」が起きましたが、バンコクでもジャカルタでもありましたね、あの時にそれを痛感してその反省の上にできたのが「福田ドクトリン」だったわけですね。
「福田ドクトリン」の第一原則は、経済大国になっても軍事大国にならないと、これは一番大事な日本人の心の問題だと思うのですね。いままではモノとカネが主だったけれども、心と心の付き合いが大事だということが第二原則に出ました。これはやっぱり「福田ドクトリン」というのは、そういう意味では戦後処理を考える上では非常に重要な問題点を指摘していたと思いますね。
(木村)心の伴わないおカネは人の心も動かせないという点には深い共感を抱くのですが、では日朝関係で、中江さんのおっしゃる心の問題をどう表していくのか、これは単なる外交技術ではなく、重い課題であり、難しい問題ではないかという気がしますが・・・。
(中江)その通りですね。それにはいくつも例がありますね。
まず韓国と国交正常化するときに、南半分とはいえ、そこに住んでいる人たちに対する心の戦後処理が必要だったわけですね。それが具体的には椎名外務大臣の韓国訪問の金浦空港でのステートメントだった。
事務当局が考えた、どこをつついてもボロの出ないような優等生の論文みたいなスピーチではなくて、本当に悪いことをしたと、本当に心から詫びるんだということを、どんなに詫びても詫びすぎることはないのだというぐらいの気持ちが出ているかということが問題で、あのときは椎名外務大臣の金浦空港でのステートメントがあったればこそ日韓正常化が成功したと思うのですね。
というように人間というものは物心両面と言いますが、肉体のほかに精神というものがあるのであって、心の満足感が得られなければ相手は信用しないし、仲良くなれないと思いますね。そいう意味で、心の問題はどうすればいいのかといえば、韓国についての「椎名ステートメント」、中国とのあいだでは、中国には何億という「反日、抗日分子」がいたわけで、その中国相手に国交正常化した、その日中共同声明の精神というものが中国の人たちの心にどれぐらい響いたかということです。
その点で忘れてならないのは周恩来首相の存在ですね。
韓国の場合には周恩来に相当するような人はいなかった。
むしろ朴正熙大統領、その前には反日の指導者と、「反日」というのが政権を維持するための重要な要素でしたね、韓国では。
ところが中国の場合は周恩来がいた。周恩来がいなければ日中正常化はできなかった。中国人に日本人の心の問題を納得させられなかった。周恩来は偉大な人だった。
そいう経験からいえば、日朝正常化をするためには、大事なことは、日本の指導者が北朝鮮の人たちに対する日本の支配、戦争に伴う償いの心の問題をちゃんとわきまえているかということになるわけですね。
ところが小泉総理以来、どの指導者をとっても朝鮮半島、北朝鮮について戦後処理を心の面、心の問題で処理しなければならないという認識を持っている指導者は、残念ながら一人も現れていませんね。
どうすればいいのかといえば、やはり日本の政治指導者の人たちが目覚めるのを待つしかない。目覚めないのであれば、そういう政治家は当選させない、有権者である国民がそれをわきまえて、朝鮮半島について心の償いをすることをわきまえている政治家をみんなが選び出して、そこから最高指導者にちゃんとした人を持つということが必要になるでしょうね。
(木村)そうなるとより問題は重いという気がするのですが、ということは国民の朝鮮半島問題に対する認識、あるいは北朝鮮に対する感情も含めて、この問題が非常に大きな要素になる。となるとこれは教育、ジャーナリズム、メディアの責任も重いと思います。しかし現在は、いまおっしゃるような歴史に根差した認識が十分ではないのではないかと思いますが。
(中江)それはね、日中国交正常化の例を考えればすぐわかると思いますね。かつて日本がアメリカの手先になって国を挙げて反共の時代がありましたよね。共産主義の南下を防ぐのだ、ドミノ理論、ドミノ倒しになっては困る、だから「中共」といって敵視し、北朝鮮を敵視し、北ベトナムを敵視し、共産主義を敵視した時代がずっとありましたね。
その時に、いやそうじゃないのだと、中国の人たちと仲良く生きなければアジアにおける日本の将来はないのだと唱えて努力した政治家がいなかったかといえばいたのです。
政治家では石橋湛山、松村謙三、そして実業家では高崎達之助とか岡崎嘉平太とか、ああいう人たちがいたんですよ、ちゃんと。今の日本の政治家でそういう人がいるかといえばいないじゃないですか。だれもそういうことを、勇気を持って、たとえば、問題は拉致問題だけではない、われわれは朝鮮民族に対して、まだ負の責任を果たしていないじゃないかとはっきりと言っている人はいないのですね。だからあの国にはもっと一生懸命になって経済協力、技術協力もやって日本とともに栄える国になってもらわなければだめなのだと言っている実業界の重鎮がいるかといえばこれもいないですね。
中国の場合、よく井戸を掘った人を忘れるなというのですが、あのころはまだ井戸を掘った人がいたのですよ、しかしいま、北朝鮮との関係で井戸を掘っている人がいない、掘ろうとしている人もいない。掘ろうとすると「やめとけやめとけ、あんなとこやってもだめだよ」という雰囲気にしてしまったのですね、国全体を。
それはやっぱり小泉総理の時代からそうなってしまった。
いいことをしかけたのですが、悪いことをしてしまったので、悪いことが倍になって、よりマイナス効果になってしまったと思いますね。
(木村)中国との国交正常化に至る例のお話はよくはわかるのですが、ではなぜ中国ではできたのに、北朝鮮、朝鮮半島問題ではできないのか、深いところに一体どんな問題があるのでしょうか。
(中江)それはねやはり中国文化の問題だと思いますね。日本と中国の最近の関係ではなく、何千年という長い付き合いの中で中国からいろんな文化が日本に持ち込まれましたね、ことばはもちろんそれ以外にも。中国から日本に朝鮮半島を通ってやってきた中国文化というものを日本が消化して日本独自の文化にしましたね。万葉集を見てもそうだし、漢字もそうだし、食べ物もそうだし、いろいろな文明生活をおおっているすべてのものがほとんど中国大陸から朝鮮半島を通って伝来してきたものが多いですね。
それを日本人は器用なものだから消化して自分のものにして文化の花を咲かせた。そういうことに目覚めた人たちは、中国の共産主義は問題があるかもしれないが、われわれは中国人から多くのことを学び、中国の文化に強い影響を受けて今の日本があるのだということを勉強している人が多かったのですね。
そういう人たちが声をあげて、日中友好協会といった団体をつくり、一時はいろいろな派閥ができたりもしたようですが、それでも国の隅々まで行って、中国とは早く正常化しようと訴えて、中国人とは仲良くしたほうがいいのだという真面目な声が一般の国民のなかにあったのですね。
それが朝鮮半島については本来それがなければいけないのですが、ないですね。
朝鮮半島を通ってきたかもしれないが結局日本に来たのは中国の文化であって、朝鮮の文化はブリッジになっただけだと軽んじられているのではないか。
しかしわたしは、日本の中で、日本人の中にも朝鮮文化、高麗文化を勉強している人たちはいるわけで、そういう人たちはもっと声をあげていいのではないかと思う。中国の影響を受けている、しかし中国の文化を上手に日本に持ってきたのは朝鮮の文化だということを軽んじてはならない、われわれは朝鮮半島から文化の影響をこんなにうけているのだということをいくらでも、たとえば朝鮮通信使、朝鮮からのミッションが来ていますよね、ああいうものをもっと広めて、日本人に、ああそうかそうだったのかと思わせるような努力も、もっとしなければならないと思います。ちょうど日中友好協会が果たしたような役目を、日朝間で、日朝正常化のための民間交流、日朝友好のための民間活動を起こしてゆくべきだと思いますね。
起こってこなきゃおかしいのにそれが起きないというのは、なにかこだわりがある。そのこだわりのもとには確かに北朝鮮の対応の中に日本人の気持ちにそぐわないことがたくさんあったのだと思うのですが、そこを我慢して乗り越えることをしなければならないのが戦後処理だと思うのですね。
だから戦後処理をするということはつまり、忍びがたきを忍んでも、朝鮮民族と日本民族とは友好関係を築くためには努力しなければならないということであり、相手が多少無理なことを言ってもそれを我慢して話し合いをしながら、将来の友好を重視するべきだという意見がもっと出なければならない。それが出ないのが問題だと言えます。
(木村)そこがなぜできないのかを考えなければならないのではないでしょうか。
植民地支配、アジア諸国への侵略という問題の中で、朝鮮半島問題についてはもっと根深い問題があるのでしょうか。
(中江)それはあると思います。私自身の体験としても、幼稚園から小学校くらいのなにもわからない子供のころから、私は大阪で育ったのですが、朝鮮の人たちの集落があってそこに住む人たちが、いまでいう「3K」ですよね、そうしたみんなが嫌う仕事に押し込められて働いていた朝鮮人が多かった。そのため朝鮮人を蔑むという雰囲気がずっとありましたよね。
それが、不思議なのは、原爆まで落とされて、ひどい目にあわされたにもかかわらず、戦争が終わった後、その米軍を心から憎む気持ちが日本の人たちにあったかというとあまりなくて、むしろアメリカに学ぶという、これはアメリカの占領政策が巧みだったのだろうと思いますが、この辺は教育の問題、為政者の問題なのでしょうが、日本でも沖縄までいかないと本当の、根っからの「反米」の国民運動が起きないですね。沖縄の人たちがあれほどひどい目にあわされていても本土では知らん顔をしているようなことは、やはり政治の問題だと思います。
われわれは独立国だ、民主主義国だといいながら、いまだに強大国の覇権主義の下で軍事基地まで置かされ、基地の移転までなにからなにまで日本のおカネを使うことを強いられ、米軍基地の電気代から水道、ガス代まで日本が面倒をみさせられて、屈辱的なことをさせられて黙っているというのはおかしい、それを黙らせている力がどこかにあるんでしょうね。
これはやはり長い間政権を担ってきた政権政党である自民党の責任が重いと思う。ということは逆にいえば野党がもっとしっかりしなければならないということでしょうが・・・。
(木村)与野党の問題ということでは、日朝間には「拉致問題」があって、これについては、ほとんどの人がブルーのバッジをつけるか、押し黙るかしかない、問題を深めて議論する機会すら持てないという状況ではないでしょうか。もちろん拉致というのは許されないことだというのは明白なのですが、そのために、日朝関係のあり方、国交正常化問題との関係を深めて議論できないという状況が生まれています。これをどう動かしていくのか、大変むずかしい問題ではないかと思います。
(中江)そうですね、日朝関係正常化について議論できない、タブー化してしまっているのはたしかですね。しかしいまのような拉致問題の取り上げ方では拉致問題の解決は遠のいて、解決にはつながらないのではないでしょうか。
というのは相手の心を無視して相手の嫌うことばかりやって、「解決しろ、解決しろ!」といっても相手が解決する気になるはずがない、というような簡単にわかることも理解できないし、それを大きな声で言えなくしてしまった。これは拉致問題にかかわっている政党、与野党を問わずだが、そしてかかわっている人々に責任がある。
拉致問題は人権問題だということで、まるで鬼の首を取ったみたいに語ってはいるが、拉致問題の解決に何が必要かというと、日本と北朝鮮の責任者との間で話をしなければならないわけですね。話し合いが先決なのであって、話し合いもせずに拉致問題が解決するはずがない。だから拉致問題の解決のためには早く話し合いをしなければならない。早く話し合いをしたければ、相手をただ「ならず者国家」だと非難しているだけでは事はすすまない。早く北朝鮮への敵視政策をやめるということをしなければならない。そいうことを政権政党は国民に十分説明しなければならない。しかし、いまは国民に向けてそういうことをまったく説明もしなければ、その認識もない、そのことこそが問題ではないでしょうか。
(木村)外交に長く携わってこられたご経験から見て、外交官や外務省で仕事をしている人たちに、中江さんがおっしゃるような問題意識があったとしても、そのことは簡単にはできないということなのでしょうか。
(中江)それは、私は、官邸と外務省のパイプが詰まっているからではないかと思うのですね。
私が現役だったころは、特に福田政権のころですが、日中平和友好条約の締結のころを顧みると、官邸と外務省の事務当局というのは本当に意思疎通ができていましたし、お互いに理解が深まっていたと思いますね。
いまはどうなのか知りませんが、時折外務省の幹部諸君の話を聞くと、官邸のいうことのくりかえしでしかない。
官邸は政治家ですから、政治的な発言になる。つまり選挙のための発言になる。国のための発言ということはほとんどないですね。選挙のためのということはひたすら有権者に向けた発言になるということです。ということは、有権者はこの政治家は国のためになるのかどうかということよりも、住んでいる地域のためになにかしてくれるかどうかとか自分の仕事にカネをちゃんとつけてくれるかどうかとか、評価する基準がまったくかけ離れてしまう。
政治家に本当に国を憂えて、この国のために政治と取り組んで行くのだという意気込みがほとんどみられない状況ではやむをえないのかもしれないのですが、そういうときにこそ外務省のプロは官邸にしげく足を運んで官房長官なり総理なりに、外務大臣はもちろんですが、そういう人たちによく話をして、党で言えば自民党の幹事長であるとか政調会長ですとか、私たちのときにはそういう人たちのところにくどいほど足を運んで認識を深めてもらう努力をしたものですが、いまはそういうことをしているのかというと、結果をみるかぎりでは、どうも、そういう努力をした形跡がほとんど見えない。
今度の国連安保理の問題ひとつをみても、北朝鮮に対して強い声明になれば日本の意志が通ったというのですが、どこが通ったというのか、言葉がそうなっただけで、北朝鮮は真っ向から反対して絶対受け入れないというのでしょう。決議であれ議長声明であれ、なんであれ、そんなものをつくって「ああこれでよかった」と思っている。官房長官までそういうコメントをするというのはまったく的外れで、認識不足だと思うのです。
やはり事務当局の責任は重い。政治家と徹底的に話をして理解、認識を深めなければいけないと思いますね。
(木村)中江さんは、朝鮮半島の将来のビジョンが必要だとおっしゃるのですが、では北朝鮮とこれからどういう関係を結び、どのようなあり方をめざしていくべきだとお考えなのでしょうか。
(中江)戦争の処理、つまり、戦後処理をちゃんとしてあれば、日本と北朝鮮、あるいは「統一された朝鮮」との間にあたらしい国と国との関係、お互いに主権を尊重する国と国との関係が生まれうると思うのですが、ほとんどそれができたはずの日中関係でもですね、日中正常化したあとしばらくは関係がよかったのだけれども、その後なにかというと「反日」の運動が起きる、賠償の問題も取り上げられる、尖閣列島の問題もある・・・と、決して、決して、「友好第一」といったことではなくなっていて、周恩来が頑張ったころの認識はもうほとんどなくなっている。そうしたことの繰り返される日朝関係では困ると思うのですね。
そうではない日朝関係になるためにはどうすればいいのかといえば、やはり地道なことになるのですが、日常の積み重ねで、日朝友好というものが日本にとっても北朝鮮にとっても不可欠なもので、いわんやアジアにとっても、これが崩れてしまうようでは北東アジアの平和と安全なんて絵に描いた餅にすぎないのだという認識を深めておかなければならないと思うのです。
その意味では、日朝国交正常化というのは、かつての日韓関係の正常化と同じくらい、あるいは、それ以上の努力が必要だと思うのです。
やはりこれはいろいろあるけれども、日本と朝鮮半島というのは、中国と同じく、引っ越せない隣国同士なのだから、争っては何の得にもならない、争っては双方にとって損害ばかりになるのだから、相争わない、友好協力関係を保ってこそお互いの利益になるのだという認識をいまから積み重ねていかなければならないのに、いまはその逆のことを積み重ねている、逆のことばかりをしているという感じがするのですね。
そんなことばかりをしておいて正常化しても、正常化された後の国と国の関係がうまくいくはずがないので、やはり正常化した後、話がちゃんと通じる、そしてそれこそ拉致の問題であれ、なんの問題であれ、話がきちんとできて、相手もそれを理解して努力をする、両方で努力をしましょうというような心構えになるような日常を積み重ねて、素地を作って正常化するのが本当の正常化だと思いますね。
(木村)ということは政治家が単に「手打ち」をするというような格好の国交正常化では、おっしゃるように、それ以降の関係が友好的な関係にならない、さまざまな懸案の問題の解決にならないということになると思いますね。
となると、日本の社会の中で相当広く、深く、認識を積み重ねる努力が重要になる、これは重い課題ですね。
(中江)まったくもってそうです!俗な言い方になりますが、そのような国民運動をおこさなければいけないのですね。付け刃の、審議会だとか協議会だとかなんだとかいうのではなくて、地道な国民のなかでの運動、日中国交正常化前には友好運動や国貿促(日本国際貿易促進協会)なども貢献したことでもあるのですが、やはり心ある人、政、財、官、文化など各界それぞれの分野から、あの人が言っているのだから、あるいは、あの人もそう言っているのかと思うような、中心的な人たちが手をつないで、大きな国民運動を起こすぐらいの努力をしなければならない。
そのためには、いまは不景気ですが、日本のお金持ちがもう少しこういうことにお金を使うようになればいいのですが、日本では「金持ち」はそんなふうに上手にお金を使わないですね。本当の意味での国民運動を起こそうという、過去には石橋湛山氏が亡くなり残された藤山愛一郎氏は「白いハンカチ」と言われたのですが、もう少し泥臭くてもいいので、何があってもがんばって国民の先頭に立って引っ張っていくのだという、そんな迫力のある政治家がぜひ出てきてほしいですね。
(木村)もうひとつ、核とミサイルの問題があります。北東アジアの安全保障という観点から、北東アジアの平和と安全という問題と日朝国交正常化の関係をどう考えていくべきでしょうか。
(中江)核の問題、これは日本にはまだものを言う資格がないのですね。アメリカの核に守られてそれにしがみついているだけでしょう。
オバマ大統領ですら核廃絶を言い、ロシアと話しをして核廃絶をしなければだめだと言い出している。心ある人ならばあたりまえの考えなのだが、そんなあたりまえの考えすら日本の政治家にはない。いちばん最初に核兵器を使ったアメリカですら核廃絶をと政治家のトップが言い出すことができる話であるにもかかわらず、もっともっと言わなければならない日本の政治家の中で誰が努力をしたでしょうか、ほとんどいない。
ちょうど拉致問題と似ているように思うのですね。人権、人権と言って、世界中、人権問題については、いまや人権を尊重しなければならないということにおいて誰も反対しない。同じように世界中、核はよくない、核は使うべきではない、持つべきではない、最初に使うべきではない、持っているものは捨てなければならない、これはもうほとんど反対する人はいないと思うんですよ。それこそグローバリゼーションの世の中で、グローバルに支持を得ている問題です。
しかしそれすら、日本の政治家が先頭に立って言おうとしない、言うことができないというのは、肝っ玉の小さいというか、本当に情けないと思うのです。
北朝鮮の核の問題は拉致問題と同じだと言ったのは、北朝鮮がIAEAのいうことを聞き、NPT条約を守るというようなことの話をできる相手になってくれれば話ができる。
ところがそういう相手にはならない方向にばかり日本やアメリカはしている。
相手がもう二度と六者協議に出るものかという気持ちにさせておいて、「お前、核を何とかしろ!」と言ったって相手が聞くわけがないじゃないですか。そんな単純なこともわからない政治家などが六者協議は継続すべきだと言ったって、犬の遠吠えにもならないと言うべきで、哀しい現実だと言わざるを得ないですね。
(木村)となると、いまの日本では、この状況が動くということは望めないでしょうか。
(中江)それは北朝鮮だからといって「悪者」であるという前提でものを考えることをやめなければだめですね。また北朝鮮だったらなんでも平気で非難できるという雰囲気を作ってしまったのは大きな間違いだというべきでしょう。
(木村)メディアの責任というものも大きいというべきでしょうね。
(中江)そうですね。それとともにまた日本人の中に、ウルトラナショナリズム、超国家主義的なというのか、そういう雰囲気が残っていて、下手をするとそれが今またくすぶり始めているような恐れがありますね。
(木村)日本の社会に内在する問題としてそのご指摘は非常に重要だと思いますが、北朝鮮問題とメディアという問題についてはどう感じていらっしゃるでしょうか。今回の北朝鮮のミサイル問題で元防衛庁長官の久間章生氏が新聞紙上でインタビューを受けて、記者から「日本中がこんなに騒ぎになると思っていましたか」と聞かれて「騒ぎにしたのは、おたくら(マスコミ)でしょう。」と切り返されたのに対して「新聞もテレビも、国民の関心事だから取り上げたのですが」と記者が答えているのを読んで、メディアの責任ということについて考えさせられたものです。
(中江)ジャーナリストがもっと国民と話し合うべきじゃないでしょうか。国民の本当の声が届いていないのではないでしょうか。ジャーナリズムの人たちの自分の先入観が先にあって、それをただ確認するために、ちょっと街の人々の声を聞いてみましたというだけで、そうではなくて頭を白紙にして、国民がどんなことを考えているのかを虚心坦懐に取材すれば見えてくるはずですがね。
自分の頭の中で出来上がった原稿をあっちからこっちから書き直したり、書き足したりしているだけで、どの新聞を読んでも、どのテレビを見ても、今は飽き飽きするような同じことばかりが出てきてしまっていますね。
内閣支持率も同じでしょう。
だれかが最近言っていましたが「お宅は何パーセントぐらいになるのか」と各紙で情報交換をするのだと・・・。本当かどうかはわかりませんがそんな風に見られているということでしょう。
国民がそう思ってしまったら、何を出しても信頼されないでしょう。
以前は漢字が読めないとかなんとかあれこれ総理のことを言い立てていたのが、いまや総理がこう言っているということばかりが報道される。
メディアの人たち一人ひとりによく勉強してもらわなければとしか言えないのですが、国民はそんなに愚かではないはずです。
アメリカで「同時多発テロ」が起きてワールドトレードセンタービルが攻撃されてブッシュが怒ったわけですが、その相手を、ただ悪者だ、テロリストだ、けしからん、敵だ!とすることだけで終わらせようとしたことが間違いの源になったのでしょう。
なぜ彼らは、テロリストになってあんなことをしたのだろうか、なぜトレードセンターだったのか、なぜアメリカをねらったのだろうか、アメリカでなくてもイギリスだってフランスだって彼らの敵はいくらだってあったのに、なぜアメリカをねらったのか。そういう反省がなかった。
アラブの奴らはなにをするかわからない、けしからん!ということにしてしまった。
だからいつまでたってもパレスチナ問題が片付かない。
あのときになぜアメリカは反省しなかったのかというのが私のテーマだったのですね、あのときは。だから方々でそんな話をしました。しかしそういうことを言う人がほとんどいなかった。みんな、アラブはけしからん、わけのわからん奴らだと言った。そういうことを言っているからまたやられるのですよ。やられたくなければ、相手がなぜそういうことをしたのかということをわかる努力をしなければならない。わかりもしないで悪者にしてしまったらそりゃもう北朝鮮だって・・・。
今回のミサイル発射問題でも北朝鮮の声明などでは日本を攻撃していますね、アメリカよりも。日本はどうしてわれわれのことをあんなに悪く言うのだと。
日韓正常化前の韓国にも似たようなことがあった。朝鮮民族に対する日本の覇権主義的な支配をしたことに対しての恨み、つらみというものが強い。そのことがわからないからいくら言ってもまたやられるのです。
それが積み重なって、私の悪夢は、南北統一した朝鮮が日本に向かってきたときには、日本にはなすすべがないということです。
だから韓国とだけ仲良くして、北朝鮮は敵にするということ、そんなことはできないですよ。
国際社会、国際社会と言うが、国際社会とはなんだかわからないが、要するに地球上に渦巻いている不信と敵愾心、報復、そういうものは簡単にひと言で言えるものではなくてものすごく複雑なものがあると思うのですね。だからそれを見抜いていく力というものは、毎日起きている事象をよく見なければならないと思う。
9・11の「同時多発テロ」というのはそういうことを学習するにはもってこいの材料だったと思う。
ところが勉強しない、学ばない!北朝鮮の今回のミサイル発射だってそうですよ。人工衛星かミサイルかなどいろいろあるのだろうが、要するにみんながけしからんといっても、なおかつそれを断行する気持ちにさせているのは誰なのかということですよ。日本人も同じようなことをやったのです、それがこの前の戦争じゃないですか。
同じように、「日本、けしからん、けしからん!」とさんざん言われて、リットン報告書でぼろくそに言われて、それでもう、そんなことを言うのならというので松岡洋右が国際連盟を脱退する演説をして走って行ったのがこの前の戦争でしょう。
そんなところに走って行く危険な日本をつくったのは何だったのかを考えてみる必要がある。
それで戦争が終わってみれば、日本は平和愛好国だ、平和だ、平和だという。
日本のいう平和とは何なのだと、アメリカの核に守られて、アメリカが「悪い」という国は一緒になって「悪い、悪い」と言って、同盟国とは仲良くしようと、それが日本のいう平和だったのかということになるでしょう。
ですから、そういうことではなく、もう少し世の中のことをよく見て、よく勉強していかなければだめなんだけれども、それに一番有益な、手を貸してくれるのがメディアなんでしょうね、本当は。
ですからメディアこそが、いろいろな人が得た情報を持ち寄って、こうではないか、そうではないだろうと、総合的に深めて分析して、国民がなるほどうそうかということがわかるように伝えていくということをすべきなのですね。そういう方向を目指すべきなのですね。
放送番組なども見る前からもう結論が分かっているというものが多くなっています。
その意味でメディアの責任は本当に重いと思いますね。
(木村)きょうは時間の関係で十分うかがえなかった、日本外交の抱える問題についても、また機会をあらためて、ぜひうかがいたいと考えます。ありがとうございました。